米国議会図書館蔵『源氏物語』 初音 ---------------------------------------------------------------------------------- 記号の説明 1.くの字点は/\で表す。 2.和歌は「」で括る。 3.散らし書き和歌の末尾に#を付ける。 4.判読できない文字は■で表す。 本文の修正 1.翻字本文を修正した場合には、修正履歴を末尾に示す。 ---------------------------------------------------------------------------------- はつね (1オ) としたちかへるあしたの空の気しきなこりなくくもらぬうらゝ けさには数ならぬかきねのうちたに雪まの草わかやかに色つきはしめ いつしかとけしきたつ霞に木のめも打けふりをのつから人の心ものひらかにそ 見ゆるかしましていとゝ玉をしける御まへは庭よりはしめ見ところおほく みかきまし給へる御かた/\のありさままねひたてんもことのはたかまし くなん春のおとゝの御まへとりわきて梅のかもみちのうちのにほひに 吹まかひていける仏のみ国かとおほゆさすかに打とけてやすらかに すみなし給へりさふらふ人々もわかやかにすくれたるをひめ君の御かたに とえらせ給てすこしおとなひたるかきり中々よし/\しくさうそく ありさまよりはしめてめやすくもてつけてこゝかしこむれゐつゝはかため (1ウ) のいはひしてもちゐかゝみをさへとりよせて千とせのかけにしるき年 のうちのいはひことともしてそをれあへるにおとゝの君さしのそき給へ れはふところてひきなをしつゝいとはしたなきわさかなとわひあ へりいとしたゝかなるみつからのいはひ事ともかなみなをの/\思ふ事 のみち/\あらんかしすこしきかせよや我ことふきせんと打わらひ給へる 御ありさまを年のはしめのさかへに見たてまつる我はと思あかれる中将の 君そかねてそ見ゆるなとこそかゝみの影にもかたらひ侍つれわたくしの いのりはなにはかりの事をかなと聞ゆあしたの程は人々まいりこみてもの さはかしかりけるを夕つかた御かた/\にのさんさしたまはんとて心ことに ひきつくろひけさうし給御かけこそけにいと見るかひあめれけ (2オ) さ此人々のたはふれかはしつるいとうら山しう見えつるをうへにはわれ 見せたてまつらんとてみたれたる事ともすこし打ませつゝいはひきこえ給     「うすこほりとけぬる池のかゝみには世にくもりなき かけそならへる」けにめてたき御あはひともなり     「くもりなき池のかゝみによろつ代をすむへきかけそ しるくみえける」何事につけてもすゑとをき御契りをあらまほしくきこえか はし給けふはねの日なりけりけに千とせの春をかけていはゝむことはり なる日也ひめ君の御かたにわたり給へれはわらはしもつかへなと御まへの山の 小松ひきあそふわかき人々のこゝちともをきところなくみゆ北のおとゝ よりわさとかましくしあつめたるひけこともひわりこなとたてまつれ (2ウ) 給へりえならぬ五えうのえたにすくへるうくひすもおもふ心あらんかし     「とし月を松にひかれてふる人はけふうくひすの はつねきかせよ」音せぬ里のときこえ給へるをけにあはれとおほし しる事いみもえしあへたまはぬ御気しき也此御かへりは身つからきこえ給へ はつねおしみ給ふへきかたにもあらすかしとて御すゝりとりまかなひかゝせ たてまつらせ給いとうつくしけにて明暮見たてまつる人たにあかす思 聞ゆる御ありさまをいまゝておほつかなき年月のへたゝりけるもつみ えかましく心くるしとおほす     「ひきわかれ年はふれともうくひすのすたちし松の ねをわすれめや」おさなき御心にまかせてくた/\しくそあめる夏の (3オ) 御すまゐを見給へは時ならぬけにやいとしつかに見えてわさと このましき事もなくてあてやかにそすみなし給へるけはひ見え わたる年月にそへて御心のへたてもなくあはれなるなからひ也いま はあなかちにちかやなる御ありさまももてなしきこえたまはさり けりいとむつましくありかたらはんいもせの契りはかりきこえかはし 給みきちやうへたてたれとすこしをしやり給へは又さておは すはなたはけににほひおほからぬあはひにて御くしなともいたく さかりすきにけりやさしきかたにあらねとゑひかつらしてそつく ろひ給ふへき我ならさらん人は見さめしぬへき御ありさまをかくて 見るこそうれしくほいあれ心かるき人のつらにて我にそむき給な (3ウ) ましかはなと御たいめんのおり/\にはまつわか御心なかさも人の御心の をもきをもうれしくおもふやうなりとおほしけりこまやかにふる年の 御物語なとなつかしくきこえて西のたいへわたりたまひぬまたいたくも すみなれたまはぬ程よりはけはひおかしくしなしておかしけなるわらはへのすかた なまめしく人影あまたして御しつらひあるへきかきりなれともこまやかなる 御てうとはいとしもとゝのへたまはぬをさるかたに物きよけにすみなし給へり さうしみもあなおかしけにふと見えて山ふきにもてはやし給へる御かたち なといと花やかにこゝそくもれると見ゆるところなくくまなくにほひきら/\ しくみまほしきさまそし給へる物おもひにのみしほれしつみ給へるほと 上人のしわさにやかみのすそすこしほそりてさはらかにかゝれる (4オ) しもいと物きよけにこゝかしこいとけさやかなるさまし給へるをかくて見さ らましかはとおもほすにつけてはえしも見すくし給ましくやかくいとへたて なく見たてまつりなれ給へとなをおもふにへたゝりおほくあやしきかうつゝのこゝ地も したまはねはまほならすもてなし給へるもいとおかし年ころになりぬるこゝ地して 見たてまつるにも心やすくほいかなひぬるをつゝみなくもてなし給てあなたなと にもわたり給へかしいはけなきうゐことならふ人もあめるをもろともにきゝなと し給へうしろめたくあはつけき心もたる人なきところなりときこえ給へはのたまはせん まゝにこそはときこえ給ふさもある事そかし暮かたになる程にあかしの御かたに わたり給ちかきわた殿の戸をしあくるよりみすのうちのをひ風なまめかしく吹 にほはして物よりことに気たかくおほさるさうしみは見えすいつらと見まはし (4ウ) 給にすゝりのわたりにきはゝしくさうしともなととりちらしたるをとりつゝみ給ふ からのきのとうきやうのこと/\しきはしさしたるしとねにおかしけなるきん打をき わさとめきよしある火をけにしゝうをくゆらかして物ことにしめたるにゑひかう のかのまかへるけはひいとえんなり手ならひとものみたれ打とけたるもすちかはりて ゆへあるかきさま也こと/\しうさうかちなとにもさへからすめやすくかきすましたり 小松の御返をめつらしと見けるまゝにあはれなるふる事ともかきませて     「めつらしや花のねくらにこつたひてたにのふるすを とつるうくひす」こゑまち出たるなともありさけるをかへに家しあれはなと ひきかへしなくさめたるすちなとかきませつゝあるをとりて見給つゝほゝ ゑみ給へるもはつかしけ也筆さしぬらしてかきすさひ給程にゐさり出てさすかに (5オ) 身つからのもてなしはかしこまりをきてめやすきようゐなるをなを人よりはこと なりとおほすしろきにけさやかなるかみのかゝりのすこしさはらかなる程にうすらき にけるもいとゝなまめかしさそひてなつかしけれはあたらしき年の御さはかれも やとつゝましけれとこなたにとまりたまひぬなをおほえ事なりかしとかた/\に心をきて おほすみなみのおとゝにはましてめさましかる人々ありまた明ほのゝ程にわたりた まひぬかくしもあるましき夜ふかさそかしとおもふに名残もたゝならすあはれにお もふまちとり給へるはたなまけやけしとおほすへかめる心のうちははかられ給て あやしきうたゝねをしてわか/\しかりけるいきたなさをさしもおとろかし たまはてと御けしきとり給もおかしう見ゆことなる御いらへもなけれはわつらはしくて そらねをしつゝ日たかくおほとのこもりおきたりけふはりんしかくのことに (5ウ) まきらはしてそおもかくし給かんたちめみこたちなとれいの残りなくまいり給へり 御あそひありてひき出物ろくなとになしそこらつとひ給へるか我もをとらしと もてなし給へる中にもすこしなすらひなるたに見えたまはぬ物かなとりはなちて はいといふそくおほく物し給ころなれとおまへにてはけをされ給もわろしかし なにの数ならぬしも人なとたに院にまいるには心つかひことなりけりましてわか やかなるかんたちめなとはおもふ心なと物し給てすゝろに心けさうし給つゝつねの 年よりもことなり花の香さそふ夕風のとかに打吹たるに御まへの梅やう/\ひも ときてあれはたれときなるに物のしらへともおもしろく此殿うち出たるひやうし なといと花やか也おとゝも時々こゑ打そへ給へるさき草のすゑつかたいとなつ かしうめてたく聞ゆ何事もさしいらへし給御ひかりにはやされて色をもね (6オ) をもますけちめことになんわかれけるかくのゝしる馬くるまの音 をも物へたてゝ聞給御かた/\ははちすの中のせかひにまたひら けさらんこゝちもかくやと心やましけ也ましてひんかしの院に はなれ給へる御かた/\は年月にそへてつれ/\のかすのみまされと 世のうきめ見えぬ山路に思なすらへてつれなき人の御心をは なにとかは見たてまつりとかめむそのほかの心もとなくさひしきことはた なけれはをこなひかたの人はそのまきれなくつとめかなのよろつの さうしのかくもん心に入たまはん人は又そのねかひにしたかひ物まめ やかにはか/\しきをきてにもたゝ心のねかひにしたかひたるすさみ也 さはかしき日ころすくしてわたり給へりひたちの宮の御かたは人の程 (6ウ) あれは心くるしくおほして人めのかさりはかりはいとよくもてなしきこえ 給いにしへさかりと見えし御わかゝみも年ころにおとろへゆきましてたき のよとみはつかしけなる御かたはらめなとをいとおしとおほせはまほにもむかひ たまはすやなきけにこそすさましかりけれと見ゆるもきなし給へる人 からなるへしひかりもなくくろきかいねりのさひしくはりたる一かさねさる をり物のうちきをき給へるいとさむけに心くるしかさねのうちきなとは いかにしなしたるにかあらん御はなの色はかり霞にもまきるましく花やか なるに御心にもあらす打なけかれ給てことさらにみきちやうひきつくろひ へたて給中々女はさしもおほしたらすいまはかくあはれになかき御心の 程をおたしき物に打とけたのみきこえ給へる御さまあはれ也かゝるかたにも (7オ) をしなへての人ならすいとおしくかなしき人の御さまとおもほせはあはれに 我たにこそはと御心とゝめ給へるもありかたきそかし御こゑなともいとさむけ に打わなゝきつゝかたらひきこえ給見わつらひ給て御そともの事なと うしろみ聞ゆる人は侍やかく心やすき御すまゐはたゝいと打とけたるさま にふくみなへたるこそよけれうはへはかりつくろひたる御よそひはあひなく なときこえ給へはこち/\しくさすかに打わらひ給てたひこのあさりの 君の御みあつかひし侍とてきぬともゝえぬひ侍らてなんかはきぬをさへ とられにし後さむく侍ときこえ給ふはいとはなあかき御せうとなりけり 心うつくしといひなからあまり打とけすきたりとおほせとこゝにてはいと まめにきすくの人にておはすかはきぬはいとよし山ふしのみのしろ衣に (7ウ) ゆつり給てあへなんさて此いたはりなきしろたへの衣はなゝへにもなとかかさね たまはさらんさるへきおり/\は打わすれたらん事なともおとろかし給へかし もとよりをれ/\しくたゆき心のをこたりにましていまはかた/\のまきらはしき きをひにもをのつからなとのたまひてむかひの院の御くらあけさせてきぬ あやなとたてまつらせ給あれたるところもなけれとすみたまはぬところの けはひはしつかにておまへの木たちはかりそいとおもろしくこうはひのさき出 たるにほひなと見はやす人もなきを見わたし給て     「ふるさとの春のこすゑをたつねきてよのつねならぬ 花を見る哉」ひとりこち給へと聞しりたまはさりけんかしうつせみのあま ころもにもさしのそき給へりうけたまはりたるさまにはあらすかこやかに (8オ) つほねすみにしなして仏はかりにところ/\させたてまつりてをこなひ つとめけるさまあはれに見えて経仏のかさりはかなくしたるあかのく なともおかしけになまめかしくなを心はせありと見ゆる人のけはひ也あを にひのきちやう心はへおかしきにいたくゐかくれて袖くちはかりそ色こと なるしもなつかしけれは涙くみ給て松か浦しまをはるかに思ひてそ やみぬへかりけるむかしより心うかりける御契りかなさすかにかはかりのむつひは たゆましかりける世かはなとのたまふあま君も物あはれなるけはひにてかゝる かたにたのみきこえさするしもなんあさくはあらす思給へしられ侍けるときこゆ よきにおり/\かさねて心まとはし給し世のむくひなとを仏にかしこまり聞ゆ るこそくるしけれおほししるやかくいとすなほにしもあらぬ物をと思あはせ (8ウ) 給事もあらしやはとなんおもふとのたまうかのあさましかりし世のふる事 を聞をき給へるなめりとはつかしくかゝるありさまを御らんしはてらるゝより ほかのむくひはいつこにか侍らんとてまことに打なきぬいにしへよりも物ふか くはつかしけさまさりてかくもてはなれたる事とおほすしも見はなち かたくおほさるれとはかなき事をのたまうかゝるへくもあらすおほかたの むかしいまの物語をし給てかはかりのいふかひたにあれかしとあなたを見やり 給かやうにても御かけにかくれたる人々おほかりみなさしのそきわたし 給ておほつかなき日数つもるおり/\あれと心のうちはをこたらすかきり あるみちのわかれのみこそうしろめたけれいのちそしらぬなとなつかしくのた まふいつれをも程々につけてあはれとおほしたり我はとおほしあかりぬ (9オ) へき御身の程なれとさしもこと/\しくもてなしたまはすところにつけ人の程に つけつゝあまねくなつかしくおはしませはたゝかはかりの御心にかゝりてなんおほくの人々年 をへけることしはおとこたうかあり内よりすさく院にまいりてつきに此院にまいる みちの程とをく夜明かたになりにけり月のくもりなくすみまさりてうす雪すこし ふれる庭のえならぬに殿上人なとも物の上手おほかるころほひにてふえのねも いとおもしろく吹たてゝ此おまへはことに心つかひたり御かた/\も見にわたり給ふへくかねて 御せうそこともありけれは左右のたいわた殿なとに御つほねしつゝおはさうす西の たいのひめ君はしんてんのみなみの御かたにわたり給てこなたのひめ君御たいめん ありけりうへも一ところにおはしませは御きちやうはかりへたてゝきこえ給朱 雀院のきさひの宮の御かたなとめくりける程に夜もやう/\明ゆけは水むまや (9ウ) にてことそかせ給ふへきをれいある事よりほかにさまことにことくはへていみしくもて はやさせ給影すさましき暁月夜に雪はやう/\ふりつむ松風こたかく吹おろし 物すさましくもありぬへき程にあを色のなへはめるにしらかさねの色あひなにのかさりかは 見ゆるかさしのわたにほひもなき物なれとところからにやおもしろく心ゆきいのち のふる程也殿の中将の君内のおほい殿の君たちそこゝにすくれてめやすく花やか也 ほの/\と明行に雪やゝちりてそゝろさむきに竹川うたひてかよれるすかたなつかし きこゑ/\のゑにもかきとゝめかたからんこそくちおしけれ御かた/\いつれも/\をとらぬ 袖くちともこほれ出たるこちたさ物の色あひなとも明ほのゝ空に春のにしき たち出にける霞のうちと見わたさるあやしく心ゆく見物にてそありけるさる はかうきんしのよはなれたるさまことふきのみたりかはしきをこめきたる事も (10オ) こと/\しくとりなしたる中々なにはかりのおもしろかるへきはうしもきこえぬ 物をれいのわたかつきわたりてまかてぬ夜明はてぬれは御かた/\かへりわたり たまはすおとゝの君すこしおほとのこもりて日たかくおき給へり中将 のこゑは弁の少将におさ/\をとらさめるはあやしくいふそくともをい出る ころをひにこそあめれいにしへの人はまことにかしこきかたやすくれ たるさもおほかりけんなさけたちたるすちは此ころの人にえしも侍ら さりけんかし中将なとをはすく/\しきおほやけ人にしなしてんとなん思 をきてしみつからのいとあされはみたるかたくなしさをもてはなれよと おもひしかとなをしたにはほのすきたるすちの心をこそとゝむへかめれ もてしつめすくよかなるうはへはかりはうるさかめりなといとうつくしと (10ウ) おほしたりはんすんらく御くちすさひにのたまひて人々のこなたに つとひ給へるついてにいかて物のねこゝろみてしかなわたくしのとえん あるへしとのたまひて御ことゝものうるはしきふくろともしてひめ をかせ給へるみなひき出てをしのこひゆるへるをとゝのへさせなと す御かた/\こゝろつかひいたくしつゝこゝろけさうをつくし たまうらんかし ---------------------------------------------------------------------------------- 底本:Japanese Rare Book Collection (Library of Congress) LC Control No.2008427768 翻字担当者:伊藤鉄也、高田智和、阿部江美子 更新履歴: 2011年3月24日公開 2013年11月19日更新 ---------------------------------------------------------------------------------- 修正箇所(2013年11月19日修正) 丁・行 誤 → 正 (1ウ)9 さはかしかりけりを → さはかしかりけるを (5ウ)1 残る → 残り (6ウ)5 しろき → くろき (7オ)7 御あつかひ → 御みあつかひ (8オ)7 世かい → 世かは (9ウ)5 そこらに → そこゝに