＜出典＞４５１　　　国定読本　４期５－１
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目録　　＃
第一　　四月………一　　第十五　　晴間………七十一　＃
第二　　春の夜………五　　第十六　　三日月の影………七十四　＃
第三　　飛行機の發明………七　　第十七　　圖書館………九十二　＃
第四　　八幡太郎………十八　　第十八　　星の話………九十九　＃
第五　　松下禪尼………二十　　第十九　　京城へ………百六　＃
第六　　手まり………二十二　　第二十　　僕の子馬………百十四　＃
第七　　小さなねぢ………二十三　　第二十一　　母馬子馬………百二十三　＃
第八　　軍艦生活の朝………三十二　　第二十二　　秋のおとづれ………百二十六　＃
第九　　馬ぞろへ………三十九　　第二十三　　袴垂………百三十　＃
第十　　松平信綱の幼時………四十三　　第二十四　　ひざ栗毛………百三十三　＃
第十一　　雀の子………四十七　　第二十五　　空の旅………百四十五　＃
第十二　　アメリカだより………四十八　　第二十六　　もくせいの花………百五十八　＃
第十三　　佛法僧………六十二　　第二十七　　橘中佐………百六十　＃
第十四　　いも掘………六十八　　第二十八　　國語の力………百六十六　＃
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　第一　　四月　　＃
四月といへば、春はもうなかばである。月の初は＃
まだ寒くて、冷たい雨の降りしきることもあるが、其＃
の間にも、柳［やなぎ］の芽の緑が日ましに太り、畠や道端の若＃
草が目に見えてのびて來る。桃の花は三月の末頃＃
咲出して、此の月の初に、そろ〳〵花盛を見せる。＃
待たれるものは櫻である。早い年には、三月の末＃
か四月のごく初に、蕾［つぼみ］のほころびることがあるが、さ＃
ういふ年には、季節はづれの雪が降つたりして、せつ＃
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かくの花をだいなしにする。さうでなくても二三＃
分咲きかけた所へ、よく意地わるの雨が降りそゝぐ。＃
雨が止んで嬉しやと思ふ夜半から、途方もない南風＃
が吹出して、花をいためつける。花の咲く頃は、何時＃
もかうして氣をもむことが多い。＃
それにしても、毎年花は必ず咲くものである。暖＃
な春の日が一日か二日も續くと見れば、櫻といふ櫻＃
は、ほとんど殘らず咲きつくして、野も花、山も花。庭＃
も、軒端も、川端の堤も、學校の運動場も、神社・寺院の境［けい］＃
内［だい］も、一時に花で埋まる。かうなつては、とてもうち＃
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にじつとしてゐられない。男＃
も、女も、老人も、子供も、ありとあ＃
らゆる人間は、花を尋ね、花に浮＃
かれて出て來る。人ばかりで＃
はない、小鳥も、蝶［てふ］も、蜂［はち］もそう出＃
で、一年に二度とない此の花盛＃
を、一時でも長く樂しまうとす＃
るかのやうに見える。＃
幸にして日は長い。朝かなり早く起きたつもり＃
でも、もう太陽はうら〳〵とのぼつてゐる。雲［ひば］雀［り］の＃
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歌が、かすんだ空にのどかに聞かれる。一日を遊び＃
暮し、遠く入相の鐘［かね］のひゞきを聞いても、なほ長堤の＃
櫻は、夕日に映じてはなやかに咲續いてゐる。＃
花が散つて、始めて人の心が落着く。春ののどけ＃
さが、ほんたうに味はゝれる。野末のすみれ・たんぽゝ・＃
きんぽうげ、畠一面に咲く菜の花、さうしたものにし＃
みじみと春の幸福を感ずる。＃
しかし、自［し］然［ぜん］はしばらくもとゞまつてゐない。木＃
木の梢は、片端から芽を吹出す。けやきの大木が、淡＃
褐［かつ］色［しよく］にぼつと大空をいろどる。楓［かへで］の芽の紅が、ゆめ＃
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のやうに廣がる。黄に、淡紅に、淺緑に、梢々が煙るや＃
うに見え、やがてそれがほゞ一樣の若緑の色に映え＃
出す頃は、もう八重櫻も散りはてて、行く春を惜しむ＃
心が、そろ〳〵胸にせまつて來る。　　＃
　第二　　春の夜　　＃
暖い晩だ。　　＃
よひから、赤ちやんが　　＃
すや〳〵と眠つてゐる。　　＃
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遠い汽笛、　　＃
しめやかに下［げ］駄［た］の音、　　＃
どこかでどつと笑ひ聲。　　＃
暖い、さうして　　＃
何か、あたりが　　＃
うき〳〵とぞよめく晩だ。　　＃
アネモネや　　＃
チューリップの蕾［つぼみ］が、　　＃
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ぐん〳〵ふくらみさうな晩だ。　　＃
　第三　　飛行機の發明　　＃
空飛ぶ鳥を見て、自分もあゝいふ風に飛んでみた＃
いと思ひ、いろ〳〵工夫をこらした人は、かなり古く＃
からあつたやうです。我が國でも、今から百數十年＃
前、岡山の幸［かう］吉［きち］といふ表具師が、鳩［はと］の體を研究して大＃
きな翼をこしらへ、それをあやつりながら屋根から＃
飛んで、人々を驚かしたといふ話があります。＃
ドイツのリヽエンタールも、同じやうに鳥から思＃
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ひついて、翼に似た物を作りまし＃
た。それを體に着けて、岡の上か＃
ら一思ひに飛んでみると、意外に＃
うまく空中を滑走することが出＃
來ました。それ以來、彼はますま＃
す研究を重ね、滑走機を改良して、＃
其の操縱に熱中しましたが、或日＃
突風にあふられて自由を失ひ、空＃
から落ちて死んでしまひました。これは我が明治＃
二十九年八月のことでした。＃
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同じ頃、アメリカ合［がつ］衆［しゆう］國にラン＃
グレーといふ人がゐました。こ＃
れも、子供の時から鳥を見てはし＃
きりに考へてゐましたが、大人に＃
なると熱心に飛行機の研究を始＃
めました。＃
彼は、飛行機の模［も］型［けい］を次から次＃
へと作つて、研究を進めました。＃
どういふ動力を附けるかについても、いろ〳〵考へ＃
ましたが、とう〳〵小さい蒸氣機關を作つて取附け＃
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ることに成功しました。＃
彼の苦心に成つた模型飛行機は、見事一氣に千米＃
近くも飛んで、人々をあつといはせました。それは＃
ちやうど、リヽエンタールが死ぬ三箇月程前のこと＃
でした。＃
模型飛行機が飛ぶのですから、其の大きい物を作＃
りさへすれば、きつと人間も乘つて飛べるに違ひあ＃
りません。ラングレーは、その後一生けんめいにな＃
つて實物を作りましたが、さていよ〳〵試［し］驗［けん］をして＃
みると、うまく行きません。二回やつて、二回ともこ＃
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はれてしまひました。模型飛行機はりつぱに飛ん＃
だのに、實物はとう〳〵失敗に終りました。＃
同じアメリカ合衆國に、ライトといふ兄弟がゐま＃
した。兄をウィルバー、弟をオービルといひました＃
が、二人は、小學校に通ふ頃から、何よりも機械が大好＃
きでした。＃
リヽエンタールが死んだことも、ラングレーが模＃
型飛行機を飛ばせたことも、彼等は、世間の人々以上＃
に、其の記事を熱心に讀みました。といふのは、彼等＃
もまた飛行機を作ることが、年來の望であつたから＃
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です。＃
兄は、何でも理くつで考へる方でしたが、弟は、理く＃
つよりも、實［じつ］際［さい］の物を作るのが得意でした。＃
明治三十三年の夏、二人は、北カロライナ州の砂山＃
のある所を見立てて、そこで滑走機の實驗をしまし＃
た。いろ〳〵の形の滑走機を作つて試驗をしてゐ＃
る中、翌年の夏、百米以上も空中を滑走することが出＃
來ました。＃
次に、發動機について研究しました。ガソリン發＃
動機がよいとは思ひましたが、まだ其の頃は、輕くて＃
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強い力の出るものがありませんでした。二人は、苦＃
心に苦心を重ねたあげく、どうやら適［てき］當［たう］な物を作る＃
ことに成功しました。それから、プロペラについて＃
も、いろ〳〵と工夫をこらしました。＃
明治三十六年十二月十四日、今日こそ、二人の苦心＃
に成る飛行機を飛ばせようといふのです。上天氣＃
で、風がちつともありませんので、砂山の上へ機を運＃
んで、斜［しや］面［めん］を滑らせながら飛ばせることにしました。＃
兄のウィルバーが、最初に乘りました。プロペラ＃
が廻轉すると、機は勢よく斜面を滑つて下りました。＃
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さうして、十數米も滑走した頃、機は果して地面をは＃
なれました。＃
しかし、二三米空中に上つたと思ふと、急にふらふ＃
らとして、飛行機は地上に落ちてしまひました。其＃
のため、機體は幾分破損しました。かうして、此の日＃
の試驗は失敗に終りました。＃
それから二日間、二人は機の修［しう］繕［ぜん］に一生けんめい＃
でした。＃
三日目の十二月十七日が來ました。朝から大分＃
風が烈しいので、しばらく見合はせてゐましたが、や＃
＜Ｐ－０１５＞
がて幾分靜まつた頃、二人は機を引出しました。今＃
日は、平地でも飛べるだらうと思はれました。＃
今度は、弟のオービルが乘り＃
ました。機は、風に向かつてゆ＃
るゆると滑走し始め、十數米走＃
つて、ふはりと空中に浮かびま＃
した。＃
風が強いので機は上へ下へ＃
動［どう］搖［えう］します。それでも三十六＃
米ばかりを見事に乘切つて、地＃
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上に下りました。たつた三十六米、時間にしてわづ＃
か十二秒でしたが、しかし、動力による飛行機が、人間＃
をのせて空中を飛行することに成功したのは、これ＃
が始めてだといはれてゐます。＃
其の日は、なほ二回・三回と試驗をくりかへしまし＃
た。さうして、其の都［つ］度［ど］成績が上つて行くやうでし＃
た。四回目に、兄ウィルバーが乘つた時は、非常に調＃
子よく飛んで、五十九秒、二百六十米といふ好成績を＃
收めました。＃
それ以來今日までわづか三十幾年を經たに過ぎ＃
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ませんが、ちう返りや木の葉落しの妙技に、世間が驚＃
の目をみはつたのももう昔のこと、今では、大陸とい＃
はず大洋といはず、飛行機が自由自在に空中を飛ん＃
で旅行に、輸送に、軍事に、すばらしい活［くわつ］躍［やく］を見せてゐ＃
ます。もちろん其の間、飛行機は日々に改良せられ＃
飛行技術もまた非常な進歩を遂げたのですが、それ＃
にしても其の最初といへば、ライト兄弟の苦心に成＃
つた十二秒乃［ない］至［し］五十九秒の飛行で、これが實に飛行＃
機における人類最初の輝かしい成功記［き］録［ろく］であつた＃
のです。　　＃
＜Ｐ－０１８＞
　第四　　八［はち］幡［まん］太郎　　＃
八幡太郎義［よし］家［いへ］、或日安［あ］倍［べの］宗［むね］任［たふ］を召連れて、廣き野を＃
過行きしに、狐［きつね］一匹、目の前に走り出でたり。義家、背＃
中のうつぼより、かりまたの矢を拔きて弓につがへ、＃
狐を追ひかけしが、射殺さんもふびんと思ひ、左右の＃
耳の間をねらひてひようと射る。矢はあやまたず＃
狐の頭上をすれ〳〵にかすめて、鼻先なる土にぷす＃
と突立ち、狐は其の場に倒れたり。＃
宗任、馬より下りて狐を引上げ、＃
＜Ｐ－０１９＞
「矢はあたらぬに、狐は死にて候。」＃
と申せば、義家、＃
「驚きて倒れたるなり。捨てお＃
かば、間もなく生きかへるべし。」＃
といふ。＃
宗任すなはち矢を拔取りて差＃
出せば、義家くるりと背を向けて＃
うつぼに差させけり。宗任は、もと賊軍の大將にて、＃
近頃降りし者なれば、義家の家來どもこれを見て、＃
「危きことかな。かのするどき矢を差さしめ給ふ＃
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ことよ。もし宗任に惡心あらば。」＃
と、手に汗をにぎりけり。　　＃
　第五　　松下禪［ぜん］尼［に］　　＃
北［ほう］條［でう］時［とき］頼［より］の母、松下禪尼、或日時頼を招待せんとて、＃
障［しやう］子［じ］の破れを手づからつくろひゐたり。＃
禪尼の兄、義［よし］景［かげ］これを見て、＃
「かゝる事は召使に命じ給へ。自ら手を下し給ふ＃
に及ばざるべし。」＃
と言ひしに、＃
＜Ｐ－０２１＞
「自らなし得ることは、人手をかるまでもなしと思＃
へば。」＃
とて、なほ前の如く、おぼつかな＃
き手つきにて一小間づつ張り＃
ゐたり。＃
義景重ねて、＃
「さらばこと〴〵く張りかへ＃
給へ。切張はまだらになり＃
て見苦しからん。」＃
と言ふ。禪尼、＃
＜Ｐ－０２２＞
「我も後には張りかへんと思へど、すべて物は破れ＃
たる時つくろへば、しばらくはなほ用をなすもの＃
ぞと若き人に知らせんとて、かくするなり。」＃
と答へぬ。　　＃
　第六　　手まり　　良［りやう］寛［くわん］　　＃
かすみ立つ長き春日を子供らと手まりつきつゝ＃
この日くらしつ　　＃
子供らと手まりつきつゝこの里に遊ぶ春日はく＃
＜Ｐ－０２３＞
れずともよし　　＃
天［あめ］も水もひとつに見ゆる海の上に浮かび出でた＃
る佐［さ］渡［ど］が島山　　＃
　第七　　小さなねぢ　　＃
暗い箱の中にしまひ込まれてゐた小さな鐵のね＃
ぢが、不意にピンセットにはさまれて、明かるい所へ＃
出された。＃
ねぢは驚いてあたりを見廻したが、いろ〳〵の物＃
＜Ｐ－０２４＞
の音、いろ〳〵の物の形が、ごた〳〵と耳にはいり目＃
にはいるばかりで、何が何やらさつぱりわからなか＃
つた。＃
しかし、だん〳〵落着いて見ると、こゝは時計屋の＃
店であることがわかつた。自分の置かれてゐるの＃
は、仕事臺の上に乘つてゐる小さなふたガラスの中＃
で、そばには、小さな心棒や、齒［は］車［ぐるま］や、ぜんまいなどが並＃
んでゐる。きりや、ねぢ廻しや、ピンセットや、小さな＃
槌［つち］や、さま〴〵の道具も、同じ臺の上に横たはつてゐ＃
る。周圍の壁やガラス戸棚には、いろ〳〵な時計が＃
＜Ｐ－０２５＞
たくさん並んでゐる。かち〳〵と氣ぜはしいのは＃
置時計で、かつたりかつたりと大やうなのは柱時計＃
である。＃
ねぢは、これ等の道具や時計を、あれこれと見くら＃
べて、あれは何の役に立つのであらう、これはどんな＃
所に置かれるのであらうなどと考へてゐる中に、ふ＃
と自分のことに考へ及んだ。＃
「何といふ小さい情ない自分であらう。あのいろ＃
いろの道具、たくさんの時計、形も大きさもそれぞ＃
れ違つてはゐるが、どれを見ても大きくて、えらさ＃
＜Ｐ－０２６＞
うである。一かどの役目を勤めて世間の役に立＃
つのに、どれもこれも不足は無ささうである。た＃
だ自分だけが此のやうに小さくて、何の役にも立＃
ちさうにない。あゝ、何といふ情ない身の上であ＃
らう。」＃
不意にばた〳〵と音がして、小さな子供が二人、奧＃
からかけ出して來た。男の子と女の子である。二＃
人はそこらを見廻してゐたが、男の子は、やがて仕事＃
臺の上の物をあれこれといぢり始めた。女の子は、＃
たゞじつと見まもつてゐたが、やがてかの小さなね＃
＜Ｐ－０２７＞
ぢを見つけて、＃
「まあ、かはいゝねぢ。」＃
男の子は、指先でそれをつまゝうとしたが、餘り小＃
さいのでつまめなかつた。二度、三度、やつとつまん＃
だと思ふと、すぐに落してしまつた。子供は、思はず＃
顏を見合はせた。ねぢは、仕事臺の脚のかげにころ＃
がつた。＃
此の時、大きなせきばらひが聞えて、父の時計屋さ＃
んがはいつて來た。時計屋さんは、＃
「こゝで遊んではいけない。」＃
＜Ｐ－０２８＞
と言ひながら、仕事臺の上を見て、出して置いたねぢ＃
の無いのに氣が附いた。＃
「ねぢが無い。誰だ、仕事臺の上をかき廻したのは。＃
あゝいふねぢはもう無くなつて、あれ一つしか無＃
いのだ。あれが無いと、町長さんの懷［くわい］中［ちゆう］時計が直＃
せない。探せ〳〵。」＃
ねぢはこれを聞いて、飛上る程嬉しかつた。それ＃
では、自分のやうな小さな者でも、役に立つことがあ＃
るのかしらと、むちゆうになつて喜んだが、此のやう＃
な所にころげ落ちてしまつて、若し見つからなかつ＃
＜Ｐ－０２９＞
たらと、それが又心配になつて來た。＃
親子は、總掛りで探し始めた。ねぢは、「こゝにゐま＃
す。」と叫びたくてたまらない。三人はさん〴〵探し＃
廻つたが、見つからないので、＃
がつかりした。ねぢも、がつ＃
かりした。＃
其の時、今まで雲の中にゐ＃
た太陽が顏を出したので、日＃
光が店一ぱいに差込んで來＃
た。すると、ねぢが其の光を＃
＜Ｐ－０３０＞
受けて、ぴかりと光つた。仕事臺のそばに、ふさぎ込＃
んで下を見つめてゐた女の子が、それを見つけて、思＃
はず「あら。」と叫んだ。＃
父も喜んだ、子供も喜んだ。しかも、一番喜んだの＃
はねぢであつた。＃
時計屋さんは、早速ピンセットでねぢをはさみ上＃
げて、大事さうに元のふたガラスの中へ入れた。さ＃
うして、一つの懷中時計を出してそれをいぢつてゐ＃
たが、やがてピンセットでねぢをはさんで機械の穴＃
に差込み、小さなねぢ廻しでしつかりとしめた。＃
＜Ｐ－０３１＞
龍［りゆう］頭［づ］を廻すと、今まで死んだやうになつてゐた懷＃
中時計が、忽ち愉快さうにかち〳〵と音を立て始め＃
た。ねぢは、自分がこゝに位置を占めたために、此の＃
時計全體が再び活動することが出來たのだと思ふ＃
と、嬉しくて嬉しくてたまらなかつた。時計屋さん＃
は、仕上げた時計をちよつと耳に當ててから、ガラス＃
戸棚の中につり下げた。＃
一日おいて町長さんが來た。＃
「時計は直りましたか。」＃
「直りました。小さなねぢが一本いたんでゐまし＃
＜Ｐ－０３２＞
たから、取りかへて置きました。工合の惡かつた＃
のは其のためでした。」＃
と言つて渡した。ねぢは、＃
「自分もほんたうに役に立つてゐるのだ。」＃
と心から滿足した。　　＃
　第八　　軍艦生活の朝　　＃
東の空が明かるくなると、今まで軍港のやみに包＃
まれてゐた軍艦の壯大な姿が、だん〳〵にあらはれ＃
て來る。後甲板には、當直將校の姿が見え、艦橋には、＃
＜Ｐ－０３３＞
望遠鏡を持つた掌［しやう］信［しん］號［がう］兵［へい］が遠くを見＃
張つてゐる。舷［げん］門［もん］には、銃を手にした＃
番兵があたりを警戒してゐる。千數＃
百人の乘員は、なほ安らかな眠を續け＃
てゐるのであらう。艦内は深［み］山［やま］のや＃
うな靜かさである。＃
人の顏がやつと見分けられるやう＃
になつた頃、時［じ］鐘［しよう］番兵がこと〳〵と後＃
甲板に來て、「總員起し五分前。」と、當直將＃
校に報告する。軍艦の起床時刻は、夏＃
＜Ｐ－０３４＞
は五時、冬は六時である。間もなく、甲板士官や傳令＃
員が起きて來る。副長もはや上甲板にあらはれて、＃
今日の天氣はどうかと空を眺める。＃
やがて午前五時の鐘［かね］が鳴ると、當直將校が元氣の＃
よい聲で號令をかける。＃
「總員起し。」＃
此の號令で、朝の靜かさが忽ち破られ、起床ラッパは＃
勇ましくひゞき、傳令員は號笛を吹きながら、「總員起＃
し。」と呼んで、つり床の間を縫つて行く。すると、乘員＃
は一せいに飛起きて、手早くつり床をくゝる。これ＃
＜Ｐ－０３５＞
から號令が次々に下る。それにつれて、つり床は正＃
しく一定の場所に納められる。すべての窓や出入＃
口は開かれる。これ等の仕事は、陸上の家で、毎朝起＃
きると先づ夜具を片附け、雨戸をくるのと變りはな＃
いが、千數百人の乘員が、號令に從つて規［き］律［りつ］正しく活＃
動する其のさまは、いかにも目ざましい。數分の中＃
に、艦内はすつかり整［せい］頓［とん］する。＃
そこで五分間の休［きう］憩［けい］があつて、露天甲板洗となる。＃
これは水兵員の受持で、先づ＃
「兩舷直、整列。」＃
＜Ｐ－０３６＞
のラッパが一きは高くひゞき渡ると、はだしのまゝ＃
の水兵員が後甲板にはせ集つて、ずらりと整列する。＃
兩舷直といふのは、特別の務の＃
ある者をのぞいた外の水兵員＃
のことである。間もなく、當直＃
將校から威勢のよい號令がか＃
かる。＃
「露天甲板洗へ。」＃
水兵は、くもの子を散らすや＃
うに八方へ散つて、かひ〴〵し＃
＜Ｐ－０３７＞
くズボンをまくり上げ、身輕な姿になつて、分隊毎に＃
甲板洗を始める。先づ下士官が、甲板の吐水口から＃
ふき出る海水を、桶に汲んではどん〳〵流すと、洗［あらひ］刷［ば］＃
毛［け］を持つた數十人の水兵が、甲板をこすりながら頭＃
を並べて進んで行く。＃
甲板洗がすむと、＃
「顏洗へ。」「煙草ぼん出せ。」＃
の號令が下る。そこで始めて乘員は顏を洗ふ。其＃
の中に上陸員が歸艦する。そここゝで、「お早う。」が言＃
ひかはされる。火なは一本の煙草ぼんのまはりに＃
＜Ｐ－０３８＞
は、人の山が出來て、いろ〳〵の話が出る。笑ひ聲も＃
起る。間もなく、「食事」のラッパが＃
ひゞく。一時間餘りも活動した＃
後であるから、食事のうまいこと＃
はいふまでもない。＃
午前八時になると、艦尾の旗竿＃
に軍艦旗があげられる。「君が代」＃
のラッパが奏せられ、衛［ゑい］兵［へい］隊［たい］は捧［さゝげ］＃
銃［つゝ］の敬禮を行ひ、艦長を始め乘員＃
一同は、皆姿勢を正して軍艦旗に＃
＜Ｐ－０３９＞
敬禮する。朝日に輝く軍艦旗が、海風にひらめきな＃
がら、しづ〳〵と上つて行くさまは、實におごそかで＃
ある。＃
軍艦旗を仰いで、心の底まで清められた乘員は、こ＃
れから訓［くん］練［れん］に取掛るのである。　　＃
　第九　　馬ぞろへ　　＃
山［やま］内［うち］一［かつ］豐［とよ］、織［お］田［だ］信［のぶ］長［なが］に仕へていまだ日淺かりし頃、＃
或日一匹の良馬を賣りに來れる者あり。信長の家＃
臣等これを買はんと思へど、價の高きを聞きて、皆求＃
＜Ｐ－０４０＞
めかねたり。一豐は、わけて家も貧しければ、たゞ心＃
に欲しと思ふのみにて、空しく家に歸りぬ。＃
「さて〳〵、金なければせん方なけれど、あれ程の名＃
馬、武士として手に入れたきものなり。」＃
とひとり言のやうに言ふを、一豐の妻聞きて、＃
「其の馬は、いか程の價にや。」＃
と問ふ。一豐、たゞ＃
「黄金十兩。」＃
と答へたるまゝ、腕をこまぬきて又語らず。＃
「さらば其の馬求め給へ。」＃
＜Ｐ－０４１＞
とて、妻は鏡箱より小さき一包を取出して、夫の前に＃
差出す。開けば、まばゆきばかりの黄金十兩なり。＃
一豐、＃
「そも〳〵これはいかなる＃
金ぞ。我等年久しく貧に＃
苦しみたるに、御身は、何と＃
て此の金のあることを今＃
日まで我に語らざりしぞ。」＃
となじる。＃
妻は靜かに答へぬ。＃
＜Ｐ－０４２＞
「わらは、此の家に參りし時、『貧しとて費すことなか＃
れ、夫の大事あらん時の用にせよ。』とて、父より渡さ＃
れしは此の金なり。聞けば、近く都にて信長公の＃
御馬ぞろへのあるよし、定めて自［じ］慢［まん］の馬に乘りて＃
集る人々多からん。今こそ君は其の良馬を求め＃
て、主君のおほめにあづかり給へ。」＃
一豐は妻の深き志に謝［しや］せり。かくて、かの馬は一豐＃
のものとなりぬ。＃
やがて馬ぞろへの日は來れり。何れおとらぬ馬＃
多く集り來れる中に、一きは目立ちてたくましき馬＃
＜Ｐ－０４３＞
を、信長、目にとゞめて、＃
「あつぱれ名馬。誰の馬ぞ。」＃
と問へば、家臣答へて、＃
「山内一豐の馬。」＃
と言ふ。信長、＃
「日頃貧しと聞きし一豐が、よくもかゝる名馬を求＃
めしものぞ。見上げたる志。」＃
と、しばし感じて止まざりき。　　＃
　第十　　松平信［のぶ］綱［つな］の幼時　　＃
＜Ｐ－０４４＞
松平信綱は、幼名を長四郎といへり。九歳にして、＃
將軍の若君、竹千代に仕へたり。＃
長四郎、十一歳の時なりき。或日、竹千代、かなたの＃
御殿の軒端に、雀の巣［す］くひたるを見つけて、＃
「長四郎、雀の子を取つて參れ。」＃
と命じぬ。＃
日暮れて後、長四郎、こなたより屋根傳ひに行きて、＃
今や取らんとする時、ふとふみ損じて、中庭にどうと＃
落つ。＃
將軍秀［ひで］忠［たゞ］、刀取りて障［しやう］子［じ］を引きあくれば、御臺所、燈＃
＜Ｐ－０４５＞
火取りて出でらる。見れば長四郎なり。將軍、＃
「汝、何しにこゝに來れるぞ。」＃
「雀の巣くひたるを見て、あまりの欲しさに參りて＃
候。」＃
「いや〳〵、おのれの心にて＃
はあるまじ。誰に教へら＃
れて來れるぞ。」＃
「いな、教へられたるには候＃
はず。」＃
幾度せめ問はるれども、長四＃
＜Ｐ－０４６＞
郎の答は初に變らざりき。＃
「おのれ、ありのまゝに申さざるは不屆なり。」＃
とて、大きなる袋に長四郎を押入れ、口を封じて、＃
「ありのまゝに申さざる間は、何時までもかくてあ＃
るべし。」＃
とて、袋を柱に掛けられたり。＃
翌朝、御臺所、長四郎の心をあはれみて、手づから袋＃
を開き、食を與へて、再び封ぜらる。＃
晝頃、將軍、又長四郎に問はるれども、長四郎つひに＃
言葉を變へず。かたはらより御臺所わび言あり、始＃
＜Ｐ－０４７＞
めて許されぬ。後にて將軍、御臺所に向かひて、＃
「彼が今の心にて人とならば、竹千代には無二の忠＃
臣たるべし。」＃
とて、大いに喜ばれたりとぞ。　　＃
　第十一　　雀の子　　一［いつ］茶［さ］　　＃
雀の子そこのけそこのけお馬が通る　　＃
さあござれこゝまでござれ雀の子　　＃
＜Ｐ－０４８＞
赤馬の鼻で吹きけり雀の子　　＃
やせ蛙まけるな一茶これにあり　　＃
やれ打つなはへが手をする足をする　　＃
　第十二　　アメリカだより　　＃
　サンフランシスコから　　＃
皆さん、元氣ですか。ハワイから出した手紙は、見＃
たでせうね。あれからなほ航海を續けて、五日目の＃
＜Ｐ－０４９＞
五月二十一日、サンフランシスコ＃
に着きました。＃
船が金門海［かい］峽［けふ］にさしかゝつて、＃
左右に山を仰ぎながら、一路藍［あゐ］を＃
たゝへたやうな水路を進んだ時＃
は、何となく胸がをどるやうでし＃
た。やがて行手に金門橋が水ぎ＃
は高く現れ、それを過ぎると眼界＃
が開けて、灣の右手に大市街が見＃
え出しました。大空にそゝり立＃
＜Ｐ－０５０＞
つ二十階・三十階の大建築、對岸オークランドへ渡す＃
六千九百米のすばらしい長橋、さういふものを見た＃
だけで、あゝアメリカだなと、つく〴〵感じさせられ＃
ました。＃
こゝは、アメリカ合［がつ］衆［しゆう］國の裏門ともいはれる重要＃
な場所ですから、港や町のにぎやかなことはいふま＃
でもありませんが、又眺望の好いことでも有名です。＃
港から後方の高地へかけて、市街は碁［ご］盤［ばん］の目のやう＃
に續いてゐますから、いたる所、町は急な坂になつて＃
ゐます。坂町を上つて小高い所に立つと、きつと港＃
＜Ｐ－０５１＞
の景色が、高い建物の間や美しい町の上などに、油畫＃
のやうに見えます。＃
サンフランシスコには、日本人がたくさん住んで＃
ゐます。ハワイと同じやうに、日本人の子供たちは、＃
アメリカの小學校と日本語學校と、兩方へ通つてゐ＃
ます。今、私が泊つてゐる旅館も日本人の經營です＃
が、今年九つになる八重ちやんといふ女の子は、英［えい］語［ご］＃
も日本語も非常に上手です。＃
明後二十五日にこゝを立つて、南のロスアンゼル＃
スへ行くつもりです。　　＃
＜Ｐ－０５２＞
　ロスアンゼルスから　　＃
サンフランシスコからロスアンゼルスまでの間＃
は、アメリカ合衆國でも、一番景色のよい所だといは＃
れてゐます。左は山、右は海、此の間を汽車は、しばし＃
ば十數米から二十米ぐらゐの高さの山腹を縫つて＃
走ります。眼下に廣がる太平洋を見渡しながら、あ＃
の向かふに日本がある、皆さんに見送つていたゞい＃
た横濱があると思ふと、急になつかしくなりました。＃
ロスアンゼルスは、南國的な都市です。町には椰［や］＃
子［し］の葉が茂り、冬もばらの花が咲くといひます。カ＃
＜Ｐ－０５３＞
リフォルニヤ州の南部は、日本＃
人が早くから來て農業を營ん＃
だ所で、ロスアンゼルスは其の＃
中心地ですから、市内には、りつ＃
ぱな日本人町があります。日＃
本の書物や、雜［ざつ］誌［し］や、雜［ざつ］貨［くわ］や、食料＃
品などを賣つてゐるのが見か＃
けられます。美しいのは果物＃
屋で、見るからにおいしさうな果物が、山のやうに積＃
まれてゐます。軒並みに日本語が聞かれ、日本人の＃
＜Ｐ－０５４＞
子供や女の人が、店先でにこ〳〵してゐます。＃
昭和七年の夏、こゝで開かれたオリンピック大會＃
に、日本の選手がめざましい活［くわつ］躍［やく］をしたことは、今も＃
町の嬉しい話題になつてゐます。＃
サンフランシスコでも、こゝでも、私は多くの學校＃
をたづねましたが、きつと日本人の子供の成績のよ＃
いことを聞かされて、涙が出る程嬉しく思ひました。＃
しかし、又無［む］邪［じや］氣［き］で活［くわつ］溌［ぱつ］なアメリカの子供が、教室で＃
はお行儀のよいのにも、すつかり感心しました。皆＃
さんは、お行儀のよいことでも、アメリカの子供に負＃
＜Ｐ－０５５＞
けないでせうね。　　＃
　シカゴから　　＃
二十九日の朝、ロスアンゼルスを汽車で立つて、夕＃
方、アリゾナ州の沙［さ］漠［ばく］にさしかゝりました。此の沙＃
漠は翌日まで續きました。見渡す限り荒涼たる景＃
色でした。たまさか、大きなサボテンがあるくらゐ＃
のものです。皆さんは、アメリカ合衆國に、沙漠があ＃
らうなどとは思はなかつたでせう。＃
しかし、それを過ぎると、全く沃［よく］野［や］千里の大平原で＃
した。無限の畠、牧場、森、林、さうして、まばらな村落と＃
＜Ｐ－０５６＞
幾つかの都市、其の間に、世界第一と＃
いはれるミシヽッピ川が、洋々と流＃
れてゐました。＃
三日二晩走り續けて、三十一日の＃
夜、シカゴに着きました。＃
ミシガン湖といふすばらしく大＃
きな湖にのぞんでゐる此のシカゴは、アメリカ合衆＃
國の一大商工都市です。こゝに來ると、もうサンフ＃
ランシスコの美しさも、ロスアンゼルスのなごやか＃
さもありません。町はいたる所ごつた返してゐま＃
＜Ｐ－０５７＞
す。自動車は、川瀬のやうに續いて走つてゐます。＃
アメリカは、どこでも黒人を見かけますが、シカゴ＃
に黒人の多いのには驚きました。こゝに有名な屠［と］＃
殺［さつ］場［ぢやう］があつて、一日に何萬頭と＃
いふ豚［ぶた］や牛を處理してゐます＃
が、働いてゐるのは大てい黒人＃
です。廣い場内を一巡する間＃
に、豚や牛がはだかになり、肉に＃
なり、ハムになり、又くわんづめ＃
になつて行くのが、順序よく見＃
＜Ｐ－０５８＞
られます。＃
シカゴは、此の世の地［ぢ］獄［ごく］だと言つた人もある程殺＃
風景な所ですが、今はちやうど新緑の季節で、湖岸の＃
大通や、公園の眺は、さすがに美しいと思ひました。　　＃
　ニューヨークから　　＃
世界第一といはれるニューヨークは、全く高［かう］層［そう］建＃
築の大都市です。二十階・三十階では、もういばれま＃
せん。五十階・七十階から、とう〳〵百階を越えてし＃
まひました。町々を通ると、まるで絶［ぜつ］壁［ぺき］の底でも歩＃
いてゐるやうな氣がします。さうして、どこもかし＃
＜Ｐ－０５９＞
こも、息づまるやうなさわがしさ、にぎやかさです。＃
高い建物が、すく〳〵と眞直にそびえてゐるばか＃
りでなく、町といふ町は、縱も横も皆直線です。殊に＃
中央のマンハッタンでは、十幾條の縱の大通と、横の＃
無數の通とが、あたかも格［かう］子［し］縞［じま］のやうに、きちんと交＃
つてゐます。其の横＃
の通は、一つ〳〵の距［きよ］＃
離［り］が等しく、通が十二＃
で、ほゞ一粁の割合に＃
なつてゐるのださう＃
＜Ｐ－０６０＞
です。＃
自動車の目まぐるしさはもちろん、地下には地下＃
鐵道、街上には高［かう］架［か］鐵道が、すさまじいひゞきを立て＃
て走つてゐます。其の地下鐵道や高架鐵道までが、＃
申し合はせたやうに、南から北へ、北から南へと、わき＃
目も振らず一直線に走つてゐるのですから、考へる＃
と少々をかしくさへなつて來ます。＃
高層建築の最上階に立つて眺めたニューヨーク＃
は、それこそ天下の奇觀です。高い建物が、まるで墓＃
場の石塔か、記［き］念［ねん］碑［ひ］の林のやうに、によきによきと立＃
＜Ｐ－０６１＞
つてゐます。川といふよ＃
りは海峽といつた方がよ＃
い程大きな、ハドソン川と＃
イースト川とに包まれた＃
マンハッタンが、あたかも＃
地圖のやうに見下されま＃
す。川岸に沿うてぎつし＃
りと並ぶ埠［ふ］頭［とう］は、すべてで＃
一千以上に及ぶさうです＃
が、それこそ櫛［くし］の齒どころ＃
＜Ｐ－０６２＞
ではありません。水上の船は、風に吹散らされた無＃
數の木の葉にもたとへませうか。此の廣い川を渡＃
す虹［にじ］のやうな橋、對岸のうすもやの中に續く果なき＃
町、なるほどアメリカ合衆國の表門といはれるだけ＃
あつて、實に何ともいへない壯觀です。　　＃
　第十三　　佛法僧　　＃
「ブッポウソウ。」と鳴く鳥のことは、千年の昔から、我＃
が國の詩や歌にうたはれてゐますが、其の聲の主が＃
どんな鳥であるかは、最近まで、はつきりわかりませ＃
＜Ｐ－０６３＞
んでした。何しろ高［かう］野［や］山とか、比［ひ］叡［えい］山とか、其の外奧＃
深い山の森林で、夜鳴くのです。それに、鳴く時期が＃
大體五六月頃に限られてゐますから、わからなかつ＃
たのも無理ではありません。＃
たゞ、其の聲はいかにも好い聲です。「ブッポウ。」又＃
は「ブッポウソウ。」と、何回も鳴き續けます。夜ふけた＃
深山のあなたからこなたから、鳴きかはしながら次＃
第に近づいては、又何時の間にか遠ざかつて行きま＃
す。それを聞くと、まるで神［しん］祕［ぴ］の世界にでもさまよ＃
つてゐるやうな思がします。＃
＜Ｐ－０６４＞
ところでかういふ深山へ、ちやうど同じ五六月頃、＃
日本では珍しい程美しい鳥が來ます。鳩［はと］より少し＃
小さいくらゐの大きさですが、全體が濃い緑色で、頭＃
が黒く、のどと翼と尾とは濃＃
い紫色を帶び、口ばしと脚と＃
は眞赤です。それに、兩方の＃
翼を廣げた所を下から見る＃
と、大きな白色の圓い斑［はん］紋［もん］が＃
あざやかに見られます。此＃
の鳥が、何時の頃からか、あの＃
＜Ｐ－０６５＞
「ブッポウソウ。」の聲の主だと思はれるやうになりま＃
した。多くの畫家は、此の鳥をゑがきました。さう＃
して、とう〳〵これが佛法僧といふ名を附けられて＃
しまひました。＃
しかし、最近になつて、これを疑ふ人もありました。＃
此の色の美しい佛法僧は、晝の間盛に高い木から木＃
へ飛んで、たゞ「ギャギャ。」と鳴くのですが、かの「ブッポ＃
ウソウ。」の聲の主は、夜出て鳴きます。夜出て盛に鳴＃
く鳥は、ふくろふのやうに、晝間はかくれて姿を見せ＃
ないはずです。だから、あの「ブッポウソウ。」の聲の主＃
＜Ｐ－０６６＞
は、どうしても別の鳥であらうといふのです。＃
ところで、昭和十年の六月の或夜、「ブッポウソウ。」と＃
鳴く鳥の聲の實況が、ラヂオで放送され、全國の人々＃
が、其の美しい聲を聞きました。すると、「あの鳴き聲＃
をする鳥なら、自分は飼つてゐる。」といふ人が出て來＃
ました。さうして、其の飼つてゐる鳥といふのは、あ＃
の色の美しい鳥とは全く違つたものでした。手に＃
ものせられる程小さい、かはいらしい、みゝづくのや＃
うな鳥で、このはづくといふ鳥でした。＃
かうして、千年來不思議がられた聲の主が、始めて＃
＜Ｐ－０６７＞
はつきりとわかりました。其の結果、いはば我が國＃
に二つの名鳥が出來たことになりました。一つは、＃
渡鳥として珍しい佛法僧です。其のはでな色彩か＃
ら見てもわかるやうに、元來熱帶地方の鳥で、それが＃
夏の間だけ日本へ飛んで來るのです。いま一つは、＃
見るからにへうきんな顏＃
をした、かはいらしいこの＃
はづくです。これは非常＃
に珍しい鳥といふのでは＃
ありませんが、しかし五六＃
＜Ｐ－０６８＞
月の頃、「ブッポウソウ。」と鳴く聲は、何といつても美し＃
い、深みのある、神祕的な聲です。　　＃
　第十四　　いも掘　　＃
五時間目の授業がすむと、先生はにこ〳〵して、＃
「今日は、これからじやがいもを掘りませう。皆何＃
時ものやうに、こゝで支度をして、學校園へお集り＃
なさい。」＃
とおつしやつた。これこそ僕たちが、一週間も前か＃
ら、毎日々々待つてゐた命令だつたので、皆一せいに＃
＜Ｐ－０６９＞
小をどりして喜んだ。さうして、大急ぎで學校道具＃
をかばんにしまひ、めい〳〵身輕になつて、校舍の後＃
の菜園に集つた。枯れかゝつて一面に黄色になつ＃
たじやがいも畠を、午後の日がかん〳〵と照らして＃
ゐる。＃
當番が、農具小屋から、鍬［くは］・シャベルなど、いろ〳〵の＃
道具を出して來た。先生も大きな箱を持つて來て、＃
掘つたいもは此の中へ入れるやうにとおつしやつ＃
た。皆は一せいに掘りにかゝる。僕は、割合にしつ＃
かりしてゐる一本の莖を握つて、ぐつと引張つた。＃
＜Ｐ－０７０＞
やはらかい黒い土が、むく〳〵盛＃
上つたと思ふと、四方へくづれる。＃
中からみづ〳〵しい白茶色の玉＃
が、じゆずつなぎになつて、ころこ＃
ろと出て來た。大人の握りこぶ＃
し程の大きさのもあれば、雀の卵＃
ぐらゐな、かはいらしいのもある＃
が、どれも皆、絹のやうなうすい皮がはち切れさうに、＃
よく實がいつてゐる。隣では、莖がくさつて引拔け＃
ないのを、星野君が根氣よく掘つて、掘つたいもを一＃
＜Ｐ－０７１＞
つ一つていねいに並べて行く。＃
あちらでもこちらでも、驚く聲、感心する聲、嬉しさ＃
うな聲。＃
ふと氣がつくと、校長先生と山田先生が、箱のそば＃
へ來て、おもしろさうに、僕等の仕事を見ていらつし＃
やつた。　　＃
　第十五　　晴間　　＃
さみだれの晴間うれしく、　　＃
野に立てば　　＃
＜Ｐ－０７２＞
野は輝きて、　　＃
白雲を　　＃
通す日影に、　　＃
はや夏の暑さをおぼゆ。　　＃
行く水は少し濁れど、　　＃
せゝらぎの　　＃
音もまさりて、　　＃
よろこびを　　＃
歌ふが如く、　　＃
＜Ｐ－０７３＞
行く我を迎ふる如し。　　＃
田園のつゞく限りは、　　＃
植ゑわたす　　＃
早［さ］苗［なへ］のみどり。　　＃
山遠く　　＃
心はる〴〵。　　＃
天［あめ］地［つち］の大いなるかな。　　＃
ふと見れば、道のほとりに、　　＃
＜Ｐ－０７４＞
つゝましき　　＃
姿を見せて、　　＃
濃き瑠［る］璃［り］の　　＃
色あざやかに、　　＃
咲くものは露草の花。　　＃
　第十六　　三日月の影　　＃
　重代の冑［かぶと］　　＃
甚［じん］次［じ］郎［らう］は、兄に呼ばれて座敷へ行つた。見れば、母＃
もそこにゐた。床の間には、すばらしく大きな鹿の＃
＜Ｐ－０７５＞
角と三日月の前立との附いた冑がかざつてある。＃
兄は、改つた口調で言つた。＃
「甚次郎、此の冑は祖先傳來の寶、これをお前にゆづ＃
る。十歳の時、軍に出て敵の首を取つた程強いお＃
前のことだ。どうかりつぱな武士になり、家の名＃
をあげてくれ。」＃
甚次郎は、胸がこみ上げるやうに嬉しかつた。＃
「ありがたく頂［ちやう］戴［だい］いたします。」＃
と言つて頭を下げた。母はそばから言つた。＃
「それにつけて、御主君尼［あま］子［ご］家の御恩を忘れまいぞ。＃
＜Ｐ－０７６＞
尼子家の御威光は、昔＃
にひきかへておとろ＃
へるばかり、それをよ＃
いことにして、敵の毛［まう］＃
利［り］がだん〳〵攻寄せ＃
て來る。成人したら、一日も早く毛利を討つて、御＃
威光を昔に返しておくれ。」＃
甚次郎の目は、何時の間にか涙で光つて＃
ゐた。＃
甚次郎は、此の日から山中鹿［しかの］介［すけ］幸［ゆき］盛［もり］と＃
＜Ｐ－０７７＞
名乘り、心にかたく主家を興すことをちかつた。さ＃
うして、山の端にかゝる三日月を仰いでは、＃
「願はくは、我に七難八苦を與へ給へ。」＃
と祈つた。　　＃
　一騎討　　＃
數年は過ぎた。尼子の本城である出［いづ］雲［も］の富［と］田［だ］城＃
は、其の頃毛利軍に圍まれてゐた。＃
鹿介は、戰つてしば〳〵手がらを立てた。彼の勇＃
名は、味方のみか、もう敵方にも知れ渡つてゐた。＃
敵方に、品川大［だい］膳［ぜん］といふ荒武者がゐた。彼は、鹿介＃
＜Ｐ－０７８＞
を好き相手とつけねらつた。名を棫［たら］木［ぎ］狼［おほかみの］介［すけ］勝盛と＃
改め、折もあらば鹿介を討取らうと思つた。＃
或日のこと、鹿介は部下を連れて、城外を見廻つて＃
ゐた。川をへだてた對岸から、鹿介の姿をちらと見＃
た狼介は、破［われ］鐘［がね］のやうな聲で叫んだ。＃
「やあ、それなる赤絲威［をどし］の甲は、尼子方の大將と見た。＃
鹿の角に三日月の前立は、正しく山中鹿介であら＃
う。」＃
鹿介は、りんとした聲で大音に答へた。＃
「いかにも山中鹿介幸盛である。」＃
＜Ｐ－０７９＞
狼介は、喜んでをどり上つた。＃
「かく言ふは石［いは］見［み］の國の住人、棫木狼介勝盛。さあ、＃
一騎討の勝負をいたさう。あの川下の洲こそ好＃
き場所。」＃
と言ひながら、弓を小脇にはさんで、ざんぶと水に飛＃
込んだ。鹿介もたゞ一人、流を切つて進んだ。＃
狼介は弓に矢をつがへて、鹿介をねらつた。尼子＃
方の秋上伊［い］織［おりの］介［すけ］がそれを見て、＃
「一騎討に、飛道具とは卑［ひ］怯［けふ］千萬。」＃
と、これも手早く矢をつがへてひようと射る。ねら＃
＜Ｐ－０８０＞
ひ違はず、狼介が滿月の如く引きしぼつてゐる弓の＃
つるを、ふつりと射切つた。味方は「わあ。」とはやし立＃
てた。＃
狼介は、怒つて弓をからりと捨＃
て、洲に上るが早いか、四尺の大太＃
刀を拔いて切つてかゝつた。し＃
かし、鹿介の太刀風はさらに鋭か＃
つた。何時の間にか狼介は切立＃
てられて、次第に水際に追ひつめ＃
られて行つた。＃
＜Ｐ－０８１＞
「めんだうだ。組まう。」＃
かう叫んで、狼介は太刀を投捨てた。大男の彼は、鹿＃
介を力で仕止めようと思つたのである。＃
二人はむずと組んだ。しばらくは互に呼吸をは＃
かつてゐたが、やがて狼介は滿身の力をこめて、鹿介＃
を投附けようとした。鹿介は、それをじつとふみこ＃
たへたが、片足が洲の端にすべり込んで、思はずよろ＃
よろとする。忽ち狼介の大きな體が、鹿介の上にの＃
しかゝつた。鹿介は組敷かれた。兩岸の敵も味方＃
も、思はず手に汗を握る。＃
＜Ｐ－０８２＞
とたんに、鹿介はむつくと立上つた。其の手には、＃
血に染まつた短刀が光つてゐる。狼介の大きな體＃
は、もう鹿介の足もとにぐたりとしてゐた。＃
「敵も見よ、味方も聞け。現れ出た狼を、鹿介が討取＃
つた。」＃
鹿介の大音聲は、兩岸にひゞき渡つた。＃
其の後幾度か烈しい戰があつた。さしもの敵も、＃
此の一城をもてあましたが、前後七年にわたる長い＃
篭［ろう］城［じやう］に、尼子方は多く戰死し、それに糧［りやう］食［しよく］がとう〳〵＃
盡きてしまつた。城主尼子義［よし］久［ひさ］は、涙をのんで敵に＃
＜Ｐ－０８３＞
降つた。富田城には、毛利の旗がひるがへつた。　　＃
　苦節　　＃
尼子の舊臣は、涙の中に四散した。鹿介は、身をや＃
つして京都へ上つた。＃
戰國の世とはいへ、京都では花が咲き、人は蝶［てふ］のや＃
うに浮かれてゐた。＃
其の中に、尼子の舊臣が追々京都に集つて來た。＃
彼等は、鹿介を中心として、主家の再興をくはだてた。＃
其の頃、京都の或寺に、人品のよい小僧さんがゐた。＃
さうして、それが尼子家の子孫であることがわかつ＃
＜Ｐ－０８４＞
た。鹿介は、此の小僧さんを主君と仰いだ。＃
「尼子家再興のことは、我が年來の望である。」＃
小僧さんは、雄々しくもかう言つて、ころもを脱捨て、＃
尼子勝久と名乘つた。＃
時は來た。永［えい］禄［ろく］十二年六月の＃
或夜、勝久を奉ずる尼子勢は出雲＃
に入り、一城を築いて三度ときの＃
聲を作つた。＃
此の聲が四方に呼掛けでもし＃
たやうに、今まで敵に附いてゐた舊臣が、續々と勝久＃
＜Ｐ－０８５＞
の所へ集つた。諸城は、片端から尼子の手に返つた。＃
しかし、富田城は名城であるだけに、中々落ちさうに＃
なかつた。＃
其の間に、毛利の大軍がやつて來た。輝［てる］元［もと］を大將＃
とし、吉［きつ］川［かは］元［もと］春［はる］・小［こ］早［ばや］川［かは］隆［たか］景［かげ］を副將として、一萬五千の＃
精兵が堂々と進軍して來た。＃
富田城がまだ取れないのに、敵の大軍が押寄せた＃
のでは、味方の勝利がおぼつかない。しかし、鹿介は＃
腹をきめた。すべての軍兵を率ゐて、富田城の南三＃
里、布［ふ］部［べ］山［やま］に敵を迎へ討つた。味方の軍は約七千で＃
＜Ｐ－０８６＞
あつた。＃
まことに死物狂ひの戰であつた。敵の前軍はし＃
ばしばくづれた。しかし、何といつても二倍以上の＃
敵である、新手は後から後から現れる。さしもの尼＃
子勢もへと〳〵に疲れ、多くの勇士は、むざんや枕を＃
並べて討死した。＃
勝誇つた敵の大軍は、やがて出雲一國にあふれた。＃
勝久は危くのがれて、再び京都へ走つた。　　＃
　上［かう］月［づき］城　　＃
それから又幾年か過ぎた。鹿介は、織［お］田［だ］信［のぶ］長［なが］に毛＃
＜Ｐ－０８７＞
利攻めの志があることを知つて、彼をたよつた。鹿＃
介を一目見た信長は、此の勇士の苦節に同情した。＃
「毛利攻めの御先手に加り、若し戰功がありました＃
ら、主人勝久に、出雲一國を頂きたうございます。」＃
鹿介の血を吐く言葉に、信長は大きくうなづいて見＃
せた。＃
遂に再び時が來た。尼子の殘［ざん］黨［たう］は、秀［ひで］吉［よし］の軍勢に＃
加つて、毛利攻めの先［せん］鋒［ぽう］となつた。＃
いち早く播［はり］磨［ま］の上月城を占領して、こゝにたてこ＃
もつた二千五百の尼子勢は、程なく、元春・隆景の率ゐ＃
＜Ｐ－０８８＞
る七萬の大軍にひし〳〵と取圍まれた。＃
秀吉の援軍が今日來るか明日來るか、それを頼み＃
に勝久は城を守つた。毛利方の大砲を夜に乘じて＃
うばひ取つて、味方は一時氣勢をあげた。＃
しかし、援軍は敵にはゞまれて近づくことが出來＃
なかつた。七萬の大軍に圍まれては、上月城は一た＃
まりもない。弓折れ矢盡きて、勝久はいさぎよく切＃
腹することになつた。＃
「いたづらに朽果てたかもしれぬわたしが、出雲に＃
旗あげして、一時でも其の領主となつたのは、全く＃
＜Ｐ－０８９＞
お前の力であつた。」＃
勝久は、かう言つて鹿介に感謝した。＃
鹿介は、男泣きに泣いて主君におわびをした。し＃
かし、彼はまだ死ねなかつた。尼子重代の敵毛利を、＃
せめて其の片われの元春を、おのれ其のまゝにして＃
置けようか。七難八苦は、もとより望む所である。＃
鹿介は主君に志を告げ、許をこうてわざと捕はれの＃
身となつた。　　＃
　甲［かふ］部［べ］川の秋　　＃
鹿介は西へ送られた。＃
＜Ｐ－０９０＞
こゝは備［びつ］中［ちゆう］の國甲部川の渡＃
しである。天正六年七月十七＃
日、秋とはいへ、まだ烈しい日光＃
が、じり〳〵と照りつけてゐる。＃
川端の石に腰かけて、來し方＃
行末を思ひながら、鹿介はじつ＃
と水の面を眺めた。つばめが、＃
川水にすれ〳〵に飛んでは、白い腹を見せてちう返＃
りをしてゐた。＃
とつぜん後から切附けた者がある。鹿介は、それ＃
＜Ｐ－０９１＞
が敵方の一人河［かは］村［むら］新［しん］左［ざ］衛［ゑ］門［もん］であると知るや、身をか＃
はして、ざんぶと川へ飛込んだ。新左衛門も飛込ん＃
だ。二人はしばし水中で戰つたが、重手を負ひなが＃
らも、鹿介は大力の新左衛門を組伏せてしまつた。＃
すると、これも力自［じ］慢［まん］の福［ふく］間［ま］彦［ひこ］右［う］衛［ゑ］門［もん］が、後から鹿介＃
のもとゞりをつかんで引倒した。＃
七難八苦の生［しやう］涯［がい］は、三十四歳で終を告げた。＃
甲部川の水は、此のうらみも知らぬ顏に、今もいう＃
いうと流れてゐる、月毎にあの淡い三日月の影を浮＃
かべながら。　　＃
＜Ｐ－０９２＞
　第十七　　圖書館　　＃
七月になつて、夜の空に星が美しく見えるやうに＃
なつた。僕は、此の間から星のことを知りたいと思＃
つて、父の本箱を見たが、星の本は一冊も無い。＃
「圖書館へ行けば、幾らもあるだらう。」＃
と、父は言つた。＃
今日は日曜日なので、僕は朝から圖書館へ出掛け＃
た。其の大きな建物が見えると、僕は暑いのも忘れ＃
て、急ぎ足になつた。＃
＜Ｐ－０９３＞
入口で閲［えつ］覽［らん］用紙をもらふ。＃
目録室へはいると、急に汗が流＃
れ出した。＃
目録は、たくさんの箱にはい＃
つたカードである。皆が、それ＃
をしらべては用紙に書入れて＃
ゐる。しかし、餘りカードが多いので、僕はどれを見＃
てよいかに迷つた。すると、掛の人がそばへ來て、＃
「どんな本が讀みたいのですか。」＃
と言つた。＃
＜Ｐ－０９４＞
「星の本です。」＃
「あゝ、それなら、天文學といふ見出しのある所を見＃
るのです。」＃
かう言つて、掛の人は、其のカードを教へてくれた。＃
僕は嬉しかつた。＃
しかし、天文學のカードもずゐぶん多い。そこで、＃
僕は又迷つた。すると、＃
「これが好いでせう。」＃
と、一枚のカードを指して其の人は言つた。どこま＃
でも親切な人だ。＃
＜Ｐ－０９５＞
「ありがたうございます。」＃
とお禮を言つて、僕は其のカードの本の名と番號を、＃
用紙に書込んだ。＃
それを出［すゐ］納［たふ］掛へ持つて行くと、すぐ書庫へ送られ＃
る。間もなく、出納手が、たくさんの本をかゝへて書＃
庫から出て來た。出納掛の人が、一々姓名を呼んで＃
は本を渡す。急に、＃
「中村さん。」＃
と、僕の名が呼ばれた。はつとしながら思はず、＃
「はい。」＃
＜Ｐ－０９６＞
と、大きな聲で返事をしたので、出納掛の人は、笑ひな＃
がら本を渡してくれた。＃
閲覽室へ行つた。＃
天［てん］井［じやう］の高い、廣々とした室は、し＃
んとして靜かだ。しかも、中には＃
大勢の人がゐて、熱心に本を見て＃
ゐる。僕も、出來るだけ音を立て＃
ないやうに行つて、あいてゐる席＃
に腰掛けた。＃
間もなく、僕の心は、本の中の月＃
＜Ｐ－０９７＞
や星の美しい世界へ飛んで行つた。どれだけの時＃
間がたつたらう。少し疲れたので頭を上げて見廻＃
すと、今まで少しも氣がつかないでゐたが、松本君が＃
ずつと向かふの席にゐる。そつと行つて、輕く背中＃
をたゝく。松本君は、びつくりして僕を見上げた。＃
松本君は、歴史物語を讀んでゐた。＃
二人で休［きう］憩［けい］室へ行つた。＃
「君、始めて來たね。」＃
「うん。」＃
「僕は、土曜か日曜には大てい來てゐる。讀みたい＃
＜Ｐ－０９８＞
本が山程あるよ。君＃
も、これから度々來る＃
といゝ。」＃
「夏休になつたら、僕も＃
きつと來る。」＃
窓の外には、楓［かへで］の枝が＃
そよ風に動いてゐる。さうして、まぶしい程照りつ＃
ける日を浴びて、日まはりや、ほうせん花や、松葉ぼた＃
んの美しく咲いてゐるのが、其の枝越しの庭に見ら＃
れた。　　＃
＜Ｐ－０９９＞
　第十八　　星の話　　＃
晴れた夜、空を仰ぐと、たくさんの星が、まるで寶石＃
をちりばめたやうに美しく輝いてゐます。ちよつ＃
と見たところでは、ほとんど無數と見えるこれらの＃
星にも、名前や番號があり、位置もきまつてゐるので＃
すが、たゞぼんやり見てゐるだけでは、一體どれがど＃
うなのか、さつぱり見當が附きません。＃
そこで、先づ眞北へ向かつて立つて見ませう。北＃
の空にもたくさんの星がありますが、其の中で一つ＃
＜Ｐ－１００＞
大事な星があります。地平線から次第に見上げて、＃
頭の眞上まで行く途中、眞中邊より少し低い所に、か＃
なり大きな星が一つ見えるのがそれです。もつと＃
も其の高さは、見る場所によつて幾分違ひます。北＃
の北海道でしたら、ほゞ眞中邊ですが、反對に南の沖［おき］＃
繩［なは］や臺［たい］灣［わん］でしたら、ずつと低くなります。＃
しかし、かう言つただけでは、まだ中々見當が附か＃
ないでせう。さうしたら、どこか其の邊の空に、柄［ひ］杓［しやく］＃
のやうな形に連なつた、美しい七つの星を探すこと＃
にしませう。これはすぐ見つかります。七月の中＃
＜Ｐ－１０１＞
旬ですと、夜九時頃、北より少し＃
西へ寄つた方に、枡［ます］を下に、少し＃
曲つた柄［え］を上に、ちやうど柄杓＃
を立てたやうなかつかうにな＃
つてゐます。此の七つの星を＃
北斗七星といひます。＃
北斗七星が見つかつたら、其＃
の七つの中の、下の端に當る二つの星に注意しませ＃
う。さうして、かりに此の二つの星を結ぶ線を引き、＃
それをなほ右の方へのばして見ませう。すると、此＃
＜Ｐ－１０２＞
の二つの星の距［きよ］離［り］の五倍ばかりの所に、きつと一つ＃
の星が見つかります。さつき探さうとしたのがこ＃
れで、北極星といふ星です。＃
北極星は、何時見てもほゞ眞北にある星ですから、＃
夜、道に迷つた時など、此の星を見つければ、すぐ方角＃
を知ることが出來ます。昔から、航海の目當となつ＃
てくれたのは、此の星です。＃
ところで、大空の外の星は、時刻によつてかなりあ＃
り場所が變つて行きます。今どれか一つの星を、東＃
にさし出た軒端にすれ〳〵に當てて、下からじつと＃
＜Ｐ－１０３＞
見てゐますと、やがて其の星は、軒端にかくれて見え＃
なくなります。つまり星は、西へ〳〵移つて行くの＃
です。日や月が東から出て西へはいるやうに、星も＃
大體東から出て西へはいるのです。＃
星の動き方を、もつとくはしく調べて見ますと、北＃
の空では、星が北極星を＃
ほゞ中心に、圓をゑがい＃
て動いてゐるのだとい＃
ふことがわかります。＃
寫眞機を北極星に向け＃
＜Ｐ－１０４＞
て、一時間ぐらゐふたをあけて置くと、此の圓をゑが＃
く樣子がわかるやうに寫眞にうつります。それで＃
なくても、夜九時に北斗七星を見て其の位置を覺え、＃
更に十時・十一時に見ると、此の動き方が大てい見當＃
がつきます。さうして、北極星の近くに見える星程＃
小さい圓をゑがき、遠くに見える星程大きい圓をゑ＃
がきます。＃
しかし、かういふ風に星が動くといふのも、實は我＃
我の住んでゐる地球が廻るから、さう見えるだけの＃
ことですが、今の場合、それを考に入れないで置きま＃
＜Ｐ－１０５＞
せう。＃
さて、此の北極星や北斗七星を目當にして、其の附＃
近を見ると、いろ〳〵の星の列があります。先づ北＃
斗七星と其の附近にある幾つかの星を加へて、大［おほ］熊［ぐま］＃
座といひますが、それは昔の人が、それらの星の列に＃
大きな熊の形を考へたからです。又北極星を柄の＃
端にして、北斗七星とどうやら似た、小さい柄杓形に＃
連なるのを、大熊座に對して小熊座といひ、小熊座と＃
北斗七星との間に尾を入れて、小熊座を包むやうに、＃
のろ〳〵と曲りくねつて連なる十ばかりの星を龍［りよう］＃
＜Ｐ－１０６＞
座といひますが、どちらも星があまり大きくありま＃
せんから、よく氣を附けて見ないと、はつきりしませ＃
ん。それよりも、北極星の右下の方に、椅［い］子［す］の形に連＃
なる五つばかりの星はカシオペイア座で、俗にいか＃
り星とも山形星ともいひますが、これははつきりし＃
てゐますから誰でもすぐ見つけます。さうして、此＃
の邊、北から南へかけて、天［あま］の川が、夏の夜空に銀の砂＃
子を美しくまき散らしてゐるのが見られます。　　＃
　第十九　　京［けい］城［じやう］へ　　＃
＜Ｐ－１０７＞
連［れん］絡［らく］船［せん］は朝早く釜［ふ］山［さん］に着いた。京城行の汽車が＃
目の前に待つてゐる。兄と私は並んで席を取つた。＃
前の席には朝［てう］鮮［せん］服を着＃
た人が腰掛けた。さう＃
して、＃
「どちらへいらつしや＃
いますか。」＃
と、私たちに話しかけた。＃
「京城へまゐります。あなたは。」＃
「私は京城で乘りかへて、元［げん］山［ざん］へまゐります。」＃
＜Ｐ－１０８＞
兄は、其の人と早速仲好しになつて、話し合つてゐる。＃
もらつた名刺には金［きん］俊［しゆん］泰［たい］とあつた。＃
沿道の景色は、内地とは大分變つてゐる。近くの＃
山々は、岡と言ひたい程低くなだらかである。なら＃
やくぬぎを交へた松林が、どこまでも續く。下草の＃
茂りはあまり深くないので、所々に地面の赤い色さ＃
へあらはれてゐる。いたる所水田がよく開けて、稻＃
が青々とのびてゐる。其の間を汽車はすさまじい＃
勢で走る。＃
山のふもとや、小高い岡のそばに村が見える。家＃
＜Ｐ－１０９＞
は、みんな藁［わら］ぶきで小さい。ひよろひよろとのびた＃
ポプラの下の一けん家、垣根にかけた白い干し物、赤＃
い土の色などを見ると、なるほど朝鮮だなといふ感＃
じがする。＃
大［たい］邱［きう］を過ぎてしばらく行くと、次第にのぼりにな＃
る。＃
「秋［しう］風［ふう］嶺［れい］を越えるのです。蔚［うる］山［さん］から京城へ向かふ＃
旅客機は、こゝが一番難所ださうです。」＃
金さんが説明してくれる。＃
此の列車は特別急行で、途中の驛にはほとんど止＃
＜Ｐ－１１０＞
らない。驛名を讀むひまもなく通り過ぎてしまふ。＃
驛員の顏が見えたと思ふと消え、驛の花［くわ］壇［だん］の赤いカ＃
ンナの花が後へ走つて行く。＃
もう晝近い頃であらう。大［たい］田［でん］＃
を過ぎた。強い太陽の光が、山に＃
畠に、ぎら〳〵と照りつけてゐる。＃
車内も中々暑い。窓をあけ放し＃
て風を入れる。麻の着物を着た＃
人が、油紙の扇をゆつたり使つて＃
ゐる。＃
＜Ｐ－１１１＞
廣い道路が、鐵道と並んで通つてゐる所が多い。＃
並木がよく植込まれてゐる。荷物を積んだ小さい＃
朝鮮馬が行く。並木の日かげに、大きい包を頭の上＃
にのせた女が、休んで汗をふいてゐる。時には砂ぼ＃
こりをあげて自動車も走る。＃
旅行案内を見てゐた兄が、＃
「今過ぎた驛は成［せい］歡［くわん］だよ。明治二十七八年戰役の＃
古戰場だ。」＃
「さうです。松［まつ］崎［ざき］大尉の碑［ひ］もあるはずです。」＃
金さんの指さす方を立上つて見たら、岡の青葉がく＃
＜Ｐ－１１２＞
れに、それらしいものが見えた。＃
水［すゐ］原［げん］を過ぎる。＃
見渡す限り水田が續いて、青々とした稻が勢よく＃
のびてゐる。暑い日盛に、あつちでも、こつちでも、田＃
の草を取つてゐる。草取の手をやめて、こつちを見＃
てゐる子供もある。＃
「もう京城ですよ。今通つた永［えい］登［とう］浦［ほ］から四つ目が＃
京城驛です。」＃
「もう京城ですか。釜山から四百五十粁を、七時間＃
もかゝらないで走つたわけですね。」＃
＜Ｐ－１１３＞
「さうです。」＃
「では、お別れですね。いろい＃
ろ、お世話になりました。」＃
兄と金さんが、話し合つてゐる。＃
汽車は、すさまじい音を立て＃
て、漢［かん］江［かう］の鐵橋を渡つた。江岸＃
の建物が、強い夏の光を受けて＃
きら〳〵と光つてゐる。汽車＃
は、もう京城の市中を走つてゐ＃
るのだ、家々の間を。　　＃
＜Ｐ－１１４＞
　第二十　　僕の子馬　　＃
北斗は僕の子馬です。＃
生まれたのは、去年の春、ちやうど櫻の花の咲く頃＃
でした。僕が學校から歸ると、父はにこ〳〵しなが＃
ら、＃
「新一、子馬が生まれたよ。」＃
と言ひます。それを聞くと、僕はむちゆうになつて＃
馬屋へかけこみました。見ればうす暗くしてある＃
馬屋の奧の方で、母馬が、生まれたばかりの子馬を、し＃
＜Ｐ－１１５＞
きりになめてやつてゐました。父も後から來たの＃
で、僕が、＃
「おとうさん、子馬は牡ですか、牝ですか。」＃
と尋ねますと、父はさも得意さうに、＃
「牡さ。」＃
と言ひます。＃
「ぢやあ、今度の子馬は僕に世話をさせて下さい。」＃
父は、しばらくだまつてゐましたが、＃
「うん、おぢいさんによく指圖していたゞいて、一つ＃
一生けんめいにやつて見るか。」＃
＜Ｐ－１１６＞
と許してくれました。＃
僕は嬉しくてたまりません。早速其の事を祖父＃
に言ひますと、祖父も、＃
「ほう、お前が世話をしようといふのか。よからう。＃
一つやつてごらん。細かい事はだん〳〵に話し＃
てあげようが、第一は、馬をよくかはいがつてやる＃
ことだ。日本の馬は氣が荒いとかいはれるさう＃
だが、それも馬が惡いのではない、扱ふ人がいけな＃
いから、馬に惡いくせが附いてしまふのだ。親切＃
にしてやれば、馬程すなほで利口なものはめつた＃
＜Ｐ－１１７＞
にないぞ。」＃
と教へてくれました。＃
子馬の名は北斗ときまりました。一週間ばかり＃
たつて親子とも馬屋の外へ出しますと、北斗は、おく＃
びやうさうな目つきをして、始めて見る世界をさも＃
珍しさうに眺めました。大きな犬ぐらゐの大きさ＃
で、肢［あし］はばかにひよろ長く見えます。さうして、とも＃
すると母馬にすり寄つては、乳を吸つてばかりゐま＃
す。其のかはいゝ樣子は今でも忘れません。＃
日がたつにつれて、だん〳〵僕になれて來ました。＃
＜Ｐ－１１８＞
時には乳をのむのも忘れて、ひよろ長い肢で、元氣よ＃
く草原の上をはね廻ることもありました。＃
六月になると、母馬につけて近くの牧場へ放牧に＃
やることになりました。僕は、せつかくなれて來た＃
北斗を、手もとからはなすのがいやでしたけれども、＃
さうしないと、子馬が丈夫にならないのです。で、僕＃
は、其の頃學校から歸ると、すぐ牧場へ行つて見まし＃
た。牧場には、村のあちこちから同じやうな子馬が＃
たくさん來て居て、母馬の草をたべる後を追ひなが＃
ら、廣い野原を樂しさうに遊び廻つてゐました。＃
＜Ｐ－１１９＞
放牧に出してから、北斗の體はめき〳〵丈夫にな＃
りました。肢もしつかりして來ました。さうして、＃
長い夏も過ぎ、秋が來て、野山の草木が枯れる頃、五箇＃
月ぶりでうちの馬屋へ連れて歸りました。＃
いよ〳〵北斗は、乳をはなれるやうになりました。＃
體の手入れをしたり、運動をさせたり、僕の仕事が追＃
追忙しくなつたのは其の頃からです。しかし、それ＃
だけに、かはいさも一そう深くなつて來ました。＃
寒い冬の日でも、一日に一度は、必ず北斗を連れて＃
運動に出かけました。僕がかけ出せば北斗もかけ＃
＜Ｐ－１２０＞
出し、僕が止れば北斗も止り、追つたり追はれたりし＃
ながら、樂しく運動しました。＃
二［に］歳［さい］駒［ごま］になつて、北斗もめつき＃
り馬らしくなりました。今年も＃
六月から放牧に出しましたが、去＃
年と違つて、僕が行くと、北斗は嬉＃
しさうに、すぐ僕の所へ飛んで來＃
て、鼻をすり附けます。手のひら＃
に鹽をのせてやると、うまさうに＃
なめます。僕が唱歌を歌ふと、北＃
＜Ｐ－１２１＞
斗は、何時までもおとなしく草をたべながら、僕のそ＃
ばで遊んでゐます。＃
何時の頃からか、北斗は、清君のうちの子馬の青と＃
大そう仲好しになりました。僕のゐない時は、何時＃
でも青と遊んでゐるやうでした。＃
九月に二歳駒の市が始るといふので、八月に北斗＃
をうちへ連れて歸りました。＃
北斗は、ほんたうに利口で、すなほです。教へるこ＃
とは何でもよく覺えるし、毛［け］櫛［ぐし］で手入れをしたり、肢＃
をあげさせて蹄［ひづめ］の裏をさうぢしたりしても、じつと＃
＜Ｐ－１２２＞
おとなしくしてゐます。物に驚いてかけ出さうと＃
するやうな時でも、「ほう〳〵。」と聲をかけて、手のひら＃
で輕く首や背中をなでてやると、すぐ安心して靜ま＃
つてしまひます。此の間も祖父が言ひました。＃
「お前がよくめんだうを見てやつたから、北斗はり＃
つぱな二歳駒になつた。此の村に二歳駒もたく＃
さんゐるが、北斗程見事なのは見かけないやうだ。＃
幅もあるし、骨組も丈夫になつた。」＃
僕は祖父の此の言葉を聞いて、ほんたうに嬉しいと＃
思ひました。＃
＜Ｐ－１２３＞
二歳駒の市が始れば、いよ〳〵北斗と別れなけれ＃
ばなりません。一年半も手しほにかけた北斗と一＃
しよに居るのも、後幾日もないと思ふと、僕は泣きた＃
い程つらい氣がします。けれども、北斗は、きつと軍＃
馬に買上げられるに違ひありません。さうして、り＃
つぱな乘馬になり、軍人さんを乘せて、意氣揚［やう］々［〳〵］と歩＃
くでせう。其の勇ましい樣子を思ひ浮かべると、僕＃
は北斗のために喜んでやりたいのです。　　＃
　第二十一　　母馬子馬　　＃
＜Ｐ－１２４＞
母馬子馬　　＃
沼［ぬま］の岸、　　＃
夏の夕の柳かげ。　　＃
母が番して、　　＃
子の馬は、　　＃
＜Ｐ－１２５＞
ゆつくりゆつくり水を飲む。　　＃
圓く廣がる　　＃
水の輪が、　　＃
いくつも出ては消えるたび、　　＃
水にうつつた　　＃
三日月が、　　＃
ゆら〳〵見えたりかくれたり。　　＃
＜Ｐ－１２６＞
母馬子馬　　＃
沼の岸、　　＃
柳のかげが暮れて行く。　　＃
　第二十二　　秋のおとづれ　　＃
秋は蟲の聲から始る。＃
晝間は、まだ暑い〳〵の歎聲が口をついて出て來＃
る。眞夏の暑さは誰も覺［かく］悟［ご］をしてゐるが、八月もな＃
かばを越せば、どこかに秋らしいものが見えてもよ＃
ささうなものである。それなのに、寒暖計は三十度＃
＜Ｐ－１２７＞
を越えたがる。暑さは、もうたくさんだと言ひたく＃
なる。すると或日の午後、裏山の森で、「ツク〳〵ボウ＃
シ、ツク〳〵ボウシ。」の聲を聞いた。＃
暑い日がやつと暮れても、よひの間は家の中がむ＃
つとして、柱も壁も、さはるとどうやら熱氣を吐いて＃
ゐる。二階へ上つてみても、さして涼しい風はなさ＃
さうである。たゞ晴れた夜空に星がきら〳〵とさ＃
え、銀河があざやかに中天にかゝつてゐる。其の時＃
ふと耳にするものは、前の草原で鳴く蟲の聲である。＃
それが果して何蟲であるか、はつきりはしないが、か＃
＜Ｐ－１２８＞
なり多數の聲であることを感ずる。夜がふけると、＃
思ひなしか屋根瓦が少ししめつて來る。＃
夜の燈火をしたつて來る蟲は、蛾［が］や、こがね蟲や、羽［は］＃
蟻［あり］が多く、どれもこれも、たゞうるさいだけであるの＃
に、どこからかかすかに羽音がして、障［しやう］子［じ］に輕くぱさ＃
と止つた蟲が、やがて「スイッチョ、スイッチョ。」をくり＃
かへす。此のくらゐあいきやうのある氣のきいた＃
蟲は、めつたにないものだ。さうして、それが、しきり＃
に「秋だ、秋だ。」と鳴き立てるやうに思はれる。＃
もう何といつても秋である。よし晝間はどんな＃
＜Ｐ－１２９＞
に暑からうとも、日光はかすかに黄色味を帶びて、壁＃
や塀の強い反射が幾分やはらいで見える。梢吹く＃
風が、思ひ出したやうにざわ〳〵と音を立てる。背＃
戸のみぞ端に、秋［しう］海［かい］棠［だう］がかはいらしい淡紅色の花を＃
つける。畠の韮［にら］の花に、頭でつかちないちもじせゝ＃
りが飛びちがふ。何よりも、たんぼに早［わ］稻［せ］の穗［ほ］が出＃
揃つて白く波打つのが、秋らしく見渡される。＃
やがて二百十日が來て、農家はたゞ風ばかりを心＃
配する。夜は、そろ〳〵こほろぎが家の中へはいつ＃
て、床の下や壁の中で聲高く鳴き立てる。　　＃
＜Ｐ－１３０＞
　第二十三　　袴［はかま］垂［だれ］　　＃
昔、袴垂といふぬす人ありけり。着物をはぎ取ら＃
んとて、或夜、町はづれに出でて人の來るを待ちゐた＃
るに、身分いやしからざる人、あたゝかげなる着物着＃
て、笛を吹きながら歩み來れり。＃
「よき獲［え］物［もの］かな。」と、直ちに飛びかゝらんと思へども、＃
其の人の餘りに落着きたるに氣をのまれて、近寄り＃
がたし。後より從ひ行けども、其の人少しも氣に止＃
むる氣色なし。わざと足音を立てて走り寄れば、笛＃
＜Ｐ－１３１＞
を吹きながら靜かに＃
見かへる。ます〳〵＃
氣おくれして、をどり＃
かゝらんやうもなく、＃
たゞ元の如くに從ひ＃
行く。＃
十町程も行きていよ〳〵心を決し、刀を拔きて切＃
りかゝれば、此の度は笛を吹止めて、ふりかへり、＃
「何者ぞ。」＃
と言ふ。其の一聲に身のちゞむ如く覺えて、思はず＃
＜Ｐ－１３２＞
地にひざまづく。再び、＃
「何者ぞ。」＃
と問はれて、＃
「ぬす人の大將袴垂。」＃
と、ふるひながら答ふ。＃
「聞きたることもある名なり。我につきて來れ。」＃
と言ひて、又前の如く笛を吹きて行く。＃
今は逃ぐることもかなはず、恐る〳〵後に從ひて＃
其の家に至る。何人かと思へば、其の頃武名かくれ＃
なき藤［ふぢ］原［はらの］保［やす］昌［まさ］なり。保昌は家に入り、綿入一枚取出＃
＜Ｐ－１３３＞
して袴垂に與へ、＃
「これを取りて行け。よからぬ業して、人を苦しむ＃
ることなかれ。」＃
と言聞かせたり。＃
其の後、袴垂此の時の事を人に語りて、＃
「これ程恐しかりしことなかりき。」＃
と言ひたりとぞ。　　＃
　第二十四　　ひざ栗毛　　＃
　一　　小田原の宿　　＃
＜Ｐ－１３４＞
彌［や］次［じ］郎［らう］と北八は、江戸を立つて、東海道を歩いたり、＃
かごに乘つたり、馬に乘つたりしながら、二日目の夕＃
暮に、小田原に着きました。＃
宿を取つて、わらぢをぬぎ足を洗つて、座敷へ通り＃
ました。間もなく女中が來て、風［ふ］呂［ろ］の案内をしまし＃
た。＃
「北八、お前先へはいれ。」＃
と、彌次郎が言ひました。よし來たとばかり、北八が＃
手ぬぐひを下げて風呂場へ行つてみると、今まで見＃
たこともない妙な風呂です。湯の上に圓い板が浮＃
＜Ｐ－１３５＞
いてゐます。それを蹈沈めてはいるのですが、北八＃
は、ふただらうと思つて取りのけました。さうして、＃
風呂へ片足を入れて、びつくりしました。底は鐵の＃
かまです。＃
「あつゝゝゝ。これはとんでもない風呂だ。」＃
しかし、聞くのもめんだうだと思つて、あたりを見廻＃
すと、庭に下［げ］駄［た］が一足置いてあります。これ幸と、其＃
の下駄をはいて風呂にはいりました。＃
北八は、氣持好ささうに歌を歌ひ出しました。＃
だが、長くつかつてゐると、底の方が熱くなつて來＃
＜Ｐ－１３６＞
ました。立つたり、すわ＃
つたり、下駄ばきのまゝ＃
で、がた〳〵蹈んでゐま＃
すと、とつぜん底が拔け＃
て、湯はすつかり流れ出＃
てしまひました。＃
「やあ、助け船。大變々々。」＃
此の聲を聞きつけて、彌次郎も宿の主人も、飛んで＃
出て來ました。＃
「どうした、どうした。」＃
＜Ｐ－１３７＞
「どうなさいました。」＃
「いや、命だけは無事だが、風呂の底が拔けて。」＃
主人はびつくりして、＃
「どうして又底が拔けました。」＃
「つい、下駄でがた〳〵やつたので。」＃
「いや、此の人はとんでもないお方だ。下駄ばきで＃
風呂へはいる人があるものですか。」　　＃
　二　　大井川　　＃
二人は駿［する］河［が］の大井川まで來ました。今日は水が＃
多いので、連［れん］臺［だい］でなくては越せないといふことです。＃
＜Ｐ－１３８＞
彌次郎は人夫に聞きました。＃
「一體幾らで渡す。」＃
「お二人で八百文下さい。」＃
「高い〳〵。もうお前たちの世話にならぬ。」＃
と、足早に通り過ぎて、彌次郎は北八に言ひました。＃
「お前の脇差を貸してくれ。」＃
「何にするのだ。」＃
「かうして武士になるのだ。」＃
北八の脇差を取つて差し、自分の脇差は、鞘［さや］袋［ぶくろ］をずら＃
して長い刀のやうに見せかけました。＃
＜Ｐ－１３９＞
「どうだ、これで大小を差したりつぱな武士に見え＃
るだらう。お前はお供だ。ついて來い。」＃
彌次郎は人夫の親方の所へ行つて、武士らしい言＃
葉で言ひました。＃
「身どもは主用で通る者だ。川越し人足を頼むぞ。」＃
「かしこまりました。御同勢はお幾人で。」＃
「なに同勢か。武士が十二人、槍持・草［ざう］履［り］取、其の外都＃
合三十人。」＃
「して其の方々はどこにおいででございます。」＃
「いや、江戸を出立する時は三十人であつたが、道中＃
＜Ｐ－１４０＞
で追々病氣を致し、宿々に殘＃
し置いた。それで、今同勢と＃
いふのは、上下合はせてたつ＃
た二人だ。」＃
「お二人なら、連臺で四百八十＃
文でございます。」＃
「いや、それは高い。少し負け＃
ろ。」＃
親方は急に言葉をかへました。＃
「高けれや、止めてさつさと行くがいゝ。」＃
＜Ｐ－１４１＞
「これ、武士に向かつて何たる無禮な言葉だ。」＃
「お前、それで武士か。其の刀を見るがいゝ。」＃
ふりかへつて見ると、革の鞘袋が柱につかへて、くの＃
字なりに曲つてゐます。＃
「はゝゝゝ、大笑だ。彌次さん、さあ行かう。」＃
と、北八にさそはれて、彌次郎はそこ〳〵に逃出しま＃
した。　　＃
　三　　大［お］原［はら］女［め］　　＃
とう〳〵京都に來ました。四條通を歩いてゐる＃
と、大原女たちが、柴［しば］や、すりこ木や、槌［つち］や、梯［はし］子［ご］や、其の外＃
＜Ｐ－１４２＞
何でも頭にのせて賣歩いてゐます。彌次郎も北八＃
も、珍しさうに眺めてゐました。すると、一人の大原＃
女が彌次郎のそばへ寄つて來て、＃
「此のれん木を買つて下さい。」＃
と言ひます。彌次郎、＃
「何だ、すりこ木か。そんな物はいらないよ。」＃
「何なりと買つて下さい。」＃
彌次郎は、じようだん半分に言ひました。＃
「梯子なら買つてやらう。幾らだ。」＃
「安くして置きます。七百文下さい。」＃
＜Ｐ－１４３＞
彌次郎は、どうせ買ふ氣ではありませんが、＃
「高い〳〵。二百なら買つてやらう。」＃
と言ひました。＃
「旦［だん］那［な］、あんまりです。五百にして置きませう。」＃
「いや〳〵、二百でなくては買はないよ。」＃
「ようございます。まけて置きませう。」＃
「や、まけるのか。情ない事を言ふ。」＃
「さあ、持つて行つて下さい。」＃
「いや、おれは旅の者だ。梯子をもらつても仕方が＃
ない。あやまる、あやまる。」＃
＜Ｐ－１４４＞
しかし、かうなると女は何と言つても聞入れませ＃
ん。とう〳〵彌次郎は、梯子を買はされてしまひま＃
した。＃
「これ、北八、お前これをかついで＃
くれ。」＃
「とんでもない。一體、何だつて＃
京の眞中で梯子を買ふのだ。＃
ばか〳〵しい。」＃
「仕方がない。差合ひでかつが＃
う。お前もつき合つてくれ。」＃
＜Ｐ－１４５＞
二人は長い梯子をかつぎながら、京都の町を見物し＃
て歩き廻りました。　　＃
　第二十五　　空の旅　　＃
東京から大阪へ飛行機で――かう考へるだけで＃
も實に愉快だ。殊に今日は、風もない秋日和である。＃
機内の席に着くと、小さいとびらが外からぽんと＃
しめられる。何のことはない、旅客機といふものは、＃
自動車を細長くして、それに大きな翼を附けたもの＃
と思へばよい。＃
＜Ｐ－１４６＞
見送りの人と、窓越しに顏を見＃
合はせて笑つてゐる中に、プロペ＃
ラが物すごくうなり出した。午＃
前九時である。皆が、手を上げて＃
別れの合圖をする。何時の間に＃
か機體が滑り出して、ぐん〳〵速＃
力が加る。振向いて見たが、後に＃
窓がないので、誰も見えなかつた。＃
廣い飛行場が盡きて前は川だと思つた頃、機體はも＃
う空中に浮かんでゐた。＃
＜Ｐ－１４７＞
ほつとしながら下界をのぞくと、海だ、船だ、たくさ＃
んの人家だ。それにしても、空中から見る市街は、何＃
とまあ、整然とあざやかに美しいものであらう。こ＃
れが横濱かなと思ふ間もなく、もう前には小山が續＃
いてゐる。段々畠の野菜が、ふるひ附きたい程あざ＃
やかな緑を見せる。山と山との間に、黄色い川のや＃
うに見えるのは、稻田であつた。森、人家、道路、畠、さう＃
いふものが模［も］型［けい］圖のやうにきちんとしてゐる。其＃
の間を縫つて眞直に走るものは、私たちの乘つてゐ＃
る飛行機の影法師であつた。＃
＜Ｐ－１４８＞
左に太平洋が白く光つて見える。晴れてゐる割＃
合に、今日は遠望がきかない。地平線のあたりは、ぼ＃
つとかすんでゐる。右は山々が近く見える。何時＃
の間にか、青空に富士が見え出した。＃
前の小窓があいて、機關士が紙片を差出した。「前＃
方箱根山。」と書いてある。同乘者が、順々に渡しなが＃
らうなづき合ふ。機内では自分の聲さへ聞えない。＃
談話は筆談か手まね、急に唖［おし］になつたと同樣である。＃
これから後も書附が度々廻る。＃
高度計はぐん〳〵上つて、一千三百五十米を示し＃
＜Ｐ－１４９＞
た。それと共に、あの偉［ゐ］大［だい］な箱根の山々が、片端から＃
眼下にひれ伏し始めた。九時二十分であつた。＃
山といふものを空中から見下すと、意外にはげた＃
場所の多いのに驚く。頂の岩角＃
が手に取れさうにはつきりと見＃
えた次には、深い谷が、どん底に大＃
きな口を開く。下界は今大波の＃
如くうねつてゐるのだ。と、前方＃
に湖が見え出した。蘆［あしの］湖［こ］である。＃
何といふ美しい濃い青さであら＃
＜Ｐ－１５０＞
う。やがて、湖の一角をかすめるやうに通り過ぎる。＃
湖［こ］畔［はん］の家、道路を走る自動車、すべてが玩具のやうに＃
小さく、玩具のやうに美しい。＃
沼［ぬま］津［づ］から、一直線に駿［する］河［が］灣の上空を飛行する愉快＃
さ。長い汀［みぎは］が、まるでかんなで面を取つたやうにき＃
れいに續く。海水は、繪［ゑ］の具をとかした水だ。よく＃
見ると、海上一面の波は美しい縮［ちり］緬［めん］であり、點在する＃
漁船は無數の胡［ご］麻［ま］粒である。高度計は一千百米を＃
示してゐるが、富士はやつぱり横雲の上の青空にく＃
つきりとそびえて、其のすそを長く下界に引いてゐ＃
＜Ｐ－１５１＞
る。＃
富士川が注いで、其の濁流を遠く海上に押出して＃
ゐるのが見られる。眞青な繪の具の水に、クリーム＃
を流し込んだ美しさだ。＃
三［み］保［ほ］の松原は、意外にもあつけないものであつた。＃
あの美しいたくさんな松も、二列か三列に並んで生＃
えた川原よもぎとしか見えない。すべて眞上から＃
見る樹木は、すこぶる貧弱である。＃
再び陸に入つた。下界は、一見はなはだゆる〳〵＃
と移動してゐるが、それでゐて、すべての物があつと＃
＜Ｐ－１５２＞
いふ間に過ぎてしまふ。靜岡の上空を通つたのも＃
束の間、すぐに安［あ］倍［べ］川を越えて又山である。＃
大井川をしり目に掛けて渡り、それから七分の後＃
天［てん］龍［りゆう］川を越え、更に六分の後濱名＃
湖の北角をかすめる。まるで道＃
中すごろくを飛んで行く氣持だ。＃
空にはだん〳〵雲がふえて來る。＃
岡［をか］崎［ざき］を過ぎてから、廣い平野が＃
續いた。一望の田［でん］圃［ぽ］が、ちやうど＃
方眼紙のやうに、整然とくぎりを＃
＜Ｐ－１５３＞
見せて遠く廣がる。高度は三百米を下つて、下界が＃
手に取れさうになつた。東海道の松並木が見える。＃
道路が十文字に交る。十字路を中心にして、こゝか＃
しこに村落や町が點在する。鐵道が見える。電車＃
が走る。自動車が飛ぶ。人影が動く。＃
再び海へ出た。右手に築港があり、汽船が數隻か＃
かつてゐる。名古屋だと思ふ途端、プロペラが止つ＃
て、後は空中滑走である。大地が見る〳〵盛上つて、＃
機は輕く地上ををどりながら滑る。十時三十五分＃
である。＃
＜Ｐ－１５４＞
名古屋はすつかり曇つてゐた。汽船が數隻見え＃
るだけで、市街は望むべくもない。大地を蹈みしめ＃
て歩いてみる。耳はまだがん〳〵鳴つてゐる。私＃
の隣席に乘つてゐた軍人さんと話し合つてみたが、＃
はつきりと通じない。聾［つんぼ］同志のやうに、やたらに大＃
聲を發するだけだ。＃
十一時、又機上の人となる。長い滑走の後離陸す＃
ると、やがて方向がきまつて、左に伊［い］勢［せ］灣がはるかに＃
續く。右手には大きな川じりが幾つ。＃
四日市を過ぎて、平野から次第に山地に移る。高＃
＜Ｐ－１５５＞
度計は遠［ゑん］慮［りよ］なく上つて、又も千米を突破する。脚下＃
には、鈴［すゞ］鹿［か］山脈がうねり始めた。途端に機體がすと＃
んと落ちる。私は思はず前の椅［い］子［す］につかまつた。＃
又すとんと落ちる。エヤポケットだなと思ふ。隣＃
を見ると、軍人さんが笑顏でうなづく。右手に遠く＃
琵［び］琶［は］湖らしいものが見え＃
た。＃
山地は、なほしばらく續＃
いた。＃
十一時二十三分、左にや＃
＜Ｐ－１５６＞
や遠く大きい都市を望んだ。軍人さんは地圖を指＃
して、それが奈［な］良［ら］であることを示してくれる。大［やま］和［と］＃
平野が、繪のやうに美しくかすんでゐた。＃
生［い］駒［こま］山の頂をかすめながら過ぎると、前は一望の＃
平野だ。田圃の間に、幾條の道路が縱に横に續く。＃
青空の末に墨のやうな雲、それは大阪のおびたゞし＃
い煙であつた。＃
遂に大阪が來た。一面は家の海である。高度が＃
ぐん〳〵落ちて、町々がはつきり見える。みぞのや＃
うな街路を、きゆうくつさうに自動車が走つてゐる。＃
＜Ｐ－１５７＞
堀がある、たくさんな船だ。一體どの邊だらう、天［てん］守［しゆ］＃
閣［かく］はと思ふ瞬［しゆん］間［かん］、長い花［くわ］壇［だん］が過ぎた。天王寺公園で＃
あつた。＃
機は市街を西へ突拔けて、とう〳〵海へ出た。港＃
の光景が、なゝめに浮上つて目に映じた時は、もう方＃
向を轉じて、海から飛行場へ滑り込むやうに降つた。＃
十一時三十七分であつた。＃
廣い飛行場に下りて、羽衣を失つた天女のやうに、＃
とぼ〳〵と歩く。聞けば、軍人さんは今日午後福岡＃
へ飛び、明日は更に臺［たい］灣［わん］へ飛ぶのださうだ。乘るま＃
＜Ｐ－１５８＞
では幾らか不安もあつた飛行機が、かうも愉快で安＃
全だと知ると、私はつく〴〵此の軍人さんが、うらや＃
ましくてならなかつた。　　＃
　第二十六　　もくせいの花　　＃
學校の道すがら、　　＃
見つゝ行く　　＃
此の家の庭、　　＃
もくせいは　　＃
今年も咲きぬ。　　＃
＜Ｐ－１５９＞
金色に咲きこぼれ、　　＃
枝々に　　＃
こぼれ匂［にほ］ひて　　＃
もくせいの　　＃
ゆかしきかをり。　　＃
なつかしき師の君を、　　＃
見送りし　　＃
去［こ］年［ぞ］の今頃、　　＃
＜Ｐ－１６０＞
此の花の　　＃
盛りなりけり。　　＃
秋の空、香も高く、　　＃
もくせいは　　＃
今年も咲きて、　　＃
師の君を　　＃
しみ〴〵思ふ。　　＃
　第二十七　　橘［たちばな］中佐　　＃
＜Ｐ－１６１＞
敵は山によりて陣地を固め、盛に彈丸を打出す。＃
我が兵これを物ともせず、敵陣目がけて突撃すれば、＃
敵は劒の林を以て我を迎ふ。橘中佐、眞先に立ちて＃
敵中にをどり入り、忽ち三人を斬倒す。＃
敵の彈丸、雨あられの如し。中佐、すでに右手に傷＃
を受けたれども、左手に軍刀を振るひて、部下の兵士＃
をはげましはげまし、遂に日章旗を山上に立つ。時＃
は明治三十七年八月三十一日、朝日のいまだ上らざ＃
る頃なりき。＃
敵はこれを見て、三方より盛に大砲を打ちかく。＃
＜Ｐ－１６２＞
いかに心は堅くとも、身は鐵石に＃
あらざれば、砲丸に倒るゝ兵士數＃
知れず。敵はすかさず、更に新手＃
を加へて攻來る。中佐は大音に、＃
「一度國旗を立てたる此の＃
高地、全［ぜん］滅［めつ］すとも敵の手に＃
渡すな。一歩＃
も退くな。」＃
と叫びて、敵を撃退する＃
こと數度。中佐すでに＃
＜Ｐ－１６３＞
第二彈を左手に、更に第三彈を腹部に受けたれども、＃
少しもひるむ色なく、なほ奮［ふん］戰［せん］を續けたり。忽ち砲＃
彈の一破片、其の腰にあたり、中佐はどうと其の場に＃
倒れたり。＃
かたはらにありし内田軍［ぐん］曹［さう］は、急ぎ中佐をざんが＃
うの内に助け入れて介［かい］抱［はう］す。戰ます〳〵烈し。中＃
佐、目を見張りて、軍刀を杖に立上らんとす。軍曹、中＃
佐を背負ひ、彈丸の下をくゞりて、けはしきがけをか＃
け下る。＃
ほつと一息つく折から、飛來る一彈、又も中佐の胸＃
＜Ｐ－１６４＞
を貫ぬき、軍曹の胸をも貫ぬく。二人は、一度に打倒＃
されて氣を失へり。＃
吹く朝風に、中佐も軍曹も、ふと我にかへれり。軍＃
曹、かたはらにありし負傷兵と共に、中佐をいたはる＃
折から、敵の突撃の聲盛に聞ゆ。陣地は再び敵に取＃
返さるゝにあらずや。中佐は言へり。＃
「殘［ざん］念［ねん］なり。多數の部下を失ひて占領したる陣地＃
を取返さるゝか。」＃
と。更に形を正して言へり。＃
「今日は、我が皇太子殿下の生まれ給ひし日なり。＃
＜Ｐ－１６５＞
此のめでたき日に一身を君國に捧ぐるは、まこと＃
に軍人の本望なり。」＃
と。靜かに兩眼を閉ぢつゝ、聯［れん］隊［たい］長・將兵の安［あん］否［ぴ］を次＃
次に尋ね、ほとんどおのれの苦痛を知らざるものの＃
如し。＃
中佐の全身は次第に冷えぬ。日も暮れんとする＃
頃、＃
「軍刀はあるか。」＃
の一語を最後として、遂に息絶えたり。＃
橘中佐は、平生志堅く、勇氣に滿ちたる軍人にして、＃
＜Ｐ－１６６＞
上を思ひ、部下をあはれむ心深かりき。此の平生の＃
行ありて、此の壯烈なる死を遂ぐ。中佐が多數の戰＃
死者中、特に軍神とあがめらるゝもうべなりといふ＃
べし。　　＃
　第二十八　　國語の力　　＃
ねん〳〵ころりよ、おころりよ、　　＃
ばうやは好い子だ、ねんねしな。　　＃
誰でも、幼い時、母や祖母にだかれて、かうした歌を＃
聞きながら、快いゆめ路にはいつたことを思ひ出す＃
＜Ｐ－１６７＞
であらう。此のやさしい歌に歌はれてゐる言葉こ＃
そ、我がなつかしい國語である。　　＃
君が代は千代に八千代にさゞれ石の　　＃
いはほとなりてこけのむすまで　　＃
此の國歌を奉唱する時、我々日本人は、思はず襟［えり］を＃
正して、榮えます我が皇室の萬歳を心から祈り奉る。＃
此の國歌に歌はれてゐる言葉も、また我が尊い國語＃
に外ならない。＃
我々が、毎日話したり、聞いたり、讀んだり、書いたり＃
する言葉が、我々の國語である。我々は、一日たりと＃
＜Ｐ－１６８＞
も、國語の力をかりずに生活する日はない。我々は、＃
國語によつて話したり、考へたり、物事を學んだりし＃
て、日本人となるのである。國語こそは、まことに我＃
我を育て、我々を教へてくれる大恩人なのである。＃
此のやうに大切な國語であるのに、ともすれば國＃
語の恩をわきまへず、中には國語といふことさへも＃
考へない人がある。しかし、一度外國の地を蹈んで、＃
言葉の通じない所へ行くと、誰でも國語のありがた＃
さをしみ〴〵と感ずる。かういふ所で、たま〳〵な＃
つかしい日本語を聞くと、まるで地［ぢ］獄［ごく］で佛にあつた＃
＜Ｐ－１６９＞
心地がし、愛國の心が泉のやうにわき起るのを感ず＃
るのである。アメリカ合［がつ］衆［しゆう］國や、ブラジル等に住ん＃
でゐる日本人は、日本語學校を建てて、自分の子供た＃
ちに國語を教へてゐる。日本人は、日本語によつて＃
教育されなければならないからである。＃
我が國は、神代このかた萬世一系の天皇をいたゞ＃
き、世界にたぐひなき國體を成して、今日に進んで來＃
たのであるが、我が國語もまた、國初以來繼［けい］續［ぞく］して現＃
在に及んでゐる。だから、我が國語には、祖先以來の＃
感情・精神がとけこんでをり、さうして、それがまた今＃
＜Ｐ－１７０＞
日の我々を結び附けて、國民として一身一體のやう＃
にならしめてゐるのである。若し國語の力によら＃
なかつたら、我々の心は、どんなにばら〳〵になるこ＃
とであらう。してみると、一［いつ］旦［たん］緩［くわん］急［きふ］ある時、國をあげ＃
て國難におもむくのも、皇國のよろこびに、國をあげ＃
て萬歳を唱へるのも、一つには國語の力があづかつ＃
てゐるといはなければならない。＃
國語は、かういふ風に、國家・國民と離すことの出來＃
ないものである。國語を忘れた國民は、國民でない＃
とさへいはれてゐる。＃
＜Ｐ－１７１＞
國語を尊べ。國語を愛せよ。國語こそは、國民の＃
魂の宿る所である。＃
＜Ｐ－１７２＞
終　　＃
