＜出典＞３６２　　　国定読本　３期６－２
＜Ｐ－０００＞
目録　＃
第一課　明治天皇御製………一　　第十五課　まぐろ網………七十六　＃
第二課　出雲大社………四　　第十六課　鳴門………八十　＃
第三課　チャールス、ダーウィン………九　　第十七課　間宮林藏………八十一　＃
第四課　新聞………十四　　第十八課　法律………八十八　＃
第五課　蜜柑山………十九　　第十九課　釋迦………九十　＃
第六課　商業………二十二　　第二十課　奈良………九十九　＃
第七課　鎌倉………二十四　　第二十一課　青の洞門………百三　＃
第八課　ヨーロッパの旅………二十八　　第二十二課　トマス、エヂソン………百十一　＃
第九課　月光の曲………三十七　　第二十三課　電氣の世の中………百十五　＃
第十課　我が國の木材………四十五　　第二十四課　舊師に呈す………百十九　＃
第十一課　十和田湖………四十九　　第二十五課　港入………百二十二　＃
第十二課　小さなねぢ………五十二　　第二十六課　勝安芳と西郷隆盛………百二十四　＃
第十三課　國旗………六十　　第二十七課　我が國民性の長所短所………百三十二　＃
第十四課　リヤ王物語………六十五　＃
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尋常小學國語讀本卷十二　＃
第一課　明治天皇御製　＃
古のふみ見るたびに思ふかな、＃
おのが治むる國はいかにと。＃
淺緑すみわたりたる大空の＃
ひろきをおのが心ともがな。＃
大空にそびえて見ゆるたかねにも、＃
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のぼればのぼる道はありけり。＃
ほど〳〵に心を盡くす國民の＃
ちからぞやがてわが力なる。＃
さし昇る朝日の如く、さわやかに＃
もたまほしきは心なりけり。＃
よきを取りあしきを捨てて、とつ國に＃
おとらぬ國となすよしもがな。＃
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荒駒［ごま］を馴らしがてらに、野邊遠く＃
櫻がりするますらをのとも。＃
いづ方に志してか、日盛りの＃
やけたる道を蟻［あり］の行くらむ。＃
はる〴〵と風のゆくへの見ゆるかな、＃
すゝきがはらの秋の夜の月。＃
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海［うな］原はみどりに晴れて、濱松の＃
こずゑさやかにふれる白雪。＃
第二課　出［いづ］雲［も］大社　＃
松江を發したる汽車は風光繪の如き宍［しん］道［ぢ］湖畔［はん］を走る＃
こと約四十分、やがて新川を渡り更に進みて斐［ひ］伊［い］川の＃
鐵橋にかゝる。傍なる人のいふやう、「此の川は古の簸［ひの］川［かは］＃
にして、かのをろち退治の傳説あるは此の川の川上な＃
り。」と。＃
今市を過ぎ、大社驛に着きぬ。停車場の外に出づれば、秋＃
晴の空はあくまですみて、暖さ春の如し。旅行にはよき＃
＜Ｐ－００５＞
日なりなど思ひつゝ、參詣＃
人の群にまじりて行けば＃
大鳥居あり、巨［きよ］人の如く我＃
がゆくてに立つ。七十五尺＃
の大鳥居とは、これなるべ＃
し。＃
やがて打續く松並木の間＃
を過ぎて境内に入り、先づ＃
拜殿の前にぬかづく。＃
昔、大國主命［みこと］賊を平げ民を＃
＜Ｐ－００６＞
なつけて、威勢四隣に並ぶものなし。時に天照大神の使＃
者建［たけ］御［み］雷［かづち］命此の地に來りていふやう、＃
「大神の勅にいはく、『此の葦［あし］原の中つ國は皇孫之をし＃
ろしめすべし。』と。快く此の國をたてまつり給ふや如＃
何に。」＃
大國主命答へていはく、＃
「我もとよりいなみ奉る心なし。我が子事［こと］代［しろ］主［ぬし］とはか＃
りて答へ申さん。」＃
此の時事代主命はすなどりのため美［み］保［ほの］崎［さき］といふ處に＃
ありしが、使を得て急ぎ歸り、父君に申すやう、＃
＜Ｐ－００７＞
「かしこし。仰のまゝにたてまつり給へ。」＃
こゝにおいて大國主命、＃
「此の葦原の中つ國を皇孫にたてまつりて、とこしへ＃
に天つ日嗣［つぎ］を護りまつらん。」＃
と申して恭しく國土をたてまつりぬ。大神其の眞心の＃
厚きを賞して、命の爲に壯大なる宮殿を造らしめ給ふ。＃
これ即ち出雲大社の起原なり。＃
此の社は規模の大なるを以て世に知られ、本殿の如き＃
其の高さ實に八十尺に及ぶ。千木のほとりを飛ぶ鳩［はと］の、＃
さながら雀の如く見ゆるも、社殿の高大なる爲なるべ＃
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し。＃
寶物殿に入りて拜觀するに、火きり＃
ぎね・火きりうすといふものあり。太＃
さ中指ほどなる細長き棒と、幅四五＃
寸長さ三尺ばかりの厚板となり。此＃
の棒を此の板の上にてきりをもむ＃
が如く廻せば、摩［ま］擦［さつ］によりて火を生＃
ず。此の社にては、今も太古の法に從＃
ひ、之によりて火を作るといふ。＃
境内を出でて海岸に到る。稻［いな］佐［さ］の濱＃
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といふ處なり。かの建御雷命が大國主命と會見せられ＃
しは此處なりといふ。折から日は地平線に近づきて、雲＃
も水も金色に輝き、美しさいふばかりなし。なぎさに立＃
ちて昔をしのべば、そのかみ此處にいかめしく向ひあ＃
ひけん英雄の姿、今まのあたり見るが如く、打寄する波＃
の音さへ何事をか語るに似たり。＃
第三課　チャールス、ダーウィン　＃
チャールス、ダーウィンは今から百年餘り前イギリスに生＃
れた。ごく小さい時分から動植物に深い趣味を持ち、又＃
物を集めることがすきで、貝殼［がら］や鑛石などを室内に並＃
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べては一人で樂しんでゐた。＃
九歳の時始めて學校にはいつたが、餘りすばしこい生＃
れつきでなかつたので、先生にもむしろ中以下の生徒＃
と思はれてゐた。又父には＃
「お前のやうに犬の世話やねずみを取ることにばか＃
り熱心では困るではないか。」＃
といつて叱られたことがあつた。＃
十歳の頃には昆［こん］蟲採集を始めた。又いろ〳〵の鳥を注＃
意して見ると、それ〴〵違つた面白い習性をもつてゐ＃
るので、見れば見る程興味がわき、人はなぜみんな鳥類＃
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の研究をしないだらうと不思議に思ふやうになつた。＃
父はダーウィンを醫者にしようと思つて大學へやつた。＃
温順な彼は父の命に從つて＃
勉強してゐたが、何時の間に＃
か好きな博物學の研究が主＃
となつてしまつた。＃
此の頃のことであつた。或日＃
彼が古木の皮をむくと、珍し＃
い甲蟲が二匹ゐた。早速兩手に一匹づつつかむと、又一＃
匹變つたのが見えた。これも逃しては大變と、いきなり＃
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右の手の蟲を口の中へ投込んだ。投込まれた蟲は苦し＃
まぎれに恐しく辛い液［えき］を出したので、思はず吐出すと、＃
蟲は得たりと逃げてしまつた。此の時にはもう三番目＃
の蟲はどこへ行つたかわからなかつた。＃
彼が探檢船ビーグル號に乗込んで意氣揚々と本國を＃
出發したのは、二十三歳の時である。かくて世界の各地＃
をめぐつて、歡喜の眼を輝かしながら、博物學や地質學＃
の實地研究につとめ、種々の材料を集めて本國に歸つ＃
たのはそれから五年の後である。此の航海によつて彼＃
の博物學者としての基礎［そ］が十分に出來、一生の方針が＃
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はつきりときまつた。＃
ダーウィンは興味を覺えると、あくまでそれにこる性質＃
で、一度何かをし始めたら、滿足な結果を得るまでは決＃
して中途でやめなかつた。しかも日常生活は極めて規＃
則正しく、毎日きめた時間割通りに仕事を進めて、たと＃
へ十分、十五分の餘暇でも無益に費すことがなかつた。＃
ダーウィンの後半生は病氣がちであつたが、此の規則正＃
しい生活とふだんの養生とによつて、七十四歳の長壽［じゆ］＃
を保つことが出來た。さうして廣く動植物を研究して、＃
生物は總べて長年月の間には次第に變化し、下等なも＃
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のから高等なものへと進むものであるといふことを＃
證明した。これが有名な進化論で、學界を根本から動か＃
したものである。＃
第四課　新聞　＃
世の出來事を速に知らんとするは人情の常なり。され＃
ば珍しき事件の起りし時、之を記述して印刷に附し、廣＃
く發賣することは古より行はれたりしが、印刷術の幼＃
稚［ち］なる時代にありては、唯をり〳〵興味ある特殊の事＃
件を報道するに過ぎざりき。されど人智の進歩と印刷＃
術の發達とは、何時までもかく單純にして遊戲的なる＃
＜Ｐ－０１５＞
ものに滿足すべくもあらず、やがてあまねく内外の事＃
件を報ずると共に時事を論ずるもの起りて、こゝに始＃
めて我等の生活に切實なる關係を有するものとはな＃
りぬ。我が國にてかゝる新聞の現れたるは維［ゐ］新前後に＃
して、其の後數十年の間に驚くべき發達を遂げたり。＃
勿論今日我が國にて發行せらるゝ新聞中にも大小種＃
種ありて、一がいには言難けれども、相當に名ある新聞＃
は、通信に、印刷に、あらゆる文明の利器を用ふるを以て、＃
今や遠くヨーロッパに起りし事件も僅か一兩日にして＃
讀者に報道せらる。＃
＜Ｐ－０１６＞
然らばかくの如き新聞は如何にして編輯［しふ］せられ、印刷＃
せられ、讀者に配布せらるゝか。＃
先づ社の組織について述べん。これも社によりて多少＃
の相違はあれども、多くは總務局ありて全體を統べ、編＃
輯・營業の二局ありて、編輯に關することは前者之を司＃
どり、販賣・廣告に關することは後者之を擔當す。しかし＃
て編輯局は更に編輯部・政治部・經濟［ざい］部・社會部・通信部・外＃
報部・學藝［げい］部・寫眞部・校正部等に分れ、各部にそれ〴〵掛＃
の記者又は技術家ありて、或は出でて材料を取り、或は＃
社内にありて編輯事務にたづさはる。此の外、國内各地＃
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は勿論、世界各國主要の地に特派［は］員又は通信員ありて、＃
事件起れば直に電話又は電信にて通知し來る。＃
さて編輯部にては刻々集り來る原稿［かう］を選擇［たく］整理し、繪＃
畫・寫眞等と共に之を印刷部に送る。印刷部にては直に＃
所要の活字を拾ひて之を組み、校正刷を刷りて校正部＃
に廻す。校正終れば紙型［けい］に取り、更に之をもととして鉛＃
版を造り、印刷機にかく。＃
かくいへば、頗る繁雜にして多大の時間を要する如く＃
なれども、原稿締［しめ］切時刻より刷出まで其の間僅かに數＃
十分、以て其の如何に速なるかを知るべし。殊に驚くべ＃
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きは輪轉機の能力なり。卷取＃
紙とて幅三尺六寸、長さ一萬＃
六千尺餘りのものを之に取＃
りつくれば、機械は電力によ＃
りて働き、印刷も切斷も人手＃
を要せず、一臺よく一分間に＃
四百五十枚を印刷すといふ。＃
かくて刷上りたる新聞は、直＃
に販賣部を經て遠近に發送＃
せらる。但し大新聞にありて＃
＜Ｐ－０１９＞
は、比較［かく］的早く印刷したるものをば地方版として遠隔＃
の地方へ送り、新しき事件ある毎に改版して、最後の最＃
も新しきものを市内版とす。されば同一日附の同じ新＃
聞にても、發行地にて受取るものと他地方にて受取る＃
ものとは、記事に多少の相違あるを常とす。＃
第五課　蜜柑山　＃
沖を走るは丸屋の船か、＃
丸にやの字の帆が見える。＃
調子のよい蜜［み］柑［かん］取歌がすみきつた晩秋の空氣をふる＃
はして、何處からともなくのどかに聞えて來る。今登つ＃
＜Ｐ－０２０＞
て來た方を振返つて見ると、幾＃
段にも幾段にもきづき上げら＃
れた山畑には、蜜柑の木が行儀［ぎ］＃
よく並んでゐる。どれを見ても、＃
枝といふ枝にはもう黄金色に＃
色づいた實が鈴［すゞ］なりになつて＃
ゐる。黒い程こい緑の葉の間か＃
ら、其の一つ〳〵が日の色には＃
えてくつきりと浮出てゐるの＃
が見える。＃
＜Ｐ－０２１＞
又少し登る。どの山を見てもど＃
の谷を見ても、蜜柑の木でない＃
處はない。ふと見ると、ついそば＃
の木の下では、かごを首に掛け＃
た二三人の男が、器用な手つきで蜜柑を採つてゐる。さ＃
つきの歌の主であらう。あちらでもこちらでも、さえた＃
はさみの音がちよきん〳〵と聞える。＃
ふもとの川を白帆が二つ三つ通つて行く。あれは港の＃
親船へ蜜柑を運んで行くのであらう。小春日和の暖さ＃
にとけて、其處からも夢のやうに船歌が聞えて來る。＃
＜Ｐ－０２２＞
第六課　商業　＃
商業は之に從事する商人だけを利するためのもので＃
はない。商人たる者は、よく共同生活の眞意義を辨へ、品＃
質のよい品物をなるべく安價になるべく敏速に供給＃
して、廣く公衆の爲を計らなければならぬ。これ即ち世＃
間の信用を博して堅實に自己の事業を發展させる道＃
である。＃
買ふ人の無智に乗じて安い品を高く賣付け、見本には＃
精良な品を使つて、實際の注文に對しては粗惡なもの＃
を送るやうな事は、人として爲すべからざる事である。＃
＜Ｐ－０２３＞
又單に損益の點から見ても、かやうな仕方は唯一時の＃
利益を得るに止つて、永續することが出來ないから、つ＃
まりは小利をむさぼつて大損を招く結果になる。＃
外國貿易に至つては、之に從事する者の心掛け如何の＃
影響［きやう］が更に大きい。即ち一人の貿易商が外人の信用を＃
失ふやうな事をすれば、忽ち國全體の商品の信用に關＃
係して、貿易の不振を招き國運の發展をもさまたげる＃
ことになる。外國貿易業者はかへす〴〵深く此の點に＃
注意しなければならぬ。＃
昔は個人の利益を營むのが商業であると思はれてゐ＃
＜Ｐ－０２４＞
た。それ故大多數の商人は、自己の利益を除いては、殆ど＃
何物をも眼中に置かず、忍耐も努力も要するに皆自己＃
の爲であつた。彼等が町人といつて賎しめられたのも＃
其の爲であらう。これはひつきやう文明の程度が低い＃
ために、共同生活の意義が明らかでなく、隨つて商業の＃
本質が理解されず、商人の人格が重んぜられなかつた＃
からである。文明の進んだ今日尚此のやうな考を持つ＃
のは、大きな誤といはねばならぬ。＃
第七課　鎌倉　＃
七里が濱のいそ傳ひ、＃
＜Ｐ－０２５＞
稻［いな］村［むら］が崎、名將の＃
劔投ぜし古戰場。＃
極樂寺坂越え行けば、＃
長［は］谷［せ］觀音の堂近く、＃
露坐の大佛＃
おはします。＃
由［ゆ］比［ひ］の濱邊を＃
右に見て、＃
＜Ｐ－０２６＞
雪の下道＃
過行けば、＃
八幡［まん］宮の＃
御やしろ。＃
上るや石のきざはしの＃
左に高き大いてふ、＃
問はばや遠き世々の跡。＃
若宮堂の舞の袖、＃
＜Ｐ－０２７＞
しづのをだまきくりかへし＃
かへしし人をしのびつゝ。＃
鎌倉宮にまうでては、＃
盡きせぬ親［み］王［こ］のみうらみに、＃
悲憤の涙わきぬべし。＃
歴史は長し＃
七百年、＃
興亡すべて＃
＜Ｐ－０２８＞
ゆめに似て、＃
英雄墓は＃
こけむしぬ。＃
建長・圓覺＃
古寺の＃
山門高き松風に、＃
昔の音やこもるらん。＃
第八課　ヨーロッパの旅　＃
一　ロンドンから　＃
＜Ｐ－０２９＞
ロンドンは何と言つ＃
ても世界の大都會で＃
す。テームス川を飾る＃
タワー橋・ロンドン橋＃
を始め、國會議事堂・大＃
英博物館・ウェストミン＃
スター寺院、其の他見＃
る物聞く物唯々驚く＃
外はありません。＃
昨日大英博物館を一覽しました。陳［ちん］列品の多＃
＜Ｐ－０３０＞
種多樣で、しかも其の數量の數限りもないの＃
は、さすがに世界の大博物館といはれるだけ＃
あると思ひました。我が日本のよろひ・かぶと＃
其の他の武器類もたくさん集めてあります。＃
市街を見物して私の特に感心したのは、市民＃
が交通道徳を重んずることです。往來の頻［ひん］繁＃
な街上でも、よく警官の指揮に從つて、混亂す＃
ることがなく、地下鐵道・乗合自動車などの乗＃
り下りにも、むやみに先を爭ふやうなことは＃
ありません。＃
＜Ｐ－０３１＞
二　パリーから　＃
一昨日朝ロンドンを出發して午後早くパリ＃
ーに着きました。＃
此處はさすがに藝術の都として世界に聞え＃
てゐるだけあつて、建物なども一般に壯麗で＃
す。＃
世界最美の街路といはれてゐるシャンゼリゼ＃
ーの大通には、五六層もある美しい建物が道＃
路の兩側に並び、車道と人道との間には、緑し＃
たゝる街路樹が目もはるかに連なつてゐま＃
＜Ｐ－０３２＞
す。有名な凱［がい］旋［せん］門は此＃
の大通の起點にあり＃
ます。＃
ルーブル博物館も一＃
覽しましたが、りつぱ＃
な繪畫・彫刻の多いこ＃
とは恐らく世界第一＃
であらうと思ひまし＃
た。又エッフェル塔にも登＃
つて見ました。此の塔は世界最高の建物で、高＃
＜Ｐ－０３３＞
さが三百メートルもあるさうです。塔の中に＃
は賣店もあり、音樂堂・食堂なども設けられて＃
あります。眺望臺で眺めると、道を往來してゐ＃
る人間や自動車などは、まるで蟻［あり］のはふやう＃
に見えるし、さしもの大きなパリー市も殆ど＃
一目に見えます。＃
三　ベルダンから　＃
あゝ、此のむざんな光景を御らんなさい。山も＃
森も村も皆燒野が原と變つてゐます。＃
私は今落日に對して、うすら寒い秋風を浴び＃
＜Ｐ－０３４＞
ながら、山鳩［ばと］の聲さび＃
しきベルダンの戰跡＃
に立つてゐます。＃
四　ベルリンか＃
ら　＃
汽車でドイツの國内＃
にはいつたのは朝ま＃
だほの暗い頃でした＃
が、もう沿道の田畑に＃
は農夫が鍬を振るつてをり、又工場といふ工＃
＜Ｐ－０３５＞
場には盛に黒煙が上つてゐました。これはイ＃
ギリスやフランスなどでは見られぬ光景で、＃
私は今更ながらドイツ人の勤勉なのに驚き＃
ました。やがてベルリンに入つて見ても、勤儉＃
の美風が市民の間にあふれてゐて、彼等が大＃
戰後における自國の疲［ひ］弊［へい］を回復するため盛＃
に活動してゐるのには全く敬服しました。＃
五　ジュネーブから　＃
世界の公園といはれてゐるスイスは、到る處＃
我が日本のやうに景色がよい。私は今ジュネー＃
＜Ｐ－０３６＞
ブ市のモンブラン橋のて＃
すりにもたれて、ジュネーブ＃
湖上の風光に見とれてゐ＃
ます。るり色の水に浮ぶル＃
ソー島、湖畔に連なる緑樹・＃
白壁、はるかに紺青の空に＃
そびえて雪をいたゞくア＃
ルプの連峯。久しく單調平＃
凡な景色にあきてゐた私には、如何にも心地＃
よく眺められます。＃
＜Ｐ－０３７＞
第九課　月光の曲　＃
ドイツの有名な音樂家ベートーベンがまだ若い時分＃
のことであつた。月のさえた冬の夜友人と二人町へ散＃
歩に出て、薄暗い小路を通り、或小さいみすぼらしい家＃
の前まで來ると、中からピヤノの音が聞える。＃
「あゝ、あれは僕の作つた曲だ。聽き給へ。なか〳〵うま＃
いではないか。」＃
彼は突然かういつて足を止めた。＃
二人は戸外にたゝずんでしばらく耳をすましてゐた＃
が、やがてピヤノの音がはたと止んで、＃
＜Ｐ－０３８＞
「にいさん、まあ何といふよい曲なんでせう。私にはも＃
うとてもひけません。ほんたうに一度でもよいから、＃
演奏會へ行つて聽いてみたい。」＃
と、情ないやうにいつてゐるのは若い女の聲である。＃
「そんなことをいつたつて仕方がない。家賃さへも拂＃
へない今の身の上ではないか。」＃
と兄の聲。＃
「はいつてみよう。さうして一曲ひいてやらう。」＃
ベートーベンは急に戸をあけてはいつて行つた。友人＃
も續いてはいつた。＃
＜Ｐ－０３９＞
薄暗いらふそくの火のもとで、色の青い元氣のなささ＃
うな若い男が靴を縫つてゐる。其のそばにある舊式の＃
ピヤノによりかゝつてゐるのは妹であらう。二人は不＃
意の來客にさも驚いたらしい樣子。＃
「御免下さい。私は音樂家ですが、面白さについつり込＃
まれて參りました。」＃
とベートーベンがいつた。妹の顔はさつと赤くなつた。＃
兄はむつつりとしてやゝ當惑［わく］の體である。＃
ベートーベンも我ながら餘りだしぬけだと思つたら＃
しく、口ごもりながら、＃
＜Ｐ－０４０＞
「實はその、今ちよつと門口で聞いたのですが、――あ＃
なたは演奏會へ行つてみたいとかいふお話でした＃
ね。まあ一曲ひかせていたゞきませう。」＃
其の言方が如何にもをかしかつたので、言つた者も聞＃
いた者も思はずにつこりした。＃
「有難うございます。しかし誠に粗末なピヤノで。それ＃
に樂譜［ふ］もございませんが。」＃
と兄がいふ。ベートーベンは、＃
「え、樂譜がない。それでどうして。」＃
といひさして、ふと見ると、かはいさうに妹はめくらで＃
＜Ｐ－０４１＞
ある。＃
「いや、これでたくさんです。」＃
といひながら、ベートーベンはピヤノの前に腰を掛け＃
て直にひき始めた。其の最初の一音が既にきやうだい＃
の耳には不思議にひゞいた。ベートーベンの兩眼は異＃
樣に輝いて、彼の身には俄に何者かが乗移つたやう。一＃
音は一音より妙を加へ神に入つて、何をひいてゐるか＃
彼自らも覺えないやうである。きやうだいは唯うつと＃
りとして感に打たれてゐる。ベートーベンの友人も全＃
く我を忘れて、一同夢に夢見る心地。＃
＜Ｐ－０４２＞
折から燈がぱつと明るくなつたと思ふと、ゆら〳〵と＃
動いて消えてしまつた。＃
ベートーベンはひく手を止めた。友人がそつと立つて＃
窓の戸をあけると、清い月の光が流れるやうに入込ん＃
で、ピヤノとひき手の顔を照らした。しかしベートーベ＃
ンは唯だまつてうなだれてゐる。しばらくして兄は恐＃
る恐る近寄つて、力のこもつた、しかも低い聲で、＃
「一體あなたはどういふ御方でございますか。」＃
「まあ待つて下さい。」＃
ベートーベンはかういつて、さつき娘がひいてゐた曲＃
＜Ｐ－０４３＞
を又ひき始めた。＃
「あゝ、あなたはベートーベン先生ですか。」＃
きやうだいは思はず叫んだ。＃
ひき終るとベートーベンは、つと立上つた。三人は「どう＃
かもう一曲。」としきりに頼んだ。彼は再びピヤノの前に＃
腰を下した。月は益〻さえわたつて來る。「それでは此の月＃
の光を題に一曲。」といつて、彼はしばらくすみきつた空＃
を眺めてゐたが、やがて指がピヤノの鍵［けん］にふれたと思＃
ふと、やさしい沈んだ調は、ちやうど東の空に上る月が＃
次第々々にやみの世界を照らすやう、一轉すると、今度＃
＜Ｐ－０４４＞
は如何にもものすごい、いはば竒怪な物の精が寄集つ＃
て、夜の芝［しば］生［ふ］にをどるやう、最後は又急流の岩に激し、荒＃
波の岸にくだけるやうな調に、三人の心はもう驚と感＃
激で一ぱいになつて、唯ぼうつとして、ひき終つたのも＃
氣附かぬくらゐ。＃
「さやうなら。」＃
ベートーベンは立つて出かけた。＃
「先生、又お出で下さいませうか。」＃
きやうだいは口を揃へていつた。＃
「參りませう。」＃
＜Ｐ－０４５＞
ベートーベンは、ちよつとふりかへつてめくらの娘を＃
見た。＃
彼は急いで家に歸つた。さうして其の夜はまんじりと＃
もせず机に向つて、かの曲を譜に書きあげた。ベートー＃
ベンの「月光の曲」といつて、不朽［きう］の名聲を博したのは此＃
の曲である。＃
第十課　我が國の木材　＃
我が國に産する木材は其の種類頗る多し。今其の主要＃
なるものを擧ぐれば、杉・桧［ひのき］・もみ・つが・ひば・松・落［か］葉［ら］松［まつ］・けや＃
き・栗・かし・なら・くぬぎ等なり。＃
＜Ｐ－０４６＞
凡そこれ等の木材は、其の有する性質によりて各種の＃
用に供すべく、隨つて何れも重要ならざるはなけれど、＃
中にも其の用途の廣きは杉及び桧なり。殊に杉は人爲＃
によりて容易に増殖せらるゝ點において桧にまさり、＃
其の需要の多きこと我が國の木材中第一位にあり。家＃
屋・橋梁［りやう］・船舶［ぱく］・電柱より桶・たる・曲物の類に至るまで、一と＃
して杉を用ひざるなし。然れども材の優良にして美麗＃
なるは桧を以て第一とすべし。光澤と香氣とを有し、ね＃
ばり強くして、割れ、そる等の憂極めて少く、又よく濕［しつ］氣＃
に耐ふるが故に、建築材として最も重んぜらる。唯杉に＃
＜Ｐ－０４７＞
比して産額少く、増殖やゝ困難なるは惜しむべし。＃
もみ・つがは共にそり又は伸［の］び縮みすること著しきを＃
以て、杉・桧に比すれば用途甚だ狹し。されど何れも美し＃
き光澤を有するが上に、もみは柔かにして工作に便な＃
れば、諸種の箱を作るに用ひられ、つがは堅くして久し＃
きに耐ふるが故に、家屋の柱・土臺となすに宜し。＃
ひば・松・落葉松は何れも堅くして、耐久・耐濕の性あるを＃
以て建築・土木・造船等其の用途頗る廣し。ひばは抵［てい］抗［かう］力＃
を有し、松は彈力に富み、落葉松は一種の品位を有する＃
等、各其の特性を具へたり。＃
＜Ｐ－０４８＞
けやき・栗・かしは何れも甚だ堅く、もくめこまやかなり。＃
中にもけやきはもくめ美しく、磨けば美麗なる光澤を＃
生じ、又くるひ少きが故に裝飾材として珍重せられ、栗＃
は耐久・耐濕の性殊に著しきを以て、家屋の土臺、鐵道の＃
まくら木等の用に供せられ、かしは最も堅くして彈力＃
に富むが故に、櫓［ろ］・車・運動器具の如き強烈なる力を受く＃
るものを製作するに適せり。＃
かしは又なら・くぬぎと共に薪炭材として重要なるも＃
のなり。＃
杉は吉野杉・秋田杉を以て第一とし、桧は木［き］曽［そ］産の聲譽＃
＜Ｐ－０４９＞
高く近時臺灣阿［あ］里［り］山の桧また有名なり。ひばは津［つ］輕［がる］半＃
島に最も多く産す。松に至りては産地極めて廣くして、＃
奧［あう］羽［う］地方より九州に至るまで殆ど之を見ざる處なく、＃
其の豐富なること我が國の木材中の首位を占む。中に＃
も南部松・日［ひう］向［が］松は良材として最も世に著る。＃
第十一課　十和田湖　＃
十［と］和［わ］田［だ］湖は一部分秋田縣鹿［か］角［づの］郡に屬し、其の餘は青森＃
縣上北郡に屬してゐる。此の邊は一體に山地で、湖面は＃
海面より四百メートルも高く、其の面積は約六十方キ＃
ロメートルある。＃
＜Ｐ－０５０＞
湖岸線は大體單調であるが、東＃
南岸だけは二つの半島が並ん＃
で突出してゐるためにやゝ複＃
雜になつてゐる。岸は絶壁にな＃
つてゐる處が多く、殊に兩半島＃
にはさまれてゐる中［なかの］湖［うみ］の東岸＃
の如きは、絶壁の高さが二百メ＃
ートル以上もある。＃
中湖は深さが三百七十八メー＃
トル、此の湖中での一番深い處＃
＜Ｐ－０５１＞
である。我が國の湖沼中此の湖よ＃
り深いものは秋田縣の田澤湖だ＃
けである。＃
湖の水は東岸から奧［お］入［いら］瀬［せ］川とな＃
つて流れ出るのであるが、一年を＃
通じて水位の變化は極めて少い。＃
即ち水位の一番高い五月と一番＃
低い一月との差は、僅かに三十八センチメートルに過＃
ぎない。これは主として周圍が山で、流れ込む川に大き＃
いのがないのに原因してゐる。＃
＜Ｐ－０５２＞
三十年ばかり前までは、此の湖には魚類が全く居なか＃
つた。これは奧入瀬川を十町餘り下つた處に大きな瀧＃
があつて、魚類のさかのぼる道を絶つてゐるからであ＃
る。今日鱒［ます］の産地として世に知られるやうになつたの＃
は養魚經營の賜である。＃
第十二課　小さなねぢ　＃
暗い箱の中にしまひ込まれてゐた小さな鐵のねぢが、＃
不意にピンセットにはさまれて、明るい處へ出された。＃
ねぢは驚いてあたりを見廻したが、いろ〳〵の物音、い＃
ろいろの物の形がごた〳〵と耳にはいり目にはいる＃
＜Ｐ－０５３＞
ばかりで、何が何やらさつぱりわからなかつた。＃
しかしだん〳〵落着いて見ると、此處は時計屋の店で＃
あることがわかつた。自分の置かれたのは、仕事臺の上＃
に乗つてゐる小さなふたガラスの中で、そばには小さ＃
な心棒や齒［は］車やぜんまいなどが並んでゐる。きりやね＃
ぢ廻しやピンセットや小さな槌［つち］やさま〴〵の道具も、同＃
じ臺の上に横たはつてゐる。周圍の壁やガラス戸棚に＃
は、いろ〳〵な時計がたくさん並んでゐる。かち〳〵と＃
氣ぜはしいのは置時計で、かつたり〳〵と大やうなの＃
は柱時計である。＃
＜Ｐ－０５４＞
ねぢは、これ等の道具や時計をあれこれと見比べて、あ＃
れは何の役に立つのであらう、これはどんな處に置か＃
れるのであらうなどと考へてゐる中に、ふと自分の身＃
の上に考へ及んだ。＃
「自分は何といふ小さい情ない者であらう。あのいろ＃
いろの道具、たくさんの時計、形も大きさもそれ〴〵＃
違つてはゐるが、どれを見ても自分よりは大きく、自＃
分よりはえらさうである。一かどの役目を勤めて世＃
間の役に立つのに、どれもこれも不足は無ささうで＃
ある。唯自分だけが此のやうに小さくて、何の役にも＃
＜Ｐ－０５５＞
立ちさうにない。あゝ、何といふ情ない身の上であら＃
う。」＃
不意にばた〳〵と音がして、小さな子どもが二人奧か＃
らかけ出して來た。男の子と女の子である。二人は其處＃
らを見廻してゐたが、男の子はやがて仕事臺の上の物＃
をあれこれといぢり始めた。女の子は唯じつと見まも＃
つてゐたが、やがてかの小さなねぢを見附けて、＃
「まあ、かはいゝねぢ。」＃
男の子は指先でそれをつままうとしたが、餘り小さい＃
のでつまめなかつた。二度、三度。やつとつまんだと思ふ＃
＜Ｐ－０５６＞
と直に落してしまつた。子どもは思はず顔を見合はせ＃
た。ねぢは仕事臺の脚［あし］の陰にころがつた。＃
此の時大きなせきばらひが聞えて、父の時計師がはい＃
つて來た。時計師は＃
「此處で遊んではいけない。」＃
といひながら仕事臺の上を見て、出して置いたねぢの＃
無いのに氣が附いた。＃
「ねぢが無い。誰だ、仕事臺の上をかき廻したのは。あゝ＃
いふねぢはもう無くなつて、あれ一つしか無いのだ。＃
あれが無いと町長さんの懷［くわい］中時計が直せない。探せ、＃
＜Ｐ－０５７＞
探せ。」＃
ねぢは之を聞いて、飛上るやうにうれしかつた。それで＃
は自分のやうな小さな者でも役に立つことがあるの＃
かしらと、夢中になつて喜んだが、此のやうな處にころ＃
げ落ちてしまつて、若し見附からなかつたらと、それが＃
又心配になつて來た。＃
親子は總掛りで探し始めた。ねぢは「此處に居ます。」と叫＃
びたくてたまらないが、口がきけない。三人はさん〴〵＃
探し廻つて見附からないのでがつかりした。ねぢもが＃
つかりした。＃
＜Ｐ－０５８＞
其の時、今まで雲の中に居た太陽が顔を出したので、日＃
光が店一ぱいにさし込んで來た。するとねぢが其の光＃
線を受けてぴかりと光つた。仕事臺のそばに、ふさぎこ＃
んで下を見つめてゐた女の子がそれを見附けて、思は＃
ず「あら。」と叫んだ。＃
父も喜んだ、子どもも喜んだ。しかも一番喜んだのはね＃
ぢであつた。＃
時計師は早速ピンセットでねぢをはさみ上げて、大事さ＃
うにもとのふたガラスの中へ入れた。さうして一つの＃
懷中時計を出してそれをいぢつてゐたが、やがてピン＃
＜Ｐ－０５９＞
セットでねぢをはさんで機械の穴にさし込み、小さなね＃
ぢ廻しでしつかりとしめた。＃
龍［りゆう］頭［づ］を廻すと、今まで死んだやうになつてゐた懷中時＃
計が、忽ち愉［ゆ］快さうにかち〳〵と音を立て始めた。ねぢ＃
は、自分が此處に位置を占めたために、此の時計全體が＃
再び活動することが出來たのだと思ふと、うれしくて＃
うれしくてたまらなかつた。時計師は仕上げた時計を＃
ちよつと耳に當ててから、ガラス戸棚の中につり下げ＃
た。＃
一日おいて町長さんが來た。＃
＜Ｐ－０６０＞
「時計は直りましたか。」＃
「直りました。ねぢが一本いたんでゐましたから、取り＃
かへて置きました。工合の惡いのは其の爲でした。」＃
といつて渡した。ねぢは、＃
「自分もほんたうに役に立つてゐるのだ。」＃
と心から滿足した。＃
第十三課　國旗　＃
今日一國家を形成する國々にして、國旗の制定せられ＃
ざる所なし。國旗は實に國家を代表する標［へう］識にして、其＃
の徽［き］章・色彩［さい］にはそれ〴〵深き意義あり。今我が國を始＃
＜Ｐ－０６１＞
め主なる諸外國の國旗に就いて述べん。＃
雪白の地に紅の日の丸をゑがける我が國の國旗は、最＃
もよく我が國號にかなひ、皇威の發揚、國運の隆［りゆう］昌さな＃
がら旭日昇天の勢あるを思はしむ。更に思へば、白地は＃
我が國民の純正潔白なる性質を示し、日の丸は熱烈燃＃
ゆるが如き愛國の至誠を表すものともいふべきか。＃
イギリスの國旗は、今日の形式を具ふるまでに幾多の＃
變化を重ねたるものなり。元來イギリスは、イングラン＃
ド・スコットランド・アイルランド三國の合同して成れる＃
國家にして、先づイングランドとスコットランドと合す＃
＜Ｐ－０６２＞
るや、白地に赤十字の徽章ある前者の國旗と、藍地に斜＃
白十字の徽章ある後者の國旗とを合して一旗となし、＃
更にアイルランドの加はるに及び、白地に斜赤十字の＃
徽章ある其の國旗を合はせて、遂に今日の如き形式を＃
なすに至れり。＃
アメリカ合衆國の國旗は一定不變の部分と、變化を許＃
されたる部分とより成る。即ち赤・白合はせて十三條の＃
横筋は、獨立當時の十三州を表すものにして、永久に變＃
化することあらざれども、藍地中の星章は、常に州の數＃
と一致せしむるを定めとす。現今は星章の數四十八個＃
＜Ｐ－０６３＞
なり。＃
藍・白・赤三色を以て縱に染分けられたるは、フランスの＃
國旗なり。此の三色は、自由・平等・博愛を表すものと稱せ＃
らる。＃
フランスの國旗が縱に三色を分ちたるに對して、黒・赤・＃
金の三色を横に染分けたるものはドイツの國旗なり。＃
國旗の色彩が其の國の人種を表すものに、支那の國旗＃
あり。即ち赤・黄・藍・白・黒の五色を横に並べたるものにて、＃
赤は漢人、黄は滿洲人、藍は蒙［もう］古［こ］人、白は回［くわい］疆［きやう］人、黒は西［ちべ］藏［つと］＃
人を代表するなり。＃
＜Ｐ－０６４＞
イタリヤの國旗は、緑・白・赤の三色を縱に染分け、中央の＃
白地中に王家の紋章を表せり。これイタリヤ中興の主＃
エンマヌエル王、國土統一の時、其の家の紋章の色なる＃
白と赤とに、統一の成功を祈る希望の色として緑を加＃
へ、更に王家の紋章を配したるものなり。＃
かくの如く各國の國旗は、或は其の建國の歴史を暗示＃
し、或は其の國民の理想・信仰を表すものなれば、國民の＃
之に對する尊敬は、即ち其の國家に對する忠愛の情の＃
發露なり。故に我等は、自國の國旗を尊重すると同時に、＃
諸外國の國旗に對しても、常に敬意を表せざるべから＃
＜Ｐ－０６５＞
ず。＃
第十四課　リヤ王物語　＃
リヤ王はもう八十の坂を越えた。生れつき烈しい氣性＃
の上に、年とともに老の氣短さが加はつて、ちよつとし＃
た事にも怒り易くなつてゐた。それに近來はめつきり＃
元氣が衰へて、もう政務にもたへられなくなつて來た。＃
王にはゴネリル・リガン・コーデリヤといふ三人の娘が＃
あつた。姉二人は既にさる貴族に嫁［か］し、妹はかねてフラ＃
ンス王の后になることにきまつてゐた。＃
王は其の治めてゐるイギリスを三分して娘たちに與＃
＜Ｐ－０６６＞
へ、自分は百人の家來を連れて月代りに三人の娘の許＃
に身を寄せ、餘生を安樂に送らうと決心した。＃
さて領地をゆづる日に、王は娘たちを面前に呼んで、＃
「今日はお前たちに一つ聞いてみたい事がある。お前＃
たちのうちで誰が一番此の父を大事に思つてくれ＃
るか、わしはそれが知りたいのだ。先づ姉のゴネリル＃
から言つてみよ。」＃
と尋ねた。＃
ゴネリルの答は如何にも言葉巧みであつた。＃
「私はもう何よりも、どんな寶よりも――ほんたうに＃
＜Ｐ－０６７＞
自分の命よりも父上を大事と存じます。昔からあつ＃
た孝子のどの人よりも厚い眞心をもつて、父上にお＃
仕へ致しませう。」＃
長女の言葉に滿足した王は、地圖を指さしながら領地＃
の三分の一を與へた。次にリガンは＃
「私も姉上と同じ心で、――ほんたうに姉上は私の思＃
つてゐる通りをおつしやいました。唯少しおつしや＃
り足りませぬばかりで、――私はありとあらゆる身＃
の樂しみを退けても、ひたすら父上を大事に致すの＃
を此の上もない仕合はせと存じてをります。」＃
＜Ｐ－０６８＞
王はリガンにも三分の一を與へた。＃
コーデリヤは王が一番かはいがつてゐる娘であつた。＃
王は滿面に笑みをたゝへながら、今や遲しと其の答を＃
待受けてゐる。コーデリヤは唯うつむいて、＃
「父上、私はどう申し上げてよいかわかりません。」＃
王は自分の耳を疑ふかのやうに目を見張つた。＃
「なに、どう申し上げてよいかわからぬ。それでは返事＃
にならぬではないか。」＃
「私は胸にある事が十分に言へないのでございます。＃
――唯私は子としての務を盡くしたいと思ふばか＃
＜Ｐ－０６９＞
りでございます。」＃
娘の言葉を物足りなく思つた王は、やゝせきこんで、＃
「どうしたのだ、コーデリヤ。何とか言方がありさうな＃
ものだ。」＃
「父上、私は唯ほんたうの事を申し上げてゐるのでご＃
ざいます。」＃
娘の答に失望した王は、例の烈しい氣性から、苦り切つ＃
て、＃
「お前にはもう何もやらぬぞ。永の勘［かん］當だ。」＃
と言渡した。さうして殘りの領地を二分して、姉二人に＃
＜Ｐ－０７０＞
やつてしまつた。＃
家來の中にはしきりに王をなだめた者もあつたが、王＃
の怒はいよ〳〵つのつて、もうどうすることも出來な＃
い。コーデリヤはすご〳〵と父の許を去らなければな＃
らなかつた。＃
リヤ王はフランス王を其の場に呼んで、コーデリヤを＃
勘當したことを告げた。しかしフランス王は一部始終＃
をよく〳〵きゝたゞして、コーデリヤの簡單な答の中＃
にも十分眞心のこもつてゐるのを認め、本國にともな＃
ひ歸つて約束の如く自分の后とした。＃
＜Ｐ－０７１＞
リヤ王は百人の家來を連れて先づ姉娘ゴネリルの許＃
に身を寄せた。ゴネリルは決して氣だてのやさしい女＃
ではなかつた。二週間もたゝぬ中にもう王に無愛想な＃
仕向をした。其の上王に百人の家來を五十人に減ずる＃
やうにといつた。＃
王は胸も張裂けんばかりに怒り、早速馬にむちうつて＃
次女リガンの許に走つた。ところがリガンは、まだ父上＃
を迎へる準備が整つてゐないといふのを口實にして、＃
すげなくも王を内に入れなかつた。＃
全領地を二分して與へてやつた二人の娘が、揃ひも揃＃
＜Ｐ－０７２＞
つてこれ程の不孝者であらうとは。王は男泣きに泣い＃
た。＃
怒と失望と後悔とに身も魂もくだけ果てた王は、我に＃
もあらず荒野の末にさまよひ出た。其の夜は風雨にと＃
もなつて雷鳴・電光ものすさまじい夜であつた。王は二＃
三の忠臣にかしづかれて、とある小屋に一夜を明かし＃
たが、何時の間にかもう發狂してゐた。＃
父の身の上を案じながらフランスに行つたコーデリ＃
ヤは、やがていたましい報知を得た。それは父が姉たち＃
の爲に虐［ぎやく］待されてゐるといふことであつた。そこでコ＃
＜Ｐ－０７３＞
ーデリヤは夫に請うて共々に家來を連れてイギリス＃
に渡つた。＃
家來は荒野にさまよつてゐたリヤ王を見附けて、コー＃
デリヤの許に連れて來た。フランス王の侍醫はとりあ＃
へず老王に藥を與へて靜かに眠らせた。＃
コーデリヤは眠つてゐる父の衰へ果てた姿をつくづ＃
くと見て、＃
「たとひ我が親でないにしても、此の白い髮や髭［ひげ］を御＃
覽になつたら、姉上もお氣の毒とお思ひになりさう＃
なものだのに、――まあ、此のお體であのひどい嵐の＃
＜Ｐ－０７４＞
中を――。」＃
といひながら、よゝと泣きく＃
づれた。＃
やがて眠から覺めた王は、幾＃
分氣も靜まつたのか、＃
「此處は何處だらう。一體わ＃
しは今までどうしてゐた＃
のだらう。」＃
といつてあたりを見廻し、そ＃
ばに居るコーデリヤを見て、＃
＜Ｐ－０７５＞
「これはどなたであらうな。笑つて下さるな、どうも娘＃
のコーデリヤのやうに思はれてならぬが。」＃
コーデリヤは父の手を取つて泣きながら、＃
「其のコーデリヤでございます。」＃
「涙をこぼしてくれるのか。お前はわたしをうらんで＃
ゐるはずだが。」＃
「何でうらむわけがございませう。何でうらむわけが＃
ございませう。」＃
王は尚あらぬ言葉を口走つてはゐたが、其の言葉の端＃
端にも、前非を悔い、自分を責めて娘にわびる眞心がこ＃
＜Ｐ－０７６＞
もつてゐた。コーデリヤはそれを聞いて腸をちぎられ＃
るやうな思がした。＃
其の後老王はコーデリヤの孝養によつて餘生を安樂＃
に送つたといふ。＃
第十五課　まぐろ網　＃
まぐろを取る方法はいろ〳〵あるが、だいぼう網で取＃
るほど勇壯なものはあるまい。＃
だいぼう網は身網と垣網と二つの部分から成つてゐ＃
て、非常に大きなものである。これを海中に張つた形は＃
ちやうど大きなひしやくに似てゐる。即ち水のはいる＃
＜Ｐ－０７７＞
處に當る部分が＃
身網で、柄［え］に當る＃
部分が垣網であ＃
る。先づ岸近くま＃
ぐろの寄つて來＃
る場所を選んで、＃
海岸から沖の方＃
へ二三百間も長く垣網を張り、其の先へ身網を張る。潮＃
に流されないやうに、身網にも垣網にも土俵や石など＃
が重りに附けてある。身網の外側や陸上の高い處に魚＃
＜Ｐ－０７８＞
見やぐらが設けてあつて、漁夫が絶えずまぐろの來る＃
のを見張つてゐる。＃
群をなして寄せて來たまぐろは、先づ垣網に驚き、之に＃
沿うて沖へ逃げようとして身網の中へはいる。其の時＃
魚見やぐらの上で旗を揚げて、まぐろの群が網にはい＃
つたといふ合圖をすると、網口の近くに番をしてゐる＃
漁夫が急いで網口をしめてしまふ。これでもう魚は逃＃
出すことが出來ない。そこで數そうの船に分乗した漁＃
夫が、えんや〳〵と掛聲を掛けながら身網を一方から＃
たぐつて行く。かうしてだん〳〵網の中が狹められる＃
＜Ｐ－０７９＞
に隨つて、まぐろは水面に渦［うづ］卷を起したり、背びれを水＃
上に現したりして泳ぎ廻つてゐる。＃
網の中がいよ〳〵狹くなると、其の周圍を船で取卷い＃
てしまふ。漁夫はめい〳〵手に一ちやうづつの鈎［かぎ］を持＃
ち、狂ひ廻るまぐろを引つかけ、はねるはずみを利用し＃
て船中に引上げる。三四十貫、時には百貫以上もある大＃
まぐろがどたり〳〵と船中へ投込まれる光景は、實に＃
壯快の極みである。＃
船がまぐろで一ぱいになると、大れふ旗を風になびか＃
せながら、えつさ〳〵と陸の方へ漕歸つて來る。漁夫の＃
＜Ｐ－０８０＞
顔は得意の色に輝いて、まるで凱［がい］旋［せん］の將士のやうに見＃
える。＃
第十六課　鳴門　＃
一　＃
阿［あ］波［は］と淡［あは］路［ぢ］のはざまの海は、＃
此處ぞ名に負ふ鳴［なる］門［と］の潮路。＃
八重の高潮かちどき揚げて、＃
海の誇のあるところ。＃
二　＃
山もとゞろに引潮たぎり、＃
＜Ｐ－０８１＞
たぎる引潮あら渦を卷き、＃
卷いて流れて流れて卷いて、＃
空にとびたつ、潮けむり。＃
三　＃
裸［はだか］島［じま］より渦潮見れば、＃
胸も波だち眼もくらむ。＃
船頭勇まし、此の潮筋を＃
落し漕ぎゆく、木の葉舟。＃
第十七課　間宮林藏　＃
樺［から］太［ふと］は大陸の地續なりや、又は離れ島なりや、世界の人＃
＜Ｐ－０８２＞
は久しく之を疑問としたりき。然るに其の實際を調査＃
して此の疑問を解決したる人、遂に我が日本人の中よ＃
り現れぬ。間宮林藏これなり。＃
今より百二十年ばかり前、即ち文化五年の四月に、林藏＃
は幕府の命によつて、松田傳十郎と共に樺太の海岸を＃
探檢せり。樺太が離れ島にして大陸の地續にあらざる＃
ことは、此の探檢によりて略〻知ることを得たれども、更＃
によく之を確めんがために、同年七月林藏は單身にて＃
また樺太におもむけり。＃
先づ樺太の南端なる白［しら］主［ぬし］といふ處に渡り、此處にて土＃
＜Ｐ－０８３＞
人を雇ひて從者となし、小舟に乗じていよ〳〵探檢の＃
途に上りぬ。それより一年ばかりの間、風波をしのぎ、飢［き］＃
寒と戰ひ、非常なる困難ををかして樺太の北端に近き＃
ナニヲーといふ處にたどり着きたり。これより北は波＃
荒くして舟を進むべくもあらず、山を越えて東海岸に＃
出でんとすれば、從者の土人等ゆくての危險を恐れて＃
從ふことをがへんぜず。止むなく南方のノテトといふ＃
處に引返し、酋［しう］長コーニの宅に留りてしばらく時機の＃
至るを待ちぬ。＃
網をすき、舟を漕ぎ、漁業の手傳などして土人に親しみ、＃
＜Ｐ－０８４＞
さてさま〴〵の物語を聞くに、對岸の大陸に渡りて其＃
の地の模樣を探るは、かへつて目的を達するに便なる＃
ことを知りぬ。たま〳〵コーニが交易のため大陸に渡＃
らんとするに際し、林藏は好機至れりとひそかに喜び＃
て、切に己をともなはんことを求む。コーニは「容貌［ばう］の異＃
なる汝が彼の地に行かば、必ずや人に怪しまれ、なぶり＃
ものにせられて、或は命も危かるべし。」とて、しきりに止＃
むれども林藏きかず、遂に同行することに決せり。＃
出發の日近づくや、林藏はこれまでの記録一切を取り＃
まとめ、之を從者に渡していふやう、「我若し彼の地にて＃
＜Ｐ－０８５＞
死したりと聞かば、＃
汝必ず之を白主に＃
持歸りて日本の役＃
所に差出すべし。」と。＃
文化六年六月の末、コーニ・林藏等の一行八人は、小舟に＃
乗じて今の間宮海峽［けふ］を横ぎり、デカストリー灣の北に＃
上陸したり。それより山を越え、河を下り、湖を渡りて黒［こく］＃
龍［りゆう］江の河岸なるキチーに出づ。其の間、山にさしかゝれ＃
ば舟を引きて之を越え、河・湖に出づればまた舟を浮べ＃
て進む。夜は野宿すること少からず。木の枝を伐りて地＃
＜Ｐ－０８６＞
上に立て、上を木の皮にておほひ、八人一所にうづくま＃
りて僅かに雨露をしのぐ。＃
キチーにて土人の家に宿る。土人等林藏を珍しがりて＃
之を他の家に連行き、大勢にて取圍みながら、或は抱き＃
或は懷を探り、或は手足をもてあそびなどす。やがて酒＃
食を出したれども、林藏は其の心をはかりかねて顧み＃
ず。土人等怒りて林藏の頭を打ち、強ひて酒を飲ましめ＃
んとす。折よく同行の樺太人來りて土人等を叱し、林藏＃
を救ひ出しぬ。＃
翌日此の地を去り、河をさかのぼること五日、遂に目的＃
＜Ｐ－０８７＞
地なるデレンに着せり。デレンは各地の人々來り集り＃
て交易をなす處なり。林藏の怪しみもてあそばるゝこ＃
と、此處にては更に甚だしかりしが、かゝる中にありて＃
も、彼は土地の事情を研究することを怠らざりき。＃
コーニ等の交易は七日にして終りぬ。歸途一行は黒龍＃
江を下りて河口に達し、海を航してノテトに歸れり。此＃
處にて林藏はコーニ等に別れを告げ、同年九月の半ば、＃
白主に歸着しぬ。＃
林藏が二回の探檢によりて、樺太は大陸の一部にあら＃
ざること明白となりしのみならず、此の地方の事情も＃
＜Ｐ－０８８＞
始めて我が國に知らるゝに至れり。＃
第十八課　法律　＃
法律は、國家といふ共同生活を秩［ちつ］序［ぢよ］ありかつ幸福なも＃
のにするための規則であるから、いやしくも國民たる＃
者は必ず之を守らなければならぬ。＃
法律を制定するには、政府又は貴衆兩院の何れかが其＃
の案を作成して議會に提出する。政府から提出された＃
案は先づ議會の一院で討議される。討議の形式は、普通＃
第一讀會・第二讀會・第三讀會の三度の會議を經ること＃
になつてゐる。即ち第一讀會で其の案を大體に調査し、＃
＜Ｐ－０８９＞
第二讀會で逐［ちく］條に審［しん］議し、第三讀會で法律案全體の可＃
否を議決する。かうして其の院で可決すれば、其の案を＃
他院に移す。此處でも同樣の形式で討議し、兩院の意見＃
が一致すれば、最後に議決した議院の議長から國務大＃
臣を經て奏上する。又貴衆兩院の何れかから提出され＃
た案は、他の一院のみで討議し、可決すれば同じ手續に＃
よつて奏上する。そこで天皇が之を裁可せられ、公布せ＃
しめられると、始めて法律が出來上るのである。＃
法律の外に勅令・閣令・省令・府縣令等の命令がある。これ＃
等の命令も國の規則であつて、廣い意味でいふ場合に＃
＜Ｐ－０９０＞
はやはり法律であるから、其の制定も出來る限り愼［しん］重＃
な手續を經る。唯法律は必ず帝國議會の協賛を經なけ＃
ればならぬが、命令には其の事がない。＃
一國文化の程度は、其の國民が國法を守る精神の厚薄＃
に依つて測ることが出來るといはれてゐる。我々は常＃
に國法にしたがつて幸福な生活を營み、あはせて國の＃
品位を高めることにつとめなければならぬ。＃
第十九課　釋迦　＃
釋［しや］迦［か］は今から凡そ二千五百年前、北インドのヒマラヤ＃
山のふもとカピラバスト王國の太子として生れた。＃
＜Ｐ－０９１＞
釋迦は生れつき同情の念に厚く、何事も深く考へ込む＃
たちであつた。或時、父王と共に城外に出て、農夫の働く＃
樣を見廻つたことがある。ぼろを着た農夫は玉のやう＃
な汗をかいて田をすき起し、牛はつかれ果ててあへぎ＃
あへぎ働いてゐる。折から飛下りて來た鳥が鍬に傷つ＃
けられた蟲をついばんだ。木陰からじつと見てゐた彼＃
は、しみ〴〵と自分の身の上に思ひ比べて、農夫や牛の＃
勞苦を思ひやると共に、蟲の運命をあはれんだ。＃
彼はだん〳〵物思に沈むやうになつた。それを見てひ＃
どく氣をもんだ父王は、彼に妃［ひ］を迎へ、目もまばゆい宮＃
＜Ｐ－０９２＞
殿に住まはせて、國政にも與らせようとした。しかし彼＃
は城外に出る毎に、杖にすがるあはれな老人や、息もた＃
えだえの病人、さては野邊に送られる死者をまのあた＃
り見て、益〻世のはかなさを感じた。＃
「人は何の爲に此の世に生れて來たのか。我々の行末＃
はどうなるだらうか。」＃
こんな事を次から次へと考へては、遂に心の苦しみに＃
たへられなくなつて、＃
「此の上は聖賢を訪うて教を受ける外はない。」＃
と思ひ立つに至つた。＃
＜Ｐ－０９３＞
父のいさめも妻のなげきも、此の決心をひるがへすこ＃
とは出來なかつた。かくて彼は二十九歳の或夜、人知れ＃
ず宮殿を出て修行の途に上つた。＃
師を求めてあちらこちらさまよつてゐるうちに、マガ＃
ダ國の首府王舍城の附近に來た。かねて釋迦の徳をし＃
たつてゐたマガダ國王は、修行を思ひ止らせようとし＃
て、自分の國をゆづらうとまで申し出たが、彼の決心は＃
どうしても動かなかつた。彼は更に其の邊の名高い學＃
者を尋ね廻つて説を聽いたが、どれにも滿足すること＃
が出來ない。彼は遂に＃
＜Ｐ－０９４＞
「もう人にはたよるまい。自分一人で修行をしよう。」＃
と決心して、或靜かな森へ行つた。さうして此處で父王＃
の心盡くしから送られた五人の友と、六年の間種々の＃
苦行を試みた。＃
次第にやせ衰へて、物にすがらなければ立てない程に＃
なつた時、彼はいくら苦行をしても更に効のないこと＃
を知つた。そこで彼は先づ近處の河に浴し、たま〳〵其＃
處にゐた少女のさゝげた牛乳を飲んで元氣を回復し＃
た。ところが此の新な態［たい］度に驚いた五人の友は、釋迦が＃
全く修行を止めてしまつたものと思ひ、彼を捨てて立＃
＜Ｐ－０９５＞
去つた。＃
それから釋迦はブッダガヤの緑色濃き木陰に靜坐して＃
おもむろに思をこらした。今度は程よく食物も取り、休＃
息もした。さうして日夜次々に起つて來る心の迷をし＃
りぞけて唯一筋に悟の道を求めた。＃
或時のことである。彼は夜もすがら靜坐してひたすら＃
思をこらしてゐると、やがて一點の明星がきらめいて、＃
夜はほの〴〵と明けそめた。其の刹［せつ］那、彼は迷の雲がか＃
らりと晴れて、はつきりとまことの道を悟り得た。彼は＃
此の心境の尊さに數日の間唯うつとりとしてゐたが、＃
＜Ｐ－０９６＞
やがて此の尊い心境を世界の人々と共にせずにはゐ＃
られぬといふ慈悲の心が、胸中にみなぎりあふれた。＃
釋迦は世を救ふ手始＃
として先づかの五人＃
の友をたづねた。かつ＃
て釋迦を見捨てた彼＃
等も、其の慈悲圓滿の＃
姿を見ては、思はず其＃
の前にひざまづかざるを得なかつた。彼等は釋迦の教＃
を聽いて即座に弟子となつた。＃
＜Ｐ－０９７＞
續いて釋迦はマガダ國王をたづねてねんごろに道を＃
説聞かせ、更にカピラバストに歸つて、父王・妻子を始め＃
國民を教化して故郷の恩に報いた。＃
今や釋迦は衆星の中の滿月の如く國中から仰がれる＃
身となつたが、中には彼をそねむあまり、反抗するばか＃
りでなく、迫害を加へようとするものさへも出て來た。＃
殊にデーバダッタは、いとこの身でありながら、かねてか＃
ら釋迦の名望をねたみ、幾度か彼を害しようとした。或＃
時の如きは、釋迦が山の下にゐるのを見附けて、上の方＃
から大石をころがしたが、石は釋迦の足を傷つけただ＃
＜Ｐ－０９８＞
けで、目的を果すことは出來なかつた。＃
釋迦は八十歳の高年に及んでも、なほつゞれをまとひ＃
飢［うゑ］と戰ひつゝ、各地を巡つて道を傳へてゐたが、遂に病＃
を得てクシナガラ附近の林中に留つた。危篤［とく］の報が傳＃
はると、これまで教を受けた人々が四方から集つて別＃
れを惜しんだ。いよ〳〵臨終が近づいた時、釋迦は泣悲＃
しんでゐる人たちに、＃
「私は行はうと思つたことを行ひ盡くし、語らうと思＃
つたことを語り盡くした。これまで説いた教そのも＃
のが私の命である。私のなくなつた後も、めい〳〵が＃
＜Ｐ－０９９＞
其の教をまじめに行ふ所に私は永遠に生きてをる。」＃
と諭して靜かに眼を閉ぢた。＃
第二十課　奈良　＃
七代七十餘年の帝都として、咲く花のにほふが如しと＃
誇りし奈［な］良［ら］の都も、色移り香失せて年既に久しく、今は＃
唯畿［き］内［ない］の一都市として僅かに古の名殘を留むるのみ。＃
然れども春［かす］日［が］の社頭、朱［あけ］の廻廊［らう］山の緑にはえて、森嚴自＃
ら人の襟［えり］を正さしめ、東大寺の金堂は天空高くそびえ＃
て、五丈三尺の大佛一千二百年の面影を殘せり。興福寺＃
は伽［が］藍［らん］半ば廢れたれど、尚三重五重の塔、猿［さる］澤［さは］の池水に＃
＜Ｐ－１００＞
影をうつして南都第一の美＃
觀たり。社寺の壯麗はしばら＃
くおき、何の山、何の川、一木一＃
草に至るまでも歴史あり古＃
歌あり、人をして低回去る能＃
はざらしむ。＃
春は若草山の芝［しば］緑にもえた＃
ち、三月堂・二月堂霞につゝま＃
れてさながら夢の如く、秋は＃
春日の社神さび、手［た］向［むけ］山の紅＃
＜Ｐ－１０１＞
葉夕日にはゆる樣殊に見所あり。人なつかしげに寄り＃
來る鹿の、春はわけてもやさしく、＃
秋より冬にかけて哀音しきりに＃
人の眠をさますも、奈良には缺く＃
べからざる風［ふ］情［ぜい］なるべし。＃
佐保・佐紀の連岡に北を限り、春日・＃
高［たか］圓［まど］の山々を東に、矢田山・生［い］駒［こま］山＃
を西にひかへて、東西四十町、南北＃
四十五町、九條の條坊［ばう］井然として、＃
北に大内裏の宮殿を仰ぎ、朱［す］雀［ざく］の大路南に走りて、南端＃
＜Ｐ－１０２＞
に羅［ら］城門をふまへたる古の奈良の都は、そも〳〵如何＃
に美しく、如何に盛なりし＃
ぞ。今若草山に登りて古京＃
の跡を展望すれば、眼下に＃
横たはる奈良市街の西、遠＃
く連なる田園の間に東西＃
に走る三筋の路は、北より＃
數へて古の一條・二條・三條＃
の大路の名殘とす。大極殿＃
の跡はるかに指點すべく、南の方郡山の町の東に羅城＃
＜Ｐ－１０３＞
門の跡今も殘れりといふ。そのかみ金殿玉樓［ろう］相望みて＃
うちつゞく都大路を、大宮人の櫻かざし紅葉かざして＃
往來しけむ、今にして思へば唯一場の夢に過ぎず。＃
更に首を回らして南を望めば、大［やま］和［と］平野の盡くる處は＃
るかに畝［うね］傍［び］山・耳成山・天の香［か］久［ぐ］山の三山まゆの如く、其＃
の南に一きは高く多［た］武［ふ］峯・吉野山の山々連なるを見る。＃
げにや「めぐらせる青垣山に、こもれる大和うるはし。」と＃
歌ひしにそむかず。愛すべく美しき山野は、更に太古以＃
來の歴史と結び文學と結びて、感いよ〳〵深きを覺ゆ。＃
第二十一課　青の洞［どう］門　＃
＜Ｐ－１０４＞
豐［ぶ］前［ぜん］の中［なか］津［つ］から南へ三里、激流岩をかむ山國川を右に＃
見て、川沿の道をたどつて行くと、左手の山は次第に頭＃
上にせまり、遂には路の前面に突立つて人のゆくてを＃
さへぎつてしまふ。これからが世に恐しい青のくさり＃
戸である。それは山國川に沿うて連なる屏［びやう］風［ぶ］のやうな＃
絶壁をたよりに、見るから危げな數町のかけはしを造＃
つたものであるが、昔から之を渡らうとして水中に落＃
ち、命を失つた者が幾百人あつたか知れない。＃
享［きやう］保［ほう］の頃の事であつた。此の青のくさり戸にさしかゝ＃
る手前、路をさへぎつて立つ岩山に、毎日々々根氣よく＃
＜Ｐ－１０５＞
のみを振るつて、餘念なく穴を掘つてゐる僧があつた。＃
身には色目も見えぬ破れ衣をまとひ、日にやけ仕事に＃
やつれて年の頃もよくわからぬくらゐであるが、きつ＃
と結んだ口もとには意志の強さが現れてゐる。＃
僧は名を禪［ぜん］海［かい］といつてもと越後の人、諸國の靈［れい］場を拜＃
み巡つた末、たま〳〵此の難處を通つて幾多のあはれ＃
な物語を耳にし、どうにか仕方はないものかと深く心＃
をなやました。さていろ〳〵と思案したあげく、遂に心＃
を決して、たとへ何十年かゝらばかゝれ、我が命のある＃
限り、一身をさゝげて此の岩山を掘拔き、萬人の爲に安＃
＜Ｐ－１０６＞
全な路を造つてやらうと、神佛に堅くちかつて此の仕＃
事に着手したのであつた。＃
之を見た村人たちは、彼を氣違扱ひにして相手にもせ＃
ず、唯物笑の種にしてゐた。子どもらは仕事をしてゐる＃
老僧のまはりに集つて、「氣違よ〳〵。」とはやし立て、中に＃
は古わらぢや小石を投げつける者さへあつた。しかし＃
僧はふりかへりもせず、唯黙［もく］々としてのみを振るつて＃
ゐた。＃
其のうちに誰言ふとなく、あれは山師坊［ばう］主［ず］で、あのやう＃
なまねをして、人をろうらくするのであらうといふう＃
＜Ｐ－１０７＞
はさが立つた。さうして陰に陽に仕事のじやまをする＃
者も少くなかつた。しかし僧は唯黙々としてのみを振＃
るつてゐた。＃
かくて又幾年かたつうちに、穴はだん〳〵奧行を加へ＃
て、既に何十間といふ深さに達した。＃
此の洞［ほら］穴と、十年一日の如く黙々としてのみの手を休＃
めない僧の根氣とを見た村の人々は、今更のやうに驚＃
いた。出來る氣づかひはないと見くびつてゐた岩山の＃
掘拔も、これではどうにか出來さうである。一念こつた＃
不斷の努力は恐しいものであると思ひつくと、此の見＃
＜Ｐ－１０８＞
る影もない老僧の姿が、急に尊いものに見え出した。そ＃
こで人々はいつそ我々も出來るだけ此の仕事を助け＃
て、一日も早く洞門を開通し、老僧の命のあるうちに其＃
の志を遂げさせると共に、我々もあのくさり戸を渡る＃
難儀［ぎ］をのがれようではないかと相談して、其の方法を＃
も取りきめた。＃
其の後は老僧と共に洞穴の中でのみを振るふ者もあ＃
り、費用を喜捨する者もあつて、仕事は大いにはかどつ＃
て來た。しかし人は物にうみ易い。かうして又幾年か過＃
すうちに、村の人々は此の仕事にあきて來た。手傳をす＃
＜Ｐ－１０９＞
る者が一人へり二人へり＃
して、はては又村人全體が＃
此の老僧から離れるやう＃
になつた。＃
けれども老僧は更にとん＃
ぢやくしない。彼の初一念＃
は年と共に益〻固く、時には＃
夜半までも薄暗い燈を便＃
りに、經文をとなへながら＃
一心にのみを振るふこと＃
＜Ｐ－１１０＞
さへあつた。＃
老僧の終始一貫した根氣は、遂に村人を恥ぢさせたも＃
のか、仕事を助ける者が又ぼつ〳〵と出來て來た。かう＃
して、老僧が始めてのみを絶壁に下してからちやうど＃
三十年目に、彼が一生をさゝげた大工事が見事に成就＃
した。洞門の長さは實に三百八間、高さ二丈、幅三丈、川に＃
面した方には處々にあかり取りの窓さへうがつてあ＃
る。＃
今では此の洞門を掘りひろげ、處々に手を加へて舊態［たい］＃
を改めてはゐるが、一部は尚昔の面目を留めて、禪海一＃
＜Ｐ－１１１＞
生の苦心を永久に物語つてゐる。＃
第二十二課　トマス、エヂソン　＃
電燈の發明せられたるは、今より凡そ百十餘年前のこ＃
となり。當時は單に理化學の實驗用として使用せらる＃
るに過ぎざりしが、次第に改良せられて、四五十年の後＃
には燈臺などにすゑ附けらるゝに至りぬ。然れどもこ＃
は今日のアーク燈に類するものにして、公園・街路等の＃
照明用としては適當なれども、室内に用ふるには、大仕＃
掛にして光力強きに過ぎ、實用に適せず。これ等の缺點＃
なき電燈の出現は當時の人の最も希望する所なりき。＃
＜Ｐ－１１２＞
かねて此の希望をみたさんと思ひゐたるトマス、エヂ＃
ソンは、既に電話機に關する發明に成功したるを以て、＃
更に進んで新しき＃
電燈の發明に從事＃
したり。彼が稀代の＃
天才はこゝにも遺＃
憾［かん］なく發揮せられ＃
て、着々成功の域に＃
進みしが、唯心［しん］に至＃
りては彼の最も苦心したる所なりき。初め彼は紙に炭＃
＜Ｐ－１１３＞
素を塗りて試みしが、思はしき結果を得ず。次いで白金＃
其の他の金屬の針金を以て樣々の實驗を重ねしが、こ＃
れまた失敗に終りぬ。こゝにおいて再び炭素線の研究＃
に没頭したれども、徒に多くの時日と金錢とを費した＃
るに過ぎざりき。＃
或日のことなりき。エヂソンは例の如く實驗室に閉ぢ＃
こもりて研究に餘念なかりしが、ふと見れば机上に形＃
珍しき一本の團扇あり。何心なく手に取りて眺めゐた＃
りし彼の眼は異樣に輝きぬ。彼の眺め入りしは繪にあ＃
らず紙にあらず、實に團扇に用ひられたる竹なりしな＃
＜Ｐ－１１４＞
り。＃
彼は直に竹を以て炭素線を作りて實驗せしに、豫想以＃
上の好結果を得たり。こゝにおいて彼は人を世界の各＃
地につかはして竹を採集せしめ、其のもたらせるもの＃
に就いて綿密に研究せしが、日本の竹最も適當なりし＃
かば、專ら之によりて心を製出せり。しかして其の電球＃
は忽ち世界に廣まりぬ。＃
エヂソンの發明せるは電話・電燈・電信・電車・活動寫眞・蓄［ちく］＃
音機に關するものなど極めて多く、アメリカにて特許＃
を得たるもののみにても其の數實に千餘に及ぶ。今日＃
＜Ｐ－１１５＞
文明の利器と稱せらるゝものにして、直接間接に彼の＃
天才によらざるもの殆どなしといひて可なり。＃
第二十三課　電氣の世の中　＃
二十五日午後一時から、學校の講堂で村崎工學博士の＃
「電氣の世の中」と題する講演があつた。博士は先づ＃
「現今における電氣の利用は實にめざましいもので＃
す。電車は次第に汽車の領分までも侵［しん］略し、尚進んで＃
電氣機關車さへも用ひられるやうになりました。諸＃
機械の原動力であつた人力又は蒸氣力もだん〳〵＃
電氣に變つて、工業界の一大革新をうながしてゐま＃
＜Ｐ－１１６＞
す。殊に近年は水力電氣の驚くべき發達にともなひ、＃
電力は頗る廉［れん］價に供給されるので、石炭の火力によ＃
る蒸氣力は、多くの場合之に敵することが出來なく＃
なりました。そればかりでなく、石炭は早晩使ひ盡く＃
されてしまふが、水力は無限といつてよい。」＃
といつて、急流や瀑布に富んでゐる我が國では、將來益〻＃
水力電氣の利用をはからなければならぬことを力説＃
した。＃
次に博士は電氣の光に就いて述べた。＃
「エヂソンが炭素線の電燈を發明したのは四十年ば＃
＜Ｐ－１１７＞
かり前のことであつたが、今では更に進んで光の色＃
が太陽に似て、しかも比較［かく］的熱をともなふことの少＃
い電燈さへも發明されました。一體最も理想的な燈＃
火は太陽の光のやうに明るくて、しかもほたるの光＃
のやうに熱をともなはないものであります。」＃
といひ、活動寫眞のフィルムがアーク燈の熱の爲に發火＃
して、多くの死傷者を出した話などを附加へた。＃
「電信や電話の發明は其の當時實に全世界を驚かし＃
たものでありますが、其の後無線電信が發明されて、＃
陸上でも海上でも、自由に消息を交換することが出＃
＜Ｐ－１１８＞
來るやうになりました。又最近無線電話が發明され＃
ましたが、今やそれが盛に利用される機運となりま＃
した。」＃
アメリカにおいては此の無線電話の應用が極めて廣＃
く、遠い處の音樂・演説・講話などを居ながら聞くことが＃
出來ることや、進行中の汽車が無線電話機を備へ附け＃
てゐたために危險を免れたことや、無線電話で子守歌＃
を聞かせて赤ん坊［ばう］を寢つかせてゐることなどの耳新＃
しい話に、博士は滿堂の會衆を喜ばせた。＃
最後に博士は電氣こんろ・電氣アイロン・電氣ストーブ・＃
＜Ｐ－１１９＞
扇風機など、家庭における電氣の利用に就いて興味あ＃
る話をして壇［だん］を下つた。＃
第二十四課　舊師に呈す　＃
拜啓。誠に御無沙汰に打過ぎ、申しわけもこれ＃
なく候。當地に參りて以來、一度手紙を以て御＃
樣子御伺ひ申上げたしとは存じながら、なれ＃
ぬこととて仕事に追はれ、一日々々と延引致＃
し、今日に相成り申候。失禮の段御許し下され＃
たく候。＃
本日突然上田君に出會ひ、久しぶりにて郷里＃
＜Ｐ－１２０＞
の樣子をいろ〳〵承り申候處、先生には何時＃
も御壯健の由、何よりのことに御座候。私のこ＃
と御心にかけ下され、常に「小山はどうしてゐ＃
るだらうか。」と仰せらるゝ由、いよ〳〵御なつ＃
かしく存じ奉り候。主人の使などにまゐる途＃
中、小学校の前を通りては、郷里の學校のおも＃
しろかりしことなど思ひ出し申候。＃
私の勤め居り候家は呉服店にて、なか〳〵忙＃
しく御座候。參りし當座は何事もわからず、唯＃
氣をもむのみにて、我ながら情なく存じ候ひ＃
＜Ｐ－１２１＞
しが、何事も忍耐が第一とのかねての御教訓＃
に從ひ、一心に働き候ため、追々店の樣子もわ＃
かり、お客樣の扱方にもなれて、仕事に興味を＃
覺ゆるやう相成り申候。毎晩賣上高の勘［かん］定を＃
致す時など、仲間のうちにて計算は私が一番＃
達者なりとて、何時もほめられ申候。これも全＃
く先生方のおかげと深く感謝致居り候。此の＃
上はいよ〳〵仕事に勵み、一日も早く一人前＃
の商人となりて、親に安心致させたしと存じ＃
居り候。先づは御無沙汰の御わびかた〴〵近＃
＜Ｐ－１２２＞
況御知らせ申上候。敬具。＃
二月二十日　小山文太郎　＃
大井先生　＃
第二十五課　港入　＃
一　＃
夢にのみ見し山川も、＃
あけくれにしたひし家も、＃
まのあたり近く迫りぬ。＃
かもめ飛ぶ海をすべりて、＃
船は今靜かに歸る、＃
＜Ｐ－１２３＞
懷かしき故郷の港。＃
二　＃
はやて吹くやみにたゞよひ、＃
寄るべなき海にさすらひ、＃
思出の深き船路や、＃
つゝがなく今日しも果てて、＃
船は今靜かに歸る、＃
懷かしき故郷の港。＃
三　＃
うるはしき眞玉・白玉、＃
＜Ｐ－１２４＞
にほひよき木の實、草の實、＃
うづたかき積荷の中に＃
海山の寶を載せて、＃
船は今靜かに歸る、＃
懷かしき故郷の港。＃
第二十六課　勝安芳と西郷隆盛　＃
明治元年三月徳川慶［よし］喜［のぶ］征討の官軍は諸道より並び進＃
んで、東海道先鋒［ぽう］は品川に、東山道先鋒は板橋に着いた。＃
月の十五日を期して總攻撃を行ひ、一擧に江戸を乗つ＃
取る手はずである。徳川方も事こゝに至つては、あくま＃
＜Ｐ－１２５＞
でも戰ふ覺悟をきめて、ものすごい緊［きん］張を示してゐる。＃
しかし市中の混亂は蜂の巣を突いたやうなさわぎで＃
ある。＃
慶喜から官軍に對する交渉の全權を委任せられてゐ＃
た舊幕府の陸軍總裁勝安［やす］芳［よし］は、かねてから百方畫策し＃
て時局の圓滿な解決を計つてゐた。しかし大勢は如何＃
ともしがたく、危機は既に目前に迫つたので、安芳は三＃
月十三日官軍の參謀西郷隆［たか］盛［もり］に會見を求めた。西郷は＃
早速承知して、芝［しば］高［たか］輪［なわ］の薩［さつ］摩［ま］屋敷で會見したが、其の日＃
要領は遂に得がたく、兩人は翌日の再會を期して別れ＃
＜Ｐ－１２６＞
た。＃
翌十四日の會見は、芝、田町の＃
薩摩屋敷で行はれた。安芳は＃
今日こそ最後の確答を得よ＃
うと決心して、西郷をおとづ＃
れたのである。＃
屋敷の附近は、官軍の兵士が＃
すき間もなく警衞してゐる。＃
安芳がはいつて行かうとす＃
ると、門を守つてゐた兵士等＃
＜Ｐ－１２７＞
が＃
「それ勝が來た、勝が來た。」＃
とひしめきながら、一せいに銃劔を取直して行くてを＃
さへぎつた。安芳は大音に＃
「西郷はどこに居る。」＃
と叫んだ。其の勢に呑まれて兵士等は思はず道を開い＃
た。＃
一室に通されて待つてゐると、やがて西郷が出て來た。＃
次の間には官軍の荒武者共がひかへて、何となく物々＃
しい。しかし二人は互に信じ合つてゐる仲なので、話は＃
＜Ｐ－１２８＞
おだやかに運ばれる。安芳がいふ、＃
「官軍方の御意見はどのやうなものか存じませんが、＃
拙［せつ］者の考へる所では、今日日本の周圍には諸外國が＃
樣々の考を持つて見てをるので、うか〳〵と兄弟垣＃
にせめいでゐたら、日本全國にのしをつけてどこぞ＃
の國へやつてしまふやうな事にならぬとは決して＃
申されませぬ。之に比べれば、幕臣の身としては如何＃
がな申分ではあるが、徳川家の存亡などは言ふにも＃
足らぬ小事でござります。」＃
相手は大きな眼でじつと安芳の顔を見つめながら、だ＃
＜Ｐ－１２９＞
まつて聽いてゐる。安芳は更に＃
「しかしたとへにも申す通り、一寸の蟲にも五分の魂。＃
徳川侍のなまくら刀にも少しは切れる所がござり＃
ませう。官軍方の思召通り一押にはゆかぬかも知れ＃
ませぬ。すると其のうちには又思の外な尻［しり］押なども＃
現れて、事めんだうな筋合にならぬとも限りませぬ。＃
拙者は、此の談判がよしどのやうに決着するにもせ＃
よ、さやうな事になれかしとは毛頭考へませぬが、大＃
勢は人力の如何ともしやうのないもので――。」＃
西郷はだまつてうなづいた。安芳は尚言葉を續けて、＃
＜Ｐ－１３０＞
「此の邊の事情をよく〳〵御推察下されて、特別の御＃
仁慈を以ておだやかに事のまとまるやう今一應御＃
評議下さることになりますれば、誠に日本國の幸で＃
ござります。又延いては徳川家及び江戸百萬の民の＃
仕合はせ、これは申すまでもござりませぬ。何分今一＃
應の御評議を推して御願ひ申す次第でござります。」＃
西郷はしばらくじつと考へてゐたが、＃
「よろしい。とにかく明日の總攻撃見合はせの一事だ＃
けは、拙者一命にかけて御引受け申します。其の餘の＃
事は拙者の一存にはまゐりませぬから、追つての沙＃
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汰をお待ち下さい。」＃
やがて安芳は西郷に見送られて門を出た。＃
警衞の兵士等は、安芳の姿を見ると一時に押寄せて來＃
たが、西郷が後に續いてゐるのを見て、一同恭しく捧げ＃
銃［つゝ］の禮をした。安芳は自分の胸を指さして、＃
「次第によつては、或は君等の銃先にかゝつて死ぬか＃
も知れぬ。よく此の胸を見覺えておいてくれ。」＃
といひながら、西郷と顔を見合はせてにつこり笑つた。＃
西郷は軍令を出して翌日の進軍を中止させた。さうし＃
て直に靜岡の大總督府にはせつけて議をまとめ、更に＃
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京都に上つて勅裁を仰ぎ、とう〳〵徳川方の願意をと＃
ほさせた。安芳が一命をかけた努力と、西郷の果斷によ＃
つて、江戸の市民も徳川家もわざはひを免れて、維［ゐ］新の＃
大事業もとゞこほりなく成し遂げられるやうになつ＃
た。＃
第二十七課　我が國民性の長所短所　＃
我が國が世界無比の國體を有し、三千年の光輝ある歴＃
史を展開し來つて、今や世界五大國の一に數へられる＃
やうになつたのは、主として我々國民にそれだけすぐ＃
れた素質があつたからである。君と親とに眞心を捧げ＃
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盡くして仕へる忠孝の美風が世界に冠たることは、今＃
更いふまでもない。忠孝は實に我が國民性の根本をな＃
すもので、之に附隨して幾多の良性・美徳が發達した。＃
東海の島に據つた日本は、國家を建設する上に頗る有＃
利であつた。四周の海が天然の城壁となつて、容易に外＃
敵のうかゞふことを許さないから、國家の存立を危く＃
し、國民の生活をおびやかすやうな危機は絶無であり、＃
國内はおほむね平和であつた。隨つて國民は國の誇を＃
傷つけられたことがなく、又其の誇を永久に持續しよ＃
うとする心掛けも出來て、いざといへば、擧國一致國難＃
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に當る氣風を生じた。萬世一系の皇室を中心として團＃
結した國民は、かくていよ〳〵結束を固くし、熱烈な愛＃
國心を養成した。其の上我が國の美しい風景や温和な＃
氣候は、自ら國民の性質を穩［をん］健ならしめ、自然美を愛好＃
するやさしい性情を育成するのに與つて力があつた。＃
しかし此の事情は一面に國民の短所をもなしてゐる。＃
狹い島國に育ち、生活の安易な樂土に平和を樂しんで＃
ゐた我が國民は、とかく引込み思案におちいり易く、奮＃
鬪［とう］努力の精神に乏しく、遊惰［だ］安逸［いつ］に流れるかたむきが＃
ある。温和な氣候や美しい風景は、人の心をやさしくし、＃
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優美にはするが、雄大豪［がう］壯の氣風を養成するには適し＃
ない。殊に徳川幕府二百餘年の鎖［さ］國は、國民をして海外＃
に發展する意氣を消磨せしめ、徒に此の小天地を理想＃
郷と觀じて、世界の大勢を知らぬ國民とならしめた。其＃
の結果今日も尚國民は眞の社交を解せず、人を信じ人＃
を容れる度量に乏しい。そこで海外に移住しても外國＃
人から思ひ掛けぬ誤解を受けて排［はい］斥［せき］されるやうなこ＃
とも起つて來る。すべて日本人の短所として、性質が小＃
さく狹く出來たきらひがある。其の原因はいろ〳〵あ＃
らうが、昔から此の島國で荒い浮世を知らずに過して＃
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來たことが、其の主たるものであらう。今日我が國が列＃
強の間に立つて世界的の地歩を占めた以上、かういふ＃
短所はやがて我が國民から消去るであらうが、出來る＃
限り早く之を一掃することは我々の務ではあるまい＃
か。＃
支那・印度の文明を入れ、更に西洋の文明を入れて長足＃
の進歩を成し遂げた日本國民は、賢明な機敏な國民で＃
ある。他國の文明を消化して、之を巧みに自國のものと＃
することは、實に我が國民性の一大長所である。しかし＃
此の半面にもまた短所がうかゞはれないであらうか。＃
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自分で思ふまゝに造り出す創造力は、十分に發揮せら＃
れたことがなく、昔から殆ど摸［も］倣［はう］のみを事として來た＃
觀がある。習、性となつては、遂に日本人には獨創力がな＃
いであらうと自らも輕んじ、外國人からも侮られる。し＃
かし摸倣はやがて創造の過程でなくてはならぬ。我々＃
は何時かは摸倣の域を脱して十分に獨創力を發揮し、＃
世界文明の上に大いに貢［こう］獻［けん］したいものである。＃
我が國民には潔いこと、あつさりしたことを好む風が＃
ある。櫻の花の一時に咲き一時に散る風［ふ］情［ぜい］を喜ぶのが＃
それであり、古の武士が玉とくだける討死を無上の名＃
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譽としたのがそれである。日本人ほどあつさりした色＃
や味はひを好むものはあるまい。あつさりしたこと、潔＃
いことを好む我が國民は、其の長所として廉［れん］恥を貴び、＃
潔白を重んずる美徳を發揮してゐる。しかし其の半面＃
には、物にあき易く、あきらめ易い性情がひそんではゐ＃
ないか。堅忍不拔あくまでも初一念を通すねばり強さ＃
が缺けてはゐないか。こゝにもまた我々の反省すべき＃
短所があるやうである。＃
我が國民の長所・短所を數へたならば、まだ外にもいろ＃
いろあらう。我々は常に其の長所を知つて、之を十分に＃
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發揮すると共に、又常に其の短所に注意し、之を補つて＃
大國民たるにそむかぬりつぱな國民とならねばなら＃
ぬ。＃
尋常小學國語讀本卷十二終＃
