米国議会図書館蔵『源氏物語』 薄雲 ---------------------------------------------------------------------------------- 記号の説明 1.くの字点は/\で表す。 2.和歌は「」で括る。 3.散らし書き和歌の末尾に#を付ける。 4.判読できない文字は■で表す。 本文の修正 1.翻字本文を修正した場合には、修正履歴を末尾に示す。 ---------------------------------------------------------------------------------- うす雲 (1オ) 冬になりゆくまゝに川つらのすまゐいと心ほそさまさり てうはの空なるこゝちのみしつゝあかしくらすを君もなをかく てはえすくさしかのちかきところに思たちねとすゝめ給へとつらき ところおほく心見はてんも残りなきこゝちすへきをいかにいひてか なといふやうに思みたれたりさらは此わか君をかくてのみはひん なき事也おもふ心あれはかたしけなしたいに聞をきてつねにゆかし かるをしはし見ならはさせてはかまきの事なとも人しれぬさまならす しなさんとなん思ふとなめやかにかたらひ給ふさおほすらんと思わたる事 なれはいとゝむねつふれぬあらためてやむことなきかたにもてなされ給ふ とも人のきかん事は中々にやつくろひかたくおほされむとてはなちか (1ウ) たく思たることはりにはあれとうしろやすからぬかたにやなとはなうたかひ給そ かしこには年へぬれとかゝる人もなきかさう/\しくおほゆるまゝに前斎宮の おとなひ物し給ふをたにこそあなかちにあつかひ聞ゆめれはましてかくにくみかた けなめる程ををろかには見はなつましき心はへになんと女君の御ありさまの思ふ やうなる事もかたり給けにいにしへはいかはかりのことにさたまり給ふへきにかと つてにもほのきこえし御心の名残なくしつまり給へるはおほろけの御すく世に もあらす人の御ありさまもこゝらの御中にすくれ給へるにこそはと思やられて 数ならぬ人のならひ聞ゆへきおほえにもあらぬをさすかに立出て人もめさまし とおほす事やあらん我身はとてもかくてもおなし事おひさきとをき人の御 うへもつゐにはかの御心にかゝるへきにこそあめれさりとならはけにかう (2オ) なに心なき程にやゆつりきこえましとおもふ又手をはなちて うしろめたからん事つれ/\もなくさむかたなくてはいかゝはあかし くらすへからむなにゝつけてか玉さかの御たちよりもあらんなと さま/\思みたるゝに身のうき事かきりなしあま君おもひやり ふかき人にてあちきなし見たてまつらさらん事はいとむねいたかり ぬへけれとつゐに此御ためによかるへからむ事をこそおもはめあさ くおほしてのたまう事にもあらしたゝ打たのみきこえて わたしたてまつり給てよはゝかたからこそみかとのみこもきは/\ におはすめれ此おとゝの君の世にふたつなき御ありさまなから よにつかへ給ふはこ大なこんのいま一きさみ也をとり給てかう (2ウ) いはうといはれ給しけちめにこそはおはすめれましてたゝ人は なすらふへき事にもあらす又みこたち大臣の御はらといへと なをさしむかひたるをとりのところには人も思をとしおやの 御もてなしもえひとしからぬ物也まして是はやむことなき御かた/\ にかゝる人いて物したまはゝこよなくけたれ給なんほと/\につけて はおやにも一ふしもてかしつかれぬる人こそやかておとしめられぬ はしめとはなれ御はかまきの程もいみしき心をつくすともかゝる み山かくれにてはなにのはへかあらんたゝまかせきこえ給てもてなしき こえたまはんありさまをも聞給へとをしうさかしき人の心のうらとも にも物とはせなとするにもなをわたり給てはまさるへしとのみいへは (3オ) 思よはりにたり殿もしかおほしなからおもはんところのいとおしさにしゐて もえのたまはて御はかまきの事いかやうにかとのたまへる御かへりによろつの ことかひなき身にたくへきこえてはけにおひさきもいとおしかるへくおほえ 侍を立ましりてもいかに人わらへにやときこえたるをいとゝあはれにおほす 日なととらせ給てしのひやかにさるへき事なとのたまひをきてさせ給ふはなち きこえむ事はなをいとあはれにおほゆれと君の御ためよかるへき事をこそは とねんすめのとをもひきわかれなん事明暮の物おもはしさつれ/\をも打かた らひてなくさめならひつるにいとゝたつきなき事をさへとりそへいみしく おほゆへき事と君もなくめのともさるへきにやおほえぬさまにて見たて まつりそめて年ころの御心はへわすれかたう恋しうおほえ給ふへきを打 (3ウ) たへ聞ゆる事はよも侍らしつゐにはとたのみなからしはしにてもよそ/\に 思のほかのましらひし侍らんかやすからす侍へきかななと打なきつゝすくす 程にしはすにもなりぬ雪あられかちに心ほそさまさりてあやしくさま/\に 物おもふへかりける身かなと打なけきてつねよりも此君をなてつくろひつゝ 見ゐたり雪かきくらしふりつもるあしたきしかたゆくすゑの事残らす思ひ つゝけてれいはことにはしちかなるいてゐなともせぬをみきはの氷なと見 やりてしろききぬとものなよらかなるあまたきてなかめゐたるやうたい かしらつきうしろてなとかきりなき人と聞ゆともからこそはおはすらめと人々も 見るおつる涙をかきはらひてかやうならんひましていかにおほつかなからんとらう たけにうちなけきて (4オ)     「雪ふかみみ山のみちははれすともなをふみかよへ 跡たえすして」とのたまへはめのとうちなきて     「雪まなきよしのゝ山をたつねてもこゝろのかよふ あとたえめやは」といひなくさむ此雪すこしとけてわたり給へりれいはまち きこゆるにさならんとおほゆる事によりむね打つふれて人やりならすお ほゆ我心にこそあらめいなひきこえんをしゐてやはあちきなとおほゆれと かる/\しきやうなりとせめて思かへすいとうつくしけにてまへにゐ給へるを見 給ふにをろかには思かたかりける人のすく世かなとおほす此春よりおほす 御くしあまそきの程にてゆう/\とめてたくつらつきまみのかほれる程なと いへはさらなりよその物に思やらん程の心のやみをしはかり給にいと心くるし (4ウ) けれは打かへしのたまうあかすなにかゝくちおしき身の程ならすたに もてなしたまはゝと聞ゆる物からねんしあへす打なくけはひあはれ也ひめ君は なに心もなく御くるまにのらん事をいそき給よせたるところにはゝ君身つから いたきて出給へりかたことのこゑはいとうつくしうて袖をとらへてのり給へとひくもいみしうおほえて     「すゑとをき二葉の松にひきわかれいつか木たかき かけを見るへき」えもいひやらすいみしうなけはさりやあなくるしとおほして     「おひそめしねもふかけれはたけくまの松にこまつの 千代をならへん」のとかにをとなくさめ給うさる事とは思しつむれとえなん たへさりけるめのと少将とてあてやかなる人はかり御はかしあまかつやうの 物とりてのる人たまひによろしきわか人わらはなとのせて御をくりに (5オ) まいらすみちすからとまりつる人の心くるしさをいかにつみやうら やむとおほすくらうおはしつきて御くるまよするより花やかにけはひことなる をゐ中ひたるこゝちともははしたなくてやましらはんと思つれと西おもてを ことにしつらはせ給てちいさきてうとともうつくしけにとゝのへさせ給へり めのとのつほねには西のわた殿の北にあたれるをせさせ給へりわか君は みちにてね給にけりいたきおろされてなきなとしたまはすこなたにて御く た物まいりなとし給へとやう/\見めくらしてはゝ君の見えぬをもとめてらう たけに打ひそみ給へはめのとめし出てなくさめまきらはしきこえ給山里の つれ/\ましていかにとおほしやるはいとおしけれと明暮おほすさまにかしつ きつゝ見給へは物あひたるこゝちし給ふらんいかにそや人のおもふへききす (5ウ) なくは此わたりに出おはせてとくちおしうおほさるしはしは人々もとめて なきなとし給しかと大かた心やすくおかしき心さまなれはうへにいとよく つきむつひきこえ給へれはいみしううつくしき物えたりとおほしけること/\ なくいたきあつかひもてあそひきこえ給てめのともをのつからちかうつ かうまつりなれにけり又やむことなき人のちあるそへてまいり給御はかまきは なにはかりわさとおほしいそくことはなけれと気しきことなり御しつらひひい なあそひのこゝ地しておかしう見ゆまいり給へるまらうとともたゝ明 暮のけちめしなけれはあなかちにめもたゝさりきひめ君のたすき ひきゆひ給へるむねつきそうつくしけさそひて見え給へるおほ井には つきせす恋しきにも身のをこたりをなけきそへたりさこそいひしか (6オ) あま君もいとゝ涙もろなれとかくもてかしつかれ給をきくはうれし かりけりなに事をか中々さふらひきこえのこさんたゝ御かたの人々にめのと よりはしめて世になき色あひを思いそきてそをくりきこえ給ける 待とをならんもいとゝされはよとおもはんにいとおしけれは年のうちにしのひ てわたり給へりいとゝさひしきすまゐに明暮のかしつく草をさへはな れきこえて思ふらんことの心くるしけれは御ふみなともたえまなく つかはす女君もいまはことにえしきこえたまはすうつくしき人に つみゆるしきこえ給へり年もかへりぬうらゝかなる空におもふ 事なき御ありさまはいとめてたくみかきあらため給へる御よはひにまいり つとひ給める人のおとなしき程の七日の御よろこひなとし給ひき (6ウ) つれ給へりわかやかなるはなにともなくこゝちよけに見え給ふつき/\の 人も心のうちには思ふ事もやあらんうはへはほこりかに見ゆるころほひな りかしひんかしの院のたいの御かたもありさまはこのましうあら まほしきさまにさふらふ人々わらはへのすかたなと打さけす 心つかひしつゝすくし給にちかきしるしはこよなくてのとかなる御いと まのひまなとにはふとはいわたりなとし給へとよるたちとまりなと やうにわさとは見えたまはすたゝ御心さまのおいらかにこめきてかはかり の御すく世なりける身にこそあらめと思なしつゝありかたきまてうしろ やすくのとかに物し給へはおりふしの御心をきてなともこなたの御あり さまにをとるけちめこよなからすもてなし給ふてあなつり聞ゆへうは (7オ) あらねはおなしこと人まいりつかうまつりてへたうともゝことをこたらて 中々みたれたるところなくめやすき御ありさま也山さとのつれ/\をもたえ すおほしやれはおほやけわたくし物さはかしき程すくしてわたり給とてつね よりことに打けさうし給て桜の御なをしにえならぬ御そひきかさねて たきしめさうそき給てまかり申給ふさまくまなき夕日にいとゝしくきよら に見え給を女君たゝならす見たてまつりをくり給ひめ君はいはけなく 御さしぬきのすそにかゝりてしたひきこえ給程にとにも出たまはぬへけれ は立とまりていとあはれとおほしたりこしらへをきてあすかへりこんとくち すさひて出給にわた殿のくちに待かけて中将の君してきこえ給へり     「舟とむるをちかた人のなくはこそあすかへりこむ (7ウ) せなと待見め」いたうなれて聞ゆれはいとにほひやかにほゝゑみて     「ゆきて見てあすもさねこん中々にをちかた人は 心をくとも」何事とも聞わかてされありき給人をうへはうつくしと見給へは をちかた人のめさましさもこよなくおほしゆるされにたりいかに思ひ をこすらん我にていみしう恋しかりぬへきさまをと打まもりつゝふところに いれてうつくしけなる御ちをくゝめ給つゝたはふれゐ給へる御さま見ところ おほかりおまへなる人々はなとかおなしくはいてやなとかたらひあへりかし こにはいとのとやかに心はせあるけはひにすみなして家のありさまも やうはなれめつらしきにみつからのけはひなとは見るたひことにやむ ことなき人々なとにをとるけちめこよなからすかたちようゐあらま (8オ) ほしうねひまさりゆくたゝよのつねのおほえにかきまきれたらは さるたくひなくやはと思ふへきを世ににぬひか物なるおやのきこえなと こそくるしけれ人の程なとはさてもあへきをなとおほすはつかにあかぬ程に のみあれはにや心のとかならす立かへり給もくるしくて夢のわたりのうき 橋とのみ打なけかれてさうのことのあるをひきよせてかのあるしにて さ夜ふけたりしねもれいのおほし出らるれはひわをわりなくせめ給へは すこしかきあはせたるいかてかかうのみひきくしけんとおほさるわか君の 事なとこまやかにかたりつゝおはすこゝはかゝるところなれとかやうに立とまり 給おり/\あれははかなきくた物こはいゐはかりはきこしめすおりもありちかき 御てらかつら殿なとにおはしましまきらはしつゝいとまほにはみたれたまはね (8ウ) とも又いとけさやかにはしたなくをしなへてのさまにはもてなしたまはぬなと こそはいとおほえことには見ゆめれ女もかゝる御心の程を見しりきこえてすき たりとおほすはかりの事はしいてす又いたくひけせすなとして御心をきてに もてたかふ事なくいとめやすくそありけるおほろけにやむことなきところにて たにかはかりに打とけ給事なくけたかき御もてなしを聞をきたれはちかき程 にましらひては中々いとゝめなれて人あなつられなる事もそあらまし玉さかにて かやうにふりはへ給へるこそたけきこゝちすれと思ふへしあかしにもさこそ いひしか此御心をきてありさまをゆかしかりておほつかなからす人はかよはしつゝむね つふるゝ事もあり又おもたゝしくうれしと思ふ事もおほくなんありけりそのころ おほきおとゝうせたまひぬ世のおもしとおはしつる人なれはおほやけにもおほし (9オ) なけくしはしこもり給へりし程をたにあめのしたのさはきなりしかはまして かなしと思ふ人おほかり源氏のおとゝもいとくちおしくよろつの事をしゆつり きこえていとまもありつるを心ほそく事しけくもおほされてなけきおはす みかとは御年よりはこよなうおとな/\しうねひさせ給て世のまつりことも うしろめたく思きこえ給ふへきにはあらねとも又とりたてゝ御うしろ 見し給うへき人もなきを誰にゆつりてかはしつかなる御ほいもかなはんとおほ すにいとあかすくちおし後の御わさなとにも御こともむまこにすきて なんこまやかにとふらひあつかひ給けるそのとし大かた世中さはかしくて おほやけさまに物のさとししけくのとかならてあまつ空にもれいに たかへる月日ほしのひかり見え雲のたゝすまゐありとのみ世の人おとろく (9ウ) 事おほくてみち/\のかんかへふみともたてまつれるにもあやしく世になへて ならぬ事ともましりたりうちのおとゝのみなん御心のうちにわつらはしくおほし しる事ありける入道きさひの宮春のはしめよりなやみわたらせ給て三月 にはいとをもくならせたまひぬれはみゆきなとあり院にわかれたてまつらせた まひし程はいといはけなくて物ふかくもおほされさりしをいみしうおほしなけ きたる御けしきなれは宮もいとかなしうおほしめさることしはかならすのか るましき年と思給へつれとおとろ/\しきこゝ地にも侍らさりつれはいのち のかきりしりかほに侍らんも人やうたてこと/\しうおもはんとはゝかりて なんくとくのこともわさとれいよりもとりわきてしも侍らすなりに けるまいりて心のとかにむかしの御物語もなと思給へなからうつしさま (10オ) なるおりすくなく侍てくちおしくいふせくてすき侍ぬる事といとよはけに きこえ給三十七にそおはしましけるされといとわかくさかりにおはしますさま をおしくかなしと見たてまつらせ給つゝしませ給ふへき御年なるにはれ/\しから て月ころすきさせ給事をなけき侍つるに御つゝしみなとをもつねよりことに せさせたまはさりける事といみしうおほしめしたりたゝ此ころそおとろき てよろつの事をせさせ給月ころはつねの御なやみとのみ打たゆみ たりつるを源氏のおとゝもふかくおほしいりたつかきりあれは程なくかへ らせ給もかなしき事おほかり宮いとくるしうてはか/\しう物もきこえ たまはす御心のうちにおほしつゝくるにたかきすく世のさかへもならふ人なく 心のうちにあかす思ふ事も人にまさりける身とおほししらるうへの夢の (10ウ) なかにもかゝる事の心をしらせたまはぬをさすかに心くるしう見たてまつり 給て是のみそうしろめたくむすほゝれたる事におほしをかるへきこゝ地 し給けるおとゝはおほやけかたさまにてもかくやむことなき人のかきり 打つゝきうせ給なんことをおほしなけく人しれぬあはれはたかきりなくて 御いのりなとおほしよらぬ事なし年ころおほしたえたりつるすちさへいまひと たひきこえすなりぬるかいみしくおほさるれはちかきみきちやうのもとに よりて御ありさまなともさるへき人々にとひ聞給へはしたしきかきりさふら いてこまかに聞ゆ月ころなやませ給へる御こゝちに御をこなひを時のまも たゆませたまはすせさせ給つもりのいとゝいたうくつをれさせ給へるに 此ころとなりてはかうしなとをたにふれさせたまはすなりにたれはたのみとこ (11オ) ろなくならせ給にたることゝなきなけく人々おほかり院の御ゆひこんにか なひてうちの御うしろみつかうまつり給事年ころ思しり侍ことおほかれとなにゝ つけてかその心よせことなるさまをももらしきこえんとのみのとかに思侍ける をいまなんあはれにくちおしくとほのかにのたまはするもほの/\聞ゆるに御 いらへもきこえやりたまはすなき給さまいといみしなとかうしも心よはきさま にと人めをおほしかへせといにしへよりの御ありさまを大かたの世につけてもあたら しくおしき人の御さまを心にかなふわさならねはかけとゝめきこえんかたなく いふかひなくおほさるゝ事かきりなしはか/\しからぬ身なからもむかしより御うしろみ つかうまつるへきことを心のいたるかきりをろかならすおもふ給へるにおほきおとゝの かくれ給ぬるをたに世中の心あはたゝしく思給へらるゝに又かくおはし (11ウ) ませはよろつに心みたれ侍て世に侍らん事も残りなきこゝちなんし侍ると きこえ給程にともし火なとのきえいるやうにてはて給ぬれはいふかひなく かなしき事をおほしなけくかしこき御身の程と聞ゆる中にも御心はへなとのよの ためにもあまねくあはれにおはしましてかうけにことよせて人のうれへと ある事なとをのつから打ましるをいさゝかもさやうなる事のみたれなく 人のつかうまつる事をも世のくるしみとあるへき事をはとゝめ給くとくのかた とてもすゝむるにより給ていかめしうめつらしうし給人なとむかしのさかしき 世にみなありけるを是はさやうなる事なくたゝもとよりのたから物 えたまうへきつかさかうふり御ふの物のさるへきかきりしてまことに心ふか き事とものかきりをしをかせ給へれはなにとわくましき山ふしなとまて (12オ) おしみ聞ゆおさめたてまつるにも世中ひゝきてかなしとおもはぬ人なし殿上 人なとなへてひとつ色にくろみわたりて物のはへなき春の暮也二条院の おまへの桜を御らんしても花のえんのおりなとおほしいつことしはかりはとひとり こち給て人の見とかめつへけれは御ねんすたうにこもりゐ給てひ一日なき くらし給夕日花やかにさして山きはの木すゑあらはなるに雲のうすくわたれる かにひ色なるをなにとも御めとゝまらぬころなれと物あはれにおほさる     「いり日さすみねにたなひくうす雲はものおもふ袖に 色やまかへる」人きかぬところなれはかひなし御わさなともすきて事ともしつ まりてみかと物心ほそくおほしたり此入道の宮の御はゝきさきの御世よりつた はりてつき/\の御いのりの師にてさふらひたてまつる僧都こ宮にもいとやむこと (12ウ) なくしたしき物におほしたりしをおほやけにもをもき御おほえにていかめしき 御くはんともおほくたてゝ世にかしこきひしりなりける年七十はかりにていまは をはりのをこなひをせんとてこもりたるか宮の御ことによりて出たるを内より めしありつねにさふらはせ給此ころはなをもとのことくまいりさふらはるへきよし おとゝものたまへはいまはよゐなといとたえかたうおほえ侍れとおほせ ことのかしこきによりふかき心さしをそへてとてさふらふにしつかなるあかつきに 人もちかくさふらはすあるはまかてなとしぬる程にこたいに打しはふきつゝ 世中の事ともそふし給ついてにいとそうしかたくかへりてはつみにもやまか りあたらんとおもへ給へはゝかるかたおほかれとしろしめさぬにつみをもくて 天のまなこおそろしう思給へらるゝ事を心にむせひ侍つゝいのちをはり (13オ) 侍なはなにのやくかは侍らん仏も心きたなしとおほしめさんとはかりそうし さしてえ打出ぬ事ありうへ何事ならん此世に恨残るへくおもふ事やあらむ 法師はひしりといへともあるましきよこさまのそねみふかくうたてあなる 物をとおほしていはけなかりし時よりへたておもふ事なきをそこにはかく しのひ残されたる事ありけるをなんつらく思ぬるとのたまはすれはあな かしこさらに仏のいさめまもり給ふまことのふかきみちをたにかくしとゝむる 事なくひろめつかうまつり侍まして心にくまあること何事にか侍らんこれは きしかたゆくさきの大事と侍ことをすきおはしましにし院きさいの宮たゝ いま世をまつりこち給ふおとゝの御ためすへてかへりてよからぬ事にやもり出 侍らんかゝるおい法師の身にはたとひうれへ侍りともなにのくゐか侍らむ (13ウ) 仏天のつけあるによりてそうし侍也わか君はらまれおはしましたりし 時よりこ宮ふかくおほしなけく事ありて御いのりつかうまつらせ給ゆへなん 侍しくはしくは法師の心にえさとり侍らす事のたかひめありておとゝよこ さまのつみにあたり給し時いよ/\をちおほしめしてかさねて御いのりともうけ たまはり侍しをおとゝもきこしめしてなん又さらに事くはへおほせられて 御くらゐにつきおはしゝまてつかうまつる事とも侍しそのうけたまひしさまとて くはしくそうするをきこしめすにあさましうめつらかにておそろしうもかな しうもさま/\御心みたれたりとはかり御いらへもなけれは僧都すゝみそうしつるを ひんなくおほしめすにやとわつらはしく思てやをらかしこまりてつかまつるをめし とゝめて心にしらてすきなましかは後の世まてのとかめあるへかりける事を (14オ) いまゝてしのひこめられたりけるをなんかへりてはうしろめたき心なりと思ぬる 又此ことをもらしつたふるたくひやあらんとのたまはすさらになにかしと王命婦 とよりほかの人此ことの気しき見たる侍らすさるによりなんいとおそろしう 侍る天へんしきりにさとし世中しつかならぬはこのけ也いときなく物の心しろし めすましかりつる程こそ侍つれやう/\御よはひたりおはしまして何事もわきまへ させ給ふへき時にいたりてとかをもしめす也よろつの事おやの御世よりはし まるにこそ侍なれなにのつみともしろしめさぬかおそろしきにより思給へけち てし事をさらに心よりいたし侍ぬる事となく/\聞ゆる程にあけはてぬれはま かてぬうへは夢のやうにいみしきことをきかせ給て色々におほしみたれさせ 給ふこ院の御ためもうしろめたくおとゝのかくたゝ人にて世につかへ給もあはれに (14ウ) かたしけなかりける事かた/\おほしなやみて日たくるまて出させたまはねはかくなと 聞給ておとゝもおとろきてまいり給へるを御らんするにつけてもいとゝしのひかた くおほしめされて御涙のこほれさせ給ぬるを大かたこ宮の御ことをひるよる なうおほしめしたるころなれはなめりと見たてまつり給その日式部卿のみこ うせ給ぬるよしそうするにいよ/\世中のさはかしき事をなけきおほしたり かゝるころなれはおとゝは里にもえまかてたまはてつとさふらひ給しめやかなる 御物語のついてに世はつきぬるにやあらん物心ほそくれいならぬこゝちなんするを あめのしたもかくのとかならぬによろつあはたゝしくなんこ宮のおほさんとこ ろによりてこそせけんのことも思はゝかりつれいまは心やすきさまにてもす くさまほしくなとかたらひきこえ給いとあるましき御事也世のしつかならぬ事は (15オ) かならすまつりことのなをくゆかめるにもより侍らすさかしき世にしもなんよからぬ 事とも侍けるひしりのみかとの御代にもよこさまのみたれ出くる事もろこし にも侍ける我国にもさなん侍るましてことはりのよはひともの時いたりぬる をおほしなけくへき事にも侍らすなとすへておほくの事ともをきこえ給ふ かたはしまねふもいとかたはらいたしやつねよりもくろき御よそゐにやつし 給へる御かたちたかふところなしうへも年ころ御かゝみにもおほしよる事 なれときこしめしゝことの後は又こまかに見たてまつり給つゝことにいとゝ あはれにおほしめさるれはいかて此ことをかすめきこえはやとおほせとさすかに はしたなくもおほしぬへきなれはわかき御こゝ地につゝましくてふともえ 打出きこえたまはぬ程はたゝ大かたの事ともをつねよりことになつかしう (15ウ) きこえさせ給打かしこまり給へるさまにていと御けしきことなるをかしこき人 の御めにはあやしと見たてまつり給へといとかくさた/\ときこしめしたらむとは おほさゝりけりうへは王命婦にくはしき事はとはまほしうおほしめせといま さらにしかしのひ給けんことしりにけりとかの人にもおもはれしたゝおとゝにいかて ほのめかしとひきこえてさき/\のかゝる事のれいはありけりやときかんこそ おほせとさらについてもなけれはいよ/\御かくもんをせさせ給つゝさま/\の御文 ともを御らんするにもろこしにはあらはれてもしのひてもみたりかはしき事 いとおほかりけり日本にはさらに御らんしうるところなしたとひあらんにてもか やうにしのひたらん事をはいかてかつたへしるやうのあらんとする一世の源氏又 納言大臣になりて後にさらにみこにもなり又くらゐにもつき給へるもあまた (16オ) のれいありけり人からのかしこきにことよせてさもやゆつりきこえましなと よろつにそおほしける秋のつかさめしに太政大臣になり給ふへき事うち/\に さため申給ついてになんみかとおほしよるすちの事もらしきこえ給けるを おとゝいとまはゆくおそろしうおほしてさらにあるましきよしを申かへし 給こ院の御心さしあまたのみこたちの御中にとりわきておほしめしなから くらゐをゆつらせたまはん事をはおほしめしよらすなりにけりなにかその御心 あらためてをよはぬきはにはのほり侍らんたゝもとの御をきてのまゝにおほ やけにつかうまつりていますこしのよはひかさなり侍なはのとかなるをこない にこもり侍なんと思給ふるにつねの御ことの葉にかはらすそうし給へはいと くちおしうなんおほしける太政大臣になり給ふへきさためあれとしはしとおほ (16ウ) すところありてたゝ御くらゐにそひて牛くるまゆるされてまいりまかて し給をみかとあかすかたしけなき物に思きこえ給てなをみこになり給ふ へきよしをおほしのたまはすれと世中の御うしろ見し給ふへき人なし こん中なこん大納言になりて右大将かけ給へるをいま一きはあかりなんに 何事もゆつりてんさて後ともかくもしつかなるさまにとそおほし けるなをおほしめくらすにこ宮の御ためにもいとおしう又うへのかく おほしめしなやめるを見たてまつり給もかたしけなきにたれかゝる事をもら しそうしけんとあやしうおほさる命婦はみくしけ殿のかはりたるとこ ろにうつりてさうしたまはりてまいりたりおとゝたいめんし給て此ことを もし物のついてに露はかりにてももらしそうし給ことやありしと (17オ) あんないし給へとさらにかけてもきこしめさん事をいみしきことにおほし めしてかつはつみうる事にやとうへの御ためをなをおほしめしなけきたりしと 聞ゆるにも一かたならす心ふかくおはせし御ありさまなとつきせす恋きこ え給斎宮の女御はおほしゝもしるき御うしろみにてやむことなき御おほえ也 御ようゐありさまなともおもふさまにあらまほしう見え給へれはかたしけなき物に もてかしつききこえ給へり秋のころ二条院にまかて給へりしん殿の御 しつらひいとかゝやくはかりし給ていまはむけのおやさまにもてなして あつかひきこえ給秋の雨いとしつかにふりて御まへのせんさい色々みたれたる 露のしけさにいにしへの事ともかきつゝけおほし出られて御袖もぬれつゝ女御 の御かたにわたり給へりこまやかなるにい色の御なをしすかたにて世中の (17ウ) さはかしきなとことつけ給てやかて御さうしんなれはすゝひきかくして さまよくもてなし給へるつきせすなまめかしき御ありさまにてみすのうち に入たまひぬみきちやうはかりをへたてゝみつからきこえ給せんさい ともこそ残りなくひもとけ侍にけれいと物すさましき年なるを心 やりて時しりかほなるもあはれにこそとてはしらによりゐ給へる夕はへ いとめてたしむかしの御事ともかの野の宮に立わつらひし明ほのなとをき こえ出給ふいと物あはれとおほしたり宮もかくれはとにやすこしなき給ふ けはひいとらうたけにて打みしろき給程もあさましくやはらかに なまめきておはすへかめる見たてまつらぬこそくちおしけれとむね のうちつふるゝそうたてあるやすきにしかたことに思なやむへき事 (18オ) もなくて侍りぬへかめりしに世中にもなを心からすき/\しき ことにつけてものおもひのたえすも侍へけるかなさるましき 事とものこゝろくるしきかあまた侍し中につゐに心もとけす むすほゝれてやみぬる事ふたつなん侍るまつひとつはこの すき給にし御ことよあさましうのみ思つめてやみ給にしかなか き代のうれはしきふしとおもひたまへられしをかふまてもつ かうまつり御らんせらるゝをなんなくさめおもふ給へなせともえし けふりのむすほゝれ給けんはなをいふせうこそ思ひ給へらるれ とていまひとつはのたまひさしつ中ころ身のなきにしつみ 侍しほとかた/\におもひたまへしことはかたはしつゝかなひにたり (18ウ) ひんかしの院に物する人のそこはかとなくて心くるしうおほえわたり 侍しもおたしうおもひなりにて侍こゝろはへのにくからぬなとは我も 人も見給へあきらめていとこそさはやかなれかく立かへりおほや けの御うしろみつかうまつるよろこひなとはさしも心にふかくしま すかやうなるすきかましきかたはしつめかたうのみ侍をおほろ けに思しのひたる御うしろみとはおほししらせたまはんや あはれとたにのたまはせすはいかにかひなく侍らんとのたまうむつ かしう御いらへもなけれはさりやあなこゝろうとてこと/\にいひま きらはしたまひついまはいかてのとやかにいける世のかきり思ふ事 のこさす後の世のつとめも心にまかせてこもりゐなんと思ひ (19オ) 侍をこの世の思出にしつへきふしの侍らぬこそさすかにくちおしう 侍りぬへけれ数ならぬおさなき人の侍をおひさきいと待とを なりやかたしけなくともなをこのかとひろけさせ給て侍らすなり なんのちにもかすまへさせ給へなときこえ給御いらへはいとおほとか なるさまにからうしてひとことはかりかすめ給へるけはひいとなつかし けなるにきゝつきてしめ/\とくるゝまておはすはか/\しきかたの のそみはさる物にて年のうちゆきかはるとき/\の花紅葉空の気 しきにつけても心のゆくこともし侍にしかな春の花のはやし 秋の野のさかりをとり/\に人あらそひ侍けるそのころのけにと 心よるはかりあらはなるさためこそ侍らさなれもろこしには春の (19ウ) 花のにしきにしく物なしといひはへめりやまとことの葉には秋の あはれをとり出ておもへるいつれもとき/\につけて見給にめうつり てえこそ花鳥の色をもねをもわきまへ侍らねせはきかきねの うちなりともそのおり/\のこゝろ見しるはかり春の花の木をも うへわたし秋の草をもほりうつしていたつらなる野への虫を もすませて人に御らんせさせむと思給ふるをいつかたにか御心 よせ侍へからんときこえ給にいときこえにくき事とおほせとむけ にたえて御いらへきこえたまはさらんもうたてあれはましていかゝ おもひわき侍らんむけにいつとなき中にあやしときゝし夕こそはか なうきえ給にし露のよすかにも思給へられぬへけれとしとけなけに (20オ) のたまひけつもいとらうたけなるにえしのひたまはて     「君もいさあはれをかはせ人しれすわか身にしむる 秋の夕風」しのひかたきおり/\も侍るかしときこえ給にいつこの御返かは あらんこゝろえすとおほしたる御気しき也此ついてにえとめたまはて うらみきこえ給事ともあるへしいますこしひかこともし給つへけ れはいとうたてとおほひたるもことはりにわか御心もわか/\しうけしから すとおほしかへして打なけき給へるさまの物ふかうなまめかしきも 心つきなうそおほしなりぬるやをらつゝひきいり給ぬる気しき なれはあさましうもうとませ給ぬるかなまことに心ふかき人は かくこそあらさなれよしいまよりはにくませ給ふなよつらからんとて (20ウ) わたりたまひぬ打しめりたる御にほひのとまりたるさへうとましくおほ さる人々御かうしなとまいりて此御しとねのうつりかいひしらぬ物かな いかてかくとりあつめ柳のえたにさかせたる御ありさまならん ゆゝしうときこえあへりたいにわたり給てとみにもいりたまはす いたうなかめてはしちかうふし給へりところとをくかけてちかく 人々さふらはせ給て物かたりなとせさせ給かうあなかちなることに むねふたかるくせのなをありけるよと我身なからおほししらる是は いとにけなき事也おそろしうつみふかきかたはおほふまさりけめと いにしへのすきは思やりすくなき程のあやまちに仏神もゆるし 給けんとおほしさますもなを此みちはうしろやすくふかきかたの (21オ) まさりけるかなとおほししられ給女御は秋のあはれをしりかほに いらへきこえてけるもくやしうはつかしと御心一に物むつかしうて なやましけにさへし給をいとすくよかにつれなくてつねよりもおやかり ありき給女君に女御の秋に心をよせ給へりしもあはれに君の春の 明ほのに心しめ給へるもことはりにこそあれとき/\につけたる木草の 花によせても御心とまるはかりのあそひなとしてしかなとおほやけわたくし のいとなみしけき身こそふさはしからねいかてかおもふ事してし かなとたゝ御ためさう/\しくやとおもふこそ心くるしけれなとかたらひ きこえ給山さとの人もいかになとたえすおほしやれとところ せさのみまさる御身にてわたり給事いとかたし世中をあちきなく (21ウ) うしとおもひしるけしきなとかさしもおもふへき心やすくたち出て 大空のすさひはせしとおもへるをおほけなしとおほす物からいと おしくてれいのふたんの御念仏にことつけてわたり給へりすみなるゝ まゝにいと心すこけなるところのさまにいとふかゝらさらん事にて たにあはれそひぬへしまして見たてまつるにつけてもつらかり ける御契りのさすかにあさからぬをおもふに中々にてなくさめかたき けしきなれはこしらへかね給いとこしけきなかよりかゝり火ともの かけのやり水のほたるに見えまかふもおかしかゝるすまゐに しほしまさらましかはめつらかにおほえましとのたまうに     「いさりせしかけわすられぬかゝり火は身のうき舟や (22オ) したひきにけむ」おもひこそまかへられ侍ときこゆれは     「あさからぬしたのおもひをしらねはやなをかゝり火の かけはさはける」たれうき物とをしかへしうらみ給へる大かた 物しつかにおほさるゝころなれはたうときことともに御こゝろ とまりてれいよりは日ころへたまうにやすこしおもひまきれ けんとそ (22ウ) 聞云 宿かへて松にもあらすなりぬれはつらきこゝろのおほくもあるかな 恨てののちさへ人のつらからはいかにいひてかねをはなかまし 世中は夢のわたりのうき橋か打わたしつゝ物をこそおもへ ふか草ののへの桜し心あらはこの春はかりすみそめにさけ ふるさとのむかしのことをいとゝしくかくれは袖そ露けかりける むすほゝれもえし煙のいかゝせん君たにこめよなかき契りを いつとても恋しからすはあらねとも秋のゆふへはあやしかりけり ---------------------------------------------------------------------------------- 底本:Japanese Rare Book Collection (Library of Congress) LC Control No.2008427768 翻字担当者:阿部江美子、高田智和、小川千寿香 更新履歴: 2011年3月24日公開 2013年11月12日更新 ---------------------------------------------------------------------------------- 修正箇所(2013年11月12日修正) 丁・行 誤 → 正 (4ウ)2 ねんしあへは → ねんしあへす (15オ)6 うやも → うへも