＜出典＞３６１　　　国定読本　３期６－１
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目録　＃
第一課　太陽………一　　第十五課　人と火………六十五　＃
第二課　孔子………四　　第十六課　無言の行………六十八　＃
第三課　上海………八　　第十七課　松坂の一夜………七十　＃
第四課　遠足………十一　　第十八課　貨幣………七十七　＃
第五課　のぶ子さんの家………十四　　第十九課　我は海の子………七十九　＃
第六課　裁判………十八　　第二十課　遠泳………八十三　＃
第七課　賎嶽の七本槍………二十三　　第二十一課　暦の話………八十七　＃
第八課　瀬戸内海………三十一　　第二十二課　リンカーンの苦學………九十四　＃
第九課　植林………三十五　　第二十三課　南米より（父の通信）………百一　＃
第十課　手紙………四十一　　第二十四課　孔明………百十　＃
第十一課　畫師の苦心………四十四　　第二十五課　自治の精神………百十三　＃
第十二課　ゴム………四十九　　第二十六課　ウェリントンと少年………百十七　＃
第十三課　ふか………五十四　　第二十七課　ガラス工場………百二十一　＃
第十四課　北海道………五十九　　第二十八課　鐵眼の一切經………百二十五　＃
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尋常小學國語讀本卷十一　＃
第一課　太陽　＃
地球上に存在するもので、太陽の影［えい］響［きやう］を受けぬものは＃
一つもない。太陽の光と熱とがなくては、我々人間は勿＃
論、あらゆる生物、一として生存することは出來ない。＃
これほど我々に重大な關係のある太陽とは、一體どん＃
なものであらう。一口にいへば、白熱の状態［たい］にある一大＃
火球で、之を形造つてゐるものは、液［えき］體に近い氣體であ＃
らうといふ。さうして其のさしわたしは三十五萬四千＃
里、即ち地球の百九倍餘りに當り、其の容積は地球の百＃
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三十萬倍に當つてゐる。温度は表＃
面で約六千度、内部に入るに隨つ＃
て益〻高い。光の強さに至つては非＃
常なもので、之＃
を燭［しよく］光でいへ＃
ば一三の下に零［れい］を二十六もつけて＃
表さねばならぬ。＃
望遠鏡で見ると、太陽の表面は全部＃
が一樣にかゞやいてゐるのではな＃
く、光の強い部分もあれば弱い部分＃
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もあり、又所々に黒點といつて黒く見える所もある。此＃
の黒點は多分表面に生ずるうづ卷であらうといふ。さ＃
うして其の數や大きさは、凡そ十一年餘を週期として＃
増減してゐる。＃
ところが此の大きな太陽も、夜の空に銀の砂をまいた＃
やうに見える小さな星の一つと同じものだといふ。つ＃
まり此の宇［う］宙［ちう］には、あの太陽のほかに、これと同じやう＃
なものがなほ數限りもなく存在してゐるが、たゞ其の＃
距［きよ］離の遠いために、あんなに小さく見えるのである。し＃
かも我々に最も近いあの太陽でさへ、地球からは凡そ＃
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三千八百萬里も離れてゐる。今かりに一時間五十里の＃
速度で飛ぶ飛行機に乗つて行つたとしても、太陽に到＃
着するには八十七年かゝるのである。＃
第二課　孔子　＃
支那幾千年の人物中、大聖として長く後人に敬はれ、徳＃
化の尚今日に著しきもの、孔［こう］子に及ぶはなし。孔子は今＃
より凡そ二千五百年前、當時の魯［ろ］即ち今の山東省［しやう］の地＃
に生れたり。少時より學問に勵み、長じて後魯の君に仕＃
へ、大いに治績を擧げしかども、奸［かん］臣の爲にさまたげら＃
れ、久しく其の職に居ることあたはずして魯を去りぬ。＃
＜Ｐ－００５＞
當時支那は數國に分れて互＃
に相爭ひ、戰亂止むことなか＃
りしかば、孔子大いに之をう＃
れひ、如何にもして國家を治＃
め、萬民の苦を救はんものと、＃
廣く各國をめぐりて、用ひら＃
れんことを求めぬ。しかも遂＃
に志を達することを得ざり＃
しかば、老後は專ら力を教育＃
と著述とに用ひたり。門人三＃
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千人、其の最もすぐれたるもの、顔［がん］淵［えん］・曽［そう］參［しん］・有［いう］若［じやく］等七十二＃
人なりき。＃
論語は、曽參と有若との門人等が孔子及び其の高弟の＃
言行を集録したるものにして、最もよく此の大聖の面＃
目をうかゞふを得べし。今此の書によりて其の一端を＃
述べん。＃
孔子は正義の念強き人なりき。其の言にいはく、「富貴は＃
人のねがふ所なり。然れども正しき道によるに非ざれ＃
ば、我之に居らず。貧賎は人のいとふ所なり。然れども正＃
しき道によるに非ざれば、我之を去らず。」と。＃
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孔子常に中正不偏［へん］を貴び、「中庸［よう］は徳の至れるものなり。」＃
といひ、「過ぎたるは及ばざるが如し。」ともいへり。又きは＃
めて學問に熱心にして、其の好學の念の切なる、「朝［あした］に道＃
を聞くことを得ば、夕［ゆふべ］に死すとも可なり。」といふに至れ＃
り。＃
孔子は他人を正す前に先づおのれを正し、近きより遠＃
きに及すを以て其の主義としたり。「おのれを修めて人＃
を安んず。」とは、彼が簡明に此の意をあらはせる語なり。＃
かつて自らいはく、「發憤［ぷん］しては食を忘れ、樂しんではう＃
れひを忘れ、老の將に至らんとするを知らず。」と。其の身＃
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を忘れ、よはひを忘れて、人生の爲に盡くしたる大聖の＃
面目、よく此の語にあらはれたりといふべし。＃
第三課　上海　＃
長崎を出た汽船は、海上を走ること約四百海里で揚［やう］子［す］＃
江の河口に達する。それから五十海里ばかりさかのぼ＃
つて、黄［くわう］浦［ほ］江といふ支流に入り、更に十海里餘りさかの＃
ぼると、其の西岸にある上［しやん］海［はい］に着く。＃
上海は支那第一の貿易場で、百萬近くの人口を有する＃
大都會である。こゝには外國人の居留する者が非常に＃
多く、これ等は租界といふ特別の區域内に住んでゐる。＃
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租界といふのは居留地の一種で、居留民が支那政府の＃
手を離れて、自治制を布いてゐる處である。＃
租界には皮膚の色の違ひ、言語・風俗の違つた幾多の人＃
種が入交つてゐるので、其の有樣は一見世界人種の展＃
覽會のやうである。市街の樣子も支那風ではない。アス＃
ファルトや石を敷いた道が縱横に通じ、電車・馬車・自動車＃
等が絶間なく往來してゐる。街路をさしはさんで大商＃
店が軒をつらね、河岸には領事館・税關を始め、銀行・會社＃
等のりつぱな建物がそびえてゐる。其の外各種の學校＃
や、博物館・圖書館等の修養機關、公園・競馬場・劇［げき］場等の娯［ご］＃
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樂機關が到る處に散在してゐる。＃
租界の外に出ると大ていは支那風の＃
町で、町幅も狹く、あまりきれいでない。＃
唯商業の取引の盛な部分は、相當に活＃
氣を帶びてをり、西洋風の建物もあつ＃
て、趣がやゝ變つてゐる。＃
上海が黄浦江に臨む部分は延長八哩、＃
六十餘の波［は］止［と］場［ば］がある。此の地は交通＃
上重要な位置を占めてゐて、外國との＃
貿易ばかりでなく、支那の各地との取＃
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引にもきはめて便利であるから、港内＃
には常に數百隻の船が集つてゐて、頗＃
る壯觀である。貿易上最も重要な關係＃
をもつてゐるのは、日・英・米三國で、我が＃
居留民の數は、外國人中第一位を占め＃
てゐる。＃
上海は專ら商業の都市として知られてゐるが、近時工＃
業も次第に盛になつて、紡［ばう］績・造船・製粉・製紙其の他の諸＃
工場が勢よく黒煙を立ててゐる。＃
第四課　遠足　＃
＜Ｐ－０１２＞
一　＃
鳴くやひばりの聲うらゝかに、＃
かげろふもえて野は晴れわたる。＃
いざや、我が友うち連れ行かん。＃
今日はうれしき遠足の日よ。＃
二　＃
右に見ゆるは名高き御寺、＃
左に遠くかすむは古城、＃
春は繪のごと我等をめぐる。＃
今日はたのしき遠足の日よ。＃
＜Ｐ－０１３＞
三　＃
たどりつきたる峠の上に、＃
菜の花にほふ里見下して、＃
笑ひさゞめくひるげのむしろ。＃
今日はうれしき遠足の日よ。＃
四　＃
風は音なくやなぎをわたり、＃
船は靜かに我等をのせて、＃
行くは何處ぞ、桃さく村へ。＃
今日はたのしき遠足の日よ。＃
＜Ｐ－０１４＞
第五課　のぶ子さんの家　＃
今日は、のぶ子さんのうちへ始めて遊びに行きました。＃
通された部屋には、古いたんすや戸棚などが並べてあ＃
りましたが、さうぢもよく行屆いてゐるし、總べてがき＃
ちんとしてゐました。＃
のぶ子さんはちやうど、五年生の時の成績物に表紙を＃
つけて、とぢていらつしやる所でした。三月の末になさ＃
るはずであつたのが、お取込があつたため、今まで延び＃
てゐたのださうです。私が來たので、すぐしまはうとな＃
さるのを強ひて止めてお手傳をしましたが、成績物を＃
＜Ｐ－０１５＞
一枚も無くなさずにそろへていらつしやるのに驚き＃
ました。のぶ子さんは、成績物が返るとすぐ紙の袋へ入＃
れておいて、學年の終におまとめになるのださうです。＃
一年生の時からの成績物も見せていたゞいて、其の始＃
末のよいのに感心してしまひました。「成績物は一つ一＃
つ自分の力のこもつたもので、皆一生の記念になるの＃
だ。」と思ふと、私も急に一年からのをまとめたくなりま＃
したが、私のは置場所をきめておかなかつたので、大方＃
なくなつてしまひました。＃
「本や帳面はどうしていらつしやいますか。」＃
＜Ｐ－０１６＞
と尋ねてみると、のぶ子さんは上の棚を指さして、＃
「あすこに全部學年別にしてのせてあります。」＃
とおつしやいました。「成程、かういふ風に分類してそろ＃
へておけば、いつ取出すのにも便利だ。」と思ひました。私＃
は學校で習ふ本でさへ時々見失つて、大さわぎをする＃
ことがあります。「こんなによく整頓［とん］してゐる中で勉強＃
したら、どんなに氣持がよいだらう。」と思ひつゞけてゐ＃
ると、そこへ弟さんが雜［ざつ］誌［し］を二三さつ持つて來て、本棚＃
に並んでゐる雜誌の間へそれ〴〵お入れになりまし＃
た。聞けば、雜誌の類は號の順に並べておいて、取出した＃
＜Ｐ－０１７＞
ら後できつともとの場所へお入れになるのださうで＃
す。弟さんまでが、あんなに氣をつけていらつしやると＃
は實に感心なことです。＃
しばらくたつと、おかあさんが臺所の方から、「メリンス＃
のふろしきを持つておいで。」とおつしやいました。のぶ＃
子さんはすぐたんすの小引出から取出して、持つてい＃
らつしやいました。見れば引出にはみんな札がはつて＃
あつて、「ふろしき」「ハンケチ」などと一々書いてあります。＃
此の一事で、家の中がどんなによく整頓されてゐるか＃
が想像されます。＃
＜Ｐ－０１８＞
お暇してから、私はひとりで歩きながら自分の始末の＃
わるいことを考へて、つく〴〵恥づかしくなりました。＃
「これまで自分の不整頓のために、むだに費した時間と＃
勞力は大きなものであつた。整頓といふのは體裁をつ＃
くることではなくて、むだをなくすことだ。」と思ひまし＃
た。＃
第六課　裁判　＃
約束は固く守らなければならぬ、他人に害を加へては＃
ならぬなどといふことは、我々が十分心得てゐる事で＃
ある。しかし大勢の中にはそれを守らない人もある。例＃
＜Ｐ－０１９＞
へば、借りた金を、返す約束の日が來ていくら催［さい］促［そく］され＃
ても、返さない人がある。其の場合に貸主から借主を裁＃
判所に訴へると、裁判所は兩者の言分を聽いた上で、貸＃
主の主張を正當とみとめれば、其の借金を返すやうに＃
借主に命ずる。此のやうに、人々相互の間の訴訟を裁判＃
するのを民事裁判といひ、訴へた方を原告、訴へられた＃
方を被［ひ］告といふ。＃
又他人の物を盗んだといふやうな犯罪があつた場合＃
には、國家は其のやうな不法な行が再びされないやう＃
に、其の犯罪者をこらし、又世間の人々のいましめにも＃
＜Ｐ－０２０＞
せねばならぬ。ところで、どういふ事をすれば罪になる＃
か、其の制裁としてどのやうな刑罰を受けるかは、法律＃
で明かに定めてあるから、裁判所は、犯罪の疑のある者＃
を十分に取調べて適當公平な裁判をする。此の犯罪者＃
を罰するための裁判を刑事裁判といふ。此の場合には＃
訴へられた者が被告で、檢事といふ役人が原告に當る＃
のである。＃
裁判所は國家が設ける機關で、これに區裁判所・地方裁＃
判所・控［こう］訴院・大審［しん］院の四階級がある。裁判は事件の輕重＃
によつて、最初區裁判所又は地方裁判所で行はれる。と＃
＜Ｐ－０２１＞
ころで、區裁判所の裁判に不服な者は地方裁判所に上＃
訴し、尚其の裁判に不服な者は更に大審院に上訴する。＃
又地方裁判所で行はれた最初の裁判に不服な者は、控＃
訴院・大審院にと順次に上訴する。かういふ風に、三回く＃
りかへして裁判してもらふ事の出來る組織になつて＃
ゐるのは、つまり裁判を念入にするためである。＃
裁判を行ふのは判事の職務であり、刑事裁判で、國家を＃
代表して犯罪者の處罰を求めるのは檢事の職務であ＃
る。又民事裁判では、原告・被告の相談相手・附添人又は代＃
理人となつて其の主張を助け、刑事裁判では、不當な刑＃
＜Ｐ－０２２＞
罰が加へられぬやうに被告を保護するために辯［べん］護士＃
といふものがある。＃
裁判の目的は、決して人を爭はせ、又は人を罰すること＃
ではない。此の世を不道理や罪惡の行はれない、平和な、＃
秩［ちつ］序［じよ］正しい世の中にするのが其の目的である。若し裁＃
判が無いとしたら、人々相互の爭がはてしなく行はれ＃
て、しかも其の爭は力の強い者やわるがしこい者が勝＃
つことになるであらう。若し又裁判が公平に行はれぬ＃
としたら、せつかくの法律もねうちが無くなり、我々は＃
安心して生活することが出來ぬであらう。裁判は實に＃
＜Ｐ－０２３＞
正義保護のための大切な仕事であり、判事・檢事・辯護士＃
の任務は極めて重大なものといふべきである。＃
第七課　賎［しづが］嶽［たけ］の七本槍［やり］　＃
春は來りぬ。越［こし］路［ぢ］の雪も解初めたれば、柴［しば］田［た］勝家、先づ佐［さ］＃
久［く］間［ま］盛［もり］政［まさ］をして一萬五千の兵を率ゐ、近［あふ］江［み］の柳［やなが］瀬［せ］に討＃
つて出でしむ。待ちまうけたる秀［ひで］吉［よし］は、琵［び］琶［は］湖のほとり＃
に十三箇所のとりでを構へ、諸將を配置して防備をさ＃
をさ怠なし。やがて勝家また自ら五萬の兵を督し、來り＃
て盛政の軍に合す。＃
時は天正十一年四月二十日のあかつき、十三箇所のう＃
＜Ｐ－０２４＞
ちなる大岩山のとりでより、幾頭かの馬をひきて余［よ］吾［ごの］＃
湖［うみ］のほとりに下り來れる七八人の兵卒あり。水際に寄＃
りて馬の足を冷さんとする折しも、思ひもよらぬ敵の＃
一隊、湖に沿ひたる一筋路を急ぎに急ぎて進み來る。あ＃
わてて逃げんとすれども時既におそく、大方はやには＃
に斬倒されたり。＃
危く逃延びたる一二の兵卒、はせもどつて急を告ぐれ＃
ば、とりでの守將中川清秀、士卒を指揮して防ぎ戰ふ。さ＃
れども不意を討たれし俄の軍に、清秀等の奮戰其のか＃
ひなく、清秀は討死してとりでは落ち、戰は午前のうち＃
＜Ｐ－０２５＞
に終りぬ。＃
寄手の大將佐久間盛政＃
は、今日の戰に勝ちほこ＃
り、明日は進んで賎嶽の＃
とりでをおとし、一擧に＃
敵をみぢんにせんと、自＃
らは尾野路山に野營し、大岩山・鉢［はちが］峯［みね］などの要所々々に＃
それ〴〵將卒を配置したり。＃
夜ふけに及んで、鉢峯を守れる兵卒の一人、ふと東南の＃
方を望み見るに、美［み］濃［の］路の方面に當りてたいまつの光＃
＜Ｐ－０２６＞
おびたゞしく、何とも知らぬ物音ざわ〳〵として夜の＃
靜けさを破る。こはたゞ事ならじと、尾野路山の本營に＃
急報すれば、盛政直に物見の兵を出してうかゞはしむ＃
るに、こは如何に、降つてわいたる敵の大軍、木之本の邊＃
に滿ち〳〵たりと報じ來る。味方は今日の戰に將卒共＃
につかれ果てて、物の用に立つべくもあらず。此のまゝ＃
新手の兵を迎へては、萬に一つの勝算もなし。盛政は勝＃
つてかぶとのををしめざりし油斷を悔いつゝ、俄にや＃
みの中を退却［きやく］しはじめたり。＃
木之本には秀吉の來れるなり。これより先、秀吉は織［お］田［だ］＃
＜Ｐ－０２７＞
信［のぶ］孝［たか］を攻めて大垣にありしが、二十日の正午大岩山の＃
敗報至る。あたかも晝食の膳［ぜん］に向ひ居たる秀吉は、持ち＃
たる箸を投捨てて、「すは勝つたるぞ。」と手を打つて喜び、＃
先づ五十人の兵に旨をふくめて先發せしめ、やがて將＃
卒のそろふをも待たず、「者ども續け。」と馬にむちうつて＃
近江に向ふ。五十人の兵は行く〳〵百姓をつのり、かゞ＃
り火をたかせ、糧［りやう］食の用意をなさしむ。夜に入れば、見渡＃
す限りのかゞり火晝をあざむく中を、一萬五千の軍勢＃
まつしくらに進軍して、夜半の頃には既に木之本に到＃
着したり。＃
＜Ｐ－０２８＞
二十日の月は上りぬ。退却軍は少しく之にたよりを得＃
たれども、秀吉の軍は、此の時既に處々のとりでより來＃
れる守兵と合して、追撃すること頗る急なり。＃
明くれば二十一日の朝、盛政は賎嶽より西北に當れる＃
高地に兵を引きまとめたりしが、此の時までも飯［いひ］浦坂＃
にふみ留つて、追來る敵を防ぎ居し弟勝政に引きあげ＃
を命じたり。今まで賎嶽の山上より、またゝきもせず戰＃
況を見居たりし秀吉、勝政の引足になりたるを見て、す＃
かさず鐵砲組に合圖して銃火をあびせかけたれば、敵＃
は見る間にばた〳〵と倒れて、一軍今や崩れんとす。＃
＜Ｐ－０２９＞
秀吉はるかに之を望み、旗本の若武者どもをきつと見＃
て、＃
「てがらは仕勝ちぞ。かゝれ〳〵。」＃
と大音聲。＃
「承る。」＃
と、福島正［まさ］則［のり］・加藤清正・同嘉［よし］明［あきら］・平野長［なが］泰［やす］・脇［わき］坂［ざか］安［やす］治［はる］・糟［かす］屋［や］武［たけ］＃
則［のり］・片桐且［かつ］元［もと］等の荒武者ども、勇みに勇んで突進す。＃
中にも加藤清正は、山際のがけ路にて敵將山路正國に＃
出であひ、片鎌槍をしごいて突いてかゝる。正國も槍を＃
合はせ、しばらく防ぎ戰ひしが、俄に槍を投捨てて大手＃
＜Ｐ－０３０＞
をひろげ、＃
「組打。」＃
と叫ぶ。直に組合＃
ひたる二人の勇＃
士、ねぢ合ひ押合＃
ひ爭ふうちに、清＃
正やがて正國をねぢ伏せたり。ねぢ伏せられながら正＃
國、清正がよろひのすそをしつかとつかむ。清正刀を拔＃
かんとするに、かぶとのしころつゝじの枝に引つかゝ＃
りて、身のはたらき自由ならず。正國得たりと、力足をふ＃
＜Ｐ－０３１＞
ん張りてはねかへさんとせしが、ふみそこねてあはや＃
谷底へ轉び落ちんとす。清正手早くかぶとのをを切つ＃
たりければ、かぶとはつゝじの枝に殘つて、二人はしつ＃
かと組みたるまゝころ〳〵と轉び落つること三十間＃
許。＃
正國の首は終に清正の手に入りぬ。＃
福島正則以下の六人、またそれ〴〵に名ある勇士を討＃
取つて、武名を天下にとゞろかせり。武器は皆槍なりし＃
かば、世に之を稱して賎嶽の七本槍といふ。＃
第八課　瀬戸内海　＃
＜Ｐ－０３２＞
本土の西、近く九州と相接せんとす＃
る處、下關海峽［けふ］あり。四國の西には佐＃
田岬［みさき］長く突出で、九州にせまりて豐＃
豫海峽をなす。淡［あは］路［ぢ］島の東端、本土と＃
相望む處、紀［き］淡［たん］海峽となり、四國に近＃
き處、鳴［なる］門［と］海峽となる。此の四海峽に＃
包まれたる細長き内海を瀬戸内海＃
といふ。＃
瀬戸内海には、到る處に岬あり、灣あ＃
り、大小無數の島々各所に散在す。船＃
＜Ｐ－０３３＞
の其の間を行く時、島かと見れば＃
岬なり。岬かと見れば島なり。一島＃
未だ去らざるに、一島更にあらは＃
れ、水路きはまるが如くにして、ま＃
た忽ち開く。かくして島轉じ、海廻＃
りて、其の盡くる所を知らず。＃
春は島山かすみに包まれて眠る＃
が如く、夏は山海皆緑にして目覺＃
むるばかり鮮かなり。兩岸及び島＃
島、見渡す限り田園よく開けて、毛＃
＜Ｐ－０３４＞
氈［せん］を敷けるが如く、白壁の民家其の間に點在す。＃
海の靜かなることは鏡の如く、朝日夕日を負ひて、島が＃
くれ行く白帆の影ものどかなり。月影のさゞなみにく＃
だけ、漁火の波間に出没する夜景もまた一段の趣あり。＃
瀬戸内海の沿岸には大阪・神戸・尾道・宇［う］品［じな］・高松・多［た］度［ど］津［つ］・高＃
濱等良港多く、汽船絶えず通航して、遠く近く黒煙の青＃
空にたなびくを見る。＃
内海の沿岸及び島々には名勝の地少からず。嚴［いつく］島［しま］は古＃
より日本三景の一に數へられて殊に名高く、屋島・壇［だんの］浦［うら］＃
は源平の昔語に人の感興を動かすこと甚だ切なり。我＃
＜Ｐ－０３５＞
が國に遊べる西洋人は此の瀬戸内海の風景を賞して、＃
世界における海上の一大公園なりといへり。＃
第九課　植林　＃
障子をあけてみるとまだ雨が降つてゐる。「これでは明＃
日の山廻りはだめだ。」と思ひながら、机によりかゝつて＃
向ふの方をながめると、うね〳〵と續く岡が雨に煙つ＃
て、ぼんやりと遠く見える。「あそこは一昨年植付をした＃
地藏山だ。」と思ふと、山の背を通つてゐる小路を中には＃
さんで、四五尺にのびた杉の若木が勢よく立並んでゐ＃
るのが、目に見えるやうな氣がする。＃
＜Ｐ－０３６＞
「あそこの植付をした時はまだ寒かつた。」と思ひ出しな＃
がら、さつきおとうさんのいひつけで、明日の用意に出＃
しておいた植林地の書付を開いて見る。地圖の中の薄＃
緑に染めてあるのが一昨年植付けた處、朱線で圍んで＃
あるのが今年伐採する處、それから次々といろ〳〵の＃
印がついてゐる。＃
「地藏山の内、二町三段五畝［せ］、峯通り桧［ひのき］苗、其の他總べて＃
杉苗。一坪一本の割。」＃
とおとうさんの手で記してある。一昨年植付けた時の＃
覺書だ。あの時、＃
＜Ｐ－０３７＞
「こんなに間をおいてよいのですか。」＃
と僕が聞いたら、おとうさんが＃
「早く間伐して細材を取る目的のところでは、一坪に＃
二本も三本も植ゑるが、此の邊では太材を取る方が＃
利益だから、かう間をおいて植ゑるのだ。今に御らん、＃
此のくらゐ離して植ゑても、十五六年目には間伐を＃
しなければならないやうになるから。」＃
といつて笑つてをられた。＃
植付けた苗木の枯れた處へ補植をするのは、翌年一回＃
だけだといふから、今年はもうしなくともよいのであ＃
＜Ｐ－０３８＞
らう。下刈［がり］はいつも土用中にするので、ずゐぶん苦しい＃
が、それでも木が競爭するやうに、しんを立ててすくす＃
くと延びてゐるのを見ると、非常にうれしい。木でも見＃
下されるのがいやなのか、斜面などに植ゑた木は、低い＃
處にあるもの程早く大きくなつて、こずゑの差が段々＃
少くなつて行くのも面白い。＃
毎年春の初か冬の半ばにする枝打は、面白いものだ。な＃
たや鎌などでつる草を拂ひ、下枝を伐落して行くと、今＃
まで兩方の枝と枝と組合つてゐたのが急に間がすい＃
て如何にも氣持よささうに見える。いつかもにいさん＃
＜Ｐ－０３９＞
が、＃
「杉の散髮だ。」＃
といつてみんなを笑はせ＃
たことがある。おとうさん＃
のお話によると、枝を打て＃
ば、山火事の危險を防ぎ、又空氣の流通がよくなつて蟲＃
がつかなくなるさうだ。それから始めて聞いて面白い＃
と思つたのは、枝打をしないと木に節が出來ることで＃
ある。生きた枝でも枯れた枝でも、其のまゝにしておく＃
と、木が太るにつれて其の枝を包んで行くために、其處＃
＜Ｐ－０４０＞
が節になるのだといふ。＃
僕がお手傳して植ゑたあの杉や桧は、何時になつたら＃
伐るのだらう。使ひみちによつて、三十年目から五六十＃
年目ぐらゐの間に伐るのださうだから、一番早く伐る＃
としても、其の時は僕がおとうさんくらゐの年になつ＃
てゐるわけだ。今年伐るはずのは、おとうさんの子供の＃
時植ゑたのだといふが、もう幹のまはりの三尺餘りも＃
あるものが大分見える。おとうさんは、よく「植林は貯金＃
のやうなもので、植ゑてさへおけば、年々太つて利息が＃
附いて行く。」とおつしやるが、ほんたうにさうだ。＃
＜Ｐ－０４１＞
ぼんやりいろ〳〵の事を考へてゐるうちに、いつか夕＃
方の色が四方にたゞよつて、向ふの山も薄墨色に暮れ＃
て行く。あ、西の空がほんのり明るい。明日は晴かも知れ＃
ない。＃
第十課　手紙　＃
拜啓。久しく御無音に打過ぎ、失禮仕候。さて昨＃
日御地より歸村せられたる河井氏の御話に＃
よれば、貴兄には去月以來御病氣にて、しかも＃
一時は大分御重態［たい］なりし由、誠に意外の事に＃
驚入候。しかし此の頃は、餘程御快方に向はれ＃
＜Ｐ－０４２＞
候とか。何とぞ十分の御養生ありて、一日も早＃
く御全快なされ候樣切に祈申候。御承知の通＃
り當地には温泉これあり、病後の保養には特＃
に宜しき由に候。何分田舍にて萬事不便には＃
候へども、若し御光來相成候はば、及ぶ限りの＃
御便宜相計り申すべく候。尚當地産の葛［くず］粉少＃
少御見舞の印までに御送り申上候間、御受納＃
下され度候。先づは御見舞までかくの如くに＃
御座候。敬具。＃
五月五日　馬場要助　＃
＜Ｐ－０４３＞
春田延太郎樣　＃
拜復。御親切なる御手紙有難く拜見仕候。尚又＃
結構なる葛粉御送り下され、御厚情の程深く＃
謝し奉り候。實は去月十日頃より感冒［ばう］の心地＃
にて引きこもり居候處、其の後とかく病勢衰＃
へず、遂に肺炎［えん］を引起し申候。しかし幸に經過＃
良好にて、熱も凡そ二週間餘にて全く相去り＃
申候。今少しく日もたゝば、轉地するもよから＃
んと醫師も申居候に付、或は仰に從ひ、其の中＃
御地へ參り候やもはかり難く候。其の節は何＃
＜Ｐ－０４４＞
とぞ宜しく願上候。先づは取りあへず御禮ま＃
で。拜具。＃
五月八日　春田延太郎　＃
馬場要助樣　＃
第十一課　畫師の苦心　＃
昔、泉州堺［さかひ］のなにがし寺に、或畫師久しく寄食してあり＃
けるが、何一つ畫がくこともなく、毎日遊び暮して既に＃
數年を經たり。住持は心得ぬ事に思ひて、或日其の畫師＃
に、＃
「君は畫を以て一家を成せる人なるに、數年の間一度＃
＜Ｐ－０４５＞
も筆を取り給ひし事なし。我もとより衣食の費をい＃
とふにあらざれど、何時までもかくておはすべきに＃
あらねば、今は何處へなりとも行きて君の技をふる＃
ひ給へ。愚僧も所用ありて京に上り、或は一二年滯在＃
せんもはかり難し。」＃
といへば、畫師＃
「そはいと名殘をしき事なり。さらば謝恩の爲に何か＃
畫がきて參らすべし。」＃
とて、心構せし樣なりしが、尚筆も取らで數日を過しぬ。＃
或夜小僧、住持の居間に來りて、＃
＜Ｐ－０４６＞
「彼處に行きて、彼の畫師のする樣を見給へ。」＃
とさゝやきければ、住持ひそかに行きて見るに、畫師は＃
障子に身を寄せて、樣々に姿を變へつゝ寢起する樣な＃
り。さまたげせんも心なしと思ひて、住持は其のまゝ寢＃
間に入れり。＃
翌朝畫師は常にもあらず早く起出で、ふすまに向ひて＃
しきりに筆を動かしゐたり。其の畫がく所皆鶴［つる］にして、＃
筆勢非凡、丹青の妙言ふべからず。かくて次の夜は如何＃
にとうかゞふに、畫師は前の如く夜もすがら寢ねずし＃
て、明日はかく畫がかんなど獨言してゐたりければ、住＃
＜Ｐ－０４７＞
持は尚知らぬ顔して過ししに、十日餘りにして、ふすま＃
の鶴は二十四五羽となりぬ。其の後又夜更けてうかゞ＃
ひ見れば、今度はひぢを張り、足をのべ、手を口に當てて＃
鶴の臥［ふ］したる樣をなせり。夜明けて住持、畫師に向ひて、＃
「今日かき給はん鶴の姿はかやうなるべし。」＃
と、夜中に畫師のしたる樣をまねて見するに、畫師驚き＃
て、＃
「我が心に思ひ構へし事を如何にして知り給へるか。」＃
と問ふ。住持＃
「昨夜のぞき見て知りたり。」＃
＜Ｐ－０４８＞
此の一言を聞くや、畫師又かのふすまの鶴に筆を取ら＃
ず、唯杉戸に桧［ひのき］一本を畫がきて東國へ出立しぬ。＃
未だ一月もたゝざるに、かの畫師は突然歸り來れり。住＃
持驚きて、＃
「東國へ行き給ふと聞きしに、今又此處に來られしは＃
何故ぞ。」＃
と問へば、畫師＃
「先に畫がきたる桧、何となく物足らぬ所ありて氣に＃
かゝりしが、東國へ下る路すがら、箱根山中にてよき＃
枝ぶりの桧を見て、其の意を得たれば、かき添へんた＃
＜Ｐ－０４９＞
めに歸りしなり。」＃
とて一枝かき添へ、又別れを告げて立去れりといふ。＃
第十二課　ゴム　＃
自動車・自轉車のタイヤ、ゴムまり・ゴム人形・消しゴム・ゴ＃
ム靴・ゴム管・ゴム風船など、數へてみるとゴムで造つた＃
ものは實に多い。一體ゴムは何からどうして造るので＃
あらうか。＃
ゴムは、熱帶地方に産する或植物からとる白色の液［えき］を＃
原料として、製造したものである。此の液の取れる木を＃
普通にゴムの木といつてゐる。これには種類が多く、一＃
＜Ｐ－０５０＞
番よいのはパラゴムといふのである。今日世界におけ＃
るゴムの大部分は、此の木から取つたものである。此の＃
種のゴムが、昔主として南米ブラジルのパラ州から産＃
出したので、パラゴムの名が生じたわけである。＃
ブラジル邊でゴムを製造するには、山野に自生するゴ＃
ムの木から原料をとるのであるが、近＃
年ゴムの需要が激増したために、英國＃
人はマレイ半島の領地にパラゴムの＃
木を移植するに至つた。他の國人も之＃
にならつて、南洋におけるゴムの栽培＃
＜Ｐ－０５１＞
は頗る盛になつた。南洋は一年中温度が高く、雨量が多＃
いので、ゴムの木の發育には最もよく適してゐる。マレ＃
イ半島・蘭［らん］領東印度等には、日本人の經營してゐるゴム＃
園もたくさんにある。＃
此の邊でゴムを栽培するには、先づ森林を燒拂つて、其＃
のあとに種をまくか、＃
又は苗木を植付ける＃
のであるが、これが成＃
長して、切付を行ふま＃
でには五六年もかゝ＃
＜Ｐ－０５２＞
る。其の間草をとつたり、虎や象の荒しに來るのを防い＃
だり、苦心はなか〳〵一通りでない。切付といふのは、ゴ＃
ムの木から液をとるために、木の幹に小刀で傷をつけ＃
ることをいふのである。切付には餘程熟練を要する。元＃
來ゴム液は、幹の皮部と木質部との間にある乳管組織＃
といふ所から出るのであるから、此の組織の所まで小＃
刀が屆いて、しかもそれより深くは傷のつかないやう＃
にしなければならぬ。此の傷から出て來るゴム液は、流＃
れて下のコツプにたまるのである。＃
ゴム園の人は毎朝暗いうちに起きて、受持の木に此の＃
＜Ｐ－０５３＞
切付をして廻る。それがすむと、今度はバケツを持つて＃
コツプにたまつた液を集めて歩くのである。集めた液＃
は之を工場に持つて行き、先づこして不純［じゆん］な物を取除＃
き、次に藥品を入れて固まらせ、機械で薄くのして乾か＃
すのである。＃
こゝまでが原産地における仕事である。かうして出來＃
たゴムは、各國の工場に運んで加硫［りう］法を行ふ。加硫法と＃
は、ゴムに硫［ゆ］黄［わう］をまぜる事で、かうするとゴムが非常に＃
彈力を増して來る。之をそれ〴〵用途に應じて、更に加＃
工するのである。＃
＜Ｐ－０５４＞
電氣の機械や、蓄音機の圓盤［ばん］などに用ひるエボナイト＃
といふものもゴムから造る。近來床の敷物や、道路にも＃
ゴムを用ひることが行はれて來た。＃
ゴムの用途は、年を追うて益〻廣くなるばかりである。＃
第十三課　ふか　＃
昔、アフリカの或港に一そうの船がとまつてゐた時の＃
話である。＃
熱帶の暑さにたへかねてゐた船員等は、船長から泳を＃
許されたので、我先にと海に飛込んだ。船には船長と老＃
砲手だけが殘つてゐた。＃
＜Ｐ－０５５＞
船員等は、如何にも氣持よささうに泳ぎ廻つてゐたが、＃
中にもうれしさうに見えたのは、十三四になる二人の＃
少年であつた。二人は外の者からずつと離れて、沖のう＃
きを目當に泳ぎくらをしてゐた。一人は老砲手の子で＃
ある。初は十間以上も相手をぬいてゐたが、どうしたの＃
か急に相手にぬかれて、一二間も後れてしまつた。これ＃
までにこ〳〵してながめてゐた老砲手は、急に氣をも＃
んで、「しつかりしろ。負けるな〳〵。」と、甲板からしきりに＃
勵ました。＃
ちやうど其の時、「ふかだ〳〵。」といふ船長のけたゝまし＃
＜Ｐ－０５６＞
い叫び聲が聞えた。老砲手が驚いて向ふを見ると、船か＃
ら三四百メートルの處に、大きなふかの頭が見える。人＃
人は叫び聲に驚きあわてて、我先にと船へもどつて來＃
る。しかし二人の少年はまだ知らないらしい。老砲手は＃
氣ちがひのやうになつて、「逃げろ〳〵。」と聲＃
を限りに叫んでゐるが、二人の耳にははい＃
らぬのか、夢中で泳ぎくらを續けてゐる。＃
救ひのボートは下された。しかしとても間＃
に合ひさうもない。其のうちに二人はふか＃
の來るのに氣がついた。驚いて一しやうけ＃
＜Ｐ－０５７＞
んめい逃げようとしてあせ＃
つてゐるが、もう遲い。ふかは＃
はや十數メートルの近くに＃
せまつてゐる。＃
ものすごい程青白くかはつ＃
た老砲手の顔には、決心の色＃
が浮んだ。つと大砲のそばへ＃
寄つて、急いで彈丸をこめ、ね＃
らひを定めた。＃
ふかの口はもうほとんど子＃
＜Ｐ－０５８＞
供に屆いてゐる。＃
「あつ。」と、思はず人々が叫んだ。とたんに、ずどんと一發す＃
さまじい大砲の音がとゞろき渡つた。＃
砲手はその結果を見るのをおそれるやうに、手で顔を＃
おほつて大砲の上につつ伏した。＃
立ちこめた砲煙の薄れゆくにつれて、先づ目に入つた＃
のは、大きなふかの死體であつた。＃
喜の聲はどつと起つた。＃
二人の少年はボートに乗せられて歸つて來る。老砲手＃
は大砲にもたれて、無言のまゝじつとそれを見つめて＃
＜Ｐ－０５９＞
ゐる。＃
第十四課　北海道　＃
札幌　＃
札［さつ］幌［ぽろ］に來て先づ感ずることは、街路が眞直で幅の非常＃
に廣いことである。市街は此の眞直な路によつて碁［ご］盤［ばん］＃
の目のやうに正しく割られてゐる。主な通にはアカシ＃
ヤの並木が青々と茂つてをり、市街の中央を東西に貫＃
ぬく幅六十間の大通は、むしろ公園ともいふべきもの＃
で、花壇［だん］が設けてあり、銅像なども立つてゐる。未開の土＃
地を切開いて、思ふまゝに設計して造つた町であるか＃
＜Ｐ－０６０＞
ら、總べてが大規模でのび〳〵としてゐ＃
る。＃
市外の眞［ま］駒［こま］内［ない］及び月［つき］寒［さつぷ］には、大きな牧場＃
がある。見渡す限り果もない原野に、放牧＃
の馬や牛がいう〳〵と草をはむ樣や、緑＃
草の間に羊の群をなして遊ぶ樣は、實に＃
のどかである。＃
狩勝の展望　＃
瀧川から根［ね］室［むろ］行の汽車に乗ると、約五時＃
間後に石狩と十［と］勝［かち］の境にある狩［かり］勝［かち］の峠＃
＜Ｐ－０６１＞
にかゝる。此の峠には長いトンネルがあつて、其のあた＃
りは海拔約千八百尺、北海道鐵道沿線中の最高所であ＃
る。汽車は密林の間をあへぎ〳〵通り拔けて、やがてト＃
ンネルにはいる。しばらく暗黒の中を通つて再び光明＃
の世界に出た時、突如として眼前に展開せられた風景＃
は、雄大といはうか豪［がう］壯といはうか、恐らく全道第一の＃
壯觀であらう。右手には遠く日高境の山々が大浪のや＃
うに連なり、眼下には廣々とした十勝の大平野がはる＃
ばると續いて、末は青い大空に接してゐる。汽車は無人＃
の境を曲折して下る。畫がけるが如く美しき山の、或は＃
＜Ｐ－０６２＞
右に或は左にあらはれるのは、サホロ嶽［だけ］の連峯の一つ＃
であらう。はるかの下に一條の白煙をたなびかせて見＃
えがくれする上り列車は、ちやうどおもちやのやうに＃
見える。＃
十勝の平原　＃
十勝川の流域一帶の廣野はいはゆる十勝平原で、其の＃
中心をなすものは帶廣の町である。明治十六年こゝに＃
十三戸の農家が移住して來たのが此の町の始りであ＃
つた。當時此のあたりは未開の原野で、殆ど交通の便も＃
なく、唯僅かに十勝川を上下するアイヌの丸木舟の便＃
＜Ｐ－０６３＞
をかりるに過ぎなかつた。それが今は人口約二萬、戸數＃
約四千を算するりつぱな町となつたのである。＃
此の邊の農業は總べて規模が大きい。畠にしても、小路＃
によつて細かく仕切ることをしないから、一枚の畠で＃
うねが五町も十町も長々と續いてゐるのが少くない。＃
こんな廣い畠であるから、耕すにも、うねを作るにも、種＃
を蒔くにも、大てい機械と馬の力による。中にはトラク＃
ターを用ひて全く大農式にやつてゐる處もある。トラ＃
クターはちやうど軍用のタンクのやうな形で、ガソリ＃
ンの發動機が取付けてある。これが大きな鋤［すき］を何本も＃
＜Ｐ－０６４＞
引いて、ものすごいうなり聲を＃
立てながらのそり〳〵と歩き＃
廻ると、二間幅ぐらゐに耕され＃
て行く。又開墾［こん］する場合には、立＃
木や切株の根本を掘つておい＃
て、それにくさりをつけて此の＃
トラクターで引くと、めり〳〵＃
と音を立てて根こぎにされて＃
しまふ。＃
農業者は多く古い習慣［くわん］になづ＃
＜Ｐ－０６５＞
みやすいものであるが、此の邊では新しい知識をいれ＃
て、新式の農具を用ひ、新式の方法によつてどし〳〵土＃
地を開いて行く。はてしなく續く廣野の中で、人々は自＃
由な大氣を呼吸しながら、土の香に親しんで樂しげに＃
働いてゐる。＃
十勝の平野は心ゆくばかり晴々しい處である。＃
第十五課　人と火　＃
「人は火を用ひる動物。」といはれてゐるやうに、火を使用＃
するのは人類ばかりで、他の動物には見られない所で＃
ある。＃
＜Ｐ－０６６＞
一體人は最初どうして火を得たであらうか。思ふに落＃
雷の爲に樹木が燃えたり、密生した樹木の枝と枝がす＃
れあつて起つたりした自然の火から、火種を取つたも＃
のであらう。其のうちだん〳〵人智が發達するにつれ＃
て、木片と木片をこすりあはせて火を得る法をさとる＃
やうになつた。＃
それから少し進むと、石や金を打合はせて火を出す法＃
を考へるやうになつた。此の方法は各國民の間に、廣く＃
又極めて長い間行はれてゐたものであるが、マツチの＃
使用が廣まるにつれてすたつて來た。マツチは今から＃
＜Ｐ－０６７＞
約百年前に發明されたものである。＃
火の熱は、初め主として食物を調理するのに用ひたも＃
ののやうであるが、時代が進んで燃料の種類が増すに＃
つれて、火の用途もだん〳〵廣くなつて來た。木炭や石＃
炭や石炭ガスの火は、部屋を暖めたり物を煮［に］たりする＃
に用ひられ、石炭の火は木炭の火よりずつと熱度が高＃
いので、汽車や汽船や工場の重い機械を動かすのに大＃
切なものとなつてゐる。＃
燈火としては、初め松の木や魚・獸の油などをたいたの＃
であつたが、其の後らふそくや種油がともされ、石油の＃
＜Ｐ－０６８＞
ランプが之に代り、今はガス燈や電燈が到る處にかゞ＃
やき渡る時代となつた。かくして人は、暗黒の世界から＃
だん〳〵光明の世界へと、みちびかれて來たのである。＃
「必要は發明の母。」である。人は生活上の必要から發火法＃
を工夫し、燃料を研究し、火の熱と光とをあらゆる方面＃
に利用することを考へて來た。しかし火の利用法は、決＃
してこれで完成したといふわけではあるまい。將來は＃
又どんなものが發明されて、今のガスや電氣にかはる＃
ことであらうか。＃
第十六課　無言の行　＃
＜Ｐ－０６９＞
或山寺で、四人の僧が一室に閉ぢこもつて、七日間の無＃
言の行を始めた。小僧一人だけ自由に室内に出入させ＃
て、いろ〳〵の用を足させた。＃
夜が更けるにつれて燈がだん〳〵暗くなり、今にも消＃
えさうになつた。末席に坐つてゐた僧は、それが氣にな＃
つてしかたがない。うつかり口をきいてしまつた。＃
「小僧、早く燈心をかきたててくれ。」＃
隣に坐つてゐた僧が之を聞いて、＃
「無言の行に口をきくといふ事があるか。」＃
第二座の僧は、二人とも規則を破つたのが不快でたま＃
＜Ｐ－０７０＞
らない。＃
「あなたがたはとんでもない人たちだ。」＃
三人とも物を言つてしまつたので、上座の老僧がもつ＃
たいらしい顔をして、＃
「物を言はないのはわしばかりだ。」＃
第十七課　松坂の一夜　＃
本居宣［のり］長［なが］は伊［い］勢［せ］の國松坂の人である。若い頃から讀書＃
がすきで、將來學問を以て身を立てたいと、一心に勉強＃
してゐた。＃
或夏の半ば、宣長はかねて買ひつけの古本屋に行くと、＃
＜Ｐ－０７１＞
主人は愛想よく迎へて、＃
「どうも殘念なことでした。あなたがよく會ひたいと＃
御話しになる江戸の賀［か］茂［も］眞［ま］淵［ぶち］先生が、先程御見えに＃
なりました。」＃
といふ。あまり思ひがけない言葉に宣長は驚いて、＃
「先生がどうしてこちらへ。」＃
「何でも山城・大［やま］和［と］方面の御旅行がすんで、これから參＃
宮をなさるのださうです。あの新［しん］上［じやう］屋［や］に御泊りにな＃
つて、さつき御出かけの途中『何か珍しい本はないか。』＃
と、御立寄り下さいました。」＃
＜Ｐ－０７２＞
「それは惜しいことをした。どうかして御目にかゝり＃
たいものだが。」＃
「後を追つて御いでに＃
なつたら、大てい追ひ＃
つけませう。」＃
宣長は、大急ぎで眞淵の＃
樣子を聞きとつて、後を＃
追つたが、松坂の町はづ＃
れまで行つても、それらしい人は見えない。次の宿のさ＃
きまで行つてみたが、やはり追ひつけなかつた。宣長は＃
＜Ｐ－０７３＞
力を落して、すご〳〵ともどつて來た。さうして新上屋＃
の主人に、萬一御歸りに又泊られることがあつたら、す＃
ぐ知らせてもらひたい＃
と頼んでおいた。＃
望がかなつて、宣長が眞＃
淵を新上屋の一室に訪＃
ふことが出來たのは、そ＃
れから數日の後であつ＃
た。二人はほの暗い行［あん］燈［どん］のもとで對坐した。眞淵はもう＃
七十歳に近く、いろ〳〵りつぱな著書もあつて、天下に＃
＜Ｐ－０７４＞
聞えた老大家。宣長はまだ三十歳餘り、温和なひとゝな＃
りのうちに、どことなく才氣のひらめいてゐる篤［とく］學の＃
壯年。年こそちがへ、二人は同じ學問の道をたどつてゐ＃
るのである。だん〳〵話してゐるうちに、眞淵は宣長の＃
學識の尋常でないことをさとつて、非常にたのもしく＃
思つた。話が古事記のことに及ぶと、宣長は＃
「私はかね〴〵古事記を研究したいと思つてをりま＃
す。それについて何か御注意下さることはございま＃
すまいか。」＃
「それはよいところに氣がつきました。私も實は我が＃
＜Ｐ－０７５＞
國の古代精神を知りたいといふ希望から、古事記を＃
研究しようとしたが、どうも古い言葉がよくわから＃
ないと十分なことは出來ない。古い言葉を調べるの＃
に一番よいのは萬葉集です。そこで先づ順序［じよ］として＃
萬葉集の研究を始めたところが、何時の間にか年を＃
とつてしまつて、古事記に手を延ばすことが出來な＃
くなりました。あなたはまだお若いから、しつかり努＃
力なさつたら、きつと此の研究を大成することが出＃
來ませう。たゞ注意しなければならないのは、順序正＃
しく進むといふことです。これは學問の研究には特＃
＜Ｐ－０７６＞
に必要ですから、先づ土臺を作つて、それから一歩一＃
歩高く登り、最後の目的に達するやうになさい。」＃
夏の夜は更けやすい。家々の戸はもう皆とざされてゐ＃
る。老學者の言に深く感激した宣長は、未來の希望に胸＃
ををどらせながら、ひつそりした町すぢを我が家へ向＃
つた。＃
其の後宣長は絶えず文通して眞淵の教を受け、師弟の＃
關係は日一日と親密の度を加へたが、面會の機會は松＃
坂の一夜以後とう〳〵來なかつた。＃
宣長は眞淵の志をうけつぎ、三十五年の間努力に努力＃
＜Ｐ－０７７＞
を續けて、遂に古事記の研究を大成した。有名な古事記＃
傳といふ大著述は此の研究の結果で、我が國文學の上＃
に不滅の光を放つてゐる。＃
第十八課　貨幣　＃
我々の普通に金錢といつてゐる物の中には、金貨を始＃
め、銀貨・白銅貨・青銅貨がある。これらを總べて貨幣とい＃
ふ。又此の外に貨幣の代りに用ひられる紙幣がある。我＃
我はこれらの貨幣や紙幣を用ひて物品を賣買し、其の＃
他いろ〳〵の用を辨じてゐる。我々は殆ど貨幣・紙幣な＃
くして一日も生活することは出來ぬといつてもよい＃
＜Ｐ－０７８＞
くらゐである。＃
此のやうに便利なものも、其の使用に馴れきつてしま＃
つてゐる我々は、これについて事新しく便利を感ずる＃
こともなく、又之を考案した昔の人々に對して別段感＃
謝の念を起すこともない。しかし今日の貨幣や紙幣を＃
案出するまでには、人間は實に種々樣々なものを使用＃
してみたのである。＃
石・貝・家畜・獸皮・布・農産物などが、時代により場所によつ＃
て、それ〴〵貨幣の役目をしたこともあつた。しかしこ＃
れらの物は、受取る者にそれが不用であつたり、思ふや＃
＜Ｐ－０７９＞
うに分割することが出來なかつたり、其の他いろ〳〵＃
の缺點がある。それで金屬を用ひることを思ひつき、形＃
の上に種々の工夫をこらして、遂に今のやうな貨幣を＃
造つたのである。かうして出來た貨幣は極めて使用に＃
便利ではあるが、尚場合によつては持運びに不便なの＃
で、更に貨幣の代りになる紙幣といふ物を案出した。今＃
では世界各國、貨幣・紙幣を用ひない國はないのである。＃
第十九課　我は海の子　＃
（一）　＃
我は海の子、白波の＃
＜Ｐ－０８０＞
さわぐいそべの松原に、＃
煙たなびくとまやこそ、＃
我がなつかしき住家なれ。＃
（二）　＃
生れて潮に浴して、＃
浪を子守の歌と聞き、＃
千里寄せくる海の氣を＃
吸ひてわらべとなりにけり。＃
（三）　＃
高く鼻つくいその香に、＃
＜Ｐ－０８１＞
不斷の花のかをりあり。＃
なぎさの松に吹く風を、＃
いみじき樂と我は聞く。＃
（四）　＃
丈餘のろかい操りて、＃
行手定めぬ浪まくら、＃
百尋・千尋海の底、＃
遊びなれたる庭廣し。＃
（五）　＃
幾年こゝにきたへたる＃
＜Ｐ－０８２＞
鐵より堅き腕あり。＃
吹く潮風に黒みたる＃
はだは赤銅さながらに。＃
（六）　＃
浪にたゞよふ氷山も、＃
來らば來れ、恐れんや。＃
海まき上ぐるたつまきも、＃
起らば起れ、驚かじ。＃
（七）　＃
いで、大船を乗出して、＃
＜Ｐ－０８３＞
我は拾はん、海の富。＃
いで、軍艦に乗組みて、＃
我は護らん、海の國。＃
第二十課　遠泳　＃
今日は始めての遠泳だと思ふと、何だかうれしいやう＃
な心配なやうな氣がする。＃
空には眞夏の日がきら〳〵とかゞやきわたつてゐる。＃
砂の上を歩いて行くと、足の裏が燒けるやうだ。＃
手や足の關節を曲げたり延ばしたりして、出發の號令＃
を待つ。＃
＜Ｐ－０８４＞
やがて「進め。」の號令と共に、三十人＃
の一組は二列になつて、順々に水＃
の中へとはいつて行く。今日は殊＃
に波も靜かだ。此の分ならば五海＃
里や十海里は何でもない。＃
だん〳〵沖の方へ進んで行くと、＃
水の色はものすごい程濃［こ］い紺色＃
だ。波も追々大きくなつた。ふと見＃
ると、さしわたし六七寸もある大＃
きなくらげが、ふわり〳〵と浮い＃
＜Ｐ－０８５＞
てゐる。＃
竹島を越したと思ふと、急に水が＃
冷たくなつた。何だか氣持の惡い＃
ものだ。しかし又しばらくすると、＃
もとの水の温度にかへつた。＃
手足が大分くたびれて來た。腹も＃
すいた。その中、先に進んでゐた者＃
が二三人列から離れて船に上つ＃
た。僕も急に元氣がなくなつて、一＃
所に船に上らうかと思つたが、「い＃
＜Ｐ－０８６＞
や、こゝががまんのしどころだ。そんな弱いことではだ＃
めだ。」と、自ら勵まして進んで行つた。しかし月島はなか＃
なか來ない。＃
やうやく月島の横を通り越す頃には、もうつかれきつ＃
て氣も遠くなるばかりだ。＃
「しつかりやれ。もう少しだ、もう少しだ。」＃
船の上からはしきりに勵ましてくれる。これに力を得＃
て、又一しやうけんめいに泳いで行く。＃
目ざす大島はもうそこに見える。波打際には大勢の人＃
が旗を振つたり帽子を振つたりして、「萬歳々々。」と叫ん＃
＜Ｐ－０８７＞
でゐる。＃
とう〳〵大島についた。＃
「あゝ、五海里の海上を僕も泳ぎきることが出來たの＃
だ。」＃
かう思ふ瞬［しゆん］間、つかれも何も忘れてしまつて、僕も思は＃
ず「萬歳。」と叫んだ。＃
第二十一課　暦の話　＃
夕食をすましてから、縁がはへ出て凉む。父は空をなが＃
めて、＃
「大層天氣がおだやかになつたね。二百十日もこれで＃
＜Ｐ－０８８＞
無事にすんだ。」＃
と、團扇を使ひながら言つた。すると弟が＃
「おとうさん、二百十日は立春から二百十日目に當る＃
のですね。」＃
と言つて、日數を數へてみようとした。父は暦を持つて＃
來て、＃
「これは略本暦だ。この中にある『通日』で數へて御らん。＃
これは一月一日から數へた日數だ。」＃
かういつて弟の手に渡した。弟はそれを見てしばらく＃
考へてゐたが、すぐ二百十日の通日から立春の前日の＃
＜Ｐ－０８９＞
通日を引去つて、＃
「成程、二百十日＃
目だ。」＃
弟は尚あちらこ＃
ちら暦をくつて＃
ゐるうち、ふと「八＃
十八夜」の文字に＃
目を止めて、＃
「こゝに『八十八夜』とありますが、これは何ですか。」＃
「それも立春から數へると八十八日目で、稻をはじめ＃
＜Ｐ－０９０＞
大ていの物の種をまく目安になる日だ。」＃
僕はこれまで暦といふと、今年は紀元何年であるか、何＃
月何日は何曜日であるか、祝祭日・土用・彼岸・入梅・日食・月＃
食が何時になるかといふやうな事を見るものとばか＃
り考へてゐたので、此の話を聞いて珍しく感じた。父は＃
なほ言葉をつゞけて、＃
「暦を見れば、まだいろ〳〵大切な事がわかる。此の頃＃
の日の出や日の入は何時だらう、滿月は何日頃だら＃
う。こんな事を知るには『日出』『日入』『月齡』を見る。おとう＃
さんが毎年潮干狩によい日を選ぶのも『月齡』を見て＃
＜Ｐ－０９１＞
知るのだ。」＃
父は更に＃
「もつとおしまひの方をあけて御らん。『各地の氣候』と＃
いふ所がある。そこを見ると、臺灣や樺［から］太［ふと］のやうな遠＃
い所の氣候までも大體分る。それから雨雪の量は何＃
處が一番多いか、又一年中で何時頃が一番多いか、こ＃
んなことも記してある。もつとくはしいことは本暦＃
を見るがよい。かういふやうに、暦はわたしたちに日＃
日の事を教へてくれる大切なものだ。」＃
僕はよく年寄の人が新の幾日とか舊の幾日とかいふ＃
＜Ｐ－０９２＞
のを思ひ出して、其の事を父に尋ねた。父は＃
「新は新暦、舊は舊暦のことだ。暦には太陽暦と太陰暦＃
とあつて、日本では明治五年まで太陰暦を用ひてゐ＃
たが、其の翌年から太陽暦を用ひた。それから太陰暦＃
を舊暦、太陽暦を新暦といふやうになつた。」＃
「どうして太陽暦を用ひるやうになつたのですか。」＃
「太陽暦の方がよく季節にあつて都合がよいからだ。＃
太陽暦は春分から春分までを一回歸年といつて、そ＃
れを本としてこしらへたものだ。其の間は約三百六＃
十五日と四分の一だが、便宜上三百六十五日を一年＃
＜Ｐ－０９３＞
とし、普通四年毎に一日の閏［うるふ］をおくことになつてゐ＃
る。ところが太陰暦は月のみちたりかけたりする變＃
化を本としてこしらへたもので、通例十二箇月を一＃
年とするが、此の一年は一回歸年より約十一日少い＃
から、太陽暦とくひちがつて來て、三年にならないう＃
ちに一箇月の閏をおかなければならない。したがつ＃
て二百十日も太陽暦なら大がい九月一日で、ちがつ＃
ても一日ぐらゐのものだが、太陰暦になると三十日＃
もちがふことがある。櫻の咲く季節でも霜の降る季＃
節でも、やはりさうである。こんな不便な暦でも長い＃
＜Ｐ－０９４＞
間の習慣［くわん］で、今でも使つてゐるものがあるやうだ。」＃
最後に父は＃
「暦は實に重寶なものだ。こんな重寶なものがあるの＃
に、それを利用しないでゐるのは寶の持ちぐされだ。」＃
と言葉をそへた。＃
第二十二課　リンカーンの苦學　＃
アメリカ合衆國第十六代の大統領リンカーンは、今か＃
ら百年餘り前、ケンタッキー州の片田舍の貧しい家に生＃
れた。＃
リンカーンが七歳の時、一家はインディアナ州に移つた＃
＜Ｐ－０９５＞
が、さしあたり家がなくてはならぬので、父は自分で木＃
を切出して小さな家を造つた。それは三方が丸太の壁＃
で、一方は明けはなしになつてゐて、戸も窓も床もない＃
ものであつた。家が出來てから次に土地を開きにかゝ＃
つた。リンカーンは其の頃からもう父の手助をしなけ＃
ればならなかつた。父が木を伐れば自分は雜草をかり＃
取る、父が畠を打てば自分は種をまくといふ風にかひ＃
がひしく働いてゐた。＃
一家の暮し向は誠にあはれなもので、食物なども自由＃
には得られず、時には生のじやがいもしか食はれない＃
＜Ｐ－０９６＞
こともあつた。かういふ有樣であつたから、リンカーン＃
は十歳頃までは本を讀むことなどは殆ど出來なかつ＃
た。唯通りがかりの旅人から珍しい話を聞いては、僅か＃
に心をなぐさめてゐた。＃
かうしてゐるうちに、知識を得たいといふ彼の欲［よく］望は＃
益〻強くなり、父に對して是非學校に入れてもらひたい＃
と願つたけれども、父は學校へ行つて時間をつぶすよ＃
りも畠に出て働いた方がよいといつて、なか〳〵許し＃
てくれなかつた。ところが母のとりなしで終に學校に＃
入ることが出來たので、リンカーンの喜は一通りでな＃
＜Ｐ－０９７＞
かつた。學校は四哩＃
餘りも離れてゐた＃
が、路の遠いのは少＃
しもいとはず、毎日＃
毎日元氣よく通學＃
した。鉛筆や紙も自＃
由には買へなかつ＃
たから、家で算術の練習をするには、木のシャベルと炭を＃
用ひた。シャベルが數字で眞黒になると、それをふいては＃
又書く。大事なことは拾ひ集めた木片などに書留めて＃
＜Ｐ－０９８＞
忘れないやうにしておく。かういふ心掛であつたから、＃
成績は何時も優等であつた。＃
しかしせつかく始めた學校通ひも、家事のために僅か＃
一年足らずで止めねばならなくなつた。それからは又＃
父の手助をしたり、人にやとはれたりすることになつ＃
たが、本を讀みたいといふ心は少しも變らなかつた。と＃
ころが家に書物がないばかりでなく、近くに圖書館も＃
ないので、どうしても人から借りて讀む外はなかつた。＃
熱心なリンカーンは、書物を持つてゐる人の所には遠＃
近を問はず借りに行つた。さうして其の本の内容がす＃
＜Ｐ－０９９＞
つかりわかつてしまふまでは何度でも讀む。かうして＃
イソップ物語やロビンソン、クルーソーや合衆國史等を＃
讀んだ。＃
或時近邊の人からワシントン傳を借りたことがある。＃
リンカーンはかね〴〵此の偉［ゐ］人を非常にしたつてゐ＃
たので、鬼の首でも取つた氣になつて一心に讀續けた。＃
晝の仕事の合間に讀むのは勿論、夜は床に就いてから＃
燈が盡きるまで讀む。燈が盡きると翌朝すぐ手に取れ＃
るやうに、まくらもとの壁際に置く。ところが或夜、夜中＃
に激しい雨が降つたことがある。リンカーンがふと目＃
＜Ｐ－１００＞
を覺した時はもう遲かつた。壁のすき間をもつた雨の＃
ために、本がすつかりぬれてゐたので、子供心にも大變＃
心配して、其の晩はとう〳〵眠れなかつた。翌朝貸して＃
くれた人の家に行つて事情を述べ、＃
「辨しやうすることが出來ませんから、其の代りに何＃
か仕事をさせて下さい。」＃
と願つた。其の人は別にとがめもせず、願に任せて三日＃
間畠の草をとらせ、さうして本は其のまゝリンカーン＃
にやつた。リンカーンは其の本をていねいに乾かして、＃
其の後何度も〳〵讀返してゐるうちに、此の偉人の品＃
＜Ｐ－１０１＞
性に深く感化された。＃
リンカーンは父の手助をして忠實に働くと共に、非常＃
な熱心と努力とをもつて勉強を續けた。彼が他日大統＃
領となり、世界の偉人として萬人に仰がれるやうにな＃
つたのは、實に此の少年時代の苦心のたまものである。＃
第二十三課　南米より（父の通信）　＃
一　＃
御手紙拜見致候。二人ともよく勉強し居らる＃
る由、安心致候。勉強も大切なれど、體にも精々＃
御注意なさるべく候。＃
＜Ｐ－１０２＞
目下＃
滯在＃
中の＃
リオ、＃
デ、ジャ＃
ネー＃
ロ市＃
は、ブ＃
ラジル國の首府にて非常に景色よく、港とし＃
ても有名なる處に候。町のりつぱなる事も、文＃
＜Ｐ－１０３＞
明諸國の大都會に比して少しも劣る所これ＃
なく候。此のブラジル國は、廣さ我が國の十三＃
倍もこれあり、其の大部分は熱帶に屬し居候＃
へども、中央の高地や海岸地方の大半は割合＃
に凉しく、殊に温帶に屬する南部の諸州にて＃
は、四季の變化も日本の如くはつきり致居候＃
由、唯をかしきは日本の秋が春、日本の冬が夏＃
といふ樣に季節の相反する事に候。＃
二　＃
此の手紙と一しよに、繪葉書をたくさん小包＃
＜Ｐ－１０４＞
にて送り申候。其の中＃
に有名なるアマゾン＃
河や、イグアッスーの大＃
瀑布の壯觀を寫した＃
るものもこれあり候。＃
アマゾン河は全長五＃
千五百キロメートル、＃
世界の河の王といは＃
れ居候。河幅は驚く程＃
の廣さにて、河口の處＃
＜Ｐ－１０５＞
にては、三百二十キロメートルもこれある由、＃
略〻東京・豐橋間の距［きよ］離に當り候。次にイグアッス＃
ーの瀧は、ブラジル國と隣のアルゼンチン國＃
との境にある大瀑布にて、高さ五十五メート＃
ル、幅三千六百メートル、其の壯觀實に筆舌に＃
盡くし難く候。＃
三　＃
二週間ばかり前より南方のサンパウロ市に＃
參り居候。此の邊は南米中、日本人の最も多く＃
住める處にて、何處に行きても日本人を見か＃
＜Ｐ－１０６＞
け候は甚だ愉［ゆ］快に候。殊に日本人の小學校あ＃
りて、御前たちぐらゐの子供が通學し居るを＃
見ては、殆ど身の南米に在るを忘れ候。＃
世界に名高きブラジルコーヒーの主要なる＃
産地も此の邊にて、甘蔗［しや］・綿花・米等もよく出來＃
る由に候。昨日知人に誘はれてコーヒー園見＃
物に出掛け候。大勢の人々が熟したるコーヒ＃
ーの實を手にてこき落し、之を集めてみぞに＃
投入れ候へば、まじりたる石・砂などは沈み、實＃
のみ浮びて流れ候を、下流にてすくひ上げ、之＃
＜Ｐ－１０７＞
を廣きほし場にて乾かし候。之を機械にかけ＃
て皮を除き、袋に入れて外國に輸出する由に＃
候。＃
コーヒー園には多くの日本人が働き居候。中＃
にも十三四ばかりの子供が、各國人の間にま＃
じりてかひ〴〵しく立働ける樣を見ては、如＃
何にもけなげに存ぜられ候。＃
四　＃
森林地開墾［こん］の樣子を視察致居候ため、しばら＃
く無沙汰に打過ぎ候。＃
＜Ｐ－１０８＞
ブラジルは何處へ參りても果なき原野と森＃
林とに候。原野は大てい牧場にて、牛馬は放し＃
飼にせられ居候。森林には大木すき間もなく＃
繁茂し、＃
其の根＃
本には、＃
つる草・＃
潅［くわん］木な＃
ど思ふ＃
まゝに＃
＜Ｐ－１０９＞
はびこり居候。かゝる處にても日本人が盛に＃
開墾に從事致居り、其の有樣は如何にも男ら＃
しく勇ましきものに候。＃
先づ柄［え］の長さ一間もあるなたにて潅木を伐＃
拂ひ、次にをのを振るつて大木を伐るに、三抱＃
も四抱もあるものが地ひゞきを打つて倒る＃
る樣、壯快言語に絶し候。伐倒したる木は乾く＃
まで其のまゝに致置き、さて四方より火を放＃
てば、天をもこがすばかりのほのほをあげて＃
燃ゆる光景は、實にすさまじきものに候。燃え＃
＜Ｐ－１１０＞
あとは取片附けて畠とし、コーヒー・わたの木＃
などを植付け申候。＃
ブラジルの視察も大體終り候間、程なく歸國＃
致すべく候。＃
第二十四課　孔明　＃
白雲いう〳〵去り又來る。＃
西窓一片殘月あはし。＃
＜Ｐ－１１１＞
うき世をよそなるしづけき住居、＃
出でては日毎畑を打ち、＃
入りては机に書［ふみ］をひもとく。＃
雪降りみだるゝ冬のあしたに、＃
風なほ冷たき春のゆふべに、＃
劉［りう］備［び］が三顧のこよなき知遇［ぐう］、＃
我が身をすてて報いんと、＃
起ちてぞ出でぬる、草のいほりを。＃
＜Ｐ－１１２＞
天下を定むる三分の計、＃
たなそこの上に指さすがごと。＃
いしずゑ固めし蜀［しよく］漢の國、＃
漢中王はおごそかに＃
帝の位をふませ給ひぬ。＃
二代の帝に盡くす眞心、＃
強敵ひしぎて世をしづめんと、＃
三軍進めし五丈原頭、＃
はかなく露と消えしかど、＃
＜Ｐ－１１３＞
其の名はくちせず、諸［しよ］葛［かつ］孔［こう］明［めい］。＃
第二十五課　自治の精神　＃
我が國の地方自治團體には、府・縣・市・町・村の別がある。其＃
の土地に廣い狹いがあり、其の組織に繁簡の差がある＃
にしても、地方自治の精神に基づいて其の團體の幸福＃
＜Ｐ－１１４＞
を進め、國運の發展を期することは皆同じである。＃
一體自治の精神とは何であるか。地方人民が協同一致＃
して自ら地方公共の事に當り、誠意其の團體の爲に力＃
を盡くす精神が即ちそれである。此の精神は實に自治＃
制の根本であり、又其の生命である。一般人民が府縣市＃
町村會議員を選擧するにも、府縣市會で參事會員を選＃
擧するにも、市町村會で市町村長を選擧するにも、皆此＃
の精神を本としなければならない。又市町村長が其の＃
事務を處理するにも、議員が豫算を議するにも、常に此＃
の公平な精神をもつてしなければならない。＃
＜Ｐ－１１５＞
市町村長や議員を選擧するには、專ら其の人物に重き＃
をおいて、決して親族・縁故其の他私交上の關係の爲に＃
心を迷はすやうなことがあつてはならない。まして威＃
力によつて強制するとか、私利によつて勸誘するとか＃
いふやうな手段を用ひたり、又此の手段に動かされた＃
りするのは、自治の精神に全く反するものである。本當＃
に自治の精神に富んでゐる者は、公平無私、地方公職の＃
爲の適任者を擧げることだけを考へて、決して私心を＃
もたないのである。＃
公吏・議員等、直接間接に公共の事務に當る者は、如何に＃
＜Ｐ－１１６＞
其の職務に忠實であつても、一般の人民の後援がなけ＃
れば自治團體の圓滿な發達を望むことは出來ない。そ＃
れであるから人々は常に自治制の本旨を辨へ、協同一＃
致して團體の福利を増進することを心掛けねばなら＃
ない。例へば教育・衞生等の自治團體の事業は、地方人民＃
が一般に之を尊重し、之に協力することによつて、始め＃
て其の効果を完全に擧げることが出來る。又産業組合＃
を設けたり、慈善事業を起したり、又は青年團を組織し＃
て産業の發達、風俗の改善等に務めたりするのは、皆公＃
共心の發動であつて、自治の精神を養成し、自治團體を＃
＜Ｐ－１１７＞
助長するものであるから、地方人民は大いにこれ等の＃
事業に力を盡くさねばならぬ。＃
制度を運用するのは人である。自治制も、之を運用する＃
人民に自治の精神が乏しければ、よい結果を得ること＃
は到底望まれない。＃
第二十六課　ウェリントンと少年　＃
昔イギリスの或大きな農場で、農場主が大勢の人の耕＃
作するのを監［かん］督してゐた。＃
ふと向ふを見ると、銃獵［れふ］に出たらしいりつぱな騎馬の＃
人たちが、眞一文字にこちらへかけて來る。農場主はせ＃
＜Ｐ－１１８＞
つかくよく出來てゐる麥を、たくさんの馬や犬にふみ＃
あらされてはたまらないと思つて、そばに居た自分の＃
子に、＃
「ジョージ、早く行つて農場の門をしめろ。人が何と言つ＃
ても決してあけるな。」＃
と言ひつけた。＃
ジョージがとんで行つて門の戸にくわんぬきをさすが＃
早いか、騎馬の人たちはもう門の外まで乗りつけた。さ＃
うしてジョージに早くあけて通すやうにと言つた。する＃
とジョージは、＃
＜Ｐ－１１９＞
「皆さん、此處は通れません。僕はおとうさんから、誰が＃
來ても此の門をあけてはならないと言ひつけられ＃
てゐるのです。」＃
と言つてどうしてもあけない。騎馬の人たちは、あけな＃
いとなぐるぞと言つておどしたり、あけてくれゝばお＃
禮に金貨をやると言つてすかしたりした。しかしジョー＃
ジは依然として、＃
「おとうさんは、誰が來ても此の門をあけてはならな＃
いと僕に言ひつけました。」＃
とくり返すばかりであつた。最後に目つきのやさしい＃
＜Ｐ－１２０＞
老紳士が言つた。＃
「私は公爵［しやく］ウェリントンだ。よい子だから私の頼をきい＃
てくれ。」＃
ジョージは、かねてウェリントン公爵が勲功も高く、りつぱ＃
な人物であるといふ事を聞いてゐたので、帽子をぬい＃
で恭しく敬禮して、さて靜かに口を開いた。＃
「ウェリントン公爵ともいはれるえらいお方が、おとう＃
さんの言ひつけに背けとおつしやらうとは、どうし＃
ても考へられません。僕は、誰が來ても此の門をあけ＃
てはならないとおとうさんに言はれてゐるのです。」＃
＜Ｐ－１２１＞
公爵はひどく此の答が氣に入つた。さうして自身も帽＃
子をぬいで答禮し、一同を引連れて立去つた。＃
ジョージは後を見送つて、帽子を振りながら叫んだ。＃
「ウェリントン公爵萬歳。」＃
第二十七課　ガラス工場　＃
昨日橋本君と一しよに町はづれのガラス工場を見に＃
行つた。＃
最初にはいつたのは原料を調合するところで、マスク＃
をかけた職工が珪［けい］砂にソーダ灰や石灰石の粉を入れ＃
てかきまぜてゐた。シャベルでざく〳〵かきまぜると、白＃
＜Ｐ－１２２＞
い粉が一面に煙のやうに＃
立ちのぼつて、目も口もあ＃
けられない。こんなところ＃
で毎日働いてゐる人たち＃
は、どんなにつらいことで＃
あらうと思つた。＃
次の建物にはいると、こゝ＃
には熔［よう］解［かい］窯［がま］がある。とけた＃
ガラスが中でぎら〳〵か＃
がやいてゐる。窯の周圍に＃
＜Ｐ－１２３＞
は、八九人の職工が汗を流＃
して働いてゐる。細長い管＃
の一端を、とけたガラスの＃
中に突つこんで引出すと、＃
先に赤い玉がくつついてゐる。一端に口を當てて息を＃
吹きこむと、ぷうつとふくれる。ふり動かしては又吹く。＃
いよ〳〵大きくなる。まるであめ細工のやうである。見＃
てゐるうちに大きなフラスコが出來た。こちらを見る＃
と、そこではちよつと吹いて型［かた］に入れ、又吹いて型から＃
出す。何が出來るであらうかと思つてゐると、いろ〳〵＃
＜Ｐ－１２４＞
扱つてゐるうちに臺付のコツプになつた。實にうまい＃
ものである。＃
橋本君にうながされて、次の室にはいつた。こゝは加工＃
場である。調べかはの廻るにつれて、石や木や金の圓板＃
が車輪のやうに廻つてゐる。エプロンをかけた職工が＃
ガラスの皿やコツプなどを、此の圓板にあてて模樣を＃
ほりつけたり、みがきをかけたりしてゐる。隣の室では、＃
職工が五六人ならんで、ガラス器にいろ〳〵の模樣を＃
つけてゐる。＃
歸りがけに事務所の陳［ちん］列棚を見せてもらつた。皿・コツ＃
＜Ｐ－１２５＞
プをはじめ、鉢・びん・花びん・水さしなどがきれいに並ん＃
でゐた。取分け美しかつたのは電燈の笠で、赤・黄・紫・緑と＃
りどりに目もさめるばかりであつた。＃
第二十八課　鐵眼の一切經　＃
一切經は、佛教に關する書籍を集めたる一大叢［そう］書にし＃
て、此の教に志ある者の無二の寶として貴ぶところな＃
り。しかも其の卷數幾千の多きに上り、これが出版は決＃
して容易の業に非ず。されば古は、支那より渡來せるも＃
のの僅かに世に存するのみにて、學者其の得がたきに＃
苦しみたりき。＃
＜Ｐ－１２６＞
今より二百數十年前、山城宇［う］治［ぢ］の黄［わう］檗［ばく］山萬福寺に鐵［てつ］眼［げん］＃
といふ僧ありき。一代の事業として一切經を出版せん＃
事を思立ち、如何なる困難を忍びても、ちかつて此のく＃
はだてを成就せんと、廣く各地をめぐりて資金をつの＃
ること數年、やうやくにして之をとゝのふる事を得た＃
り。鐵眼大いに喜び、將に出版＃
に着手せんとす。たま〳〵大＃
阪に出水あり。死傷頗る多く、＃
家を流し産を失ひて、路頭に＃
迷ふ者數を知らず。鐵眼此の＃
＜Ｐ－１２７＞
状を目撃して悲しみにたへず。つら〳〵思ふに、「我が一＃
切經の出版を思立ちたるは佛教を盛にせんが爲、佛教＃
を盛にせんとするは、ひつきやう人を救はんが爲なり。＃
喜捨を受けたる此の金、之を一切經の事に費すも、うゑ＃
たる人々の救助に用ふるも、歸する所は一にして二に＃
あらず。一切經を世にひろむるはもとより必要の事な＃
れども、人の死を救ふは更に必要なるに非ずや。」と。すな＃
はち喜捨せる人々に其の志を告げて同意を得、資金を＃
悉く救助の用に當てたりき。＃
苦心に苦心を重ねて集めたる出版費は、遂に一錢も殘＃
＜Ｐ－１２８＞
らずなりぬ。然れども鐵眼少しも屈せず、再び募［ぼ］集に着＃
手して努力すること更に數年、効果空しからずして宿＃
志の果さるゝも近きにあらんとす。鐵眼の喜知るべき＃
なり。＃
然るに、此の度は近畿［き］地方に大飢［き］饉［きん］起り、人々の困苦は＃
前の出水の比に非ず。幕府は處々に救小屋を設けて救＃
助に力を用ふれども、人々のくるしみは日々にまさり＃
ゆくばかりなり。鐵眼こゝにおいて再び意を決し、喜捨＃
せる人々に説きて出版の事業を中止し、其の資金を以＃
て力の及ぶ限り廣く人々を救ひ、又もや一錢をも留め＃
＜Ｐ－１２９＞
ざるに至れり。＃
二度資を集めて二度散じた＃
る鐵眼は、終に奮つて第三回＃
の募集に着手せり。鐵眼の深＃
大なる慈悲心と、あくまで初＃
一念をひるがへさざる熱心＃
とは、強く人々を感動せしめ＃
しにや、喜んで寄附するもの＃
意外に多く、此の度は製版・印＃
刷の業着々として進みたり。かくて天和元年鐵眼が初＃
＜Ｐ－１３０＞
度の募集を始めてより十八年の後に至りて、一切經六＃
千九百五十六卷の大出版は遂に完成せられたり。これ＃
世に鐵眼版と稱せらるゝものにして、一切經の廣く我＃
が國に行はるゝは、實に此の時よりの事なりとす。此の＃
版木は今も萬福寺に保存せられ、三棟百五十坪の倉庫＃
に滿ち〳〵たり。＃
福田行［ぎやう］誡［かい］かつて鐵眼の事業を感歎していはく、「鐵眼は＃
一生に三度一切經を刊［かん］行せり。」と。＃
尋常小學國語讀本卷十一終＃
