米国議会図書館蔵『源氏物語』 花宴 ---------------------------------------------------------------------------------- 記号の説明 1.くの字点は/\で表す。 2.和歌は「」で括る。 3.散らし書き和歌の末尾に#を付ける。 4.判読できない文字は■で表す。 本文の修正 1.翻字本文を修正した場合には、修正履歴を末尾に示す。 ---------------------------------------------------------------------------------- 花のえん (1オ) きさらきのはつかあまり南殿のさくらのえんせさせ給ふきさき 春宮の御つほねひたりみきにしてまうのほり給こきてんの 女御は中宮かくておはするをおりふしことにやすからすおほせ とものみにはえすくしたまはすまいり給へり日いとよくはれて そらの気しき鳥のこゑこゝちよけなるにかんたちめみこたち よりはしめてそのみちのはみなたんいんたまはりてふみつくり 給ふさいしやうの中将春といふもしたまはれりとのたまうこゑさへ れいの人にことなりつきに頭中将人のめうつしいかゝとたゝならす おほゆへかめれはこゝろつかひしていとめやすくもてしつめたるよう いこはつかひなともの/\しうなへての人にはすくれたりさての (1ウ) 人はみなおくしかちにはなしろめるおほかり地下の文人なとは ましてみかと東宮もさえかしこくかゝるかたにやむことなき ひとおほく物し給ふころなるにはる/\とくもりなきおまへの庭 にたち出るこゝちともはしたなくてやすき程の事なれと いとくるしけなるにとしおひたるはかせとものなりあしくやつれ たれとれいのなれたるさまともゝあはれにさま/\御らんせらるゝ なんおかしかりけるかくともはさらにもいはすかきりなくとゝのへさせ給へり やう/\入日になるほとにはるのうくひすさえつるといふまひいとおも しろく見ゆるにくゑんしの君の御もみちの賀のおりおほしいてら れて春宮かさしたまはせてせちにせめのたまはするにのかれ (2オ) かたくてたちてのとかに袖かへすところをひとかへりけしきはかり まひ給へるににるへき物なく見ゆひたりのおとゝうらめしさも わすれて涙くみ給ふつきにとうの中将いつらをそしとあれは 柳花苑といふまひをこれはいますこしすくしてかゝる事も やと心つかひやしたりけんいとおもしろくまひ給へれは御そたま はりてめつらしきれいに人おもへりさらぬかんたちめあまたみたれまひ 給へとよにいりぬれはことにけちめも見えす詩ともかうするに源氏 の君の御をは講師もえよみやらすくことにすしのゝしるはかせ とものおもへるけしきなといといみしかやうのおりにもたゝ此君をひかり にし給へれはいかてかみかとのをろかに思きこえたまはん中宮は御めの (2ウ) とまるにつけても東宮の女御のあなかちににくみ給ふらんもあや しうわかくおもふもいかなれはと心うくそかへさひおもほしける     「大かたに花のすかたを見ましかは露もこゝろの をかれましやは」と御心のうちなりけん事いかてかもりにけん夜いたうふけて なんことはてにけるかんたちめをの/\あかれとう宮中宮かへらせ給なとし ぬれはのとやかになりぬるに月いとあかくさし出ておもしろきを源氏の君 ゑいこゝちに見すくしかたくおほえ給けれはうへの人々も打やすみてかやうに 思かけぬ程にもしさりぬへきひまもやと藤つほわたりをわりなくしのひ てうかゝひありき給へとかたらふへきとくちにさしてけれは打なけきてなを あらしにこきてんのほそとのに立より給へれは三のくちあきたり女御はうへの (3オ) 御つほねにやかてまうのほり給にけれは人すくなゝるけしき也おくのくるゝ 戸もあきて人音もせすかやうにてよのひとはあやまりもするそかしとおもひて やをらのほりてのそき給へは人はみなねたるなるへしいとおかしきこゑのなへての 人とはきこえぬにておほろ月夜ににる物そなきと打すしてこなたさまには くる物かいとうれしくてふと袖をとらへつ女思かけすうとましと思てあな おそろしこはたそとのたまへはなにかおそろしきとて     「ふかき夜のあはれをしるも入月のおほろけならぬ 契りとそ思ふ」といふまゝにやをらいたきおろして戸はをしたてつあさましと あきれたるけはひいとらうたけになつかしわなゝくこゝに人とのたまへはまろ はみな人にゆるされたる身なれはめしよせたりともなてう事かはあらんたゝしのひて (3ウ) こそとのたまうこゑにそ此君なりけりときくにすこしなくさみける わひしとおもふ物からなさけなくこは/\しう見えしとおもへりゑいこゝちやれい ならさりけんゆるさん事はくちおしきに女もわかくたをやきてつよき心も えしらぬなるへしらうたしと見給ふに程なく明行けはひなれはいとゝ心あは たゝし女はましてさま/\に思みたれたる気しきいみしけれは名をな のりし給へいかてか聞ゆへきさりともかくてやみなんとはよにおほさしなとのたまへは     「うき身世にやかてきえなはたつねても草のはらをは とはしとや思ふ」といふさまいとなまめかしう又きかまほしきさましたりこ とはりやきこえたかへたるもしかなとて     「いつれそと露のやとりをわかんまにこさゝかはらに (4オ) 風もこそふけ」わつらはしくおほす事なくはなにかはつゝまんもしすかい給ふかともえ いひあへす人々おきさはきうへの御つほねにまいりかよふけはひともしけくまよ へはわりなくて扇はかりをしるしとにやとりかへて出たまひぬきりつほにも人々は おほくさふらひておとろきたるもあれはさもたゆみなき御しのひありきかな とつきしろひつゝそらねをそするいりてふし給へれとねもいられたまはすおかし かりつる人のけはひかな女御の御おとうとともさこそはありつらめまたよに なれぬは五六ほとならんかしそちの宮の北のかた頭中将のすさめぬ四の君なと こそよしと聞しかそれならましかはなか/\いますこしおかしうおほえなまし六の 君は東宮にたてまつらんととりわき心さしてかしつき給なるをいとおかしくも あへきかなとわつらはしくもたつねん程もまきらはしくなと思みたれ給さすかに (4ウ) たえてやみなん事はつらかるへくおもへりつるけしきなからいかなれはことかよは すへきたよりをはをしへすなりぬらんなとよろつにおほしあつかはるゝも心の とまるなるへしかやうなるにつけてもまつかのわたりの御ありさまのこよなう おくまりたるはやとありかたう思くらへられ給その日は後宴の事ありてま きれくらし給つゝきのふのことよりもまさりてなまめかしくおもしろし藤つほは あか月にまうのほり給にけりかのあり明の人いてやしぬらんと心も空にて 思いたらぬくまなきよしきよこれみつをつけてうかゝはせ給御まへよりおり給へるに たゝいまならん北のちんにかくろへつゝたてゝ侍つるくるまとも出侍つるや御かた/\ のさとひとともならんと見侍つるなかに四位の少将左中弁なといそき出て をくりしかしつき侍つるにこそこきてん御あかれに侍つれけしうはあらぬ (5オ) けはひともしるくてくるまみつはかり侍つと聞ゆるにもむね打つふれていかに してかいつれとしるへからんちゝおとゝ聞つけ給てはこと/\しくもてなされんもいか にそや人のありさまなと見さためぬ程はわつらはしかるへしさりとてかくなからすき なんはたくちおしかるへけれはいかにせましとおほしわつらひてつく/\となかめふし 給へりひめ君いかにつれ/\におほえ給ふらん日ころになりぬれはれいのくむしや し給ふらんと心くるしうおほしやるかのしるしのあふきは桜のみへかさねにてこき かたにかすめる月をかきてみつにうつしたる心はへなとめなれたる事なれとゆへ なつかしくもてなしたり草の原をはといひしさまの御心にかゝりておほえ給へは     「世にしらぬこゝちこそすれありあけの月のゆくゑを 空にまかへて」とかきつけてをき給へりまかて給ふにおほい殿にもひさしうなりに (5ウ) けりとおほせとまつわか君の心くるしさこしらへをかんとおほして二条院におはし ぬ見るまゝにうつくしうのみおいなりてあひきやうつきかう/\しき御心はへいとことなり あかぬところなくわか御心のまゝにをしへなさんとおほすにかなひぬへしおとこの 御をしへなれはすこし人なれたるところやましらむとおもふこそうしろめたけれ 日ころの御物語ともきこえ御ことなと日ひとひをしへくらし給てよるになれは 出給ふをれいのくちおしとおほしたれといまはいとよくならはされてわりなくは したひきこえたまはすおほい殿にはれいのふともたいめしたまはすつれ/\と 打なかめてよろつおほしめくらされてさうのことをまさくりつゝやはらかにぬる夜 はかなくてとうたひすさひつゝおはするにおとゝかたり給へり一日のことゝものけう ありし事なときこえ給こゝらのよはひにて明王の御代四代にあひ侍ぬれとこの (6オ) たひのふることふみともきやうさくにまひかくとゝのほりてよはひのふることなん 見侍らさりつるみち/\の物の上手ともおほかりけるころをひなるをくはしくきこしめし いれてとゝのへさせ給へりけるとなん見給ふへしおきなもほと/\まひ出ぬへきこゝちなん し侍しときこえ給へはことにわさととゝのへいとなむことも侍らさりきたゝおほやけ ことかなん物のしともをこゝかしこゝにかしこくたつね出て侍し也一日の事よろ つのことよりは柳花苑なんまことに後代のれいともなりぬへき事と見侍しを ましてさかゆく春に立出させ給へらましかはいみしき世のめいほくに侍らましなと きこえ給ふ程に中将弁なんとまいりあひ給へれはさま/\の御物語ともきこえ給つゝ とり/\に物のねともしらへあはせてあそひ給いとおもしろしかのあり明の君ははかな かりし夢のゝち物いとなけかしくてなかめをのみし給ふ春宮も四月はかりと (6ウ) おほしさためたるを見給にもいとわりなく思みたれ給へりおとこ君もわするゝ 時はなしたつねたまはんに跡はかなきにはあらねといつれともしらてことにゆるし たまはぬあたりにかゝつらはむも人わろきこゝ地し給へはとかくおほしやすらふなり けり三月廿よ日に右のおほい殿にゆみのけちにかんたちめ殿上人おほくつ とへ給ふてやかて藤の花のえむし給けり花さかりはすきにたれとほかのちりなん とやをしへられたりけんをくれてさきたる桜二木はかりいとおもしろしあたらしく つくりたる殿を宮たちの御もきにみかきたてられたるまゝにいとめてたし何事も はな/\とし給ところやうにていといまめかしうもてなし給へり源氏の君はうちにて御 たいめんのついてにきこえ給しかとおはせねはくちおしう物のはへなしとおほして みこのくら人のせうしやうをたてまつれたまう (7オ)     「わかやとの花しなへての色ならはなにかはさらに 君をまたまし」内にさふらひ給ふ程なれはやかてかくなんとそうし給したりかほ なりやとわらはせ給てわさとあめるをはや物せよかし女みこたちなとおい出ると ころなめれはなへてには思ふましきをとのたまはす御よそをひなと心ことにひき つくろひてくるゝ程にいたうまたれてそわたり給へる桜のからのきの御なをしゑ ひそめのしたかさねしりいとなかくひきてみな人はうへのきぬなるにあされたる おほきみすかたのなまめきたるにていつかれいり給へるさまけにそめてたき 花のにほひもけをされてなか/\ことさましにそ見ゆる御あそひなといとおもし ろし夜すこしふけゆく程にくゑんしの君いたうゑいなやめるさまにもてなして まきれたちたまひぬしんてんには女一の宮女三の宮おはしますひんかしの戸くち (7ウ) におはしてよりゐ給へりふちはこなたのつまにあたりてあれはみかうしともあけ わたして人々いてゐたるなりけり袖くちとものこほれ出たるさまなとたうか のおり思ひ出られてことさらめきもて出たるをふさわしからすとまつ藤つほわたり おもほし出らるなやましきにいたうしゐられてわひにて侍りかしこけれと此御 まへにこそはかけにもかくさせたまはめとてつま戸のみすをひきゝ給へはあなわ つらはしよからぬ人こそやむことなきゆかりはかこち侍なれといふ人ありけしき ともを見給へはいとをも/\しうはあらねとをしなへてのわか人ともはあるましあて におかしきけはひともしるし空たき物けふたきまてくゆりいてきぬの 音なひさはやかにふるまひなしてをくまり心にくきけしきは立をくれていま めかしきことをのみこのみ給ふわたりにてやむ事なき御かた/\の物見給とて此 (8オ) 戸くちはしめ給へりけるなるへしさしもあらてありぬへき事なれとさすか におかしうおほされていつれならんとむねうちつふれ給ふあふきをとられ てからいめをみるとうちおとけたるこゑにいひなしてよりふし給へれ はあやしうもさまかへたるこまうとかなといふはこゝろえぬ人なる へしいらへはせてたゝとき/\うちなけく気はひなるかたにより かゝりてきちやうこしに手をとらへたまひて     「あつさゆみいるさの山にまよふかなほの見し月の かけや見ゆると」なにゆへとかをしあてにのたまうにえしの はぬなるへし     「こゝろいるかたならませはゆみはりの月なき空に (8ウ) まよはましやは」といふこゑたゝそれなりうれし きものから ---------------------------------------------------------------------------------- 底本:Japanese Rare Book Collection (Library of Congress) LC Control No.2008427768 翻字担当者:斎藤達哉、豊島秀範、来山佳純、阿部江美子 更新履歴: 2011年3月24日公開 2013年11月19日更新 ---------------------------------------------------------------------------------- 修正箇所(2013年11月19日修正) 丁・行 誤 → 正 (1オ)1 きさらぎ → きさらき (1ウ)10 かざし → かさし (2オ)4 すして → すくして (3ウ)10 屋とり → やとり (4ウ)9 右中弁 → 左中弁 (4ウ)9 いそき出て左右中弁 → いそき出て (5ウ)1 心くるさ → 心くるしさ (5ウ)9 おはする → おはするに (7オ)6 志り → しり