米国議会図書館蔵『源氏物語』 椎本 ---------------------------------------------------------------------------------- 記号の説明 1.くの字点は/\で表す。 2.和歌は「」で括る。 3.散らし書き和歌の末尾に#を付ける。 4.判読できない文字は■で表す。 本文の修正 1.翻字本文を修正した場合には、修正履歴を末尾に示す。 ---------------------------------------------------------------------------------- しゐかもと (1オ) きさらきの廿日の程に兵部卿の宮はつせにまうて給ふるき 御くわんなりけれとおほしもたゝて年ころになりにけるを宇治の わたりの御中やとりのゆかしさにおほくはもよほされ給へるなるへし うらめしといふ人もありける里の名のなへてむつましうおほさるゝ ゆへもはかなしやかんたちめいとあまたつかうまつり給殿上人なとは さらにもいはす世に残る人すくなうつかふまつれり六条院よりつ たはりて右のおほい殿しり給ところは川よりをちにいとひろくおも しろくてあるに御まうけせさせ給へりおとゝもかへさの御むかへに まいり給ふへくおほしたるをにはかなる御物いみのをもくつゝしみ 給ふへく申たなれはえまいらぬよしのかしこまり申給へり宮なま (1ウ) すさましとおほしたるに宰相の中将けふの御むかへにまいりあひ 給へるに中々心やすくてかのわたりのけしきもつたへよらむと御心 ゆきぬおとゝをは打とけて見えにくゝこと/\しき物に思きこえ給へり みこの君たち右大弁侍従の宰相権中将頭の少将くら人の 兵衛のすけなとみなさふらひ給みかときさきも心ことに思きこえ 給へる宮なれは大かたの御おほえもいとかきりなくまいて六条院の御 かたさまはつき/\の人もみなわたくしの君に心よせつかうまつり給ところ につけて御しつらひなとおかしうしなしてこすくろくたきのはんともなと とり出て心々にすさひくらし給つゝ宮はならひたまはぬ御ありきになや ましくおほされてこゝにやすらはんの御心もふかけれは打やすみ給て (2オ) 夕つかたそ御ことなとめしてあそひ給れいのかう世はなれたるところは 水の音ももてはやして物のねすみまさるこゝ地してかのひしりの宮に もたゝさしわたる程なれはをひ風に吹くるひゝきを聞給にむかしの ことおほし出られてふえをいとおかしくも吹とをしたるかなたれならん むかしの六条院の御笛のねきゝしはいとおかしけにあひきやうつきたる ねにこそ吹給しか是はすみのほりてこと/\しき気のそひたるはちしの おとゝの御そうのふえのねにこそにたるなれなとひとりこちおはす あはれにひさしくなりにけりやかやうのあそひなともせてあるにも あらてすくしきにける年月のさすかにおほくかそへらるゝこそかひ なけれなとのたまうついてにもひめ君たちの御ありさまあたらしく (2ウ) かゝる山ふところにひきこめてはやますもかなとおほしつゝけらるは 宰相の君のおなしうはちかきゆかりにて見まほしけなるをさしも 思よるましかめりまいていまやうの心あさからん人をはいかてかお ほしみたれつれ/\となかめ給ところは春の夜もいとあかしかたきを心 やり給へる旅ねのやとりはゑいのまきれにいととう明ぬるこゝ地して あかすかへらんことを宮はおほすはる/\と霞わたれは空にちる桜 あれはいまひらけそむるなと色々見わたさるゝに川そひの柳の おきふしなひく水かけなとをろかならすおかしきを見ならひたま はぬ人はいとめつらしく見すてかたしとおほさる宰相はかゝるたよ りをすくさすかの宮にまうてはやとおほせとあまたの人め (3オ) をよきてひとりこき出たまはんふたわたりの程もかろらかに やと思やすらひ給程にかれより御ふみあり     「山かせにかすみふきとくこゑはあれとへたてゝ見ゆる をちのしら浪」さうにいとおかしうかき給へり宮おほすあたりと 見給へはいとおかしくおほいて此御返は我せむとて     「をちこちのみきはに浪はへたつともなを吹かよへ 宇治の川風」中将はまうて給あそひに心いれたるきんたちさそ ひてさしやり給程かんすいらくあそひて水にのそきたるらうに つくりおろしたるはしの心はへなとさるかたにいとおかしうゆへある宮 なれは人々心して舟よりおり給こゝは又さまことに山里ひたるあしろ (3ウ) 屏風なとのことさらにことそきて見ところある御しつらひをさる心して かきはらひいといたうしなし給へりいにしへねなといとになきひき物 ともをわさとまうけたるやうにはあらてつき/\ひき出給て一こつてう の心に桜人あそひ給あるしの宮の御きんをかゝるついてにと人々思給へ れとさうのことをそ心にもいれすおり/\かきあはせ給みゝなれぬけにやあ らむいと物ふかくおもしろしとわかき人々思しみたりところにつけたるあるし いとおかしうし給へりよそに思やりし程よりはなまそんわうめくいやし からぬ人あまたおほきみ四位のふるめきたるなとかくひとめ見るへきおりと かねていとおかしかりきこえけるにやさるへきかきりまいりあひてへ いしとる人もきたなけならすさるかたにふるめきてよし/\しう (4オ) もてなし給へりまらうとたちは御むすめたちのすまゐ給ふらん 御ありさまおもひやりつゝ心つく人もあるへしかの宮はまいてかや すき程ならぬ御身をさへところせくおほさるゝをかゝるおりにたにと しのひかね給ておもしろき花のえたをおらせ給て御ともにさふらふ うへわらはのおかしきしてたてまつり給     「山さくらにほふあたりにたつねきておなしかさしをおりてけるかな」# 野をむつましみとやありけん御返はいかてかはなときこえにくうおほし わつらふかゝるおりのことわさとかましくもてなし程のふるも中々にくきことに なんし侍しなとふる人とも聞ゆれは中の君にそかゝせたてまつり給ふ     「かさしおる花のたよりに山かつのかきねをすきぬはるのたひ人」# (4ウ) 野をわきてしもといとおかしけにらう/\しくかき給へりけに川かせも心わかぬさま に吹かよふも物のねともおもしろくあそひ給御むかへに藤大納言おほせことにて まいり給へり人々あまたまいりつとひ物さはかしくてきほひ給へり給わかき人々は あかすかへり見のみなんせられける宮は又さるへきついてしてとおほす花さ かりにてよもの霞もなかめやる程の見ところあるにからのもやまとの もきかぬ也物さはかしく思ふまゝにもえいひよらすなりにしをあかす宮はお ほしてしるへなくても御文はつねにありけり宮もなをきこえ給へわさとけさう たちてももてなさし中々心ときめきにもなりぬへしいとすき給へるみこ なれはかゝる人なんと聞給かなをもあらぬすさひなめりとそゝのかし給時々 中の君そきこえ給ひめ君はかやうのことたはふれにももてはなれ (5オ) 給へる御心ふかさ也いつとなく心ほそき御ありさまに春のつれ/\はいとゝくら しかたくなかめ給ねひまさり給御さまかたちともいよ/\あらまほしくおかしきも 中々心くるしうかたほにもおはせましかはあたらしくおしきかたの思はうす くやあらましなと明暮おほしみたるあね君二十五中の君廿三にそなり給ける 宮はをもくつゝしみ給ふへき年なりけり物心ほそくおほして御をこなひつね よりもたゆみなくし給世に心とゝめたまはねは出たちいそきをのみおほすは すゝしきみちにもおもむき給ぬへきをたゝ此御事ともにいと/\おしくかきり なき御心つよさなれとかならすいまはと見すてたまはん御心はみたれなんと 見たてまつる人もをしはかり聞ゆるをおほすさまにはあらすともなのめに さても人きゝくちおしかるましう見ゆるされぬへききはの人のま心に (5ウ) うしろ見きこえんなと思より聞ゆるあらはしらすかほにてゆるしてん 一ところ世にすみつき給よすかあらはそれを見ゆつるかたになく さめをくへきをさまてふかき心にたつね聞ゆる人もなしまれ/\は はかなきたよりにすきこときこえなとする人はまたわか/\しき人の 心のすさみに物まうての中やとりゆきゝの程のなをさりことにけし きはみかけてさすかにかくなかめ給ありさまなとをしはかりあなつら はしけにもてなすはめさましうてなけのいらへをたにせさせたまはす 三の宮そなを見てはやましとおほす御心ふかかりけるさるへきにや おはしけん宰相の中将その秋中納言になりたまひぬいとゝにほひ まさり給世のいとなみにそへてもおほす事おほかりいかなる事といふ (6オ) せく思わたりし年ころよりも心くるしうてすき給にけんいにしへさま のおもひやらるゝにつみかろくなり給はかりをこなひもせまほしくなんかの 老人をはあはれなる物に思をきていちしるきさまならすとかくまきらはし つゝ心よせとふらひ給うちにまうてゝひさしうなりにけるを思ひ出てまいり 給へり七月はかりになりにけり都にはまた入たゝぬ秋のけしきををとはの 山ちかく風の音もいとひやゝかにまきの山辺もわつかに色つきてなをた つねきたるおかしうめつらしうおほゆるを宮はまいてれいよりも待よろこひ きこえ給て此たひは心ほそけなる物語いとおほく申給なからむ後此君 たちをさるへき物のたよりにもとふらひ思すてぬ物にかすまへ給へなと おもむけつゝきこえ給へは一ことにてもうけたまはりをきてしかはさ (6ウ) らに思給へをこたるましくなん世中に心をとゝめしとはふ き侍身にてなに事もたのもしけなきおひさきのすくなさに なんはへれとさるかたにてもめくらい侍らんかきりはかはらぬこゝ ろさしを御らんししらせむとなん思給ふるなときこえ給へはうれ しとおほいたり夜ふかき月のあきらかにさし出て山の端 ちかきこゝ地するにねんすいとあはれにし給てむかし物語し給 此ころの世はいかゝなりにたらむくちうなとにてかやうなる秋の月に 御まへの御あそひのおりにさふらひあひたるなかに物の上手とおほしき かきりとり/\に打あはせたるひやうしなとこと/\しきよりもよしありと おほえある女御更衣のみつほね/\のをのかしゝはいとましく思ふ (7オ) うはへのなさけをかはすへかめるに夜ふかき程の人のけしめりぬるに 心やましくかいしらへほのかにほころひ出たる物のねなときゝところ あるかおほかりしかな何事にも女はもてあそひのつまにしつへく物はか なき物から人の心をうこかすくさはひになんあるへきされはつみのふかき にやあらん此みちのやみをおもひやるにもをのこはいとしもおやの心 をみたさすやあらん女はかきりありていふかひなきかたに思すつへき にもなをいと心くるしかるへきなと大かたのことにつけてのたまへるいかゝさ おほさゝらむと心くるしく思やらるゝ御心のうち也すへてみつからのこと にてはいかにも/\ふかう思しるかたの侍らぬをけにはかなき事なれとこゑに めつる心こそそむきかたきことに侍けれさかしうひしりたつかせうもされ (7ウ) はやたちてまひ侍けんなときこえてあかす一こゑきゝし御ことのねを せちにゆかしかり給へはうと/\しからぬはしめにもとやおほすらむ御みつから あなたにわたり給てせちにそゝのかしきこえ給さうのことをそいと ほのかにかきならしてやみ給ぬるいとゝ人のけはひもたえてあはれ なる空のけしきところのさまにわさとなき御あそひの心にいりておかしう おほゆれと打とけてもいかてかはひきあはせたまはんをのつからかはかりなら しそめつる残りはよこもれるとちにゆつりきこえてんとて宮は仏の御 まへにいりたまひぬ     「我なくて草のいほりはあれぬともこのひとことは かれしとそ思ふ」かゝるたいめんも此たひやかきりならむと物心ほそきに (8オ) しのひかねてかたくなしきひか事おほくもなりにけるかなとて打なき給まらうと     「いかならむ世にかかれせんなかきよのちきりむすへる 草のいほりは」すまゐなとおほやけ事ともまきれ侍ころすきて候はんなと きこえ給こなたにてかのとはすかたりのふる人めし出て残りおほかる物語なとせ させ給入かたの月はくまなくさしいりてすきかけなまめかしきに君たちもおく まりておはすよのつねのけさうひてはあらす心ふかう物語のとやかにきこえ つゝ物し給へはさるへき御いらへなときこえ給三の宮いとゆかしうおほいたる物をと 心のうちには思ひ出つゝ我心なからなを人にはことなりかしさはかり御心もてゆるい給ことの さしもいそかれぬよもてはなれてはたあるましき事とはさすかにおほえすかやう にて物をもきこえかはしおりふしの花紅葉につけてあはれをもなさけをもかはすに (8ウ) にくからす物し給あたりなれはすくせことにてほかさまにもなりたまはんはさすか にくちおしかるへうおほしたるこゝちしけりまた夜ふかき程にかへりたまひぬ心ほ そく残りなけにおほいたりし御けしきを思ひ出きこえ給つゝさはかしき程すくし てまうてんとおほす兵部卿の宮もこの秋の程に紅葉見におはしまさんとさる へきついてをおほしめくらす御文はたえすたてまつり給女はまめやかにおほすらん とも思たまはねはわつらはしくもあらてはかなきさまにもてなしつゝおり/\にきこ え給秋ふかくなりゆくまゝに宮はいみしう物心ほそくおほえ給けれはれいのしつか なるところにてねんふつをもまきれなうせむとおほしてつゐにわかれをのかれぬ わさなめれと思なくさむかたありてこそかなしさをもさます物なめれ又見ゆつる 人もなく心ほそけなる御ありさまともを打すてゝむかいみしき事されとも (9オ) さはかりのことにさまたけられてなかき世のやみにさへまとはんかやくなさ をかつ見たてまつる程たに思すつる世をさりなんうしろのことしるへき事 にはあらねと我身一にあらす過給にし御おもてふせにかろ/\しき心とも つかひ給なおほろけのよすかならて人のことも打なひき此山さとをあく かれ給なたゝかう人にたかひたる契りことなる身とおほしなしてこゝに 世をつくしてんと思とり給へひたふるに思ひしなせはことにもあらすすき ぬる年月なりけりまして女はさるかたにたへこもりていちしるくいとおし けなるよそのもときおはさらむなんよかるへきなとのたまうともかくとも 身のならんやうまてはおほしもなかされすたゝいかにしてかをくれたてま つりては世にかた時もなからふへきとおほすにかく心ほそきさまの御あら (9ウ) まし事にいふかたなき御心まとひともになん心のうちにこそ思すて給へらめ と明暮御かたはらにならはい給てにはかにわかれたまはんはつらき御 心ならねとけにうらめしかるへき御ありさまになんありけるあすいりた まはんとての日はれいならすこなたかなたたゝすみありき給て 見給いと物はかなくかりそめのやとりにてすくい給けるすまゐのあり さまをなからん後いかにしてかはわかき人のたへこもりてはすくいたまはん と涙くみつゝねんすし給さまいときよけ也おとなひたる人々めし出てうし ろやすくつかうまつれ何事ももとよりかやすく世にきこえあるましき きはの人はすゑのおとろへもつねの事にてまきれぬへかめりかゝるきはに なりぬれは人はなにとおもはさらめとくちおしうてさすらへん契り (10オ) かたしけなくいとおしき事なんおほかるへき物さひしく心ほそき世をふるは れいの事也むまれたる家の程をきてのまゝにもてなしたらんなんきゝ みゝにも我こゝ地にもあやまちなくはおほゆへきにきはゝしく 人数めかんとおもふともその心にもかなふましきよとならはゆめ/\ かろ/\しくよからぬかたにもてなしきこゆななとのたまふまた暁に 出給とてもこなたにわたり給てなからむ程心ほそくなおほしわひそ 心はかりはやりてあそひなとはし給へ何ことも思ふにもかなふましき 世をなおほしいれそなとかへり見かちにて出たまひぬ二ところいとゝ 心ほそく物おもひつゝけられておきふし打かたらひつゝひとり/\ なからましかはいかてあかしくらさましいまゆくすゑもさためなき (10ウ) 世にてもしわかるゝやうもあらはなとなきみわらひみたはふれこと もまめこともおなし心になくさめかはらてすくし給かのをこなひ給 三昧けふはてぬらんといつしかと待きこえ給夕暮に人まいりて けさよりなやましうてなんえまいらぬかせかとてとかくつくろふと 物する程になんさるはれいよりもたいめん心もとなきをときこえ給へり むねつふれていかなるにかとおほしなけき御そともわたあつくていそき せさせ給てたてまつれなとし給二三日はおもたまはすいかに/\と人 たてまつり給へとことにおとろ/\しくはあらすそこはかとなくくるしく なんすこしもよろしくならはいまねんしてなとこと葉にてきこえ 給あさりつとさふらひてつかうまつりけりはかなき御なやみとみゆれと (11オ) かきりのたひにもおはしますらん君たちの御事なにかおほしなけくへき 人はみな御すくせといふ物こと/\なれは御心にもかゝるへきにもおはし まさすといよ/\おほしはなるへき事をきこえしらせつゝいまさらにな 出給そといさめ申なりけり八月廿日の程なりけり大かたの空のけ しきもいとゝしきころ君たちはあさゆふ霧のはるゝまもなくおほし なけきつゝなかめ給あり明の月のいと花やかにさし出て水のおもてもさやか にすみたるをそなたのしとみあけさせて見いたし給へるにかねの こゑかすかにひゝきてあけぬなりと聞ゆる程に人々きてこの 夜なかはかりになんうせ給ぬるとなく/\申すと心にかけていかにとは たえすおもひきこえ給へれと打きゝ給にはあさましく物おほえぬ (11ウ) こゝちしていとゝかゝる事には涙もいつちかいにけんたゝうつふし/\ 給へりいみしき事もみるめのまへにておほつかなからぬこそつねの ことなれおほつかなさそひておほしなけく事ことはり也しはしにても をくれたてまつりて世にあるへき物とおほしならはぬ御こゝちとも にていかてかはをくれしとなきしつみ給へとかきりあるみち なりけれはなにのかひなしあさり年ころ契りをき給けるまゝに 後の御事もよろつにつかうまつるなき人になり給へらむ御さま かたちをたにいま一たひ見たてまつらんとおほしのたまとへと いまさらになてうさることか侍へき日ころも又あひ見給まし きことをきこえしらせつれはいまはましてかたみに御心とゝめ (12オ) 給ましき御心つかひをならひ給ふへきなりとのみ聞ゆおはしましける 御ありさまを聞給にもあさりのあまりさかしきひしり心をにくゝ つらしとなんおほしける入道の御ほいはむかしよりふかくおはせし かとかう見ゆつる人なき御事ともの見すてかたきをいけるかきり はあけくれえさらす見たてまつるをよに心ほそきよのなくさめ にもおほしはなれかたくてすくい給へるをかきりあるみちには さきたち給もしたひ給御心もかなはぬわさなり中納言殿には きゝ給ていとあへなくくちおしくいま一たひ心のとかにてきこゆ へかりける事おほう残りたるこゝちして大かたの世のありさま 思ひつゝけられていみしうない給又あひ見る事かたくやなとのた (12ウ) まいしをなをつねの御心にもあさゆふのへたてしらぬ世のはか なさを人よりけにおもひ給へりしかはみゝなれてきのふけふと おもはさりけるを返々あかすかなしくおほさるあさりのもと にもきんたちの御とふらひもこまやかにきこえ給かゝる御とふらひ なと又をとつれ聞ゆる人たになき御ありさまなるは物おほえぬ 御こゝちともに年ころの御心はへのあはれなめりしなとをも思ひしり 給よのつねの程のわかれたにさしあたりては又たくひなきやう にのみみな人の思まとふ物なめるをなくさむかたなけなる御身とも にていかやうなるこゝちともし給ふらんとおほしやりつゝのちの御わさ なとあるへき事ともをしはかりてあさりにもとふらひ給こゝにも老人 (13オ) ともにことよせて御す経なとのこともおもひやりきこえたま うあけぬ夜のこゝ地なから九月にもなりぬ野山の気しきまし て袖の時雨をもよほしかちにともすれはあらそひおつる木の葉の をとも水のひゝきもなみたのたきもひとつ物のやうに くれまとひてかうてはいかてかかきりあらん御いのちもしはし めくらひたまはんとさふらふ人々は心ほそくいみしくなくさめきこえ つゝ思まとふこゝにもねんふつのそうさふらひておはしましゝかた は仏をかたみに見たてまつりつゝとき/\まいりつかうまつりし 人々の御いみにとまりたるかきりはあはれにをこなひてすくす 兵部卿の宮よりもたひ/\とふらひきこえ給さやうの御かへり (13ウ) なときこえんこゝ地もしたまはすおほつかなけれは中納言にはかうも あらさなるを我をはなを思はなち給へるなめりとうらめしくお ほす紅葉のさかりに文なとつくらせたまはんとて出たち 給しをかく此わたりの御せうえうひなきころなれはおほ しとまりてくちおしくなん御いみもはてぬかきりあれは涙も ひまもやとおほしやりていとおほくかきつゝけ給へる時雨 かちなるゆふつかた     「をしかなく秋の山さといかならむこはきか露のかゝる夕暮」# たゝいまの空のけしきをおほししらぬかほならんもあまり心 つきなくこそあるへけれかれゆく野へもわきてなかめらるゝころに (14オ) なんなとありけにいとあまり思しらぬやうにてたひ/\になり ぬるをなをきこえ給へなと中の宮をれいのそゝのかして かゝせたてまつり給けふまてなからへてすゝりなとちかくひき よせて見るへき物とやは思ひし心うくもすきにける日かすかな とおほすに又かきくもり物見えぬこゝちし給へはをしやりて なをえこそかき侍ましけれやう/\かうおきゐられなとし侍か けにかきりありけるにこそとおほゆるもうとましう心うくてと らうたけなるさまになきしほれておはするもいと心くるし 夕くれの程よりきける御つかひよゐすこしすきてそ来たる いかてかへりまいらんこよひは旅ねしてといはせ給へとたちかへり (14ウ) こそまいりなめといそけはいとおしうて我さかしう思しつめ給ふ にはあらねと見わつらひ給て     「なみたのみ霧ふたかれる山さとはまかきにしかそもろこゑになく」# くろきかみによるのすみつきもたと/\しけれはひきつくろう ところもなく筆にまかせてをしつゝみていたし給つ御つかひはこは たの山の程も雨もよにいとおそろしけなれとさやうの物おちす ましきをやえり出給けむむつかしけなるさゝのくまを駒ひきとゝむる 程もなく打はやめてかた時にまいりつきぬ御まへにめしていたくぬれて まいりたれはろく給さき/\御らんせしにはあらぬ手のいますこしおと なひまさりてよしつきたるかきさまなとをいつれかいつれならんと打も (15オ) をかす御らんしつゝとみにもおほとのこもらねはまつとておきおはしまし 又御らんする程のひさしきはいかはかり御心にしむ事ならんと御まへなる人々 さゝめききこえてにくみ聞ゆねふたけれはなめりまたあさきり ふかきあしたにいそきおきてたてまつり給     「朝きりにともまとはせる鹿のねをおほかたにやは あはれともきく」もろこゑはをとるましうこそとあれとあまりなさけ たゝむもうるさし一ところの御影にかくろへたるをたのみところ にてこそ何事も心やすくてすくしつれ心よりほかになからへておもはす なる事のまきれつゆにてもあらはうしろめたけにのみおほしをく めりしなき御ためにさへきすやつけたてまつらんとなへていとつゝましう (15ウ) おそろしうてきこえたまはす此宮なとをはかろらかにをしなへて のさまにも思きこえたまはすなけのはしりかい給へる御筆つかひ ことの葉もおかしきさまになまめき給へる御けはひをあまたは見 しりたまはねと是こそはめてたきなめれと見給なからそのゆへ/\ しくなさけあるかたにことをませきこえんもつきなき身のありさま なれはなにかたゝかゝる山ふしたちてすくしてんとおほす中納言 殿の御返はかりはかれよりもまめやかなるさまにきこえ給へは是より もいとけうとけにはあらすきこえかよひ給御いみはてゝみつから まうて給へりひんかしのひさしのくたりたるかたにやつれておは するにちかうたちより給てふる人めし出たりやみにまとひた (16オ) まへる御あたりにいとまはゆくにほひみちていりおはしたれは かたはらいたうて御いらへなとをたにえしたまはねはかやうには もてないたまはてむかしの御心むけにしたかひきこえたまはん さまならんこそきこえうけたまはるかひあるへけれなよひ気しき はみたるふるまひをならひ侍らねは人つてにきこえ侍らはことの 葉もつゝき侍らすとあれはあさましういまゝてなからへはへるやう なれとおもひなくさむかたなきゆめにまとはれ侍てなん心より ほかに空のひかり見侍らむもつゝましうてはしちかうもえ みしろき侍らぬときこえ給ふへけれはことゝいへはかきりなき 御こゝろのふかさになん月日の影は御心もてはれ/\しくもて (16ウ) 出させたまはゝこそつみも侍らめゆくかたもなくいふせうおほ え侍り又おほさるらんはし/\をもあきらめきこえまほしくなん と申給へはけにこそいとたくひなけなめる御ありさまをなく さめきこえ給御心はへのあさからぬ程なと人々きこえしら す御こゝちにもさこそいへやう/\心しつまりてよろつ思しられ 給へはむかしさまにてもかうまてはるけき野辺をわけ入給へる心 さしなとも思しり給へしすこしゐさりより給へりおほすらむ さま又のたまふ契りし事なといとこまやかになつかしういひて うたてをおしき気はひなとは見えたまはぬ人なれは気うとく すゝろはしくなとはあらねとしらぬ人にかくこゑきかせたてまつり (17オ) すゝろにたのみかほなることなともありける日ころを思つゝくるも さすかにくるしうてつゝましけれとほのかに一ことなといらへきこえ給 さまのけによろつ思ほれ給へるけはひなれはいとあはれと聞たてま つり給くろききちやうのすきかけのいと心くるしけなるにまして おはすらんさまほの見し明暮なともおもひいてられて     「色かはるあさちを見てもすみそめにやつるゝそてを おもひこそやれ」とひとりことのやうにのたまへは     「色かはる袖をは露のやとりにて我身そさらに をきところなき」はつるゝいとはとすゑはいひけちていといみしくしの ひかたきけはひにていりたまひぬなりひきとゝめなとすへき程にも (17ウ) あらねはあかすあはれにおほゆ老人そこよなき御かはりに出きてむか しいまをかきあつめかなしき御物語とも聞ゆるありかたくあさましき 事ともをも見たる人なりけれはかうあやしくおとろへたる人 ともおほしすてられすいとなつかしうかたらひ給いはけなかりし 程にこ院にをくれたてまつりていみしうかなしき物は世なりけりと 思しりにしかは人となりゆくよはひにそへてつかさくらゐ世中の にほひもなにもおほえすなんたゝかうしつやかなる御すまひなとの 心にかなひ給へりしをかくはかなく見なしたてまつりなしつるにいよ/\ いみしくかりそめの世の思しらるゝ心ももよほされにたれと心くる しうてとまり給へる御事とものほたしなときこえむはかけ/\しき (18オ) やうなれとなからへてもかの御事あやまたすきこえうけたまらはらま まほしさになんさるはおほえなき御ふる物語きゝしよりいとゝ世中に跡とめん ともおほえすなりにたりやと打なけきつゝのたまへは此人はましていみしく なきてえもきこえやらす御けはひなとのたゝそれかとおほえ給に年ころ 打わすれたりつるいにしへの御事をさへとりかさねてきこえやらんかたも なくおほえれゐたり此人はかの大納言のめのとこにてちゝは此ひめ君たち のはゝ北のかたのをち左中弁にてうせにけるか子なりけり年ころとをき国 にあくかれはゝ君もうせ給て後かの殿にはうとくなり此宮にはたつねとり てあらせ給なりけり人もいとやむことなからす宮つかへなれにたれとこゝ地なか らぬ物に宮もおほしてひめ君たちの御うしろみたつ人になし給へる (18ウ) なりけりむかしの御事は年ころかくあさゆふに見たてまつりなれ心へたゝる くまなく思きこゆる君たちにも一こと打出きこゆるついてなくしの かこめたりけれと中納言の君はふる人のとはすかたりみなれいのこと なれはをしなへてあは/\しうなとはいひひろけすともいとはつかし けなめる御心ともには聞をき給へらむかしとをしはからるゝかねたく もいとおしくもおほゆるにそ又もてはなれてはやましと思よらるゝ つまにもなりぬへきいまは旅ねもそゝろなるこゝちしてかへり給に もこれやかきりのなとのたまひしをなとかさしもやはと打たのみて 又見たてまつらすなりにけん秋やはかはれるあまたの日かすもへた てぬ程におはしにけんかたもしらすあへなきわさなりやことにれいの (19オ) 人めいたる御しつらひなくいとことそき給めりしかといと物きよけに かきはらひあたりおかしくもてない給へりし御すまゐもたいとこたちいて いりこなたかなたひきへたてつゝ御ねんすのくともなとそかはらぬさま なれとほとけはみなかの寺にうつしたてまつりてんとすと聞ゆるを聞 給にもかゝるさまの人かけなとさへたえはてん程とまりて思給ふらん御こゝ地 ともをくみきこえ給もいとむねいたうおほしつゝけらるいたくくれ 侍りぬと申せはなかめさしてたち給に雁なきてわたる     「秋きりのはれぬ雲ゐにいとゝしくこの世をかりと いひしらすらむ」兵部卿の宮にたいめんし給時はまつ此君たちの御事 をあつかひ草にし給いまはさりとも心やすきをとおほして宮はねむ (19ウ) ころにきこえ給けりはかなき御返もきこえにくゝつゝましきかたに 女かたはおほいたりよにいといたうすき給へる御名のひろこりてこのま しくえんにおほさるへかめるもかういとうつもれたるむくらのしたよりさし 出たらむてつきもいかにうゐ/\しくふるめきたらむなと思くんし給へり さてもあさましうてあけくらさるるは月日なりけりかくたのみかたかりけ る御世をきのふけふとはおもはてたゝ大かたさためなきはかなさはかりを 明くれの事にきゝ見しかと我も人もをくれさきたつ程しもやはへんなと 打おもひけるよきしかたを思つゝくるもなにのたのもしけなる世にもあら さりけれはたゝいつとなくのとかになかめすくし物おそろしくつゝましき こともなくてへつる物を風の音もあらゝかにれい見ぬ人かけも打つれ (20オ) こはつくれはまつむねつふれて物おそろしくわひしうおほゆる事 さへそひにたるかいみしうたへかたき事と二ところ打かたらひつゝほすよな くてすくし給に年も暮にけり雪あられふりしくころはいつくもかく こそはある風の音なれといまはしめて思いりたらむ山すみのこゝ地し 給をんなはらなとあはれとしはかはりなんとす心ほそくかなしきことをあら たまるへき春まち出てしかなと心をけたすいふもありかたき事かなと きゝ給むかひの山にも時々の御ねんふつにこもり給しゆへこそ人も まいりかよひしかあさりもいかゝと大かたにまれにをとつれ聞ゆれといまは なにしにかはほのめきまいらんいとゝ人めのたえはつるもさるへき事と思ひ なからかなしくなんなにとも見さりし山かつもおはしまさて後玉さかに (20ウ) さしのそきまいるはめつらしくおもほえ給此ころの事とてたきゝこのみ ひろひてまいる山人ともありあさりのむろより炭なとやう物たて まつるとて年ころにならひ侍にける宮つかへのいまはとてたえ侍らんか 心ほそさになんときこえたりかならす冬こもる山かせふせきつ へきわたきぬなとつかはしゝをおほし出てやり給法師はらわらは へなとののほりゆくも見えみ見えすみいと雪ふかきをなく/\たち出て 見をくり給御くしなとおろい給ふてけるさるかたにておはしまさまし かはかやうにかよひまいる人もをのつからしけからましいかにあはれに 心ほそくともあひ見たてまつる事たえてやまましやはなとかたら ひたまう (21オ)     「君なくて岩のかけみちたえしより松の雪をも なにとかは見る」中の宮     「おく山の松葉につもる雪とたにきえにし人を おもはましかは」うらやましくそ又もふりそふや中納言のきみ あたらしき年はふとしもえとふらひきこえさらんとおほして おはしたり雪もいとところせきによろしき人たに見えすなりに たるをなのめならぬけはひしてかろらかに物し給へる心はへのあさふは あらす思しられ給へはれいよりは見いれておましなとひきつくろは せ給すみそめならぬ御ひをけものゝおくなるとり出てちりかき はらひなとするにつけても宮の待よろこひ給し御けしきなとを (21ウ) 人々もきこえいつたいめし給事をはつゝましくのみおほいたれと 思くまなきやうに人の思給へれはいかゝせんとてきこえ給うちとく とはなけれとさき/\よりはすこしことの葉つゝけて物なとのたまへる さまいとめやすく心はつかしけ也かやうにてのみはえすくしはつましと おもひなり給もいと打つけなる心かななをうつりぬへき世なりけりと 思ひゐたまへり宮のいとあやしくうらみ給ことの侍かなあはれなりし 御一ことをうけたまはりをきしさまなとことのついてにもやもらしき こえたりけんまたいとくまなき御心のさかにてをしはかり給にや侍らむ こゝになんともかくもきこえさせなすへきとたのむをつれなき御けしき なるはもてそこなひ聞ゆるそとたひ/\えんし給へは心よりほかなる事と (22オ) 里のしるへいとこよなうもえあらかひきこえぬをなにかはいとさしも もてなしきこえ給ふらんすい給へるさまに人はきこえなすへかめれと心の そこあやしくふかうおはする宮也なをさり事なとのたまふわたりの 心かるうてなひきやすなるなとをめつらしからぬ物に思おとし 給にやとなんきくことも侍るなに事にもあるにしたかひて心を たつるかたもなくおとけたる人こそたゝ世のもてなしにしたかひて とあるもかゝるもなのめに見なしすこしこゝろにたかふふしある にもいかゝはせむさるへきそなとも思なすへかめれは中々心なかき ためしになるやうもありくつれそめてはたつたの川のにこる名 をもけかしいふかひなく名残なきやうなることなともみなうち (22ウ) ましるめれこゝろ物ふかくしみ給ふへかめる御こゝろさまにかなひ ことにそむく事おほくなと物したまはさらむをはさらにかろ/\ しくはしめをはりたかうやうなる事なと見せ給ふましきけし きになん人のみたてまつりしみぬことをいとよう見きこえたるを もしにつかはしくさもやとおほしよらはそのもてなしなとはこゝろの かきりつくしてつかうまつりなんかし御なかみちの程みたりあしこそ いたからめとまめやかにていひつゝけ給へは我みつからの事とはおほしも かけす人のおやめきていらへんかしとおほしめくらし給へとなをいふ へきことの葉もなきこゝ地していかにとかはかけ/\しけにのたまひ つゝくるに中々きこえんこともおほえ侍らてと打わらひ給へるもお (23オ) いらかなる物から気はひおかしうきこゆかならす御みつからきこし めしおふへき事ともおもふ給へすそれは雪をふみわけてまいり きたるこゝろさしはかりを御らんしわかん御このかみ心にてもすく させ給てよかしかの御こゝろよせは又ことにそ侍へかめるほのかに のたまふさまも侍めりしをいさやそれも人のわききこえかたき ことなり御返なとはいつかたにかはきこえ給ふととひ申給にようそた はふれにもきこえさりけるなにとなけれとかうのたまふにもいかに はつかしうむねつふれましとおもふにえこたへやりたまはす     「雪ふかき山のかけはし君ならてまたふみかよふ 跡を見ぬかな」とかきてさし出給へれは御物あらかひこそ中々 (23ウ) こゝろをかれはへりぬへけれとて     「つらゝとち駒ふみしたく山川をしるへしかてら まつやわたらむ」さらはしもかけさへ見ゆるしるしもあさふは侍らしと きこえ給へはおもはすもものしうなりてことにいらへたまはす けさやかにいと物とをくすくみたるさまには見えたまはねとい まやうのわか人たちのやうにえんけにももてなさていとめや すくのとやかなる心はへならんとそをしはかられ給人の御気はひ なるかうこそあらまほしけれとおもふにたかはぬこゝちし給ふことに ふれて気しきはみよるもしらすかほなるさまにのみもてなし 給へは心はつかしうてむかし物かたりなとをそ物まめやかにきこえ給ふ (24オ) 暮はてなは雪いとゝ空もとちぬへう侍りと御ともの人々こは つくれはかへり給なんとて心くるしう見めくらさるゝ御すまゐの さまなりやたゝ山さとのやうにいとしつかなるところの人も ゆきましらぬさま侍をさもおほしかけはいかにうれしくも侍らむ なとのたまふもいとめてたかるへきことかなとかたみにきゝてうち ゑむ女房のあるを中の宮はいと見くるしういかにさやうには あるへきそと見きゝゐ給へり御くた物よしあるさまにてまいり 御ともの人々にもさかななとめやすき程にてかはらけさし 出させ給けりかの御うつりかもてさはかれしとのゐ人そ かつらひけとかいふつらつき心つきなくてあるはかなの御たの (24ウ) もし人やと見給てめし出たりいかにそおはしまさてのち心 ほそからんななととひ給打ひそみつゝ心よはけになく世中に たのむよるへも侍らぬ身にて一ところの御かけにかくれて三十 よねんをすくし侍にけれはいまはまして野山にましり侍らん もいかなる木のもとをかたのむへく侍らむと申ていとゝ人 わろけ也おはしましゝかたあけさせ給へれはちりいたうつもりて 仏のみそ花のさかりおとろへすをこなひ給けりとみゆる御ゆかなと とりやりてかきはらひたりほいをもとけはと契りきこえしこと思ひ出て     「立よらむかけとたのみししゐかもとむなしきとこと なりにける哉」とてはしらによりゐ給へるをわかき人々はのそき (25オ) てめてたてまつる日暮ぬれはちかきところ/\にみさうなとつかう まつる人々にみま草とりにやりける君もしりたまはぬにゐ中ひたる 人々おとろ/\しくひきつれまいりたるをあやしうはしたなきわさ かなと御らんすれと老人にまきらはし給つ大かたかやうにつかうまつる へくおほせをきて出たまひぬ年かはりぬれは空のけしきうらゝ かなるみきはのこほりとけわたるをかうまてなからへけるもありかたく もとなかめ給ひしりのはうより雪きえにつみて侍なりとてさわの せりわらひなとたてまつりたりいもゐの御たいにまいれるところに つけてはかゝる草木のけしきにしたかひてゆきかふ月日のしるしも 見ゆるこそおかしけれなと人々のいふをなにのおかしきならんときゝたまふ (25ウ)     「君かおるみねのわらひと見ましかはしられやせまし はるのしるしも」     「雪ふかきみきはのこせりたかためにつみかはやさむ おやなしにして」なとはかなき事ともを打かたらひつゝあけくらし給中納言 殿よりも宮よりもおりすくさすとふらひきこえ給うるさくなにとなき ことおほかるやうなれはれいのかきもらしたるなめり花さかりのころ宮かさし をおほし出てそのおり見きゝ給し君たちなともいとゆへありしみこの御すまゐ を又も見すなりにし事なと大かたのあはれをくち/\聞ゆるにいとゆかしうおほ されけり     「つてに見しやとりの桜をこの春はかすみへたてす (26オ) おりてかさゝむ」と心をやりてのたまへりけりあるましき事かなと見給なから いとつれ/\なる程に見ところある御文のうはへはかりをもてけたしとて     「いつくとかたつねておらむすみそめに霞こめたる 宿の桜を」なをかくさしはなちつれなき御気しきのみ見ゆれはまことに 心さしとおほしわたる御心にあまり給てはたゝ中納言をとさまかうさま にせめ恨きこえ給へはおかしと思なからいとうけはりたるうしろみかほに 打いらへきこえてあためいたる御心さまを見あらはす時々はいかてかかゝらむ にはなと申給へは宮も御心つかひし給へし心にかなふあたりをまた見つけぬ 程そやとのたまふおほい殿の六の君をおほしいれぬ事なまうらめしけに おとゝもおほしたりけりされとゆかしけなきなからひなるうちにもおとゝの (26ウ) こと/\しくわつらはしくてなに事のまきれをも見とかめられんかむつかしき としたにはのたまひてすまゐ給その年三条の宮やけて入 道の宮も六条院にうつろひ給なにくれと物さはかしきにまき れて宇治のわたりをひさしう音つれきこえたまはすまめやかなる 人の御心は又いとことなりけれはいとのとかにをのか物とは打たのみなから女の 心ゆるいたまはさらんかきりはあされはみなさけなきさまに見えしと 思つゝむかしの御心わすれぬかたをふかく見しり給へとおほすその年つね よりもあつさを人わふるに川つらすゝしからむはやと思ひ出てにはかに まうて給へりあさすゝみの程に出給けれはあやにくにさしくる日影もまは ゆくて宮のおはせし西のひさしにとのゐ人めし出ておはすそなたのもや (27オ) の仏の御まへに君たち物し給けるをけちかからしとてわか御かたにわたり 給御けはひしのひたれとをのつから打みしろき給程ちかうきこえけれはなを あらしにこなたにかよふさうしのはしのかたにかけかねしたるところにあなのす こしあきたるを見をき給へりけれはとにたてたる屏風をひきやりて見給 こゝもとにきちやうをそへてたてたるあなくちおしと思ひてひきかへるおり しも風のすたれをいたう吹あくへかめれはあらはにもこそあれそのみき ちやうをし出てこそといふ人あなりをこかましき物のうれしうて見給へは たかきもみしかきもきちやうをふたまのすみにをしよせて此さうし にむかひてあきたるさうしよりあなたにとをからんとなりけり まつひとり立出てきちやうよりさしのそきて此御ともの人々のとかう (27ウ) ゆきちかひすゝみあへるを見給なりけりこきにひ色のひとへにくわんさう のはかまのもてはやしたる中々さまかはりて花やかなりと見ゆるは きなし給へる人からなめりおひはかなけにしなしてすゝひきかくし てもたまへりいとそひやかにやうたいおかしけなる人のかみうちきに すこしたえぬ程ならむと見えてすゑまてちりのまよひなくつや/\ とたちたううつくしけなりかたはらめなとあならうたけと見え てにほひやかにやはらかにおほときたるけはひ女一の宮もかう さまにそおもはすへきとほの見たてまつりしも思くらへられて 打なけかる又いさり出てかのさうしはあらはにもあれと見 をこせ給へるようゐ打とけたらぬさましてよしあらんとおほゆ (28オ) かしらつきかんさしの程いますこしあてになまめかしさまさり たりあなたに屏風もそへてたて侍ついそきてしものそきた まはしとわかき人々なと心なくいふありいみしうもあるへきわさ かなとてうしろめたけにいさりいり給程気たかう心にくきけは いそひて見ゆくろきあはせ一かさねおなしやうなるいろあひを き給へれとこれはなつかしうなまめきてあはれけにこゝろ くるしうおほゆかみさはらかなるほとにおちたるなるへし すゑすこしほそりていろなりとかいふめるひすいたちて いとたかしけにいとをよりかけたるやうなりむらさきのかみ にかきたる経をかたてにもち給へるてつきかれよりもほそ (28ウ) さまさりてやせ/\なるへしたちたりつる君もさうし くちにゐてなに事にかあらむこなたを見をこせて わらひたるいとあいきやうつきたり ---------------------------------------------------------------------------------- 底本:Japanese Rare Book Collection (Library of Congress) LC Control No.2008427768 翻字担当者:楠木陽子、野崎花菜、畠山大二郎、瀧田裕子 更新履歴: 2012年12月26日公開 2014年7月16日更新 ---------------------------------------------------------------------------------- 修正箇所(2014年7月16日修正) 丁・行 誤 → 正 (1オ)10 かしこまりし給へり → かしこまり申給へり (2オ)1 夕つかたに → 夕つかたそ (4オ)9 中の君に → 中の君にそ (4ウ)8 もてなし → もてなさし (4ウ)10 かうやうの → かやうの (7オ)10 かせそも → かせうも (7ウ)7 よこもなる → よこもれる (10オ)2 もてなしたらんきゝみゝにも → もてなしたらんなんきゝみゝにも (10オ)3 なくおほゆへき → なくはおほゆへき (10ウ)1 なくさみ → なきみ (10ウ)10 まつりけめ → まつりけり (14オ)1 あるけに → ありけに (14オ)2 中の君をも → 中の宮を (14オ)6 侍る → 侍か (15ウ)2 筆つかひ → 御筆つかひ (24ウ)7 花さかり → 花のさかり (26オ)8 宮も心つかひ → 宮も御心つかひ