米国議会図書館蔵『源氏物語』 須磨 ---------------------------------------------------------------------------------- 記号の説明 1.くの字点は/\で表す。 2.和歌は「」で括る。 3.散らし書き和歌の末尾に#を付ける。 4.判読できない文字は■で表す。 本文の修正 1.翻字本文を修正した場合には、修正履歴を末尾に示す。 ---------------------------------------------------------------------------------- すま (1オ) 世の中いとわつらはしくはしたなきことのみまされはせめてしらすかほに ありへても是よりまさる事もやとおほしなりぬかのすまはむかしこそ人の すみかもありけれいまはいと里はなれ心すこくてあまの家たにまれに なと聞給へと人しけくひたゝけたらんすまゐはいとほいなかるへしさり とて都をとをさからんもふる里おほつかなかるへきを人わろくそおほし みたるゝよろつの事きしかたゆくすゑ思つゝけ給にかなしき事いと さま/\也うき物と思すてつる世もいまはとすみはなれなんことをおほす にはいとすてかたき事おほかる中にもひめ君の明暮にそへては思なけき 給へるさまの心くるしうあはれなるを行めくりても又あひ見ん事をかならすと おほさんにてたになを一二日の程よそ/\にあかしくらすおり/\にたにおほつ (1ウ) かなき物におほえ女君も心ほそうのみおほえ給へるをいくとせその程と かきりあるみちにもあらすあふをかきりにへたゝりゆかんもさためなき世 にやかてわかるへきかとてにもやといみしうおほえ給へはしのひてもろとも にやとおほしよるおり/\あれとさる心ほそからん海つらの浪風よりほかに 立ましる人もなからんにかくらうたき御さまにてひきくし給へらんもいと つきなくわか心にも中々物おもひのつまとなるへきをなとおほしかへすを女君は いみしからんみちにもをくれきこえすたにあらはとおもむけてうらめしけに おほひたりかの花ちる里にもおはしかよふことこそまれなれ心ほそくあはれ なる御ありさまを此御かけにかくれて物し給へはなけきたるさまもいとことはり なりなをさりにてもほのかに見たてまつりかよひ給しところ/\人しれぬ (2オ) 心をくたき給ふ人そおほかる入道の宮よりも物のきこえや又いかゝとり なされんとわか御ためつゝましけれとしのひつゝ御とふらひつねにありむかし かうやうにあひおほしあはれをも見せ給へましかはと打思ひ出給ふとさも さま/\に心をのみつくすへかりける人の御契りかなとつらく思きこえ給ふ 三月廿日あまりの程になん都はなれ給ける人にいまはとしもしらせたま はすたゝいとちかうつかうまつりなれたるかきり七八人はかり御ともにていと かすかに出たち給さるへきところ/\に御文はかり打しのひ給しにもあはれと しのはるはかりかきつくひ給へるは見ところもありぬへかりしかとそのおりのこゝ ちのまきれにはか/\しうも聞をかすなりにけり二三日かねて世に かくれておほひ殿にわたり給へりあむしろくるまの打やつれたるにてかくろへ (2ウ) いり給もいとあはれに夢とのみ見ぬ御かたいとさひしけに打あれたるこゝ 地してわか君の御めのとともむかしさふらひし人の中にまかてぬかきり かくわたり給へるをめつらしかりきこえてまうのほりつとひて見たて まつるにつけてもことに物ふかからぬわかき人々さへ世のつねなさおもひ しられて涙に暮たりわか君はいとうつくしうてされはしりおはしたり ひさしき程にわすれぬこそあはれなれとて御ひさにすへ給へり 御けしきのしのひかたけ也おとゝもこなたにわたり給てたい めし給へりつれ/\にこもらせたまはん程なにと侍らぬむかし物語も まいりきてきこえさせんと思給ふれと身のやまひをもきによりおほ やけにもつかうまらすくらゐをもかへしたてまつりて侍にわたくしさま (3オ) にはこしのへてなと物のきこえひか/\しかるへきをいまは世中はゝかるへき 身にも侍らねといちはやき世のいとおそしう侍也かゝる御心を見給ふるにつ けていのちなかきは心うく思給へらるゝ世のすゑにも侍かなあめのしたを さかさまになしても思給へよらさりし御ありさまを見給ふれはよろついと あちきなくなんときこえ給ていたうしほれ給ふとある事もかゝる事もさ きの世のむくひにこそ侍なれはいひもてゆけはたゝみつからのをこたりと なん侍るましてかく官しやくをとらすあさはかなる事にかゝわらひてたに おほやけのかしこまりなる人のうつしさまにて世中にありふるはとかをもきわさに 人の国にもし侍なるをとをくはなちつかはすへきさためなとも侍なるはさまことなる つみにあたるへきにこそ侍なれにこりなき心にまかせてつれなくすくし侍らんもいと (3ウ) はゝかりおほく是よりおほきなるはちにのそまぬさきに世をのかれなんと思給へ たちぬるなとこまやかにきこえ給むかしの御物語こ院のみかとおほしのたまはせし 御心はへなときこえ出給て御なをしの袖もえひきはなちたまはぬに君もえ心 つよくもてなしたまはすわか君のなに心なくまきれありきてこれかれになれき こえ給をいみしとおほひたりすき侍にし人を世におもふ給へわすらるゝよなくのみ いまにかなしひ侍を此御ことになんもし侍世ならましかはいかやうに思なけき侍ら ましよくそみしかくてかゝる夢を見すなりにけると思給へなくさめ侍おさなく物し 給かかくよはひすきぬるなかにとまり給てなつさひきこえぬ月日やへたゝりたま はんと思給ふるをなんよろつの事よりもかなしう侍いにしへの人もまことにをかしある にてしもかゝる事にあたらさりけりなをさるへきにて人のみかとにもかゝるたくひおほう (4オ) 侍けりされといひ出るふしありてこそさる事も侍けれとさまかうさまに思給へよらん かたなくなんなとおほくの御物語きこえ給ふ三位の中将もまいりあひ給ておほみき なとまいり給程に夜ふけぬれはとゝまり給て人々御まへにさふらはせ給て物語なとせ させ給人よりはこよなうしのひておほす中納言の君いへは世にかなしうおもへるさまを人 しれすあはれとおほす人みなしつまりぬるにとりわきてかたらひ給是によりとまり 給へるなるへし明ぬれは夜ふかう出給へるに在明の月いとおかし花の木ともやうさかりすき てわつかなるこかけのいとしろきにはうすく霧わたりたるそこはかとなく霞あへて 秋の夜のあはれにおほく立まされりすみのまのかうらんもをしかゝりてとはかり なかめ給中納言の君見たてまつりをくらんとにやつま戸をしあけてゐたり又たい めんあらむことこそおもへはいとかたけれかゝりける世をしらて心やすくもありぬへ (4ウ) かりし月ころをさしもいそかてへたてしよなとのたまへは物もきこえすなんわか 君の御めのとの宰相の君して宮のおまへより御せうそこきこえたまへり 身つからもきこえまほしきをかきくらすみたりこゝちためらひ侍ほとにいと 夜ふかう出させ給なるもさまかはりたるこゝちのみし侍かな心くるしき人のい きたなき程はしはしもやすらはせたまはてときこえ給へれは打なきて     「とりへ山もえしけふりもまかふやとあまのしほやく うら見にそゆく」御返ともなく打すし給て暁のわかれはかうのみやこゝろ つくしなる思しり給へる人もあらんかしとのたまへはいつとなくわかれといふもし こそうたて侍なる中にも今朝はなをたくひあるましう思給へらるゝ程かなと はなこゑにてけにあさからすおもへりきこえまほしき事も返々思給へなから (5オ) たゝにむすほゝれ侍程はをしはからせ給へいきたなき人は見給へんにつけて も中々うき世のかれかたう思給へられぬへけれは心つよう思給へなしていそき まかて侍ときこえ給出給ふ程を人々のそきて見たてまつる入かたの月いとあか きにいとゝなまめかしうきよらにて物をおほひたるさまとらおほかみたに なきぬへしましていはけなくおはせし程より見たてまつりそめてし人々 なれはたとしへなき御ありさまをいみしとおもふまことや御返     「なき人のわかれやいとゝへたゝらんけふりとなりし 雲ゐならては」とりそへてあはれのみつきせす出給ぬる名残ゆゝしきまてなき あへり殿におはしましたれはわか御かたの人々もまとろまさりけるけしきにてところ/\ にむれゐてあさましとのみ世をおもへるけしき也さふらひにはしたしうつかう (5ウ) まつるかきりは御ともにまいるへき心まうけしてわたくしのわかれおしむ程にや 人めもなしさらぬ人はとふらひまいるもをもきとかめありわつらはしき事まさ れはところせくつとひしむまくるまのかたもなくさひしきに世はうき 物なりけりとおほししらる大はんところなともかたへはちりはみてたゝみところ ところひきかへしたり見る程たにかゝりましていかにあはれゆかんとおほす 西のたいにわたり給へれはみかうしもまいらてなかめあかしけれはすのこなとに わかきわらはへはところ/\にふしていまそおきさはくとのゐすかたともおか しうて出るを見給ふにも心ほそうとし月へはかゝる人々もえしもありは てゝやゆきちらんなとさしもあるましき事さへ御めのみとまりけりよへは しか/\して夜ふけにしかはなんれいのおもはすなるさまにやおほしなしつる (6オ) かくて侍程たに御めかれすとおもふをかく世をはなるゝきはには心くる しき事のをのつからおほかりけるをひたやこもりにてやはつねなき世に人 にもなさけなき物と心をかれはてんといとおしうてなときこえ給へはかゝる 世を見るよりほかにおもはすなる事は何事かとはかりのたまひていみしとおほし いれたるさま人よりはことなるをことはりそかしちゝみこはいとをろかにもと よりおほしつきにけるにまして世のきこえをわつらはしかりて音つれ きこえたまはす御とふらひにたにわたりたまはぬを人の見るらん事も はつかしく中々しられたてまつらてやみなましをまゝはゝの北のかたなと のにはかなりしさいはひのあはたゝしさあなゆゝしやおもふ人かた/\に つけてわかれ給人かなとのたまひけるをさるたよりありてもりきこえ (6ウ) 給にもいみしう心うけれは是よりもたえて音つれきこえたまはす又たの しき人もなくけにそあはれなる御ありさまなるなを世にゆるされかたう てとし月をへはいはほの中にもむかへたてまつらんたゝいまは人きゝのいと つきなかるへき也おほやけにかしこまり聞ゆる人はあきらかなる月日のかけを たに見すやすらかに身をふるまふ事もいとつみをもか也あやまちなけれとさる へきにこそかゝる事もあらめとおもふにましておもふ人くするはれいなきこと なるをひたおもむきに物くるほしき世にてなを立まきる事も是よりありなん なときこえしらせ給日たくるまておほとのこもりそちの宮三位の中将なと おはしたりたいめんしたまはんとて御なをしなとたてまつるくらゐなき人はとて むもんのなをし中々いとなつかしきをき給て打やつれ給へるいとめてたし御 (7オ) ひんかき給とてきやうたひにより給へるにおもやせ給へるかけの我なからいと あてにきよらなれはこよなうこそおとろへにけれこのかけのやうにややせて 侍あはれなるわさかなとのたまへは女君涙をひとめうけて見をこ給へるいとし のひかたし     「身はかくてさすらへぬとも君かあたりさらぬかゝみのかけははなれし」# ときこえたまへは     「わかれてもかけたにとまる物ならはかゝみを見ても なくさみてまし」はしらかくれにゐかくれて涙をまきらはし給へるさまなを こゝら見ゆる中にたくひなかりけりとおほししらるゝ人の御ありさま也みこは あはれなる御物語きこえ給てくるゝ程にかへりたまひぬ花ちる里の心ほそけに (7ウ) おほしてつねにきこえ給ふことはりにてかの人にもいま一たひ見すはつらしとや おもはんとおほせはその夜は又出給ふ物からいと物うくていたうふかしておはし たれは女御はかくかすまへ給て立よらせ給へることゝよろこひきこえ給さま かきつゝけんもうるさしいといみしう心ほそき御ありさまたゝ此御かけにかくれ てすくひ給へる年月いとゝあれまさらん程おほしやられて殿のうちいとかすか なり月おほろにさし出て池ひろく山こふかきわたり心ほそけに見ゆるにも すみはなれたらんいはほの中おほしやる西おもてはかうしもわたりたまはすやと 打くしておほしけるにあはれそへたる月影のなまめかしうしめやかなるに打ふる まひ給へるにほひにか物なくていとしのひやかにいり給へはすこしいさり出てやかて 月を見ておはす又こゝに御物語の程に明かたちかうなりにけりみしかの夜の程や (8オ) かはかりのたいめんも又はえしもやと思ふこそことなしにてすくしつる年ころもくや しうきしかたゆくさきのためしになるへき身にてなにとなく心のとまる世なく こそありけれとすきにしかたの事とものたまひて鳥もしは/\なけは世につゝみて いそき出給れいの月の入はつる程によそへられてあはれ也女君のこき御そに うつりてけにぬるゝかほなれは     「月かけのやとれる袖はせはくともとめても見はやあかぬひかりを」# いみしとおほひたるか心くるしけれはかつはなくさめきこえたまう     「行めくりつゐにすむへき月かけのしはしくもらむ 空ななかめそ」おもへははかなしやたゝしらぬ涙のみこそ心をくらすもの なれなとのたまひてあけくれの程に出たまひぬよろつの事ともしたゝめさせ (8ウ) 給ふしたしうつかうまつり世になひかぬかきりの人々殿の事とりをこなひ たまうへきかみしもさためをかせ給御ともにしたひ聞ゆるかきりは又えり出 給へりかの山里の御すみかのくはえさらすとりつかひ給ふへき物ともことさら よそひことそきて又さるへき文集なといりたるはこまては琴ひとつそ もたせ給ところせき御てうと花やかなる御よそひなとさらにくしたまはす あやしの山かつめきてもてなし給ふさふらふ人々よりはしめよろつの事も みな西のたいにきこえわたし給御さうみまきよりはしめてさるへきところ/\ のけんもつたつ文なとみなたてまつりをき給それよりほかの御くらまちおさ め殿なといふ事まて少納言をはか/\しき物に見をき給へれはしたしきけいし ともくしてしろしめすへきさまとものたまひあつくわか御かたの中つかさ中将 (9オ) なとやうの人々つれなきもてなしなから見たてまつる程こそなくさめつれ 何事につけてかとおもへともいのちありて此世に又かへるやともあらんを待つ けんとおもはん人はこなたにさふらへとのたまひてかみしもみなまうのほら せ給わか君の御めのとたち花ちるさとなとにもおかしきさまのはさる物 にてまめ/\しきすちにおほしよらぬ事なし内侍のかみの御ともにわり なくしのひてきこえ給とはせたまはぬもことはりに思給へなからいま はと世を思侍程のうさもつらさもたくひなき事にこそ侍けれ     「あふせなきなみたの川にしつみしやなかるゝみほの はしめなりけん」と思給へ出るのみなんつみのかれかたう侍けるみちの 程もあやうけれとこまかにはきこえたまはす女いといみしう (9ウ) おほえ給ふてしのひ給へと御袖よりあまるもところせうなん     「なみた川うかふみなはもきえぬへしなかれてのちの せをもまたすて」なく/\みたれかき給へる御手いとおかしけ也いま一 たひたいめなくてやとおほすはなをくちおしけれとおほしかへして うしとおほしなすゆかりおほうておほろけならすしのふる人はいと あなかちにもきこえたまはすなりぬあす出たまはんとての暮にこ院 の御はかおかみたてまつり給ふとて北山へまうて給ふ暁かけて月出る ころなれはまつ入道の宮にまうて給ふちかきみすのまへにおましまいりて 御みつからきこえ給春宮の御事をいみしううしろめたき物に思きこ え給かたみに心ふかきとちの御物語はよろつあはれまさりけんかし (10オ) なつかしうめてたき御けはひのむかしにかはらぬにつらかりし御心はへもかすめ きこえまほしけれと我もいまさらにうたてとおほさるへしわか御心にも中々 いま一きはみたれまさりぬへけれはねんしかへしてたゝかく思かけぬつみに あたり侍も思給あはする事の一ふしになん空もおそろしう侍おしけなき 身はなきになしても宮の御世たにことなくおはしまさはとのみきこえ給そ ことはりなるや宮もみなおほししらるゝことにしあれは御心のみうこきてきこ えやりたまはす大将殿はよろつのことかきあつめおほしつゝけてなき給へるけ しきいとつきせすなまめきたり御山にまいり侍を御ことつてやときこえ 給にとみに物ものたまはすわりなくためらひ給ふ御気しきなり     「見しはなくあるはかなしき世のはてをそむきしかひも (10ウ) なく/\そふる」いみしき御心まよひともにおほしあつむる事とももえそつゝけさせたまはぬ     「わかれしにかなしきことはつきにしを又そこの世のうさはまされる」# 月まち出て出給ふ御ともにたゝ五六人はかりしも人もむつましきかきりして 御むまにてそおはするさうなることなれとありし世の御ありきにことなり みないとかなしうおもふ中にかのみそきの日かりの御すいしんにてつかうまつりし うこんのそうの蔵人うへきかうふりも程すきつるをつゐにみふたけつられてつ かさもとられてはしたなけれは御ともにまいるうちなりかものしもの御やしろを かれと見わたす程ふと思出られておりて御むまのくちをとる     「ひきつれてあふひのかさしそのかみをおもへはつらしかものみつかき」# といふをけにいかにおもふらん人よりけに花やかなりし物をとおほすも心くるし (11オ) 君も御むまよりおり給てみやしろのかたをおかみ給神にまかり申給ふ     「うき世をはいまそわかるゝとゝまらむ名をはたゝすの 神にまかせて」とのたまうさま物めてするわかき人にて身にしみてあはれに めてたしと見たてまつる御山にまうて給ておはしましゝ御ありさまたゝめのまへ のやうにおほし出らるかきりなきにても世になくなりぬる人そいはんかたなく くちおしきわさなりけるよろつの事をなく/\申給てもそのことはりをあらは にもえうけたまはりたまはねはさはかりおほしのたまはせしさま/\の御 ゆひこんはいつちかきえうせにけんといふかひなし御はかはみちの草しけく なりてわけ入給程いとゝ露けきに月も雲かくれてもりのこたち 木ふかく心すこしかへりいてんかたもなきこゝちしておかみ給ふにありし (11ウ) 御おもかけさやかに見え給へるそゝろさむきほとなり     「なきかけやいかゝ見るらんよそへつゝなかむる月も 雲かくれぬる」明はつる程にかへり給て春宮にも御せうそこきこえ給ふ 王命婦を御かはりとてさふらはせ給へはそのつほねにとてけふなん都はな れ侍又まいり侍らすなりぬるなんあまたのうれへにまさりておもひ給へられ はへるよろつをしはかりてけいしたまへ     「いつか又はるのみやこの花を見んときうしなへる 山かつにして」桜のちりすきたるえたにつけ給へりかくなんと御らんせさすれ はおさなき御こゝちにもまめたちておはします御返いかゝ物し侍らん とけいすれはしはし見ぬたに恋しき物をとをくはましていかにと (12オ) いへかしとのたまはす物はかなの御返やとあはれに見たてまつるあちき なきことに御心をくたき給しむかしの事おり/\の御ありさま思つゝけら るゝにも物思なくて我も人もすくひ給へりける世を心とおほしなけき けるをくやしう我心ひとつにかゝらむことのやうにそおほゆる御返は さらにきこえさせやり侍らすおまへにはけいし侍りぬ心ほそけにおほし めしたる御けしきもいみしうなんとそこはかとなく心のみたれけるなるへし     「さきてとくちるはうけれとゆく春は花のみやこを 立かへりみよ」時しあらはときこえてなこりもあはれなる物かたりをしつらへと 宮のうちしのひてなきあへりひとめも見たてまつれる人はかくおほしくつ をれぬる御ありさまをなけきおしみきこえぬ人はなしましてつねに (12ウ) まいりなれたりしはしりをよひ給ふましきをさめみかはやうとまてありかたき 御かへりみのしたなりつるをしはしにても見たてまつらぬ程やへん思なけきけり 大かたの世の人もたれかはよろしく思きこえんなゝつになり給しこのかた みかとのおまへによるひるさふらひ給てそうし申給事のならぬはなかりし かは此御いたはりにかゝらぬ人なく御とくをよろこはぬやはありしやむこ となきかんたちめ弁官なとの中にもおほかりそれよりしもは数ならぬを 思しらぬにはあらねとさしあたりていちはやき世を思はゝかりてまいり よるもなし世ゆすりておしみきこえしたにはおほやけをそしり恨たてま つれと身をすてゝとふらひまいらんにもなにのかひかはとおもふにやかゝるおりは 人わろくうらめしき人おほく世中はあちき物かなとのみよろつにつけて (13オ) おほすその日は女君に御物語のとかにきこえくらし給てれいの夜ふかく 出給ふかりの御そなと旅の御よそひいたくやつし給て月出にけりななをすこ し出て見たにをくり給へかしいかに聞ゆへき事おほくつもりにけりとおほえむ とすらむ一日ふつかたまさかにへたつるおりたにあやしういふせきこゝ地するを とてみすまきあけてはしにいさなひきこえ給へは女君なきしつみためらひて いさり出給へる月影にいみしうおかしけにてゐ給へり我身かくてはかなき世を わかれなはいかなるさまにさすらへたまはんとうしろめたくかなしけれとおほし いりたるにいとゝしかるへけれは     「いける世のわかれをしらて契りつるいのちを人に かきりけるかな」はかなしなとあさはかにきこえたまへは (13ウ)     「おしからぬいのちにかへてめのまへのわかれをしはし とゝめてしかな」けにさそおほさるらんといと見すてかたけれと明はてははした なかるへきによりいそき出たまひぬみちすから思出給へるにおも影につとそひて むねもふたかりなから御舟にのりたまひぬ日なかきころなれはをひ風さへ そひてまたさるの時はかりにかの浦につきたまひぬかりそめのみちにて も心ほそさもおかしさもめつらかなりおほえとのといひけるところはいたう あれて松はらはかりそしるしなる     「からくにに名をのこしける人よりもゆくゑしられぬ 家ゐをやせむ」なきさによする浪のまつかへるを見給てうらやましくも と打すし給へるさまさる世のふることなれとめつらしう聞なされかなしとのみ (14オ) 御ともの人々おもへり打かへり見給へるにこしかたの山は霞はるかにてまことに三千 里のほかのこゝちするにかいのしつくもたへかたし     「ふるさとをみねのかすみはへたつれとなかむる空は おなし雲ゐか」つらからぬ人なくなんおはすへきところはゆきひらの中納言の もしほたれつゝわひける家ゐちかきわたりなりけり海つらはやゝ入てあはれに すこけなる山なか也かきのさまよりはしめてめつらかに見給ふかや屋ともあし ふけるらうめく屋なとおかしうしつらひなしたりところにつけたる御すま ゐやうかはりてかゝるおりならすはおかしうありなましとむかしの御心のすさ ひおほしいつちかきところ/\のみましのつかさめしてさるへき事ともなと よしきよのあそんしたしきけいしにておほせをこなふもあはれなり時の (14ウ) まにいと見ところありてしなさせ給ふ水ふかうやりなしうへ木なとしわた していまはとしつまり給ふこゝちうつゝならす国のかみもしたしき殿人 なれはしのひて心よせつかうまつるかゝる御旅ところともなふ人さはかしけれ ともはか/\しう物をものたまひあはすへき人しなけれはしらぬくにのこゝ地して いとむもれいたくいかて月をすくさましとおほしやらるやう/\事しつまりゆ くになか雨のころになりて京の事もおほしやらるゝに恋しき人おほく 女君のおほしたりしさま春宮の御ことわか君のなに心もなくまきれた まひしなとをはしめこゝかしこ思やりきこえ給ふ京へ人いたしたて給ふ 二条院へたてまつり給ふと入道のとはかきもやりたまはすくらされた たまへり宮には (15オ)     「松しまやあまのとま屋もいかならむすまのうら人 しほたるゝころ」いつと侍らぬ中にもきしかたゆくさきかきくらしみきは まさりてなん内侍のかみの御ともにれいの中納言の君のわたくしことのやう にてなかなるにつれ/\とすきにしかたの思給へ出らるゝにつけて     「こりすまのうらのみるめのゆかしきにしほやくあまや いかにおもはん」さま/\かきつくし給ふことの葉おもひやるへしおほい殿に もさいしやうのめのとにもつかうまつるへきことなとかきつかはす京には此御 ふみところ/\に見給て御心みたれ給ふ人々のみおほかり二条院の 君はそのまゝにおきもあかりたまはすつきせぬさまにおほしこかるれはさふらう 人々もこしらへわひつゝ心ほそう思あへりもてならし給し御てうととも (15ウ) ひきならし給し御琴ぬきすて給へる御そのにほひなとにつけてもいまはと 世になからん人のやうにのみおほしたれはかつはゆゝしうて少納言はそうつに 御いのりの事なと聞ゆ二かたにみすほうなとせさせ給ふかつはかくおほしめし なけく御心しつめ給て思なき世にあらせたてまつりたまへと心くるしきまゝにいのり 申給ふ旅の御とのゐ物なとてうしてたてまつり給ふかとりの御なをしさし ぬきさまかはりたるこゝちするもいみしきにさらぬかゝみのとのたま ひしおもかけのけに身にそひ給へるもかひなし出入給しかたよりゐ 給しまきはしらなと見給ふもむねのみふたかりて物をとかうおもひめ くらし世にしほしみぬるよはひの人たにありましてなれむつひきこ えちゝはゝにもなりておほしたてならはし給へれは恋しう思きこえた (16オ) まへることはり也ひたすら世になくなりなんはいはんかたなくてやう/\わすれ 草もおひやすらんきく程はちかけれといつまてとかきりある御わかれにもあら てとおほすにつきせすなん入道の宮にも春宮の御ことによりおほしなけく さまいとさう也御すくせの程をおほすにはいかゝはあさくはおほされん年 ころはたゝ物のきこえなとのつゝましさにすこしなさけあるけしき見せは それにつけて人のとかめ出る御こともこそとのみひとへにおほししのひつゝあはれをも おほう御らんしすくしすく/\しうもてなし給しをかはかりにうき世の人ことなれと かけてもこのかたにはいひ出ることなくてやみぬるはかはかりの人の御おもむけもあな かちなりし心のひくかたにまかせすかつはめやすくもてかくしつるそかしあはれに さひしうも恋しうもいかゝおほし出さらん御返もすこしこまやかにて此ころはいとゝ (16ウ)     「しほたるゝことをやくにて松しまにとしふるあまも なけきをそつむ」かんの君の御かへり事は     「浦にたくあまたにつゝむこひなれはくゆるけふりよ 行かたそなき」さうなる事ともはこんなとはかりいさゝかにて中納言の君の 中にありおほしなけくさまなといみしういひたりあはれと思きこえ給ふふし/\も あれは打なかれたまひぬひめ君の御ふみは心ことにこまかなりし御返なれはあは れなることおほくて     「うら人のしほくむ袖にくらへみよなみちへたつる よるの衣を」物の色し給へるさまなといときよら也何事もらう/\しう物し給ふを おもふさまにていまはことに/\心あはたゝしうゆきかゝつらふかたもなくしめやかにて (17オ) あるへき物をとおほすにいみしうくちおしうよるひるおもかけにのみおほえてたへ かたう思出られ給へはなをしのひてやむかへましとおほす又打かへしなそやかくなを うき世につみをたにうしなはんとおほせはやかて御さうしんにて明暮をこなひておは すおほい殿のわか君の御事なとあるにもいとかなしけれとをのつからあひ見てんたのもしき 人々物し給へはうしろめたうはあらすとおほしなさるゝは中々此みちのまとはれたまはぬ にやあらんまことやさはかしかりし程のまきれにかきもらしてけりかのいせの宮へも 御つかひありけりかれよりもふりはへたつねまいれりあさからぬ事ともかき給へりことの葉 ふてつかひなとは人よりことになまめかしくいたりふかう見えたりなをうつゝとはおもひ 給へられぬ御すまゐをうけたまはるもあけぬ夜の心まとひかとなんさりとも年 月はへたてたまはしと思やりきこえさするにもつみふかき身のみこそまたき (17ウ) こえさせんこともはるかなるへけれは     「うきめかるいせおのあまをおもひやれもしほたるてふ すまの浦にて」よろつに思給へみたるゝ世のありさまもなをいかに なりはつへきにかとおほかり     「いせしまやしほひのかたにあさりてもいふかひなきは 我身なりけり」物をあはれとおほしけるまゝに打をき/\かき給へる しろきからのかみ四五まひはかりをまきつゝけてすみつきなと見 ところありあはれに思きこえし人を一ふしうしと思きこえし心あや まりにかのみやすところも思うむしてわかれ給にしとおほせはいまにいと おしうかたしけなき物に思きこえ給ふおりからの御ふみいとあはれなれは (18オ) 御つかひさへむつましくて二三日すへさせ給てかしこの物語なとせさせて きこしめすわかやかに気しきあるさふらひの人なりけりかくあはれなる 御すまゐなれはかやうの人もをのつから物とをからてほの見たてまつる御 さまかたちをいみしうめてたしと涙おとしをりけり御返かき給ふことの葉 思やるへしかく世をはなるへき身と思給へましかはおなしくはしたひき こえまし物をなとなんつれ/\とこゝろほそきまゝに     「いせ人のなみのうへこくを舟にもうきめはからて のらましものを」     「あまかすむなけきの中にしほたれていつまてすまのうらになかめむ」# きこえさせん事のいつとも侍らぬこそつきせぬこゝ地し侍なとそありける (18ウ) かやうにいつこにもおほつかなからすきこえかはし給ふ花ちる里もかなしと おほしけるまゝにかきあつめ給へる御心々見給ふおかしきもめなれぬこゝちして いつれも打見つゝなくさめ給へと物おもひのもよほし草なめり     「あれまさる軒のしのふをなかめつゝしけくもつゆの かゝる袖かな」とあるをけにむくらよりほかのうしろみもなきさまにておは すらんとおほしやりてなかめ給になか雨についひちもところ/\くつれてなと きゝ給へは京のけいしのもとにおほせつかはしてちかきくに/\のみさうの 物なともよをさせてすりなとつかうまつるへきよしのたまはすかむの君は 人わらへにいみしうおほしくつをるゝをおとゝいとかなしうし給ふきみ にてせちに宮にも内にもそうし給ふけれはかきりある女御みやす (19オ) ところにもおはせすおほやけさまの宮つかへとおほしなをり又かの にくかりしゆへこそいかめしき事もいてこしとゆるされ給てまいり 給ふへきにつけてもなを心にしみにしかたそあはれにおほえ給ける 七月になりてまいり給いみしかりし御思の名残なれは人のそしり もしろしめされすれいのうへにつとさふらはせ給よろつにうらみ かつはあはれにちきらせ給御さまかたちもいとなまめかしうきよら なれは思出る事のみおほかる心のうちそかたしけなき御あそひのつ いてにその人のなきこそいとさう/\しけれいかにましてさおもふ人おほ からん何事もひかりなきこゝちするかなとのたまはせて院のおほしのた まはせし御心をたかへつるかなつみうらむかしとて涙くませ給ふもえねんし (19ウ) たまはす世中こそあるにつけてもあちきなき物なりけれと思しるまゝに ひさしく世にあらん物となんさらにおもはぬさもなりなんにいかゝおほさるへき ちかき程のわかれに思おとされんこそねたけれといける世によからぬ人の いひをきけんといとなつかしき御さまにて物をまことにあはれとおほしいりて のたまはするにつけてほろ/\とこほれ出れはさりやいつれにおつるまかとのたまはす いまゝてみこたちのなきこそさう/\しけれ春宮を院ののたまはせしさまにお もへとよからぬ事とも出くめれは心くるしうなと世を御心のほかにまつりこちなし給人 のあるにわかき御心のつよきところなき程にていとおしとおほしたる事もおほかり すまにはいとゝ心つくしの秋風に海はすこしとをけれとゆきひらの中納言のせき 吹こゆるといひけん浦なみよる/\はけにいとちかくきこえて又なくあはれなる (20オ) 物はかゝるところの秋なりけり御まへにいと人すくなにて打やすみわたれるにひとり めをさましてまくらをそはたてゝよもの嵐を聞給ふに浪たゝこゝももにたち くるこゝちして涙おつともまくらうくはかりになりにけりきんをすこしかきならし 給へるか我なからいとすこうきこゆれはひきさし給て     「恋わひてなくねにまかふうら浪はおもふかたより 風や吹らん」とうたひ給へるに人々おとろきてあひなうおきゐつゝはなをしのひやかに かみわたすけにいかにおもふらん我身一によりおやはらからかた時立はなれかたく程に つけつゝおもふらん家路をわかれてかくまとひあへるとおほすにいみしくていとかく 思しつむさまを心ほそしとおもはんとおほせはひるはなにくれとたはふれこと打のたま ひまきらはしつれ/\なるまゝに色々のかみをつきつゝてならひをし給めつらしき (20ウ) さまなるからのあやなとにさま/\のゑともをかきすさひ給へる屏風のおもてとも なといとめてたく見ところあり人々のかたりきこえし海山のありさまはるかに思ひ やりしを御めにちかくてはけにをよはぬ磯のたゝすまゐかきりなくかきあつめ 給へり此ころの上すにすめるちえたつねのりなとをめしてつくりゑつかうまつらせ はやと心もとなかりあへりなつかしうめてたき御さまによの物おもひわすれてちかう なれつかうまつるをうれしき事にて四五人はかりそつとさふらひけるせんさいの 花いろ/\さきみたれておもしろき夕暮に海見やらるゝらうに出給てたゝ すみ給ふ御さまゆゝしうきよらなる事ところからはまして此世の物とも見えた まはすしろきあやのなよゝかなるにしほん色なとたてまつりてこまやかなる 御なをしおひしとけなく打みたれ給へる御さまにて釈迦牟尼仏のてしとなの (21オ) りてゆるゝかによみ給へるまた世にしらす聞ゆ沖より舟とものうたひのゝしりて こきゆくなとも聞ゆほのかにたゝちひさき鳥のうかへると見やらるゝも心ほそけ なるに雁のつらねてなくこゑかちの音にまかへるを打なかめ給て涙のこほるゝを かきはらひ給へる御てつきくろきの御すゝにはへ給へるはふるさとの女恋しき人々 の心みななくさみにけり     「はつ雁はこひしき人のつらなれやたひの空とふこゑのかなしき」# とのたまへはよしきよ     「かきつらねむかしのことそおもほゆるかりはそのよの ともならねとも」みふのたゆう     「こゝろからとこ世をすてゝなく雁の雲のよそにも (21ウ) おもひけるかな」さきのうこんのせう     「とこ世いてゝ旅のそらなる雁かねもつらにをくれぬ 程そなくさむ」ともまとはしてはいかに侍らましといふはおやのひたちになりて くたりしにもさそはれてまいれるなりけりしたには思くたくへかめれと ほこりかにもてなしてつれなきさまにありく月いと花やかにさし出たるに こよひは十五夜の程なりけりとおほし出て殿上の御あそひ恋しくところ/\なかめ 給ふらんかしと思やり給につけても月のかほのみまもられ給ふ二千里外故 人心とすし給へるれいの涙もとゝめられす入道の宮の霧やへたつるとのたま はせし程いはんかたなく恋しくおり/\の事思出給によゝとなかれ給ふ夜ふけ 侍りぬときこゆれとなをいりたまはす (22オ)     「見るほとそしはしなくさむめくりあはん月のみやこは はるかなれとも」そのようへのいとなつかしうむかし物語なとし給し御さまの院 ににたてまつり給へりしもこひしくおもひ出きこえ給て恩賜の御衣は いまこゝにありとすし給つゝいりたまひぬまことに御そは身はなたす かたはらにをき給へり     「うしとのみひとへにものはおもほえてひたりみきにも ぬるゝ袖哉」そのころ大弐はのほりけるいかめしくるいひろくむすめかち にてところせかりけれはきたのかたは舟にてのほる浦つたひにせう ようしつゝくるにほかよりもおもしろきわたりなれは心とまるに大将 かくておはすときけはあひなうすいたるわかきむすめたちは舟の (22ウ) うちさへはつかしうこゝろけさうせらるまして五せつの君はつなて ひきすくるもくちおしきに琴のこゑ風につきてはるかにきこゆるに ところのさま人の御ほと物のねの心ほそさとりあつめ心あるかきり みななきにけりそち御せうそこきこえたりいとはるかなるほと よりまかりのほりてはまついつしかとくまいりさふらひて都の御物語 もとこそおもひ給へ侍つれ思のほかにかくておはしましける御すみかをまかりすき 侍かたしけなうかなしうも侍かなあひしりて侍る人々さるへきこれかれまて きむかひてあまた侍れはところせまをおもひ給へはゝかり侍事とも侍て えさふらはぬ事ことさらにまいり侍らんなとこのちくせんのかみそまいれる このとのゝ蔵人になしてかへりみ給し人なれはいともかなしいみしとおもへ (23オ) とも又見る人々のあれはきこえをおもひてしはしもえ立とまらす都 はなれてのちむかししたしかりし人々あひ見る事かたうのみなりにたる にかくわさと立より物したる事とのたまう御返もさやうになんかみはなく/\ かへりておはする御ありさまかたるにそちをはしめむかへの人々まか/\しう なきみちたり五せちはとかくしてきこえたり     「ことのねにひきとめらるゝつなてなはたゆたふこゝろ 君しるらめや」すき/\しさも人なとかめそときこえたりほゝゑみて見 たまういとはつかしけなり     「こゝろありてひきてのつなのたゆたはゝ打すきましや すまの浦浪」いさりせんとはおもはさりしはやとありむまやのをさ (23ウ) にくしとらする人もありけるをましておちとまりぬへきなんおほえ 都には月日すくるまゝにみかとをはしめたてまつりて恋きこゆるおり ふしおほかり春宮はましてつねにおほし出つゝしのひてなき給ふを見たて まつる御めのとましてみやうふの君はいみしうあはれに見たてまつる入道の 宮は春宮の御ことをゆゝしうのみおほしゝに大将もかくさすらへ給ぬる をいみしうおほしなけかる御はらからのみこたちむつかしうきこえ給し かんたちめなとはしめつかたはとふらひきこえ給なとありきあはれなる ふみをつくりかはしそれにつけても世中にのみめてられ給へはきさひ の宮きこしめしていみしうのたまひけりおほやけのかうしなる人は 心にまかせてこのよのあちはひをたにしる事かたうこそあなれ (24オ) おもしろき家ゐをして世中をそしりもときてかのしかをさして むまといひけん人のひかめるやうについせうするなとあしき事とも きこえけれはわつらはしくてたえてせうそこきこえ給人なし 二条院のひめ君は程ふるまゝにおほしなくさむおりなしひんかしの たいにさふらひし人々もみなわたりまいりにしはしめはなとかさしもあ らむと思しかと見たてまつりなるゝまゝになつかしうおかしき御ありさま まめやかなる御心はへも思やりふかうあはれはまかてちかもなしなへて ならぬきはの人々にはほの見えなとし給ふそこらの中のすくれたる御心さし もことはりなりけりと見たてまつるかの御すまゐには恋しきまゝにえねんし すくすましうおほえ給へと我身たにあさましきすくせとおほゆる (24ウ) すまゐにいかてか打くしてはつきなからんさまを思かへし給ところにつけ てよろつの事さまかはり見給へしらぬしも人のうへをも見給ならはぬ 御こゝ地にめさましうかたしけなう身つからおほさるけふりのいとちかく 時々たちくるをこれやあまのしほやくならむとおほしわたるはおはします うしろの山に柴といふ物ふすふるなりけりめつらかにて     「山かつのいほりにたけるしは/\もことゝひこなん こふる里人」冬になりて雪ふりあれたるころ空のけしきもすこく なかめ給て琴をひきすさひ給てよしきよにうたうたはせ大輔に よこふえふきてあそひ給心とゝめてあはれなる手なとひき給へるにこと物の こゑともはやめて涙をのこひあへりむかしここくにつかはしけん女をおほしやりて (25オ) ましていかなりけんと此世にわか思きこゆる人なとをさやうにはなちやりたらん ことなとおもふもあらむことのやうにおもふもゆゝしうて霜のゝちの夢とすし 給ふ月いとあかうさしいりてはかなき旅のおましところはおくまてくまなし ゆかのうへに夜ふかき空もみゆ入かたの月影すこくみゆるにたゝこれ西にゆく なりとひとりこちたまひて     「いつかたの雲路にわれもまよひなん月のみるらむ こともはつかし」とひとりこち給てれいのまとろまれぬあかつきの空に千とりいと あはれになく     「ともちとりもろこゑになくあかつきはひとりねさめの とこもたのもし」又おきたる人もなけれは返々ひとりこちてふし給へり夜 (25ウ) ふかく御てうつまいりねんすなとし給もめつらしきことのやうにめてたうのみ おほえ給へはえ見たてまつりすてす家にあからさまにもえ出さりけりあかしの 浦はたゝはひわたる程なれはよしきよのあそんかの入道のむすめを思出てふみ なとやりけれとかへり事もせすちゝの入道そ聞ゆへき事なんあからさまにたい めんもかなといひけれとうけひかさらん物ゆへゆきかゝりてむなしくかへらんうし ろてもをこなるへしとくむしいたうていかすよにしらす心たかくおもへるにくにの うちはかみのゆかりのみこそはかしこきことにすめれとひかめる心はさらにさもお もはて年月をへにけるに此君かくておもはすと聞てはゝ君にかたらふやときり つほの更衣の御はらの源氏のひかる君こそおほやけの御かしこまりにてすまの 浦に物し給なれあこの御すくせにておほえぬことのある也いかてかゝるついてにこの (26オ) 君にたてまつらんといふはゝあなかたはや京の人のかたるをきけはやむことなき 御めともいとおほくもち給てそのあたりしのひ/\にみかとの御めをさへあやまり 給てかくもさはかれ給なる人はまさにかくあやしき山かつを心とゝめ給てんやと いふはらたちてえしりたまはしおもふ心こと也さる心をし給へついてしてこゝにもおはし まさせんと心をやりていふもかたくなしくみゆまはゆきまてしつらひかしつきけり はゝ君もなとかめてたくとも物のはしめにつみにあたりてなかされておはしたらん 人をしも思かけんさても心をとゝめ給ふへくはこそあらめたはふれにてもあるましき 事なりといふをいといたくつふやくつみにあたる事はもろこしにもわかみかとにもかく 世にすくれ何事にも人にことになりぬる人のかならすある事也いかに物し給君そこ はゝみやすところはをのかをちに物し給しあせちの大納言の御むすめ也いとかう (26ウ) さくなる名をとりて宮つかへにいたしたりしにこくわうすくれて時めかし給 ことならひなかりける程に人のそねみおほくてうせ給にしかと此君のとまり給へる いとめてたしかし女は心たかくつかうへき物也をのれかゝるゐなか人なりとておほしすてし なといひいたり此むすめすくれたるかたちならねとなつかしうあてはかに心はせある さまなとそけにやむことなき人にをとるましかりける身のありさまをくちおしき 物に思しりてたかき人は我をなにの数にもおほさし程々につけたる世をはさらに 見しいのちなかくておもふ人々にをくれなはあまにもなりなん海のそこにも入なんなと そ思けるちゝ君ところせく思かしつきて年に二たひすみよしにまうてさせけり 神の御しるしにそ人しれすたのみ思けるすまには年かへりて日なかくつれ/\なる にうへしわか木の桜ほのかにさきそめて空のけしきうらゝかなるによろ (27オ) つのことおほし出られて打なき給おりおほかり三月廿日あまりいにし年京をわかれし 時心くるしかりし人々の御ありさまなといと恋しくなん殿の桜はさかりになりぬらん一とせ の花のえんに院の御けしき内のうへのいときよらにままめひてわかつくれるくをすし 給しもおもひ出きこえ給う     「いつとなく大みや人のこひしきにさくらかさしし けふもきにけり」いとつれ/\なるにおほい殿の三位の中将はいまは宰相になりて人 からのいとよけれは時世おほえをもくて物し給へと世中あはれにあちきなく物の おりことに恋しくおほえ給へは事のきこえありてつみにあたるともいかゝはせんとおほし なしてにはかにまうて給打みるよりめつらしううれしきにひとつ涙そこほれけるすま ゐ給へるさまいはんかたなくからめひたりところのさまゑにかきたらんやうなるに竹の (27ウ) あめるかきしわたしていしのはし松のはしらおろそかなる物からめつらかに おかし山かつめきてゆるし色のきかちなるをあをにひのかりきぬさしぬき打やつ れてことさらにゐなかひもてなし給へるしもいみしうみるにゑまれてきよら也とりつか ひ給へるてうともかりそめにしなしておましところもあらはに見いれらる碁す くろくのはんてうとたきのくなとゐ中わさにしなしてねんしゆのくをこなひ つとめ給ふけりと見えたり物まいれるなとことさらところにつけけしうありて しなしたりあまともあさりしてかひつ物もてまいれるをめし出て御らんす浦に 年ふるさまなととはせ給にさま/\やすけなき身のうれへを申そこはかとなく さえつるも心のゆくゑはおなし事なにかことなるとあはれにみ給ふ御そともなと かつけさせ給をいけるかひありとおもへり御馬ともちかうたてゝ見やりなる (28オ) くらもちかなにそなるいねなといふ物とり出てかうなとめつらしう見給あすか 井すこしうたひて月ころの御物語なきみわらひみわか君のなにとも世を おほさて物し給ふかなしさをおとゝの明暮につけておほしなけくなとかたり給 にたへかたくおほしたりつきすへくもあらねは中々かたはしもえまねはす夜 もすからまとろますふみつくりあかし給ふさいひなからも物のきこえをつゝみても いそきかへり給ふいと中々也御かはらけまいりてゑみのかなしみに涙そゝく春 のさか月のうちともろこゑにすし給御ともの人も涙をなかすをのかしゝはつか なるわかれおしむへかめり朝ほらけの空に雁のつれてわたるあるしの君     「ふるさとをいつれのはるかゆきてみんうらやましきはかへる雁金」# さいしやうさらにたちいてんこゝちせて (28ウ)     「あかなくにかりのとこよを立わかれ花のみやこに みちやまとはん」さるへき都のつとなとよしあるさまにてありあるしの 君かくかたしけなき御をくりにくろ駒たてまつり給ゆゝしうおほされぬへけ れと風にあたりてはいはえぬへけれはなと申給世にありかたけなる御馬の さま也かたみにしのひ給へとていみしきふえの名ありけるなとはかりそ人 とかめつへき事はかたみにえしたまはす日やう/\さしあかりて心あはたゝ しけれはかへりみのみしつゝ出給を見をくり給気しきいと中々也いつ又た いめんたまはらんとすらんさりともかくてやはと申給にあるし     「雲ちかくとひかふたつも空に見よわれははる日のくもりなき身そ」# かつはたのまれなからかくなりぬる人はむかしのかしこき人たにはか/\しう (29オ) 世に又ましらう事かたく侍けれはなにか都のさかひを又みんと なん思侍らぬなとのたまう宰相     「たつかなき雲井にひとりねをそなくつはさならへし ともを恋つゝ」かたしけなくなれきこえ侍ていとしもとくやしう思 給へらるゝおりおほくなんとしめやかにもあらてかへり給ぬる名残いとゝ かなしうなかめくらし給やよひのついたちに出来たるみの日けふなん かくおほす事ある人はみそきし給ふへきとなまさかしき人のきこ ゆれは海つらもゆかしうて出給ふいとおろそかにせしやうはかりを ひきめくらして此国にかよひけるをんやうしめしてはらへせさせ給 舟にこと/\しき人かたのせてなかすを見給にもよそへられて (29ウ)     「しらさりし大うみのはらになかれきて人かたにやは 物はかなしき」とてゐ給へる御さまさるはれに出ていふよしなく見え給ふ 海のおもてうら/\となきわたりてゆくゑもしらぬにこしかたゆくさき おほしつゝけられて     「やをよろつ神もあはれとおもふらんをかせるつみの それとなけれは」とのたまうににはかに風ふき出て空もかきくれぬ 御はらへもしはてすたちさはきたりひちかさ雨とかふりきていとゝあは たゝしけれはみなかへりたまはんとするにかさもとりあへすさる心も なきによろつふきちらし又なき風也浪いといかめしうたちきて 人々のあしを空なり海のおもてはふすまをはりたらんやうに (30オ) ひかりみちて神なりひらめきおちかゝるこゝちしてたとりきて かゝるめを見すもあるかな風なとはふくけしきつきてこそあれあさましう めつらかなりとまとふになをやますなりみちて雨のあしあたるところとを りぬへくはらめきおつかくて世はつきぬるにやと心ほそく思まとふに 君はのとやかにきやう打すしておはす暮ぬれは神すこしなりやみて 風そよるもふくおほくたてつるくわんのちからなるへしいましはしかく あらは浪にひかれていりぬへかりけりたかしほといふ物になんとり あへす人そこなはるゝとはきけといとかゝる事いまたしらすといひ あへりあかつきかたみな打やすみたり君もいさゝかねいり給へれは そのさまとも見えぬ人きてなと宮よりめしあるにはまいりたまはぬ (30ウ) とてたとりありくと見るにおとろきてさはうみの中のりう わうのいといたう物めてする物にて見いれたるなりけりとおほ すにいとものむつかしうこのすまゐたへかたくおほしなりぬ ---------------------------------------------------------------------------------- 底本:Japanese Rare Book Collection (Library of Congress) LC Control No.2008427768 翻字担当者:小川千寿香、斎藤達哉、大石裕子、淺川槙子 更新履歴: 2011年3月24日公開 2012年9月5日更新 ---------------------------------------------------------------------------------- 修正箇所(2012年9月5日修正) 丁・行 誤 → 正 (1オ)1 世中 → 世の中 (4オ)3 とまり給て → とゝまり給て (4オ)6 有明の → 在明の (6オ)1 よを → 世を (6ウ)7 物くるほをしき → 物くるほしき (7ウ)3 給ひて → 給て (9オ)5 御もと → 御とも (10オ)1 御心はえ → 御心はへ (10ウ)1 まとひ → まよひ (11オ)1 申し給ふ → 申給ふ (16オ)4 さら也 → さう也 (16ウ)4 さらなる → さうなる (25オ)1 いかなりけん → いかなりけんと (25オ)2 霜ののちの → 霜のゝちの (25オ)6 まとひ → まよひ (28オ)4 つきすへても → つきすへくも (28ウ)2 とはん → まとはん (29ウ)5 思ふらん → おもふらん