米国議会図書館蔵『源氏物語』 浮舟 ---------------------------------------------------------------------------------- 記号の説明 1.くの字点は/\で表す。 2.和歌は「」で括る。 3.散らし書き和歌の末尾に#を付ける。 4.判読できない文字は■で表す。 本文の修正 1.翻字本文を修正した場合には、修正履歴を末尾に示す。 ---------------------------------------------------------------------------------- うきふね (1オ) 宮なをかのほのかなりし夕をおほしわするゝ世なしこと/\しき程には あるましけなりしを人からのまめやかにおかしうもありしかなとあたなる御心は くちおしくてやみにし事とねたうおほさるゝまゝに女君をもかうはかなきこと ゆへあなかちにかゝるすちの物にくみし給けりおもはすに心うしとはつかしめ恨き こえ給おり/\はいとくるしうてありのまゝにやきこえてましとおほせとやむこと なきさまにはもてなしたまはされとあさはかならぬかたに心とゝめて人のかく しをき給へる人を物いひさかなくきこえ出たらむにもさて聞すくし給ふへき 御心さまにもあらさめりさふらふ人のなかにもはかなう物をもふれんとおほし 立ぬるかきりはあるましき里まてもたつねさせ給御さまよからぬ本上なるに さはかり月日をへておほししむめるあたりはましてかならす見くるしきことゝり出 (1ウ) 給てんほかよりつたへ聞たまはんはありともふせくへき人の御心あるさまならねは よその人よりは聞にくゝなとはかりそおほゆへきとてもかくてもわかをこたりにては もてそこなはしと思かへし給つゝいとおしなからえきこえ出たまはすことさまに つき/\しくはいひなしたまはねはをしこめて物えんししたるよのつねの人に なりてそおはしけるかの人はたとしへなくのとかにおほしをきて待とをなりとおもふ らむと心くるしうのみ思やり給なからところせき身の程をさるへきついて なくてやすくかよひ給ふへきみちならねは神のいさむるよりもわりなしされといま よくもてなさむとす山里のなくさめと思をきてし心あるをすこし日数もへぬ へき事ともつくり出てのとやかにゆきても見むさてしはしは人のしるましき すみところしてやう/\さるかたにかの心をものとめをきわかためにも人のもとき (2オ) あるましくなのめにてこそよからめにはかになに人そいつよりなと聞とかめられむ も物さはかしくはしめの心にたかふへしまた宮の御かたの聞おほさむ事ももとの ところををきはか/\しうゐてはなれむかしをわすれかほならむいとほいなしなと おほししつむるもれいののとけさすきたる心からなるへしわたすへきところおほし まうけてしのひてそつくらせ給けるすこしいとまなきやうにもなり給にたれと 宮の御かたにはなをたゆみなく心よせつかうまつり給事おなしやう也見たてまつる人 もあやしきまておもへと世中をやう/\おほししり人のありさまを見聞給まゝに是 こそはまことにむかしをわすれぬ心なかさのなこりさへあさからぬためしなれと あはれもすくなからすねひまさり給まゝに人からも世のおほえもさまことに物した まへは宮の御心のあまりたのもしけなき時々はおもはすなりけるすくせかなこひめ (2ウ) 君のおほしをきてしまゝにもあらてかく物おもはしかるへきかたにしもかゝり そめけんよとおほすおり/\おほくなんされとたいめし給事はかたしとし 月もあまりむかしをへたてゆく内々の御心をふかうしらぬ人はなを/\しき たゝ人こそさはかりのゆかりたつねたるむつひをもわすれぬにつき/\しけれ 中々かうかきりある程にれいにたかひたるありさまもつゝましけれは宮のた えすおほしうたかひたるもいよ/\くるしうおほしはゝかり給つゝをのつからうとき さまになりゆくをさりとてもたえすおなし心のかはりたまはぬなりけり宮も あたなる御本上こそ見まうきふしもましれわか君のいとうつくしうおよすけ 給まゝにほかにはかゝる人も出くましきにやとやむことなき物におほして打とけ なつかしきかたには人にまさりてもてなし給へはありしよりはすこし物おもひしつ (3オ) まりてすくし給むつきのついたちすきたるころわたり給てわか君のとしまさり 給へるをもてあそひうつくしみ給ひるつかたちいさきわらはみとりのうすやうなる つゝみふみのおほきやかなるにちいさきひけこをこ松につけたるまたすく/\ しきたてふみとりそへてあふなくわりこはまいりて女君にたてまつれは宮それ はいつくよりそとのたまふ宇治よりたいふのおとゝにとてもてわつらひ侍つるを れいのおまへにてそ御らんせむとてとり侍ぬるといふもいとあはたゝしき気しき にて此こはかねをつくりて色とりたるこなりけり松もいとようにてつくりたる えたそとよにゑみていひつゝくれは宮もわらひ給ていて我ももてはやし てんとめすを女君いとかたはらいたくおほして文はたいふかりやれとのた まふ御かほのあかみたれは宮大将のさりけなくしなしたる文にやうちのなのりも (3ウ) つき/\しとおほしよりて此文をとり給つさすかにそれならんときにと おほすにいとまはゆけれはあけて見むよえんしやしたまはんとする とのたまへは見くるしうなにかはその女とちのなかにかきかよはしたらむ 打とけふみをは御らんせむとのたまふかさはかぬけしきなれはさはみんよ 女の文かきはいかゝあるとてあけ給へれはいとわかやかなる手にておほつ かなくて年も暮侍にける山さとのいふせきこそみねのかすみも たえまなくてとてはしに是わか宮の御まへにあやしう侍めれとゝか きたりことにらう/\しきふしと見えねとおほえなきを御めたてゝこの たて文を見給へはけに女のてにて年あらたまりて何事かさふらふ御 わたくしにもいかにたのもしき御よろこひおほく侍らんこゝにはいとめてたき (4オ) 御すまゐの心ふかさをふさはしからす見たてまつるかくてのみつく/\となかめ させ給よりは時々はわたりまいらせ給て御心もなくさめさせ給へと思侍に つゝましくおそろしき物におほしとりてなん物うきことになけかせ給める わか宮の御まへにとてうつちまいらせ給おほきの御らんせさらむ程に 御らむせさせ給へとなんこま/\とこといみもえ思あへす物なけかしけなる さまのかたくなしけなるも打かへし/\あやしと御らんしていまはのたまへかし たかそとのたまへはむかしかの山里にありける人のむすめのさるやうありてこの ころかしこにあるとなん聞侍しときこえ給へはをしなへてつかうまつるとは見えぬ 文かきと心え給にかのわつらはしき事あるにおほしあはせつうつちおかしうつれ/\ なりける人のしわさと見えたりまたふり山たち花つくりてつらぬきそへたるえたに (4ウ)     「またふりぬ物にはあれと君かためふかきこゝろに まつとしらなん」とことなることなきをかの思わたる人のにやとおほしよりぬるに 御めとまりて返事し給へなさけなしかくい給ふへき文にもあらさめるをなと御け しきのあしきまかりなんよとてたちたまひぬ女君少将なとしていとおし くもありつるかなおさなき人のとりつらんを人はいかて見さりつるそなとしのひて のたまふ見給へましかはいかてまいらせましすへて此こはこゝ地なからさしすくして 侍りおいさき見えて人はおほとかなるこそおかしけれなとにくめはあなかまおさ なき人なはらたてそとのたまふこその冬人のまいらせたるわらはへのかほ はいとうつくしかりけれは宮もいとらうたくし給なりけりわか御かたにおはし ましてあやしうもあるかな内に大将のかよひ給事は年ころたえすときく中 (5オ) にもしのひてよるとまり給時もありと人のいひしをいとあまりなる人のかたみとてさるま しきところに旅ねし給事と思つるはかやうの人かくし給へるなるへしとおほししるかたも ありて御文のことにつけてつかひ給大内記なる人のかの殿にしたしきたよりあるをおほし 出て御まへにめすまいれりゐんふたきすへきにしふともえり出てこなたなるつしにつむへき事 なとのたまはせて右大将の宇治へいますることなをはてたえすや寺をこそいとかしこく つくりたなれいかてか見るへきとのたまへは寺いとかしこくいかめしくつくられてふたんの三 まいたうなとたうとくをきてられたりとなん聞給ふるかよひ給事はこその秋ころより はありしよりもしは/\物し給也しもの人々のしのひて申しゝは女をなんかくしすへさせ 給へるけしうはあらすおほす人なるへしあのわたりにらうし給ところ/\の人みなおほせにて まいりつかうまつるとのゐにさしあてなとしつゝ京よりもいとしのひてさるへき事なととはせ (5ウ) 給いかなるさいはひ人のさすかに心ほそくてゐ給へるならんとなんたゝ此しはすのころをひと申と 聞給ふへしと聞ゆいとうれしくも聞つるかなとおもほしてたしかにその人とはいはすや かしこにもとよりあまそとふらひ給ときゝしあまはらうになんすみ侍なる此人はいまたてら れたるになんきたなけな女房なともあまたしてくちおしからぬけはひにてゐて侍と 聞ゆおかしきことかななにの心ありていかなる人をかさてすへ給へらむなをいとけしきあり てなへての人ににぬ心也右のおとゝなと此人のあまりに道心にすゝみて山寺によるさへ ともすれはとまり給なるかろ/\しさともとき給ときゝしをけになとかさしも仏の みちにはしのひありくらむなをかのふる里に心とゝめたると聞しかゝることこそはありけ れいつら人よりはまめなるとさかしかる人しもことに人の思いたるましきくまあるかま へよとのたまひていとおかしとおほいたり此人はかの殿にいとむつましくつかうまつる (6オ) けいしのむこになんありけれはかくし給事もきくなるへし御心のうちにはいかにして此人を 見し人かとも見さためんかの君のさはかりにてすへたるはなへてのよろし人にはあらし此わたり にはいかてかうとからぬにはあらん心をかはしてかくし給へりけるもいとねたうおほゆたゝ そのことを此ころはおほししみたりのりゆみのないえんなとすくして心のとかなるにつかさ めしなといひて人の心つくすめるかたはなにともおほされぬは宇治へしのひておはしまさむ ことをのみおほしめくらす此内記はのそむことありてよるひるいかて御心にいらむとおもふ ころれいよりはなつかしうめしつかひていとかたき事なりともわかいはん事はたはかりてんや なとのたまふかしこまりてさふらふいとひんなきことなれとかの内にすむらん人ははやうほの かに見し人のゆくゑもしらすなりにしか大将にたつねとられけると聞あはすることこそ あれたしかにはしるへきやうもなきをたゝ物よりのそきなとしてそれかあらぬか見さた (6ウ) めんとなん思いさゝか人にしらるましきかまへはいかゝすへきとのたまへはあな わつらはしとおもへとおはしまさんことはいとあらき山みちになん侍れとことに程とを くはさふらはすなん夕つかた出させおはしましてゐねの時にはおはしましつきなん さて暁にこそはかへりうせたまはめ人のしり侍らん事はたゝ御ともにさふらい 侍らんこそはそれもふかき心はいかてかしり侍らむと申さかしむかしも一たひ 二たひかよひしみち也かろ/\しきもときおいぬへきか物のきこえのつゝましき なりとて返々あるましきことに我御心にもおほせとかうまて打出給へれはえ思 とゝめたまはす御ともにむかしもかしこのあないしれし物二三人此ないきさては 御めのと此蔵人よりかうふりえたるわかき人むつましきかきりをえり給て大将 けふあす世におはせしなとないきによくあない聞給て出たち給につけてもい (7オ) にしへをおほしいつあやしきまて心をあはせつゝゐてありきし人のためにうしろめたき わさにもあるかなとおほし出ることもさま/\なるに京のうちたにむけに人しらぬ御ありきは さはいへとえしたまはぬ御身にしもあやしきさまのやつれすかたして御馬にておはする こゝちも物おそろしくややましけれと物のゆかしきかたはすゝみたる御心なれは山ふかう なるまゝにいつしかいかならむ見あはする事もなくてかへらむこそさう/\しくあるへけれと おほすに心もさはき給ほうさう寺の程まては御くるまにてそそれよりそ御馬にはたて まつりけるいそきてよゐすくる程におはしましぬ内記あないよくしれるかの殿の人に とひ聞たりけれはとのゐ人あるかたにはよらてあしかきしこめたる西おもてをやをら すこしこほちていりぬ我もさすかにまた見ぬ御すまゐなれはたと/\しけれと 人しけうなとしあらねはしんてんのみなみおもてに火ほのかにくらう見えて衣のをと (7ウ) そよ/\とするまいりてまた人はおきて侍へしたゝ是よりおはしまさんとしるへして いれたてまつるやをらのほりてかうしのひまあるを見つけてより給にいよすは さら/\となるもつゝましあたらしうきよけにつくりたれとさすかにあら/\しくて ひまありけるを誰かはきて見むと打とけてあなもふたかすきちやうのかた ひら打かけてをしやりたり火あかうともして物ぬふ人三四人ゐたりわらはの おかしけなるいとをそよる是かかほまつかのほかけに見給しそれ也打つけめかと なをうたかはしきに右近となのりしわかき人もあり君はかいなを枕にて火をなかめ たるまみかみのこほれかゝりたるひたひつきいとあてやかになまめきてたいの 御かたにいとようおほえたり此うこん物をるとてかくてわたらせ給なはとみにし もえかへりわたらせたまはしを殿は此つかさめしの程すきてついたちころには (8オ) かならすおはしましなんと昨日の御つかひも申けり御文にはいかゝきこえさせ給へりけん といへといらへもせすいと物おもひたるけしき也おりしもはひかくれ給へるやうならむ か見くるしさといへはむかひたる人それはかくなんわたりぬると御せうそこきこえ 給つらんこそよからめかろ/\しういかてかはをとなくてははひかくれさせたまはん御物 まうての後はやかてわたりおはしましねかしかくて心ほそきやうなれと心にま かせてやすらかなる御すまゐにならひて中々旅こゝちすへしやなといふ又あるは なをしはしかくて待きこえさせたまはんそのとやかにさまよかるへき京人なと むかへたてまつらせ給へらむ後おたしくておやにも見えたてまつらせ給へかし 此おとゝのいときうに物し給てにはかにかうきこえなし給なめりかしむかしもいまも 物ねんしてのとかなる人こそさいはひは見はて給なれなといふ也右近なとてこの (8ウ) まゝをとゝめたてまつらすなりにけん老ぬる人はむつかしき心のあるにこそとにくむ はめのとやうの人をそしるなめりけににくき物ありきかしとおほしとけたる 事ともをいひて宮のうへこそいとめてたき御さひはいなれ右のおほい殿のさ はかりめてたき御いきをひにていかめしうのゝしり給なれとわか君むまれ給て 後はこよなくおはしますなるかゝるさかしら人とものおはせて御心のとかにかしこう もてなしておはしますにこそあめれといふ殿たにまめやかに思きこえ給事かはら すはをとりきこえ給ふへき事かはといふを君すこしおきあかりていと聞にくき 事よその人にこそをとらしともいかにともおもはめかの御事なかけてもいひそもり 聞ゆるやうもあらはかたはらいたからんなといふなにはかりのしそくにかはあらんいとよく もにかよひたるけはひかなと思くらふるに心はつかしけにてあてなるところは (9オ) かれはいとこよなし是はたゝらうたけにこまかなるところそいとおかしき よろしうなりぬあはぬところを見つけたらむにてたにさはかりゆかしとおほし しめたる人をそれと見てさてやみ給ふへき御心ならねはましてくまもなく 見給にいかてか是を我物にはなすへきと心も空になり給てなをまもり 給へは右近いとねふたしよへもすゝろにおきあかしてきつとめての程にも 是はぬひてんいそかせ給とも御くるまは日たけてそあらんといひてし さしたる物ともとりくしてきちやうに打かけなとしつゝうたゝねのさま によりふしぬ君もすこしおくに入てふす右近きたおもてにいきて しはしありてそきたる君の跡ちかくふしぬねふたしと思けれはいととう ねいりぬる気しきを見給てまたせんやうもなけれはしのひやかにこの (9ウ) かうしをたゝき給右近きゝつけてたそといふこはつくり給へはあてなるしは ふきと聞しりて殿のおはしたるにやと思ひておきて出たりまつ是あけ よとのたまへはあやしうおほえなき程にも侍かな夜はいたうふけ侍ぬらん 物をといふ物へわたり給ふへかんなりとなかのふかいひつれはおとろかれつるまゝに 出たちていとこそわりなかりつれまつあけよとのたまふこゑいとようま ねひさせ給てしのひたれは思もよらすかいはなつみちにていとわりなく おそろしきことのありつれはあやしきすかたになりてなん火くらふなせと のたまへはあないみしとあはてまとひて火はとりやりつわれ人に見すなよ きたりとて人おとろかすなとらう/\しき御心にてもとよりもほのかに にたる御こゑをたゝかの御けはひにまねひていり給ゆゝしきことのさまと (10オ) のたまひつるいかなる御すかたならんといとおしくて我もかくろへて見たてまつる いとほそやかになよ/\とさうそきてかのかうはしきこともをとらすちかう よりて御そともぬきなれかほに打ふし給へれはれいのおましにこそなと いへと物ものたまはす御ふすままいりてねふる人々おこしてすこししそき てみなねぬ御ともの人なとれいのこゝにはしらぬならひにてあはれなる夜のおは しましさまかなかゝる御ありさまを御らんししらぬよなとさかしらかる人もあれと あなかま給へ夜こゑはさゝめくしもそかしかましき事といひつゝねぬ女君はあらぬ 人なりけりと思ふにあさましういみしけれとこゑをたにせさせたまはすいとつゝ ましかりしところにてたにわりなかりし御心なれはひたふるにあさましはしめ よりあらぬ人としりたらはいかゝいふかひもあるへきを夢のこゝ地するに (10ウ) やう/\そのおりのつらかりし年ころ思わたるさまのたまふに此宮としらぬ いよ/\はつかしくかのうへの御事なと思ふにまたたけき事なけれはかきりなう なく宮も中々にてたはやすくあひ見さらむ事おほすになき給夜はたゝ あけにあく御ともの人きてこはつくる右近聞てまいれり出たまはんこゝ地 もなくあかすあはれなるにまたおはしまさん事もかたけれは京にはもとめさはか るともけふはかりはかくてあらん何事もいけるかきりのためこそあれたゝいま 出おはしまさはまことにしぬへくおほさるれは此うこんをめしよせていとこゝ地なし とおもはれぬへけれとけふはえ出ましうなんあるをのこともは此わたりちかからん ところによくかくろへてさふらへ時かたは京へ物して山寺にしのひてなんとつき つきしからんさまにいらへなとせよとのたまふにいとあさましくあきれて心もな (11オ) かりけるよのあやまちを思ふにこゝちもまとひぬへきを思しつめていまはよろつに おほゝれさはくともかひあらし物からなめけ也あやしかりしおりにいとふかうおほしいれ たりしもかうのかれさりける御すくせにこそありけれ人のしたるわさかはと 思なくさめてけふ御むかへにと侍しをいかにせさせたまはんとする御事にかかうの かれきこえさせ給ふましかりける御すくせはいときこえさせ侍らむかたなしおりこそ いとわりなく侍れけふは出おはしまして御心さし侍らはのとかにもと聞ゆおよすけても いふかなとおほして我は月ころ思つるにほれはてにけれは人のもとかんもしら れすひたふるに思なりにけりすこしも身のことをおもはゝかゝらむ人のかゝるありき は思たちなんや御かへりにはけふは物いみなといへかし人にしらるましきことを たかためにもおもへかしこと/\はかひなしとのたまひて此人の世にしらすあはれに (11ウ) おほさるゝにはよろつのそしりもわすれぬへし右近出て此をとなふ人にかく なんのたまはするをなをいとかたはならむとを申させ給へあさましうめつらかなる御あり さまはさおほしめすともかゝる御とも人ともの御心にこそあらめいかてかう心 おさなうはゐてたてまつり給こそなめけなることをきこえさする山かつなとも 侍らましかはいかならましといふ内記はけにいとわつらはしくもあるかなとおもひ たてり時かたとおほせらるゝは誰にかはさなんとつたふわらひてかうかへ給事ともの おそろしけれはさらすともにけてまかてぬへしまめやかにはをろかならぬ御けしき を見たてまつれは誰も/\身をすてゝなんよし/\とのゐ人もみなおきぬ なりとていそき出ぬうこん人にしらすましうはいかゝはたはかるへきとわりなう おほゆ人々おきぬるに殿はさるやうありていみしうしのはせ給けしき見たて (12オ) まつれはみちにていみしき事のありけるなめり御そともなと夜さりしのひて もてまいるへくなんおほせられつるなといふこたちあなむくつけやこはた山は いとおそろしかなる山そかしれいの御さきもをはせたまはすやつれておはしまし けんよあないみしやといへはあなかま/\けすなとのちりはかりも聞たへむにいと いみしからむといひゐたるこゝ地おそろしあやにくに殿の御つかひのあらむ時いかに いはんとはつせのくはんをんけふことなくてくらし給へと大くはんをたてける石山に けふまうてさせんとてはゝ君のむかふるなりけり此人々もみなさうししきよ まいりてあるにさらはけふはえわたらせ給ましきなめりないとくちおしき事と いふ日たかくなれはかうしなとあけてうこんそちかくつかうまつりけるもやのすたれは みなおろしわたして物いみなとかゝせてつけたりはゝ君もやみつからおはするとて (12ウ) ゆめ見さはかしかりつといひなすなりけり御てうつなとまいりたるさまはれいの やうなれとまかなひめさましうおほされてそこにあらはせたまはゝと のたまふ女いとさまよう心にくき人を見ならひたるに時のまも見さらむにしぬ へしとおほしこかるゝ人を心さしふかしとはかゝるをいふにやあらむと思しらるゝ にもあやしかりける身を誰も物のきこえあらはいかにおほさんとまつかのうへの 御心を思ひ出聞ゆれとしらぬを返々いと心うしなをあらむまゝにのたまへ いみしきけすといふともいよ/\なんあはれなるへきとわりなうとひた まへとそのいらへはたえてせすこと/\はいとおかしく気ちかきさまにきこえ なとしてなひきたるをいとかきりなうらうたしとのみ見給日たかくなる 程にむかへの人きたりくるま二馬なる人々のれいのあらゝかなる七八人をのこ (13オ) ともおほくしな/\しからぬ気はひにさえつりつゝいりきたれは人々かたはらいた かりつゝあなたにかくれよといはせなとすうこんいかにせんとのなんおはするといひたらむ に京にさはかりの人のおはしおはせすをのつからきゝかよひてかくれなき事もこそあれと 思ひて此人々にもことにいひあはせす返事かくよへよりけかれさせ給ていとくちおし き事をおほしなけくめりしにこよひ夢見さはかしく見えさせ給へれはけふはかり つゝしませ給へとてなん物いみにて侍返々くちおしく物のさまたけのやうに見た てまつり侍とかきて人々に物なとくはせてやりつあま君もけふは物いみにてわたり たまはぬといはせたりれいはくらしかたくのみかすめる山きはをなかめわひ給 に暮ゆくはわひしくのみおほしはゝからる人にひかれたてまつりていとはかなう くれぬまきるゝ事なくのとけき春の日に見れとも/\あかすその事 (13ウ) そとおほゆるくまなくあひきやうつきなつかしくおかしけ也さるはかのたいの 御かたにはをとり也おほい殿の君のさかりににほひ給へるあたりにてはこよ なかるへき程の人をたくひなくおほさるゝ程なれとまたしらすおかしとのみ 見給女はまた大将殿をいときよけにまたかゝる人あらむやと見しかと こまやかににほひきよらなる事はこよなくおはしけりとみるすゝりひきよせ て手ならひなとし給いとおかしけにかきすさひゑなとを見ところおほく かき給へれはわかきこゝ地には思もうつりぬへし心よりほかにえ見さらむ 程は是を見給へよとていとおかしけなるおとこ女もろともにそひふしたる かたをかき給てつねにかくてあらはやなとのたまふもなみたおちぬ     「なかき夜をたのめてもなをかなしきはたゝあすしらぬ (14オ) いのちなりけり」いとかう思ふこそゆかしけれ心に身をもさらにえまかせすよろつに たはからむ程まことにしぬへくなんおほゆるつらかりし御ありさまを中々なにゝ たとへ出けんなとのたまふ女ぬらし給へるふてをとりて     「こゝろをはなけかさらましいのちのみさためなき世と おもはましかは」とあるをかはらんをはうらめしうおもふへかめりけりと見給にもいとらう たしいかなる人の心はかりを見ならひてなとほゝゑみて大将のこゝにわたしはしめ 給けん程を返々ゆかしかり給てとひ給をくるしかりてえいはぬ事をかうのたまふ こそと打えしたるさまもわかひたりをのつからそれは聞出てんとおほす物からいは せまほしきそわりなきやよさり京へつかはしつるたいふまいりて右近にあひたり きさいの宮よりも御つかひまいりて右のおほい殿もむつかりきこえさせ給て (14ウ) 人にしらさせたまはぬ御ありきはいとかろ/\しくなめけなる事もあるをすへてうち なとにきこしめさん事も身のためなんいとからきいみしく申させ給けりひん かし山にひしりの御らむしにとなん人には物し侍つるなとかたりて女こそつみ ふかうおはする物はあれすゝろなるけそうの人をさへまとはし給てそらことを さへせさせ給よといへはひしりの名をさへつけきこえさせ給てけれはいとよし わたくしのつみもそれにてほろほし給ふらんまことにいとあやしき御心のけにいかて ならはせ給けんかねてかうおはしますへしとうけたまはらましにもいとかたしけな けれはたはかりきこえさせてまし物をあふなき御ありきにこそはとあつかひ聞ゆ まいりてさなんとまねひ聞ゆれはけにいかならんとおほしやるにところせき身 こそわひしけれかろらかなる程の殿上人なとにてしはしあらはやいかゝすへきかう (15オ) つゝむへき人めもえはゝかりあふましくなん大将もいかにおもはんとすらむさるへき程とは いひなからあやしきまてむかしよりむつましきなかにかゝる心のへたてのしられたらむ 時はつかしうまたいかにそや世のたとひにいふ事もあれは待とをなるわかをこたりをも しらすうらみられたまはんをさへなん思ふ夢にも人にしられ給ましきさまにてこゝ ならぬところにゐてはなれたてまつらんとそのたまふけふさへかくてこもりゐ給ふ へきならねは出給なんとするにも袖の中にそとゝめ給へらむかし明はてぬさきにと 人々しはふきおとろかし聞ゆつま戸にもろともに出おはしてえ出やりたまはす     「世にしらすまとふへきかなさきにたつなみたもみちを かきくらしつゝ」女もかきりなくあはれとおもひけり     「なみたをもほとなき袖にせきかねていかにわかれを (15ウ) とゝむへき身そ」風の音もいとあらましう霜ふかき暁にをのかきぬ/\もひ やゝかになりたるこゝ地して御馬にのり給程ひきかへすやうにあさましけれと 御ともの人々いとたはふれにくしと思ひてたゝいそかしにいそかし出れは我々もあら て出たまひぬ此五位二人なん御馬のくちにはさふらひけりさかしき山こえ出て そをの/\馬にはのるみきはのこほりをふみならす馬のあし音さへ心ほそく 物かなしむかしも此みちにのみこそはかゝる山ふみもし給しかはあやしかりける 里の契りかなとおほす二条院におはしましつきて女君のいと心うかりし 御物かくしもつらけれは心やすきかたにおほとのこもりぬるにねられたま はすいとさひしきに物おもひまされは心よはくたいにわたりたまひぬ なに心もなくいときよけにておはすめつらしくおかしと見給し人よりも又是は (16オ) なをありかたきさまはし給へりかしと見給物からいとよくにたるを思ひ出給もむね ふたかれはいたく思おほしたるさまにてみちやうにいりておほとのこもる女君も 出入きこえ給てこゝちこそいとあしけれいかならむとするにかと心ほそくなん あるまろはいみしくあはれと見をいたてまつるとも御ありさまはいととくかはり なんかし人のほいはかならすかなふなれはとのたまふけしからぬ事をもまめ やかにさへのたまうかなと思ひてかう聞にくきことのもりてきこえたらはいか やうにきこえなしたるにかと人も思よりたまはんこそあさましけれ 心うき身にはすゝろなる事もいとくるしくとてそむき給へり宮もまめ たち給てまことにつらしと思聞ゆることもあらんはいかゝおほさるへき まろは御ためにをろかなる人かは人もありかたしなととかむるまてこそ (16ウ) あれ人にはこよなう思おとし給ふへかめりそれもさるへきにこそはことはら るゝをへたて給御心のふかきなんいと心うきとのたまふにもすくせのを ろかならてたつねよりたるそかしとおほし出るに涙くまれぬまめやかなるを いとおしういかやうなる事を聞給へるならむとおとろかるゝにいらへきこえたまはん こともなし物はかなきさまにて見そめ給しに何事をもかろらかにをしはかり給に こそはあらめすゝろなる人をしるへにてその心よせを思しりはしめなとしたるあ やまちはかりにおほえをとる身にこそとおほしつゝくるもよろつかなしくていとゝらう たけなる御けはひ也かの人見つけたりとはしはししらせたてまつらしとおほせはことさま におもはせて恨給をたゝ此大将の御事をまめ/\しくのたまふとおほすに人やそら ことをたしかなるやうにきこえたらむなとおほすありやなしやをきかぬまは見え (17オ) たてまつらんもはつかし内より大宮の御文あるにおとろき給てなを心とけぬ御けしきにて あなたにわたりたまひぬ昨日のおほつかなさをなやましくおほされたるよろしくはまいり 給へひさしうもなりにけるをなとやうにきこえ給へれはさはかれたてまつらんもくるしけれは まことに御こゝ地もたかひたるやうにてその日はまいりたまはすかんたちめあまたまいり 給へとみすのうちにてくらし給夕つかた右大将まいり給へりこなたにをとて打とけなから たいめんし給へりなやましけにおはしますと侍つれは宮もいとおほつかなくおほしめしてなん いかやうなる御なやみにかときこえ給見るからに御心さはきのいとゝまされは事すくな にてひしりたつといひなからこよなかりける山ふしの心かなさはかりあはれなる人を さてをきて心のとかに月日を待わひますらむよとおほすれいはさしもあらぬ事の ついてにたに我はまめ人ともてなしなのり給をねたかり給てよろつにのたまひ (17ウ) やふるをかゝる事見あらはひたるをいかにのたまはましされとさやうのたはふれ こともかけたまはすいとくるしけに見え給へはふひんなるわさかなおとろ/\しからぬ 御こゝちのさすかに日数ふるはいとあしきわさに侍御かせよくつくろはせ給へなとま めやかにきこえをきて出たまひぬはつかしけなる人なりかし我ありさまをいかに思 くらへけんなとさま/\なる事につけつゝもたゝ此人を時のまわすれすおほしいつ かしこには石山もとまりていとつれ/\也御文にはいといみしき事をかきあつめ給てつか はすそれたに心やすからす時かたとめしゝたいふのすさの心もしらぬしてなんやり ける右近かふるくしれりける人の殿の御ともにてたつね出たるさらかへりてねんころ かるとともたちにはいひきかせたりよろつ右近そそらことのみならひける月も たちぬかうおほしいらるれとおはします事はいとわりなしかうのみ物をおもはゝさらに (18オ) えなからふかましき身なめりと心ほそさをそへてなけき給大将殿すこしのとか になりぬるころれいのしのひておはしたり寺に仏なとおかみ給御す経せさせ給ふ そうに物給なとして夕つかたこゝにしのひたれと是はわりなくもやつしたまはすえ ほうしなをしのすかたいとあらまほしくきよけにてあゆみいり給よりはつかしけに ようゐことなり女いかて見えたてまつらむとすらんとそらさへはつかしくおそろしき にあなかちなりし人の御ありさま打思ひ出らるゝに又此人に見えたてまつらんを 思やるなんいみしう心うき我は年ころ見る人をもみな思かはりぬへきこゝ地なん するとのたまひしをけにそのゝち御こゝ地くるしとていつくにも/\れいの御ありさま ならて御すほうなとさはくなるをきくに又いかにきゝておほさんと思ふもいとくる し此人はたいとけはひことに心ふかくなまめかしきさましてひさしかりつる程の (18ウ) をこたりなとのたまふも事おほからて恋しかなしとおりたゝねとつねにあひ見え ぬ恋のくるしさをさまよき程に打のたまへるいみしくいふにはまさりていとあれと人 の思ひぬへきさまをしめ給へる人から也えんなるかたはさる物にてゆくすゑなかく人 のたのみぬへき心はへなとこよなくまさり給へりおもはすなるさまの心はへなともり きかせたらむ時もなのめならすいみしくこそあへけれあやしううつし心もなうお ほしいらるゝ人をあはれと思ふもそれはいとあるましくかろき事そかしこの人に うしとおもはれわすれ給なん心ほそさはいとふかうしみにけれは思みたれたるけしきを 月ころにこよなう物の心しりねひまさりにけりつれ/\なるすみかの程に思残す事 はあらしかしと見給も心くるしけれはつねよりも心とゝめてかたらひ給つくらるゝところ やう/\よろしうしなしてけり一日なん見しかはこゝよりは気ちかき水に花も見給つ (19オ) へし三条の宮もちかき程也明暮おほつかなきへたてもをのつからあるましきを此春の 程にさりぬへくはわたしてんと思ひてのたまうにかの人ののとかなるへきところ思まう けたりと昨日ものたまへりしをかゝることもしらてさおほすらむよとあはれなからもそ なたになひくへきにはあらすかしと思ふからにありし御ありさまのおも影におほゆれは 我なからもうたて心うの身やと思つゝけてなきぬ御心はへのかゝらておいらかなり しこそのとかにうれしかりしか人のいかにきこえしらせたることかあるすこしもをろ かならむ心さしにてはかうまてまいりくへき身の程みちのありさまにもあらぬ をなとついたちころの夕月夜にすこしはしちかくふしてなかめいたし給へりおとこ はすきにしかたのあはれをもおほしいて女はいまよりそいたる身のうさをな けきくはへてかたみに物おもはし山のかたは霞へたてゝさむきすさきにたてるかさ (19ウ) さきのすかたもところからはいとおかしう見ゆるに宇治はしのはる/\と見わたさるゝに 柴つみ舟のところ/\にゆきちかひたるところからなれは見給たひことになをその かみのことのたゝいまのこゝ地していとかゝらぬ人を見かはしたらんたにめつらしき中のあはれ おほかるへき程也まいて恋しき人々よそへられたるもこよなからすやう/\物の心して みやこなれゆくさまのおかしきもこよなく見まさりしたるこゝちし給に女はかきあつめたる 心のうちにもよほさるゝ涙ともすれは出たつをなくさめかねたまひつゝ     「宇治はしのなかき契りはくちせしをあやふむかたに 心さはくな」いま見たまひてんとのたまふ     「たえまのみ世にはあやうき宇治はしをくちせぬ物と なをたのめとや」さき/\よりもいと見すてかたくしはしも立とまらまほしくおほさるれと (20オ) 人の物いひのやすからぬにいまさら也心やすきさまにてこそなとおほしなして暁に かへりたまひぬいとようもおとなひつるかなと心くるしくおほし出る事ありしに まさりけりきさらきの十日の程に文つくらせ給とて此宮も大将もまいりあひ給へり おりにあひたる物のしらへともに宮の御こゑはいとめてたくて梅かえなとうたひ給 なる事も人よりはこよなうまさり給へる御さまにてすゝろなる事おほしいらるゝのみ なんつみふかかりける雪にはかにふりみたれ風なとはけしけれは御あそひもやみ ぬ此宮の御とのゐところに人々まいり給物まいりなとして打やすみ給へり大将人 に物のたまはんとてすこしはしちかく出給へるに雪やう/\つもるかほしのひかりにおほ/\ しきをやみはあやなしとおほゆるにほひありさまにて衣かたしきこよひもやと打 すし給へるもはかなき事をくちすさひにのたまへるもあやしくあはれなるけしき (20ウ) そへる人さまにていと物ふかけ也ことしもこそあれ宮はねたるやうにて御心さはく をろかにはおもはぬなめりかしかたしく袖を我のみ思やるこゝちしつるをおなし心 なるもあはれ也わひしくもあるかなかはかりなるもとつ人ををきて我かたにまさる 思いかてかつくへきそとねたうおほさるつとめて雪のいとたかうつもりたるに 文たてまつりたまはんとて御まへにまいり給へる御かたち此ころいみしくさかりに きよけ也かの君もおなし程にていま二三まさるけちめにやすこしねひまさ りけしきよういなとそことさらにもつくりたらんあてなるおとこのほんにし つへく物し給みかとの御むこにてあかぬ事なしとそよ人もことはりけるさえ なともおほやけ/\しきかたもをくれすそおはすへき文かうしはてゝみな人 まかて給宮の御文をすくれたりとすしのゝしれとなにとも聞いれたま (21オ) はすいかなるこゝちにてかゝる事をもしいつらんとそらにのみおもほしほれたりかの 人の御けしきにもいとおとろかれ給けれはあさましうたはかりておはしまし たり京にはとも待はかりきえ残たる雪山ふかく入まゝにやゝふりつみたり つねよりもわりなきまれのほそみちをわけ給程御ともの人もなきぬはかり おそろしうわつらはしきことをさへ思しるへの内記は式部少輔なんかけたりける いつかたも/\こと/\しかるへきつかさなからいとつき/\しくひきあけなとしたる すかたもおかしかりけりかしこにはおはせんとありつれとかゝる雪にはと打とけた るに夜ふけて右近にせうそこしたりあさましうあはれと君もおもへり右近は いかになりはて給ふへき御ありさまにかとかつはくるしけれとこよひはつゝまし さもわすれぬへしいひかへさむかたもなけれはおなしやうにむつましくおほ (21ウ) いたるわかき人の心さまあふなからぬをかたらひていみしくわりなき事おなし 心にもてかくし給へといひてけりもろともにいれたてまつるみちの程にぬれ 給へるかのところせうにほふももてわつらひぬへけれとかの人の御けはひに にせてもてまきらはしける夜の程にて立かへりたまはんも中々なるへけれは こゝの人めもいとつゝましさに時かたにたはからせ給て川よりをちなる人の家に ゐておはせむとかまへたりけれはさきたてゝつかはしたりけるに夜ふくるほとに まいれりいとよくようゐしてさふらふと申さすこはいかにし給事にかと右近も いと心あはたゝしけれはねをひれておきたるこゝちもわなゝかれてあや しわらはへの雪あそひしたるけはひのやうにそふるいあかりけるいかてか なともいひあへさせたまはすかきいたきて出たまひぬ右近は此うしろ (22オ) 見にとゝまりて侍従をそたてまつるいとはかなけなる明くれ見いたすちいさき 舟にのり給てさしわたり給程はるかならむきしにしもこきはなれたらん やうに心ほそくおほえてつとつきていたかれたるもいとらうたしとお ほすあり明の月すみのほりて水のおもてもくもりなきに是なんたち花の 小島と申て御舟しはしさしとゝめたるを見給へはおほきやかなる岩のさまして されたるときは木のかけしけれりかれ見給へいとはかなけれと千とせも ふへきみとりのふかさをとのたまひて     「年ふともかはらむ物かたちはなのこしまかさきにちきるこゝろは」# をんなもめつらしからむみちのやうにおほえて     「たちはなの小島はいろもかはらしをこのうき舟そゆくゑしられぬ」# (22ウ) おりから人のさまにおかしくのみなに事もおほしなすかのきしにさしつきており 給に人にいたかせたまはんはいと心くるしけれはいたき給てたすけられつゝ いり給をいと見くるしくなに人をかくもてさはき給ふらむと見てまつる時かた かをちのいなはのかみなるからうするさうにはかなふつくりたる家なりけり またいとあら/\しきにあしろ屏風なと御らんしもしらぬしつらひにて風もことに さはらすかきのもとに雪むらきえつゝいまもかきくもりてふる日さし出て 軒のたるひのひかりあひたるに人の御かたちもまさるこゝ地す宮もところせき みちの程にかろらかなるへき程の御そとも也女もぬきすへさせ給てしかは ほそやかなるすかたつきいとおかしけ也ひきつくろふこともなく打とけたる さまをいとはつかしくまはゆきまてきよらなる人にさしむかひたるよと (23オ) おもほえとまきれんかたもなしなつかしき程なるしろきかきりを五はかり袖 くちすその程まてなまめかしく色々にあまたかさねたらんよりもおかしう きなしたりつねに見給人とてもかくまて打とけたるすかたもいとめやすき わか人なりけり是さへかゝるを残りなうみるよと女君はいみしと思ふ宮も是 はまたたそ我名もらすなよとくちかため給をいとめてたしと思きこえ たりこゝの宿もりにてすみける物時かたをしうと思ひてかしつきありけは 此おはしますやり戸をへたてゝところえかほにゐたりこゑひきしゝめかしこ まりて物語しけるをいらへもえせすおかしと思けりいとおそろしくうらない たる物いみにより京の内をさへさりてつゝしむ也ほかの人よすなといひたり 人めにたゝて心やすくかたらひくらし給かの人の物し給へりけんにかくて見えつ (23ウ) らんかしとおほしやりて恨給二の宮をいとやむことなくてもちたてまつり 給へるありさまなともかたり給かのみゝとゝめ給し一ことはのたまひ出ぬそにく きや時かた御てうつ御くた物なととりつきてまいるを御らんしていみしく かしつかるめるまらうとのぬしきてな見えそやといましめ給侍従いろめかしき わかうとのこゝ地におかしと思てこたいふとそ物語してくらしける雪のふり つもれるに我すむかたを見やり給へれは霞のたえ/\にこすゑはかり見ゆ 山はかゝみをかけたるやうにきら/\と夕日にかゝやきたるによへわけこし みちのわりなさなとあはれおほうそへてかたりたまふ     「みねの雪みきはのこほりふみわけて君にそまとふ みちはまとはす」こはたの里に馬はあれとなとあやしきすゝりめし出てならひ給ふ (24オ)     「ふりみたれみきはにこほる雪よりもなか空にてそ 我はけぬへき」とかきけちたりこの中空をなかめ給けににくゝもかき てけるかなとはつかしくてひきやりつさらてたに見るかひある御ありさまを いよ/\あはれにいみしと人の心にしめられむとつくし給ことのはけしきいはんかた なし御物いみ二日とたはかり給へれは心のとかなるまゝにかたみにあはれとのみ ふかくおほしまさる右近はよろつにれいのいひまきらはして御そなとたて まつりたりけふはみたれたるかみすこしけつらせてこきゝぬにこうはいの をり物なとあはひおかしくきかへてゐたり侍従もあやしきしひらき たりしをあさやきたれはそのもをとり給て君にきせ給て御 てうつまいらせ給ひめ宮に是をたてまつりたらはいみしき物に (24ウ) し給てんかしいとやむことなききはの人おほかれとかはかりのさま したるはかたくやと見給かたはなるまてあそひたはふれつゝくらし 給しのひてゐてかくしてんことを返々のたまふその程かの人に見え たらはといみしき事ともをちかはせ給へはいとわりなき事と思ていら へもやらす涙さへおつる気しきさらにめのまへにたに思うつらぬなめ りとむねいたうおほさる恨てもなきてもよろつのたまひあかして夜 ふかくゐてかへり給れいのいたき給いみしくおほすめる人はかうはよもあらし に見しら給たりやとのたまへはけにと思ひてうつきてゐたるいとらうた け也右近つま戸はなちていれたてまつるやかて是わかれて出給もあかす いみしとおほさるかやうのかへさはなを二条院にそおはしますいとなやま (25オ) し給て物なともたえてきこしめさす日をへてあをみやせ給御けしきも かはるを内にもいつくにもおもほしなけくにいと物さはかしくて御ふをたにこまかには かきたまはすかしこにもかのさかしきめのとむすめのこうむところに出たりける かへりきにけれは心やすくもえみすかくあやしきすまゐをたゝかの殿のもて なしたまはんさまをゆかしく待事にてはゝ君も思なくさめたるにしのひたるさま なからもちかくわたしてんことをおほしなりにけれはいとめやすくうれしかるへき ことに思てやう/\人もとめわらはのめやすきなとむかへてをこせ給我心にも それこそはあるへき事にはしめより待わたれとは思なからあなかちなる人の御 ことを思ひ出るに恨給しさまのたまひし事ともおも影につとそひていさゝかま とろめは夢に見え給つゝいとうたてあるまておほゆ雨ふりやまて日ころおほく (25ウ) なるころいとゝ山路おほしたえてわりなくおほされけれはおやのかうこは ところせき物にこそとおほすかたしけなしつきぬ事ともかき給て     「なかめやるそなたの雲も見えぬまてそらさへくるゝころのわひしさ」# 筆にまかせてかきみたり給へるしも見ところありおかしけ也ことにいとをもく なとはあらぬわかきこゝちにいとかゝる心を思ふもまさるへけれとはしめより 契り給しさまもさすかにかれはなをいと物ふかう人からのめてたきなとも 世中をしりにしはしめなれはにやかゝるうき事聞つゝけて思うとみ給 なん世にはいかてかあらむいつしかと思まとふおやにもおもはすに心つき なしとこそはもてわつらはめかく心いられし給人はたあたなる御心の本上と のみ聞しかはかゝる程こそあらめまたかうなからも京にもかくしすへなからへ (26オ) てもおほしかすまへむにつけてはかのうへのおほさん事よろつかくれなき 世なりけれはあやしかりし夕暮のしるへはかりにたにかうたつね出給めり ましてわかありさまのともかくもあらむを聞たまはぬやうはありなんやと思たと るにわか心もきすありてかの人にうとまれたてまつらんなをいみしかるへ しと思みたるゝおりしもかの殿より御つかひありこれかれと見るもいとうたて あれはなを事おほかりつるを見つゝふし給へれは侍従右近めを見あはせて なをうつりにけりなといはぬやうにていふことはりそかし殿の御かたちをたくひ おはしまさしと見しかと此御ありさまはいみしかりけり打みたれ給へるあひきやうよ まろならはかはかりの御思を見る/\えかくてあらしきさひの宮にもまいりてつねに 見たてまつりてんといふうこんうしろめたの御心の程や殿の御ありさまにまさり給 (26ウ) 人はたれかあらむかたちなとはしらす御心はへけはひなとよなを此御かたはいと見 くるしきわさかないかゝならせたまはんとすらむとふたりしてかたらふ心一に思ひ しよりはそらこともたより出きにけり後の御文には思なから日ころになる事時々は それよりもおとろかいたまはんこそ思ふさまならめをろかなるにやはなとはしかきに     「水まさるをちのさと人いかならむはれぬなかめにかきくらすころ」# つねよりも思やり聞ゆる事まさりてなんとしろき色紙にてたてふみ也御ても こまかにおかしけならねとかきさまゆへ/\しく見ゆ宮はいとおほかるをちいさく むすひなし給へるさま/\おかしまつかれを人見ぬ程にと聞ゆけふは聞ゆましとはちら ひててならひに     「里の名をわか身にしれはやましろの宇治のわたりそいとゝすみうき」# (27オ) 宮のかき給へりしゑを時々見てなかれけりなからへてあるましきことそとさま かうさま思なせとほかにたへこもりてやみなんはいとあはれにおほゆへし     「かきくらしはれせぬみねのあま雲にうきてよをふる身ともなさはや」# ましりなはときこえたるを宮は夜ことなかれ給さりとも恋しと思ふらんかしとおほし やるも物おもひてゐたらむさまのみおも影に見え給まめ人はのとかに見給つゝあはれいかに なかむらむとおもひやりていと恋し     「つれ/\と身をしる雨のをやまねは袖さへいとゝみかさまさりて」# とあるを打もをかす見給女宮に物語なときこえ給てのついてになめしともやおほ さむとつゝましなからさすかに年へぬる人の侍をあやしきところにすてをきていみし く物おもふなるか心くるしさにちかうよひよせてと思侍むかしよりことやうなる心はへ侍し (27ウ) 身にて世中をすへてれいの人ならてすくしてんと思侍しをかく見たてまつるにつけてひた ふるにもかたけれはありと人にもしらせさりし人のうへさへ心くるしうつみえ ぬへきこゝちしてなときこえ給へはいかなる事に心をく物ともしらぬをといらへ 給内になとあしさまにきこしめさする人や侍らむよの人の物いひそいとあちき なくけしからす侍やされとそれはさはかりの数にたに待るましなときこえ給みちたる ところにわたしてんとおほしたつにかゝるれうなりけりなと花やかにいひなす人やあらん なとくるしけれはいとしのひてさうしはらすへき事なと人しもこそあれこの 内記かしる人のおや大蔵大輔なる物にむつましく心やすきさまにのたまひ つけたりけれは聞つきて宮にはかくれなくきこえけりゑしともなとも御 すいしんとものなかにあるむつましき殿上人なとをえりてさすかにわさとなん (28オ) せさせ給と申にいとゝおほしさはきてわか御めのとのとをきすゝうのめにてくた る家しもつかたにあるをいとしのひたる人しはしかくいたらむとかたらひ給け れはいかなる人にかはとおもへとたいしとおほしたるにかたしけなけれはさらはと きこえけり是をまうけ給てすこし御心のとめ給此月のつこもりかたに くたるへけれはやかてその日わたさんとおほしかまふかくなん思ふゆめ/\といひ やり給つゝおはしまさん事はいとわりなくある内にもこゝにもめのといとさかし けれはかたかるへきよしを聞ゆ大将殿は卯月の十日となんさため給へりける さそふ水あらはとおもはすいとあやしくいかにしなすへき身にかあらんとうき たるこゝちのみすれははゝの御もとにしはしわたりて思めくらす程あらむと おほせと少将のめこうむへき程ちかくなりぬとてすほうと経なとひまなく (28ウ) さはけは石山にもえ出たつましはゝそこちわたり給へるめのと出きて殿より 人々のさうそくなともこまかにおほしやりてなんいかてきよけになに事もと 思給ふれとまゝか心一にはあやしくのみそし出侍らむかしなといひさはくかこゝ地 よけなるを見給にも君はけしからぬ事ともの出きて人わらへならは誰も/\ いかにおもはんあやにくにのたまふ人はたやへたつ山にこもるともかならす我も人も いたつらになりぬへしなを心やすくかくれなん事をおもへとけふものたまへるいかにせん とこゝちあしくてふし給へりなとかかくれいならすいたくあをみやせ給へるとおとろき 給日ころあやしくのみなんはかなき物もきこしめさすなやましけにせさせ給といへは あやしきことかな物のけなとにやあらむといかなる御こゝ地そとおもへと石山もとま り給にきかしといふもかたはらいたけれはふしめ也暮て月いとあかしあり明の空を (29オ) 思ひ出るも涙のいととゝめかたきはいとけしからぬ心かなと思ふはゝ君むかし物語なとして あなたのあま君よひ出てこひめ君の御ありさま心ふかくおはしてさるへき事も おほしいれたりし程にめにみす/\きえ入給にし事なとかたるおはしまさましかは 宮のうへなとのやうにきこえかよひ給て心ほそかりし御ありさまとものいとこよな き御さいはひにそ侍らまししといふにもわかむすめはこと人かは思ふやうなるすくせ のおはしはてはをとらしをなと思つゝけて夜とともに此君につけて物をのみ思みた れしけしきのすこし打ゆるひてかくてわたりたまひぬへかめれとこゝにまいりくる ことかならすしもことさらにはえ思たち侍らしかゝるたいめんのおり/\にむかしのことも心 のとかにきこえうけたまはらまほしけれなとかたらふゆゝしき身とのみ思ふ給へ しみにしかはこまやかに見えたてまつりきこえさせんもなにかはつゝましくてすくし (29ウ) 侍つるを打すてゝわたらせ給なはいと心ほそくなん侍へけれとかゝる御すまゐは心もと なくのみ見たてまつるをうれしくも侍へかなるかな世にしらすをも/\しくおはしますへかめる 殿の御ありさまにてかくたつねきこえさせ給しもおほろけならしときこえをき侍 にしうきたる事にや侍けるなといふ後はしらねとたゝいまはかくおほしはなれぬさまに のたまふにつけてもたゝしるへをなん思ひ出聞ゆる宮のうへのかたしけなくあはれに おほしたりしとつゝましことなとのをのつから侍しかは中空にところせき御身なりと思ひ なけき侍てといふあま君打わらひて此宮のいとさはかしきまて色におはします なれは心はせあらんわかき人さふらひにくけになん大かたはいとめてたき御 ありさまなれとさるすちの事にてうへのなめしとおほめんなんわりなきとたいふ かむすめのかたり侍しといふにもさもやましてと君はきゝふし給へりあな (30オ) むくつけやみかとの御むすめをもちたてまつり給へる人なれとよそ/\にてあしく もよくもあらむはいかゝはせんとおほけなく思なし侍よからぬことをひき出 給へらましかはすへて身にはかなしくいみしと思ひ聞ゆとも又見たてまつらさら ましなといひかはす事ともにいとゝ心きもゝつふれぬなを身をうしなひて はやつゐに聞にくき事は出きなんと思つゝくるに此水の音のおそろしけにひゝ きてゆくをかゝらぬなかれありかし世ににすあらましきところに年月をすくし 給をあはれとおほしぬへきわさになんなとはゝ君したりかほにいひゐたりむかし より此川のはやくおそろしき事をいひてさいつころわたしもりかむまこのわらは さほさしはつしておち入侍にけるすへていたつらになる人おほかる水に侍りと人々もいひ あへり君はさても我身ゆくゑもしらすなりなは誰も/\あへなくいみしとしはしこそ (30ウ) 思ふたまはめなからへて人わらへにうきこともあらむはいつかその物おもひのたえむとする と思かくるにはさはりところもあるましさはやかによろつ思なさるれと打かへし いとかなしおやのよろつに思いふありさまをねたるやうにてつく/\と思みたるなや ましけにてやせ給へるをめのとにもいひてさるへき御いのりなとせさせ給へまつり はらへなともすへきやうなといふみたらし川にみそきせまほしけなるをかくもしら てよろつにいひさはく人すくななめりよくさへからんあたりをたつねていままいりは とゝめ給へやむことなき御なからひはさうしみこそ何事もおいらかにおほさめよからぬ 中となりぬるあたりはわつらはしきこともありぬへしかくしひそめてさる心し給へなと思 いたらぬことなくいひをきてかしこにわつらひ侍人もおほつかなしとてかへるをいと物 おもはしくよろつ心ほそけれは又あひ見てもこそともかくもなれとおもへはこゝ地のあしく侍 (31オ) にも見たてまつらぬかいとおほつかなくおほえ侍をしはしもまいりこまほしくこそと したふさなん思侍れとかしこもいと物さはかしく侍り此人々もはかなき事なとえし やるましくせはくなと侍れはなんたけふのこうにうつろひ給へともしのひてはま いりなんをなを/\しき身の程はかゝる御ためこそいとおしく侍れなと打なきつゝ のたまふ殿の御文はけふもありなやましときこえたりしをいかゝととふらひ給へり みつからと思侍をわりなきさはりおほくてなん此程のくらしかたさこそ中々くる しくなとあり宮は昨日の御かへりもなかりしをいかにおほしたゝよふそ風のなひかん かたもうしろめたくなんいとゝほれまさりてなかめ侍なと是はおほくかき給へりあめ ふりし日きあひたりし御つかひともそけふもきたりける殿のみすいしんかのせう か家にて時々見るをのこなれはまうとはなにしにこゝにはたひ/\まいるそととふ (31ウ) わたくしにとふらふへき人のもとにまうつるなりといふわたくしの人にやえんなる 文はさしとらする気しきあるましうとかな物かくしはなそといふまことは此かう の君の御文女房にたてまつり給といへは事たかひつゝあやしとおもへとこゝにて さためいはんもことやうなるへけれはをの/\まいりぬかと/\しき物にてともに あるわらはを此をのこにさりけなくてめつけよさいものたいふの家にや いると見せけれは宮にまいりてしきふのせふになん御文はとらせ 侍つるといふさまてたつねん物ともをとりのけすともはおもはすことの心を もふかうしらさりけれはとねりの人に見あらはされにけんそくちおし きや殿にまいりてたゝいま出たまはんとする程に御文たてまつらす なをしにて六条院にきさひの宮の出させ給へるころなれはまいり給なり (32オ) けりこと/\しく御せんなともあまたもなし御文まいらする人にあやしき事の侍つる 見給へさためんとていまゝてさふらひつるといふをほの聞給てあゆみ出給まゝになに ことそととひ給此人のきかんつゝましと思ひてかしこまりておる殿もしか見しり給 て出たまひぬ宮れいならすなやましけにおはすとて宮たちもみなまいり給へり かんたちめなとおほくまいりつとひてさはかしけれとことなることもおはしまさす かの内記はうはつかさなれはをくれてそまいれる此御文もたてまつるを宮たい はんところにおはしまして戸くちにめしよせてとり給を大将御まへのかたよりたち出 給そはめに見とをし給てせちにもおほすへかめる文のけしきかなとおかしさにたち とまり給へりひきあけて見給くれなゐのうすやうにこまやかにかきたるへしと 見ゆ文に心をいれてとみにもむきたまはぬにおとゝもたちてとさまにおはすれは (32ウ) 此君はさうしより出給とておとゝ出給と打しはふきておとろかいたてまつり給ひき かくし給へるにそおとゝさしのそき給へるおとろきて御ひもさし給殿もついゐ 給てまかて侍りぬへし御しやけのひさしくおこらせたまはさりつるをおそろしき わさなりや山のさすたゝいまさうしにつかはさむといそかしけにて立たまひぬ 夜ふけてみな出たまひぬおとゝは宮をさきにたてたてまつり給てあまたの 御ことものかんたちめ君たちをひきつゝけてあなたにわたりたまひぬ此殿は をくれて出給すいしんけしきはみつるあやしとおほしけれはこせんなとをりて 火ともす程にすいしんめしよす申つる事はなに事そととひ給けさかのうちに 出雲のこんのかみ時かたのあそんのもとに侍おとこのむらさきのうすやうにて桜 につけたる文を西のつま戸によりて女房にとらせ侍つる見給つけてしか/\とひ (33オ) 侍つれはことたかへつゝそらことのやうに申侍つるをいかに申そとてわらはへして見 せ給へれは兵部卿の宮にまいり侍てしきふのせふみちさたのあそんになんその 返事はとらせ侍けると申す君はあやしとおほしてその返事はいかやうにしてい たしつるそれは見給へすことかたよりいたし侍にける下人の申侍つるはあかき色 紙のいときよらなるとなん申侍つると聞ゆおほしあはするにたかう事なしさまて見 せつらんをかと/\しとおほせと人々ちかけれはくはしくものたまはすみちすからなを いとおそろしくくまなくおはする宮なりやいかなりけんついてにさる人ありと 聞給けんいかていひより給けんゐ中ひたるあたりにてかやうのすちのまきれは えしもあらしと思けるこそさるすきことをものたまはめむかしよりへたて なくてあやしきまてしるへしゐてありきたてまつりし身にしもうしろめたく (33ウ) おほしよるへしやと思ふにいと心つきなしたいの御かたの御事をいみしく思つゝ年ころ すくすは我心のをもさはこよなかりけりさるはそれはいまはしめてさまあしかるへき 程にもあらすもとよりのたよりにもよれるをたゝ心のうちのくまあらんは我ためも くるしかるへきによりてこそ思はゝかるもをこなるわさなりけり此ころかくなやま しくし給てれいよりも人しけきまきれにいかてはる/\とかきやり給ふらんおはし そめにけんいとはるかなるけさうのみちなりやあやしくておはしところたつねら れ給もありときこえきかしさやうのことにおほしみたれてそこはかとなくなやみ 給なるへしむかしをおほし出るにもえおはせさりし程のなけきはいと/\おしけ也 きかしとつく/\と思ふに女のいたく物おもひたるわさなりしもかたはし心えそめ給ては よろつおほしあはするにいとうしありかたき物は人の心にもあるかならうたけにおほとか (34オ) なりとは見えなから色めきたるかたはそひたる人そかし此宮の御具にてはいと よきあはひなりと思もゆつりつへくのくこゝちし給へとやむことなく思そめはしめ し人ならはこそあらめなをさる物にてをきたらむいまはとて見さらんはた恋し かるへしと人わろく色々心のうちにおほすわれすさましく思なりてすてをき たらはかならすかの宮よひとり給てん人のため後のいとおしさをもことに たとり給ふましさやうにおほす人こそ一品の宮の御かたに人二三人まいらせ 給たなれさて出たちたらんを見きかんいとおしくなとなをすてかたくけしき 見まほしくて御文つかはすれいのみすいしんめして御てつから人まにめしよせたり みちさたのあそんはなをなかのふか家にやかよふさなん侍と申宇治へつね にやこのありけんをのこはやるらんかすかにてゐたる人なれはみちさた (34ウ) 思かへらんかしと打うめき給て人に見えてをまかれをこなりとのたまふ かしこまりてせうかつねに此殿の御ことあないしかしこの事とも思あはす れと物なれてえ申出す君もけすにくはしくはしらせしとおほせはとはせ たまはすかしこには御つかひのれいよりしけきにつけても物おもふことさま/\也 たゝかくそのたまへる     「波こゆるころともしらすすゑの松まつらんとのみおもひけるかな」# 人にわらはせ給なとあるをいとあやしと思ふにむねもふたかりぬ御 返事を心えかほにきこえむもいとつゝましひか事にてあらんもあやしけれは 御文はもとのやうにしてところたかへのやうに見え侍れはなんあやしくなや ましくて何事もとかきそへてたてまつれ給見給てさすかにいたくも (35オ) したるかなかけて見をよはぬ心はへよとほゝゑまれ給もにくしとはえおほし はてぬなめりまほならねとほのめかし給へるけしきをかしこにはいとゝ思そふつゐ に我身はけしからすあやしくなりぬへきなめりといとゝ思ふところに右近きて 殿の御文はなとてかへしたてまつり給へるそゆゝしくいみ侍なる物をといへは ひか事のあるやうに見えつれはところたかへかとてとのたまふあやしと見けれはみち にてあけて見けるなりけりよからすの右近かさまやな見つとはいはてあな いとおしくるしき御事ともにこそ侍れ殿は物のけしき御らんしたるへしといふに おもてさとあかみて物ものたまはす文見つらむとはおもはねはことさまにてかの御気 しき見る人のかたりたるにこそはと思ふにたれかさいふそなともとひたまはす 此人々のみ思ふらんこともいみしくはつかしわか心もてありそめし事ならねとも心うき (35ウ) すくせかなと思いりてねたるに侍従とふたりして右近かあねのひたちもふ たり見侍しを程々につけてたゝかくそかしこれもかれもをとらぬ心さしにて思 まとひて侍し程に女はいまのかたにいますこし心よせまさりてそ侍ける それにねたみてつゐにいまのをはころしてしそかしさて我もすみ侍らす なりにきくにゝもいみしきあたらつは物ひとりうしなひつ又このあやまちたる もよきらうとうなれとかゝるあやまちしたる物をいかてかつかはんとて国のうち もをいはらはれすへて女のたい/\しきそとてたちのうちにもおい給へらさりし かはあつまの人になりてまゝもいまに恋なき侍れはつみふかくこそ見給ふれゆゝし きついてのやうに侍れとかみもしもゝかゝるすちの事はおほしみたるゝ事はいと あしきわさ也御いのちまてにはあらすとも人の御程々につけて侍事也しぬる (36オ) まさるはちなる事もよき人の御身には中々侍也一かたにおほしさためてよ宮 も御心さしまさりてさやうにたにきこえさせたまはゝそなたさまにもなひ かせ給て物ないたくなけかせ給そやおとろへさせ給もいとやくなしさはかり うへの思いたつききこえさせ給物をまゝかこの御いそきに心をいれてまとい ゐて侍につきてもそれよりこなたにときこえさせ給御事こそいとくるしく いとおしけれといふにいまひとりうたておそろしきまてなきこえさせ給そ 何事も御すくせにこそあらめたゝ御心のうちにすこしおほしなひかんかたを さるへきにおほしならせ給へいてやいとかたしけなくいみしき御けしきなりしかは 人のかくおほしいそくめりしかたにも心もよらすしはしはかくろへても思ひの まさらせたまはんによらせたまひねとそおもひえ侍ると宮をいみしくめて (36ウ) 聞ゆる心なれはひたみちにいふいさや右近はとてもかくてもことなくすくさせ 給へとはつせ石山なとにくはんをなんたて侍此大将殿の御さうの人々と いふ物はいみしきふたうの物ともにてひとるいこの里にみちて侍也大かた 此山しろやまとに殿のりやうし給へるところ/\の人なんみな此うとねりと いふ物のゆかりかけつゝ侍なるそれかむこのうこんのたいふといふ物をもとゝして よろつの事ををきておほせられたなるなゝりよき人の御中とちはなさけ なき事しいてよとおほさすとも物の心えぬゐ中人とものとのゐ人にてかはり/\ さふらへはをのかはんにあたりていさゝかなることもあらせしなとあやまちもし 侍なんありし世の御ありきはいとこそむくつけく思ふ給へられしか宮はわりなく つゝませ給とて御ともの人もゐておはしまさすやつれてのみおはしますをさる物 (37オ) の見たてまつりたらむはいといみしくなんといひつゝくるを君はなを我を宮に 心よせたてまつりたると思ひて此人々のいふいとはつかしく心にはいつれとも おもはすたゝ夢のやうにあきれていみしくいられ給をはなとかくしもとはかり おもへとたのみきこえて年ころになりぬる人をいまはともてはなれんとおもは ぬによりこそかくいみしと物を思ひみたるれよからぬ事も出きたらむ ときとつく/\と思ゐたりまろはいかてしなはやよつかす心うかりける 身かなかくうきことあるためしはけすなとのなかにたにおほくやはあなる とてうつふし/\給へはかくなおほしめしそやすらかにおほしなせとてこそ きこえさせ侍れおほしぬへき事をもさらぬかほにのみのとかに見えさせ給へる を此御ことの後いみしく心いられをせさせ給へはいとあやしくなん見たてまつると (37ウ) 心しりたるかきりはみな思みたれさはくにめのとをのか心をやりてものそめ いとなみゐたりいまゝいりわらはなとのめやすきをよひとりつゝかゝる人御らむ せよあやしくてのみふさせ給へるは物のけなとのさまたけきこえさせんとするに こそとなけく殿よりはありしかへり事をたにのたまはて日ころへぬこのをと しゝうとねりといふ物そきたるけにいとあら/\しくふつゝかなるさましたる おきなのこゑかれさすかにけしきある女房に物とり申さんといはせたれは右近 しもあひたり殿にめし侍しかはけさまいり侍てたゝいまなんまかりかへり侍つる さうしともおほせられつるついてにかくておまします程に夜なか暁のことも なにかしらかくてさふらふとおほしてとのゐ人わさとさしたてまつらせ給事 もなきを此ころきこしめせは女房の御ともにしらぬところ/\の人々かよふ (38オ) やうになんきこしめす事あるたい/\しき也とのゐにさふらふ物ともはそのあない きゝたらむしらてはいかゝさふらふへきととはせ給へるにうけたまはらぬ事なれは なにかしは身のやまひをもく侍てとのゐつかまつる事月ころをこたりて侍れは あんないもえしり侍らすさるへきをのこともけたいなくもよほしさふらはせ 侍をさのこときひしきやうのことのさふらはんをはいかてかうけたまはらぬやうは はへらんとなん申させ侍つるようゐしてさふらへひんなき事もあらはをもく かむたうせしめ給ふへきよしなんおほせ事侍つれといかなるおほせ事にかと おそれ申侍といふを聞にふくろふのなかんよりもいと物おそろしいらへもやらてさり やきこえさせしにたかはぬ事ともをきこしめせ物のけしき御らんしたるなめり御 せうそこも侍らぬよとなけくめのとはほの打聞ていとうれしくもおほせられたり (38ウ) ぬす人おほかんなるわたりにとのゐ人もはしめのやうにもあらすみな身の かはりにといひつゝあやしきけすをのみまいらすれは夜行をたにせぬにとよ ろこふ君はけにたゝいまいとあしくなりぬへき身なめりとおほすに宮 よりはいかに/\とこけのみたるゝわりなさをのたまふいとわつらはしくなん とてもかくてもひとかた/\につけていとうたてある事は出きなん我身一 のなくなりなんのみこそめやすからめむかしはけさうする人のありさまの いつれとなきに思わつらひてたにこそ身をなくるためしもありけれなからへは かならすうき事見えぬへき身のなくならむはなにかおしかるへきおやもしはし こそなけきたまはめあまたの子ともあつかひにをのつからわすれ草つみてん ありなからもてそこなひ人わらへなるさまにてさすらへんはまさる物思なるへし (39オ) なと思なるこめきおほとかにたを/\と見ゆれと気たかう世のありさまをも しるかたすくなくておほしたてたる人にしあれはすこしをすかるへき 事を思よるなりけんかしむつかしきほうくなとやりておとろ/\しく一たひに もしたゝめすとうたいの火にやき水になけいれさせなとやう/\うしなふ 心しらぬこたちは物へわたり給へけれはつれ/\なる月日へてはかなくしあつめ 給へるてならひなとをやり給なんめりと思ふ侍従なとそ見つくる時はなとかくは せさせ給あはれなる御中に御心とゝめてかきかはし給へる文は人にこそ見せさせたま はさらめ物のそこにをかせ給て御らんするなん程々につけてはいとあはれに侍さ はかりめてたき御かみあつかひかたしけなき御ことの葉をつくさせ給へるをかく のみやらはれ給なさけなき事といふなにかむつかしくなかかるましき身に (39ウ) こそあめれおちとゝまりて人の御ためもいとおしからむさかしらに是をとり をきけるよなともり聞たまはんこそはつかしけれなとのたまふ心ほそきことを 思もてゆくには又え思たつましきわさなりけりおやををきてなくなる人 はいとつみふかくなる物をなとさすかにほの聞たる事をも思ふ廿日あまり にもなりぬかの家あるし廿八日にくたるへし宮はその夜かならすむかへむ しも人なとによくけしき見ゆましき心つかひし給へこなたさまよりは ゆめにもきこえあるましくうたかひ給ななとのたまふさてあるましきさま にておはしたらんにいま一たひ物をもきこえすおほつかなくてかへしたてま つらんとするかひなく恨てかへりたまはんさまなとを思やるにれいのおもかけ はなれすたえすかなしくて此御文をかほにをしあてゝしはしはつゝめともいと (40オ) いみしくなき給右近あか君かゝる御けしきつゐに人見たてまつりつへし やう/\あやしなと思ふ人侍へかめりかうかゝつらひおもほさてさるへきさまにき こえさせ給てよ右近侍らはおほけなき事もたはかりいたし侍らはかはかりちい さき御身一は空より出たてまつらせ給なんといふとはかりためらひてかくのみいふこそい と心うけれさもありぬへき事と思かけはこそあらめあるましき事とみな思とるに わりなくかみのみたのみたるやうにのたまへはいかなる事をし出たまはんとするにか なと思ふにつけて身のいと心うきなりとて返事もきこえたまはすなりぬ宮かくのみ なをうけひくけしきもなくて返事さへたえにたるはかの人のあるへきさまに いひしたゝめてすこし心やすかるへきかたに思さたまりぬるなめりことはり とおほす物からいとくちおしくねたくさりとも我をはあはれと思たりし物をあひ (40ウ) 見ぬとたえに人々のいひしらするかたによるならんかしなとなかめ給にゆくかた しらすむなしき空にみちぬるこゝ地し給へれはれいのいみしくおほしたちておはし ましぬあしかきのかたをみるにれいならすあれはたそといふこゑ/\にいさとけなりたち のきて心しりのをのこをいれたれはそれをさへとふさき/\のけはひにもにす わつらはしくて京よりとみの御ふみあるなりといふ右近かすさの名をよひて あひたりいとわつらはしくいとゝおほゆさらにこよひはふよう也いみしくかたしけ なき事といはせたり宮なとかくもてはなるらんをおほすにわりなくてまつとき かたいりて侍従にあひてさるへきさまにたはかれとてつかはすかと/\しき人にて とかくいひかまへてたつねてあひたりいかなるにかかの殿のたまはする事あるとて とのゐにある物とものさかしかりたちたるころにていとわりなき也御まへにも (41オ) 物をのみいみしくおほしためるはかゝる御事のかたしけなきをおほしみたるゝに こそと心くるしくなん見たてまつるさらにこよひは人しけき見侍なは中々にいと あしかりなんやかてさも御心つかひせさせ給ふへからん夜こゝにも人しれすおもひ かまへてなんきこえさすへかめるめのとのいさとき事なともかたるたいふおはします みちのおほろけならすあなかちなる御けしきにあへなくきこえさせ給へと いさなふいとわりなからんといひしろふ程によもいたくふけゆく宮は御馬にて すこしとをく立給へるに里ひたるこゑしたる犬ともの出きてのゝしるもいと おそろしく人すくなにいとあやしき御ありきなれはすゝろならん物のはしり出 きたらむもいかさまにとさふらふかきり心をそまとはしけるなをとく/\まいり なんといひさはかして侍従をいてまいるかみわきよりかいこしてやうたいいか (41ウ) おかしき人也馬にのせむとすれとさらにきかねはきぬのすそをとりてたち そひてゆくわかくつをはかせてみつからはともなる人のあやしき物をはき たりまいりてかくなんと聞ゆれはかたらひ給ふへきやうたになけれは山かつのかき ねのをとろむくらのかけにあふりといふ物をしきておろしたてまつるわか御こゝ地にも あやしきありさまかなかゝるみちにそこなはれてはか/\しくはえあるましき 身なめりとおほしつゝくるになき給事かきりなし心よはき人はましていと いみしきあたを鬼につくりたりともをろかに見すつましき人の御ありさま也 ためらひ給てたゝ一こともえきこえさすましきかいかなれはいまさらに かゝるそなを人々のいひなしたるやうあるへしとのたまふありさまくはしくきこえ てやかてさおほしめさむ日をかねてはちるましきさまにたはからせ給へかくかた (42オ) しけなき事ともを見たてまつり侍れは身をすてゝも思ふ給へたはかり侍らんときこゆ 我も人めをいみしくおほさは一かたに恨たまはんやうもなし夜はいたくふけゆくに 此物とかめする犬のこゑたえす人々をいさけなとするにゆみひきならしあやしき をのことものこゑともして火あやうしなといふもいと心あはたゝしけれは かへり給ふほといへはさらなり     「いつくにか身をはすてんとしら雲のかゝらぬ山に なく/\そゆく」さらははやとて此人をかへし給御けしきなまめかしくあはれに 夜ふかき露にしめりたる御かのかうはしさなとたとへんかたなしなく/\そ かへりきたる右近はいひきりつるよしいひゐたるに君はいよ/\思みたるゝ事お ほくてふし給へるにいりきてありつるさまかたるにいらへもせねと枕のやう/\うきぬるを (42ウ) かつはいかに見るらんとつゝましつとめてもあやしからむまみをおもへはむこにふしたり 物はかなけにおひなとして経よむおやにさきたちなんつみうしなひ給へとのみおもふ ありしゑをとり出て見てかき給し手つきかほのにほひなとのむかひきこえたらん やうにおほゆれは夜へ一ことをたにきこえすなりにしはなをいまひとへまさりて いみしと思ふかの心のとかなるさまにて見むとゆくすゑとをかるへき事をのたま ひわたる人もいかゝおほさんといとおしきさまにいひなす人もあらんこそ思やり はつかしけれと心あさくけしからす人わらへならんをきかれたてまつらむよりはと おもひつゝけて     「なけきわひ身をはすつともなきかけにうき名なかさん ことをこそおもへ」おやもいと恋しくれいはことに思ひ出ぬはらからの見にくやかなるも (43オ) 恋し宮のうへをも思ひ出聞ゆるにすへていま一たひゆかしき人おほかり人はみな をの/\ものそめいそきなにやかやといへとみゝにもいらすよるとなれは人に見つけ られす出てゆくへきかたを思まうけつゝねられぬまゝにこゝ地もあしくみなた かひたり明たては川のかたを見やりつゝひつしのあゆみよりも程なきこゝ地す 宮はいみしき事ともをのたまへりいまさらに人や見むとおもへは此御返事をたに思ふ まゝにもかゝす     「からをたにうき世の中にとゝめすはいつこをはかと 君もうらみむ」とのみかきていたしつかの殿にもいまはのけしき見せたてまつら まほしけれと心々にかきをきてはなれぬ御中なれはつゐに聞あはせたまはん事 いとうかるへしすへていかになりにけんと思かへす京よりはゝの御文もてきたり (43ウ) ねぬる夜の夢にいとさはかしく見給へはす行ところ/\せさせなとし侍やかてその 夢の後ねられさりつるけにやたゝいまのひるねして侍夢に人のいむといふ 事なん見え給つれはおとろきなからたてまつるよくつゝしませ給へ人はなれたる御 すまゐにて時々立よらせ給人の御ゆかりもいとおそろしくなやましけに 物せさせ給おりしも夢のかゝるをよろつになん思給ふるまいりこまほしきを 少将のかたのなをいと心もとなけに物の気たちてなやみ侍れはかた時もたち さることゝいみしくいはれ侍てなんそのちかき寺にも御す経せさせ給へとてその れうの物ふみなとかきそへてもてきたりかきりと思ふいのちの程をしらて かくいひつゝけ給へるもいとかなしと思ふ寺へ人やりたる程返事かくいはまほし きことおほかれとつゝましくてたゝ (44オ)     「鐘のをとのたゆるひゝきにねをそへてわか世つきぬと きみにつたへよ」もてきたるにかきつけてこよひはえかへるましと いへは物のえたにゆひつけてをきつめのとあやしく心はしりのする かな夢もさはかしくとのたまはせたりつとのゐ人よくさふらへと いはするをくるしときゝふし給へり物きこしめさぬいとあやし 御ゆつけなとよろつにいふをさかしかるめれといと見にくゝおい なりて我はなくはいつくにかあらむとおもひやり給もいとあはれ なり世中にえありはつましきさまをほのめかしていはんなと おほすにまつおとろかれてさきたつなみたをつゝみ給て 物もいはれすうこんほとちかくふすとてかくのみものを (44ウ) おもほせは物おもふ人のたましゐはあくかるなる物なれは ゆめもさはかしきならんかしいつかたとおほしさたまりて いかにも/\おはしまさなんとうちなけくなへたるきぬを かほにをしあてゝふしたまへりとなん ---------------------------------------------------------------------------------- 底本:Japanese Rare Book Collection (Library of Congress) LC Control No.2008427768 翻字担当者:大石裕子、杉本裕子、小川千寿香 更新履歴: 2012年12月26日公開