米国議会図書館蔵『源氏物語』 空蝉 ---------------------------------------------------------------------------------- 記号の説明 1.くの字点は/\で表す。 2.和歌は「」で括る。 3.散らし書き和歌の末尾に#を付ける。 4.判読できない文字は■で表す。 本文の修正 1.翻字本文を修正した場合には、修正履歴を末尾に示す。 ---------------------------------------------------------------------------------- うつせみ (1オ) ねられたまはぬまゝに我はまたかく人ににくまれてもならはぬをこよひ なんはしめて世をうしと思しりぬれははつかしくてえなからふましくこそ 思なりぬれなとのたまへは涙をさへこほしてふしたりいとらうたしとおほし て手くるまのほそくちひさき程かみのいとなかゝらさりしけはひの さまかよひたるも思なしにやあはれ也あなかちにかゝつらひたとりよらん も人わろかるへくまめやかにめさましとおほしてあかしつゝれいのやう にものたまひまとはさす夜ふかういてたまへはこの子はいと/\おかしく さう/\しと思ふ女もなみ/\ならすかたはらいたしと思ふに御せうそこ もたえてなしおほしこりにけると思ふにもやかてつれなくてやみ給なましかは (1ウ) うからまししゐていとおしき御ふるまひのたえさらんもうたてあるへし よき程にてかくてとめんと思ふ物からたゝならすなかめかち也君は心つき なしとおほしなからかくてはえやむましう御心にかゝり人わろくおもほしわひて こきみにいとつらうもうれたくもおほゆるにしゐて思ひかへせと心にも したかはすくるしきをさりぬへきおりみてたいめんすへくたはかれと のたまひわたれはわつらはしけれとかゝるかたにてものたまひまつはすは うれしうおほえけりおとゝおさなきこゝ地にいかならんおりにかまちわた るにきのかみくにゝくたりなとして女とちのとやかなる夕やみのみち たと/\しけなるまきれにわかくるまにて出たてまつる此こもおさな (2オ) きをいかならんとおほせとさのみもおほしのとむましかりけれはさり けなきすかたにてかとなとさゝぬさきにといそきおはす人見ぬかたより ひきいれておろしたてまつるわらはなれはとのゐ人なともことに見いれ ついせうせす心やすしひんかしのつま戸にたて/\まつりて我はみなみの まよりかうしたゝきのゝしりていりぬこたちあらはなりといふ也なそかうあ つきに此御かうしをはおろされたるととへはひるよりにしの御かたのわたら せ給て碁うたせ給ふといふさてむかひゐたらんを見はやと思ひてやをう あゆみ出てすたれのはさまに入たまひぬこのいりつるかうしはいまた さゝねはひまみゆるによりてにしさまに見とをし給へは此きはにた (2ウ) てられたる屏風もはしのかたをしたゝまれたるもまきるへき きちやうなともあつけれはにや打かけていとよく見いれらる 火ちかくともしたりもやの中はしらにそはめる人や我心に かくる人ならんとまつ目とゝめ給へはこきあやのひとへかさねなめり なにゝかあらむうへにきてかしらつきほそやかにちいさき人の物け なきすかたそしたるかほなとはさしむかひたる人なとにもわさ と見ゆましうもてなしたり手つきやせ/\にていたうひきかくし ためりいまひとりはひんかしむきにてのこるところなくみゆしろ きうすものゝひとへかさね二あゐのこうちきたつ物ないかしろにき (3オ) なしてくれなゐのこしひきゆへるきはまてむねあらはにはうそこ なるもてなし也いとしろうつふ/\とこへてそろゝかなる人のかしらつきひたひ つき物あさやかにま見くちつきいとあひきやうつきて花やかなるかたちなり かみはいとふさやかにてなかくはあらねとさかりはかたの程いときよけにすへて いとねちたるところなくそおかしけなる人と見えたりむへこそおやの 世になくは思ふらめとおかしう見給ふこゝちそなをしつかなる気をそへ はやとふと見ゆるかとなきにはあるまし碁うちはてゝけちさす わたり心とけて見えてきは/\とさうとけはおくの人はいとしつかにのと めてまちたまへやそこはちにこそあらめ此わたりのこうをこそなと (3ウ) いへはいてこたひはまけにけりすみのところいて/\とをよひをかゝめてとおはた みそよそなとかそふるさまいよのゆのゆけたもたと/\しかるましう見ゆ すこししなをくれたりとたとしへなくくちおほひてさやかにも見せねと めをつけ給へれはをのつからそはめにみゆすこしはれたるこゝちしてはななと もあさやかなりところなうねひれてにほはしきところも見えすいひた つれはわろきによれるかたをいといたうもてつけてこのまされる人よりは 心あらんとめとゝむへきさましたりにきはゝしうあひきやうつきおかしけ なるをいよ/\ほこりかに打とけてわらひなとそほるれはにほひおほく見えて さるかたにおかしき人さま也あはつけしことはおほしなから聞ゆさかしされと (4オ) もとおかしくおほせと見つとはしらせしいとおしとおほして夜ふくることの 心もとなさをのたまふこたみはつま戸をたゝきているみな人々しつまりね にけり此さうしくちにまろはねたらん風ふきとをせとてたゝみひろけて ふすこたちひんかしのひさしにいとあまたねたるへしとはなちつるわらはも そなたにいりてふしぬれはとはかりそらねして火あかきかたに屏風を ひろけてかけほのかなるにやをらいれたてまつるいかにそをこかましき こともこそとおほすにいとつゝましけれとみちひくまゝにもやのきちやう のかたひらひきあけていとやをらいり給ふとすれとみなしつまれる 夜の御そのけはひやはらかなるしもいとしるかりけり女はさこそわす (4ウ) れ給ふをうれしきに思なせとあやしく夢のやうなる事を心にはなるゝおり なきころにて心とけたるいたにねられすなんひるはなかめよるはねさめかち なれは春ならぬこのめもいとなけかしきに碁うちつる君こよひはこなたに といまめかしく打かたらひてねにけりわかき人はなに心なくいとようまとろみ たるへしかゝるけはひのいとかうはしく打にほふにかほをもたけたるに ひとへ打かけたるきちやうのすきまにくらけれと打みしろきよるけはひ のいとしるうあさましくおほえてともかくも思わかれすやをらおき出てすこし なるひとへ/\をきてすへり出にけり君はいり給てたゝひとりふしたるを 心やすくおほすゆかのしもに人ふたりはかりそふしたるきぬををしやりて (5オ) より給へるにありしけはひよりはもの/\しくおほゆれとおもほしもよらす かしいきたなきさうなとそあやしくかはりてやう/\見あらはし給てあさ ましく心やましけれと人たかへとたとりて見えむもをこかましくあやしと 思ふへしほいの人をたつねとはんもかはかりのかるゝ心あめれはかひなう をこにこそおもはめとおほすかのおかしかりつるほかけならはいかゝはせんもおほし なるもわろき御心あさゝなめりかしやう/\めさめていとおほえすあさましき にあきれたる気しきにてなにの心ふかくいとおしきようゐもなし世中を また思しらぬ程よりはされはみたるかたにて思まとはす我ともしらせしと おもほせといかにしてかゝる事そと後に思ひめくらさんも我ためにはことにも (5ウ) あらねとあのつらき人のあなかちになをつゝむもさすかにいとおしけれは たひ/\の御かたたかへにことつけたまひしさまをいとよういひなし 給ふたとらん人は心えつへけれとまたいとわかきこゝちにさこそさしすき たるやうなれとえしも思わかすにくしとはなけれと御心とまるへき ゆへもなきこゝちしてなをかのうれたき人の御心をいみしくおほすいつくに はひまきれてかくれなしと思ゐたらんかくしうねき人はありかたき物を とおほすにしもあやにくにまきれかたう思ひ出られ給ふ此人のなま心 なくわかやかなる気はひもあはれなれはさすかになさけ/\しく契り をかせ給ふ人しりたることよりもかやうなるはあはれもそふ事となん (6オ) むかし人もいひけるをあひ思給へよつゝむ事なきにしもあらねは身 なから心にもえまかせましくなんありける又さるへき人々もゆるされし かしと思ふにかねてむねいたくなんわすれてまち給へよなとなを/\ しくかたらひ給ふ人のおもひ出らん事のはつかしきになんえきこえさす ましきとうらもなういふなへて人にしらせはこそあらめ此ちひ さきうへ人なとにつたへて聞えむけしきなくもてなし給へなといひを きてかのぬきすてたると見ゆるうすころもをとりて出たまひ ぬこ君ちかうふしたるをおこし給へれはうしろめたう思つゝね られねはふとおとろきぬ戸をやをらをしあくるにおひれたる (6ウ) こたちのこゑにてかれはたそとおとろ/\しくとふにわつらはしく てまろそといらふ夜中にこはなそとありかせ給ふとさかしら かりてとさまへゆくにいとにくゝてあらすこゝもとへ出るそとて君を をしいれたてまつるにあか月ちかき月くまなくさし出てふと人の かけ見えけれは又おはするはたそととふわうのおもとなめりけしうは あらぬおもとのたけたちなりなといふたけたかき人のつねにわらはるゝを いふなりけりおひ人これにつらねてありきけると思ひていまにたゝ 立ならひたまひなんといふ/\我も此戸より出てくわひしけれとえはた をしかへさてわた殿のくちにかひそひてかくれたち給へれはおひ人さ (7オ) しよりておもとはこよひはうへにやさふらひ給へるをとゝひよりはらを やみていとわりなけれはしもに侍つるを人すくなゝりとてめしゝかはよへ まうのほりしかとなをえたうましくなとうれふかくいらへもきかてあ なはら/\いまにきこえむとてすきぬるにからうして出給ふなをかゝるありき はかろ/\しくあやうかりけりといよ/\こりぬへしこ君御くるまのしり にて二条院におはしましぬ御ありさまのたまひておさなかりけりとあはめ 給てかの人の心をつまはしきをしつゝうらみ給ふいとおかしうて物きこえす いとふかうにくみ給ふへかめれは身もうく思はてぬなとかよそにてもな つかしきいらへはかりはし給ふましきいよのすけにをとりてける身こそ心 (7ウ) つきなしとのたまふありつるこうちきを御そのしたにひきいれておほとの こもれり此君をおまへにふせてよろつにうらみかつはかたらひ給ふあこは らうたけれとつらきゆかりにこそえおもひはつましけれと まめやかにのたまふをいとわひしと思たりしはし打やすみ給へと ねられたまはす御すゝりいそきめしてさしはへたる御文にはあらて たゝてならひのやうにかきすさひたまふ     「うつせみの身をかへてける木のもとになを人からの なつかしきかな」とかき給へるをふところにひき入てもたりかの 人もいかに思ふらんといとおしけれとかた/\おもほしかへして御ことつけも (8オ) なしかのうすころもはこうちきのいとなつかしき人 香にしめるを御身ちかくならして見ゐたまへりこきみ かしこにいきたれはあねきみまちつけていみしくのたまふ あさまかりしにとかふまきらはしても人のおもひけん事 さりところなきをいとなんわりなきいとかうこゝろおさ なきこゝろはへをかつはいかにおほすらむとてはつかしめ たまふわたりみきにくるしくおもへとかの御手ならひ とりいてたりさすかにとりて見たまふかのもぬけを いかゝ伊勢おのあまのしほなれてやなとおもふもたゝ (8ウ) ならすいとよろつにみたれてにしのきみももの はつかしきこゝちしてわたりたまふてけり又しる 人もなき事なれは人しれすうちなかめて ゐたりこきみのわたりありくにつけてもむね のみふたかれとせうそこもなしあさましと思ひ うるかたもなくてされたるこゝろにものあはれ なるへしつれなき人もさこそしつむれいとあさ はかにもあらぬ御気しきをありしなからのわか身 ならはととりかへすものならねとしのひかた (9オ) けれはこのたゝうかみのかたつかたに     「うつせみのはにをく露のこかくれて しのひ/\にぬるゝそでかな」 ---------------------------------------------------------------------------------- 底本:Japanese Rare Book Collection (Library of Congress) LC Control No.2008427768 翻字担当者:阿部江美子、神田久義、銭谷真人 更新履歴: 2011年3月24日公開