米国議会図書館蔵『源氏物語』 橋姫 ---------------------------------------------------------------------------------- 記号の説明 1.くの字点は/\で表す。 2.和歌は「」で括る。 3.散らし書き和歌の末尾に#を付ける。 4.判読できない文字は■で表す。 本文の修正 1.翻字本文を修正した場合には、修正履歴を末尾に示す。 ---------------------------------------------------------------------------------- はしひめ (1オ) そのころ世にかすまへられたまはぬふる宮おはしけりはゝかた なともやむことなく物し給てすちことなるへきおほえなとおはし けるを時うつりて世中にはしたなめられ給けるまきれに中々いと 名残なくうしろみなと物うらめしき心々にてかた/\につけて世を そむきさりつゝおほやけわたくしによりところなくさしはなたれ 給へるやう也北のかたもむかしの大臣の御むすめなりけるあはれに 心ほそくおやたちのおほしをきてたりしさまなと思ひ出給にた としへなき事おほかれとふかき御契りのふた心なきはかりをうき世 のなくさめにてかたみに又なくたのみかはし給へり年ころふるに御こ 物したまはて心もとなかりけれはさう/\しくつれ/\なるなくさめにいかて (1ウ) おかしからんちこもかなと宮そ時めきおほしのたひけるにめつらしく 女君のいとうつくしけなるむまれ給へり是をかきりなくあはれと 思かしつききこえ給に又さしつゝきけしきはみ給て此たひは おとこにてもなとおほしたるにおなしさまにてたひらかにはし給なから いといたくわつらひてうせたまひぬ宮あさましうおほしまとふ ありふるにつけてもいとはしたなくたへかたき事おほかる世なれと見 すてかたくあはれなる人の御ありさま心さまにかけとゝめらるゝほたし にてこそすくしきつれひとりとまりていとゝすさましくもあるへきかな いはけなき人々をもひとりはくゝみたてん程かきりあるみちにてほいも とけまほしうし給けれと見ゆつる人なくて残しとゝめむをいみしくおほし (2オ) たゆたひつゝ年月もふれはをの/\およすけまさり給うさまかたちの うつくしうあらまほしきを明暮の御なくさめにてをのつからそすくし給 のちにむもれ給し君をはさふらふ人々もいてやおりふし心うくなと打 つふやきて心にいれてもあつかひきこえさりけれとかきりのさまにて何 事もおほしわかさりし程なから是をいと心くるしと思ひてたゝ此君をは かたみに見給てあはれとおほせとはかりたゝ一ことなん宮にきこえをき給 けれはさきの世の契りもつらきおりふしなれとさるへきにこそはありけめと いまはと見えしまていとあはれと思ひてうしろめたけにのたまひしをと おほし出つゝ此君をしもいとかなしうしたてまつり給かたちなんまことに いとうつくしうゆゝしきまて物し給けるひめ君は心はせしつかによし (2ウ) あるかたにて見るめもてなしも気たかく心にくきさまそした たまへるいたはしくやむことなきすちはまさりていつれをも さま/\に思かしつききこえ給へとかなはぬ事もおほく年月に そへて宮の内物さひしくのみなりまさりさふらひし人もたつ きなきこゝちするにえしのひあへすつき/\したかひてまかりちり つゝわか君の御めのともさるさはきにはか/\しき人をしもえり あへたまはさりけれは程につけたる心あさゝにておさなき程を見 すてたてまつりにけれはたゝ宮そはくゝみ給さすかにひろくおも しろき宮の池山なとのけしきはかりむかしにかはらていといたうあ れまさるをつれ/\となかめ給けいしなともむね/\しき人もなかりけれは (3オ) とりつくろふ人もなきままに草あをやかにしけり軒のしのふそところ えかほにあをみわたれるおり/\につけたる花紅葉の色をも香をも おなし心に見はやし給しにこそなくさむ事もおほかりけれいとゝしくさひ しくよりつかんかたなきさまに持仏の御かさりはかりをわさとせさせ給て 明暮をこなひ給かゝるほたしともにかゝつらふたに思のほかにくちおしう 我心なからもかなはさりける契りとおほゆるをまいてなにゝか世の人めいてい まさらにとのみ年月にそへて世中をおほしはなれつゝ心はかりをひしりに なりはて給て此君のうせ給にしこなたはれいの人のさまなる心はへなとたは ふれにてもおほし出たまはさりけりなとかさしもわかるゝ程のかな しひは又世にたくひなきやうにのみこそはおほゆへかめれとありふれは (3ウ) さのみやはなを世人になすらふ御心つかひをし給ていとかく見つる しくたつきなき宮の内もをのつからもてなさるゝわさもやと人は もとききこえてなにくれとつき/\しくきこえたつこともるひにふれて おほかれときこしめし入さりけり御ねんすのひま/\には此きみたちを もてあそひやう/\およすけ給へはことならはしこうちへんつきなと はかなき御あそひわさにつけても心はへともを見たてまつり給に ひめ君はらう/\しくふかくをもりかに見え給わか君はおほとかに らうたけなるさまして物つゝみしたるけはひにいとうつくしうさま/\ におはす春のうらゝかなる日影に池の水鳥とものはねうち かはしつゝをのかしゝさえつるこゑなとをつねははかなき事と見 (4オ) 給しかともつかひはなれぬをうらやましくなかめ給てきみたちに 御ことともをしへきこえ給いとおかしけにちいさき御程にとり/\かき ならし給物のねともあはれにおかしく聞ゆれは涙をうけたまひて     「うちすてゝつかはさりにし水とりのかりのこの世に たちをくれけむ」心つくしなりやとめをしのこひ給かたちいときよけにおはし ます宮也年ころの御をこなひにやせほそり給にたれとさてしもあてに なまめきて君たちをかしつき給御心はへになをしのなへはめるをき給てし とけなき御さまいとはつかしけ也ひめ君御すゝりをやをらひきよせて手な らひのやうにかきませ給を是にかき給へすゝりにはかきつけさなるとて かみたてまつり給へははちらひてかきたまふ (4ウ)     「いかてかくすたちけるそとおもふにもうき水鳥の 契りをそしる」よからねとそのおりはいとあはれなりけりてはおひ さき見えてまたよくもつゝけたまはぬ程也わか君とくかき給へと あれはいますこしおさなけにひさしくかきいて給へり     「なく/\もはねうちきする君なくは我そすもりに なるへかりける」御そともなとなへはみておまへに又人もなくいとさ ひしくつれ/\けなるにさま/\いとらうたけにて物し給をあは れに心くるしういかゝおほさゝらむ経をかた手にもたまひてかつ よみつゝさうかもし給ひめ君にひわわか君にさうの御ことを またおさなけれとつねにあはせつゝならひ給へは聞にくゝも (5オ) あらていとおかしく聞ゆちゝみかとにも女御にもとくをくれきこえ 給てはか/\しき御うしろみのとりたてたるおはせさりけれはさえ なとふかくもえならひたまはすまいて世中にすみつく御心をきて はいかてかはしりたまはんふかき人と聞ゆる中にもあさましうあて におほとかなる女のやうにおはすれはふるき世の御たから物おほちお とゝの御そうふんなにやかやとつきすましかりけれとゆくゑもなく はかなくうせはてゝ御てうとなとはかりなんわさとうるはしくてお ほかりけるまいりとふらひきこえ心よせたてまつる人もなしつれ つれなるまゝにうたつかさの物の師ともなとやうのすたれたるをめし よせつゝはかなきあそひに心を入ておい出給へれはそのかたはいとおかしく (5ウ) すくれ給へり源氏のおとゝの御おとうと八の宮とそきこえしを冷泉 院の春宮におはしましゝ時朱雀院のおほきさきのよこさまに おほしかまへて此宮を世中にたちつき給ふへくわか御時もてかしつき たてまつり給けるさはきにあひなくあなたさまの御なからひにはさしはなれ 給にけれはいよ/\かの御つき/\になりはてぬる世にてえましらひたまはす 又此年ころはかゝるひしりになりはてゝいまはかきりとよろつをおほし すてたりかゝる程にすみ給宮やけにけりいとゝしき世にあさましう あへなくてうつろひすみ給ふへきところのよろしきもなかりけれは宇治と いふところによしある山里もたまへりけるにわたり給ふ思すて給へる世なれ ともいまはとすみはなれなんをあはれとおほさるあしろのけはひちかく (6オ) みゝかしましき川のわたりにてしつかなる思にかなはぬかたもあれと いかゝはせん花もみち水のなかれにも心やるたよりによせていとゝしくなかめ 給よりほかのことなしかくたへこもりぬる野山のすゑにもむかしの 人物したまはましかはと思きこえたまはぬおりなかりけり     「見し人も宿もけふりになりにしをなにとて我身 きえ残りけむ」いけるかひなくそおほしこからるゝや山かきなれる 御すみかにたつねまいる人なしあやしきけすなとゐ中ひたる山かつ とものみまれになれまいりつかうまつるみねのあさ霧はるゝおり なくてあかしくらし給に此宇治山にひしりたちたる阿闍梨すみ けりさえいとかしこくて世のおほえもかろからねとおさ/\おほやけ事にも (6ウ) 出つかへすこもりゐたるに此宮のかくちかき程にすみ給てさひしき御さま たうときわさをせさせ給つゝ法文をよみならひ給へはたうとかり きこえてつねにまいる年ころまなひしり給へる事とものふかき心を とききかせたてまつりいよ/\此世のかりそめにあちきなき身を申しら すれは心はかりははちすのうへに思のほりにこりなき池にもすみぬへきを いとかくおさなき人々を見すてんうしろめたさはかりになんえひたみちに かたちをもかへぬなとへたてなく物語し給此あさりは冷泉院にもした しくさふらひて御経なとをしへ聞ゆる人なりけり京に出たるついてにまいりて れいのさるへき文なと御らんしてとはせ給事ともあるついてに八の宮のいとかし こくないけうの御さえさとりふかく物し給けるかなさるへきにてむまれ (7オ) 給へる人にや物し給ふらん心ふかく思すまし給へる程まことのひしり のをきてになん見え給と聞ゆいまたかたちはかへたまはすや俗ひしり とか此わかき人々のつけたなるあはれなる事也なとのたまはす宰相の 中将も御まへにさふらひ給て我こそ世中をはいとすさましく思しりなから をこなひなと人にめとゝめらるゝはかりはつとめすくちおしくてすくしく れと人しれす思つゝ俗なからひしりになり給心のをきてやいかにと みゝとゝめて聞給出家の心さしはもとより物し給へるをはかなき事に 思とゝこほりいまとなりては心くるしき女子ともの御うへをえおもひ すてぬとなんなけきうれへ給とそうすさすかに物のねめつるあさり にてけにはた此ひめ君たちのことひきあはせてあそひ給へる (7ウ) 川浪にきほひてきこえ侍れはいとおもしろくこくらく おもひやられ侍やとこたひにめつれはみかとほゝゑみ給てさる ひしりのあたりにおひ出て此世のかたさまはたと/\しからんとをし はからるゝをおかしのことやうしろめたく思すてかたくもてわつらひ 給ふらんをもししはしもをくれん程はゆつりやはしたまはぬなとその たまはする此院のみかとは十のみこにそおはしましける朱雀院の こ六条院にあつけきこえし入道の宮の御ためしをおもほし出てかの 君たちもかなつれ/\なるあそひかたきになとうちおほしけり中将の君 中々みこの思すまし給へらむ御心はへをたいめんして見たてまつらはやと 思ふ心そふかくなりぬるさてあさりのかへりいるにもかならすまいりて物なら (8オ) い聞ゆへくまつ内々にもけしきたまはり給へなとかたらひ給みかとは御こと つてにてあはれなる御すさひを人つてにきく事なときこえ給とて     「世をいとふこゝろは山にかよへともやへたつ雲を 君やへたつる」あさり此御つかひをさきにたてゝかの宮にまいりぬなのめ なるきはのさるへき人のつかひたにまれ山かけにいとめつらしく待よろこ ひ給てところにつけたるさかななとしてさるかたにもてはやし給御返     「跡たえてこゝろすむとはなけれとも世を宇治山に 宿をこそかれ」ひしりのかたをはひけしてきこえなし給へれとなを 世に恨のこりけるといとおしく御らんすあさり中将の君の道心ふかけに 物し給なとかたりきこえて法文なとの心えまほしき心さしなんいはけ (8ウ) なかりしよはひよりふかく思なからえさらす世にありふる程おほやけ わたくしにいとまなくあけくらしわさととちこもりてならひよみ大 かたはか/\しくもあらぬ身にしも世中をそむきかほならんもはゝかるへき 身にあらねとをのつから打たゆみまきらはしくてなんすくしくるを いとありかたき御ありさまをうけたまはりつたへしよりふかく心 にかけてなんたのみきこえさするなとねんころに申給しなとかたり 聞ゆ宮世中をかりそめの事と思よりいとはしき心のつきそむる事も 我身にうれへある時なへての世もうらめしう思しるはしめありて なん道心もおこるわさなめるを年わかく世中おもふにかなひなに こともあかぬ事はあらしとおほゆる身の程にさはた後の世をさへた (9オ) とりしり給ふらんかありかたきこゝにさるへきにやたゝいとひはなれ よとことさらに仏なとのすゝめおもむけ給やうなるありさまにて をのつからこそしつかなる思かなひゆけと残りすくなきこゝ地するに はか/\しくもあらてすきぬへかめるをきしかたゆくすゑさらにえたと るところなく思しらるゝをかへりては心はつかしけなるのりのともにこそ は物し給なれなとのたまひてかたみに御せうそこかよひ身つからも まうて給けに聞しよりもあはれにすまひ給へるさまよりはしめて いとかりなる草のいほりに思なしことそきたりおなしき山さとと いへとさるかたにて心とまりぬへくのとやかなるもあるをいとあらま しき水の音なみのひゝきに物わすれ打しよるなと心とけて夢 (9ウ) をたに見るへき程もなけにすこく吹はらひたりひしりたちたる 御ためにはかゝるしもこそ心とまらぬもよほしならめ女君たちなにこゝ 地してすくし給ふらんよのつねの女しくなよひたるかたはとをく やとをしはからるゝ御ありさま也仏のへたてにさうしはかりをへ たてゝそおはすへかめるすき心あらん人はけしきはみよりて 人の御心はへをも見まほしうさすかにいかゝとゆかしうもある御け はひ也されとさるかたを思はなるゝねかひに山ふかくたつねきこ えたるほいなくすき/\しきなをさり事を打いてあされはまむ もことにたかひてやなと思かへして宮の御ありさまのいとあは れなるをねんころにとふらひきこえたまひたひ/\まいり給つゝ (10オ) 思しやうにうはそくなからをこなう山のふかき心法文なと わさとさかしけにはあらていとよくのたまひしらすひしり たつ人さえある法師なとは世におほかれとあまりこは/\しく けとをけなるしうとくの僧都僧正のきはは世にいとまなく きすくにて物々の心をとひあらはさむもこと/\しくおほえ給又 その人ならぬ仏の御てしのいむ事をたもつはかりのたうとさは あれとけはひいやしくこと葉たみてこちなきに物なれたる いと物しくてひるはおほやけにいとまなくなとしつゝしめやかなる よゐの程ちかき御枕かみなとにめしいれかたらひ給にもいとさすかに 物むつかしうなとのみあるをいとあてに心くるしきさましてのたまい (10ウ) 出ることの葉もおなし仏の御をしへをもみゝちかきたとひにひきませ いとこよなくふかき御さとりにはあらねとよきは物の心をえ給かたの いとことに物し給けれはやう/\見なれたてまつり給たひことにつねに 見たてまつらまほしうていとまなくなとして程ふる時は恋しうおほえ給 此君のかくたうとかりきこえ給へれはれせい院よりもつねに御せう そこなとありて年ころをとにもおさ/\きこえたまはすいみしく さひしけなりし御すみかにやう/\ひとめ見る時しありおりふしに とふらひきこえ給事いかめしう此君もまつさるへき事につけつゝおか しきやうにもまめやかなるさまにも心よせつかうまつり給事みとせ はかりになりぬ秋のすゑつかた四季にあてゝし給御ねんふつを此川 (11オ) つらはあしろの浪も此ころはいとゝみゝかしましくしつかならぬをとて かのあさりのすむ寺のたうにうつろひ給て七日の程をこなひ給 ひめ君たちはいと心ほそくつれ/\まさりてなかめ給けるころ中将の 君ひさしくまいらぬかなと思ひ出きこえ給けるまゝにあり明の月 のまた夜ふかくさし出る程に出たちていとしのひて御ともに人なと もなくやつれておはしけり川のこなたなれは舟なともわつらはて 御馬にてなりけりいりもてゆくまゝに霧ふたかりてみちも見えぬ しけ木の中をわけ給にいとあらましき風のきほひにほろ/\とおち みたるゝ木葉の露のちりかゝるもいとひやゝかに人やりならす いたくぬれたまひぬかゝるありきなともおさ/\ならひたまはぬこゝ地に (11ウ) 心ほそくおかしくおほされけり     「山おろしにたへぬ木葉の露よりもあやなくもろき 我涙かな」山かつのおとろくもうるさしとてすいしんの音もせさせ たまはす柴のまかきをわけつゝそこはかとなき水のなかれとも をふみしたく駒のあしをともなをしのひてとようゐし給へるにかく れなき御にほひそ風にしたかひてぬししらぬ香とおとろくねさめの 家々ありけるちかくなる程にその事とも聞わかれぬ物のねともいとすこ けに聞ゆつねにかくあそひ給と聞をついてなくてみこの御きんのね の名たかきもえきかぬそかしよきおりなるへしと思つゝいり給へはひわの こゑのひゝきなりけりわうしきてうにしらへてよのつねのかきあはせ (12オ) なれとところからにやみゝなれぬこゝちしてかきかへすはちのをと物きよ けにおもしろしさうのことあはれになめゝいたるこゑしてたえ/\きこゆ しはし聞まほしきにしのひ給へと御けはひしるく聞つけてとのゐ人めくをのこ なまかたくなしき出きたりしか/\なんこもりおはします御せうそこをこそ きこえさせめと申なにかしかかきりある御をこなひの程をまきらはしき こえさせんにあひなしかくぬれ/\まいりていたつらにかへんうれへをひめ君の 御かたにきこえてあはれとのたまはせはなんなくさむへきとのたまへはみにく きかほ打ゑみて申させ侍らんとてたつをしはしやとめしよせて年ころ 人つてにのみ聞てゆかしく思御ことのねともをうれしきおりかなしはしすこし 立かくれて聞へき物のくまありやつきなくさしすきてまいりよらむ (12ウ) 程みなことやめ給てはいとほいなからんとのたまう御けはひかほかたちのさる なほ/\しきこゝちにもいとめてたくかたしなくおほゆれは人きかぬ時は明暮 かくなんあそはせとしも人にても都のかたよりまいりたちましる人侍る 時は音もせさせたまはす大かたかくて女君たちおはしますことをは かくさせ給なへての人にしらせたてまつらしとおほしのたまはするなりと申 せは打わらひてあちきなき御物かくしなりしかしのひ給なれとみな人 ありかたき世のためしに聞いつへかめるをとのたまひてなをしるへせよ我は すき/\しき心なとなき人そかくておはしますらん御ありさまのあやしく けになへてにおほえたまはぬなりとこまやかにのたまへはあなかしこ心なき やうに後のきこえや侍らんとてあなたのおまへは竹のすいかひしこめてみな (13オ) へたてことなるををしよせたてまつり御ともの人は西のひさしによひすへてこの とのゐ人あひしらふあなたにかよふへかめるすいかひの戸をすこしをしあけて見た まへは月おかしき程に霧わたれるをなかめてすたれをみしかくまきあけて人々 ゐたりすのこにいとさむけに身ほそくなへはめるわらはひとりおなしさまなる おとななとゐたり内なる人ひとりははしらにすこしゐかくれてひわをまへに をきてはちをてまさくりにしつゝゐたるに雲かくれたりつる月をにはかにいと あかくさし出たれは扇ならて是しても月はまねきつへかりけりとてさし のそきたるかほいみしくらうたけににほひやかなるへしそひふしたる人は ことのうへにかたふきかゝりている日をかへすはちこそありけれさまことにも思ひ をよひ給御心かなとて打わらひたるけはひいますこしをもりかによしつきたり (13ウ) をよはすとも是も月にはなるゝ物かはなとはかなき事を打とけのたまひかはし たるけはひともさらによそに思やりしにはにすいとあはれになつかしうおかしむかし 物語なとにかたりつたへてわかき女房なとのよむをも聞にかならすかやうのことを いひたるさしもあらさりけんとにくゝをしはからるゝをけにあはれなる物のくまあり ぬへき世なりけりと心うつりぬへし霧のふかけれはさやかに見ゆへくもあらす又 月さし出なんとおほす程におくのかたより人おはすとつけ聞ゆる人やあらん すたれおろしみないりぬおとろきかほにはあらすなこやかにもてなしてやをら かくれぬるけはひともきぬの音もせすいとなよらかに心くるしうていみしう あてにみやひかなるをあはれと思ひ給やをら立出て京に御くるまゐて まいるへく人はしらせつありつるさふらひにおりあしくまいり侍にけれと (14オ) 中々うれしくおもふ事すこしなくさめてなんかくさふらふよしきこえよ いたうぬれにたるかこともきこえさせむとのたまへはまいりて聞ゆ かく見えやしぬらんとはおほしもよらて打とけたりつる事ともを きゝやしぬらむといといみしくはつかしあやしくかうはしくにほふ 風の吹つるを思かけぬ程なれはおとろかさりける心をそさよと心 もまとひてはちおはさうす御せうそこなとつたふる人もいと うゐ/\しき人なめるをおりからにこそよろつの事ともおほいてまた 霧なれはありつるみすのまへにあゆみ出てついゐ給山里ひたる わか人ともはさしいらへんことの葉もおほえて御しとねさし出る さまもたと/\しけ也此みすのまへにははしたなく侍けりうち (14ウ) つけにあさき心はかりにてはかくもたつねまいるましき山のかけちに おもふ給ふるをさまことにてこそかく露けきたひをかさねてはさり とも御らんししるらんとなんたのもしう侍といとまめやかにのたまう わかき人々のなたらかに物聞ゆへきもなくきえかへりかゝやかしけ なるもかたはらいたけれはをんなはらのおくふかきをおこし出るほと ひさしくなりてわさとめいたるもくるしうて何事も思しらぬありさま にてしりかほにもいかゝは聞ゆへくといとよしありあてなるこゑして ひきいりなからほのかにのたまふかつしりなからうきをしらすかほなる も世のさかとおもふ給へしるを一ところしもあまりおほめかせ給ふらんこそ くちおしかるへけれありかたうよろつを思すましたる御すまゐなとに (15オ) たくひきこえさせ給御心のうちはなに事もすゝしくをしはかられ侍れ はなをかくしのひあまり侍ふかさあさゝの程もわかせたまはんこそは 侍らめよのつねのすき/\しきすちにはおほしめしはなつへくやさやう のかたはわさとすゝむる人侍りともなひくへうもあらぬ心つよさに なんをのつからきこしめしあはするやうも侍なんつれ/\とのみすくし 侍世の物語もきこえさせところにたのみきこえさせ又世はな れてなかめさせ給ふらん御心のまきらはしにもおとろかさせ給はかりき こえなれ侍れはいかに思ふさまに侍らんなとおほくのたまへは つゝましくいらへにくゝておこしつる老人の出くるにそゆつり給たとし へなくさしすくしてあなかたしけなやかたはらいたきおましのさま (15ウ) にも侍かなみすのうちにこそわかき人々は物の程しらぬやうに 侍こそなとしたゝかにいふこゑのさたすきたるもかたはらいたく 君たちはおほすいともあやしく世中にすまゐ給人の数にもあらぬ 御ありさまにてさもありぬへき人々たにとふらひかすまへきこえ給も 見えきこえすのみなりまさり侍めるにありかたき御心さしの 程は数にも侍らぬ心にもあさましきまて思給へきこえ させ侍をわかき御こゝ地にもおほししりなからきこえさせ 給にくきにや侍らんといとつゝみなく物なれたるもなま にくき物からけはひいたう人めきてよしあるこゑなれはいとた つきもしらぬこゝちしつるにうれしき御けはひにこそ何事も (16オ) けに思しり給けるたのみこよなかりけりとてよりゐ給へる をきちやうのそはよりみれは明ほののやう/\物の色わかるゝ にけにやつし給へると見ゆるかりきぬすかたのいとぬれしめり たる程うたて此世のほかのにほひにやとあやしきまてかほりみち たり此老人は打なきぬさしすきたるつみもやと思ふ給へしのれと あはれなるむかしの御物語のいかならんついてに打出きこえさせかたはし をもほのめかししろしめさせむと年ころねんすのついてにも打ませ 思給へわたるしるしにやうれしきおりに侍をまたきにおほゝれはへる 涙に暮てえこそきこえさせす侍けれと打わななくけしき まことにいみしく物かなしとおもへり大かたさたすきたる人は涙 (16ウ) もろなる物とは見聞給へといとかうしもおもへるもあやしうなり 給てこゝにかくまいる事はたひかさなりぬるをかくあはれしり 給へる人もなくてこそ露けきみちの程にひとりのみそほちつ れうれしきついてなめるをことなのこい給そかしとのたまへは かゝるついてしも侍らしかし又侍りとも夜のまの程しらぬいのち をたのむへきにも侍らぬをさらはたゝかゝるふる物世に侍 けりとはかりしろしめされ侍らなん三条の宮に侍し小侍従ははかな くなり侍にけるとほの聞侍しそのかみむつましうおもふ給へしおなし 程の人おほくうせ給にける世のすゑにはるかなるせかいよりつたはり まうてきて此五とせ六とせの程なん是にかくさふらひ侍しろし (17オ) めさしかし此ころ藤大納言と申なる御このかみの右衛門のかみにて かくれ給にしは物のついてなとにやかの御うへとてきこしめしつたはる 事も侍らんすき給ていくはくもへたゝらぬこゝ地のみし侍そのおり のかなしさも袖のかはくおり侍らすおもふ給へらるゝをてをおりてかそへ 侍れはかくおとなしくならせ給にける御よはひの程も夢のやうになんか のこ権大納言の御めのとに侍しは弁かはゝになん侍し朝夕につかうまつり なれ侍しに人数にも侍らぬ身なれと人にしらせす御心よりはたあまり ける事をおり/\打かすめのたまひしをいまはかきりになり給にし御やま ひのすゑつかたにめしよせていさゝかのたまひをく事なん侍しをきこし めすへきゆへなん一こと侍れとかはかりきこえ出侍に残りをとおほしめす (17ウ) 御心侍らはのとかになんきこしめしはて侍へきわかき人々もかたはら いたくさしすきたりとつきしろひ侍めるもことはりになんとてさすかに 打出すなりぬあやしく夢かたりかんなきやうの物のとはすかたりすらん やうにめつらかにおほさるれとあはれにおほつかなくおほしわたる事 のすちを聞ゆれはいとおくゆかしけれとけに人めもしけしさしくみに ふる物語にかゝつらひて夜をあかしはてんもこち/\しかるへけれとそこ はかと思わく事はなき物からいにしへの事と聞侍も物あはれに なんさらはかならす此残りきかせ給へ霧はれゆかははしたなかる へきやつれをおもなく御らんしとかめられぬへきさまなれはおもふ 給ふる心の程よりはくちおしうなんとて立給ふにかのおはします寺 (18オ) の鐘のこゑかすかにきこえて霧いとふかく立わたり峰のやへ雲 おもひやるへたておほくあはれなるになを此ひめ君たちの御心のうち とも心くるしう何事をおほし残すらんかくいとおくまり給へるもことはり そかしとおほゆ     「朝ほらけ家路も見えすたつねこしまきのを山は 霧こめてけり」心ほそくも侍かなと立かへりやすらひ給へるさまを都 人のめなれたるたになをいとことに思きこえたるをまいていかゝは めつらしう見さらむ御返きこえつたへにてけに思たれはれいの いとつゝましけにて     「雲のゐる峰のかけちを秋きりのいとゝへたつる (18ウ) ころにもあるかな」すこし打なけい給へるけしきあさからすあはれ也 なにはかりおかしきふしはえぬあたりなれとけに心くるしき事おほかる にもあかうなりゆけはさすかにひたおもてなるこゝ地して中々なる程に うけたまはりさしつる事おほかる残りはいますこしおもなれてこそは 恨きこえさすへかめれさるはかく世の人めひてもてなし給へりてはおもはすに 物おほしわかさりけりとうらめしうなんとてとのゐ人かしつらひたる西おもて におはしてなかめ給あしろは人さはかしけ也されとひをもよらぬにやあ らむすさましけなるけしきなりと御ともの人々はしりていふあやしき 舟ともに柴かりつみをの/\なにとなき世のいとなみともにゆきかふさま とものはかなき水のうへにうかひたる誰もおもへはおなし事なるよのつねわ (19オ) さ也我はうかはす玉のうてなにしつけき身と思ふへき世かはと思つゝけらる すゝりめしてあなたにきこえたまう     「はしひめのこゝろをくみてたかせさすさほのしつくに 袖そぬれぬる」なかめ給ふらんかしとてとのゐ人にもたせ給へりさむけに いさゝきたるかほしてもてまいる御返かみのかなとおほろならんははつ かしけなるをときをこそはかゝるおりはとて     「さしかへる宇治の川をさあさゆふのしつくや袖を くたしはつらん」身さへうきてといとおかしけにかき給へりまほにめやすく 物し給けりと心とまりぬれと御くるまゐてまいりぬと人々さはかし 聞ゆれはとのゐ人はかりをめしよせてかへりわたらせたまはんほとに (19ウ) かならすまいるへしなとのたまふぬれたる御そともはみな此人にぬき かけ給てとりにつかはしつる御なをしにたてまつりかへつ老人の物語心に かゝりておほし出らる思しよりはこよなくまさりておほとかにおかしかり つる御けはひともおもかけにそひてなを思はなれかたき世なりけりと 心よはく思しらる御文たてまつり給けさうたちてもあらすしろき 色紙のあつこえたるに筆はひきつくろひえりてすみつき見 ところありてかき給打つけなるさまにやとあひなくとゝめ侍て残り おほかるもくるしきわさになんかたはしきこえをきつるやうにいま よりはみすのまへも心やすくおほしゆるすへくなん御山こもりはて 侍らん日かすもうけたまはりをきていふせかりし霧のまよひも (20オ) はるけ侍らんなとそいとすくよかにかき給へるうこんのそうなる 人御つかひにてかの老人たつねて文もとらせよとのたまうとのゐ人か さむけにてさまよひしなとあはれにおほしやりておほきなるひわ りこやうの物あまたせさせ給又の日かの御寺にもたてまつり給 山こもりのそうとも此ころの嵐にはいと心ほそくくるしからんをさて おはします程のふせ給ふへからんとおほしやりてきぬわたなとおほかり けり御をこなひはてゝ出給あしたなりけれはをこなひ人ともにわた きぬけさころもなとすへて一くたりの程つゝあるかきり大とこたち に給とのゐ人かのぬきすてのえんにいみしきかりの御そともえ ならぬしろきあやの御そのなよ/\といひしらすにほへるをうつしきて (20ウ) 身をはたえかへぬ物なれはにつかはしからぬ袖の香を人ことにとかめ られめてらるゝなん中々ところせかりける心にまかせて身をやすくも ふるまはれすいとむくつけきまて人のおとろくにほひをうしなひて はやとおもへとところせき人の御うつり香にてえもすゝきはてぬそあ まりなるや君はひめ君の御返ことをいとめやすくこめかしきをおかしく見給 宮にもかく御せうそこありなと人々きこえさせ御らんせさすれはなにかは けさうたちてもてないたまはんも中々うたてあらんれいのわかき人に にぬ心はへなめるをなからん後もなとこと打ほのめかしてしかはさやうにて心そと めたらんなとのたまひけり御みつからもさま/\の御とふらひの山の岩屋にあ まりし事なとのたまへるにまうてんとおほして三の宮のかやうにおくまり (21オ) たらんあたりの見まさりせんこそおかしかるへけれとあらましことにたにの たまふ物をきこえはけまして御心さはかしたてまつらんとおほして のとやかなる夕暮にまいり給へりれいのさま/\なる御物語きこえかはし 給ついてにうちの宮の事かたり出て見し暁のありさまなとくはしくき こえ給に宮いとせちにおかしとおほいたりされはよと御けしきを見て いとゝ御心うこきぬへくいひつゝけ給さてそのありけむ返ことはなとか見 せたまはさりしまろならましかはと恨給さかしいとさま/\御らんすへかめる はしをたにみせたまはぬかのわたりはかくいともむもれたる身にひきこめて やむへきけはひにも侍らねはかならす御らんせさせはやと思給へれと いかてかたつねよらせ給ふへきかやすき程こそすかまほしくはいとよくすき (21ウ) ぬへき世に侍けれ打かくろへつゝおほかめるかなさるかたに見ところありぬ へき女の物おもはしき打しのひたるすみかも山里めひたるくまなとにをの つから侍かめり此きこえさするわたりはいとよつかぬひしりさまにてこち/\しう そあらんと年ころ思あなつり侍てみゝをたにこそとゝめ侍らさりけれほのか なりし月影のみをとりせすはまほならんはやけはひありさまはたさはかり ならんをそあらまほしき程とおほえ侍へきなときこえ給はて/\はまめたちて いとねたくおほろけの人のかくふかくおもへるををろかならしとゆかしうおほす事 かきりなくなりたまひぬなを又々よくけしき見給へと人をすゝめ給てかきりある 御身の程のよたけさをいとはしきまて心もとなしとおほしたれはおかしくていてや よしなくそ侍しはし世中に心とゝめしとおもふ給ふるやうある身にてなをさり (22オ) こともつゝましう侍を心なからかなはぬ心つきそめなはおほきに思ふにたかふ へき事になん侍へきときこえ給へはいてあなこと/\しきひしりとは見はて てしかなとてわらひ給心のうちにはかのふる人のほのめかしゝすち なとのいとゝ打おとろかされて物あはれなるにおかしとみる こともめやすしときくあたりもなにはかり心にもとまらさり けり十月になりて五六日の程に宇治へまうて給あしろをこそ 此ころは御らんせめと聞ゆる人々あれとなにかはそのひをむしに 心にてあしろにもよらむとそきすて給てかろらかにあしろ くるまにかとりのなをしさしぬきぬはせてことさらひき 給へり宮まちよろこひ給てところにつけたる御あるしなと (22ウ) おかしうしなし給暮ぬれはおほとなふりちかくてさき/\見 さし給へる文とものふかきなとあさりもさうしおろして 義なといはせ給打もまとろます河風のいとあらましきに木葉の ちりかふをと水のひゝきなとあはれもすきて物おそろしく心ほそき ところのさま也明かたちかくなりぬらむと思ふ程にありししのゝめ思ひ 出られてことのねのあはれなる事のついてつくり出てさきのたひ 霧にまとはされ侍し明ほのにいとめつらしき物のね一こゑうけ たまはりし残りなん中々にいといふかしうあかす思給へらるゝ なときこえ給色をも香をも思すてゝし後むかし聞し事も みなわすれてなとのたまへと人めしてことゝりよせていとつきなく (23オ) なりにたりやしるへする物のねにつけてなん思ひ出らるへかりける とてひわめしてまらうとにそゝのかし給とりてしらへ給さらに ほのかに聞侍しおなし物とも思ふ給へられさりける御ことのひゝき からにやとこそ思給へしかとて心とけてもかきたてたまはす いてあなさかなやしか御みゝとまるはかりのてなとはいつくよりか こゝまてはつたはりこんあるましき御事也とてきんかきならし給へる いとあはれに心すこしかたへは峰の松風もてはやすなるへしいと たと/\しけにおほめき給て心はへあるて一はかりにてやめ給つこの わたりにおほえなくており/\ほのめくさうのことのねこそ心えたる にやときくおり侍れと心とゝめてなともあらてひさしうなりにけりや (23ウ) 心にまかせてほの/\かきならすへかめるは川浪よりや打 あはすらむろなう物のようにすはかりのはうしなともとまらしと なんおほえ侍るとてかきならし給へとあなたにきこえ給へと 思よらさりしひとりことを聞給けむたにある物をいとかたはならんと ひきいりつゝみな聞たまはすたひ/\そゝのかしきこえ給へととかくき こえすさひてやみたまひぬめれはいとくちおしうおほゆそのついて にもかくあやしうよかぬ思やりにてすくすありさまともの思のほかなる ことなとはつかしうおほいたり人にたにいかてしらせしとはくゝみすくせ とけふあすともしらぬ身の残りすくなさにさすかにゆくすゑとをき 人はおちあふれてさすらへんこと是けに世をはなれんきはの (24オ) ほたしなりけれと打かたらひ給へは心くるしう見たてまつり 給わさとの御うしろ見たちはか/\しきすちに侍らすとも うと/\しからすおほしめさむとなん思給ふるしはしもなか らへ侍らんいのちの程はひとこともかく打出きこえさせ てんさまをたかへ侍るましくなんなと申給へはいとうれ しき事とおほしのたまふさて暁かたに宮の御をこ なひしたまふほとにかの老人めし出てあひ給へりひめ君 の御うしろ見にてさふらはせ給弁の君とそいひける としは六十にすこしたらぬ程なれとみやひかにゆへ あるけはひして物なときこゆこ大納言の君のよとともに (24ウ) 物をおもひつゝやまひつきはかなくなり給にしありさまを きこえ出てなくことかきりなしけによその人のうへ ときかむたにあはれなるへきふる事ともをまして 年ころおほつかなくゆかしういかなりけんことのはしめにかと ほとけにもこのことをさたかにしらせ給へとねんしつる しるしにやかくゆめのやうにあはれなるむかしかたりを おほえぬついてにきゝつけたらむとおほすになみたとゝめ かたかりけりさてもかくその世のこゝろしりたる人も残り 給へりけるをめつらかにもはつかしうもおほゆることの すちになんなをかくいひつたふるたくひや又もあらんとし (25オ) ころかけてもきゝをよはさりけるとのたまへはこししうと 弁とはなちて又しる人侍らし一ことにても又こと人にうち まねひ侍らすかく物はかなくかすならぬ身の程に侍れと よるひるかのみかけにつきたてまつりて侍しかはをのつから 物のけしきをも見たてまつりそめしに御こゝろよりあま りておほしけるとき/\たゝふたりの中になんたまさかの 御せうそこのかよひも侍しかたはらいたけれはくはしくき こえさせすいまはのとちめになり給ていさゝかのたまひ をく事の侍しをかゝる身にはをきところなくいふせくおもひ給へ わたりつゝいかにしてかはきこしめしつたふへきとはか/\しからぬ (25ウ) ねんすのついてにも思給へつるを仏はおはしましけりとなん思ひ 給へしりぬる御らんせさすへき物も侍りいまはなにかはやきも すて侍なんかくあさゆふのきえをしらぬ身のうちすて侍 なはおちゝるやもこそといとうしろめたく思給ふれと此宮 わたりにもとき/\ほのめかせ給をまち出たてまつりてしかは すこしたのもしくかゝるおりもやとねんし侍るちからいて まうてきてなんさらにこれはこのよのことにも侍らしと なく/\こまかにむまれ給けるほとの事もよくおほえつゝ きこゆむなしうなり給しさはきにはゝに侍し人はやかて やまひつきてほともへすかくれ侍にしかはいとゝ思給へ (26オ) しつみ藤ころもたちかさねかなしきことを思給し程にとし ころよからぬ人の心をつけたりけるか人をたはかりこちて西の 海のはてまてとりもてまかりにしかは京のことをさへ跡たえて その人もかしこにてうせ侍にし後とゝせあまりにてなんあらぬ 世のこゝ地してまかりのほりたりしを此宮はちゝかたにつけて わらはよりまいりかよふゆへ侍しかはいまはかう世にましらふへき さまにも侍らぬをれせい院の女御とのゝ御かたなとこそはむか し聞なれたてまつりしわたりにてまいりよるへく侍しかとはし たなくおほえ侍てえさし出侍らてみ山かくれのくち木に なりにて侍也こししうはいつかうせ侍にけんそのかみのわかさかり (26ウ) と見侍し人は数すくなくなり侍にけるすゑの世におほくの人に をくるゝいのちをかなしく思給へてこそさすかにめくらひ侍れなと 聞ゆる程にれいの明はてぬよしさらは此むかし物かたりはつきす へうなんあらぬ又人きかぬ心やすくところにてきこえむ侍従と いひし人はほのかにおほゆるは五むつはかりなりし程にやにはかに むねをやみてうせにきとなんきくかゝるたいめんなくはつみをもき 身にてすきぬへかりける事なとのたまふさゝやかにをしまき あはせたるほくとものかひくさきをふくろにぬひいれたるとり 出てたてまつるおまへにてうしなはせ給へ我なをいくへくもあらすなり にたりとのたまはせてこの御文をとりあつめてたまはせたりし (27オ) かはこ侍従に又あひ見侍らんついてにさたかにつたへまいらせむと思 給へしをやかてわかれ侍にしもわたくしことにはあらすかなしうなん おもふ給ふ侍と聞ゆつれなくて是はかくい給つ又思みたれ給御かゆ こはいゐなとまいり給きのふはいとま日なりしをけふは内の御 物いみもあきぬらん院の女一の宮なやみ給御とふらひにかならす まいるへけれはかた/\いとまなく侍を又このころすくして山の紅葉 見ぬさきにまいるよしきこえ給かくしは/\たちよらせ給ふ ひかりに山のかけもすこし物あきらむるこゝちしてなん なとよろこひきこえ給かへり給てまつ此ふくろを見給へは からのふせんれうをぬひてうへといふ文字をうへにかきたり (27ウ) ほそきくみしてくちのかたをゆひたるにかの御名のふう つきたりあくるもおそろしうおほえ給色々のかみにて たまさかにかよひける御文の返こと五むつそあるさてはかの 御手にてやまひはおもくかきりになりにたるに又ほのかにも きこえん事かたくなりぬるをゆかしうおもふ事はそひにたる 御かたちもかはりておはしますらんかさま/\かなしき事をみち のくにかみ五六まひにつふ/\とあやしき鳥のあとのやう にかきて     「めのまへにこの世をそむくきみよりもよそにわかるゝ たまそかなしき」又はしにめつらしくきゝ侍二葉のほとも (28オ) うしろめたうおもふ給ふるかたはなけれと     「いのちあらはそれとも見まし人しれぬ岩ねにとめし 松のゆくすゑ」かきさしたるやうにいとみたりかはしくてししうの 君にとうへにはかきつけたりしみといふむしのすみかになりて ふるめきたるかひくさなから跡はきえすたゝいまかき たらむにもたかはぬことの葉とものこま/\とさたか なるを見給にけにおちゝりたらましよとうしろ めたういとおしき事ともなりかゝる事世に又あらむ やとこゝろひとつにいとゝ物おもはしさそひてうちへ まいらんとおほしつるもいてたゝれす宮のおまへに (28ウ) まいりたまへれはいとなにこゝろもなくわかやか なるさましたまひて経よみたまふをはちらひて もてかくしたまへりなにかはしりにけりとも しられたてまつらむなとこゝろにこめてよろ つにおもひゐたまへり ---------------------------------------------------------------------------------- 底本:Japanese Rare Book Collection (Library of Congress) LC Control No.2008427768 翻字担当者:楠木陽子、野崎花菜、高田智和、瀧田裕子 更新履歴: 2012年12月26日公開 2013年12月10日更新 ---------------------------------------------------------------------------------- 修正箇所(2013年12月10日修正) 丁・行 誤 → 正 (1ウ)10 思給けれと → し給けれと (3ウ)2 もてなさるゝにさもやと → もてなさるゝわさもやと (6オ)4 たまはましかいと思きこえ → たまはましかはと思きこえ (7オ)5 とゝめらるもはかりは → とゝめらるゝはかりは (8オ)7 後 → 跡 (8ウ)8 世を → 世も (9オ)6 え物し → は物し (11ウ)6 風にたかひて → 風にしたかひて (13ウ)10 ありける → ありつる