＜出典＞３４２　　　国定読本　３期４－２
＜Ｐ－０００＞
もくろく　＃
第一　山の秋………一　　第十三　鷲………四十七　＃
第二　犬ころ………三　　第十四　餅つき………五十　＃
第三　競馬………五　　第十五　町の辻………五十五　＃
第四　武將の幼時　　第十六　看板………五十八　＃
一　石合戰………十三　　第十七　塙保己一………六十二　＃
二　十四歳の時が二度あるか………十四　　第十八　アメリカだより　＃
三　雀の子………十六　　一　サンフランシスコから………六十四　＃
第五　揚子江………十九　　二　シカゴから………六十九　＃
第六　呉鳳………二十二　　三　ニューヨークから………七十　＃
第七　心と心………二十六　　第十九　コロンブスの卵………七十五　＃
第八　手の働………二十七　　第二十　税………七十七　＃
第九　炭………二十九　　第二十一　水の力………八十一　＃
第十　朝鮮人蔘………三十二　　第二十二　唖の學校………八十三　＃
第十一　大岡さばき　　第二十三　名古屋市………九十五　＃
一　子ども爭………三十五　　第二十四　廣瀬中佐………九十七　＃
二　石地藏………三十八　　第二十五　胃とからだ………九十九　＃
第十二　手紙　　第二十六　分業………百三　＃
一　小ぞうから主人へ………四十四　　第二十七　人を招く手紙………百七　＃
二　主人から小ぞうへ………四十六　　第二十八　乃木大將の幼年時代………百十　＃
＜Ｐ－００１＞
第一　山の秋　＃
秋は山が美しい。此の間二三度降つた雨に、山＃
の木の葉は目立つて色づいた。黄色なのはな＃
らやくぬぎで、赤いのはかへでや櫻やぬるで＃
である。林の中へはいると、眞赤になつたつた＃
が、松の木にからまつてをり、日當りのよい所＃
には、つるうめもどきが美しい實をならべて＃
ゐる。＃
四十雀［から］・目白・ひよどり・もず・ひわ、秋の山は小鳥＃
＜Ｐ－００２＞
の聲でにぎやかである。＃
谷間の水はすきとほる＃
やうにすんでゐる。小鳥＃
は時々此の清水にのど＃
をうるほしては、こずゑ＃
でさへづるのである。＃
栗のいがのゑむのも今＃
である。きのこのむらが＃
つて出るのも、しひの實＃
＜Ｐ－００３＞
が落ちて、くぼたまりにこ＃
ろがり合ふのも今である。＃
炭を燒く煙も所々に立ち＃
はじめた。うさぎの毛も間もなく白くなるだ＃
らう。＃
第二　犬ころ　＃
庭のすみで、先程からちやら〳〵とすゞの音＃
が聞える。しやうじを明けて見ると、小さな犬＃
ころが二匹、上になり下になりしてじやれて＃
＜Ｐ－００４＞
ゐる。あまりかはいらしいので、僕はしばらく＃
それを見てゐた。すると其のうちに、僕の見て＃
ゐるのに氣がついたと見えて、じやれ合ふの＃
を止めて、尾をふりながら、ちよこ〳〵やつて＃
來た。＃
僕が庭へ下りて、かはる〴〵頭をなでてやる＃
と、喜んで僕の手にとびついて、ぺろ〳〵とな＃
める。＃
僕がえんがはへ机を持出して、おさらひをは＃
＜Ｐ－００５＞
じめると、二匹ともくつぬぎに手をついて、ぎ＃
やうぎよく僕のすることを見てゐる。＃
ふと、垣根の外でちやら〳〵とすゞの音が聞＃
えた。二匹はいちもくさんにかけて行つたが、＃
間もなくかはいらしいのを一匹つれて來た。＃
仲間がふえたので、又一しきりじやれ合ひを＃
はじめた。＃
第三　競馬　＃
昔或氏神のお祭に、競［くらべ］馬［うま］の神事といふ事があ＃
＜Ｐ－００６＞
つた。それは氏子の五箇村から、子どもの騎手＃
を一人づつ出して、社の横の池のまはりで競＃
走させて、勝つた子どもを出した村が、次の年＃
のお祭の日まで、五箇村の頭になるといふ定＃
めであつた。＃
或年選ばれた子どもの中に、すぐれて上手な＃
ものが二人あつた。一人は信作、一人は耕造と＃
いつて、年は同じく十五歳。「今年の競馬はさぞ＃
見ものだらう。」といつて、祭の當日には、おびた＃
＜Ｐ－００７＞
だしい見物人が、朝早くから宮の境内へつめ＃
かけた。やがて五人の騎手は多くの人々につ＃
きそはれ、しづ〳〵と馬を歩ませて、鳥居の中＃
に集つて來た。＃
神主は先づ神前で祝［のり］詞［と］を上げて、それがすむ＃
と、「支度」といふあひづの一番太［だい］鼓［こ］を鳴らした。＃
五人の騎手は神に勝利をいのつて、第二のあ＃
ひづを待ちかまへてゐる。五箇村の人々は各＃
自分の村の騎手に向つて、「ぜひ勝つてくれ。」「負＃
＜Ｐ－００８＞
けたら村のはぢになるぞ。」「しつかりやつてく＃
れ。」などと、口々に勢をつけてゐる。＃
二番太鼓の「並べ」のあひづに、五人の騎手は打＃
連れて、拜殿のそばの大きな立石の前に並ん＃
だ。馬の頭をそろへて、三番太鼓を今やおそし＃
と待ちかまへてゐる。＃
三番太鼓が鳴るが早いか、五匹の馬は一さん＃
にかけ出した。始の間はあまり甲乙はなかつ＃
たが、半分程の所から一騎後れ、二騎後れ、つゞ＃
＜Ｐ－００９＞
いて三騎までも後れて、もはや信作と耕造の＃
二人だけの競走となつた。さうしてそれが同＃
時に決勝點へ着いた。二人を出した村の者は、＃
たがひに勝利をいひはるので、神主は二人の＃
者だけで、もう一度競走させることにした。＃
今度の競走も五分々々に進んで行つたが、中＃
程まで行つた時、信作の馬はつまづいて、前足＃
を折つた。信作はつるりとすべり落ちて、其の＃
はずみに、ころ〳〵と池の中へころげこんだ。＃
＜Ｐ－０１０＞
しかも其所は深い所＃
である。＃
耕造は驚いて、ひらり＃
と馬からとび下り、一＃
たん沈んで又浮上つ＃
た信作のえりを引つ＃
つかんで、ぐつと岸へ＃
引上げた。つきそひの＃
者や見物人はかけよ＃
＜Ｐ－０１１＞
つて來て、信作に水をはかせるやら、醫者を呼＃
びに走るやら、上を下へのさわぎである。＃
耕造方の人々は耕造の肩をたゝいて、＃
「感心だ、感心だ。えらい子だ。信作が落ちたの＃
にかまはず馬をかけさせたら、大勝に勝つ＃
のに、人の命にはかへられないと思つて、相＃
手を助けてやつたのはえらい。如何にも見＃
上げた心掛だ。相手の信作があの通りだか＃
ら、いづれ又改めてやり直しをしてもらは＃
＜Ｐ－０１２＞
なければなるまい。」＃
などといつた。信作方の人々は之を聞いて、＃
「もう改めて勝負をするには及びません。あ＃
なた方の村が勝つたのです。耕造さんのお＃
かげで、信作の命が助かりました。耕造さん＃
の心掛は實に見上げたものです。どうか今＃
日から一年の間、あなた方の村が五箇村の＃
頭になつて下さい。」＃
といつたので、さうきまつたといふことであ＃
＜Ｐ－０１３＞
る。＃
第四　武將の幼時　＃
一　石合戰　＃
徳［とく］川［がは］家［いへ］康［やす］が幼時家來に負はれて、安［あ］倍［べ］川原へ＃
石合戰を見に行つた。一方は百四五十人で、他＃
の一方は三百人以上もあつた。見物人は爭つ＃
て、多勢の方へ行つたが、家康は小勢の方へ行＃
けと命じた。家來があやしんで、其のわけをた＃
づねると、＃
＜Ｐ－０１４＞
「多勢の方はゆだんをしてゐるが、小勢の方＃
はみんな心を合はせて、一生けんめいにな＃
つてゐる。」＃
といつた。間もなく合戰が始ると、果して小勢＃
の方が勝つた。後に此の話を聞いた者は、皆家＃
康の年に似合はずかしこいのに驚いた。＃
二　十四歳の時が二度あるか　＃
徳川家康が大阪城を攻めた時、其の子頼［より］宣［のぶ］は＃
戰が始つたと聞いて、先陣へかけつけたが、も＃
＜Ｐ－０１５＞
う間に合はなかつた。くやし泣きに泣くと、そ＃
ばに居た松平正［まさ］綱［つな］が＃
「殿はまだお若くて、これから功名をお立て＃
になる折はいくらもございます。」＃
といつてなぐさめると、頼宣は顔色をかへて、＃
「やあ、正綱、十四歳の時が二度あるか。」＃
といつた。家康は之を聞いて、＃
「今の一言は、先陣の功名にもまさる。」＃
といつて喜んだ。＃
＜Ｐ－０１６＞
三　雀の子　＃
松平正綱の子信綱は幼名を長四郎といつた。＃
九つの時から將軍の若君竹千代のおつきに＃
なつた。長四郎が十一歳の時のことである。竹＃
千代が軒ばに雀の巣を見つけて、＃
「長四郎、雀の子を取つて參れ。」＃
と命じた。＃
日が暮れてから、長四郎がそつと屋根づたひ＃
に行つて、もう少しで雀の巣へ手が屆かうと＃
＜Ｐ－０１７＞
した時、ふみ外して軒下へどうと落ちた。將軍＃
秀［ひで］忠［たゞ］が刀を取つて出て見ると、長四郎であつ＃
た。＃
「何しに此所へ參つた。」＃
「雀の子がほしくて參りました。」＃
「誰に頼まれた。」＃
「誰にも頼まれは致しません。」＃
「いや、きつと頼まれたであらう。」＃
「いゝえ、頼まれたのではございません。」＃
＜Ｐ－０１８＞
將軍は長四郎を大きな袋へ入れて、＃
「ありのまゝに申すまでは出さぬ。」＃
といつて、袋の口を封じて柱に掛けた。＃
翌日になつて、將軍が又たづねたが、始のやう＃
に答へた。晝頃、御臺所のおわびによつて、長四＃
郎はやつと袋から出された。＃
將軍はあとで、御臺所に、＃
「長四郎があの心で大きくなつたら、竹千代＃
には無二の忠臣であらう。」＃
＜Ｐ－０１９＞
といつたといふことである。＃
第五　揚子江　＃
揚［ヤウ］子［ス］江［カウ］ハ支那第一ノ大河ニシテ、其ノ長サ一＃
千三百里、我ガ國ノ最南端ヨリ最北端ニ至ル＃
長サヨリモ長シ。我ガ國第一ノ長流鴨［アフ］緑［リヨク］江ノ＃
如キハ實ニ其ノ支流ニモ及バザルナリ。汽船＃
ハ河口ヨリオヨソ四百五十里、小舟ハオヨソ＃
九百里サカノボルコトヲ得。＃
此ノ河ノ上流地方ヨリ木材ヲキリ出シ、之ヲ＃
＜Ｐ－０２０＞
イカダニ組ミテ河ヲ下スコ＃
トアリ。イカダノ大ナルモノ＃
ハ長サ六七十間、幅三四十間、＃
コレニ土ヲ置キテ野菜ヲ作＃
リ、又小屋ヲ建テテ豚［ブタ］・鷄［ニハトリ］等ヲ＃
カヒ、一家コトゴトクコレニ＃
乗リテ、流ニシタガヒテ下ル。＃
其ノ家ヲ出デテヨリ、イカダ＃
ヲトキテ木材ヲ賣ルニ至ル＃
＜Ｐ－０２１＞
マデ、一年ノ長キニワタルコト珍シカラズト＃
イフ。＃
揚子江ハ水量ツネニ豐ニシテ、洋々ト流ルレ＃
ドモ、夏季ハコトニ増水シテ、濁流江ニミナギ＃
リ、河口ヨリ海上百里ノ間、海水コレガタメニ＃
赤シトイフ。揚子江ノ大ナルコトコレニテモ＃
知ルベシ。＃
揚子江ノ流域ハ地味スコブルコエ、米・茶・綿等＃
ノ産物多シ。又沿岸ニハ上［シヤン］海［ハイ］・漢［カン］口［コウ］等アリテ、我＃
＜Ｐ－０２２＞
ガ國トノ貿易甚ダ盛ナリ。＃
第六　呉鳳　＃
臺灣の蕃［ばん］人［じん］には、お祭に人の首を取つて供へ＃
る風がありますが、亞［あ］里［り］山［さん］の蕃人にだけは、此＃
の惡い風が早くから止みました。これは呉［ご］鳳［ほう］＃
といふ人のおかげだと申します。＃
呉鳳は今から二百年程前の人で、亞里山の役＃
人でした。たいそう蕃人をかはいがりました＃
ので、蕃人からは親のやうにしたはれました。＃
＜Ｐ－０２３＞
呉鳳は役人になつた時から、どうかして首取＃
の惡風を止めさせたいものだと思ひました。＃
ちやうど蕃人が、其の前の年に取つた首が四＃
十餘ありましたので、それをしまつて置かせ＃
て、其の後のお祭には、毎年其の首を一つづつ＃
供へさせました。＃
四十餘年はいつの間にか過ぎて、もう供へる＃
首がなくなりました。そこで蕃人どもが呉鳳＃
へ、首を取ることを許してくれといつて出ま＃
＜Ｐ－０２４＞
した。呉鳳はお祭の爲に人を殺すのはよくな＃
いといふことを説聞かせて、もう一年、もう一＃
年とのばさせてゐましたが、四年目になると、＃
「もう、どうしても待つてゐられません。」＃
といつて來ました。呉鳳は＃
「それ程首がほしいなら、明日の晝頃、赤い帽＃
子をかぶつて、赤い着物を着て、此所を通る＃
者の首を取れ。」＃
といひました。＃
＜Ｐ－０２５＞
翌日蕃人どもが、役所の近くに＃
集つてゐますと、果して赤い帽＃
子をかぶつて、赤い着物を着た＃
人が來ました。待ちかまへてゐ＃
た蕃人どもは、すぐに其の人を＃
殺して、首を取りました。＃
見ると、それは呉鳳の首＃
でございました。蕃人ど＃
もは聲を上げて泣きま＃
＜Ｐ－０２６＞
した。＃
さて蕃人どもは、呉鳳を神にまつつて、其の前＃
で、此の後は決して人の首を取らぬとちかひ＃
ました。さうして今も其の通りにしてゐるの＃
だといひます。＃
第七　心と心　＃
軒下にはらばへる黒き犬、＃
にくらしき黒と思へば、＃
黒もまた、意地惡き人と見るらん。＃
＜Ｐ－０２７＞
はをむきて、うゝとうなりて、＃
垣を出て行く。＃
えんがはにうづくまる三毛のねこ、＃
愛らしき三毛と思へば、＃
三毛もまた、したはしき人と見るらん。＃
尾を立てて、のどを鳴らして、＃
我にすりよる。＃
第八　手の働　＃
取る・拾ふ・握る・持つなどは皆手の働なり。もし＃
＜Ｐ－０２８＞
手なくば、我等は如何に不自由ならん。箸を持＃
つことも出來ず、帶を結ぶことも出來ず、かゆ＃
き所をかくことも出來ず、いたき所をさする＃
ことも出來ざるべし。＃
大工の家を建て、左官の壁を塗り、船頭の舟を＃
こぎ、農夫の田畑を耕すも、皆手の働なり。又筆＃
一本にて美しき繪をゑがき、のみ一ちやうに＃
て見事なるほり物をほりて、人を感ぜしむる＃
も、手の働なり。＃
＜Ｐ－０２９＞
手はすべて仕事のもとにして、いそがしき時＃
に、手の足らずといふは、働く人の少きをいふ＃
なり。＃
第九　炭　＃
太郎は毎日炭を燒く煙を遠くに見てゐるが、＃
まだ一度も其所へ行つて見たことがない。或＃
日炭を燒く男が太郎のうちへ來て、ゐろりの＃
はたでいろ〳〵の話をした。此の時太郎が、炭＃
はどうして燒くのかときくと、其の男はてい＃
＜Ｐ－０３０＞
ねいに教へてくれた。＃
先づよい場所を見立てて、炭を燒く間ねとま＃
りをするための小屋を＃
建てる。次に其の小屋の＃
そばへ土と石でかまを＃
つく。かまはさしわたし＃
が一丈ぐらゐ、高さが四＃
五尺ぐらゐで、前には三＃
尺に一尺程のかま口を＃
＜Ｐ－０３１＞
造り、後の方に煙出の口を明けるのである。＃
さて山の木をきり倒して、四五尺の長さにき＃
りそろへ、それをぎつしりとかまの中に立て＃
並べ、よくもえるやうに其の上下にそだを置＃
き、又其の上にねつたかま土を置いて、打固め＃
る。次にかま口から火をつけて、四五日の間、中＃
の木をむし燒にする。さうして煙出から出る＃
煙の色で燒加減を見て、かまの外へ引出し、消［けし］＃
粉［こ］をかけて消せば、かた炭が出來上るのであ＃
＜Ｐ－０３２＞
る。＃
炭に燒く木は、主にならとくぬぎで、くぬぎの＃
炭の方が火持がよい。＃
第十　朝鮮人蔘　＃
山野に生ずる草木の中には、藥用にするもの＃
が多くありますが、其の中貴重なものの一つ＃
は朝鮮人［にん］蔘［じん］です。これはもと野生のものでし＃
たが、今から千何百年も前から栽培すること＃
になつたのだとつたへてゐます。さうして其＃
＜Ｐ－０３３＞
の栽培につ＃
いては次の＃
やうな話も＃
あります。＃
昔朝鮮に一人の婦人があつて、子どもをおさ＃
づけ下さるやうに、朝晩神樣にいのつてゐま＃
した。すると或夜ゆめの中に、明日何山の何所＃
へ行けば、望のものをさづけてやるといふ神＃
樣のお告がありました。婦人は大いに喜んで、＃
＜Ｐ－０３４＞
夜の明けるのを待つて、すぐに其の山へ上り＃
ました。さうして教へられた場所へ行つて見＃
ますと、望の赤子は居ませんでしたが、見なれ＃
ない草に、眞赤な美しい實が一つなつてゐま＃
した。婦人は、これは珍しい、神樣がおさづけ下＃
さつたのはこれに違ひないと思つて、其の實＃
を取つて來て、庭先の畠の中にまきました。間＃
もなくそれから芽が出ましたので、婦人は之＃
を我が子のやうに育てました。これが人蔘で、＃
＜Ｐ－０３５＞
此の婦人は長生をしましたが、一生の間仕合＃
はせのよい事がつゞいたと申します。＃
第十一　大岡さばき　＃
一　子ども爭　＃
昔江戸で、夫に死なれた女が、乳飲子を里子に＃
やつて奉公に出ました。幾年かの後、里子を返＃
してもらはうとすると、先方はあづかつたお＃
ぼえがないといつて返しません。困つて町奉＃
行へ訴へて出ました。＃
＜Ｐ－０３６＞
時の町奉行は名高い大岡越［ゑち］前［ぜんの］守［かみ］で、一人の子＃
どもに二人の實母はないはずといつて、いろ＃
いろ調べますが、どちらも實母だといひはり＃
ます。越前守はじつと考へましたが、＃
「其の子を二人の眞中に置いて、兩方から子＃
どもの手を取つて引合へ。勝つた方へ其の＃
子を渡す。」＃
といひました。二人の女は＃
「かしこまりました。」＃
＜Ｐ－０３７＞
と、兩方から引合ひました＃
が、子どもがいたがつて、わ＃
つと泣出しますと、實母の＃
方は驚いて手を放しまし＃
た。里親の方は「それ見よ。」と＃
いはぬばかりに、子どもを＃
引きよせますと、越前守は＃
聲をかけて、＃
「これ女、其の手を放せ。泣＃
＜Ｐ－０３８＞
くのもかまはず力まかせに引くとは、情を＃
知らぬ不屆者。手を放した女が實母にきま＃
つた。」＃
と申し渡しましたので、里親は恐れ入つたと＃
いひます。＃
二　石地藏　＃
呉服屋の手代が、大きなふろしきづつみを石＃
地藏の前におろして休みましたが、餘程つか＃
れてゐたものと見えて、何時の間にか、ぐつす＃
＜Ｐ－０３９＞
りねこんでしまひました。＃
目をさまして見ると、ふろしきづつみがあり＃
ません。包の中には白木綿が五十反ばかりは＃
いつてゐたのでございます。驚いてあたりを＃
さがしても見當らず、近所の人にきいても知＃
らぬ知らぬと申します。困つて町奉行へ訴へ＃
て出ました。＃
越前守は手代の言ふ所を聞いて、＃
「其の方の申す所では、どうやら其の地藏が＃
＜Ｐ－０４０＞
うたがはしい。召しとつて＃
ぎんみをしよう。」＃
といつて、下役の者に石地藏＃
をしばつて來るやうに命じ＃
ました。下役の者が石地藏に＃
荒縄を掛けて、車に積んで參＃
ります。物見高いは江戸のく＃
せで、＃
「何だ、何だ。」＃
＜Ｐ－０４１＞
「地藏樣が縄にかゝつていらつしやる。」＃
「これは珍しい。地藏樣でも惡いことをなさ＃
つたと見える。」＃
などといつて、四五百人のものが、ぞろ〳〵と＃
車の後について、思はず知らず役所の門内へ＃
入りこみました。＃
越前守は早速門をしめさせて、見物人一同の＃
所名前を書取らせ、さておごそかに、＃
「此所は天下の役所なるに、許しもなくて亂＃
＜Ｐ－０４２＞
入するとは不屆しごく。もはや歸すことは＃
相成らぬ。」＃
と申し渡しました。一同は驚いて、泣くやらな＃
げくやら、大さわぎでございます。しばらくし＃
て、其の中のおも立つた者が出て、いろ〳〵お＃
わびを致しますと、越前守は＃
「しからば許してつかはすであらうが、其の＃
代りと致して、白木綿を一反づつ、名札をつ＃
けて、三日の間に間違なく持參致せ。」＃
＜Ｐ－０４３＞
と命じました。＃
三日の間に一同は白木綿を一反づつ持つて＃
參りました。越前守は呉服屋の手代を呼出し＃
て、其の中に盗まれた品のありなしを調べさ＃
せました。すると其の中に二反ありました。そ＃
こで其の反物を出した者を呼出して、買先を＃
たゞし、それからそれと調べましたので、とう＃
とう罪人がわかりました。＃
越前守は再び一同を呼出して、さきに納めさ＃
＜Ｐ－０４４＞
せた白木綿を返し、ついでに石地藏を、もとの＃
所へもどしたと申します。＃
第十二　手紙　＃
一　小ぞうから主人へ　＃
謹んで申し上げます。取分けおいそ＃
がしい中を、一週間もおひまをいた＃
だきまして、まことにありがたう存＃
じます。病中の祖母も大そう喜びま＃
して、ありがた涙をこぼして居りま＃
＜Ｐ－０４５＞
す。始は熱が高くて心配致しました＃
が、昨朝あたりから熱が下つて、食事＃
も進むやうになりましたので、やつ＃
と安心致しました。しかし醫者の申＃
す所では、老體のこと故、餘程大事に＃
しなければならないとのことでご＃
ざいます。まことに勝手がましい御＃
願でございますが、もう四五日の所＃
おひまを願ひたうございます。＃
＜Ｐ－０４６＞
十二月十四日　淺吉　＃
御主人樣　＃
二　主人から小ぞうへ　＃
其の後どうかと案じてゐましたが、＃
手紙を見て安心しました。こちらの＃
方はどうでもなるから、心配するに＃
は及びません。祖母一人孫一人の事＃
だから、五日でも十日でも、一人で寢＃
起の出來るまで、ゆつくり看病して＃
＜Ｐ－０４７＞
お上げなさい。此の爲替はほんのわ＃
づかですが、何か好きな物を買つて＃
上げて下さい。＃
十二月十六日　村尾甲藏　＃
淺吉殿　＃
第十三　鷲　＃
大キサカライツテモ、強サカライツテモ、鷲［ワシ］ハ＃
タシカニ鳥類ノ王デアル。金アミノ中ニ飼ハ＃
レテ、ジツト止リ木ニ止ツテヰルノヲ見テモ、＃
＜Ｐ－０４８＞
怒ツテヰル肩、サキノ曲ツタ大キナクチバシ、＃
スルドクテ落着イテヰル目、トガツテカギノ＃
如クニ見エル爪、コゲ茶色ノ羽、アクマデモガ＃
ンジヨウナツバサ・尾、何所ニ一分ノスキモナ＃
ク、強ミガ全身ニミチ＃
ミチテヰル。マシテ自＃
由ノ天地ニ居テ、自在＃
ニ空ヲトブ樣ハ、實ニ＃
勇マシイモノデアル。＃
＜Ｐ－０４９＞
スナハチ一間餘モアルツバサヲハツテ數分＃
ノ間羽バタキ一ツセズ、空中ヲノシテ行ク。サ＃
ウシテ何カ地上ニエモノヲ發見スルト、スウ＃
ツト下リテ來テ、急ニツバサヲチヾメ、風ヲ切＃
ツテマツシクラニエモノノ上ニツカミカヽ＃
ル。狐［キツネ］・狸［タヌキ］・兎［ウサギ］・犬・豚［ブタ］ナドハ彼ノ求メル物デアルガ、＃
マレニハ庭先ニ遊ンデヰル子ドモヲサラツ＃
テ行クコトモアル。＃
鷲ハ遠ク人里ヲハナレテ深山ニスム。巣ハ至＃
＜Ｐ－０５０＞
ツテソマツナモノデ、人ノヨリツケナイ絶壁＃
ノ間ヤ老木ノ上ニ、タテ横ニ小枝ヲ並ベ、其ノ＃
上ニヤハラカナコケヲ置クダケデアル。春ノ＃
初ニ二三ノ卵ヲ産ミ、五週間程アタヽメテ、ヒ＃
ナニカヘス。ヒナヲ育テル間ハ最モ氣ガ荒ク＃
テ、家畜ヲサラフノモ多クハ此ノ時デアル。＃
第十四　餅つき　＃
餅をつく音に目がさめた。はね起きて見ると、＃
土間の大釜の上に積んであるせいろうから＃
＜Ｐ－０５１＞
は、盛にゆげが上つてゐた。＃
おかあさんは取粉をのし板の上にひろげて、＃
餅のつき上るのを待つていらつしやる。おと＃
うさんはきね、おばあさんはこねどり。おぢい＃
さんは大釜の火をたいていらつしやる。＃
にいさんが奧の間に、餅を並べる所をこしら＃
へてゐた。＃
「お早う。」＃
といふと、＃
＜Ｐ－０５２＞
「よく目がさめたね。今四時を打つたばかり＃
だ。」＃
と、にいさんがいつた。＃
つき上ると、おばあさんが餅を臼の中で丸め＃
て、おかあさんの所へ持つていらつしやつた。＃
おかあさんはそれを二つにちぎつて、ぐるぐ＃
るまはしていらつしやつたが、忽ちきれいな＃
おそなへになつた。＃
二臼目で小さなおそなへが幾かさねか出來、＃
＜Ｐ－０５３＞
三臼目からは、のし餅が出來た。四臼目の時は、＃
おぢいさんも手つだつてつかれた。＃
二かさね目のせいろうから、ゆげが上るまで＃
に、少し間があつた。其の時にいさんが＃
「私にもつかせてみて下さい。」＃
といひ出すと、おぢいさんが＃
「とてもまだ。」＃
とおつしやつたが、おばあさんは＃
「まあ、ついてみるがよい。」＃
＜Ｐ－０５４＞
とおつしやつた。＃
いよ〳〵にいさんがつき出した。始のうちは＃
勢がよかつたが、間もなく腰がふらつき出し＃
て、ふみしめてゐる兩足が、きねをふり上げる＃
たびに動いた。おとうさんが＃
「せいは高くても、まだだめだ。」＃
とおつしやつたが、それでもとう〳〵一臼だ＃
けはつき上げた。＃
八時頃には、すつかりすんだ。おしまひの一臼＃
＜Ｐ－０５５＞
には、小豆やきな粉をつけて、うちでもたべ、近＃
所へも配つた。＃
第十五　町の辻　＃
雪どけ道のぬかるみを＃
杖にすがりてとぼ〳〵と、＃
歩み來れる老婆あり。＃
ゆききの車馬のたえざれば、＃
向ふの側［かは］へ行きかねつ。＃
老婆の前を右左、＃
＜Ｐ－０５６＞
行きかふ男女多けれど、＃
北風寒き町の辻、＃
身なりいやしき老婆には、＃
手をかす人もあらざりき。＃
米屋の小ぞうお得意へ＃
米を運びし歸り途、＃
ひらりと下りて自轉車を＃
角の下駄屋にあづけ置き、＃
すぐに老婆をみちびきぬ。＃
＜Ｐ－０５７＞
「年の若きに感心な。」＃
かくいふ聲を後にして、＃
小ぞうは乗りぬ、自轉車に。＃
國に母をや殘すらん、＃
彼のまぶたにつゆありき。＃
下駄買ふ人も、賣る人も、＃
下駄屋にありし人は皆、＃
彼の姿を見送りぬ、＃
さとすべき子にさとされし＃
＜Ｐ－０５８＞
小さき悔をいだきつゝ。＃
第十六　看板　＃
學校用具ヲ賣ル店ニ、手帳・筆・墨・繪具ナドト記＃
シタル看板ヲ出シ、ハキ物屋ニ下駄・草履・傘ナ＃
ドト、大字ニテ目立ツヤウニ記シタル看板ヲ＃
出セルハ、ヨク人ノ知ル所ナルベシ。スベテ看＃
板ハ商品又ハ職業ノ名、屋號等ヲ記シテ、人目＃
ニツキヤスカラシメントスルモノナリ。＃
近年人々ノ生活次第ニイソガシクナリテ、見＃
＜Ｐ－０５９＞
物人ノ外ハ、町ノ兩側［ガハ］ヲナガメテ、ユル〳〵歩＃
クガ如キ者ナシ。ヨリテ看板ノ如キモ、タヤス＃
ク人目ヲヒカシメンガ爲ニ、キソヒテ小屋根＃
ノ上ニカヽグルニ至レリ。＃
サレド食物ヲ賣ル店ニハ、今ナホ古風ヲ守リ＃
テ、＊きそば＊（キソバ）・＊うどん＊（ウドン）・＊しるこ＊（シルコ）・＃
＊すし＊（スシ）・＊せんべい＊（センベイ）ナドト記シテ、軒＃
ニ下ゲタルモアリ。又マレニハナゾヲ用フル＃
モアリ。彼ノ燒藷［イモ］屋ノ看板ニ、八里半ト記セル＃
＜Ｐ－０６０＞
モノノ如キハコレニシテ、其＃
ノ味クリニ近シトイフ意ナ＃
リ。＃
看板ニハマタ商品ヲヱガキ＃
タルモノアリ。洋物屋ノ看板＃
ニ、シヤツ・襟［エリ］・襟飾［カザリ］ノ類ヲヱガ＃
キ、金物屋ノ看板ニ、鍋［ナベ］・釜［カマ］・庖［ハウ］丁［チヤウ］＃
ヲヱガクノ類ナリ。又足袋屋・＃
蝋［ラフ］燭［ソク］屋・時計屋・扇屋・櫛［クシ］屋等ニ＃
＜Ｐ－０６１＞
ハ、商品ヲ大キクセル模［モ］型［ケイ］ヲ＃
カヽグル風アリ。＃
此ノ他宿屋ニハ、掛行［アン］燈［ドン］ニ旅＃
人宿何屋ト記シテ掛クルモ＃
アリ、芝［シバ］居［ヰ］又ハ活動寫眞ナド＃
ノ興［コウ］行［ギヤウ］場ニハ、繪看板アリ、寫＃
眞屋ニハ、寫眞ノ看板モアリ＃
テ、看板ノ種類ハキハメテ多＃
シ。＃
＜Ｐ－０６２＞
第十七　塙保己一　＃
目は見ゆれども、字のよめざる人をあきめく＃
らといふ。昔はあきめくらも多かりしに、まこ＃
とのめくらにして、大學者となりし人あり。塙［はなは］＃
保［ほ］己［き］一［いち］これなり。＃
保己一は五歳の時めくらとなりしが、人に書＃
物をよませて、一心に之を聞き、後には名高き＃
學者となりて、多くの書物をあらはせり。＃
保己一の家は今の東京、其の頃の江戸の番町＃
＜Ｐ－０６３＞
にありて、多くの弟子保己一につきて學びた＃
れば、時の人　＃
番町で目あきめくらに＃
道をきゝ。＃
と言ひたりといふ。＃
或夜弟子をあつめて、書物＃
を教へし時、風にはかに吹＃
きて、ともし火きえたり。保＃
己一はそれとも知らず、話＃
＜Ｐ－０６４＞
をつゞけたれば、弟子どもは＃
「先生、少しお待ち下さいませ。今風であかり＃
がきえました。」＃
と言ひしに、保己一は笑ひて、＃
「さて〳〵、目あきといふものは不自由なも＃
のだ。」＃
と言ひたりとぞ。＃
第十八　アメリカだより　＃
一　サンフランシスコから　＃
＜Ｐ－０６５＞
ハワイから出した繪葉書は見まし＃
たらうね。おとうさんは一昨日の正＃
午無事にサンフランシスコへ着き＃
ました。横濱を出てから、ちやうど十＃
五日目です。＃
サンフランシスコには、日本人がた＃
くさんゐて、いろ〳〵な商賣をして＃
ゐます。おとうさんが着いた日は、ち＃
やうど五月のお節［せつ］供［く］の日で、日本人＃
＜Ｐ－０６６＞
の家には、鯉のぼりが立つてゐまし＃
た。＃
此の港には、十五六年前に大地震が＃
あつて、町は大方こはれたのですが、＃
今では前よりもかへつてりつぱに＃
なつてゐます。アメリカ人の元氣な＃
ことは、これだけ聞いてもわかりま＃
せう。＃
サンフランシスコはカリフォルニヤ＃
＜Ｐ－０６７＞
州にあるので＃
すが、此の州は＃
合衆國の中で＃
も、氣候がよく＃
て、其の上地味＃
が肥えてゐま＃
すから、いろい＃
ろな農産物に富んでゐます。ことに＃
野菜や果［くだ］物［もの］が有名です。日本人は八＃
＜Ｐ－０６８＞
萬人餘も居て、子どもは、アメリカ人＃
の立てた學校へ行つて、英語で勉強＃
しますが、歸つて來ると、又日本人の＃
立てた學校へ行つて、日本語で學問＃
をしてゐます。つまりお前たちより＃
もよけいに勉強してゐるわけです。＃
お前たちもせい〴〵勉強なさい。＃
五月七日　父から　＃
太郎どの　＃
＜Ｐ－０６９＞
さち子どの　＃
二　シカゴ＃
から　＃
サンフランシ＃
スコから三日＃
二晩汽車に乗＃
通して、今日此＃
のシカゴに着＃
きました。此所＃
＜Ｐ－０７０＞
は工業地で、煙［えん］突［とつ］の煙で空は眞黒だ＃
が、大きな公園が幾つもあるから、健＃
康には害がなささうです。此の繪葉＃
書は此所へ來る途中、汽車の窓から＃
見た牧場の實景です。＃
九月五日　＃
三　ニューヨークから　＃
長く滯在してゐたシカゴ市を立つ＃
て、今日いよ〳〵米國第一の大都會＃
＜Ｐ－０７１＞
ニューヨーク市に着きました。＃
シカゴとニューヨークの間は九百八＃
十哩もありますが、おとうさんは最＃
大急行の列車に乗つて、たつた十八＃
時間で着きました。日本にはまだこ＃
んな早い汽車はありません。＃
ニューヨークは人口からいへば、ロン＃
ドンに次ぐ大都會で、七百萬以上も＃
あるといひます。高い建物のあるこ＃
＜Ｐ－０７２＞
とは世界第一で、十階・二十階の家は＃
いくらもあります。中で最も高いの＃
は五十五階もあります。＃
地上の鐵道には勿論、高架［か］鐵道にも、＃
地下鐵道にも、電車や汽車が終日終＃
＜Ｐ－０７３＞
夜、休なしに運轉してゐます。アメリ＃
カ人は大きいこと、廣いこと、高いこ＃
と、早いこと、何でも世界一になるや＃
うに心掛けてゐるといひますが、何＃
しろ大した勢です。＃
此所は有名な商業地ですが、りつぱ＃
な學校もありますし博［はく］物［ぶつ］館［くわん］や圖［と］書＃
館などもたくさんあります。＃
シカゴを立つ日に、お前たちの年始＃
＜Ｐ－０７４＞
状が着きました。二人とも字が上手＃
になつたのに驚きました。うちには＃
何事もないさうで安心しました。其＃
のうちに繪葉書や寫眞帖を送りま＃
すから、ゆつくりごらん。おかあさん＃
によろしく。＃
一月十八日　父から　＃
太郎どの　＃
さち子どの　＃
＜Ｐ－０７５＞
第十九　コロンブスの卵　＃
コロンブスがアメリカを發見して歸つた時、＃
イスパニヤ人の喜んだことは非常なもので＃
した。＃
一日祝賀會の席上で、人々がかはる〴〵立つ＃
て、コロンブスの成功を祝しますと、一人の男＃
が＃
「大洋を西へ〳〵と航海して、陸地に出あつ＃
たのが、それ程の手がらだらうか。」＃
＜Ｐ－０７６＞
といつて冷笑しました。＃
之を聞いたコロンブスは、つと立つて、食卓の＃
上のうで卵を取り、＃
「諸君、こゝろみに此の卵を卓上に立ててご＃
らんなさい。」＃
といひました。人々は何の爲にこんなことを＃
いひ出したかと思ひながら、やつて見ました＃
が、もとより立たうはずはございません。＃
此の時コロンブスは、こつんと卵のはしを食＃
＜Ｐ－０７７＞
卓にうちつけ、何の苦もなく立てて申しまし＃
た。＃
「諸君、これも人のした後では、何のざうさも＃
ない事でございませう。」＃
第二十　税　＃
「おとうさん、此の雪降りに、何所へお出でにな＃
りますか。」＃
「役場へ税を納めに。」＃
「明日にでもなつて、雪がはれてからではいけ＃
＜Ｐ－０７８＞
ませんか。」＃
「是非今日のうちに納めなければなりません。＃
此の切［きつ］符［ぷ］に、『一月二十日限り當役場へ納［なふ］付［ふ］』と＃
ありませう。今日までに納めないと、役場によ＃
けいな手數をかけることになります。」＃
「今手に持つていらつしやるのは、みんな切符＃
ですか。」＃
「さうです。三枚とも切符です。」＃
「それをみんなうちで納めるのですか。」＃
＜Ｐ－０７９＞
「さうです。此の一枚には徴［ちよう］税令［れい］書とありませ＃
う。これは村の税で、村の學校や役場の費用な＃
どになるのです。」＃
「あとの二枚は。」＃
「一枚は縣の税で、一枚は國の税です。ごらん、こ＃
れには徴税傳［でん］令書とありませう。これは縣の＃
税で、縣立の學校や病院や、其の他道路などの＃
費用になります。それからこれは國の税で、納＃
税告知書としてあります。軍隊や、裁判所や、外＃
＜Ｐ－０８０＞
國とのつきあひや、其の他いろ〳〵の費用に＃
なるのです。國の税は勿論、縣の税も村の税も＃
みんな大事なもので、之を納めることは國民＃
の務です。」＃
「縣や國の税も、村の役場へ納めれば、よいので＃
すか。」＃
「さうです。村役場で、村内の家々から納めるの＃
をまとめて、それ〴〵へ送るのです。」＃
「どのうちでも、納める金高は同じですか。」＃
＜Ｐ－０８１＞
「いや、それは財産や收入の多少によつて違ひ＃
ます。くはしいことは又學校で習ふでせう。雪＃
も小降りになつた。役場のひけないうちに行＃
つて來よう。」＃
第二十一　水の力　＃
明治天皇の御製に、＃
器にはしたがひながら、いはほをも＃
とほすは水の力なりけり。＃
といふ御歌がある。＃
＜Ｐ－０８２＞
水にはこれといふ形がない。いれ物次第で、圓＃
くもなれば、四角にもなる。それでは弱いもの＃
かといふに、さうではない。落ちる時の勢が加＃
はると、長い間には、思ひの外の事をする。雨だ＃
れでも石をうがつ。＃
長い間かゝらなくても、工夫して大仕掛に水＃
を落せば、大きな仕事をする。彼の水力電氣の＃
如きはそれで、電燈・電車等に用ひる電氣も、も＃
とをたゞせば水の力である。＃
＜Ｐ－０８３＞
第二十二　唖の學校　＃
もと僕のうちに奉公してゐた信吉が、昨日の＃
朝三年ぶりでハワイから歸つて來た。信吉に＃
はおとよといふ今年十一になる女の子があ＃
るが、生れつき唖［おし］なので、僕のうちで世話して、＃
唖の學校に入れてある。信吉は僕の兩親に歸＃
つて來たあいさつをすますと、＃
「奧樣、あのとよは。」＃
と、さも心配さうにたづねた。母が＃
＜Ｐ－０８４＞
「とよちやんかね。丈夫でゐるよ。」＃
といふと、信吉はほつと息をついて、＃
「ありがたうございます。それをお聞きして＃
安心致しました。あちらでも、あの子のこと＃
ばかりが、氣にかゝつてゐたのでございま＃
した。それではちよつと行つて參ります。」＃
といつて、すぐ出かけようとした。父は＃
「相かはらずせつかちだね。」＃
といつたが、別に止めようともせず、僕に、＃
＜Ｐ－０８５＞
「お前も一しよに行つてお出で。」＃
といつた。僕ははかまを着けて、信吉と一しよ＃
に出かけた。＃
學校へ行つて案内をこふと、小使が出て來た。＃
「私はこちらに御やくかいになつてゐる松＃
木とよの父でございます。ちよつととよに＃
あひたくて參りました。」＃
といふ間も、信吉はのび上るやうにして奧の＃
方を見た。小使は僕等を應［おう］接［せつ］室へ通して出て＃
＜Ｐ－０８６＞
行つたが、間もなく黒い服を着た先生が、女生＃
徒を一人つれて、はいつて來られた。生徒はお＃
とよであつた。おとよは信吉の顔を見ると、か＃
けよつて來て、いきなり信吉にだきついて泣＃
いた。信吉は＃
「おう、おとよ。」＃
といつて、娘の手をはなして、頭の先から足の＃
爪先までながめたが、しばらくして、＃
「おとよ、大きくなつたなあ。わしはあちらに＃
＜Ｐ－０８７＞
居ても、お前の事ばかり心配してゐた。」＃
といつて、今度は先生に向つて、＃
「あゝ、あなたが先生でいらつしやいますか。＃
娘が大そうお世話樣になります。私は三年＃
ぶりに此の子にあふのでございますが、何＃
のいんぐわで、ひさしぶりに歸つた私に、一＃
口も口をきくことが出來ないのでござい＃
ませう。」＃
といふと、先生はおとよに、低い聲できかれた。＃
＜Ｐ－０８８＞
「此の方はどなたですか。」＃
するとおとよは、にごつた聲で、ゆつくりと、＃
「わたくしのおとうさん。」＃
と答へた。＃
信吉はびつくりして、二足三足後へ下つたが、＃
「や、口をきいたぞ。おとよ、お前はものが言へ＃
るやうになつたのか。ありがたい。もう一つ＃
何とか言つておくれ。」＃
といつて、娘を引きよせて、＃
＜Ｐ－０８９＞
「先生、どうして口がきけたんでせう、指であ＃
ひづもしないのに。」＃
「指であひづをしたのは昔のことで、今は口＃
を見せてものを言はせます。」＃
「それはありがたい。おとよ、わしの言つてる＃
ことがわかるか。わしの聲が聞えるか。聞え＃
るなら、もう一つ何か言つておくれ。」＃
先生はにこ〳〵して、＃
「いや、聲が聞えるのではありません。口の動＃
＜Ｐ－０９０＞
き方を見てさとるのです。」＃
信吉はまだ先生の言はれたことがわからな＃
かつたと見えて、娘の耳に口をよせて、＃
「おとよ、おとうさんが歸つて來て、うれしい＃
か。」＃
と大きな聲で言つたが、おとよは何も言はな＃
いで、信吉の顔を見てゐる。先生は＃
「あなた、此のお子が返事をしないのは、あな＃
たの口が見えないからです。よく見えるや＃
＜Ｐ－０９１＞
うにして、もう一度しづかに言つてごらん＃
なさい。」＃
と言はれた。信吉は少しはなれて、今度はおと＃
よの顔を見ながら、＃
「おとよ、おとうさんが歸つて、うれしいか。」＃
と言つた。おとよは信吉の口を、中までのぞき＃
こむやうにしてゐたが、＃
「はい、うれしうございます。もう何所へも行＃
つて下さいますな。」＃
＜Ｐ－０９２＞
と、はつきり答へた。信吉は＃
「もう〳〵何所へも行きはしない。」＃
といつて、大きな涙をぽた〳〵落した。＃
先生はいろ〳〵な事を信吉に話して聞かさ＃
れた。おとよは話し方ばかりでなく、書き方も＃
算［さん］術［じゆつ］も裁［さい］縫［ほう］も料［れう］理［り］も習つてゐる、大そうりこ＃
うだから、もう二年たつて、此の學校を卒［そつ］業す＃
る頃には、りつぱに一人前の事が出來るやう＃
になる。げんに此の學校の卒業生で、商店の番＃
＜Ｐ－０９３＞
頭になつてゐる者もあれば、裁縫の先生にな＃
つてゐる者もあるなどと話された。信吉はと＃
りのぼせたやうにうれしがつて、娘の顔と先＃
生の顔を、かはりばんこに見てゐた。＃
それから先生は、僕等を一年生の教室に連れ＃
て行かれた。此所では女の先生が、生徒に五十＃
音［おん］の發音を教へてゐられた。「い」を「う」と間違へ＃
たり、「う」を「え」と間違へたりするのを、先生は根［こん］＃
氣よく、何度も〳〵教へてゐられた。信吉は教＃
＜Ｐ－０９４＞
室を出ると、＃
「先生、私の娘にもあゝして教へて下さつた＃
のでせうか。どうも恐れ入つたことだ。」＃
といつて、先生を廊［らう］下［か］でをがむやうにした。先＃
生は＃
「何なら、あのお子を今日一日お連れになつ＃
てもようございます。」＃
といはれた。信吉は＃
「いや、何、それには及びません。」＃
＜Ｐ－０９５＞
といつたが、すぐ＃
「では、一日お借り申します。近所の者に見せ＃
てやりたい。」＃
といつて、應接室に待つてゐた娘の手を取つ＃
て、幾度も先生におじぎをした。さうしてみん＃
な一しよに學校の門を出た。＃
第二十三　名古屋市　＃
名古屋市ハ我ガ國屈指ノ大都會ニシテ、人口＃
四十餘萬アリ。商工業盛ニシテ、燒物・塗物・扇・綿＃
＜Ｐ－０９６＞
絲・織物等ノ産出頗ル多＃
シ。＃
此所ニ名高キ名古屋城＃
アリ。三百年前徳［トク］川［ガハ］家［イヘ］康［ヤス］＃
ガ諸大名ニ命ジテ造ラ＃
シメタルモノニシテ、其＃
ノ天守閣ハ加藤清正ノ＃
キヅキシ所ナリ。天守閣ニハ棟ノ兩端ニ金ノ＃
シヤチホコアリ。其ノ高サ八尺五寸、朝日・夕日＃
＜Ｐ－０９７＞
ニカヾヤキテ、遠ク數里ノ外ヨリ望ミ見ルコ＃
トヲ得ベシ。名古屋市ハ此ノ城アルニヨリテ＃
名高ク、「尾張名古屋ハ城デ持ツ。」ト歌ハレタリ。＃
市ノ南部ニ熱［アツ］田神宮アリ。草［クサ］薙［ナギノ］劔［ツルギ］ヲマツル。＃
第二十四　廣瀬中佐　＃
とゞろく砲［つつ］音、飛來る彈［だん］丸［ぐわん］。＃
荒波洗ふデツキの上に、＃
やみをつらぬく中佐の叫。＃
「杉野はいづこ、杉野は居ずや。」＃
＜Ｐ－０９８＞
船内くまなくたづぬる三度、＃
呼べど答へず、さがせど見えず、＃
船は次第に波間に沈み、＃
敵彈いよ〳〵あたりにしげし。＃
今はとボートにうつれる中佐、＃
＜Ｐ－０９９＞
飛來る彈［た］丸［ま］に忽ちうせて、＃
旅順港外うらみぞ深き、＃
軍神廣瀬と其の名殘れど。＃
第二十五　胃とからだ　＃
或時、口・耳・目・手・足等が申し合はせて、胃に向つ＃
ていひますには、＃
「僕等はふだんいそがしく働いてゐますの＃
に、君はたゞ坐つてゐて物を食ふだけで、少＃
しも僕等の爲につくさない。僕等は一同申＃
＜Ｐ－１００＞
し合はせて、今日からは働かないことにし＃
たから、さう思つてくれ給へ。」＃
といひました。さうしてそれから後は、耳は食＃
事の知らせを聞いても、聞かないふりをし、目＃
は食物を見ても、見ないふりをし、手は食物を＃
口へ入れることを止め、足は食堂へ行くこと＃
を止めました。＃
かうして二三日たちますと、耳は鳴り、目は暗＃
み、手足はなえてしまつて動くことが出來ず、＃
＜Ｐ－１０１＞
顔の色も青くなつて來て、からだに全く力が＃
なくなりました。此の時胃は一同に向つて言＃
ひました。＃
「君等はかうなることは知らなかつたので＃
すか。僕はたゞ坐つてゐて物を食ふだけの＃
者ではありません。食つた物をこなして、之＃
を血の製造場へ送るのが僕の役目であつ＃
て、僕が若し食物をこなさなかつたなら、か＃
らだを養ふ所の血がどうして出來ませう。＃
＜Ｐ－１０２＞
君等は僕を苦しめようとして、此の數日の＃
間少しも食物を送つてよこしませんでし＃
た。其の爲に新しい血が出來なくなつて、か＃
へつて君等は自分で苦しむやうになつた＃
のです。これは全く君等が自分で招いたの＃
であります。今になつて始めて、考違をして＃
ゐたことがお分りになるでせう。君等が若＃
し僕に食物を送る爲に働いたといふなら、＃
僕もまた君等を養ふ爲に骨を折つたとい＃
＜Ｐ－１０３＞
ひます。こんなわけですから、これから後は＃
互に親しみ合つて暮しませう。世の中とい＃
ふものは、すべて相持のものです。」＃
之を聞いて、手足等一同は、なるほどと感心し＃
たといひます。＃
第二十六　分業　＃
マツチはちよつとした物で、價も安く、一包十＃
箱が十錢ぐらゐで買はれる。しかし之を一人＃
で造るとして、こんなに安く賣れるであらう＃
＜Ｐ－１０４＞
か。＃
たとひ休まず働いても、一人で一日に一包は＃
造れまい。かりに造れたとしても、それを十錢＃
ぐらゐで賣つてはまうかるまい。まうかるど＃
ころか、非常な損になる。それではマツチは、ど＃
うして誰が造るのであらう。＃
マツチの製造所へ行つて見ると、職工が大勢＃
居つて、それ〴〵手分をして働いてゐる。材木＃
を機械にかけて軸［ぢく］木をこしらへてゐる者も＃
＜Ｐ－１０５＞
あり、軸木を火で乾かす者もあり、乾かした軸＃
木の先に藥をつける者もあり、藥をつけた軸＃
木を温室で乾かす者もあり、乾かしたのをそ＃
ろへてマツチの箱に入れる者もあり、箱に入＃
れたのを十づつ集めて包紙に包む者もある。＃
すべてかういふやうに、手分をして別々に仕＃
事をすることを分業といふ。＃
分業で造ると、其の出來がよいばかりでなく、＃
出來高がたいそう多くて、一人々々別々にな＃
＜Ｐ－１０６＞
つて造るのとは比べものにならない。したが＃
つて一包のマツチを十錢ぐらゐで賣つても、＃
さうおうにまうかるのである。＃
分業はマツチの製造ばかりではない。うちは＃
を造るにしても、時計を造るにしても、家を建＃
てるにしても、皆これによるのである。＃
分業で仕事をする時、誰か一人の手ぎはが惡＃
いと、全體の出來までも惡くなる。やはり世は＃
相持のものである。＃
＜Ｐ－１０７＞
第二十七　人を招く手紙　＃
一　＃
來る十六日は私の誕生日で、ちやう＃
ど日曜日ですから、母が私に、お友だ＃
ちをお呼びなさい、おこはでもふか＃
して上げようと申します。お呼びす＃
るのは大てい近所の人で、あなたが＃
知つていらつしやる方ばかりです。＃
もし天氣がよかつたら、三郎さんを＃
＜Ｐ－１０８＞
連れて、お晝前にいらつしやい。面白＃
いことをして遊びませう。＃
三月十二日　春子　＃
松子樣　＃
二　＃
來る二十五日に、亡母の三回忌の法＃
事を致します。まことに御苦勞樣で＃
すが、どうか同日午前十時頃までに、＃
お出でを願ひたうございます。＃
＜Ｐ－１０９＞
三月十二日　廣澤連太郎　＃
杉本佐平太樣　＃
三　＃
父が今年八十八になりましたので、＃
來る二十五日に、お心やすい方にお＃
出でを願つて、ほんの心ばかりの祝＃
を致したいと存じます。同日午前十＃
一時までに、どうぞ御來車を願ひま＃
す。又まことに申しかねますが、當日＃
＜Ｐ－１１０＞
祝の歌を一首いたゞきたうござい＃
ます。これは年よりからのお願でご＃
ざいます。＃
三月十二日　小野田國男　＃
澤勝五郎樣　＃
第二十八　乃木大將の幼年時代　＃
乃木大將は幼少の時、體が弱く、其の上臆［おく］病で＃
あつた。幼名を無［なき］人［と］といつたが、寒いといつて＃
は泣き、暑いといつては泣き、朝晩よく泣いた＃
＜Ｐ－１１１＞
ので、近所の人は大將のことを、無人ではない、＃
泣［なき］人［と］だといつたといふことである。＃
大將の父は長［ちやう］府［ふ］藩［はん］主に仕へて、江戸で若君の＃
お守役をしてゐたが、自分の子がかう弱虫の＃
泣虫では、第一藩主に對しても申しわけがな＃
い、どうかして大將の體を丈夫にし、氣を強く＃
しなければならぬと思つた。＃
そこで大將が四五歳の時から、大將の父はう＃
す暗い中に大將を起して、往復一里餘もある＃
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高［たか］輪［なは］の泉［せん］岳［がく］寺［じ］へよく連れて行つた。泉岳寺に＃
は名高い四十七士の墓が＃
ある。大將の父は途々義士＃
のことを大將に話してき＃
かせて、其の墓に參詣した＃
のである。＃
或年の冬、大將が思はず「寒＃
い。」といつた。すると大將の＃
父は＃
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「よし。寒いなら、暖くなるやうにしてやる。」＃
といつて、大將を井戸端へ連れて行つて、着物＃
をぬがせて、頭から冷水を浴びせかけた。大將＃
はこれから後、一生の間「寒い。」とも「暑い。」ともい＃
はなかつたといふ。＃
大將の母もまたえらい人であつた。大將が何＃
か食物の中にきらひな物があると見れば、三＃
度三度の食事に、必ず其のきらひな物ばかり＃
出して、大將が馴れるまで、うち中の者がそれ＃
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ばかり食べるやうにした。其の爲、大將には全＃
く食物に好ききらひといふものがないやう＃
になつた。＃
大將が十歳の年、大將の一家は郷里へ歸るこ＃
とになつた。其の時大將は江戸から大阪まで、＃
馬やかごに乗らず、兩親＃
と共に歩いて行つた。當＃
時大將の體は、もうこれ＃
だけ丈夫になつてゐた＃
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のである。實に鐵は熱いうちにきたへなけれ＃
ばならぬ。＃
郷里の家は六疊・三疊・二疊の三間と、二疊の板＃
の間が一つだけの、至つてせまい、そまつな家＃
であつた。けれども刀・槍［やり］・薙［なぎ］刀［なた］など、武士の魂と＃
呼ばれる物は、何時もきら〳〵光つてゐたと＃
いふことである。＃
此の父母の下に、此の家に育つた乃木大將が、＃
終生忠誠質素でおし通して、武人の手本と仰＃
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がれるやうになつたのは、まことにいはれの＃
あることである。＃
をはり＃
