米国議会図書館蔵『源氏物語』 胡蝶 ---------------------------------------------------------------------------------- 記号の説明 1.くの字点は/\で表す。 2.和歌は「」で括る。 3.散らし書き和歌の末尾に#を付ける。 4.判読できない文字は■で表す。 本文の修正 1.翻字本文を修正した場合には、修正履歴を末尾に示す。 ---------------------------------------------------------------------------------- こてふ (1オ) やよひのはつかあまりのころをひ春の御まへのありさまつねより ことにつくしてにほふ花の色鳥のこゑほかのさとにはまたふりぬにやと めつらしう見え聞ゆ山の木たち中嶋のわたり色まさるこけのけしき なとわかき人々のはつかに心もとなくおもへるためからめいたる舟ともつく らせ給けるいそきさうそかせ給ふておろしはしめさせ給日はうた つかさの人めして舟のかくせらるみこたちかんたちめなとあまたまいり 給へり中宮此ころ里におはしますかの春待そのはとはけましきこえ たまへりし御返も此ころやとおほしおとゝの君もいかて此花のおり御 らむせさせむとおほしのたまへとついてなくてかるらかにはいわ たり花をももてあそひ給ふへきならねはわかき女房たちの物めて (1ウ) しぬへきを舟にのせ給ふてみなみの池はこなたにとをしかよはし なさせ給へるをちいさき山をへたてのせきに見せたれとその山 のさきよりこきまひてひんかしの釣殿にこなたのわかき人々あ つめさせ給龍頭鷁首をからのよそひにこと/\しうしつらひて かちとりのさほさすわらはへみなみつらゆひてもろこしたゝせ てさるおほきなる池の中にさし出たれはまことのしらぬくにゝ きたらんこゝちしてあはれにおもしろく見ならはぬ女房なとは思ふ 中嶋の入江の岩かけにさしよせてみれははかなき石のたゝすま いもたゝゑにかいたらんやう也こなたかなた霞あひたる木すゑ ともにしきをひきわたせるにおまへのかたはる/\と見やられて (2オ) 色をましへたる柳えたをたれたる花もえもいはぬにほひをち らしたりほかにはさかりすきたる桜もいまさかりにおほえゑみ らうをめくれる藤の色こまやかにひらけゆきにけりまし て池の水に影をうつしたる山ふき岸よりこほれていみ しきさかり也水鳥とものつかひをはなれすあそひつゝほそ きえたともをくひてとひちかふをしの浪のあやにもんを ましへたるなと物のゑやうにかきとらまほしきにまことに をのゝえもくたつへう思つゝ日をくらす     「風ふけはなみの花さへ色見えてこや名にたてる やまふきのさき」 (2ウ)     「はるの池や井手の川せにかよふらんきしの山ふき そこもにほへり」     「亀のうへの山もたつねし舟のうちに老せぬ名をは こゝにのこさん」     「春の日のうらゝにさしてゆく舟はさほのしつくも 花そちりける」なとやうのはかな事とも心々にいひかはしつゝ ゆくかたもかへらん里もわすれぬへくわかき人々のうつすに ことはりなる水のおもになん暮かゝる程にわうしやうといふかくいと おもしろく聞ゆるに心にもあらす釣殿にさしよせられておりぬ こゝのしつらひいとことそきたるさまになまめかしきに御かた/\ (3オ) のわかき人ともの我をとらしとつくしたるさうそくかたち 花をこきませたるにしきにをとらす見えわたる世にめなれす めつらかなるまい人なと心ことにえらはせ給て夜に入ぬれはいと あかぬこゝちして御まへの庭にかゝり火ともしてみはしのもとの 苔のうへにかくにんめしてかんたちめみこたちもみなをの/\ひき物 ふき物とり/\にし給物のしともことにすくれたるかきりそうてうふき てうへに待とる御事とものしらへいと花やかにかきたてゝあなたうと あそひ給程いけるかひありとなにのあやめもしらぬしつのおもみかとの わたりひまなき馬くるまのたちとにましりてゑみさかへきゝけり空 の色物のねも春のしらへひゝきはいとことにまさりけるけちめを人々おほし (3ウ) わくらんかし夜もすからあそひあかしくらし給かへりこゑに喜春楽たち そひてたちき兵部卿の宮青柳おりかへしおもしろくうたひ給あるしの おとゝもことくはへ給夜も明ぬ朝ほらけの鳥のさえつりを中宮は物へた てゝねたうきこしめしけりいつも春のひかりをこめ給へるおほ殿なれと心 をつくるよすかのまたなきをあかぬ事におほす人々もありけるに西の たいのひめ君こともなき御ありさまをおとゝの君もわさとおほし あかめきこえ給御気しきなとみな世にきこえ出ておほしゝもし るく心なひかし給人おほかるへしわかみさはかりと思あかり給ふ きはの人そたよりにつけつゝ気しきはみことつてきこえ給も ありけれえしも打出ぬ中の思にもえぬへきわかきんたちなともある (4オ) へしそのうちにことの心をしらて内のおほひ殿の中将なとはすきぬへか めり兵部卿の宮はた年ころおはしける北のかたもうせ給て此みとせ はかりひとりすみにてわひ給へはうけはりていまはけしきはみ給ふ けさもいといたうそらみたれして藤の花をかさしてなよひさう とき給へる御さまいとおかしおとゝもおほしゝさまかなふとしたにはおほせ とせめてしらすかほつくり給御かはらけのついてにいみしうもてなやみ 給て思ふ心侍らすはまかりにけ侍なましいとたへかたしやとすまひ給ふ     「むらさきのゆへにこゝろをしめたれはふちに身なけむ 名やはおしけき」とておとゝの君におなしかさしをまいり給いといたうおほえ給て     「ふちに身をなけつへしやとこの春は花のあたりは (4ウ) 立さらて見よ」とせちにとゝめ給へはえたちあかれたまはてけさの 御あそひましていとおもしろしけふは中宮のみと経のはしめなりけり やかてまかてたまはてやすみところとりつゝ日の御よそひにかへ給ふ 人々もおほかりさはりあるはまかてなともし給ふむまの時はかりみなあなた へまいり給おとゝの君をはしめたてまつりてみな月わたり給殿上人なと も残るなくまいるおほくはおとゝの御いきをひにもてなされ給てやむこ となくいつくしき御ありさま也春のうへの御心さしに仏に花たてまつらせ 給鳥蝶にさうそきわけたるわらはへ八人かたちなとことにとゝのへさせ 給て鳥にはしろかねの花かめに桜をさし蝶にはこかねの花かめに山ふき おなしき花のふさいかめしう世になきにほひをつくさせ給へりみなみの御まへ (5オ) の山きはよりこき出ておまへに出る程風吹てかめの桜すこしうち ちりまかふいとうらゝかにはれて霞のまより立出たるはいとあはれに なまめきて見ゆわさとひらはりなともうつされす御まへにわたれるらうを かくやのさまにしてかりにあくらともをめしたりわらはへともみはしの もとによりて花ともたてまつる行香人々とりつきてあかにくはへさせ給 御せうそこ殿の中将の君してきこえさせ給へり     「花そのゝこてふをさへや下草に秋まつむしはうとく見るらむ」# 宮かの紅葉の御返なりけりとおほえみて御らんすきのふの女房たち もけに春の色はへおとさせ給ましかりけりと花におれつゝきこえあへり 鶯のうらゝかなるねに鳥のかく花やかに聞わたされて池の水鳥も (5ウ) そこはかとなくさえつりわたるにきうになりはつる程あかすおもしろし てうはましてはかなきさまにとひたちて山ふきのませのもとにさき こほれたる花のかけにまい出る宮のすけをはしめてさへきうへ人ともろく とりつゝきてわらはへにわらはへに給鳥には桜のほそなかてふには款冬 かさねたまはるかねてしもとりあへたるやう也物のしともはしろき一 かさねこしさしなとつき/\に給中将の君には藤のほそなかそへて女の さうそくかつけ給御返昨日はねになきぬへくこそは     「こてふにもさそはれなましこゝろありてやへやまふきをへたてさりせは」# とそありけるすくれたる御らうともにかやうの事はたえぬにや ありけん思ふやうにこそ見えぬ御くちつきともなめれまことやかのみ物の (6オ) 女房たち宮のにはみな気しきあるをくり物ともせさせ給けりさやうの 事くはしけれはむつかし明暮につけてもかやうのはかなき御あそひしけく 心をやりてすくし給へはさふらふ人もをのつから物おもひなきこゝ地してなん こなたかなたにもきこえかはし給西のたいの御かたはかのたうかのおりの 御たいめんのゝちはこなたにもきこえかはし給ふかき御心もちゐやあさ くもいかにもあらんけしきいとらうありなつかしき心はへと見えて人 の心へたつへくも物したまはぬ人さまなれはいつかたにもみな心よせき こえ給へりきこえ給人いとあまた物し給うされとおとゝおほろけに おほしさたむへくもあらすわか御心にもすくよかにおやかりはつま しき御心やそふらんちゝおとゝにもしらせやとてましなとおほしよる (6ウ) おり/\あり殿の中将はすこしけちかくみすのもとなとにもよりて御いらへ 身つからなとするも女はつゝましうおほせとさるへき程に人々もしりきこえたれは 中将はすく/\しうて思もよらす内のおほい殿の君たちは此君にひかれて よろつにけしきはみわひありくをそのかたのあはれにはあらてしたに心 くるしうはまことのおやにさもしられたてまつりにしかなと人しれぬ心に かけ給へれとなをはゝ君のけはひにいとよくおほえて是はかとめひたるところ そそひたる衣かへのいまめかしうあらたまれるころをひ空のけしきなと さへあやしうそこはかとなくおかしきをのとやかにおはしませはよろつの 御あそひにてすくし給にたいの御かたに人々の御文しけくなりゆくを 思し事とおかしうおほひてともすれはわたり給つゝ御らんしさるへきには (7オ) 御返そゝのかしきこえ給なとするを打とけすくるしひことにおほひ たり兵部卿の宮の程なくいられかましき事ともをかきあつめ 給へるをほむ文を御らんしつけてこまやかにわらひ給はやうより へたつる事なうあまたのみこたちの御中に此君をなんかたみにとり わきて思しにたゝかやうのすちの事なんいみしうへたて思給て やみにしを世のすゑにかくすき給へる心はへを見るかおかしうもあはれ にもおほゆるかななを御返なときこえ給へすこしもゆへあらん女の かのみこよりほかまたことの葉をかはすへき人こそ世におほえねいと 気しきある人の御さまそやとわかき人はめてたまひぬへくきこ えしらせ給へとつゝましくのみおほひたり右大将のいとまめやかに (7ウ) こと/\しきさましたる人の恋の山にはくしのたうれまねひつへき けしきにうれへたるもさるかたにおかしとみな見くらへ給なかにからの はなたのかみのいとなつかしうしみふかうにほへるをいとほそくちいさく むすひたるあり是はいかなれはかくむすほゝれたるにかとてひきあけ給へりて いとおかしうて     「おもふとも君はしらしなわきかへり岩もる水のいろし見えねは」# かきさまいまめかしうそほれたり是はいかなるそととひきこえ給へと はか/\しうもきこえたまはす右近をめし出てかやうに音つれきこ えん人をは人えりしていらへなとはせさせよすき/\しうあされかまし きいまやうの人のひんなひことし出なとするをのこのとかにしもあらぬ (8オ) こと也我にて思しにもあらなさけなうらめしうもとそのおりにこそ むしんなるにやもしはめさましかるへききははけやけふなともおもほ えけれわさとふかゝらて花蝶につきたるたよりことは心ねたう もてなひたる中々心たつやうにもあり又さてわすれぬるはなにのとか かはあらん物のたよりはかりのなをさりことにくちとう心えたるも さらてありぬへかりける後のなんとありぬへきわさ也すへて女のもの つゝみせす心のまゝに物のあはれもしりかほつくりおかしき事をも見し らむなんそのつもりあちきなかるへきを宮大将はおほな/\なをさり ことを打出給ふへきにもあらす又あまり物の程しらぬやうならんも 御ありさまにたかへりそのきはよりしもは心さしのおもむきにしたかひて (8ウ) をあはれをもわきまへらうをもかすへ給へなときこえ給へは君はうち そむきておはするそはめいとおかしけ也なてしこのほそなかに此ころ の花の色なる御こうちきあはひ気ちかういまめきてもてなし なともさはいへとゐ中ひ給へりなこりこそたゝありにおほとかなるかたに のみは見え給けれ人のありさまをようなよひかにけさうなとも心 してもてつけ給へれはいとゝあかぬところなく花やかにうつくしけ也こと 人と見なさんはいとくちおしかるへうおほさる右近も打ゑみつゝ見た てまつりておやときこえんにはにけなうわかくおはしますめりさしならひ 給へらんはしもあはひめてたしかしと思ゐたりさらに人の御せうそこなと はきこえつたふる事侍らすさき/\もしろしめし御らんしたるみつよつは (9オ) ひきかへしはしたなめきこえんもいかゝとて御文はかりとり入 なとし侍るめれと御返はさらにきこえさせ給おりはかりなんそれをたに くるしひことにおほひたると聞ゆさてこのわかやかにむすほゝれたるは たかそいといたうかひたるけしきかなとほゝゑみて御らんすれは かれはしうねうとゝめてまかりにけるにこそ内のおほい殿の中将 のこのさふらふ見てこそをもとより見しり給へりけるへたてにて侍 けるまた見いるゝ人も侍らさりしにこそと聞ゆれはいとらう たき事かなけらうなりともかのぬしたちをいかゝいとさははし たなめん公卿といへとこの人のおほえにかならすしもならふましき こそおほかれさる中にもいとしつまりたる人也をのつから思あはするよも (9ウ) こそあれけちえんにはあらてこそいひまきらはさめ見ところ ある文かきかなととみにも打をきたまはすかうなにやかやと 聞ゆるをもおほすところやあらんとややましきをかのおとゝに しられたてまつりたまはん事もまたわか/\しうなにとなき 程にこゝら年へ給へる御中にさし出たまはん事はいかゝと思ひめくらし 侍なをよの人のあめるかたにさたまりてこそは人々しうさるへき ついても物したまはめと思ふを宮はひとり物し給やうなれと人から いたうあためひてかよひ給ところあまたきこえめしうととかに くけなるなのりする人ともなん数あまた聞ゆるさやうならんことは にくけなうてみなをひたまはん人はいとようなたらかにもちけ (10オ) ちてんすこし心にくせありては人にあかれぬへき事なんをのつから出き ぬへきをその御心つかひなんあへき大将は年へたる人のいたうねひ すきたるをいとひかてにともとむなれとそれも人々わらはしかるなり さもあへい事なれはさま/\になん人しれす思さためかね侍かうさま の事はおやなとにもさはやかにわか思ふさまとてかたり出かたき事なれ とさはかりの御よはひにもあらすいまはなとか何事をも御心にわいたま はさらんまろをむかしさまになすらへてはゝ君とを思なひ給へ御心に あかさらむ事は心くるしくなといとまめやかにてきこえ給へはくるしうて 御いらへきこえんともおほえたまはすいとわか/\しきもうたておほえて 何事も思しり侍らさりける程よりおやなとは見ぬ物にならひ侍てとも (10ウ) かくもおもふ給へられすなんときこえ給さまのいとおひらかなれはけにと おほひてさらは世のたとひの後のをそれとおほひてをろかならぬ心さし の程も見あらはしはて給てんやなと打かたらひ給ふおほすさまのことは まはゆけれはえ打出たまはす気しきあること葉は時々ませ給へ と見しらぬさまなれはすゝろに打なけかれてわたり給おまへちかき くれ竹のいとわかやかにおひたちて打なひくさまのなつかしきに立とまり給て     「ませのうちにねふかくうへし竹のこのをのか世々にや おひわかるへき」おもへはうらめしかへひことそかしとみすをひきあけてきこ え給へはいさりいてゝ     「いまさらにいかならん世かわか竹のおひはしめけん (11オ) ねをはたつねん」中々にこそ侍らめときこえ給をいとあはれとおほし けりさるは心のうちにはさもおもはすかしいかならんおりきこえいてんと心 もとなくあはれなれと此おとゝの御心はへのいとありかたきをおやときこゆ とももとより見なれたまはぬはえかたうしもこまやかならすやとむかし 物語を見給にもやう/\人のありさま世中のあるやうを見しり給へは いとつゝましう心としられたてまつらん事はかたかるへうおほすとのは いとゝらうたしと思きこえ給うへにもかたり申給あやしうなつかしき 人のありさまにもあるかなかのいにしへのはあまりはるけところなくそ ありし此君は物のありさまも見しりぬへく気ちかき心さまそひ てうしろめたからすこそみゆれとほめ給たゝにしもおほすましき御心 (11ウ) さまを見しり給へれはおほしよりて物の心はへつくへくは物し給めるをうら なくしも打とけたのみきこえ給ふらんこそ心くるしけれとのたまへはなと たのもしけなくやはあるへきときこえ給へはいてや我にても又しのひ かたう物おもはしきおり/\ありし御心さまの思出らるゝふし/\なくやはとほゝ ゑみてきこえ給へはあな心とくおほひてうたてもおほしよるかないと見しら すしもあらしとてわつらはしけれはのたまひさして心のうちに人のかうをし はかり給にもいかゝはあへからんとおほしみたれかつはひか/\しうけしからぬわか 心の程も思しられ給ふけり心にかゝれるまゝにしは/\わたり給つゝ見たてまつり 給雨打ふりたる名残のいと物しめやかなる夕つかたおまへのわかかえて柏 木なとのあをやかにしけりあひたるかなにとなくこゝちよけなる空を (12オ) 見いたし給てわしてまたきよしとうちすし給てまつこの ひめ君の御さまのにほひやけさをおほしいてられてれいの しのひやかにわたり給へり手ならひなとしてうちとけ給へりけ るをおきあかりたまてはちらひ給へるかほの色あひいとお かしなこやかなる気はひのふとむかしおほしいてらるゝに もしのひかたくて見そめたてまつりしかはいとかうしもおほえ たまはすとおもひしをあやしうたゝそれかとおもひまかへらるゝ おり/\こそあれあはれなるわさなりけり中将のさらにむかし さまのにほひにも見えぬならひにさしもにぬ物とおもふに かゝる人も物し給ふけるよとてなみたくみ給へりはこのふた (12ウ) なる御くたものゝ中にたちはなのあるをまさくりて     「たちはなのかほりし袖によそふれはかはれるみとも おもほえぬかな」世とともの心にかけてわすれかたきになく さむことなくてすきつるとしころをかくて見たてまつるは 夢にやとのみおもひなすをなをえこそしのふましけれ おほしうとむなよとて御手をとらへ給へれは女かやうにもなら ひたまはさりつるをいとうたておほゆれとおほとかなるさま にて物したまう     「袖の香をよそふるからにたち花のみさへはかなく なりもこそすれ」むつかしと思てうつふし給へるさまいみしうなつ (13オ) かし手つきのつふ/\とこへ給へる身也はたつきのこまやかにうつくしけ なるに中々なる物おもひそふこゝちしたまてけふはすこし思ふ事 きこえしらせ給ける女は心うくいかにせんとおほえてわなゝかるゝを 気しきもしるけれとなにゝかくうとましとはおほひたるいとよく もてかくして人にとかめらるへくもあらぬ心の程そよさりけなくて をもてかくし給へあさくも思きこえさせ心さしに又そふへけれは 世にたくひあるましきこゝちなんするを此音つれ聞ゆる人々には おほしおとすへくやはあるいとかうふかき心ある人は世にありかた かるへきわさなれはうしろめたくのみこそとのたまういとさかしら なる御おや心なりかし雨はやみて風の竹になる程花やかにさし出 (13ウ) たる月影おかしき夜のさまもしめやかなるに人々はこまやかなる 御物語にかしこまりをきて気ちかくもさふらはすつねに見たてま つり給御中なれとかくよきおりしもありかたけれはことに出給へるついて の御ひたふる心にやなつかしみ程なる御そとものけはひはいとよう まきらはしすくし給てちかやかにふし給へはいと心うく人のおもはん 事もめつらかにいみしうおほゆまことのおやの御あたりならましかは をろかには見はなち給うともかくさまのうき事はあらましやとかなしき につゝむとすれとこほれ出つゝいと心くるしき御けしきなれはかうおほ すこそつらけれもてはなれしらぬ人たに世に世のことはりにてみなゆ るすわさなめるをかく年へぬるをむつましさにかはかり見たてまつるや (14オ) なにのうとましかるへきそ是よりあなかちなる心はよも見せたて まつらしおほろけにしのふるにあまる程をなくさむるそやとてあはれ 気になつかしうきこえ給事おほかりましてかやうなるけはひはたゝむかし のこゝちしていみしうあはれ也わか御心なからもゆくりかにあはつけき 事とおほししらるれはいとよくおほしかへしつゝ人もあやしとおもへ けれはいたう夜もふかさて出たまひぬ思うとみたまはゝいと 心うくこそあるへけれよその人はかうほれ/\しうはあらぬ物そよ かきりなくそこひしらぬ心さしなれは人のとかむへきさまには よもあらしたゝむかし恋しきなくさめにはかなき事をもきこ えんおなし心にいらへなとし給へといとこまかにきこえ給へと我にもあらぬ (14ウ) さましていと/\うしとおほひたれはいとさはかりには見たてまつらぬ 御心はへをいとこよなくもにくみ給ふへかめるかなとなけき給てゆめ けしきなくてをとて出たまひぬ女君も御としこそすくし給 わたる程なれ世中をしりたまはぬ中にもすこしうちよなれ ぬる人のありさまをたに見しりたまはねはこれよりけちかき さまにもおほしよらすおもひのほかにもありける世かなとな けかしきにいと気しきもあしけれは人々御こゝちなやましけに 見え給ふとなやみ聞ゆ殿の御気しきのこまやかにかたしけなく もおはしますかなまことの御おやと聞ゆともさらにかはかりおほし よらぬ事なくはもてなしきこえたまはしなと兵部なともしのひて (15オ) きこゆるにつけていとゝおもはすに心つき御心のありさまを うとましうおもひはて給にも身そ心うかりける又のあした御文 とてありなやましかりてふし給へれと人々御すゝりなとまいりて 御返とくと聞ゆれはふし/\に見給しろきかみのうはへはおひらかに すく/\しきにいとめてたうかい給へりたくひなかりし御気しき こそつらきしもわすれかたういかに人見たてまつりけむ     「打とけてねも見ぬ物をわか草のことありかほに むすほゝるらん」をさなくこそ物し給けれとさすかにおやかり たる御こと葉もいとにくしと見給て御返こときこえ さらんも人めあやしけれはふくよかなるみちのくにかみにたゝ (15ウ) うけたまはりぬみたりこゝちのあしう侍れはきこえさせぬとのみ あるにかやうの気しきはさすかにすくよかなりとほゝ ゑみてうらみところあるこゝちし給もうたてある心かな 色に出給てのちはおほ田のまつのとおもはせたることなく むつかしうきこえ給ふことおほかれはいとところせきこゝちして をきところなき物おもひつきていとなやましうさへし給かくて ことの心しる人はすくなうてうときもしたしきもむけのおや さまにおもひきこえ給へたるをかやうの気しきのもり いてはいみしう人わらはれにうき名にもあるへきかな ちゝおとゝなとのたつねたまうにてもまめ/\しき御心 (16オ) はへにもあらさらん物からましていとあはつけうまちきゝ おほさむことよよろつにやすけなうおほしみたる宮大将 なとは殿の御気しきもてはなれぬさまにつたへきゝ 給ていとねんころにきこえ給ふこの岩もる中将もおとゝ の御ゆるしを見てこそかたよりにほのきゝてまことのすちをは しらすたゝひとへにうれしくておりたちうらみきこえ まとひありくめり ---------------------------------------------------------------------------------- 底本:Japanese Rare Book Collection (Library of Congress) LC Control No.2008427768 翻字担当者:篠田健一、神田久義、太田幸代 更新履歴: 2011年3月24日公開