＜出典＞２６２　　　国定読本　２期６－２
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目録　　＃
第一課　　天皇陛下の御製………一　　第十五課　　南滿洲鐵道………五十四　＃
第二課　　日本海海戰………四　　第十六課　　歐羅巴の三大都………五十九　＃
第三課　　造船ノ話………十一　　第十七課　　獸類の移住………六十五　＃
第四課　　天氣豫報及び暴風雨警報………十六　　第十八課　　苦樂………七十　＃
第五課　　動物と植物の關係………二十　　第十九課　　コロンブス………七十三　＃
第六課　　鎌［かま］倉［くら］………二十三　　第二十課　　辻音樂………八十一　＃
第七課　　鳥居勝［かつ］商［あき］………二十六　　第二十一課　　烈士喜劔………八十五　＃
第八課　　日本の女子………三十　　第二十二課　　主婦の務………八十八　＃
第九課　　學校落成式………三十四　　第二十三課　　孔［こう］子［し］と孟［まう］子［し］………九十三　＃
第十課　　公事と私事………三十七　　第二十四課　　大國民の品格………九十七　＃
第十一課　　阿［あ］蘇［そ］山………三十九　　第二十五課　　自治の精神………百二　＃
第十二課　　我が國の農業………四十三　　第二十六課　　帝國議會………百五　＃
第十三課　　國産の歌………四十七　　第二十七課　　軍人に賜はりたる勅諭………百九　＃
第十四課　　貿易………五十　　第二十八課　　卒業………百十七　＃
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尋常小學讀本卷十二　　＃
第一課　　天皇陛下の御製　　＃
教育勅語と戊［ぼ］申［しん］詔書とは、我等が身を修め、世に處する＃
の道を示し給へるものにして、之を拜讀するもの誰か＃
御聖徳の山よりも高く、御仁愛の海よりも深きを仰ぎ＃
奉らざらん。陛下が萬機の政をみそなはす御かたはら、＃
折にふれてよみ出でさせ給へる御製にも、常に國家を＃
思ひ、臣民をあはれみ給ふ大御心の拜察せらるゝは、か＃
しこしともかしこき極みなり。いでや、其の二三を申さ＃
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ん。　　＃
神代より承けし寶をまもりにて、　　＃
治め來にけり、日の本つ國。　　＃
承けつぎし國の柱の動きなく　　＃
榮えゆく代を尚いのるかな。　　＃
古の書［ふみ］見る度に思ふかな、　　＃
おのが治むる國は如何にと。　　＃
祖宗の大業を承けて、明治の聖世を開かせ給へる御盛＃
運故なきに非ず。我等臣民も亦祖先の遺風に従ひ、一致＃
協同して、此の國家を護らざるべからず。＃
＜Ｐ－００３＞
陛下は忠勇なる我が臣民を深く信頼し給ひて、　　＃
國民は一つ心に守りけり、　　＃
遠つ御［み］祖［おや］の神の教を。　　＃
と仰せ給へり。　　＃
鍛ひたる劔の光いちじるく　　＃
世に＊か＊ゞやかせ、我が軍人。　　＃
此の御製を拜讀しては、何人も義勇の心にをどり立つ＃
なるべし。　　＃
國を思ふ道に二つはなかりけり、　　＃
軍のにはに立つも立たぬも。　　＃
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文武道を異にすれども、國に盡す誠は一なり。　　＃
波風の＊し＊づかなる日も船人は　　＃
か＊ぢ＊に心を許さざらなん。　　＃
治に居て亂を忘れざるも此の心なり。學問を修むるに＃
も、事業に從ふにも、常に此の心ありてぞ其の目的は達＃
し得らるべき。　　＃
第二課　　日本海海戰　　＃
露國が連敗の勢を回復せん爲、本國に於ける海軍の幾＃
んど全勢力を擧げて組織せる太平洋第二・第三艦隊は、＃
朝［てう］鮮［せん］海峽を經てウラヂオストックに向はんとす。我が海＃
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軍は初より敵を近海に迎へ撃つの計を定め、全力を朝＃
鮮海峡に集中せしが、遂に之と會して、世界史上空前な＃
る大海戰となれり。＃
明治三十八年五月二十七日午前五時、哨［せう］艦信［しな］濃［の］丸は「敵＃
艦見ゆ。」と報告す。東郷司令長官は直ちに全軍に出動を＃
命じ、先づ小軍艦をして敵艦隊を沖［おきの］島［しま］附近に誘ひ寄せ＃
しむ。＃
「皇國の興廢此の一戰にあり。各員一層奮勵努力せよ。」と＃
の信號旗が戰鬪旗と共に我が旗艦三笠にかゝげられ＃
たるは午後一時三十分にして、東郷司令長官は三笠以＃
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下六隻の主戰艦隊を率ゐて、上村艦隊と共に先頭にあ＃
る敵の主力に當り、片岡・出［で］羽［は］・瓜［うり］生［ふ］・東郷（少將）の諸隊は敵＃
の後尾をつく。＃
敵の先頭部隊は直ちに砲火を開始せしが、我は之に應＃
ぜず、距離六千メートルに近づきて始めて應戰し、はげ＃
しく敵を砲撃せしかば、敵の艦列忽ち亂れ、早くも戰列＃
を離るゝものあり。＃
風號び海怒りて、波浪山の如くなれども、熟練なる我が＃
砲手は物ともせず、打出す砲彈よく命中して、敵艦續々＃
火災を起し、火煙海をおほひて敵を包めり。時に午後二＃
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時四十五分、勝敗の數は既に定まれり。敵はかなはじと、＃
にはかに路を變へて逃れ去らんとせり。我は急に其の＃
前路をさへぎりて攻撃せしかば、敵の諸艦皆多大の損＃
害を受け、續いて我が驅［く］逐［ちく］隊より二回の水雷攻撃を受＃
けて、敵の兩旗艦は遂に沈没し、其の他にも相ついで沈＃
没せるもの多し。夜に入りて、我が駆逐隊・水雷艇［てい］隊は砲＃
火をくゞつて敵艦にせまり、無二無三に攻撃せしかば、＃
敵艦隊は四分五裂の有樣となれり。＃
明くれば二十八日、天よく晴れて海波靜かなり。我が艦＃
隊は東郷司令長官の命により、欝［うつ］陵［りよう］島附近に集りて敵＃
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を待ちしが、東方に當りて、はるか＃
に數條の黒煙を見る。よりて主戰＃
艦隊及び巡洋艦隊は東方に向つ＃
て、其の進路をふさぎ、片岡・瓜生・東＃
郷の諸隊は其の退路を絶ち、午前＃
十一時三十分全く敵を包圍せり。＃
敵今は逃れぬところと覺悟した＃
りけん、ネボカトフ少將は白旗を＃
かゝげ、戰艦ニコライ一世以下四＃
隻を擧げて其の部下と共に降服＃
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せり。＃
敵の司令長官ロジェストウェンスキ＃
ー中將は昨日の戰鬪に傷を負ひ、＃
幕下と共に一驅逐艦に移りしが、＃
我が驅逐艦の漣［さゞなみ］・陽［かげ］炎［ろふ］の二隻に追＃
撃せられ、遂に捕へらるゝに至れ＃
り。＃
此の兩日の戰に、敵艦の大部分は＃
我が艦隊の爲に、或は撃沈せられ、＃
或は捕獲せられて、三十八隻の中＃
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逃げおほせたるは巡洋艦以下數隻のみ。敵の死傷及び＃
捕虜は司令長官以下無慮六千人。我が軍の死傷甚だ少＃
く、沈没したるもの僅かに水雷艇三隻に止れり。＃
東郷司令長官此の戰況を打電し、其の後に附加して曰＃
く、＃
「我ガ聯合艦隊ガ克［ヨ］ク勝ヲ制シテ前記ノ如キ奇績ヲ＃
收メ得タルモノハ、一ニ天皇陛下ノ御［ミ］稜［イ］威［ツ］ノ致ス所＃
ニシテ、固ヨリ人爲ノ能クスベキニアラズ。殊ニ我ガ＃
軍ノ損失・死傷ノ僅少ナリシハ歴代神靈［レイ］ノ加護ニ依＃
ルモノト信仰［カウ］スルノ外ナク、嚮［サキ］ニ敵ニ對シ勇進敢［カン］戰＃
＜Ｐ－０１１＞
シタル麾［キ］下［カ］將卒モ皆此ノ成果ヲ見タルニ及ンデ、唯＃
唯感激ノ極、言フ所ヲ知ラザルモノノ如シ。」＃
と。勝報上聞に達し、陛下の下し給へる勅語の中に、＃
「朕ハ汝等ノ忠烈ニ依リ祖宗ノ神靈ニ對フルヲ得ル＃
ヲ懌［ヨロコ］ブ。」＃
と仰せられたり。將卒之を聞きて感泣せざるはなかり＃
き。　　＃
第三課　　造船ノ話　　＃
船ヲ造ルニハ先ヅ綿密ナ設計圖ヲコシラヘル。其ノ圖＃
ハ船ノ切斷面及ビ構成等ヲ何十分ノ一ニシタ縮圖デ、＃
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多人數ノ技師ヤ技手ガ永クカヽツテ製圖スルカラ、大＃
キナ戰艦ナドニナルト、設計圖バカリデ數百枚モアル＃
トイフ。設計圖ガ出來上ルト、細密ナ構造分圖ヲ各工場＃
ニ廻シ、必要ナ部分ハ實物大ノ圖ヲ作ツテ、始メテ製造＃
ニ着手スルノデアル。＃
工場ニハ色々アル。鐵ヲ鍛フ鍛工場モアレバ、鋼［カウ］鐵［テツ］・眞［シン］鍮［チユウ］＃
類ヲ鑄［イ］ル處モアリ、汽鑵［クワン］・煙突等ヲ造ル處モアリ、又木製＃
ノ器具類ヲ製造スル木工場モアル。イヅレモ大規模ニ＃
出來テヰテ、盡ク蒸氣ヤ電氣ノ力ヲ利用スル。何千貫ト＃
イフ大鐵［テツ］鎚［ツヰ］モ一人ノ手デ自由ニ運轉スルコトガ出來、＃
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何吋［インチ］ト厚イ鐵ノ板デモ、大根＃
ヲ切ル樣ニ造作ナク切斷ス＃
ル。船體ノ材料ガホヾ整フト、＃
組立ニ取リカヽル。船ヲ組立＃
テルニハ、船臺ノ上ニ盤［バン］木［ギ］＃
ト呼ブ木材ヲ積ンデ、其ノ＃
上ニ先ヅ龍［リユウ］骨［コツ］トイフモノ＃
ヲ置ク。コレハ人ノ脊［セ］骨［ボネ］ノ樣＃
ナモノデ、此ノ脊骨ノ左右カラ肋［ロク］骨［コツ］ヲ出シテ、段々ニ組＃
立テテ行ク。之ヲ肋材トイフ。肋材ハ梁［ハリ］ヲ以テ内カラ支＃
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ヘ、外側ニ板ヲ張リ、梁ノ上ニ＃
床ヲ造ツテ甲板トスル。コレ＃
デ船ノ大體ノ形ガ出來ル。コ＃
レハホンノ大體ノ構造ノ話＃
デ、實際ハ龍骨ニモ、肋材ニモ、＃
梁ニモ、外皮板ニモソレ〴〵＃
附屬具ガアリ、大キナ船デハ＃
船底モ兩側モ二重張ニスル。＃
サテソレカラ船室ヲ分ツタ＃
リ、倉庫ヲコシラヘタリ、檣［ホバシラ］ヲ＃
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附ケタリ、機關ヲスヱタリ、細カイ造作ヲシタリシテ、ス＃
ツカリ出來上ルマデニハ非常ナ手數ガ掛ル。＃
我ガ國ノ造船所デ、最モ規模ノ大キイノハ海軍ノ工廠［シヤウ］＃
デ、中ニモ横［ヨコ］須［ス］賀［カ］ト呉［クレ］ノガ最大ナモノデアル。又私設デ＃
ハ三［ミツ］菱［ビシ］・川崎等ノ造船所ガ最モ大キイ。帝國軍艦ノ薩［サツ］摩［マ］＃
ハ横須賀、安［ア］藝［キ］ハ呉デ造ツタノデアル。＃
船艦ノ修繕、船底ノ塗換等ヲスル處ヲ船［セン］渠［キヨ］トイフ。船渠＃
ノ底ト周リ三方ハ石デ疊ムカ、コンクリートデ固メル＃
カシテアル。船ヲ其ノ中ニ入レテ一方ノ扉［トビラ］ヲ閉ヂ、其ノ＃
水ヲポンプデカイ出シテ工事ニ掛ルノデアル。我ガ國＃
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デ一番大キイノハ佐世保海軍工廠ノ船渠デ、長サ百三＃
十四間、渠口ノ幅十九間餘、深サ八間餘アル。　　＃
第四課　　天氣豫報及び暴風雨警報　　＃
日々の天氣は我等の生活に大なる關係あり。故に文明＃
諸國に於ては何れも氣象臺・測候所を置きて、日々の氣＃
象を調査す。＃
我が國には東京に中央氣象臺あり。南臺灣の熱帶地方＃
より北樺［から］太［ふと］の寒帶に近き地方まで、全國に凡そ百箇處＃
の測候所あり。尚韓國・清［しん］國にも二十餘箇處を置けり。各＃
地の測候所は其の地方の氣象觀測を毎日三回中央氣＃
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象臺に報告し、中央氣象臺は各測候所の報告によりて＃
天氣圖を作り、毎日其の日の午後六時より翌日の午後＃
六時に至る、向ふ二十四時間の全國氣象の大勢を豫告＃
す。之を全國天氣豫報といふ。又各測候所が此の全國天＃
氣豫報と其の地の觀測とによりて、其の地方の天氣を＃
豫告するを地方天氣豫報といふ。是等の豫報は氣象臺・＃
測候所を始め、官廳・諸役所等の前に掲示せらるゝを以＃
て、我等は之を見て、明日の天氣如何を豫知することを＃
得べく、又其の日の天氣豫報は毎朝の新聞紙にても知＃
るを得べし。＃
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我が國及び附近に風雨のおそれある時は、中央氣象臺＃
は全國暴風雨警報を發して之を豫告す。又一地方に荒＃
模樣ある時は、測候所は地方暴風雨警報を發して之を＃
豫告し、警報の信號を各信號所に掲ぐ。信號は警報の種＃
類によりて異なり。晝間は赤球を以て風の強きを示し、＃
圓［ゑん］筒［とう］形［けい］を以て風雨の強きを、圓［ゑん］錐［すゐ］形［けい］を以て暴風雨のお＃
それあるを示す。夜間は紅燈を赤球に、緑燈を圓筒形に、＃
紅緑二燈を圓錐形に代ふ。故に今より出帆せんとする＃
船は、之を見て出發を＃
見合せ、又航海中の船＃
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は早く港に入りて難を避くることを得るなり。＃
諸子は中央氣象臺より發行する天氣圖を見たること＃
ありや。天氣圖とは各地に於て同時刻に觀測したる晴・＃
曇・雨・雪、風の方向・強弱、温度等一般の天氣要素を地圖の＃
上に記載し、あたかも天上より下界を見下すが如く、一＃
目に全國天候の如何を示すものなり。＃
天氣圖に用ふる普通の符號は左の如し。＃
○快晴　　〓晴　　〓曇　　●雨　　＃
〓霧　　　〓雪　　〓雷雨　　＃
又風の方向は矢を以て示し、矢の上へ向ふは南風、右へ＃
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向ふは西風、下へ向ふは北風、左へ向ふは東風とす。又其＃
の強弱は矢の羽の數にて表すなり。　　＃
第五課　　動物と植物の關係　　＃
蝶や蜂［はち］は花から花へいそがしさうに飛廻つて花の汁＃
を吸ふ。其の時花の中の花［くわ］粉［ふん］は是等の蟲に着いて、一つ＃
の花から他の花に傳達される。植物の花には、同種の他＃
の花の花粉を受けると、良い實を結ぶものがある。＃
又ひよやつぐみは美しく熟してゐる果實をついばむ。＃
それが爲におのづと種子をあちらこちらへ散布する。＃
鳥ばかりではない、人や獸類も果實をたべては其の種＃
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子を方々へまき散すのである。＃
動物は呼吸作用によつて、空氣中の酸［さん］素を吸ひ、炭酸瓦［が］＃
斯［す］を吐出す。若し之を消費するものがなければ、空氣中＃
には炭酸瓦斯が段々に増加し、遂には地球上の動物が＃
呼吸作用を營むことが出來なくなる道理である。然る＃
に空氣中の炭酸瓦斯の分量が増さないのは、一方に於＃
て植物が之を消費するからである。＃
植物も動物と同じく、呼吸作用で酸素を吸ひ、炭酸瓦斯＃
を吐出すが、其の吐出す炭酸瓦斯の分量は至つて少い。＃
外に同化作用といつて、盛に炭酸瓦斯を取つて、其の中＃
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の炭素を養分にして酸素を放つ作用がある。若し炭酸＃
瓦斯を供給するものがなければ、空氣中の炭酸瓦斯の＃
分量が著しく減つて、地球上の植物は盡く枯死すべき＃
はずである。然るに炭酸瓦斯が絶えず供給されるのは、＃
他にも種々の原因もあるが、動物の呼吸作用も與つて＃
大いに力があるのである。＃
金魚を細口のびんに入れて、二三日も水を取換へない＃
と、金魚は死んでしまふ。是は水中にとけてゐる酸素が＃
吸盡されるからである。若し其の中に青い水草を入れ＃
て置けば、水を取換へなくても金魚は割合に長く生き＃
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てゐる。是は前にいつた樣な關係がびんの中の金魚と＃
水草の間に行はれるからである。＃
此の外、動物は植物の果實・根・葉等を食つて體を養ひ、植＃
物は動物質の腐敗物を肥料として成長する等、生存上＃
動物と植物の關係は極めて密接なものである。　　＃
第六課　　鎌［かま］倉［くら］　　＃
七里＊が＊濱のいそ傳ひ、　　＃
稻村が崎、名將の　　＃
劔投ぜし古戰場。」　　＃
極樂寺坂越え行けば、　　＃
＜Ｐ－０２４＞
長［は］谷［せ］觀音の　　＃
堂近く、　　＃
露坐の大佛　　＃
おはします。」　　＃
由［ゆ］比［ひ］の濱べを　　＃
右に見＊て＊、　　＃
雪の下村過行けば、　　＃
八［はち］幡［まん］宮の御社。」　　＃
上るや石のきざ＊は＊しの、　　＃
左に高き大銀［い］杏［てふ］、　　＃
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問はばや、遠き世々の跡。」　　＃
若宮堂の舞の袖、　　＃
しづのをだまきくりかへし　　＃
かへせし人をしのびつゝ。」　　＃
鎌倉宮にまうでては、　　＃
盡きせぬ親［み］王［こ］のみうらみに　　＃
悲憤の涙　　＃
わきぬべし。」　　＃
歴史は長き　　＃
七百年、　　＃
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興亡すべてゆめに似＊て＊、　　＃
英雄墓はこけ蒸しぬ。」　　＃
建長・圓覺古寺の　　＃
山門高き松風に　　＃
昔の音やこもるらん。」　　＃
第七課　　鳥居勝［かつ］商［あき］　　＃
天正三年五月奥平信［のぶ］昌［まさ］、徳川家［いえ］康［やす］の命を受けて長［なが］篠［しの］城＃
を守る。武［たけ］田［だ］勝［かつ］頼［より］大軍を率ゐて來り攻むれども、城兵善＃
く戰ひて抜くこと能はず、攻めあぐみて長圍の計を取＃
り、柵［さく］を城外に廻らし、縄［なは］を城下の河中に張りて、城兵の＃
＜Ｐ－０２７＞
ひそかに逃れ出づるを防ぐ。＃
城中には僅かに四五日の糧食を餘せるのみ。援軍の來＃
らん日も亦期すべからず。信昌將士を集めていふやう、＃
「敵は長圍の計を取れるに、我は糧食殆ど盡きたり。今は＃
轍［わだち］にあぎとふ鮒［ふな］の如し。城を抜け出でて岡崎に至り、急＃
を主公に告ぐる者なきか。」と。鳥居勝商といふ者あり、進＃
み出でて其の使たらんことを請ひ、約していふやう、「事＃
の成否は今より豫測すべからず、若し向ひの山にのろ＃
しのあがるを見ば、幸にして城を出でたりと知れ。三日＃
を過ぎなば、又山上に來りて援軍の消息を示さん。」と。信＃
＜Ｐ－０２８＞
昌大いに喜ぶ。＃
時は十四日の月夜なり。黒き影は城の一方より現れ出＃
で、ひらりとばかり身を水中に投入れたり。縄の鈴はし＃
きりに鳴る。敵の衞兵相呼んで尋ねんとするに、一老兵＃
のいふ、「水方にみなぎれり。流をさかのぼる鱸［すゞき］の縄にふ＃
るゝならん。」といへば、「さもあらん。」とて止む。しばらくし＃
て黒き影は向ひの岸に現れたり。＃
翌十五日の朝、勝商は山に上りてのろしをあげ、走りて＃
岡崎に到り、家康に見えて援を求む。家康直ちに勝商を＃
して、織［お］田［だ］信［のぶ］長［なが］に見えて、長篠城の急を告げしむ。信長、勝＃
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商の勞を賞し、且いふ、「我、明日大軍を率ゐて出發せんと＃
す。汝も止りて我と共に行け。」と。勝商事急なればとて直＃
ちに引返す。＃
十六日勝商は再び山上にのろしをあげ、次いで城に入＃
らんとするに、不幸發見せられて、遂に敵兵に捕へらる。＃
勝頼、勝商に向ひていふ、「明日城門に行きて、『援軍來らず、＃
速に降るべし。』と告げよ。さらば我必ず重く汝を賞せん。」＃
と。＃
翌日壯士十餘人、勝商を圍みて城門に到る。勝商城に向＃
ひ、高らかに號んで曰く、「諸君、憂ふることなかれ。徳川・織＃
＜Ｐ－０３０＞
田二公大軍を率ゐて、既に出發せらる。圍の解けんは二＃
三日の内にあらん。」と。勝頼怒りて之を殺せり。＃
昔調［つきの］伊［い］企［き］儺［な］は新羅と戰ひて新羅の將に捕へらる。其の＃
將伊企儺をして日本に向つて、「日本の將我がしりを食＃
へ。」と號ばしむ。伊企儺却つて「新羅王我がしりを食へ。」と＃
いひて、幾度責めらるれども改めず、遂に殺されたり。古＃
今勇士の意氣甚だ相似たらずや。　　＃
第八課　　日本の女子　　＃
上［かみ］毛［つけ］野［ぬの］形［かた］名［な］、蝦［え］夷［ぞ］を討ちて利あらず、兵皆四散せしかば、＃
夜に乘じて城をすてて逃れんとす。形名の妻、夫を勵ま＃
＜Ｐ－０３１＞
して、「良人今獨り身を全うして、祖先以來の勇名を辱し＃
め給ふか。」と、自ら劔を帶び、侍女數人と弓を取りて盛に＃
弦［つる］を鳴らせり。賊之を聞きて、城中兵尚多からんと思ひ、＃
其の夜圍を解きて去れり。＃
新［につ］田［た］義［よし］貞［さだ］、尊［たか］良［なが］親王を奉じて越［ゑち］前［ぜんの］國［くに］金［かなが］崎［さき］の城に在りし＃
時、瓜［うり］生［ふ］保［たもつ］其の弟義［ぎ］鑑［かん］等と共に杣［そま］山に旗あげして義貞＃
に應ず。足［あし］利［かゞ］氏の大兵來り攻め、城遂に陷り、保・義鑑共に＃
戰死す。保の母は一時に二子を失ひて悲歎にくるゝな＃
らんと思ひの外、「二子の君の爲に戰死せるは家門の譽＃
なり。尚三子あれば更に再擧を圖るべし。」とて、少しも悲＃
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しむ色を見せざりき。＃
是等の人々は皆非常の大事にあひて心を取亂さず、能＃
く其の處すべき道に處したる我が國婦人の實例にし＃
て、其の志操の固きは男子にも勝れり。＃
孝女お房［ふさ］の幼き身を以て能く父母に事へたる、稻［いな］生［ふ］恆［こう］＃
軒［けん］の妻の常に祖先の祭に心を盡したる、松下禪［ぜん］尼［に］の儉＃
約を守りたる、鈴木今［いま］右衞［ゑ］門［もん］の妻の慈善を行ひたる、皆＃
後世女子の模範とすべき徳行なり。かの山内一［かず］豐［とよ］の妻＃
が貧苦に居て、夫の一大事を忘れざりしは、戰陣の際に＃
良人の名譽を全うせる形名の妻と其の徳を同じうす＃
＜Ｐ－０３３＞
とやいはん。楠［くす］木［のき］正［まさ］行［つら］の母が正行を戒め、高［たか］千［ち］穂［ほ］艦乘組＃
水兵の母が其の子を叱りしが如きは、保の母と同じく、＃
忠義の爲には恩愛を忘るゝ眞心より出でたり。＃
凡そ婦人の道は夫を助けて家政を治め、子に教へて家＃
名をあげしむるに在り。此の心は何處如何なる場合に＃
も忘るべからず。人世には思はぬ不幸、驚くべき事變の＃
何時起り來らずとも限らず。平時に於て常に之に處す＃
るの道を覺悟し置かずば、時に臨みて心亂れ、氣まどひ＃
て、見苦しき行を爲すことあらん。外温順・愛敬の徳を守＃
りて、内確固たる志操を持し、如何なる事變に際しても、＃
＜Ｐ－０３４＞
自若として其の常を失はざるは日本女子の美徳なり。　　＃
第九課　　學校落成式　　＃
昨年ノ夏カラ建築ニカヽツテヰタ學校ガ落成シテ、前＃
週ノ土曜日ニハ落成式ガ擧行サレタ。午前九時郡長・警＃
察署長・郡視學・町長・郡會議員・町會議員・學務委員・有志者、＃
其ノ他工事關係者一同新校舍ニ參集シ、縣廳カラモ知＃
事ノ代理トシテ事務官ノ臨席ガアツタ。先ヅ君ガ代ノ＃
歌ヲ歌ツタ後、町長ハ工事ノ報告ヲシタ。敷地總坪數何＃
千坪、建坪何百何十坪、之ニ要シタ經費ハ總計何萬何千＃
圓、其ノ内何千圓ハ町内有志者ノ寄附金デアル。就學兒＃
＜Ｐ－０３５＞
童ノ數ガ年々増加シ、義務教育年限モ六年ニ延長セラ＃
レタノデ、此ノ改築ヲ計畫シ、今新校舍ノ出來上ツタノ＃
ハ眞ニ慶賀スベキ事デアル。＃
郡長ハ左ノ祝文ヲ讀ンダ。＃
コヽニ本校新築落成式ヲ擧行セラルヽニ當リ、其ノ＃
席末ニ列スルヲ得タルハ余ノ最モ光榮トスル所ナ＃
リ。ソモ〳〵明治五年學制發布以來、教育ノ普及發達＃
ハ年ヲ追ウテイヨ〳〵盛ニ、今ヤ全國就學兒童ハ學＃
齡兒童百分ノ九十七ヲ越エ、本郡ノ如キハ實ニ百分＃
ノ九十九ノ好成績ヲ示セリ。随ツテ學齡兒童ノ數ハ＃
＜Ｐ－０３６＞
年々増加シテ、學校ノ増設ヲ要スルコト日一日ヨリ＃
急ナリ。今本町民諸君ノ熱心ニヨリ、コヽニ新校舍ノ＃
落成ヲ見ルニ至レルハ、國民教育ノ一慶事トイフベ＃
シ。本校舍ノ建築ハ質素堅固ヲ主トシ、外觀美ナラザ＃
レドモ、通風・採光二ツナガラ其ノヨロシキヲ得、専ラ＃
教授ノ便ヲ計リ、實用ニ重キヲ置キ、其ノ注意ノ周到＃
ナル、縣下マレニ見ル所ナルベシ。將來本校ニ學ブ者＃
ノ幸福如何ゾヤ。謹ンデ一言ヲノベテ祝意ヲ表ス。＃
式終ツテ、一同校舍ヲ巡覽シタ。教場ノ數ハ十二、外ニ職＃
員室・裁縫室モアツテ、町立ノ學校トシテハ先ヅ申分ノ＃
＜Ｐ－０３７＞
ナイ設備デアル。　　＃
第十課　　公事と私事　　＃
私事は輕く、公事は重し。古語に「私事を以て公事をすて＃
ず。」といへり。昔藤堂高虎・加藤嘉［よし］明［あきら］事によりて相惡みし＃
頃、會［あひ］津［づ］の城主蒲［がま］生［ふ］忠［たゞ］郷［さと］死せり。會津は奥［あう］羽［う］重要の地に＃
して、一日も守なかるべからず。將軍秀［ひで］忠［たゞ］、高虎の武名を＃
重んじて、之に封ぜんとす。高虎「年老いて其の任にあら＃
ず。」とて之を否む。秀忠「さらば誰か然るべき。」といふ。「嘉明＃
に如く者はあらじ。」と答ふるに、秀忠あやしみて、「汝多年＃
嘉明と不和なりと聞く。今之を推擧するは如何に。」と問＃
＜Ｐ－０３８＞
ふ。「高虎の嘉明と相惡むは私の小事なり。是は公の大事＃
なり。何ぞ私事を以て公事を害せんや。」と答ふ。秀忠大い＃
に感じて其の言に随ひ、嘉明を擧げて會津に封ぜり。嘉＃
明後此の事を聞きて大いに恥ぢ、高虎と水魚の交をな＃
すに至れりとぞ。＃
支［し］那［な］の昔趙［てふ］といふ國に藺［りん］相［しやう］如［じよ］といふ賢臣あり。敵國秦［しん］＃
に使して功ありしかば、趙王厚く之を用ふ。趙の將軍に＃
て武功の聞え高かりし廉［れん］頗［ぱ］之を見て心安からず、「相如＃
にあはば必ず辱しめん。」と言ひ居たり。相如聞きて、力め＃
て之を避け、廉頗の來るを見れば、車を轉じて逃ぐ。相如＃
＜Ｐ－０３９＞
の從者皆之を恥づ。相如の曰ふやう、「余は秦王を其の朝＃
に叱したるもの。何ぞ獨り廉將軍を恐れんや。然れども＃
強秦の兵を趙國に加へざるは廉頗と我と二人あるが＃
爲なり。『兩虎共に鬪へば、勢共に生きず。』といへり。余の彼＃
を避くるは、國家の急を先にして、私のうらみを後にす＃
るが爲なり。」といふ。廉頗之を聞きて、深く其の非をさと＃
り、相如の門に至りて罪を謝し、つひに無二の親交を結＃
べりとぞ。　　＃
第十一課　　阿［あ］蘇［そ］山　　＃
富士山の古歌には煙の立つことを歌へるもの多く、時＃
＜Ｐ－０４０＞
時破裂せしことも亦歴史に見えたり。昔箱根山の噴火＃
せしことは我等既に之を學べり。是等は現時噴火の止＃
れる火山なれども、現に噴火せる火山の數も全國に於＃
ては五十座を下らず。就中噴火口の最も大なるを肥後＃
の阿蘇山とす。其の噴火口の大きさは日本第一たるの＃
みならず、亦實に世界第一と稱せらる。＃
阿蘇山の舊噴火口は南北の長徑六里、東西の短徑四里＃
にわたり、此の間に根子岳［だけ］・高岳・中岳・烏［ゑ］帽［ぼ］子［し］岳・杵［き］島［しま］岳の＃
五岳［がく］東より西に相連りて突起す。最も東なる根子岳は＃
七面山とも稱し、山頂鋸［のこぎり］の齒の如し。高さ千四百二十四＃
＜Ｐ－０４１＞
メートル、其の西にあ＃
る高岳は高さ千六百＃
九メートルあり。中岳＃
は現今活動せる部分＃
にして、其の火口は直＃
徑六百メートルの圓＃
形をなし、深さ百二十＃
五メートルあり。内に二箇の噴孔［こう］ありて、盛に水蒸氣と＃
よなと稱する火山灰とを噴出す。但し此の噴孔は時々＃
其の位置を變じ、其の勢力にも消長あり。烏帽子岳は其＃
＜Ｐ－０４２＞
の西南方に在りて、直徑八百メートルの噴火口を有し、＃
其の北なる杵島岳も亦頂上に三箇の噴火口を有す。＃
阿蘇山は此の如く複雜なる一大火山にして、山中に多＃
くの噴火口及び温泉あり。火山全體の占むる面積は百＃
十三平方里にして、東西十二里九町、南北十一里半に達＃
せり。＃
火山の破裂は地中の水蒸氣、地皮の弱き處を破りて、ほ＃
どばしり出づるより起る。其の破裂するや、土地はふる＃
ひ、岩の細片は火山灰となりて飛散し、又之に次ぎて眞＃
紅の熔［よう］岩［がん］噴出することあり。熔岩の光、火山灰及び水蒸＃
＜Ｐ－０４３＞
氣にうつりて、見るもすさまじき光景を呈す。今より百＃
三十餘年前安永八年櫻島の破裂せし時は、九州・四國・山＃
陽・山陰・東海道までも火山灰を降らしたりといふ。　　＃
第十二課　　我が國の農業　　＃
太古人口少く、人智も開けざりし時は、魚鳥を捕へ、果實＃
を採りて食物とせり。人口やうやく増加し、自然に生ず＃
る物のみにては不足を告ぐるに至りて、動物を飼養し、＃
又植物を栽培して、衣食住の材料を得ることを工夫す＃
るに至れり。是即ち農業の起原なり。＃
我が國は氣候温に、地味肥え、極めて耕種に適し、米・麥の＃
＜Ｐ－０４４＞
栽培は最も早く開けたり。古來瑞［みづ］穂［ほ］の國の名ある所以＃
なり。＃
現今我が國の耕作地は臺灣及び樺［から］太［ふと］を除きて凡そ五＃
百五十萬町歩あり。作物は米・麥其の大部分を占めて、米＃
の作付反別は凡そ二百九十萬町歩、其の收穫は年々凡＃
そ四千六七百萬石にして、麥の作付反別は凡そ百八十＃
萬町歩、其の收穫は年々凡そ二千萬石なり。我が國の米＃
は品質優良にして其の味最も美なり。＃
養蠶も亦早くより開けて、今尚益〻盛なり。繭［まゆ］の取入高は＃
年々増加して近年三百五十萬石を越え、生絲は輸出品＃
＜Ｐ－０４５＞
の首位を占めて、其の價額一億圓以上に及ぶ。茶も亦盛＃
に栽培せられ、輸出價額年々一千萬圓に達す。＃
我が國の農業中最も開けざるは牧畜の業なり。是我が＃
國の氣候・風土の牧畜に適せざるにあらず、四面皆海に＃
して、魚介の供給ゆたかに、鳥獸の肉を食すること少く、＃
又衣服の原料も綿・麻・生絲に仰ぎて、家畜の毛に求むる＃
こと少かりしによる。＃
我が國の農業は、決して現状を以て滿足すべきにあら＃
ず。耕地の面積廣大なるが如くなれども、總面積の約一＃
割五分に過ぎず。西洋諸國の耕地が其の總面積の二割＃
＜Ｐ－０４６＞
より六割に及べるに比すれば、尚甚だ狹小なりといふ＃
べく、大いに荒地を開き、美田を増すの必要あり。栽培法＃
の如きも、舊法になづまず、能く學理を應用せば、一層其＃
の收穫を増加することを得ん。家畜の飼養に至りては、＃
更に之を盛にし、善良なる耕作用の牛馬、強健なる軍用＃
の馬匹、滋養に富める乳・肉等を供給せんこと、實に今日＃
の急務なり。＃
世には農業を以ていやしき職業の如く思ふものなき＃
にあらず。是大なる誤解なり。農業は我等が生活に必要＃
なる材料を作り出す所以にして、國家一日もこれなか＃
＜Ｐ－０４７＞
るべからず。農業に從事するものは多く野外にありて、＃
清潔なる空氣を呼吸し、筋肉を勞するが故に、身體常に＃
健全なり。「農は人の職業中最も健全、最も高貴にして、又＃
最も有益なるものなり。」といへるワシントンの言味は＃
ふべし。　　＃
第十三課　　國産の歌　　＃
我が大日本帝國の　　古き六十八國＊に＊　　＃
沖［おき］繩［なは］諸島合せてぞ、　　府は三つ、縣は四十三。　　＃
北海道の一廳と、　　外に南北新領土。　　＃
温熱二帶にま＊た＊がりて、　　天産多きうまし國。」　　＃
＜Ｐ－０４８＞
四方の海の底廣く、　　魚介さま〴〵海草の　　＃
無限の富を藏したり。　　又森林は全國の　　＃
山野＊お＊ほはぬ處なく、　　殊に名高き木［き］曾［そ］・吉野　　＃
樺［から］太［ふと］・臺灣太古より　　＊きこり＊の入らぬ林あり。」　　＃
三池・夕張・大の浦、　　掘れど炭砿限りなく、　　＃
東に小坂、西別子、　　足尾併せて三山は　　＃
銅の産額＊おびた＊ゞし。　　古く知らるゝ佐［さ］渡［ど］・生野、　　＃
其の他無數の砿坑［かう］は　　山をう＊が＊ちて山を鑄［い］る。」　　＃
米と麥とは全國に、　　製茶は靜岡・三重・京都　　＃
農産收入何＊あ＊れど、　　小さき蟲の吐出す　　＃
＜Ｐ－０４９＞
生絲＊は＊無二の輸出品。　　養蠶業の盛大は　　＃
長野・埼玉＊さ＊て群馬、　　海なき縣に著し。」　　＃
絹織物の産地には、　　京都西陣始とし、　　＃
群馬の桐［きり］生［ふ］・伊［い］勢［せ］崎［ざき］も　　古く其の名を知ら＊れ＊たり。　　＃
近年＊と＊みに産額の　　増大せしは北［ほく］陸［ろく］の　　＃
福井・石川・富［と］山［やま］なる　　羽二重織の輸出品。」　　＃
燒物類は瀬戸・九谷、　　有田・清水・薩［さつ］摩［ま］燒。　　＃
漆器は静岡、輪［わ］島［じま］塗、　　黒江・高岡・會［あひ］津［づ］塗。　　＃
世界無比なる七寶の　　名は海外に＊と＊ゞろけり、　　＃
＊と＊ぎ出し蒔繪の精巧も　　我が工業のほこりにて。」　　＃
＜Ｐ－０５０＞
中國筋の花［はな］筵［むしろ］、　　紡績絲とまつちとは、　　＃
輸出年々増すばかり。　　千里比隣の今の世は　　＃
有無互に相通じ、　　世界各國皆市場。　　＃
＊いよ＊〳〵産業勵みつゝ　　國の富をば＊ふ＊やせかし。」　　＃
第十四課　　貿易　　＃
外國トノ交通少カリシ時代ニハ、商業ハ殆ド内國ニ限＃
ラレタリキ。東西ノ交通盛ニシテ千里比隣ノ如キ今日＃
ニ於テハ商業ハ世界ヲ相手ノ商業トナレリ。＃
我等ハ世界ノ市場ヨリ如何ナル物品ヲモ買ヒ得ルガ＃
如ク、世界ノ各國ハ亦皆我ガ商品ノ市場ニシテ、全世界＃
＜Ｐ－０５１＞
ノ人ハ皆我ガ商賣ノ花客ナリ。＃
内國ノ商業モ、海外ノ貿易モ、有無相通ズルノ理法ニ基＃
ヅケルハ相同ジク、需要供給ノ原則ニヨリテ物價ノ高＃
下スルモ亦相同ジ。故ニ商人ハ常ニ全世界ニ於ケル物＃
價ノ高低ニ注意シ、需要供給ノ情況ニ精通スルヲ要ス。」＃
人種・風俗ノ異ナルニ依リテ、人ノ嗜好モ亦同ジカラズ。＃
同一國民ノ嗜好ニモ亦時々ノ變遷アリ。故ニ商業ニ從＃
事スルモノハ常ニ花客ノ嗜好ヲ考ヘ、流行ノオモムク＃
所ヲ察セザルベカラズ。＃
商人ノ第一ニ重ンズベキハ信用ナリ。商人ニシテ信用＃
＜Ｐ－０５２＞
ヲ失フトキハ其ノ極終ニ破産ヲマヌカレズ。見本ト現＃
物トヲ異ニシ、約束ノ期限ヲ違ヘ、平素ノ愛顧ニナレテ、＃
商品ノ品質ヲ下スガ如キ皆信用ヲ害スル所以ナリ。信＃
用ノ基ハ正直ニアリ。故ニ曰ク、「正直ハ最善ノ商略ナリ。」＃
ト。＃
廣告ハ商業發展ノ有力ナル手段ナリ。近年各國商人皆＃
爭ヒテ其ノ方法ヲ講ジ、廣告ノ爲ニハ多額ノ費ヲ投ズ＃
ルヲ惜シマズ。米國商人ガ新聞其ノ他ノ印刷物ニ依リ＃
テ廣告ニ費ス金額ハ、一箇年實ニ十二億圓ノ多キニ達＃
ストイフ。但シ不正當ナル手段・廣告ヲ以テ販路ヲ大ナ＃
＜Ｐ－０５３＞
ラシメントスルガ如キハ、正直ナル商人ノ爲スベキ事＃
ニアラズ。＃
富國ト強兵ト相待ツテ始メテ國家ノ盛大ヲ致ス。強兵＃
ヲ以テ知ラレタル我ガ國ハ富國ノ道ヲ講ズルコト今＃
日ノ急務ニシテ、海外貿易ノ發展ヲ圖リ、大イニ國富ヲ＃
増殖スルハ商人ノ國家ニ對スル義務ナリ。商人ハ軍人＃
ノ戰場ニ立ツト同ジク、常ニ報國盡忠ノ精神ヲ以テ、平＃
和ノ戰爭ニ從事スベシ。＃
我ガ國ハ島國ニシテ、海外交通ノ便最モ多ク、殊ニ近ク＃
ハ人口四億ヲ有スル支［シ］那［ナ］ノ大國ニ隣ス。海外貿易ノ將＃
＜Ｐ－０５４＞
來ハ頗ル多望ナリ。富國ノ實ノ擧ルト擧ラザルトハ我＃
ガ商人ノ信用・勤勉・機敏ノ如何ニ存ス。　　＃
第十五課　　南滿洲鐵道　　＃
門［も］司［じ］にて乘船し朝［てう］鮮［せん］海峽を過ぎて、黄海を西北に航す＃
ること約二日間にして大連に着す。是我が南滿洲鐵道＃
の起點なり。市街建築物及び埠［ふ］頭［とう］等頗る規模の壯大な＃
るを見る。市街に大山通・兒［こ］玉［だま］町・乃［の］木［ぎ］町等の名あるは、明＃
治三十七八年戰役の記念たり。＃
大連より南山・得利寺・大石橋等の戰蹟を經て、北へ進む＃
こと約二百哩、遼［れう］陽［やう］あり。滿洲内地屈指の市場にして、我＃
＜Ｐ－０５５＞
が駐［ちゆう］箚［さつ］軍の重要なる駐箚地なり。其の西南なる首［しゆ］山［ざん］堡［ぱう］＃
は高さ僅かに三百餘尺の小山なれども、遼陽防備の要＃
害地にして、明治三十七八年戰役激戰地の一なり。＃
滿洲政治・交通の中心たる奉天は、遼陽の北約四十哩、南＃
滿洲鐵道中央停車場のある處なり。清［しん］國政府はこゝに＃
總督を置きて滿洲全部を總管し、我が國亦總領事を置＃
けり。其の附近我が國人の在留するもの多し。又清國京＃
奉線は奉天より北京に通ず。奉天の南方沙［しや］河［か］の名も永＃
く世人の忘れざる所なるべし。＃
奉天より北すること約百八十八哩、鐵［てつ］嶺［れい］を過ぎて長春＃
＜Ｐ－０５６＞
の地に至る。長春は南滿洲鐵道最北の驛にして、大連よ＃
りこゝに至る四百三十六哩。露［ろ］西［し］亞［や］の東清鐵道との連＃
結點とす。＃
南滿洲の支線としては旅順線・營口線・煙［えん］台［だい］線・撫［ぶ］順［じゆん］線・安＃
奉線あり。旅順線は大連の次驛臭水子より分れて、日清・＃
日露兩役に有名なる旅順口に達す。日露の戰役に於て＃
は、露軍は海軍根據地として此の地を死守し、我が軍は＃
苦戰十一箇月にして之を陷れたり。其の後方の山々は＃
皆我が同胞の血をそゝぎし地ならざるはなし。＃
營口線は大石橋より分れ、營口に於て清國京奉線の支＃
＜Ｐ－０５７＞
線に連接す。營口は一に牛［にう］莊［ちゃん］＃
港と稱し、遼河の河口にあり＃
て、遼河水運の起點なれば、商＃
業港として、豆類・豆油・豆粕［かす］の＃
輸出甚だ盛に、大連と共に滿＃
洲の二大門戸と稱せらる。＃
撫順は滿洲屈指の炭坑［かう］地な＃
れば、特に支線を敷きたるな＃
り。其の炭坑は炭層厚く、炭量＃
亦豐富なり。＃
＜Ｐ－０５８＞
安奉線は奉天より鴨［あふ］緑［りよく］江の江口に近き安東縣に達し＃
て、韓國の縦貫鐵道に連結す。此の鐵道は日露戰役中に＃
急設したる輕便鐵道にして、明治四十二年よりこれが＃
改築に着手せり。＃
安東縣は鴨緑江附近の森林より伐出す木材の集散地＃
なれば、安奉鐵道改築落成の日には、大連・營口と相並ん＃
で、南滿洲の三大門戸と稱せらるゝ日あるべし。＃
南滿洲鐵道によりて、露西亞の東清鐵道及びシベリヤ＃
鐵道を利用せんか、大連より僅かに二週間にして歐［よー］羅［ろっ］＃
巴［ぱ］の中央に入るべし。　　＃
＜Ｐ－０５９＞
第十六課　　歐［よー］羅［ろっ］巴［ぱ］の三大都　　＃
倫［ろん］敦［どん］・巴［ぱ］里［りー］・伯［べる］林［りん］を歐羅巴の三大都とす。倫敦にはテーム＃
ス河、巴里にはセーヌ河、伯林にはスプレー河ありて各＃
其の市街を貫流す。テームスとセーヌとはスプレーに＃
比すれば、河幅はるかに廣く、之に架したる橋は何れも＃
壯大にして、市の美觀を添ふ。＃
倫敦は人口四百八十萬、接續都會を合すれば七百三十＃
萬の多きに達す。歐羅巴第一の大都會にして、亦實に世＃
界第一の大都會なり。巴里の人口は二百八十萬、伯林は＃
二百萬を算す。然れども近年獨［ど］逸［いつ］國力の盛に發展する＃
＜Ｐ－０６０＞
と共に、首府の人口も年々著しく増加する勢なれば、其＃
の巴里と同數に至るも亦甚だ遠からざるべし。＃
倫敦の市街は繁盛を以て名高し。市の中央最も繁華な＃
る處は道幅狹く、車馬街上に滿ちて往來頗る困難なり。＃
されど十字街頭に立てる巡査の一擧手の合圖に、通行＃
の人は行くも止るも唯其の命に從ひて、少しも混雜を＃
生ずることなし。＃
巴里の市街は壯麗を以て聞ゆ。佛國の長き歴史を飾れ＃
る壯大なる建築の數々高く中空にそびゆるのみなら＃
ず、人家も多くは六七層にして、町幅も亦之に適へり。シャ＃
＜Ｐ－０６１＞
ンゼリゼーの大通の如きは、＃
世界最美の街路と稱せらる。＃
兩側には白色の高屋相並び、＃
人道と車道との間なる左右＃
二列の緑樹は枝を交へて、雅＃
麗比なし。＃
伯林の市街は清潔を以て著＃
る。市區井然として家屋の高＃
さ略〻相等し。街路は掃除最も＃
よく行きとゞきて、衞生・消防＃
＜Ｐ－０６２＞
を始め、近世の學術を應用せ＃
る百般の設備皆具れり。此の＃
點より見れば眞に近世都市＃
の好模範たり。＃
倫敦は世界第一の大都會な＃
れども、古き都市にして街路＃
狹ければ、古風の乘合馬車を＃
以て主なる交通機關とす。然＃
れども地下には各種の鐵道＃
縱横に貫通し、テームス河床＃
＜Ｐ－０６３＞
の下をも往來せり。＃
壯麗なる馬車・自動車の多きは巴里を第一とし、市中到＃
る處其の往來織るが如く、殊に公園・廣［ひろ］小［こ］路［うぢ］の如きは、十＃
數臺列をなして前後相接す。電車の便の最も開けたる＃
は伯林にして、市街の隅々通ぜざる處なく、車内亦清潔＃
にして乘心地甚だ好し。＃
倫敦には英國博物館・英蘭［らん］銀行・國會議事堂等世界に名＃
を知られたる建築物多し。英國博物館は古書・古物の多＃
きこと世界に冠たり。英蘭銀行は設立の古きと、資本の＃
多きと、信用の厚きとに於て、其の右に出づるものなし。＃
＜Ｐ－０６４＞
英國は國會の最も早く開けたる＃
國にして、テームス河岸の國會議＃
事堂は第一に觀客の目を引く建＃
築物なり。＃
巴里にもルーブル博物館・凱［がい］旋［せん］門＃
を始め、世に聞えたる建物少から＃
ず。ルーブル博物館は名畫・古彫刻＃
最も多く、美術博物館として世界＃
無比の名あり。凱旋門は有名なる＃
ナポレオンの計畫に成れるもの＃
＜Ｐ－０６５＞
にて、壯大なること世界第一と稱せらる。＃
伯林には世界にほこるべき程の大建築物なし。最も人＃
目を引くものは國會議事堂なりといへども、其の規模＃
甚だ大ならず、其の建築も亦新し。獨逸帝國は創建以來＃
年尚淺ければ、首府の壯觀の未だ英佛二國に及ばざる＃
ものあるは固よりあやしむに足らず。　　＃
第十七課　　獸類の移住　　＃
ナポレオンがモスコーより退軍せし時、露［ろ］西［し］亞［や］の狼［おほかみ］は＃
行く〳〵雪中に倒るゝ佛兵の跡を追ひて、中部獨［ど］逸［いつ］に＃
まで來りしことあり。此の如きは動物の一時的移住な＃
＜Ｐ－０６６＞
り。＃
全然移住せし例は二百年以前、通常の灰色の鼠の一群＃
大擧して、印度よりペルシャを經て、歐［よー］羅［ろっ］巴［ぱ］に移り、古來此＃
の地方にありし黒色の鼠を全く追拂ひしことあり。又＃
かつて栗［り］鼠［す］の大群ウラル山中の一都會に現れしが、一＃
隊又一隊、續々相次ぎ、三日三夜引きも切らず、人々の驚＃
き恐れて逃げかくるゝ中、町を過ぎ、屋根を傳ひ、窓［まど］を抜＃
け、座敷を横ぎり、何れも南より北へ同一の進路を取り＃
て、山あれば越え、河あれば泳ぎ、道に當るもの一として＃
之をさまたぐること能はざりきといふ。＃
＜Ｐ－０６７＞
此の如く全然移住するは稀に見ることなれども、亞［あ］弗［ふ］＃
利［り］加［か］・印度の獅［し］子［ゝ］、南亞［あ］米［め］利［り］加［か］の野牛等の、昔の遊牧の民＃
の如く、食物を追うて其の居を轉ずるは珍しきことに＃
あらず。＃
又燕［つばめ］の春來りて秋去り、雁［がん］の秋來りて春去るが如く、獸＃
類中にも食物を求め、氣候を追ひて、毎年一定の季節に＃
其の居を移すもの少からず。＃
南亞米利加の森林にオレンジの熟する季節には、數多＃
の猿［さる］遠く數百里の地より集り來りて之を食ひ、果實盡＃
くれば、再び其の故郷に歸るを例とす。東南シベリヤの＃
＜Ｐ－０６８＞
高地に住めるかもしかの＃
一種は、冬日河水盡く氷結＃
するに至れば、大群をなし、＃
水を尋ねて低地に下り、春＃
を待ちて再び山谷に入る。」＃
一定の季節に最も多數の＃
移住を見るは露西亞及び＃
シベリヤの寒き平地に住＃
せるレミングと稱する地＃
鼠の一種なり。滿目の廣野＃
＜Ｐ－０６９＞
雪に埋れて食物の缺乏せる頃に至れば、温暖なる地方＃
に移らんと欲するもの期せずして相集り、次第に其の＃
數を加ふ。時としては幾千萬とも數知れぬ大群、長列を＃
なして枯野を横ぎるに、遠く之を望めば、あたかも洋々＃
たる江流を見るが如き壯觀を呈することあり。過ぐる＃
處の沿路、果實・草根を始め、凡そ取つて以て食ふべきも＃
のは殆ど餘す所なし。しかも僅かに飢［うゑ］をしのぐは先頭＃
に進める一部に過ぎず、列後に在るものは更に一物を＃
も食ふこと能はず、飢［き］餓［が］刻々にせまるが故に、次第に行＃
進を早め、遂に危害を顧みず、向ふ處何物をもはゞから＃
＜Ｐ－０７０＞
ずして突進す。されば河水・湖水におぼれて魚腹に葬ら＃
るゝもの、野獸の爪牙にさかれて食はるゝもの、其の數＃
を知らず。　　＃
第十八課　　苦樂　　＃
苦あれば必ず樂あり、樂あれば必ず苦あり。先づ苦しみ＃
て然る後に樂しむを賢者とし、先づ樂しみて然る後に＃
苦しむを愚人とす。永遠の幸福を望む者は一時の勞苦＃
を忍ぶべし。老後の安樂を願ふ者は若年の辛苦をいと＃
ふべからず。少壯有爲の間を徒に遊び暮さば、老いて後＃
悔ゆともかひなかるべし。＃
＜Ｐ－０７１＞
世を憤り、人をねたみ、身をはかなみて自ら苦しむは、百＃
害あるも一利なし。世を憤らんよりは、進みて之を救濟＃
すべし。人をねたまんよりは、勉めて之に勝らんことを＃
工夫すべし。身をはかなむも過ぎしことは追ふべから＃
ず。常に前を望みて、徒に後を顧みることなかれ。＃
遠き慮なければ、必ず近き憂あり。されど餘り小さき事＃
にまで遠き將來を慮るは、却つて心を苦しめて益なし。＃
現在の職務に忠實なれば、上下の愛敬・信用其の身に集＃
り、心廣く、體ゆたかなり。是即ち遠きを慮る所以なり。＃
富貴は人の共に欲する所、貧賎は人の共にいとふ所な＃
＜Ｐ－０７２＞
りといへども、富貴なる者必ずしも樂しからず。貧賎な＃
る者必ずしも苦しからず。守る所正しければ、心に憂苦＃
なく、行ふ所直ければ、身常に自由なり。位人臣の榮を極＃
め、富天下に冠たるも、自ら省みてやましき所ある者は、＃
苦多く、樂少し。孔［こう］子［し］曰く、「疏［そ］食［し］をくらひ、水を飲み、肱［ひぢ］を曲＃
げて之を枕［まくら］とするも、樂み亦其の中に在り。不義にして＃
富み且貴きは、我に於て浮雲の如し。」と。＃
進取の氣象に富める人は何事を爲すにも、此の事は必＃
ず成るべしと覺悟して、熱心に其の事に從ふを以て、成＃
功は期せずして到る。引込思案の人は徒に其の結果を＃
＜Ｐ－０７３＞
思ひわづらひて、優柔不斷其の事業に取掛らざる中に、＃
良好なる時機を失ふこと多し。快活なる精神を以て熱＃
心に其の事業に從事せば、天下何事か成らざるを憂へ＃
ん。　　＃
第十九課　　コロンブス　　＃
四百年以前までは東半球の人は全く西半球を知らざ＃
りき。始めて西半球の陸地を發見したるは伊［い］太［た］利［りや］人コ＃
ロンブスにして、彼をして其の志を成さしめたるは西［いす］＃
班［ぱに］牙［や］の皇后イサベラなりき。＃
當時伊太利は貿易の中心地にして、印度地方の寶石・香＃
＜Ｐ－０７４＞
料・絹布類は盛にベニス・ゼノア等の港を經て歐［おう］洲へ輸＃
入せり。然るに印度との交通は長日月を要し、中途の危＃
險亦少からざれば、便利なる航路を開かんことは歐洲＃
人一般の希望なりき。ゼノアに生れて幼時より海事を＃
好み、十四歳の時より既に航海業に從事せるコロンブ＃
スは最も熱心に之を考へ居たり。＃
コロンブスは初より世界は球形なりと信じ、歐［よー］羅［ろっ］巴［ぱ］の＃
西海岸より西を指して進まば、印度の東海岸に到着す＃
べしとの意見を抱けり。たま〳〵元の忽［ふ］必［び］烈［らい］に仕へた＃
る伊太利の大旅行家マルコ、ポーロの日本に關する記＃
＜Ｐ－０７５＞
事を讀み、＃
又ポーロ＃
の旅行記＃
によりて＃
製したる＃
地圖を得＃
て思へらく、若し歐羅巴より西へ向つて＃
進まば、印度に達する前、日本又は支［し］那［な］に＃
到着するならんと。亞［あ］細［じ］亞［や］の東端は歐羅巴の西端に近＃
しと信じ、地球を餘りに小さく見たるコロンブスの誤＃
＜Ｐ－０７６＞
は遂に此の大發見を成さしむる基となりしなり。＃
コロンブスは葡［ぽる］萄［と］牙［がる］に客遊中、熱心に此の説を主張し＃
たりしが、何人も一笑に附して顧みるものなかりき。是＃
に於て空しく志を抱いて西班牙に轉じ、居ること多年、＃
遂に皇后イサベラの知る所となり、其の保護の下に此＃
の大探檢を行ふに至れり。＃
西暦一千四百九十二年八月三日の朝、今日はコロンブ＃
スが遠征隊出發の日なりとて、西班牙パロスの港は未＃
明より人の山を築けり。熱湯の海ありと語る者、舟を呑＃
む海獸ありと談ずる者、乘組員の運命をあはれむ者、コ＃
＜Ｐ－０７７＞
ロンブスの暴擧をあざける者、皇后の無謀をそしる者、＃
口々に語り合へり。遠征の船は三隻の小艦にして、乘組＃
總數は一百二十人。船の次第に朝霧の中にかくれ行く＃
を見送りて、數萬の見物人は再び此の船を見ること能＃
はざるべしと語れり。＃
パロスを出帆して七日目に、亞［あ］弗［ふ］利［り］加［か］の北西岸に近き＃
カナリヤ島に着し、こゝにて船體に修繕を加へ、九月六＃
日更に西へ向つて航行せり。是より先は未だ航行せし＃
ことなき大洋なれば、乘組の人々も次第に不安の念を＃
生ぜり。かくて日數は重れども、陸地の片影だにみとめ＃
＜Ｐ－０７８＞
難く、朝の風を聞きては鳥の聲かと疑ひ、夕の雲を見て＃
は陸の影かと疑へるも、幾度なるを知らず。船員は失望＃
の餘り、コロンブスを海に投じて歸國せんと謀るに至＃
れり。コロンブスは獨り堅固なる決心を以て動かざる＃
こと山の如く、船員も其の勇氣に感じて命令に服せざ＃
るを得ざりき。＃
十月十一日、河中に生ずる水草流れ寄り、又果實の附き＃
たる枝の波のまに〳〵浮べるを見たり。人々始めて陸＃
地の近きを知り、其の夜は一同うれしさに眠ること能＃
はず。十時頃はるかに一點の燈火をみとめしが、朝の二＃
＜Ｐ－０７９＞
時頃「陸」「陸」「陸」と呼ぶものあり。「何處ぞ」「すぐ其處に。」といふ＃
聲かまびすしく、先頭の一艦が發せる號砲に、人々喜び＃
て、手の舞ひ、足のふむ所を知らず。＃
明け行くまゝに見渡せば、前面の一島草木青々として、＃
花開き、鳥さへづり、土人は驚きて此の新來の客を眺め＃
て立てり。船員皆歡喜して、コロンブスの身邊を圍み、爭＃
ひてこれまでの不從順なりし罪を謝せり。＃
一千四百九十二年十月十二日、コロンブスは深紅の美＃
服を着し、西班牙の國旗を持し、歡喜を眼の光に浮べて＃
眞先に上陸し、此の西班牙の新領地をサンサルバドル＃
＜Ｐ－０８０＞
と命名せり。是今の西印度諸島の一なり。＃
かくてコロンブスは報告の爲、西班牙に歸航せしが、パ＃
ロス港の群集は出帆の日に數倍し、前のそしりし者、怒＃
りし者、罵りし者、泣きし者、皆爭ひてコロンブスを歡迎＃
し、皇后も亦コロンブスを引見して、厚く其の勲功を賞＃
せり。＃
其の後コロンブスは數回の航海を試みしが、一千四百＃
九十八年第三回の航海に於て、オリノコ河口に達し、始＃
めて亞［あ］米［め］利［り］加［か］大陸に上陸するに至れり。コロンブスの＃
遠征時代は我が國後土御門天皇の御代にして、北［ほう］條［でう］早＃
＜Ｐ－０８１＞
雲が、小田原城に據りて、次第に其の權力を四隣に張ら＃
んとせる頃なりき。　　＃
第二十課　　辻音樂　　＃
頭には霜をいたゞき、身にはつゞれをまとひ、やせ衰へ＃
た體を義足に支へて、路ばたにバイオリンを彈いて居＃
る老人の辻音樂師がある。處は墺［おーす］太［と］利［りや］の首府維［うい］也［ーん］納の＃
大公園、今日はにぎやかな祭日である。＃
忠實な犬は古帽［ばう］子［し］をくはへて、あはれな主人の爲に、道＃
行く人の投與へる喜捨を待ちわびてゐる。見る物の多＃
い今日の祭日に、時代後れの下手な音曲に耳を傾ける＃
＜Ｐ－０８２＞
者は一人もない。日は既に西へ傾いて、祭見物の人々は＃
段々歸り始める。帽子の中に一文の錢もない老人は、傾＃
く夕日を望み、帽子の内を眺めては、幾度かためいきを＃
ついて居る。最早彈く力も盡きて、傍の石にこしを下し、＃
額を兩手に支へて人知れぬ涙をこぼして居る。＃
木［こ］陰［かげ］に立つてつく〴〵と此の樣子を見てゐた一人の＃
紳士があつた。づか〳〵と走り寄つて、「ちよつと貸した＃
まへ。」と言ひながら、其のバイオリンを取つて彈始めた。＃
弓が一度絲にふれると、天上の音樂の樣な美しい音が＃
わき出した。老人は、どうしてあのバイオリンから、あん＃
＜Ｐ－０８３＞
な音が出るか、どうして又自分の彈く時にはあんな音＃
が出ないのかと不思議さうに、バイオリンと紳士の手＃
つきを打ちまもつて居た。＃
聽衆は四方から集つて來て、見る内に人山を築いた。重＃
く沈んだ調に暗い〳〵海の底へ引込まれるやうな氣＃
がするかと思ふと、輕く浮立つた調子に、野越え、山越え、＃
ふわり〳〵と春霞の彼方へ連れて行かれるやうな心＃
持になる。變化極りない妙音は、忽ち人の心を百花滿開＃
ののどかな春によはせ、又忽ち落葉散敷く秋のさびし＃
さに沈ませる。人々は唯神曲に心を奪はれて、妙音の外＃
＜Ｐ－０８４＞
には何物も見えも聞えもしない。＃
やゝあつて紳士はしばらく彈く手を止めると、聽衆は＃
錢をつかんで、爭つて老人のさゝげた帽子の中へ投入＃
れる。銅貨といはず、金銀貨といはず、雨の降る樣に手當＃
り次第に投込む。またゝく間に帽子に一ぱいになつた。＃
老人は之を袋に移して、再び帽子を差出す。見る間に復＃
あふれるばかり。＃
紳士は更に墺太利の國歌を彈始めた。幾千の聽衆は帽＃
子をぬいで相和して歌つた。歌が終ると、紳士はバイオ＃
リンを老人に渡し、目禮して何處へか行つた。日ははや＃
＜Ｐ－０８５＞
沒して、燈火の光が點々として此處彼處にかゞやいて＃
ゐるとは、今の今まで誰一人も氣附かなかつた。かの情＃
深い紳士は誰であつたか、老人も知らぬ、聽衆も知らぬ。＃
一同は唯神の仕業とのみ思つた。佛［ふ］蘭［らん］西［す］のバイオリン＃
の名手アレキサンドル、ブーシェーであつたとは後にな＃
つて分つた。　　＃
第二十一課　　烈士喜劔　　＃
赤［あか］穂［ほ］浪士が數年の苦難を忍び、遂に主君の仇を報じて、＃
從容死に就けるは徳川時代に於ける史上の一美談た＃
るのみならず、日本武士道の精華を發揮せるものとい＃
＜Ｐ－０８６＞
ふべし。四十七士の事蹟は兒童・走卒も之を知らざるは＃
なく、東京高［たか］輪［なわ］泉［せん］岳［がく］寺［じ］の墓前には今尚香花の絶ゆるこ＃
となし。＃
四十七士の統領たる大石良［よし］雄［を］は初め京都に在り。日々＃
遊樂を事として全く復仇の事を忘れたるが如し。薩［さつ］摩［ま］＃
の士に喜劔といふ人あり、未だ良雄と相識らざりしが、＃
一日良雄に面會し、反復直言して復仇の事を勸む。良雄＃
一笑して更に耳を傾けず。喜劔大いに罵つて曰く、「主人＃
は死し、主家は亡びたるに、汝家老として仇を報ずるを＃
知らず、人面獸心とは汝の事なるべし。獸ならば、かくし＃
＜Ｐ－０８７＞
て食へ。」と、足の指に、魚肉數片をはさみて良雄の面前に＃
出す。良雄平然頭を低くして之を食ひ、から〳〵と打笑＃
へり。＃
喜劔其の後江戸に出で、義士復仇の擧を聞き、其の主謀＃
の良雄たるを知るに及びて、驚いて曰く、「あゝ、余死せん。＃
我が目、獸として良雄を視、我が舌、獸として良雄を罵り、＃
我が足、獸として良雄に食はしめたり。我が心の良雄を＃
獸待せしは罪死に當れり。」と。是より暇を請ひて郷里に＃
歸り、公私の用を終へて、再び江戸に出づれば、良雄以下＃
既に死を賜へり。喜劔直ちに泉岳寺に行き、其の墓を拜＃
＜Ｐ－０８８＞
して曰く、「我當に萬罪を地下に謝すべし。」と、刀を抜き切＃
腹して終る。時の人其の志を壯として之を義士の墓側＃
に葬れりといふ。事幕末の儒［じゆ］者［しや］林鶴［くわく］梁［りやう］の作れる烈士喜＃
劔碑［ひ］の文にくはし。　　＃
第二十二課　　主婦の務　　＃
出入口に、はき物の置亂れたる家には、盗人のうかゞふ＃
こと多しといへり。出入口の混雜せる程なれば、一事が＃
萬事、總べて家内に不整頓・不始末の事多きが故なるべ＃
し。座敷の床の間より臺所の戸［と］棚［だな］に至るまで、諸道具の＃
置場處を一定し、前後左右次第よく並べて、ふたをすべ＃
＜Ｐ－０８９＞
き物にはふたをし、錠［ぢやう］を下すべき處には錠を下し、急ぎ＃
の場合にも混雜なく、暗き時にも手探にて用を足し得＃
る樣に、極りよく整へ置くは主婦たる者の務なり。＃
家内のよく整頓せる程の家は日々のふき掃除も必ず＃
行届きて清潔なるものなり。凡そ家内の掃除は座敷・居＃
間・臺所のみならず、便所の隅より下駄箱の奥までも注＃
意せざるべからず。其の他食器・衣服等何事にも清潔を＃
旨とするは衞生上にも必要なる事なり。＃
戸［と］締［じまり］の用心よりも火の用心は一層大切なり。煙草の吸＃
ひがらより大火事を引起せしこと其の例數ふるにい＃
＜Ｐ－０９０＞
とまあらず。主婦は寢に就く前、先づ竃［かまど］の下より火消壷［つぼ］＃
までもよく檢査して、戸締を爲すと共に火の用心を忘＃
れざる樣にすべし。＃
一家中に病人なき程仕合なる事なし。家内には老人あ＃
り、子供あり。衞生上の注意を怠らずして、何人も病にを＃
かされぬ樣にすべし。四季寒暑の變り目にはとりわけ＃
衣服・飲食に氣を附くべし。病氣のみに限らず、何事にて＃
も少しの不注意は大いなる禍を招く。若し家内に傳染＃
病等にかゝるものあらば、近處・隣へ對しても申しわけ＃
なく、世間へ對しても相濟まぬ次第ならずや。＃
＜Ｐ－０９１＞
主婦は老人にいたはりかしづく外、幼兒を育て上ぐる＃
大任あり。男子は外に出でて不在勝のものなれば、幼兒＃
は母の感化を受くること最も多し。「其の母によりて其＃
の子を察せよ。」といへるが如く、子供の行儀・作法等につ＃
きては、主婦たる人の責任最も重し。＃
主婦は又常に家庭和樂の中心となりて、家内一同を樂＃
しましむべし。家内能く和合して、互の心にわだかまり＃
なく、むつまじく打揃うて夕の膳［ぜん］に向ふ時、一日の勞苦＃
は忘れられて、更に明日の活動を思ふなり。＃
日々の暮しは「入るを計つて出づるを制す。」を第一義と＃
＜Ｐ－０９２＞
す。家の收入を基として、豫め其の支出を定め、衣服・飲食＃
の費皆其の範圍を越ゆることなかるべし。其の上不時＃
の出費の爲、多少の準備を爲し置くを必要とす。身分不＃
相當の活計は産を破り、家を亡す基なり。をごりに流る＃
るは易く、をごりより儉約に進むは難し。＃
儉約を守るは大切なれども、人情にそむき、義理に外れ＃
ても、費用を惜しむは賎しむべき事なり。身分相當の交＃
際は家を保つ上にも必要なり。親類・縁者はもとより、世＃
間の交際をも外さず、慈善の事業にも應分の資を投ず＃
べく、公共の事業にも後れを取るべからず。　　＃
＜Ｐ－０９３＞
第二十三課　　孔［こう］子［し］と孟［まう］子［し］　　＃
支［し］那［な］幾千年間の人物中、大聖として徳化の尚今日に著＃
しきもの、孔子に如くはなし。孔子は凡そ二千四百六十＃
年前、支那の春秋時代に生る。當時支那は王室衰へ、諸侯＃
各其の國によりて互に勢を爭ひたり。孔子は魯［ろ］といふ＃
國に生れ、人と爲り禮を好み、温良・恭儉なりき。魯の重臣＃
某の病死せんとせし時、其の子に教へて曰く、「孔子は年＃
少にして禮を好めり。我死せば、汝必ず之を師とせよ。」と。＃
子其の遺言を奉じて、往いて學べり。是孔子が十七歳の＃
時なりき。孔子事へて吏となりしに、治績大いに擧り、職＃
＜Ｐ－０９４＞
を退きし後も弟子の道を問＃
ふもの益〻多かりき。齊［せい］の景公＃
も亦道を孔子に問へり。「君君＃
たり。臣臣たり。父父たり。子子＃
たり。」とは孔子が景公に教へ＃
たる語なり。＃
或時齊の臣景公に告げて曰＃
く、「魯孔子を用ふ。或は齊を危＃
くすることあらん。」と。景公よ＃
りて魯と好を結ばんが爲に＃
＜Ｐ－０９５＞
魯公と會見す。其の時齊の有司進みて戲樂を奏せしか＃
ば、孔子は禮に反せるものありとて之を止めしむ。景公＃
歸りて群臣に告げて曰く「魯人は君子の道を以て其の＃
君を輔くるに、我が臣の行ふ所は禮に反す。我、罪を魯君＃
に得たり、如何にせば可ならん。」と。齊の臣答へて、「君子は＃
過あれば謝す。君、實を以て謝せよ。」と。是に於て齊侯魯よ＃
り奪略せる地數箇處を返せり。此の會に於ける孔子の＃
行動は藺［りん］相［しやう］如［じよ］が秦［しん］王を叱したるとは異なり、相如は氣＃
を以て人を服せりといへども、孔子は義を以て人を動＃
かせしなり。智徳の最も圓滿に發達せる人格は孔子に＃
＜Ｐ－０９６＞
於て之を見るべし。＃
孔子の孫子思の學説を受け、孔子の道を傳へて大賢の＃
名あるは孟子なり。孟子の幼時母は深く意を其の教育＃
に用ひ、市井の感化を恐れて、三度其の居を遷せりとい＃
ふ。其の後孟子出でて學び、學を卒へずして歸りし時、母＃
たま〳〵機上に在り。直ちに其の機を斷ち、孟子を戒め＃
て曰く、「汝の今學を廢するは我が此の機を斷つが如し。」＃
と。孟子これより感奮・勉勵して遂に一世の大家となり、＃
戰國爭奪の世に在りて、專ら聖人の道を講ぜり。＃
孟子死して二千餘年、孔子と共に其の名益〻あらはる。孝＃
＜Ｐ－０９７＞
經に曰く、「身を立て、道を行ひ、名を後世にあげて、以て父＃
母をあらはすは孝の終なり。」と。孟子の如きは即ち其の＃
一人なり。　　＃
第二十四課　　大國民の品格　　＃
官位・門地・技術・財産・學問等に於て衆を抜く者は、個人と＃
しても自ら高尚なる品格を要するが如く、世界強國の＃
國民たる名譽を負ふものは、國民としても之に相應す＃
る品格を備へざるべからず。＃
國民は個人の集合より成るものなれば、國民の品格と＃
いふも亦各個人の品格の外に出でず。國民各自の行爲＃
＜Ｐ－０９８＞
をつゝしみ、品格を重んずるは即ち國民の品格を高む＃
る所以なりといへども、殊に他國人の注意を引くもの＃
は社會の公徳及び國民の度量なりとす。＃
公徳とは公衆の衞生を重んじ、社會の規律を尊び、公共＃
の物品を大切にする等、總べて衆人の利害を考へて其＃
の行爲をつゝしむ徳義をいふ。市街・道路を不潔にし、官＃
廳・學校・神社・佛閣等の建築物をけがし、公園の樹木を折＃
取るが如きは、公徳の低きを示し、大國民の品格を傷つ＃
くるものなり。＃
道を行くにも、舟・車に乘るにも、旅館に宿るにも、自ら公＃
＜Ｐ－０９９＞
衆に對する禮儀あり。衆人群集の場處にて他人をおし＃
のけ、汽車・汽船等の中にて我獨り廣き場處を占領し、旅＃
館にて夜晩く高聲を發して、他人の安眠をさまたぐる＃
が如きは、文明國民の爲すべきことにあらず。老人長者＃
の爲に道をゆづり、幼者・不具者の爲に席を與ふるが如＃
きは、個人としても、國民としても、其の心の奥ゆかしき＃
を感ぜずや。＃
汽車・汽船・電車等の交通機關、博物館・圖書館等の公共營＃
造物に在りては、敏速と規律とを尊ぶものなれば、之に＃
必要なる諸種の規則あり。若し公衆の間に、規則を守り、＃
＜Ｐ－１００＞
規律を重んずる心乏しき時は是等文明の利器も其の＃
運用を全くすること能はず。英國にては停車場に手荷＃
物を預くるに合札を要せず、旅客は下車驛にて各自に＃
荷物を受取るに、間違の起ること殆ど無し。又獨［ど］逸［いつ］にて＃
は圖書館の書籍を借受くるに一枚の葉書にて申し込＃
めば直ちに送り來る。之を返すにも其の期日を違ふる＃
者絶えてなしといふ。我等の學ぶべき事ならずや。＃
外國人に接するに人種・宗教・風俗の如何を問はず、いは＃
ゆる四海兄弟の精神を以て等しく之を親愛するは大＃
國民の度量なり。國力我に劣れる國民を見て、やゝもす＃
＜Ｐ－１０１＞
れば輕侮の念を以て之を迎へ、甚だしきは之と交るを＃
喜ばざるが如きは、却つて我が國民の度量の狹く、品格＃
の低きを示す所以にして、國交を傷つけ、随つて國力の＃
發展をさまたぐること多し。＃
他國に行きて、其の市街・建築物等の状況、汽車・電車中に＃
於ける乘客の擧止、道行く人の容儀等を見れば、未だ其＃
の國情を詳にせず、其の國人と一語を交へずして、早く＃
も其の國民の品格の知らるゝものなり。我等五千萬の＃
同胞は常に大帝國の國民たるを思ひ、一言・一行の間に＃
も、大國民の品格を高むるの用意あるべきなり。　　＃
＜Ｐ－１０２＞
第二十五課　　自治の精神　　＃
我が國の地方自治團體は、府縣・市の二級或は府縣・郡・町＃
村の三級に分れたり。其の土地に廣狹の差あり、其の組＃
織に繁簡の別ありといへども、地方自治の精神に基づ＃
きて、其の團體の幸福を進め、國運の發展を期するは一＃
なり。＃
何をか自治の精神といふ。地方人民協同一致して、自ら＃
地方公共の事に任じ、誠意其の團體の爲に力を致すの＃
精神是なり。此の精神は實に自治制の根本にして、又其＃
の生命なり。一般人民の府縣・郡・市町村會議員を選擧す＃
＜Ｐ－１０３＞
るも、府縣・郡・市會に於て參事會員を選擧するも、市・町村＃
會に於て市・町村長を選擧するも、一に此の精神に基づ＃
くべく、市町村長・參事會員等の其の事務を處理するも、＃
議員の經費を議するも、亦常に此の公平なる精神を以＃
てすべし。＃
市町村長・議員等を選擧するには專ら其の人物に重き＃
を置き、親族・縁故其の他私交上の關係をさしはさむべ＃
からず。まして威力を以て強制し、私利を以て勸誘する＃
等の手段を用ひ、又は之に左右せらるゝが如きは、自治＃
の精神に反すること最も甚だし。眞に自治の精神に富＃
＜Ｐ－１０４＞
める者は、公平無私、地方公職の爲の適任者を擧ぐるを＃
知りて、其の他には何等の私心を有せざるなり。＃
公吏・議員等直接公共の事務に當る者、如何に其の職務＃
に忠實なるも、一般人民の之を助くるなくんば、自治團＃
體の圓滿なる發達は得て望むべからず。故に人々常に＃
自治制の本旨を體し、協同一致して團體の福利を増進＃
せんことを心掛くべし。例へば教育・衞生等自治團體の＃
事業は、地方人民の一般に之を尊重し、之に協力するに＃
よりて、始めて其の効果を全うすることを得べきなり。＃
又産業組合を設け、慈善事業を起し、若しくは青年會を＃
＜Ｐ－１０５＞
組織して、産業の發達、風俗の改善、人心の作興に務むる＃
が如きは、皆公共心の發動にして、自治の精神の養成に＃
資し、自治團體を助長すべきを以て、地方人民たる者は＃
大いに力を是等の事業に盡すべきなり。＃
凡て制度の運用は人にあり。自治制の如き最良の制度＃
も、人民に自治の精神乏しき時は、いづくんぞ其の美果＃
を收むるを得んや。　　＃
第二十六課　　帝國議會　　＃
我が國は萬世一系の天皇之を統治し給ひ、天皇は國務＃
大臣の輔弼によりて一切の政務を親裁せさせ給ふ。し＃
＜Ｐ－１０６＞
かして萬機公論に決するの聖旨に基づき、別に帝國議＃
會を設けて、廣く衆議を聽く機關に供せさせ給へり。＃
帝國議會は貴族院・衆議院の兩院より成る。貴族院は五＃
種の議員を以て之を組織す。皇族・公候爵、同爵の互選せ＃
る伯子男爵、國家に勳勞あり又は學識あるものより勅＃
任せられたるもの、及び各府縣に於て多額の直接國税＃
を納むるもの十五人の中より一人を互選し、其の選に＃
當りて勅任せられたるもの是なり。第三種・第五種の議＃
員の任期は七箇年とし、其の他は終身とす。衆議院は一＃
定の選擧資格を有する臣民の公選したる議員を以て＃
＜Ｐ－１０７＞
組織し、議員の任期は四箇年＃
なり。＃
帝國議會の主要なる任務は＃
法律及び歳出・歳入の豫算を＃
議定するにあり。豫算案は政＃
府之を提出し、法律案は政府＃
の外、貴族院・衆議院共に各之＃
を提出するを得。しかして、法＃
律及び豫算は帝國議會の協＃
賛を經たる後、天皇の裁可を＃
＜Ｐ－１０８＞
待ちて始めて成立するものとす。若し兩院の決議一致＃
せざるときは、帝國議會の協賛にあらず。兩院の決議一＃
致すとも、天皇の裁可を經ざれば其の効力を生ぜざる＃
なり。＃
又貴族院及び衆議院は各獨立して上奏し、建議し、且臣＃
民の請願を受くるの權能を與へられたり。上奏とは文＃
書を天皇に奉呈し、建議とは文書を政府に提出して意＃
見を述ぶるをいふ。上奏といひ、建議といひ、請願といひ、＃
其の手續に於て各相異なりといへども、要は下情上達＃
の道を開かせ給ふ聖慮に外ならず。＃
＜Ｐ－１０９＞
帝國議會の協賛は國家の盛衰、國民の安危に重大なる＃
關係を及すものなれば、議員たる者は至誠奉公の赤心＃
を以て忠實に其の職責を盡すべく、一般選擧人も亦公＃
平無私の精神を以て參政の公職に最も適任なる人物＃
を選出せざるべからず。　　＃
第二十七課　　軍人に賜はりたる勅諭　　＃
天皇陛下を大元帥と仰ぎ奉り、國民皆兵なる今の大御＃
代、國民たる者は皆軍人たる心得なかるべからず。明治＃
十五年軍人に下し給へる勅諭こそ一般國民の寸時も＃
忽にすべからざるものなれ。今謹みて其の大意を述べ＃
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ん。＃
勅諭は先づ我が國の軍隊が古來天皇の統率し給ふ所＃
なることを諭し給ひ、其の後時世の移り變るに連れて、＃
兵制にも變遷あること、明治の大御代に及びて、復古の＃
政と共に陸海軍の今の制度を定め給へる由來を詳に＃
御諭しあり、かしこくも＃
朕は汝等軍人の大元帥なるぞ。されば朕は汝等を股［こ］＃
肱［こう］と頼み、汝等は朕を頭首と仰ぎてぞ其の親は特に＃
深かるべき。＃
とのたまへり。さて軍人の心得として次の五箇條を諭＃
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し給へり。＃
一には、軍人としては忠節を盡すを本分と爲すべし。如＃
何程技藝に通じ、學術に長ずとも、一片忠節の心なから＃
んには、其の人や全く精神なき人形のみ。此の如き人の＃
組織せる軍隊は即ち烏合の衆に同じ。國家を護り、國權＃
を維持するは兵力に頼るを以て、軍人たる者は一途に＃
忠節を重んじ、國家の大事に際しては、身命をすつるこ＃
と鴻［こう］毛よりも輕き覺悟なかるべからず。平生より此の＃
覺悟なきものは、時に臨みて或は不覺の名を取ること＃
あらんと戒め給ふ。＃
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一には、軍人は禮儀を正しくすべし。上元帥より下一卒＃
に至るまで、官職の高下、就職の新舊によりて上下の分＃
別最も正し。故に下級の者の上官の命を承くるや、直ち＃
に陛下の命令なりと思ふべく、上官の者は常に下級の＃
人をいたはりて、いさゝかも輕侮の念を有すべからず。＃
下は上を敬し、上は下をあはれみ、一致協同して王事に＃
勤むべし。禮儀を守る心得を缺ける軍人は國家として＃
も許し難き罪人ぞと諭し給ふ。＃
一には、軍人は武勇を尚ぶべし。さはあれ、勇氣には大勇＃
と小勇との區別あり。血氣にはやりて、粗暴の所行ある＃
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ものは小勇の人にして、眞正の軍人にあらず。能く義理＃
をわきまへ、精神を修養し、小敵を侮らず、大敵を恐れず、＃
十分に自己の職務を盡す人を眞の大勇の人といふべ＃
しと訓へ給ふ。＃
一には、軍人は信義を重んずべし。信とは我が言を行ひ、＃
義とは我が分を盡すをいふ。故に十分に信義を盡さん＃
と思はば、豫め能く事の成否を察し、成し得べからざる＃
ものは引受くべからず。初より事の順逆・理非を熟考し＃
て、小さき信義を立てんが爲に大いなる順逆を誤り、又＃
は公道の理非に踏［ふみ］迷［まよ］ふが如きこと有るべからずと諭＃
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し給ふ。＃
一には、軍人は質素を旨とすべし。質素を旨とせざれば＃
いつしか文弱に流れ、輕浮の風にそみ、心も無下に賎し＃
くなりて、節操も武勇も忘れ果てて、世人の爪彈を受く＃
るに至るべし。此の風一度軍人の間に起りては、士氣も＃
兵氣も衰ふべければ、ゆめ此の訓を忘るなと、ねんごろ＃
に戒め給ふ。＃
以上の五箇條即ち忠節・禮儀・武勇・信義・質素の五箇條を＃
特に軍人の精神と諭し給へる上に、此の五箇條を行は＃
んには一の誠心こそ大切なれと仰せ給へり。心誠なら＃
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ざれば、如何なる言行も表面の裝飾に過ぎざれば、何の＃
用にか立たん。此の五箇條を行ふも、結局一の誠心を本＃
とすと諭し給へる、返す〴〵も服［ふく］膺［よう］すべき大御言なら＃
ずや。＃
此の勅諭は特に軍人に賜へるものなれども、獨り軍人＃
としての心得なりと思ふべからず。太古以來忠節の心＃
にあつきは、我が國民の世界に無比なる美徳にして、古＃
來の歴史上の事蹟は十分に之を證明せり。禮儀も亦單＃
に軍隊の間に行はるゝに非ずして、此の心得なくして＃
如何でか日常の社會に立たんや。武勇の精神も亦國民＃
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が古來のほこりとなす所なり。＃
海行かば水づくかばね、山行かば草蒸すかばね、大君＃
の邊にこそ死なめ、顧みはせじ。＃
といふ忠勇の精神は我等が祖先の教訓なり。我等豈［あに］一＃
日も之を忘れんや。信義は人と交り世に處するに於て＃
最も大切なる事にして、商工業の人としても常に之を＃
重んぜざるべからず。平常質素を旨とすべきは修身・處＃
世の上に於て何人にも最も大切なること言を待たず。＃
誠の一字之を貫くは、あらゆる修身の徳を一言にて盡＃
し給へるものといふべし。＃
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此の五箇條は即ち皆我等が平常に之を身に行ふべき＃
ものにして、軍人として始めて守るべき事に非ず。され＃
ば陛下も「此の五箇條は天地の公道、人倫［りん］の常經なり。行＃
ひ易く、守り易し。」と諭し給へるなり。我等は修身書に於＃
て、歴史に於て、讀本に於て、既に祖先の事蹟を學び得た＃
ること多し。常に之を忘れず、之を模範として、唯〻一の誠＃
心を以て報國盡忠の道にいそしまんとす。是即ち我等＃
の覺悟なり。　　＃
第二十八課　　卒業　　＃
一　　＃
＜Ｐ－１１８＞
うれしうれしや、　　う＊れ＊しやな。　　＃
人の子どもの　　＊お＊しなべて、　　＃
＊ふ＊むを御國の　　おきてなる、　　＃
學びの道の　　六年をば、　　＃
卒へし今日こそ　　うれしけれ。　　＃
柳櫻の　　春にほふ　　＃
錦を＊そ＊へて、　　野も山も。　　＃
二　　＃
うれしうれしや、　　うれしやな。　　＃
いろはのいをも　　わきまへぬ　　＃
＜Ｐ－１１９＞
身のいつしかに　　積み得＊た＊る、　　＃
西も東も　　知らざりし　　＃
身のいつしかに　　分け＊え＊たる、　　＃
世の人並の　　文字の數。　　＃
世の人並の　　道の筋。　　＃
三　　＃
うれしうれしや、　　うれしやな。　　＃
六年の月日　　手を取り＊て＊、　　＃
教へ給ひし　　師の君の　　＃
導きなくば、　　いかで我が　　＃
＜Ｐ－１２０＞
心に開く、　　智＊は＊徳＊は＊。　　＃
思へばうれし、　　師の情。　　＃
思へばうれし、　　師の惠。　　＃
四　　＃
うれしうれしや、　　うれしやな。　＃
師の賜物の　　智を徳を、　　＃
かぢに＊し＊をりに　　世の海を　　＃
＊わ＊たりて行かん。　　尚高き　　＃
學びの高嶺［ね］　　＊よ＊ぢて見ん。　　＃
師の君＊さ＊らば、　　健か＊に＊。　　＃
＜Ｐ－１２１＞
我が友＊さ＊らば、　　健か＊に＊。　　＃
尋常小學讀本卷十二　　終　　＃
