米国議会図書館蔵『源氏物語』 若紫 ---------------------------------------------------------------------------------- 記号の説明 1.くの字点は/\で表す。 2.和歌は「」で括る。 3.散らし書き和歌の末尾に#を付ける。 4.判読できない文字は■で表す。 本文の修正 1.翻字本文を修正した場合には、修正履歴を末尾に示す。 ---------------------------------------------------------------------------------- わかむらさき (1オ) わらはやみにわつらひ給てよろつにましなひかちなとまいらせ給へとしるし なくてあまたゝひおこり給けれはある人北山になんなにかしてらといふとこ ろにかしこきをこなひ人侍る去年の夏も世におこり人々ましなひわつら いしをやかてとゝむるたくひあまたはへりきしゝこらましつる時はうたて 侍をとくこそこゝろみさせたまはめなと聞ゆれはめしにつかはしたるに老かゝまりて むろの戸にもまかてすと申たれはいかゝはせんいとしのひて物せんとのたまひて 御ともにむつましき四五人はかりしてまたあかつきにおはすやゝふかういる ところなりけり三月のつこもりなれは京の花さかりはみなすきにけり山の 桜はまたさかりにて入もておはするまゝに霞のたゝすまゐもおかしう見ゆ れはかゝるありさまもならひたまはすところせき御身にてめつらしう (1ウ) おほされけり寺のさまもいとあはれなり峯たかくふかき岩の中にそ ひとり入ゐたりけるのほり給て誰ともしらせたまはすいといたうやつれ たまへれとしるき御さまなれはあなかしこや一日めし侍しにやおはしますらむいま は此世のことを思給へねはけんかたのをこなひもすてわすれて侍をいかてか かうしもおはしましつらんとおとろきさはき打ゑつゝ見たてまつるいとたうとき 大とこなりけりさるへき物つくりてすかせたてまつるかちなとまいるほと日た かくさしあかりぬすこし立出つゝ見わたし給へはたかきところにてこゝかしこ そうはうともあらはに見おろさるゝたゝ此つゝらおりのしもにおなしこ柴な れとうるはしくしわたしてきよけなるやらうなとつゝけて木たちいとよし ある人はなに人のすむにかととひ給へは御ともなる人是なんなにかしそうつの (2オ) 此二とせこもり侍たに侍なる心はつかしき人すむなるところにこそあんなれあや しうもあまりやつしけるかなきゝもこそすれなとのたまふきよけなるわらはなとあま たなと出来てあかたてまつり花おりなとするもあらはに見ゆかしこにをんな こそありけれ僧都はよもさやうにはすへたまはしをいかなる人ならんとくち/\いふ をりてのそくもありおかしけなる女子ともわかき女わらはへなん見ゆるなと いふ君はをこなひし給つゝ日たくるまゝにいかならんとおほしたるをとかう まきらはさせ給ておほしいれぬなんよく侍ると聞ゆれはしりへの山に 立出て京のかたを見給はるかに霞わたりてよもの木すゑそこはかと なうけふりわたれる程ゑにいとよくも似たるかなかゝるところにすむ人 心に思のこすことはあらしかしとのたまへは是はいとあさく侍り人のくに (2ウ) なとに侍るうみ山のありさまなとを御らんせさせて侍らはいかに御ゑも いみしうまさらせたまはんふしの山なにかしのたけなとかたり聞ゆるもあり 又西くにのおもしろき浦々磯のうへをいひつゝくるもありてよろつに まきらはし聞ゆちかきところにははりまのあかしの浦こそなをことに侍れな にのいたりふかきくまはなけれとたゝ海のおもてを見わたしたるほとなんあや しくことところに似すにほひやかなるところに侍るかのくにのさきのかみ しほちのむすめかしつきたるいえいといたしかし大臣のすちにていてたちも すへかりける人のよのひか物にてましらひもせすこんゑの中しやうをすてゝ 申給けるつかさなれとかの国の人にもすこしあなわらはれてなにのめい ほくにてか又都にもかへらんといひてかしこもおろし侍りけるをすこし (3オ) をくまりたる山すみもせてさる海つらにいてゐたるひか/\しきやうなれ とけにかのくにのうちにさも人のこもりゐぬへきところ/\はありなからふかき 里には人はなれ心すこくわかきさいしの思わひぬへきによりかつは心を やれるすまゐになん侍るさいつころまかりくたりて侍しついてにありさ ま見給へによりて侍しかは京にてところえぬやうなりけれそこらはるかに いかめしうしめてつくれるさまさはいへと国のつかさにてしをきける事なけれは 残りのよはひゆたかにふへき心かまへもになくしたりけり後の世のつとめも いとよくして中々ほうしまさりしたる人になん侍けるなと申せはさはさて そのむすめはととひ給けしうはあらすかたち心はせなと侍也たひ/\の国のつか さなとようゐことにしてさる心はへみすなれとさらにうけひかす我身のかく (3ウ) いたつらにしつめるたにあるを此人ひとりにこそあれ思ふさまこと也もし我に をくれてその心さしとけすこの思をきつるすくせたかはゝ海にいりねとつね にゆひこんしをきて侍なると聞ゆれは君もおかしと聞給人々かいりうわう のきさきになるへきいつきむすめなゝり心たかさくるしやとてわらふかくいふは はりまのかみのこのくら人よりことしかうふりえたるなりけりいとすきたる物なれは かの入道のゆひこんやふりつへき心はあらんかしさてたゝすみよるならんといひあ へりいてやさいふともゐ中ひたらんおさなくよりさるところにおひ出てふるめひたる おやにのみしたかひたらんははゝこそゆへあるへけれよきわかうとわらはなと都の やむ事なきところ/\よりるひにふれてたつねとりてまはゆくこそもてなす なれなさけなき人となりてゆかはさて心やすくてしもえをきたらしおやなと (4オ) いふもあり君なに心ありて海のそこまてふかう思いるらんそこのみるめも 物むつかしうなとのたまひてたゝならすおほしたりかやうにてもなへてならす もてひかめたることゝのたまう御心なれは御みゝとゝまらんをやと見 たてまつる暮かゝりけれとおこらせたまはすなりぬるにこそはあめれ はやかへらせたまひなんとあるを大とこ御物のけなとくはゝれるさまに おはしましけるをこよひはなをしつかにかちなとまいりて出させ給へと申 すさもある事とみな人申す君もかゝる旅ねもならひたまはねはさすかに おかしくてさらはあか月にとのたまふ人なくてつれ/\なれは夕暮のいたう霞たる にまきれてかのこ柴かきのもとに立出給ふ人々はかへし給てこれみつ のあそんとのそき給へはたゝ西おもてにしも持仏すへたてまつりてをこ (4ウ) なふあまなりけりすたれすこしあけて花たてまつるなめり中のはしらにより ゐてけうそくのうへに経ををきていとなやましけによみゐたるあま君たゝ 人と見えす四十よはかりにていとしろうあてにやせたれはつらつきふくらかに まみの程かみのうつくしけにそかれたるすゑも中々なかきよりもこよなういま めかしき物かなとあはれに見給ふきよけなるおとなふたりはかりさてはわらはへそひ ていりあそふ中に十はかりやあらんと見えてしろききぬやまふきなとのなえたる きてはしり来たる女こあまた見えつる子ともににるへうもあらすいみしくおひさき 見えてうつくしけなるかたちかみは扇をひろけたるやうにゆら/\として かほはいとあかくすりなしてたてり何事そやわらはへとはらたち給へるかとてあ ま君の見あけたるもすこしおほえたるところあれは子なめりと見たまふ (5オ) すゝめの子をいぬきかにかしつるふせこのうちにこめたりつる物をとていとくち おしとおもへりこのゐたるおさなれい心なしのかゝるわさをしていさなまるゝ こそいと心つきなけれいつかたへかまかりぬるいとおかしうやう/\なりつる物を からすなともこそ見つくれとてたちてゆくかみゆるゝかにいとなかく めやすき人なめり少納言のめのととそ人いふめる此このうしろみなるへし あま君いておさなやいふかひなう物し給かなをのかくけふあすにおほゆるいのち をはなにともおほしたらてすゝめしたひ給程よつみうる事そとつねに 聞ゆるを心うくとてこちやといへはついゐたりつらつきいとらうたけにて まゆのわたり打けふりいはけなくかひやりたるひたひつきかんさし いみしううつくしねひゆかんさまゆかしき人かなとめとまり給ふさるは (5ウ) 明暮心にかけ聞ゆる人にいとよう似たてまつれるかまもらるゝなりけりと思ふ にも涙そおつるあま君かみをかきなてつゝけつる事をもうるさかりたまへと おかしの御くしやいとはかなう物し給こそあはれにうしろめたけれかはかりになれは いとかゝらぬ人もある物をこひめ君は十二にて殿にをくれ給し程いみしう物お もひ給へりしかしたゝいまをのれ見すてたてまつらはいかて世におはせんとすらん とていみしうなくを見給もすゝろにかなしおさなこゝちにもさすかに打まもりて ふしめになりてうつふしたるにこほれかゝりたるかみつや/\とめてたう見ゆ     「おひたゝむありかもしらぬわか草ををくらす露そ きえむ空なき」又ゐたるおとなけにとうちなきて     「はつ草のおひゆくすゑもしらぬまにいかてか露の (6オ) きえんとすらむ」と聞ゆる程に僧都あなたよりきてこなたはあらはにや侍らん けふしもはしにおはしましけるかなこのかみのひしりのかたに源氏の中将のわらは やみましなひに物し給けるをたゝいまなん聞つけ侍るいみしうしのひたまふ けれはえしり侍らてこゝに侍なから御とふらひにもまかてさりけるとのたまへは まいり給へりほうしなれといと心はつかしく人からもやむことなく世に思いれ給へる 人なれはかろ/\しき御ありさまをなしたうおほすかくこもれる程の御物語なと きこえ給ておなしく柴のいほりなれとすこしすゝしき水のなかれも御らん せさせんとせちにきこえ給へはかのまた見ぬ人々にこと/\しういひ聞せつるを つゝましうおほせとあはれなりつるありさまもいふかしうておはしぬけにいと 心ことにようありておなし木草をもうへなし給へり月もなきころなれはやり (6ウ) 水にかゝり火ともしとうろなとにもまいりたりみなみおもていときよけにしつら い給へり空たき物心にくゝかほりいてみやうかうのかなとにほひみちたるに君 の御をひ風いとことなれはうちの人々も心つかひすへかめり僧都よのつねなき御 物かたり後の世のことなときこえしらせ給ふわか御つみの程おそろしうあちき なき事に心をしめていけるかきり是を思なつむへきなめりまして後の世の いみしかるへきことゝおほしつゝけてかやうなるすまゐもせまほしうおほえ給ふ物 からひるのおもかけ心にかゝりて恋しけれはこゝに物し給ふは誰にかたつねきこえ まほしき夢を見給へしかなけふなん思あはせ給つるときこえ給へは打わらひて 打つけなる御夢もの語にそ侍なるたつねさせ給て御心をよりせさせたま ひぬへしこあせちの大納言は世になくてひさしくなり侍ぬれはえしろし (7オ) めさしかしその北のかたなんなにかしかいもうとに侍るかのあせちかくれてのち よをそむきて侍か此ころわらふこと侍によりかく京にもまかてねはたのもし ところにこもりて物し侍なりときこえ給ふかの大なこんの御むすめ物し給ふときゝ 給へしかはすき/\しきかたにはあらてまめやか聞ゆるなりとをしあてにのたまへは むすめたゝひとり侍しうせて此十よ年にやなり侍ぬらんこ大納言うちに たてまつらんなとかしこういつき侍しをそのほいのことくも物し侍らてすき 侍しかはたゝ此あま君のひとりもてあつかひ侍し程にいかなる人のわさにか兵部 卿の宮なんしのひてかたらひつき給へりけるをもとのきたのかたやむことなく なとしてやすからぬ事おほくて明くれ物を思ひてなんなくなり侍にし物思ふに やまひつく物とめにちかく見給へしなと申給ふさらはその子なりけりと思し (7ウ) あはせつみこの御すちにてかの人にもかよひきこえたるにやといとゝあはれに 打かたらひて心のまゝにをしへおほしたてゝ見はやとおほすいとあはれに物し 給ふことかなそれはとゝめ給ふかたみもなきかとおさなかりつるゆくゑのなをたしか にしらまほしくてとひ給へはなくなり侍し程にこそ侍しかそれも女にてあて はかなりときゝ給て程もなくちかけれはとにたてわたしたる屏風の中をす こしひきあけて扇をならし給へれはおほえなきこゝちすへかめれと聞しら ぬやうにやとていさり出る人あなりすこししそきてあやしひかみゝにやと たとるを聞給て仏の御しるへはくらきに入てもさらにたかうましかなる 物をとのたまう御こゑのいとわかうあてなるに立いてんこと葉つかひもはつ かしけれといかなるかたの御しるへにかはおほつかなくと聞ゆけに打つけなりと (8オ) おほめきたまはんもことはりなれと     「はつ草のわか葉のうへを見つるより旅ねの袖も 露そかはかぬ」ときこえ給てんやとのたまうさらにかうやうの御せうそこ うけたまはりわくへき人とは物したまはぬさまはしろしめしたりけなる を誰にかはと聞ゆをのつからさるやうありて聞ゆるならんと思なし給へかしと のたまへはいかて聞ゆあないまめかし此君やよつひたる程におはするこそ おほすらんさるにては此若草をいかてきひ給へることそとさま/\あや しきに心みたれてひさしうなれはなさけなしとて     「まくらゆふこよひはかりの露けさをみ山のこけに くらへさらなん」ひたかふ侍物をときこえ給ふかやうのついてなる御せうそこ (8ウ) はまたさらにきこえしらすならはぬことになんかたしけなくともかゝるついてに まめ/\しうきこえさすへき事なときこえ給へれはあま君ひかこと聞給へるな らむといとはつかしき御けはひに何事をかいらへきこえむとのたまへははしたなうも こそおほせと人々聞ゆけにわかやかなる人こそうたてもあらめとまめやかに のたまふかたしけなしとてゐさりより給へり打つけにあさはかなりと御らんせられぬへき ついてなれと心にはさもおほえ侍らねは仏はをのつからおとな/\しうはつかしけなるも つゝまれてとみにも打出たまはすけに思給へよりかたきついてにかくまてのたまは せきこえさするもあさくはいかゝとのたまうあはれにうけ給へる御ありさまをかのす き給にけん御かはりにおほしなひてんやいふかひなき程のよはひにてむつまし かるへき人にも立をくれ侍にけれはあやしううきたるやうにて年月をこそ (9オ) かさね侍れおなしさまにも物し給ふなるをたくひになさせ給へといときこえまほし きをかゝるおり侍りかたくてなんおほされんところをもはゝからす打出侍なときこえ 給へはいとうれしう思給へぬへき御事なからもきこしめしひかめたる事なとや侍らんと つゝましうなんあやしき身一をたのもし人にする人なん侍しといまたいふかひなき程 にて御らんしゆるさるゝかたも侍かたけれはえなんうけたまはりとゝめられさりけると のたまうみなおほつかなからすうけたまはる物をところせうおほしはゝからて思 給へよるさまことなる心の程を御らんせよときこえ給へといとにけなき事をさも しらてのたまうとおほして心とけたる御いらへもなし僧都おはしぬれは よしかふきこえそめ侍ぬれはいとたのもしうなんとてをしたて給つあかつきかた になりにけれはほつけ三まいをこなふたうのせんほうのこゑ山おろしにつきて (9ウ) きこえくるいとたうとくたきのをとにひゝきあひたり     「ふきまよふみ山をろしにゆめさめてなみたもよほす たきのをとかな」     「さしくみに袖ぬらしける山水にすめるこゝろは さはきやはする」みゝなれ侍にけりやときこえ給ふ明ゆく空はいといたう霞て 山の鳥ともそこはかとなくさえつりあひたり名もしらぬ木草の花とも色々にちり ましりにしきをしけると見ゆるに鹿のたゝすみありくもめつらしく見給ふになや ましさもまきれはてぬひしりうこきもえせねととかうして御しんまいらせ給ふ かれたるこゑのいといたうすきひかめるもあはれにてうつきてたらによみたり 御むかへに人々まいりてをこたり給へるよろこひきこえ内よりも御つかひありて僧都 (10オ) 見えぬさまの御くた物なにくれと谷のそこまてほりいていとなみきこえ給ふ ことしはかりのちかひふかう侍て御をくりにもまいり侍ましきこと中々にも思給へら るへきかななときこえ給ておほみきまいり給ふ山水にとまり侍ぬれと内よりもおほ つかなからせ給へるもかしこけれはなんいま此花のおりすくさすまいらむ     「宮人にゆきてかたらむ山さくら風よりさきに きてもみるへく」とのたまふ御もてなしこはつかひさへめもあやなるに     「うとむけの花まちえたるこゝ地してみ山さくらに めこそうつらね」ときこえ給へはほゝゑみて時ありて一たひひらくなるはかたかなる 物をとのたまうひしり御かはらけたまうて     「おくやまの松の戸ほそをまれにあけてまた見ぬ花の (10ウ) かほを見るかな」と打なきて見たてまつるひしり御まもりにとこたてまつるそう つ聖徳太子のくたらといふ国よりたてまつりけるこんかうしのすゝの玉のさうすく したるやかてその国よりいれたるはこのからめいたるをすきたるふくろにいれて五 えうのえたにつけてこんるりのつほともに御くすりともいれて藤桜なとにつけ てところにつけたる御をくり物ともさゝけたてまつり給ふ君ひしりよりはしめと経 しつるほうしのふせともまうけの物ともさま/\にとりにつかはしたりけれはそのわたりの 山かつまてさるへき物ともたまはるみす経なとして出給ふうちに僧都もいり給てかの きこえ給し事まねひきこえ給へとともかうもたゝいまはきこえんかたなしもし御心さしあらは いま四五年をすくしてこそはともかうもとのたまへはさなんとおなしさまにのみあるをほいなし とおほす御せうそこ僧都のもとなるちいさきわらはして (11オ)     「ゆふまくれほのかに花の色を見てけさは霞の たちそわつらふ」御返事     「まことにや花のあたりはたちうきとかすむる空の けしきをもみむ」とよしある手のいとあてなるを打すてかい給へり御くるまに たてまつる程おほひ殿よりいつらともなくておはしましける事とて御むかへの人々きみ たちなとあまたまいり給へり頭中将左中弁さらぬきみたちもしたひきこ えてかやうの御ともはつかうまつり侍らんとおもふ給ふるをあさましくをくらさせ 給へる事と恨きこえていといみしき花のかけにしはしもやすらはす立かへり侍らん はあかぬわさかなとのたまう岩かくれの苔のうへになみゐてかはらけまいるおち くる水のさまなとゆへある瀧のもと也とうの中将ふところなりけるふえとり出て (11ウ) ふきすましたり弁君扇はかなく打ならしてとよらの寺の西なるやと うたふ人よりはことなる君いといたう打なやみて岩によりゐ給へるはたくひなう ゆゝしき御ありさまにそ何事にもめうつるましきなりけりれいのひちりき ふくすいしんさうのふえもたせたるすき物なとあり僧都きんを身つから もてまいりて是たゝ手一あそはしておなしうは山の鳥もおとろかし侍らむと せちにきこえ給へはみたりこゝちいとたへかたき物をときこえ給へとけにくからす かきならしてみなたちたまひぬあかすくちおしといふかひなきほうしわらはへも涙 おとしあへりましてうちには年老たるあま君なとさらにかゝる人のありさまを見さり つれは此世の物ともおほえたまはすときこえあへりそうつもあはれなにの契り にてかゝる御さまなからいとむつかしき日のもとのすゑの世にむまれ給へらんと (12オ) 見るにいとなむかなしきとて目をしのこひ給ふ此わか君おさなこゝ地にめてた き人かなと見給て宮の御ありさまよりもまさり給へるかななとのたまうさらは かの人の御こになりておはしませよと聞ゆれは打うなつきていとようありなん とおほしたりひいなあそひにもゑかい給ふにも源氏の君とつくり出て きよらなるきぬきせかつき給ふ君はまつ内にまいりたまひぬ日ころの御物 語なときこえ給いといたうおとろへにけりとてゆゝしとおほしめしたりひし りのたうとかりける事なととはせ給くはしくそうし給へはあさりなとにもなる へき物にこそあなれをこなひのらうはつもりておほやけにしろしめさゝり ける事とたうとかりのたまはせけりおほい殿まいりあひ給て御むかへに もと思給へつれともしのひたる御ありきにいかゝと思はゝかりてなんのと (12ウ) やかに一二日打やすみ給へとてやかて御をくりにつかうまつらむと申給へはさし もおほさねとひかされてまかて給わか御くるまにのせたてまつり給てみつ からはひきいりてたてまつれりもてかしつききこえ給へる御心はへのあはれ なるをそさすかに心くるしくおほえける殿にもおはしますらんと心つかひし給て ひさしう見たまはぬ程いかゝ玉のうてなにみかきしつらひよろつをとゝのへ給へり 女君れいのはいかくれてとみにも出たまはぬをおとゝせちにきこえ給てか らうしてわたり給へりたゝゑにかきたる物のひめ君のやうにしすへられて 打みしろき給事もかたくうるはしうて物し給へはおもふ事も打かすめ山 みちの物語をもきこえむにいふかひありておかしう打いらへたまはゝこそ あはれならめよには心もとけすうはへはつかしき物におほして年のかさなるに (13オ) そへて御心のへたてもまさるをいとくるしうおもはすに時々はよのつねなる御気 しきを見はやたへかたうわつらひ侍しをもいかゝとたにとひたまはぬこそめつらし からぬ事なれとなをうらめしうきこえ給ふからうしてとはぬはつらき物にやはあら ぬとしりめに見をこせ給へるまみいとはつかしけにけたかううつくしけなる御かた ち也まれ/\はあさましの御事やとはぬなといふきははことにこそ侍なれ心うくも のたまひなすかなよとゝもにはしたなき御もてなしをおほしなほるおりも やととさまかうさまに心見聞ゆる程にいとゝおほしうとむなめりよしや いのちたにとてよるのおましにいりたまひぬ女君ふともいりたまはすき こえわつらひ給て打なけきてふし給へるもなま心つきなきにやあらん ねふたけにもてなしてとかうよをおほしみたるゝ事おほかり此わか草 (13ウ) のいてん程のなをゆかしきをにけなひ程とおもへりしもことはりそかしいひより かたき事にもあるかないかにかまへてかたゝ心やすくむかへとりて明暮のなくさ めに見ん兵部卿の宮はいとあてになまめい給へれとにほひやかになとも あらぬをいかてかの人そうにおほえ給ふらんひとつきさきはらなれはにや とおほすゆかりいとむつましきにいかてかとふかうおほゆ又の日御文たて まつれり僧都にもほのめかし給へしあまうへにはもてはなれたりし御け しきのつゝましさに思給ふるさまをもえあらはしはて侍らすなりにし をなんかはかり聞ゆるにてもをしなへたえぬ心さしの程を御らんししらは いかにうれしうなとあり中にちいさくてひきむすひて     「おもかけは身をもはなれすやま桜こゝろのかきり (14オ) とめてこしかと」夜のまの風もうしろめたくあり御手なとはさる物にて たゝはかなうをしつゝみ給へるさまもさたすきたる御めともにはめもあや にこのましう見ゆあなかたはらいたやいかゝきこえむとおほしわつらふゆくて の御事はなをさりにも思給へなされしをふりはへさせ給へるにきこえさせんかた なくなんまたなにはつをたにはか/\しうつゝけ侍らさめれはかひなくなんさても     「嵐ふくおのへのさくらちらぬ間にこゝろとめける 程のはかなさ」いとゝうしろめたうとあり僧都の御返もおなしさまなれはくち おしくて二三日ありてこれみつをそたてまつり給ふ少納言のめのとゝいふ人あへ したつねてくはしくかたらへなとのたまひしらすさもかゝらぬくまなき御心かな さはかりいはけなけなりしけはひをとまほならねとも見し程を思やるもおかし (14ウ) わさとかう御文あるをそうつもかしこまりきこえ給少納言にせうそこして あひたりくはしくおほえのたまうさま大かたの御ありさまなとかたることはおほかる 人にてつき/\しういひつゝくれといとわりなき御程をいかゝおほすにかゆゝしう なん誰も/\おほしけり御文にもいとねんころにかひ給てれいの中に御はなちかき なんなを見給へまほしきとてれいの中なるには     「あさか山あさくは人をおもはぬになと山の井の かけはなるらむ」御返事     「くみそめてくやしときゝし山の井のあさきなからや かけを見るへき」これみつにもおなし事を聞ゆ此わつらひ給事よろしくは此ころ すくして京の殿にわたり給てなんきこえさすへきとあるを心もとなうおほ (15オ) す藤つほの宮なやみ給事ありてまかて給へりうへのおほつかなかりなけききこ え給ふ御気しきもいと/\おしう見たてまつりなからかゝるおりたにと心もあくかれまと ひていつくにも/\まかてたまはす内にても里にてもひるはつれ/\となかめくらして くるれはわうみやうふをせめありき給いかゝたはかりけんいとわりなくてみたて まつる程さへうつゝとはおほえぬそわひしきや宮もあさましかりしをおほし 出るたに夜とともの御物おもひなるをさてたにやみなんとふかうおほしたるに いと心うくていみしき御けしきなる物からなつかしうらうたけにさりとて打とけ す心ふかうはつかしけなる御もてなしなとのなを人に似させたまはぬをなとか なのめなる事たに打ましりたまはんくらふの山にやとりもとらまほしけなれと あやなくなるみしか夜にてあさましう中々なり (15ウ)     「見ても又あふ夜まれなる夢のうちにやかてまきるゝ 我身ともかな」とむせかへりさまもさすかにいみしけれは     「世かたりに人やつたへむたくひなくうき身をさめぬ 夢になしても」おほしみたれたるさまもいとことはりにかたしけなしみやうふ の君そ御なをしなとはかきあつめもてきたるとのにおはしてなきねにふしくらし 給つ御文なともれいの御らんしいれぬよしのみあれはつねの事なからもつらふ いみしうおほししほれて内へもまいらて二三日こもりおはすれはまたいかなるに かと御心うこかせ給へかめるもおそろしうのみおほえ給宮もなをいと心うき身なり けりとおほしなけくになやましさもまさり給てとくまいり給ふへき御つかひ しきれとおほしもたゝすまことに御こゝちれいのやうにもおはしまさねはいか (16オ) なるにかと人しれすおほす事もありけれは心うくいかならんとのみおほしみたる程 はいとゝおきもあかりたまはす三月になり給へはいとしるき程にて人々見たて まつりとかむるにあさましき御すくせの程いと心うし人は思よらぬ事なれは 此月まてそうせたまはさりける事とおとろき聞ゆわか御心一にはしるう おほしかわく事もありけりけににる物なくめてたしれいの明暮こなたにのみ おはしまして御あそひもやう/\おかしき空なれは源氏の君もひまなくめしまつ はしつゝ御琴ふえなとさま/\につかうまつらせ給いみしうつゝみ給へとしのひかたき 気しきのもり出るおり/\宮もさすかなる事ともをおほくおほしつゝけけり かの山寺の人はよろしうなりて出給にけり京の御すみかたつねて時々の御せう そこなとありおなしさまにのみあるもことはりなるうちに此月ころはありしに (16ウ) まさる物おもひにこと/\なくてすきゆく秋のすゑつかたいと心ほそくてなけき給 月のおかしき夜しのひたるところにからうして思たち給へるを時雨そひて打 そゝくおはするところは六条京極わたりにて内よりなれはすこしほと とをきこゝちするにあれたる家の木立いと物ふりてこくらふ見えたる ありれいの御ともにはなれぬこれみつなんこあせちの大納言の家に侍る一日物の たよりにとふらひて侍しかはかのあまうへいたうよはりにたまひにたれはなに 事もおほえすとなん申て侍しと聞ゆれはあはれのことやとふらふへかりけるをな とかさなんと物せさりしいりてせうそこせよとのたまへは人いれてあなひを せさすわさとかう立より給へる事といはせたれはいりてかく御とふらひになんお はしましたるといふにおとろきていとかたはらいたき事かな此日ころむけに (17オ) いとたのもしけなくならせ給にたれは御たいめんなともあるましといへともかへしたて まつらんはかしこしとてみなみのひさしひきつくろひていれたてまつるいとむつか しけに侍れとかしこまりをたにとてゆくりなう物ふかきおましところになん と聞ゆけにかゝるところはれいにたかひておほさるつねに思給へたちなからかひ なきさまにのみもてなさせ給ふにつゝまれ侍てなんなやませ給事おりかくともうけた まはらさりけるおほつかなさなときこえ給みたりこゝちはいつともなくのみはへるか かきりのさまになり侍ていとかたしけなく立よらせ給へるに身つからきこえさせぬ ことのたまはすることのすち玉さかにもおほしめしかはらぬやう侍らはかくわりなき よはひすき侍て心ほそけに見給へをくなんみちのほたしに思給へらるへき なときこえ給へりいとちかけれは心ほそけなる御こゑたえ/\きこえていとかたし (17ウ) けなきわさにも侍かな此君たにかしこまりもきこえ給ふへき程ならましかは とのたまうあはれきこえ給てなにかあさふ思給へんことゆへかうすき/\ しきさまを見えたてまつらんいかなる契りにか見たてまつりそめしよりあはれに 思聞ゆるもあやしきまて此世の事にはおほえ侍らぬなとのたまひてかひ なきこゝちのみし侍をかのいはけなう物し給ふ御一こゑいかてとのたまへは いてやよろつおほししらぬさまにおほとのこもりいりてなと聞ゆるおりしも あなたよりくる音してうへこそ此寺にありし源氏の君こそおはしたなれみた まはぬとのたまうを人々いとかたはらいたしと思てあなかまと聞ゆいま見しかは こゝちのあしさなくさめきとのたまひしかはそかしとかしこき程きこえたりとおほして のたまういとおかしときひ給へと人々のくるしと思たれはきかぬやうにてまめやかなる (18オ) 御とふらひをきこえをき給てかへりたまひぬけにいふかひなのけはひやさりともいと ようをしへてんとおほす又の日もいとまめやかにとふらいきこえ給ふれいのちいさくて     「いはけなきたつの一こゑきゝしよりあしまになつむ 舟そえならぬ」おなし人にやとことさらにおさなくかきなし給へるもいみしうおかしけなれは やかて御てほんにと人々聞ゆ少納言そきこえたるとはせ給へるはけふをもすくし かたけなるさまにて山寺にまかりわたる程にてかうとはせ給へるかしこまりは此世なら てもきこえさせんとありいとあはれとおほす秋の夕はまして心のいとまなくのみ おほしみたるゝ人の御あたりに心をかけてあなかちなるゆかりもたつねまほしき 心まさり給ふなるへしきえん空なきとありし夕おほし出られて恋しくも 又見はをとりやせんとさすかにあやうし (18ウ)     「手につみていつしかも見むむらさきのねにかよひたる 野へのわか草」十月朱雀院の行幸あるへしまひ人なとやむことなき家 のこともかんたちめ殿上人ともなともそのかたにつき/\しきはみなえらせ給へれは みこたち大臣よりはしめてとり/\のさえともならひ給ふいとまなし山里にもひさしう 音つれたまはさりけるをおほし出てふりはへつかはしたりけれはそうつの返事のみあり たちぬる月の廿日の程になんつゐにむなしく見給へなしてせけんのたうりなれと かなしひ思給ふるなとあるを見給ふに世中のはかなさもあはれにうしろめたけにおもへりし 人もいかならんおさなき程に恋やすらんこみすんところにをくれたてまつりしなと はか/\しからねと思ひ出てあさからすとふらひ給へり少納言ゆへなからす御返なとき こえたりいみなとすきて京の殿になと聞給へは程へて身つからのとかなる夜おはしたり (19オ) いとすこけにあれたるところの人すくなゝるにいかにおさなき人おそろしからんと見ゆ れいのところにいれたてまつりて少納言御ありさまなと打なきつゝきこえつゝくるにあひ なう御袖もたゝならす宮にわたしたてまつらんと侍めるをこひめ君のいとなさけなく うき物に思きこえ給へりしにいとむけにちこならひよはひの又はか/\しう人のおもむけ をも見しりたまはす中空なる御程にてあまた物し給なる中のあなつらはしき人にてや ましりたまはんなとすき給ぬるも夜とともにおほしなけきつるもしるきことおほく 侍にかくかたしけなきなけの御ことの葉は後の御心もたとりきこえさせすいとうれしう 思給へられぬへきおりふしに侍なからすこしもなすらひなるさまにも物したまはす御 よりもわかひてならひ給へれはいとかたはらいたく侍にと聞ゆなにかかうくりかへしきこえ しらする心の程をつゝみ給ふらんそのいふかひなき御ありさまのあはれにゆかしうおほえ給ふも (19ウ) 契りことになん心なから思しられけるなを人つてならてきこえしらせはや     「あしわかの浦に見るめはかたくともこはたちなから かへる浪かは」めさましからんとのたまへはけにこそいとかしこけれとて     「よる浪のこゝろもしらてわかの浦にたまもなひかむ 程そうきたる」わりなき程と聞ゆるさま物なれにすこしつみゆるされ給ふなと 恋さらんと打すし給へるを身にしみてわかき人々おもへり君はうへを恋きこえ給ふて なきふし給へるに御あそひかたきとものなをしきたる人のおはする宮のおはします なめりと聞ゆれはおき出給て少納言よなをしきたりつらんはいつら宮のおはする かとてよりおはしたる御こゑらうたし宮にはあらねと又おほしはなつへうもあらす こちとのたまうをはつかしかりし人とさすかに聞なしてあしういひてけりとおほして (20オ) めのとにさしよりていさかしねふたきにとのたまへはいまさらになとしのひ給ふらん此 ひさのうへに御とのこもれよいますこしより給へとのたまへはめのとのされはこそかう よつかぬ御程にてなんとてをしよせたてまつれはなに心もなくゐ給へるに手をさし入て さくり給へれはなよらかなる御そにかみはつや/\とかゝりてすゑのふさやかにさくり つけられたる程いとうつくしう思やらるゝ手をとらへ給へれはうたてれいならぬ人 のかくちかつき給へるはおそろしうてねなんといふ物をとてしゐてひきいり給ふにつきて すへりいりていまはまろそおもふへき人なうとみ給そとのたまうめのといてあなう たてやゆゝしうも侍かなきこえさせしらせ給ふともさらになにのしるしも侍らし物をとて くるしけに思たれはさりともかゝる御程をいかゝはあらんなをたゝ世にしらぬ心さしの程を 見いて給へとのたまう霰ふりあれてすこき夜のさま也いかてかう人すくなに心ほそうて (20ウ) すくし給ふらんと打なひ給ていと見すてかたき程なれはみかうしまいりね物おそろし き夜のさまなめるをとのゐ人にて侍らん人々ちかうさふらはれよかしとていとなれかほに みちやうのうちにいり給へはあやしう思のほかにもとあきれて誰も/\ゐたりめのとは うしろめたうわりなしとおもへとあらましうきこえさはくへき程ならねは打なけきつゝ ゐたりわか君はいと物おそろしういかならんとわなゝかれていとうつくしき御はたつきも そゝろさむけにおほしたるをらうたくおほえてひとへはかりををしくゝみてわか御 こゝ地もかつはうたておほへ給へとあはれに打かたらひ給ていさ給へよおかしきゑとも おほくひないあそひなとするところにか心につくへき事をのたまうけはひのいとなつ かしきをおさなきこゝちにはいといたうもおちすさすかにむつましうねもいらす おほえてみしろきふし給へり夜一夜風ふきあるゝにけにかうおはせさらましかはいか (21オ) に心ほそからましおなしくはよろしき程におはしまさましかはとさゝめきあへりめのとは うしろめたさにいとちかうさふらう風すこし吹やみたるに夜ふかう出給もことあり かほなりやいとあはれに見たてまつる御ありさまをいまはましてかた時のまもおほつかな かるへし明暮なかめ給ところにわたしたてまつらんかくてのみはいかゝは物おちしたまは さりけりとのたまへは宮も御むかへになときこえ給めれと此四十九日すくしてやなと思給ふ ると聞ゆれはたのもしきすちなからもよそ/\にてならひ給へるはおなしうこそうとふおほえ たまはめいまより見たてまつれとあさからぬ御心さしはまさりぬへくなんとてかひなて つゝかへりみかちにて出たまひぬいみしう霧わたれる空もたゝならぬに霜はいとしろう をきてまことのけさうもおかしかりぬへきにさう/\しう思おはすいとしのひてかよひ 給ふはところのみちなりけるをおほし出て門打たゝかせ給へと聞つくる人なしかひなくて (21ウ) 御ともにこゑある人してうたはせたまふ     「朝ほらけ霧たつ空のまよひにもゆきすきかたき いもか門かな」とふたかへりはかりうたひたるによしはみたるしもつかへをいたして     「たちとまる霧のまかきのすきうくは草の戸さしに さはりしもせし」といひかけていりぬ又人も出こぬはかへるもなさけなけれと明ゆく 空もはしたなくてとのへおはしぬおかしかりつる人のなこり恋しくひとりゑみしつゝふし 給へり日たかうおほとのこもりおきて文見やり給にかくへきこと葉もれいならねは 筆打をきつゝすまゐ給へりおかしきゑなとをやり給ふかしこにはけふしも宮わたり 給へり年ころよりもこよなうあれまさりひろう物ふりたるところのいとゝひと すくなにさひしけれは見わたし給てかゝるところにはいかてかしはしもおさなき (22オ) 人のすくしたまはんなをかしこにわたしたてまつりてんなにのところせき程にも あらすめのとはさうしなとしてさふらひなん君はわかき人々なとあれはもろともに あそひていとよう物し給なんなとのたまひてちかうよひよせたてまつり給へるにかの 御うつり香のいみしうえむにしみかへり給へれはおかしの御にほひや御そはなえてと心 くるしけにおほしたり年ころもあつしくさたすき給へる人にそひ給へるをかしこに わたりて見ならし給へなと物せしをあやしううとみ給て人も心をくめりしを かゝるおりにしも物したまはんも心くるしうなとのたまへはなにかは心ほそくともしはしは かくておはしましなんすこし物の心をおほししりなんにわたらせたまはんこそ よくは侍へけれと聞ゆよるひる恋きこえ給ふにはかなき物もきこしめさす とてけにいといたうおもやせ給へれといとあてにうつくしく中々見え給ふなにか (22ウ) さしもおほすいまは世になき人の御ことはかひなしをのれあれはなとかたらひきこ え給てくるれはかへらせ給をいと心ほそしと思ひてない給へは宮も打なき給て いとかう思ないり給そけふあすわたしたてまつらんなと返々こしらへをきて出 たまひぬなこりもなくさめかたうなきゐ給へりゆくさきの身のあらんことなととて もおほししらすたゝ年ころたちはなるゝおりなうまつはしならひていまはなき 人となり給ふにけるとおほすかいみしきにおさなき御こゝ地なれとむねつと ふたかりてれいのやうにもあそひたまはすひるはさてもまきらはし給ふを 夕暮なとはいみしくくつし給へはかくてはいかてかすくしたまはんとなく さめわひてめのともなきあへり君の御もとよりはこれみつをたてまつり 給へりまいりくへきを内よりめしあれはなん心くるしう見たてまつりしも (23オ) しつ心なくとてとのゐ人たてまつれ給へりあちきなうもあるかな たはふれにても物のはしめに此御ことよ宮きこしめしつけてはさふ らふ人々のをろかなるこそさいなみたまはんあなかしこ物のついてにいは けなく打出きこえさせ給ふななといふもそれをはなにともおほしたらぬそ あさましきや少納言はこれみつにあはれなる物語ともしてありへて 後やさるへき御すくせのかれきこえたまはぬやうもやあらんたゝいまはか けてもいとにけなき御事と見たてまつるをあやしうおほしのたまはするも いかなる御心にか思よるかたなうみたれ侍るけふも宮わたらせ給てうしろ やすくつかうまつれ心おさなくもてなし聞ゆなとのたまはせつるもいとわつら はしうたゝなるよりはかゝる御すき事とも思ひ出られ侍つるなといひて (23ウ) 此人もことありかほにやおもはんなとあひなけれはいたうなけかしけにもい ひなさすたいうもいかなる事にかあらんと心えかたう思ふまいりてあり さまなときこえけれはあはれにおほしやらるれとさてかよひたまはん もさすかにすゝろなるこゝちしてかる/\しうもてひかめたりとや人ももりき かんなとつゝましけれはたゝむかへてんとおほす御文はたひ/\たてまつれたまひ くるれはれいのたゆふをそたてまつれ給ふさはる事とものありてえまいり こぬををろかにやなとあり宮よりあすにはかに御むかへにとのたまはせたり つれは心あはたゝしくてなん年ころのよもきふをかれなんもさすかにこゝろ ほそうさふらふ人々も思みたれてと事すくなにいひてをさ/\あへしらはす 物ぬひいとなむけはひなとしるけれはまいりぬ君はおほい殿におはしけるにれいの (24オ) 女君とみにもたいめんしたまはす物むつかしくおほえ給てあつまをすか かきてひたちにはたをこそつくれといふうたをこゑはいとなまめきて すまゐゐたまへりまいりたれはめしよせてありさまとひ給ふしか/\なと聞ゆれは くちおしうおほしてかの宮にわたりなはわさとむかへいてんもすき/\し かるへしおさなき人をぬすみ出たりともときをひなんそのさきにしはし 人にもくちかためてわたしてんとおほして暁かしこに物せんくるまの さうそくさなからすいしんひとりふたりおほせをきたれとのたまううけ たまはりてたちぬ君はいかにせましきこえありてすきかましきやうなる へきこと人の程たに物を思しり女の心かはしけることゝをしはかられぬへ くはよのつねなりちゝ宮のたつねいりて給へらんもはしたなうすゝろ (24ウ) なるへきをとおほしみたるれとさてはかつしてんはいとくちおしかへけれはまた 夜ふかう出給ふ女君れいのしふ/\に心もとけす物し給ふかしこにいとせち に見るへきことの侍るを思給へ出てなん立かへりまいりきなんとて出給へは さふらふ人々もしらさりけりわか御かたにて御なをしなとたてまつるこれみつ はかりを馬にのせておはしぬ門うちたゝかせ給へは御心もしらぬ物のあけたる に御くるまをやをらひき入させてたゆふつま戸をならしてしはふけは せうなこん聞しりて出きたりこゝにおはしますといへはおさなき人はおほとの こもりてなんなとかいと夜ふかうは出させ給へると物のたよりとおもひて いふ宮へわたらせ給へるなるをそのさきにきこえをかんとてなとのたまへは 何事にか侍らんいかにはか/\しき御いらへきこえさせたまはんとて打わらひてゐたり君 (25オ) いり給へはいとかたはらいたく打とけてあやしきふる人ともの侍にときこえ さすまたおとろひたまはしないて御めさましきこえかしかゝる朝霧を しらてはぬる物かとていり給へはやともきこえす君はなに心もなくね給へるを いたきおとろかし給におとろきて宮の御むかへにおはしたるとねおひれて おほしたり御くしかきつくろひなとし給ていさ給へ宮の御つかひにてまいり きつるそとのたまうにあらさりけりとあきれておそろしと思たれはあな 心うまろもおなし人そとてかきいたきて出給へはたゆふ少納言なとこはいか にと聞ゆこゝにはつねにもえまいらぬかおほつかなけれは心やすきところにと きこえしを心うくわたり給ふへかなれはましてきこえかたかるへけれは 人ひとりまいられよかしとのたまへは心あはたゝしくてけふはいとひんなく (25ウ) なん侍へき宮のわたらせたまはんにはいかさまにかきこえやらん をのつから程へてさむへきにおはしまさはともかうも侍なんをいと 思やりなき程のことに侍れはさふらふ人々くるしう侍へしと聞ゆ れはよし後にも人はまいりなんとて御くるまよせさせ給へはあ さましういかさまにかと思あへりわか君もあやしとおほしてない給ふ 少納言とゝめきこえんかたなけれはよへぬひし御そともひきさけて 身つからもよろしききぬきかへていりぬ二条院はちかけれはいまた あかくもならぬ程におはして西のたひに御くるまよせており給ふわか 君をはいとかろらかにかきいたきておろし給ふ少納言なを夢のこゝ地 し侍をいかにし侍るへき事にかとやすらへはそは心なゝり御身つからはわた (26オ) したてまつりつれはかへりなんとあらはをくりせんかしとのたまうにわらひて おりぬにはかにあさましうむねもしつかならす宮のおほしのたまはん事いかに なりはて給ふへき御ありさまにかとてもかくてもたのもしき人々にをくれ 給へるかいみしさと思ふに涙のとまらぬをさすかにゆゝしけれはねんしいたり こなたはすみたまはぬたひなれはみちやうなともなかりけりこれみつめしてみちやう 御屏風なとあたり/\したてさせ給ふ御きちやうのかたひらおろしおましなと たゝひきつくろふはかりにてあれはひんかしのたひに御とのゐ物めしにつかはして おほとのこもりぬわか君はいとむくつけういかにする事ならんとふるはれ給へと さすかにこゑたてゝもなきたまはす少納言かもとにねんとのたまうこゑいとわかし いまはさはおほとのこもるましきそよとをしへきこえ給へはいとわひしくてなき (26ウ) ふし給へりめのとは打もふされす物もおほえすおきゐたり明ゆくまゝに見わたせ はおとゝのつくりさましつらひさまさらにもいはす庭のすなこも玉を かさねたらんやうに見えてかゝやくこゝちするにけそうなれははした なく思ゐたれとこなたには女なともさふらはさりけり気うときまらうと なとのまいるおりふしのかたなりけれはおとこともそみすのとにありけるかたへむかへ 給へりとほのきく人は誰ならんおほろけにはあらしとさゝめく御てうつ御かゆ なとこなたにまいる日たかうねおきて人なくてあしかめるをさるへき人々 ゆふつけてこそはむかへさせたまはめとのたまひてたひにわらはへめしにつかは すちいさきかきりことさらにまいれとありけれはいとおかしけにて四人ま いりたり君は御そにまとはれてふし給へるをせめておこしてかう心うくなおは (27オ) せそすゝろなる人はかうはありなんや女は心やはらかなるかよきなといまより をしへきこえ給ふ御かたちはさしはなれてゑあそひ物ともとりにつかはして 見せたてまつり御心につく事ともをし給ふやう/\おきゐて見給ふに にひ色のこまやかなるかいとうつくしきに我もうちゑまれて 見給ふひんかしのたひにわたり給へるにたち出て庭のこたち池のかた なとのそき給へは霜かれのせんさいゑにかけるやうにおもしろくて見も しらぬ四位五位こきませにひまなう出入つゝけにおかしきところかなと おほす御屏風ともなといとおかしきゑを見つゝなくさめておはするもはかなし や君は二三日うちへもまいりたまはてこの人をなつけかたらひきこえ給ふ やかて手ほんにとおほすにや手ならひゑなとさま/\にかきつゝ見せ (27ウ) たてまつり給ふいみしうおかしけにかきあつめ給へりむさし野といへはかこた れぬとむらさきのかみにかい給へるすみつきのいとことなるをとりて見ゐ たまへりすこしちいさくて     「ねはみねとあはれとそおもふむさし野の露わけわふる 草のゆかりを」とありいて君もかひ給へとあれとまたようはかゝすとて 見あけ給へるかなに心なくうつくしけなれは打ほゝゑみてよからねとも むけにかゝぬこそわろけれをしへきこえんかしとのたまへは打そはみて かい給ふ筆とり給へるさまのおさなけなるもらうたうのみおほゆれは 心なからあやしとおほすかきそこなひつとはちてかくし給ふをせめて 見たまへは (28オ)     「かこつへきゆへをしらねはおほつかないかなる草の ゆかりなるらん」いとわかけれとおひさき見えてふくらかにかい給へり こあま君のにそにたりけるいまめかしき手ほんならはゝよう かいたまひてんと見たまうひいななとわさとやともつくりつゝけて もろともにあそひつゝこよなき物おもひのまきらはしなりかのとまり にし人々宮わたり給てたつねきこえ給けるにきこえやる かたなくてそわひあへりけるしはし人にしらせしと君ものたまふ少納言 もおもふことなれはせちにくちかためやりたりたゝゆくゑもしらす せうなこんかいてかくしきこえたるとのみきこえさするに宮もいふ かひなうおほしてこあま君もかしこにわたりたまはん事をいと物しと (28ウ) おほしたりし事なれはめのとのいとさしすくしたる心はせの あまりおひらかにわたさんをひんなしなとはいはてこゝろに まかせてゐてわふらかしつるなめりとなく/\かへりたまひぬ もしきゝいてたてまつらはつけよとのたまふもわつらはしく てそうつの御もとにもたつねきこえ給へとあとはかなくて あたらしかりし御かたちなと恋しくかなしとおほすきたの かたもはゝきみをにくしとおもひきこえ給けるこゝろもうせて わかこゝろにまかせつへうおほしけるにたかひぬるはくちおしう おほしけりやう/\人まいりあつまりぬ御あそひかたきのわらはへちこ ともいとめつらかにいまめかしき御ありさまともなれはおもふ事なうて (29オ) あそひあへり君はおとこ君のおはせすなとしてさう/\しき夕くれなと こそあまきみを恋きこえ給てうちなきなとし給へと宮をはことに おもひてきこえたまはて給つれはいまはたゝこのゝちのおやを いみしうむつひまつはしきこえ給ふ物よりおはすれはまつ出むかひて あはれにうちかたらひ御ふところにいりゐていさゝかもうとくはつ かしともおもひたらすさるかたにいみしくらうたきわさなりけり さかしら心ありなにくれとむつかしきすちになりぬれはわかこゝち にもすこしたかふふしもいてくやとこゝろをかれ人もうら みかちにおもひのほかのことをのつからいてくるをいとおかしき もてあそひなりむすめなとはたかはかりになりぬれはこゝろ (29ウ) やすくうちふるまひへたてなきさまにふしおきなとは えしもすましきをこれはいとさまかはりたるかしつき くさなりとおもひためり ---------------------------------------------------------------------------------- 底本:Japanese Rare Book Collection (Library of Congress) LC Control No.2008427768 翻字担当者:淺川槙子、神田久義、斎藤達哉、銭谷真人、木川あづさ 更新履歴: 2011年3月24日公開 2012年3月21日更新 2014年1月21日更新 2014年8月13日更新 ---------------------------------------------------------------------------------- 修正箇所(2012年3月21日修正) 丁・行 誤 → 正 (13ウ)4 ひとつきさみはら → ひとつきさきはら (24ウ)4 御なをしなとは → 御なをしなと ---------------------------------------------------------------------------------- 修正箇所(2014年1月21日修正) 丁・行 誤 → 正 (1ウ)1 さまもとあはれなり → さまもいとあはれなり (1ウ)2 たまはすといといたう → たまはすいといたう (2オ)6 日たくるまゝにかならん → 日たくるまゝにいかならん (2ウ)3 うへをひつゝくる → うへをいひつゝくる (2ウ)6 にほひかなる → にほひやかなる (2ウ)9 あなすらはれて → あなわらはれて (2ウ)10 かしら → かしこ (3オ)5 そこらはるかにか → そこらはるかに (3ウ)4 なるへきつきむすめ → なるへきいつきむすめ (4オ)3 御みゝとまらんをや → 御みゝとゝまらんをや (4ウ)6 なれたる → なえたる (4ウ)9 給へるとて → 給へるかとて (5オ)1 物をとてとくちおし → 物をとていとくちおし (5オ)2 いさまるゝ → いさなまるゝ (5ウ)1 いとように似 → いとよう似 (7オ)1 なにかしいもうとに → なにかしかいもうとに (7オ)2 まかてねはねたのもし → まかてねはたのもし (7オ)3 むすめ → 御むすめ (7オ)4 まめやかに聞ゆる → まめやか聞ゆる (7ウ)2 おほしすてて → おほしたてゝ (8ウ)7 とみにもえ打出たまはすす → とみにも打出たまはす (10オ)3 へきかなときこえ → へきかななときこえ (12ウ)4 をはしますらんと → おはしますらんと (14オ)7 僧の → 僧都の (14オ)10 いはけなかりし → いはけなけなりし (15オ)2 まとひてつくにも → まとひていつくにも (16ウ)10 おとろきてとかたはらいたき → おとろきていとかたはらいたき (17ウ)5 いはけなうな物し → いはけなう物し (18ウ)8 こみやすんところ → こみすんところ (20オ)8 侍るかな → 侍かな (20ウ)4 わりと → わりなしと (20ウ)8 けはひのとなつかしきを → けはひのいとなつかしきを (23オ)4 きこえさせ給ふなと → きこえさせ給ふななと (24オ)3 すまゐたまへり → すまゐゐたまへり (24オ)7 さなからかすいしん → さなからすいしん (24ウ)9 わたらせ給へかなるを → わたらせ給へるなるを (24ウ)9 さきに → そのさきに (25オ)1 いり給へはとかたはらいたく → いり給へはいとかたはらいたく (25オ)10 心あはたゝしくけふは → 心あはたゝしくてけふは (26オ)3 なりはて給へき → なりはて給ふへき (28ウ)6 恋しくかなと → 恋しくかなしと (28ウ)8 まかせ給へう → まかせつへう (29オ)10 なれぬれは → なりぬれは ---------------------------------------------------------------------------------- 修正箇所(2014年8月13日修正) 丁・行 誤 → 正 (18ウ)2 野へのわか草十月 → 野へのわか草」十月 (19ウ)3 かへる浪かはめさましからんと → かへる浪かは」めさましからんと (19ウ)5 程そうきたるわりなき → 程そうきたる」わりなき