＜出典＞４６１　　　国定読本　４期６－１
＜Ｐ－０００＞
目録　　＃
第一　　吉野山………一　　第十五　　我は海の子………八十九　＃
第二　　見渡せば………五　　第十六　　間宮林藏………九十二　＃
第三　　京都………七　　第十七　　樺太の旅………九十九　＃
第四　　源氏物語………十三　　第十八　　雲のさま〴〵………百八　＃
第五　　法隆寺………二十五　　第十九　　燕岳に登る………百十五　＃
第六　　五月の太陽………三十五　　第二十　　蟲の聲………百三十　＃
第七　　姉………三十八　　第二十一　　十和田紀行………百三十一　＃
第八　　電話の發明………四十二　　第二十二　　歐洲航路………百三十七　＃
第九　　瀬戸内海………五十一　　第二十三　　月光の曲………百五十四　＃
第十　　日本海海戰………五十四　　第二十四　　月の世界………百六十三　＃
第十一　　皇國の姿………六十一　　第二十五　　秋………百七十二　＃
第十二　　古事記の話………六十三　　第二十六　　鐵眼の一切經………百七十三　＃
第十三　　松阪の一夜………六十八　　第二十七　　空中戰………百七十八　＃
第十四　　北海道………七十四　　第二十八　　日本刀………百八十七　＃
＜Ｐ－００１＞
　第一　　吉野山　　＃
吉野山かすみの奧は知らねども見ゆる限りは櫻＃
なりけり　　＃
全山花の雲に包まれたる吉野山の光景、まのあた＃
り見るが如し。＃
吉野神宮驛に下車して、櫻樹多き坂道を登る。先＃
づ後［ご］醍［だい］醐［ご］天皇をまつれる吉野神宮に詣で、村上義［よし］光［てる］＃
の墓をとぶらふ。更に進めば、眺望いよ〳〵開けて＃
見渡す限りすべて花なり。　　＃
これはこれはとばかり花の吉野山　　＃
＜Ｐ－００２＞
といひし古人の句、我をあざむか＃
ず。こゝを下の千本といふ。＃
吉野の町に入れば藏［ざ］王［わう］堂あり。＃
堂前四本の櫻ある所は、大［だい］塔［たふの］宮［みや］の＃
吉野を落ちさせ給ふ時、別離の宴［えん］＃
を張らせ給ひし跡なりとぞ。藏＃
王堂の附近に、金［きん］輪［りん］王［わう］寺跡及び吉＃
水神社あり。何れも吉野時代の行［あん］宮［ぐう］のありし所。＃
後醍醐天皇の御製に、　　＃
こゝにても雲井の櫻咲きにけりたゞかりそめの＃
宿と思ふに　　＃
＜Ｐ－００３＞
花に寢てよしや吉野のよし水のまくらのもとに＃
石［いは］走る音　　＃
吉水神社を出づれば、谷をへだてたる山腹に如［によ］意［い］＃
輪［りん］寺あり。正平の昔、楠［くすの］木［き］正［まさ］行［つら］が、決死の士百四十三＃
名の名を壁に書連ね、「かへらじ＃
とかねて思へば」の和歌を書殘＃
したるは此の寺なり。＃
寺の上の小高き所に、後醍醐＃
天皇のみさゝぎあり。天皇行＃
宮にましますこと三年、遂に北＃
方の天を望みて崩［ほう］御［ぎよ］ありし御心事を察し奉れば、涙＃
＜Ｐ－００４＞
そゞろに禁じ難し。昭［せう］憲［けん］皇［くわう］太［たい］后［こう］御參拜の折の御歌、　　＃
よし野山みさゝぎ近くなりぬらん散りくる花も＃
うちしめりたる　　＃
此の附近、櫻は山にも谷にも＃
滿ち〳〵たり。これを中の千＃
本といひ、なほ登れば上の千本＃
あり。＃
本道を南に進みて忠僧宗［そう］信［しん］＃
の墓をたづね、更に坂道をたど＃
れば、吉野水［みく］分［まり］神社を經て金［きん］峯［ぷ］＃
神社に至る。此の附近にもま＃
＜Ｐ－００５＞
た櫻多し。これを奧の千本といふ。＃
下・中・上・奧の千本の外、吉野山は至る所櫻樹ならざ＃
るなし。花は麓より咲きそめて次第に山上に及ぶ。＃
其の間ほとんど一月にわたるといふ。　　＃
吉野山こぞのしをりの道かへてまだ見ぬ方の花＃
をたづねん　　＃
　第二　　見渡せば　　＃
素［そ］性［せい］法師　　＃
見渡せば柳さくらをこきまぜて都ぞ春の錦なり＃
ける　　＃
＜Ｐ－００６＞
紀［きの］貫［つら］之［ゆき］　　＃
やどりして春のやまべに寢たる夜は夢のうちに＃
も花ぞ散りける　　＃
よみ人しらず　　＃
わが宿の池のふぢ波咲きにけり山ほとゝぎすい＃
つか來なかん　　＃
藤［ふぢ］原［はらの］敏［とし］行［ゆき］　　＃
秋來ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ＃
おどろかれぬる　　＃
よみ人しらず　　＃
白雲にはね打ちかはし飛ぶかりの數さへ見ゆる＃
＜Ｐ－００７＞
秋の夜の月　　＃
　第三　　京都　　＃
京都驛に下車して、行く〳〵見上げる大寺院は東＃
本願寺であり、其のやゝ西に、同じや＃
うな大伽［が］藍［らん］を見るのは西本願寺で＃
ある。＃
近代京都が誇る烏丸の大通を北＃
へ進んで、京都御所の御［ぎよ］苑［ゑん］に入ると、＃
松青く芝［しば］生［ふ］遠く續く彼方、正面建禮＃
門をへだてて、桧［ひ］皮［はだ］葺［ぶき］の紫［し］宸［しん］殿［でん］が尊＃
＜Ｐ－００８＞
く拜せられる。仰げばはるか北東の空に、くつきり＃
と比［ひ］叡［えい］山が聳えて、皇城鎭護の姿を昔ながらに見せ＃
てゐる。＃
賀［か］茂［も］川の清流に沿うて下賀茂＃
の社に詣で、更に上賀茂の宮居に＃
詣でる。緑深き木立の間から、朱［あけ］＃
の色あざやかな大鳥居・樓［ろう］門［もん］・廻［くわい］廊［らう］＃
を望む時、神［しん］域［ゐき］のけだかさをしみ＃
じみと感ずる。＃
靜けさ其のもののやうな銀閣＃
寺から、東山に沿うて南へ神社佛＃
＜Ｐ－００９＞
閣が多い。先づ平安神宮を拜して大極殿の面影を＃
しのび、南［なん］禪［ぜん］寺の山門を尋ねて途に疏［そ］水［すゐ］を見るのも＃
感興が深い。知［ち］恩［おん］院・圓山公園・八坂神社等、名所々々＃
が歩に從つて展開する。清水坂を上れば觀音の御＃
寺ゆかしく、清水の塔、八坂の塔、三重五重に聳えて、こ＃
こ東山の中腹を飾つて＃
ゐる。豐國神社に華や＃
かな唐［から］門［もん］を仰ぎ、三十三＃
間堂に一千一體の御佛＃
を拜み、更に南して稻［いな］荷［り］＃
神社に詣でれば、伏見桃＃
＜Ｐ－０１０＞
山の御［ご］陵［りよう］はさして遠くない。＃
二百三十二段の石階を上る心もつゝましく、さて＃
拜所に立つて恭しくぬかづけば、明治天皇は、かしこ＃
くも二重の玉垣の奧に鎭まりいますのである。東＃
陵を拜して昭［せう］憲［けん］皇［くわう］太［たい］后［こう］をしのび奉り、麓の乃木神社＃
に詣でてつく〴〵と忠臣の心を思ふ。＃
再びかへして二條の離宮から北西へ向かへば、北＃
野神社はさすがに參拜の人が絶えない。名もやさ＃
しい衣［きぬ］笠［がさ］山の麓に來て、三層の金閣を池水のほとり＃
に見る美しさ。春ならば仁［にん］和［な］寺の櫻、秋ならば廣澤・＃
大澤の池をたづねて、嵯［さ］峨［が］野の昔をしのぶのもおも＃
＜Ｐ－０１１＞
むきが深い。嵐［あらし］山［やま］の勝景は花に＃
よく、青葉によく、紅葉によく、高尾＃
は滿山秋の錦を以て知られてゐ＃
る。＃
やさしいのは古都の眺である。＃
東山三十六峯げに笑ふが如く、堂＃
塔こゝかしこに聳えて、晝夜勤［ごん］行［ぎやう］＃
の鐘［かね］がさやかに聞かれる。三條＃
の大橋が朝もやに包まれ、其の擬［ぎ］寶［ぼう］珠［しゆ］の一つ〳〵薄＃
れて行く彼方には、川沿ひの柳が夢のやうに煙つて＃
見える。たま〳〵見かける大［お］原［はら］女［め］も、大路小路を行＃
＜Ｐ－０１２＞
く人の言葉も、川原々々にさら＃
す友［いう］禪［ぜん］染も、花と織出される西＃
陣織も、すべて優にやさしいの＃
が京都である。＃
しかし、京都はたゞ古い歴史＃
だけの都ではない。町並が碁［ご］＃
盤［ばん］の目盛のやうだといつたの＃
は昔のこと、近郊二十七市町村＃
を合はせた今の京都は、何とい＃
つても近代的大都市である。四條・七條の橋はコン＃
クリート造に代り、新しい大建築が市中至る所に聳＃
＜Ｐ－０１３＞
えるやうになつた。九條以南には工場の煙突が並＃
び、東寺の塔に、ともすると黒煙がたなびかうとする。＃
四條通・京極・河原町などに繁華が集つて、夜は電飾の＃
輝きも華やかである。一千數十年の古都が、かうし＃
て年々に近代化して行くのもまた自然の勢であら＃
う。　　＃
　第四　　源氏物語　　＃
紫［むらさき］式［しき］部［ぶ］は、子供の時から非常にりこうでした。兄＃
が史記を讀んでゐるのを、そばでじつと聞いてゐて、＃
兄より先に覺えてしまふ程でした。父の爲［ため］時［とき］は、＃
＜Ｐ－０１４＞
「あゝ、此の子が男であつたら、りつぱな學者になる＃
であらうに。」＃
と言つて歎息しました。＃
大きくなつて、藤［ふぢ］原［はらの］宣［のぶ］孝［たか］の妻となりましたが、不幸＃
にも早く夫に死別れました。其の頃から紫式部は、＃
筆をとつて有名な源氏物語を書始めました。＃
其の後上東門院に仕へて、紫式部の名は一世に高＃
くなりました。彼女は文學の天才であつたばかり＃
か、婦人としても、まことに圓滿な、深みのある人でし＃
た。＃
父爲時が願つたやうに、若し紫式部が男であつた＃
＜Ｐ－０１５＞
ら、源氏物語のやうな假名文は書かなかつたでせう。＃
當時、假名文は女の書くもので、男は漢文を書くのが＃
普通であつたからです。しかし、假名文であればこ＃
そ、當時の國語を自由自在に使つて、其の時代の生活＃
を細かく寫し出すことが出來たのです。かう考へ＃
ると、紫式部は、やつぱり女でなくてはならなかつた＃
のです。＃
源氏物語五十四帖［でふ］は、我が國第一の小説であるば＃
かりでなく、今日では外國語に譯［やく］され、世界的の文學＃
としてみとめられるやうになりました。＃
次にかゝげる文章は、源氏物語の一節を簡［かん］單［たん］にし＃
＜Ｐ－０１６＞
て、それを今日の國語で表したものですが、たゞこれ＃
だけで見ても、約九百年の昔に書かれた源氏物語が、＃
如何によく人間を生き〳〵と、美しく、細かく寫し出＃
してゐるかがわかるでせう。　　＃
　（一）　　＃
のどかな春の日は、暮れさうでなか〳〵暮れない。＃
きれいに作つたしば垣の内の僧［そう］庵［あん］に、折から夕日＃
がさして、西側はみすが上げられ、年とつた上品な尼［あま］＃
さんが佛［ぶつ］壇［だん］に花を供へて、靜かにお經を讀んでゐる。＃
顏はふつくらとしてゐるが、目もとはさもだるさう＃
で、病氣らしく見える。そばに、二人の女がすわつて＃
＜Ｐ－０１７＞
ゐる。＃
時々女の子たちが出たりはいつたりして遊んで＃
ゐる中に、十ばかりであらうか、白い着物の上に山吹＃
色の着物を重ねてかけ出して來た女の子は、何とい＃
ふかはいらしい子であらう。切揃へた髮が、ともす＃
ると扇のやうに廣がつて、肩の邊にゆら〳〵掛るの＃
が目立つて美しく見える。どうしたのか、其の子が＃
尼さんのそばに來て、立つたまゝしく〳〵泣出した。＃
「どうしました。子供たちと言合ひでもしたので＃
すか。」＃
と言ひながら、見上げた尼さんの顏は、此の子とどこ＃
＜Ｐ－０１８＞
か似た所がある。＃
「雀の子を、あの犬［いぬ］君［き］が逃したの。かごに伏せて置＃
いたのに。」＃
と女の子は、さもくやしさうである。＃
そばにゐた女の一人は、＃
「まあ、しやうのない犬君ですこと。うつかり者だ＃
から、ついゆだんをして逃したのでせう。せつか＃
くなれて、かはいくなつてゐたのに。烏にでも取＃
られたらどうしませう。」＃
かう言つて、雀を探しに立つて向かふへ行つた。そ＃
れは、此の子の乳［う］母［ば］であるらしい。＃
＜Ｐ－０１９＞
尼さんはもの靜かに、＃
「いやもう、あなたはまるで赤＃
ちやんですね。どうして何＃
時までもかうなんでせう。＃
わたしがこんなに病氣で、何＃
時とも知れない身になつて＃
ゐるのに、あなたは雀の子に＃
夢中なんですか。生き物を＃
いぢめるといふことは、佛樣＃
に對しても申しわけのないことだと、ふだんから＃
教へて上げてあるでせう。さあ、こゝへちよつと＃
＜Ｐ－０２０＞
おすわりなさい。」＃
子供は大人しくすわつた。尼さんは子供の髮を撫＃
でながら、＃
「櫛［くし］を使ふことをおきらひだが、それにしては、まあ、＃
何といふよい髮でせう。でも、かう何時までも赤＃
ちやんでは困りますよ。もう、あなたぐらゐにな＃
れば、もつともつと大人しいはずです。さう〳〵、＃
なくなられたあなたのおかあさんは、十二の時お＃
とうさんをおなくしでしたが、それはそれは、よく＃
物がおわかりでしたよ。今にでも此のおばあさ＃
んがゐなくなつたら、一體あなたはどうなさらう＃
＜Ｐ－０２１＞
といふのでせう。」＃
さすがに子供は、じつと聞きながら目を伏せてゐ＃
たが、とう〳〵うつ伏せになつて泣入つてしまつた。＃
とたんに、美しい髮がはら〳〵と前へこぼれかゝる。　　＃
　（二）　　＃
それから一年程過ぎた。尼さんは去年の秋とう＃
とうなくなつて、孫の紫の君は、たつた一人此の世に＃
殘されてしまつた。＃
不幸な紫の君は、源氏の君のうちに引取つて養は＃
れることになつた。＃
年の若い源氏は、小さい妹でも出來たやうに、いろ＃
＜Ｐ－０２２＞
いろと紫の君のめんだうを見てやつた。紫の君も、＃
源氏をほんたうのにいさんだと思ふ程、したしくな＃
つた。＃
しかし、紫の君は、今でもおばあさんのことを思ひ＃
出しては、時々泣いてゐる。此の不幸な子を、どうし＃
たらなぐさめてやることが出來るか、源氏は何時も＃
それを考へねばならなかつた。＃
今日も源氏は紫の君に畫を書いて見せた。＃
いろ〳〵の畫を書いてやつた。最後に女の畫を＃
書いて、其の鼻を赤くぬつて見せた。紫の君は思は＃
ず笑ひ出した。＃
＜Ｐ－０２３＞
源氏は筆の先に赤い繪［ゑ］の具をつけて、鏡を見なが＃
ら、自分の鼻をいたづらに赤くぬつて見せた。紫の＃
君は、とう〳〵笑ひこけてしまつた。＃
「わたしの鼻が、ほんたうにかう赤かつたら、どうだ＃
らうね。」＃
「まあ、いやなことをおつしやる。」＃
紫の君は、繪の具がほんたうにしみ込んだら、にいさ＃
んがお氣の毒だと思つた。源氏はわざと拭いたま＃
ねをして、＃
「ほら、すつかりしみ込んでしまつた。落ちないよ。」＃
と言つて、まじめな顏をしてゐる。＃
＜Ｐ－０２４＞
紫の君はさも心配さうに、水入の水を紙にひたし＃
て、源氏の鼻を拭きにかゝつた。＃
「いや〳〵、赤い方がまだ増しだ。此の上、墨でも附＃
いて黒くなつたら大變ぢやないか。」＃
「すつかり落ちましたよ。」＃
「落ちた。それは有難い。」＃
さつきまで泣いてゐた紫の君は、すつかり晴れや＃
かになつてゐた。＃
外はうらゝかな春の日である。木々の梢がぼう＃
つとかすんでゐる中に、とりわけ紅梅が美しくほゝ＃
ゑんでゐる。　　＃
＜Ｐ－０２５＞
　第五　　法［ほふ］隆［りゆう］寺　　＃
ひたすらに法隆寺へとあこがれる私の心を乘せ＃
て、乘合自動車は、でこぼこの道をかなり快く走つた。＃
其の終點が南大門である。＃
しばし門前にたゝずみながら、其の長方形の入口＃
を通して、やゝ遠く二層造の中門を望んだ。左の高＃
い松の木立の後には、どうやら五重の塔の影もみと＃
められる。まるで南大門といふ額［がく］縁［ぶち］にはめ込んだ＃
美しい畫だと私は思つた。＃
をどる心をおさへるやうに、私は靜かに足を運ん＃
＜Ｐ－０２６＞
だ。中門と、塔と、金堂と、其の入＃
組んで見える屋根が、一歩々々＃
進むにつれて、ゆらぎながら私＃
の方へ寄つて來る。塔と金堂＃
は、ともすると松の梢に見えが＃
くれするが、中門だけは、最初か＃
らありつたけの美しさを誇る＃
やうに、極めてあらはである。＃
此の門は、間口が柱間四間で、其の中央二間が入口＃
になつてゐる。柱を眞中にして兩側に入口のある＃
のが、他に例のない形でありながら、何等そこに不自＃
＜Ｐ－０２７＞
然を感ぜしめない。柱は、すべて眞中邊から下へか＃
けて、著しくふくらみを持つた丸柱である。あらゆ＃
る重みを受けて、力強く、うんと支へた感じを、最もよ＃
く此のふくらみに見ることが出來る。＃
門の奧行が柱間三間であることも、すこぶる變つ＃
てゐる。如何に壯大華麗な門でも、奧行二間が普通＃
であるのに、此の中門は三間になつてゐる。其の幅＃
と共に深さを持つ美觀に、私はしばし吸附けられざ＃
るを得なかつた。＃
中門をはいると、左に五重の塔が大空高くそゝり＃
立ち、右に金堂が莊嚴にひかへ、其の奧、正面に講［かう］堂［だう］の＃
＜Ｐ－０２８＞
雄大な姿が見ら＃
れる。周圍を廻＃
らす廻［くわい］廊［らう］も人の＃
心を引かずには＃
ゐない。特に、此＃
の高い塔と莊嚴＃
な金堂とが、不思＃
議によく調和して、こゝに美の中心を形作つてゐる＃
のである。＃
先づ塔を仰ぐ。日本に二つとない美しい塔がこ＃
れである。二層は初層より、三層は二層より著しく＃
＜Ｐ－０２９＞
縮小して、第五層は初層の二分の一になつてゐる。＃
だから、此の塔ぐらゐ、どつしりと落着いて見えるも＃
のはない。しかも、どつしりとしたものは、やゝもす＃
ると重苦しさを以て迫るのに、此の塔はどこまでも＃
輕快である。軒という軒は、まるで天上に舞上るや＃
うに長く張出してゐる。屋根といふ屋根は、天女の＃
羽袖のやうに、なだらかな曲線をゑがいてゐる。＃
金堂はもちろん莊嚴な大殿堂であるが、それでゐ＃
て、これも不思議に私たちをおさへつけようとしな＃
い。其の屋根は、あたかも飛行機の翼のやうな落着＃
きと輕さを見せてゐる。殊に、初層に比して第二層＃
＜Ｐ－０３０＞
の輕快な感じがたまらない程＃
よい。＃
私は、建築の美しさから轉じ＃
て金堂にはいつた。先づ仰が＃
れる藥［やく］師［し］の尊像に、深い心の感＃
動を覺える。それは、聖［しやう］徳［とく］太子＃
が御父君用明天皇を追慕し給＃
ふ餘りに作らせられたもので、＃
實に太子御孝心の結晶であり、さうして、それが又法＃
隆寺といふ美の殿堂を現出したゆゑんである。そ＃
れと並んで釋［しや］迦［か］三尊を拜するのは、太子の御子山［やま］背［しろの］＃
＜Ｐ－０３１＞
大［おほ］兄［えの］王［わう］が、御父君にかたどつて等身の御佛とし給う＃
たもので、こゝにも同じ孝の御心がしのばれる。何＃
れも、名工鳥佛師の作として古藝［げい］術［じゆつ］のかをりゆかし＃
く、威嚴の中に、しみ〴〵と慈悲の御相を拜するので＃
あるが、今さういふことを考へるのは、餘りにもつた＃
いない氣がする。法隆寺が約一千三百年の古き姿＃
を其のまゝに今日に傳へて、最古最美の木造建築を＃
世界に誇り得るのは、全く一つの奇［き］蹟［せき］であつて、しか＃
も太子の御孝心を思へば、あながち偶［ぐう］然［ぜん］でない氣が＃
してならない。＃
堂内の美と莊嚴は、たゞこれだけではない。壁上＃
＜Ｐ－０３２＞
にゑがかれた壁畫の數々、それはもちろん所々はげ、＃
壁も龜［き］裂［れつ］を生じてはゐるが、そこに現れた諸佛・諸尊＃
の御姿は、極めて生き〳〵と、自由に、美しくも尊くも＃
拜される。＃
更に推［すゐ］古［こ］天皇の御念持佛で＃
あつたといふ有名な玉蟲の御＃
厨［づ］子［し］が、私たちの心を引く。其＃
のすかしぼりの金物の下に、玉蟲の羽が敷並べられ、＃
其の美しい光彩が、金色の金物のすかしを通して見＃
られたのであるといふ。今は金物も古びて黒くな＃
り、玉蟲の羽も光を失つて、たゞ扉［とびら］や臺にゑがかれた＃
＜Ｐ－０３３＞
畫のみが色をとゞめてゐるが、當時は、形の美と相待＃
つて、輝かしい色彩がどんなに尊く拜されたことで＃
あらう。＃
東大門から出て東院へ行くと、そこに一つの神祕＃
境があつた。廻廊・殿堂に圍まれた中庭にある夢殿＃
は、我が國で一番美しい八角圓堂だといはれてゐる。＃
夢殿とは、何といふゆかしい名であらう。もと此の＃
地に聖徳太子の宮殿斑［いか］鳩［るがの］宮［みや］があつた。太子は、其の＃
宮殿の一室で憲［けん］法［ぱふ］十七條を書かれ、又佛教の研究を＃
せられたのである。其の如何に深く思をおこらし＃
になつたかは、夢に金人が現れて太子にさゝやき奉＃
＜Ｐ－０３４＞
つたと傳へられてゐるのでもわ＃
かる。夢殿の名は、そこから起つ＃
たのであらう。本尊觀世音は、今＃
祕佛として、當時の太子の御姿を＃
語りがほに、此の堂内に安置され＃
てゐるのである。＃
東院を出て、私は又乘合自動車＃
に乘つた。＃
車は、しばし富の小川に沿うて走る。ふりかへる＃
と、晩春の夕もやの中に、夢殿が次第にとけ込んで行＃
くのが見られる。私は幾度か　　＃
＜Ｐ－０３５＞
いかるがや富の小川の絶えばこそわがおほきみ＃
の御名を忘れめ　　＃
の古歌を口ずさんで、太子をしみ〴〵としのび奉る＃
のであつた。　　＃
　第六　　五月の太陽　　＃
五月の太陽は、　　＃
あらゆる梢に降りそゝいで、　　＃
或物は溌［はつ］剌［らつ］たる鮮緑に、　　＃
或物は明朗なひわ色に、　　＃
或物はやゝ鈍重な茶［ちや］褐［かつ］色［しよく］に、　　＃
＜Ｐ－０３６＞
それ〴〵のいみじき色彩を　　＃
ゐかんなく映發せしめつゝ、　　＃
天地に新緑の香を滿ちたゞよはしめる。　　＃
五月の太陽は、　　＃
ほがらかに、力強く、　　＃
波打つ麥畠にをどり、　　＃
目ざめるやうな野菜畠に亂舞し、　　＃
苗［なは］代［しろ］の青田を愛撫し、　　＃
農夫の鍬［くは］の先に嬉戲し、　　＃
茶［ちや］摘［つみ］少［をと］女［め］の手先を祝福しつゝ、　　＃
＜Ｐ－０３７＞
限りなき希［き］望［ばう］と榮光を田園に投ずる。　　＃
さうして、五月の太陽は、　　＃
農家の藁［わら］屋根に光彩を與へ、　　＃
其の縁［えん］先［さき］に小猫を戲れさせ、　　＃
其の蠶室を明かるくし、　　＃
薄暗い物置にさし込み、　　＃
鷄［とり］小屋の奧にしのび入つて　　＃
今、生まれたばかりの卵に、　　＃
輝かしい生氣を吹込む。　　＃
＜Ｐ－０３８＞
　第七　　姉　　＃
今日、ねえさんがお嫁入する。さう思ふと心がち＃
つとも落着かなかつた。先生のおつしやることが、＃
つい私の耳をす通りする。教室の外は、うらゝかな＃
初夏だ。屋根で雀がちゆうちゆう鳴いてゐる。あ＃
の雀は、のんきでいゝなあ。ほんたうに、あのねえさ＃
んが、よその人になつてしまふのかしら。何だかう＃
そのやうだ。――と思ふとたん、はつとした。先生の＃
目が、みんなの笑つた顏が、私に集つてゐる。先生が＃
私に何かおつしやつたらしい。顏が火のやうにな＃
＜Ｐ－０３９＞
るのを私は感じた。＃
午後、急ぎ足で學校の門を出た。歸つて見ると、入＃
口に下［げ］駄［た］が幾足も並んで、奧ではがや〳〵人聲がす＃
る。＃
髮結さんが、一生けんめいに、ねえさんのお支度を＃
してゐるところだつた。島田に結つて、裾［すそ］模［も］樣［やう］を着＃
せられたねえさんは、まるでよその人のやうに見え＃
る。分家のをばさんが、＃
「あゝ、いゝお嫁さんが出來ました。」＃
と言つて、ほめてゐる。おかあさんも、そばでにこに＃
こしながら眺めてゐた。＃
＜Ｐ－０４０＞
お座敷では、山田のをぢさんとをばさんが、おとう＃
さんや分家のをぢさんなどと話をしてゐる。＃
何だかさびしい氣がして、私は自分の部屋へもど＃
つた。心を無理にしづめようとして雜誌を開いた＃
が、文字も畫もみんな意味をなさなかつた。＃
ふすまがすうとあいて、着飾つたねえさんがはい＃
つて來た。＃
「雪ちやん。」＃
少しかすれた聲だつた。＃
「ねえさん、おめでたう。」＃
やつと、これだけが私の口から出た。＃
＜Ｐ－０４１＞
「ありがたう。私がゐなくなつても、さびしがらな＃
いで、よく勉強して下さいね。」＃
「はい。」＃
さう言へば、よくねえさんに復習や宿題を見て頂い＃
たものだつた。＃
「生まれた家を出て行くのはいやですけれど、これ＃
が女の行くべき道なんですから。どうぞ私に代＃
つて、おとうさんやおかあさんを大事にして上げ＃
て下さいね。殊におかあさんは、さうお丈夫では＃
ないんですから。」＃
私はだまつてうなづいた。「ねえさん、これまで、ず＃
＜Ｐ－０４２＞
ゐぶん我がまゝを言つてすみませんでした。」それ＃
がのどまで出てゐるのだけれど、とう〳〵言へない＃
でしまつた。＃
夕方、迎への自動車が來た。ねえさんは、山田のを＃
ぢさん・をばさんと一しよに車に乘つた。＃
其の夜、おとうさんも、おかあさんも、口ぐせのやう＃
に「めでたい、めでたい。」と言ひながら、話はとだえがち＃
であつた。にいさんだけが、時々へうきんなことを＃
言つて、みんなを笑はせた。　　＃
　第八　　電話の發明　　＃
＜Ｐ－０４３＞
アメリカ合［がつ］衆［しゆう］國ボストン市の聾［ろう］唖［あ］學校に、一人の＃
若い先生がゐました。＃
此の先生がまだ十五歳の少年であつた頃、ふと人＃
間の聲といふものの不思議さに氣附きました。＃
「人間は、くちびるや舌を動かして、いろ〳〵變つた＃
音聲を出すが、考へてみると實に不思議だ。」＃
彼は妙な物を作り始めました。一年かゝつて出來＃
上つたのが人間の頭のやうなもので、ふいごで風を＃
吹込むと、ゴムのくちびるが動いて、生きた人間のや＃
うに聲を出す仕掛になつてゐました。＃
かういふやうに、小さい時から研究心の強かつた＃
＜Ｐ－０４４＞
先生のことですから、聾唖學校で氣の毒な子供たち＃
を教へるやうになると、いよ〳〵熱心に、聲の原理や＃
舌・くちびる・耳などの生理を勉強しました。＃
しかし、何分にも耳や口の不自由な子供たちのこ＃
とですから、教へる方も教へられる方も、並大ていの＃
苦心ではありません。先生は、何とかして此のかは＃
いさうな子供たちのために、便利な機械を作りたい＃
と思ひました。さうして、話をする時に起る空氣の＃
振動を目で見る機械の工夫をしたり、又は其の頃評［ひやう］＃
判［ばん］になつてゐた電信機械を研究したりしました。＃
其の中に、ふと別の考が先生の頭に浮かびました。＃
＜Ｐ－０４５＞
「電信は、電氣の作用によつて、點や棒の符［ふ］號［がう］を用ひ＃
て通信するものだが、此の符號の代りに人間の聲＃
を用ひることは出來ないか。」＃
これに思ひ至ると、先生はもう矢もたてもたまり＃
ませんでした。すべてを捨てて、トーマス＝ワトソン＃
といふ助手と一しよに、ボストン市の或電氣屋の屋＃
根裏にたてこもりました。さうして、話と電氣とを＃
結び附けようといふ風變りな研究に取りかゝつた＃
のです。＃
ところが、元來先生は電氣や電信の學者ではあり＃
ませんでしたから、研究が行きづまると、專門の學者＃
＜Ｐ－０４６＞
にすがつたり、友達に意見を聞いたりしなければな＃
りませんでした。中には其の研究をばかにして、＃
「又もの言ふおもちやの話か。電氣に話をさせよ＃
うなんて、こつけい千萬だ。」＃
と、相手にしない友達もありました。＃
或日のこと、先生は、知合の醫［い］者［しや］から人の耳をもら＃
つて來ました。さうして、氣味の惡い實驗を始めま＃
した。先づ一本の藁［わら］を持つて來て、其の一方を耳の＃
鼓［こ］膜［まく］に觸れさせ、他の一方をすゝのかゝつたガラス＃
の上に置きました。先生は、其の耳に向かつて息を＃
吹きかけたり、歌を歌つたりしました。すると、其の＃
＜Ｐ－０４７＞
度毎に耳の鼓膜が振動して、藁がかすかに動きます。＃
さうして、すゝのかゝつたガラスの面には、ぎざ〳〵＃
の線がゑがき出されるのでした。＃
其の樣子を注意深く眺めてゐた先生は、此の鼓膜＃
の代りに、薄い鐵で圓板を作つて、それを電氣で振動＃
させたらどうかと考へました。此の考こそ、やみの＃
中にさし込んだ一條の光明でした。＃
月日が矢のやうに流れ去りました。あの氣味の＃
惡い實驗から、やがて三年目の夏がやつて來ました。＃
研究室の窓の外には、木々の葉が一日毎に緑を増し＃
て、風にそよいでゐます。今日も相變らず、針金や、磁［じ］＃
＜Ｐ－０４８＞
石［しやく］や、時計のぜんまいなどを取附けた機械を相手に、＃
「もの言ふおもちや」の研究に餘念がありません。隣＃
の室では、助手のワトソンが、先生の機械と電線で連＃
絡した別の機械を調べてゐます。＃
其の時です。「ボーン」といふかすかな音が、電線を＃
傳つて先生の機械に響きました。先生は、びつくり＃
して飛上りました。さうして、ワトソンの室へかけ＃
込むが早いか、＃
「君、今どうしたんだ。其の機械を動かしてはなら＃
ん。」＃
と、どなりながら機械にかけ寄りました。先生の手＃
＜Ｐ－０４９＞
は震へてゐます。＃
「もの言ふおもちや」は、遂に電線＃
によつて、かすかながらも音を傳＃
へたのです。研究はもう一息と＃
いふところです。＃
血の出るやうな苦心が、又續けられました。＃
やがて年が變り、とう〳〵「もの言ふおもちや」の出＃
來上る日がやつて來ました。今日こそ其の實驗の＃
日です。少し震へを帶びた先生の聲が、機械に向か＃
つて話しかけます。＃
「ワトソン君、すぐ來てくれ給へ、用事があるから。」＃
＜Ｐ－０５０＞
耳をすまして待つてゐた隣のワトソンは、其の時＃
思はず機械を取落しました。無理もありません。＃
彼は、ほんたうに針金を通じて、人間の言葉を聞いた＃
のです。彼は、急いで先生の室に飛込みました。＃
「聞えました、聞えました。先生の言葉が、一々はつ＃
きり聞えました。」＃
二人は、はげしく抱合ひま＃
した。＃
これは、西暦千八百七十六＃
年三月十日のことです。「も＃
の言ふおもちや」とは、言ふま＃
＜Ｐ－０５１＞
でもなく電話のことです。電話を發明した此の先＃
生こそ、アレキサンダー＝グラハム＝ベルで、此の發明は、＃
ベルが三十歳の時のことでした。　　＃
　第九　　瀬戸内海　　＃
本土の西、近く九州と相接せんとする所下［しもの］關［せき］海峽＃
あり。四國の西には佐田岬長く突出で、九州に迫り＃
て豐豫海峽をなす。淡［あは］路［ぢ］島の東端、本土と相望む所＃
紀［き］淡［たん］海峽となり、四國に近き所鳴［なる］門［と］海峽となる。此＃
の四海峽に包まれたる細長き内海を瀬戸内海とい＃
ふ。＃
＜Ｐ－０５２＞
瀬戸内海には至る所に岬あり、灣あり。大小無數＃
の島々各所に散在す。船の其の間を行く時、島かと＃
見れば岬なり岬かと見れば島なり。一島未だ去ら＃
ざるに一島更に現れ、水路きはまるが如くにしてま＃
た忽ち開く。かくして島轉じ海廻りて、其の盡くる＃
所を知らず。＃
春は島山かすみに包まれて眠るが如く、夏は山海＃
皆緑にして目ざむるばかり鮮かなり。兩岸及び島＃
島、見渡す限り田園よく開けて、まうせんを敷けるが＃
如く、白壁の民家其の間に點在す。＃
海の靜かなることは鏡の如く、朝日・夕日を負ひて＃
＜Ｐ－０５３＞
島がくれ行く白帆の影ものど＃
かなり。月影のさゞ波に碎け、＃
漁火の波間に出沒する夜景も＃
また一段のおもむきあり。＃
瀬戸内海の沿岸には、大阪・神［かう］＃
戸［べ］・宇［う］野［の］・尾［をの］道［みち］・宇［う］部［べ］・高松・今［いま］治［ばり］等良＃
港多く、汽船絶えず通航して、遠＃
く近く黒煙のたなびくを見る。＃
内海の沿岸及び島々には名勝の地少からず。嚴［いつく］＃
島［しま］は古より日本三景の一に數へられて殊に名高く、＃
屋島・壇［だんの］浦［うら］は源平の昔語に人の感興を動かすこと甚＃
＜Ｐ－０５４＞
だ切なり。我が國に遊べる外國人は、早くより内海＃
の風光を賞して、世界における海上の一大公園なり＃
といへり。今日、瀬戸内海が國立公園の一に數へら＃
るゝ、またむべなりといふべし。＃
　第十　　日本海海戰　　＃
露國が連敗の勢を回復せんため、本國における海＃
軍のほとんど全勢力を擧げて編成せる太平洋第二・＃
第三艦隊は、朝鮮海峽を經てウラヂボストックに向＃
かはんとす。我が海軍は、初より敵を近海に迎へ撃＃
つの計を定め、豫め全力を朝鮮海峽に集中してこれ＃
＜Ｐ－０５５＞
を待つ。＃
明治三十八年五月二十七日午前四時四十五分、我＃
が哨［せう］艦［かん］信［しな］濃［の］丸より、無線電信にて「敵艦見ゆ。」との報告＃
あり。東郷司令長官は、直ちに全軍に出動を命じ、先＃
づ小巡洋艦をして、敵艦隊を沖［おきの］島［しま］附近にいざなひ寄＃
せしむ。＃
午後一時五十五分、我が旗艦三［み］笠［かさ］は戰鬪旗をかゝ＃
ぐると共に、信號旗を以て令を各艦に下せり。いは＃
く、＃
「皇國の興［こう］廢［はい］此の一戰にあり。各員一層奮［ふん］勵［れい］努［ど］力［りよく］＃
せよ。」＃
＜Ｐ－０５６＞
と。我が軍の士氣大いに＃
振るふ。三笠に乘れる東＃
郷司令長官は、六隻の主戰＃
艦隊を率ゐて、上村艦隊と＃
共に先頭なる敵の主力に＃
當り、片岡・出羽・瓜［うり］生［ふ］・東郷（正＃
路）の諸隊は、敵の後尾をつ＃
く。＃
敵の先頭部隊は直ちに＃
砲火を開始せしが、我はこれに應ぜず、距離六千米に＃
近づきて始めて應戰し、烈しく敵を砲撃せしかば、敵＃
＜Ｐ－０５７＞
の艦列忽ち亂れ、早くも戰列を離るゝものあり。＃
風叫び海怒りて、波は山の如くなれども、沈着にし＃
て熟練なる我が砲員の打出す砲彈は、よく敵艦に命＃
中して、續々火災を起し、黒煙海をおほふ。午後二時＃
四十五分、勝敗すでに定まれり。敵はかなはじと、に＃
はかに路を變へて逃れ去らんとす。我は急に其の＃
前路をさへぎりて攻撃せしかば、敵の諸艦皆多大の＃
損害を受け、續いて我が驅［く］逐［ちく］隊より二回の水雷攻撃＃
を受けて、敵の兩旗艦を始め、其の他の諸艦も多く相＃
ついで沈沒せり。夜に入りて、我が驅逐隊・水雷艇［てい］隊＃
は、砲火をくゞつて敵艦に迫り、無二無三に攻撃せし＃
＜Ｐ－０５８＞
かば、敵艦隊は四分五裂の有樣となれり。＃
明くれば二十八日、天よく晴れて海上波靜かなり。＃
我が艦隊は、東郷司令長官の命により欝［うつ］陵［りよう］島附近に＃
集りて敵を待ちしが、忽ち東方に當りてはるかに數＃
條の黒煙を見る。よりて主戰艦隊及び巡洋艦隊は、＃
直ちに東方に向かつて敵の進路をふさぎ、片岡・瓜生・＃
東郷の諸隊は、其の退路を絶ちて、午前十時十五分、全＃
く敵を包圍せり。敵將ネボカトフ少將、今は逃れぬ＃
ところと覺［かく］悟［ご］したりけん、にはかに戰艦ニコライ一＃
世以下四隻を擧げて、其の部下と共に降服せり。＃
敵の司令長官ロジェストウェンスキー中將は、昨＃
＜Ｐ－０５９＞
日の戰鬪に傷を負ひ、幕［ばく］僚［れう］と共に一驅逐艦に移りし＃
が、我が驅逐艦漣［さゞなみ］・陽［かげ］炎［ろふ］の二隻に追撃せられ、遂に捕へ＃
らるゝに至れり。＃
此の兩日の戰に、敵艦の大部分は、我が艦隊のため＃
に、或は撃沈せられ或は捕獲せられて、三十八隻の中＃
逃れ得たるもの巡洋艦以下數隻のみ。敵の死傷及＃
び捕［ほ］虜［りよ］は、司令長官以下一萬六百餘人。我が軍の死＃
傷甚だ少く、艦艇の沈沒したるものわづかに水雷艇＃
三隻に過ぎず。＃
東郷司令長官の發せし戰況報告の末尾にいはく、＃
「我ガ聯［レン］合［ガフ］艦隊ガ能［ヨ］ク勝ヲ制シテ前記ノ如キ奇績＃
＜Ｐ－０６０＞
ヲ收メ得タルモノハ、一ニ天皇陛下ノ御［ミ］稜［イ］威［ツ］ノ致＃
ス所ニシテ、固［モト］ヨリ人［ジン］爲［ヰ］ノ能クスベキニアラズ。＃
特ニ我ガ軍ノ損失・死傷ノ僅［キン］少［セウ］ナリシハ、歴代神［シン］靈［レイ］＃
ノ加護ニ由［ヨ］ルモノト信［シン］仰［カウ］スルノ外ナク、曩［サキ］ニ敵ニ＃
對シ勇進敢［カン］戰［セン］シタル麾［キ］下［カ］將［シヤウ］卒［ソツ］モ、皆此ノ成果ヲ見＃
ルニ及ンデ、唯［タヾ］々［〳〵］感［カン］激［ゲキ］ノ極、言フ所ヲ知ラザルモノ＃
ノ如シ。」＃
と。勝報上聞に達するや、司令長官にたまへる勅語＃
の中に、＃
「朕［チン］ハ汝等ノ忠烈ニ依［ヨ］リ、祖［ソ］宗［ソウ］ノ神靈ニ對［コタ］フルヲ得＃
ルヲ懌［ヨロコ］ブ。」＃
＜Ｐ－０６１＞
と仰せられたり。將兵、すべて感泣せざるはなかり＃
き。　　＃
　第十一　　皇［み］國［くに］の姿　　＃
天［あま］照らす神のたまはく、　　＃
「葦［あし］原［はら］の中つ御國は、　　＃
皇［すめ］孫［みま］の治むべき國、　　＃
御位はいやさかえまし、　　＃
天［あめ］壤［つち］ときはみなからん。」　　＃
大神のみことのまゝに、　　＃
＜Ｐ－０６２＞
神の御子、代々のみかどの　　＃
しろしめす我が日の本は、　　＃
神と人和らぎむつび、　　＃
天［あめ］と地［つち］とはに幸あり。　　＃
日に月に進みて止まぬ　　＃
敷島の日［やま］本［と］の國の　　＃
人の世の力はなべて、　　＃
高［たか］皇［み］産［むす］靈［び］・神［かん］皇［み］産［むす］靈［び］の、　　＃
かしこしや、産靈のみわざ。　　＃
＜Ｐ－０６３＞
　第十二　　古事記の話　　＃
元明天皇の勅命によつて、太［おほの］安［やす］萬［ま］侶［ろ］は、稗［ひえ］田［だの］阿［あ］禮［れ］が＃
そらんずる我が國の古傳を、文字に書きあらはすこ＃
とになつた。＃
阿禮は記［き］憶［おく］力の非凡な人であつた。彼が天武天＃
皇の仰のまゝに、我が國の正しい古記録を讀み、古い＃
言傳へをそらんじ始めたのは、三十餘年前のことで＃
ある。當時二十八歳の若盛りであつた彼が、今では＃
もう六十近い老人になつた。此の人がなくなつた＃
ら、我が國の正しい古傳、つまり神代以來の尊い歴史＃
＜Ｐ－０６４＞
も文學も、彼の死と共にほろびてしまふかも知れな＃
いのであつた。＃
勅命の下つたことを承つた阿禮は、今や天にも上＃
る心地であつたらう。さうして、長い〳〵物語を讀＃
上げるのに、殆ど心魂を捧げつくしたことであらう。＃
ところで、これを文字に書きあらはす安萬侶の苦心＃
は、それにも増して大きいものがあつた。＃
其の頃は、まだ片假名も平假名もなかつた。文字＃
といへば漢字ばかりで、文章といへば漢文が普通で＃
あつた。しかるに、阿禮の語る物語は、すべて我が國＃
の古い言葉である。我が國の古語を、漢字ばかりで＃
＜Ｐ－０６５＞
其のまゝに書きあらはすことが、安萬侶に取つての＃
大きな苦心であつた。＃
試みに、今日若し片假名も平假名もないとして、漢＃
字ばかりで、我々の日常使ふ言葉を書きあらはさう＃
としたら、どうなるであらう。「クサキハアヲイ」とい＃
ふのを漢字だけで書けば、差當り「草木青」と書いて滿＃
足せねばなるまい。しかし、これでは、漢文流に「サウ＃
モクアヲシ」と讀むことも出來る。そこで、ほんたう＃
に間違なく讀ませるためには、「久［ク］佐［サ］幾［キ］波［ハ］阿［ア］遠［ヲ］以［イ］」とで＃
も書かねばならなくなる。だが、これでは又あまり＃
に長過ぎて、讀むのにかへつて不便である。＃
＜Ｐ－０６６＞
安萬侶は、いろ〳〵の方法を用ひた。例へば、「アメ＃
ツチ」といふのを「天地」と書き、「クラゲ」といふのを「久［ク］羅［ラ］＃
下［ゲ］」と書いた。前者は「クサキ」を「草木」と書くのと同樣＃
であり、後者は「久佐幾」と書くのと同じである。「ハヤ＃
スサノヲノミコト」といふのを「速［ハヤ］須［ス］佐［サ］之［ノ］男［ヲノ］命［ミコト］」とした＃
のは、「草木」と「久佐幾」と二つの方法を一しよにしたの＃
である。これらは簡單な名前に過ぎないが、長い文＃
章になると、其の苦心はとても一通りのことではな＃
かつた。＃
しかし、安萬侶のかうした苦心はやがて報いられ＃
て、阿禮の語る所を、言葉其のまゝに文字に書きあら＃
＜Ｐ－０６７＞
はすことが出來た。さうして、三卷の書物にまとめ＃
て天皇に奉つた。これが古事記といつて、いはば我＃
が國で最も古い書物である。和銅五年正月二十八＃
日、今から一千二百餘年の昔のことである。＃
天［あめ］の岩屋、八［や］岐［また］のをろち、大［おほ］國［くに］主［ぬしの］命［みこと］、天孫降［かう］臨［りん］、二つの＃
玉等の神代の尊い物語を始め、神武天皇や日［やま］本［と］武［たけるの］尊［みこと］＃
の御事［じ］蹟［せき］、其の他古代のすべての事が古事記にのせ＃
られて、今日に傳はつてゐる。＃
それは、要するに我が國初以來の尊い歴史であり、＃
文學である。殊に大切なことは、かうして我が國の＃
古傳が、古語のまゝに殘つたことである。古語には、＃
＜Ｐ－０６８＞
我が古代國民の精神がとけ込んでゐる。我々は今＃
日古事記を讀んで、國初以來の歴史を知ると共に、其＃
の言葉を通して、古代日本人の精神をあり〳〵と讀＃
むことが出來るのである。　　＃
　第十三　　松阪の一夜　　＃
本［もと］居［をり］宣［のり］長［なが］は、伊［い］勢［せ］の國松阪の人である。若い頃か＃
ら讀書が好きで、將來學問を以て身を立てたいと、一＃
心に勉強してゐた。＃
或夏の半ば、宣長がかねて買ひつけの古本屋に行＃
くと、主人は愛想よく迎へて、＃
＜Ｐ－０６９＞
「どうも殘念なことでした。あなたがよく會ひた＃
いとお話しになる江戸の賀［か］茂［も］眞［ま］淵［ぶち］先生が、先程お＃
見えになりました。」＃
といふ。思ひがけもない言葉に宣長は驚いて、＃
「先生がどうしてこちらへ。」＃
「何でも、山城・大［やま］和［と］方面の御旅行がすんで、これから＃
參宮をなさるのださうです。あの新［しん］上［じやう］屋［や］にお泊＃
りになつて、さつきお出かけの途中『何か珍しい本＃
はないか。』と、お立寄り下さいました。」＃
「それは惜しいことをした。どうかしてお目にか＃
かりたいものだが。」＃
＜Ｐ－０７０＞
「後を追つてお出でになつたら、大てい追附けませ＃
う。」＃
宣長は、大急ぎで眞淵の樣子を聞取つて後を追つ＃
たが、松阪の町のはづれまで行つても、それらしい人＃
は見えない。次の宿の先まで行つてみたが、やはり＃
追附けなかつた。宣長は力を落して、すご〳〵とも＃
どつて來た。さうして新上屋の主人に、萬一お歸り＃
に又泊られることがあつたら、すぐ知らせてもらひ＃
たいと頼んでおいた。＃
望がかなつて、宣長が眞淵を新上屋の一室に訪ふ＃
ことが出來たのは、それから數日の後であつた。二＃
＜Ｐ－０７１＞
人は、ほの暗い行［あん］燈［どん］のもとで對坐した。眞淵はもう＃
七十歳に近く、いろ〳〵りつぱな著書もあつて、天下＃
に聞えた老大家。宣長はまだ三十歳餘り、温和な人＃
となりのうちに、どことなく才氣のひらめいてゐる＃
少壯の學者。年こそ違へ、二人は同じ學問の道をた＃
どつてゐるのである。だん〳〵話をしてゐる中に、＃
眞淵は宣長の學識の尋常でないことを知つて、非常＃
に頼もしく思つた。話が古事記のことに及ぶと、宣＃
長は、＃
「私は、かね〴〵古事記を研究したいと思つてをり＃
ます。それについて、何か御注意下さることはご＃
＜Ｐ－０７２＞
ざいますまいか。」＃
「それは、よいところにお氣附きでした。私も、實は＃
早くから古事記を研究したい＃
考はあつたのですが、それには＃
萬［まん］葉［えふ］集［しふ］を調べておくことが大＃
切だと思つて、其の方の研究に＃
取りかゝつたのです。ところ＃
が、何時の間にか年を取つてし＃
まつて、古事記に手をのばすこ＃
とが出來なくなりました。あ＃
なたはまだお若いから、しつか＃
＜Ｐ－０７３＞
り努力なさつたら、きつと此の研究を大成するこ＃
とが出來ませう。たゞ注意しなければならない＃
のは、順序正しく進むといふことです。これは、學＃
問の研究には特に必要ですから、先づ土臺を作つ＃
て、それから一歩々々高く登り、最後の目的に達す＃
るやうになさい。」＃
夏の夜はふけやすい。家々の戸は、もう皆とざさ＃
れてゐる。老學者の言に深く感動した宣長は、未來＃
の希望に胸ををどらせながら、ひつそりした町筋を＃
我が家へ向かつた。＃
其の後、宣長は絶えず文通して眞淵の教を受け、師＃
＜Ｐ－０７４＞
弟の關係は日一日と親密の度を加へたが、面會の機＃
會は松阪の一夜以後とう〳〵來なかつた。＃
宣長は眞淵の志を受けつぎ、三十五年の間努力に＃
努力を續けて、遂に古事記の研究を大成した。有名＃
な古事記傳といふ大著述は此の研究の結果で、我が＃
國文學の上に不［ふ］滅［めつ］の光を放つてゐる。　　＃
　第十四　　北海道　　＃
　（一）　　札［さつ］幌［ぽろ］　　＃
今朝早く札幌神社へ參拜すると言つて出掛けた＃
東京の叔［を］父［ぢ］は、僕が學校から歸つて見ると、縁［えん］先［さき］に出＃
＜Ｐ－０７５＞
した椅［い］子［す］によりながら、色づいたばかりのいちごに＃
牛乳をかけて、さもおいしさうにたべてゐた。＃
「叔父さん、北海道のいちごに北海道の牛乳をかけ＃
てたべると、ほんたうに北海道の味がするでせう。」＃
と僕が言ふと、＃
「北海道の味もいゝが、今朝、神社の森で聞いたかん＃
こ鳥の聲は、實によかつたよ。あれを聞くと、全く＃
たまらんね。」＃
と、叔父が言つた。叔父は、深い森の奧から流れて、か＃
すかにこだまするあのかんこ鳥の、朗かな中にも一＃
種のさびしさを持つた聲が、餘程氣に入つたらしい。＃
＜Ｐ－０７６＞
午後は、僕が案内役になつて、市＃
内の見物に出掛けた。六月の空＃
は、うらゝかに晴れて、所々に淡い＃
白雲が光つてゐた。＃
大通逍［せう］遥［えう］地［ち］の花［くわ］壇［だん］には、三色す＃
みれの花に蝶［てふ］が飛んでゐた。緑＃
の芝［しば］生［ふ］に腰をおろして讀書に餘＃
念のない學生もあれば、自轉車を＃
止めて野球試合の放送に聞入つてゐる一群もある。＃
眞白い日がさのかげに赤んばうを眠らせながら、其＃
のそばでせつせと編物の針を運んでゐる婦人の姿＃
＜Ｐ－０７７＞
も見られた。＃
今しがた三時を告げた時計臺の鐘の音を追ひな＃
がら、白い花の房をつけたアカシヤの並木路を、叔父＃
はステッキを思ひ切り振つて＃
行く。＃
大學の正門を眞直にはいる。＃
一面の芝生におほはれた校庭＃
を貫ぬく小さな流に、小魚をす＃
くつて遊んでゐる子供たちが＃
あつた。＃
緑したゝる一位の木を背に＃
＜Ｐ－０７８＞
し、見上げるやうなにれの葉かげに、青銅の胸像がく＃
つきりと浮かび上つて見える。＃
「成程、これがクラーク博士の胸像だな。こゝに、英＃
語で『少年よ、大志を抱け。』と記してある。これは、博＃
士が札幌を去る時、泣いて別れを惜しむ學生たち＃
に殘したといふ有名な言葉だよ。道雄君、君も一＃
つ大志を抱いて奮鬪するんだね。」＃
叔父の言葉は、僕の胸に力強く響いた。＃
四方に太い枝をたれて、深い日かげを作つてゐる＃
にれの林や、大空の雲をはくかと思はせるポプラの＃
並木路をたどつて、牧舍の近くまで行くと、牧夫に追＃
＜Ｐ－０７９＞
はれながら、いう〳〵と道端の草を食んでやつて來＃
る牛の一群に會つた。ノートをかゝへた大學生が、＃
肩を並べて、廣々とした芝生の上を歩いてゐるのも＃
見かけられた。＃
日は、やうやく手［て］稻［いね］の連峯に傾いた。折から、農場＃
の鐘が「かあん、かあん」と長く尾を引いて廣野の彼方＃
へ消えて行つた。　　＃
　（二）　　阿［あ］寒［かん］　　＃
釧［くし］路［ろ］市の北方八十粁、雄［を］阿［あ］寒［かん］岳［だけ］の直下にたゝへる＃
阿寒湖のほとりに來て、私は、始めて原始北海道の姿＃
をまのあたりに見ることが出來た。＃
＜Ｐ－０８０＞
湖上に舟を浮かべて、雄阿寒岳＃
の急斜面が迫る絶壁を仰ぎ、千古＃
斧［をの］を知らぬ湖岸一帶の密林を見＃
渡した時、私の心はすでに人間界＃
を超［てう］越［ゑつ］してゐた。湖上の島々も＃
多くは密林を負＃
うて、其の眺は美＃
であり奇である。明澄の水はどこ＃
までも冷やかに、やゝ暗い青さをた＃
たへ、特に絶壁をなす奇岩の下には、＃
底知らぬ淵をよどませてゐる。西＃
＜Ｐ－０８１＞
の空、やゝ遠く雌［め］阿［あ］寒［かん］岳［だけ］が煙を吐いて、其の山はだの＃
紅褐色が、萬緑の世界に異彩を放つてゐる。此の湖＃
の一角の底に、まるで緑色の炭［た］團［どん］でも敷並べたやう＃
な「まりも」をのぞいて見るのも、一興であつた。＃
「えぞまつ」「とゞまつ」の原始林の間に開かれた高原＃
の道を自動車で東へ走ると、途中に雙［さう］湖［こ］臺［だい］がある。＃
そこから見下す針葉樹林の海は、たゞ默々として聲＃
なく續き、其の密林の傾斜が四方から集る底に、群青＃
の水をたゝへてゐるのが、ペンケ・パンケ二つの湖で＃
あつた。＃
弟［て］子［し］屈［かゞ］から道を北へ取つて、屈［くつ］斜［しや］路［ろ］湖のほとりに＃
＜Ｐ－０８２＞
出る。先づ和［わ］琴［こと］半島の優美な姿を賞しながら進む＃
と、湖景は快く開けて、水上に美しい中島を望み、對岸＃
に秀麗な藻［も］琴［こと］山を仰ぐ。＃
車は美［び］幌［ほろ］峠を登りつめて、遂に一大展望をほしい＃
まゝにする地點に私を下した。南面は屈斜路湖を＃
見下す彼方、釧路の高原・山岳がうねり續いて大波の＃
如く、北面は廣々と北見の高原がゆるやかに遠く傾＃
いて、其の果にオホーツク海の煙波を望ましめるの＃
である。＃
再び弟子屈にかへして東する道は、私を摩［ま］周［しう］湖へ＃
みちびいた。＃
＜Ｐ－０８３＞
摩周岳の中腹、海拔三百五＃
十米の高所にある此の湖は、＃
湖岸をめぐらす約二百米の＃
絶壁上から見下さねばなら＃
ない。脚下の水は、あくまで＃
も澄みきつた碧［へき］玉［ぎよく］の色をの＃
べて、しかも死の如く沈默し＃
てゐる。中央に浮かぶたゞ＃
一つの中島、カムイシュの鮮＃
かさ。周圍の絶壁は、これも水際からぎつしりと密＃
林を疊み上げ、所々「しらかば」の立枯れが、白骨のをど＃
＜Ｐ－０８４＞
るやうにあらはである。對岸やゝ右に、けづり立つ＃
峯は摩周岳の絶頂だといふ。人は、永久に此の湖の＃
水際に近附くことが出來ないかのやうに思はれる。＃
昔、土地の人は、此の湖をカムイトーと呼んだ。神の＃
湖の意である。まことに摩周湖こそは、たゞ神のみ＃
がしろしめす神祕境だといふ感じを深くさせる。＃
其の山岳は秀麗、其の湖は神祕、果しなき密林と、雄＃
大な展望と、さうして、至る所に湧出する温泉とをあ＃
はせ有する國立公園阿寒は、たゞに北海道の誇であ＃
るばかりでなく、まことに天下の絶勝だと私は思つ＃
た。　　＃
＜Ｐ－０８５＞
　（三）　　北千島の漁場　　＃
本島で、にしんの漁期の終る五月下旬から、そろそ＃
ろ北千島の漁場が活氣を帶びて來る。其の前後け＃
なげにも、十人乘そこ〳〵の發動機船が、本島を後に、＃
六百海里の北を望んで續々と出て行く姿を見るで＃
あらう。幸にして此の頃は、割合なぎの日が多い。＃
こゝ北千島の一角を根［こん］據［きよ］地とする約百隻の流し＃
網出漁船は、今、出動準備の最中である。エンジンの＃
調子をしらべたり、網の支度をしたり、特に船長たち＃
は、晴雨計と空模［も］樣［やう］を熱心に見くらべてゐる。見渡＃
す限りは午後の靜かな海である。＃
＜Ｐ－０８６＞
やがて、船は爆［ばく］音［おん］高く根據地を出て行く。思ひ思＃
ひに沖へ快走してかれこれ三時間、專らますのおよ＃
ぎ廻つてゐさうな場所を探して、投網にかゝる。ぐ＃
つと速度を落しながら一直線に進む船のともから、＃
網が次第にくり出されて、其の長さが約五千米。此＃
の作業が終る頃は、日沒のおそい北洋にも夕暮が次＃
第に迫つて、濃霧が一面に立ちこめる。たま〳〵遠＃
くからたゞよふやうに汽笛が聞えて來るのは、カム＃
チャッカ沿岸へ航する汽船であらうか。一種のあ＃
こがれに似たなつかしさを覺えしめる。＃
「網の綱をしつかりつないでおくんだぞ。今夜は＃
＜Ｐ－０８７＞
なぎらしいが、水温や海流はどうだい。」＃
「水温は紅ますに適度、潮流は餘り速くないやうで＃
す。」＃
「昨夜より少し沖へ出たな。きつと大れふだぞ。」＃
もう〳〵たる濃霧にとざされて、網の綱の端に附＃
けた目じるしのランプも、光がぼんやりと見える。＃
船はエンジンを止めたまゝ、網諸共に夜明まで潮の＃
まに〳〵任せるのである。かうして、北洋にたゞよ＃
ふ小船のせま苦しい船室に、しばしの夢が結ばれる。＃
午前二時頃、もう東の空が白み始める。＃
「おい、網を揚げるんだ。」＃
＜Ｐ－０８８＞
船長の聲に、防水具に身を＃
固めた若者たちが、船室か＃
ら出て來る。明方の風は＃
いやといふ程冷たい。＃
「よいしよ、こらしよ。」＃
元氣のよい掛聲だ。網を引揚げる片端から、海面に＃
さゞ波が起る。五六十糎のますやさけが、網の絲も＃
切れんばかりにかゝつてゐるのだ。＃
力強くたぐりながら、すこぶるなれた手つきで魚＃
をはづす。見る〳〵甲板はます・さけの山。かうし＃
た作業が五時間も續いて、一萬尾に近い漁獲に船は＃
＜Ｐ－０８９＞
滿［まん］載［さい］である。濃霧がだん〳〵薄れて、太陽が洋上に＃
鈍い光を投げかける。＃
船は、思ひ切り吃［きつ］水［すゐ］深く、殘雪を頂く島山の峯を目＃
當に、根據地へと波を切つて行く。　　＃
　第十五　　我は海の子　　＃
我は海の子、白波の　　＃
さわぐいそべの松原に、　　＃
煙たなびくとまやこそ、　　＃
我がなつかしき住家なれ。　　＃
＜Ｐ－０９０＞
生まれて潮にゆあみして、　　＃
波を子守の歌と聞き、　　＃
千里寄せくる海の氣を　　＃
吸ひてわらべとなりにけり。　　＃
高く鼻つくいその香に、　　＃
不［ふ］斷［だん］の花のかをりあり。　　＃
なぎさの松に吹く風を、　　＃
いみじき樂と我は聞く。　　＃
丈餘のろかい操りて、　　＃
＜Ｐ－０９１＞
行手定めぬ波まくら、　　＃
百［もゝ］尋［ひろ］・千［ち］尋［ひろ］海の底、　　＃
遊びなれたる庭廣し。　　＃
幾年こゝにきたへたる　　＃
鐵より堅き腕あり。　　＃
吹く潮風に黒みたる　　＃
はだは赤［しやく］銅［どう］さながらに。　　＃
波にたゞよふ氷山も、　　＃
來らば來れ、恐れんや。　　＃
＜Ｐ－０９２＞
海卷き上ぐる龍卷も、　　＃
起らば起れ、驚かじ。　　＃
いで、大船を乘出して、　　＃
我は拾はん、海の富。　　＃
いで、軍艦に乘組みて、　　＃
我は護らん、海の國。　　＃
　第十六　　間宮林［りん］藏［ざう］　　＃
樺［から］太［ふと］は島なりや、又大陸の一部なりや、世界の人の＃
久しく疑問とする所なりしが、其の實地を探［たん］檢［けん］して＃
＜Ｐ－０９３＞
これが解決を與へたるは、實に我が間宮林藏なり。＃
文化五年四月、林藏は幕［ばく］府［ふ］の命によりて、松田傳十＃
郎と共に樺太に渡り、海岸を探りてほゞ島なること＃
を知りぬ。されど、なほ心に滿たざるものあり、同年＃
七月單身にて又樺太におもむけり。＃
先づ樺太の南端なる白主にて土人をやとひ、小舟＃
に乘りて北に進む。途中の困難名状すべからず。＃
一度トッショカウに至りて引返し、トンナイに留り＃
て越年し、翌年再び北に向かひて四月ノテトに着き、＃
更に進みてナニヲーに達す。此の地、北端に近き一＃
小部落にして、土人の家わづかに五六を數ふるのみ。＃
＜Ｐ－０９４＞
ノテトよりナニヲーに至＃
る間、大陸迫り、潮水南に流れ、＃
波靜かなりしに、ナニヲー以＃
北は海やうやく開け、潮水北＃
に注ぎ、しかも波甚だ荒し。＃
林藏、こゝに始めて樺太が大陸と全く絶縁せる島な＃
ることを確實にするを得たり。＃
林藏は樺太の海岸を一周せんと志ししが、ナニヲ＃
ーより北、波荒くして舟をやるべからず。山を越え＃
て東岸に出でんとすれば、土人の從者行手の危險を＃
恐れて從ふことを欲せず。止むなくノテトに引返＃
＜Ｐ－０９５＞
し、酋［しう］長［ちやう］コーニの家に留りて、しばらく時機の至るを＃
待てり。＃
網をすき、舟を漕ぎ、魚を取る手傳ひなどして、土人＃
に親しみつゝ、其の語る所を聞けば、樺太は島にして＃
境を接する國土なく、たとひ東岸に至るも土人の部＃
落點在するに過ぎずとぞ。こゝにおいて、林藏、新た＃
に對岸大陸に入りて其の地を探檢する志を起せり。＃
たま〳〵交易のため、コーニの大陸に渡らんとする＃
に際し、林藏、切におのれを伴なはんことをこふ。コ＃
ーニは「顏かたちの異なる君、若し彼の地に行かば、人＃
に怪しまれ、或は一命も危からん。」とて、しきりに止む＃
＜Ｐ－０９６＞
れども林藏きかず。遂に同行することに決せり。＃
出發の日近づくや、林藏、これまでの記録一切を取＃
りまとめ、從者に渡して言ふやう、「我若し彼の地にて＃
死したりと聞かば、汝、これを白主に持歸りて、必ず日＃
本の役所に差出すべし。」と。＃
文化六年六月の末、コーニ・林藏等一行八人は、小舟＃
に乘じて今の間宮海峽を横ぎり、デカストリー灣の＃
北に上陸したり。それより山を越え、河を下り、湖を＃
渡りて、黒［こく］龍［りゆう］江［かう］岸のキチーに出づ。其の間、山にさし＃
かゝれば舟を引きてこれを越え、河・湖に出づればま＃
た舟を浮かべて進む。夜は野宿すること少からず。＃
＜Ｐ－０９７＞
木の枝を切りて地上に立て、木の皮にておほひ、八人＃
一所にうづくまりて雨露をしのぐのみ。＃
キチーにて土人の家に宿る。土人等、林藏を珍し＃
がりて他の家に伴なひ、多數にて取圍みつゝ、或は抱＃
き或はふところを探る。やがて酒食を出したれど＃
も、林藏、彼等の心をはかりかねてかへりみず。一老＃
人怒りて林藏の頭を打ち、強ひて酒を飲ましめんと＃
す。折よく同行者の一人來りて土人等を叱し、林藏＃
を救ひ出しぬ。＃
此の地を去りて、河をさかのぼること更に五日、遂＃
に目的地なるデレンに達せり。こゝに支［し］那［な］官吏の＃
＜Ｐ－０９８＞
出張所あり、各地＃
の人々來りて貢［みつぎ］＃
物［もの］を捧げ、かつ交＃
易をなす。林藏＃
の怪しみもてあ＃
そばるゝこと、キチーにも増して甚だしかりしが、か＃
かる中にありても、彼は其の地の事情を研究するこ＃
とを怠らざりき。＃
コーニ等の交易は七日にして終れり。歸途、一行＃
は黒龍江を下りて河口に至り、海を航してノテトに＃
歸る。林藏はコーニ等に別れを告げて、同年九月白＃
＜Ｐ－０９９＞
主に歸着しぬ。＃
林藏が二回の探檢によりて、樺太が島なること明＃
らかになりしのみならず、其の對岸大陸の事情も始＃
めて我が國に知らるゝに至れり。　　＃
　第十七　　樺［から］太［ふと］の旅　　＃
　（一）　　大泊　　＃
連絡船が大泊に着いた時は、港内一面の濃霧で、甲＃
板を過ぎる夕風が、ぞつとする程冷たく感ぜられた。＃
七月の初といふことなど、つい忘れてしまひさうで＃
あつた。＃
＜Ｐ－１００＞
樺太の玄［げん］關［くわん］口といはれる大泊＃
は、一面また西海岸の眞［ま］岡［をか］や本［ほん］斗［と］＃
と共に漁業の中心地で、さすがに＃
市内は活氣がある。四五月頃の＃
にしんの盛な漁期には、沿岸を走＃
る汽車の中まで、にしんの香で一＃
ぱいだといふ。＃
公園神［かぐ］樂［らが］岡［をか］に上ると、先づ依［より］仁［ひと］＃
親王武功記念碑［ひ］が高く仰がれる。明治三十七八年＃
戰役に、親王が軍艦千［ち］歳［とせ］の副長として、敵艦ノーウィ＃
ックを撃沈せられたのは有名な話である。此の附＃
＜Ｐ－１０１＞
近から亞［あ］庭［には］灣を見下したところは、何といふすばら＃
しい景色であらう。棧［さん］橋［ばし］にかゝる巨船は、油畫にで＃
もありさうな圖だ。遠く眼を放てば、紺［こん］碧［ぺき］の色をた＃
たへた沖の潮にかもめが飛んで、其の果に能［の］登［と］呂［ろ］岬＃
の山々が紫に煙つてゐる。　　＃
　（二）　　豐原　　＃
樺太廳［ちやう］の所在地豐原市は、廣い耕地のある鈴［すゞ］谷［や］平＃
野の中央にあつて、本島第一の都市である。市街は＃
井然として道幅が廣く、「しらかば」や「なゝかまど」の並＃
木が美しく續いてゐる。＃
樺太神社に參拜する。一の鳥居、二の鳥居をくゞ＃
＜Ｐ－１０２＞
つて、御影石の白い石段を登りつめ＃
ると、市街は眼下に見下され、遠く樺＃
太山脈の麓にかけて鈴谷平野が廣＃
がつてゐる。廣い境内に植込まれ＃
た木々は、内地で見られぬ新鮮な緑＃
を着けて打ちそよいでゐる。＃
製紙パルプ工場を見る。構内に＃
は、パルプの原料になる「えぞまつ」「と＃
どまつ」の丸太が山のやう。此の丸＃
太を短く切り、細かく碎き、藥品でどろ〳〵になるま＃
で煮、それを洗つて乾かし、パルプといふ厚紙に似た＃
＜Ｐ－１０３＞
ものに作るまでの工程が、すべて機械の働で順序よ＃
く行はれる。かうして出來たパルプは、内地の製紙＃
工場に送られ、もう一度どろ〳〵にとかされてから、＃
種々の紙にすかれるのである。＃
工場を見た後、鈴谷川對岸の露人部落を訪れて、宿＃
に歸つたのが午後の九時、まだ新聞が讀める程の明＃
かるさだ。樺太の夏の日の長さに、つく〴〵感心し＃
た。　　＃
　（三）　　養［やう］狐［こ］場　　＃
自動車で豐原市外小［こ］沼［ぬま］に向かふ。燕［えん］麥［ばく］の穗波を＃
渡る夏風に吹かれながら、荒野の大道を走る愉快さ＃
＜Ｐ－１０４＞
は、ちよつと内地で味はへぬもの＃
の一つである。＃
中央試驗場をたづねて、廣々と＃
した農園や牧場を一巡する。珍＃
しいのは養狐場であつた。金網＃
で圍んだ中に、黒や黄色の狐［きつね］が、き＃
よとんとして、目を輝かしながら＃
遊んでゐる。すばらしい尻［しつ］尾［ぽ］だ。氣候が寒いので＃
毛並がよく、一匹千圓といふのがあるといふ。小沼＃
一帶が狐で立つてゐるのださうだ。　　＃
　（四）　　海［かい］豹［へう］島　　＃
＜Ｐ－１０５＞
オホーツク海の濃霧が薄れて、ぽつかり浮かび上＃
つた不思議の島。船は何時しか海豹島の西岸近く＃
來てゐた。＃
「ギャオ、ギャオ。」「ウォー、ウォ＃
ー。」――おつとせいの鳴く聲、ほ＃
える聲。さうして、ロッペン鳥＃
の羽ばたき。＃
長さ七百米、幅七十米、海面上＃
わづか十五米に過ぎない此の＃
岩島に、三十萬のロッペン鳥と、＃
三萬のおつとせいが群居してゐるのだから、其の騷＃
＜Ｐ－１０６＞
ぎはたいしたものである。＃
西岸から上陸すると、岩頭は、身動きもならぬ程た＃
くさんなロッペン鳥の行列だ。＃
近寄つても、いつかな逃げよう＃
としない。どれもこれも、水兵＃
さんがエプロンを掛けたとい＃
ふ、すこぶるこつけいな姿であ＃
る。＃
東岸の砂濱は、無數のおつとせいだ。どつかとす＃
わり込んで見張りをしてゐる牛のやうな巨獸たち、＃
よち〳〵しながら砂濱に戲れる幼獸の群。ほえる＃
＜Ｐ－１０７＞
者、叫ぶ者、かみ合ふ者、ころがつて團［うち］扇［は］のやうな尾を＃
振る者、それはそれは大變である。大てい五月末頃＃
に上陸して、十月頃全部引上げるのださうだ。＃
急にものすごい羽音を立てて、ロッペン鳥が一氣＃
に飛立つた。太陽をおほひかくすといふのは、此の＃
事であらうと思はせる。　　＃
　（五）　　國境　　＃
幅約二十米、東西にわたつて一直線に伐開かれた＃
林空。夏草の茂るに任せた、音一つしない國境線に＃
立つと、何かしら一種のわびしさを感ずる。＃
ふと見ると、朽ちた木［もく］柵［さく］の中に、菊花の御紋章と大＃
＜Ｐ－１０８＞
日本帝國境界の文字とを刻した石標が立つてゐる。＃
裏面には舊ロシヤの紋章とロシヤ文字が見られる。＃
原始林の彼方には、赤々と夕日が傾いてゐるのだ。　　＃
　第十八　　雲のさま〴〵　　＃
澄んだ青空に、刷［は］毛［け］で輕くはいたやうな、又は眞綿＃
を薄く引きのばしたやうな白い雲の出るのを卷雲＃
といひます。ごく細かい氷の粒の集つたもので、雲＃
の中でも一番高く、八千米から一萬二千米の高さに＃
浮かんでゐます。どこまでも細やかで、すつきりし＃
た感じの雲です。天女の輕い舞の袖を思はせるや＃
＜Ｐ－１０９＞
うな雲です。＃
ところで、此の雲がだん〳〵ふえ＃
て廣がり出すと、すつきりした感じ＃
がなくなつて、形がぼやけて來ます。＃
後にはごく薄い白絹か何かで空を＃
おほつたやうになりますから、俗に＃
薄雲といひます。太陽や月が、大き＃
なかさを着るのは此の雲のかゝつた時で、かさの中＃
に星が見えれば天氣、さうでなければ雨だなどとい＃
ひますが、果してどうですか。とにかく、そろ〳〵天＃
氣がくづれるなと思はせるのが此の雲です。＃
＜Ｐ－１１０＞
青空にうろこのやうに小さく群生する白い雲は、＃
さばの斑［はん］點［てん］に似てゐるところから、俗にさば雲とい＃
ひ、又此の雲が出るといわしの大漁＃
があるといふので、いわし雲ともい＃
ひますが、見た所は何だかさびしい＃
感じの雲です。夜、此の雲の續く果＃
に、半月の淡くかゝるなどは、殊にさ＃
うした感じを深くします。天候惡＃
變の兆といはれる雲で、それが龍の＃
やうに長く續く場合は、殆ど雨の近＃
いこと受合だといひます。＃
＜Ｐ－１１１＞
いわし雲より、ぐつと大きな塊になつて群生する＃
白い雲があります。西洋人はよく牧場の群羊にた＃
とへるさうですが、日本では俗にむら雲などいつて＃
ゐます。青空に綿を大きくちぎつて、後から後から＃
投出したやうで、中々景氣のよい雲です。＃
いわし雲がぐん〳〵ふえて來ると、空一帶が灰色＃
になつて、何だか頭をおさへつけられさうになりま＃
す。太陽でも月でも、おぼろにしか見えませんから、＃
俗におぼろ雲といひます。照りもせず曇りもはて＃
ぬ春の夜のおぼろ月とは、かういふ雲のかゝつた場＃
合ですが、天候の前兆としては、いよ〳〵惡い方だと＃
＜Ｐ－１１２＞
いひます。＃
いわし雲・むら雲・おぼろ雲は、何れも卷雲より低く、＃
七千米以下三千米以上の所に浮かぶ雲です。＃
青空に薄黒い雲がみなぎるこ＃
とがあります。雨雲に似てゐま＃
すが、所々に青空が見え、雲の端々＃
が白く見えて、其の間から日光が＃
もれたりします。もく〳〵と大＃
きくかたまつたり、又時にそれが＃
畠のうねのやうに、天の一方から＃
他方へ幾條か連なつたりするこ＃
＜Ｐ－１１３＞
とがあります。俗に曇り雲とか、うね雲とかいはれ＃
る雲です。＃
雨雲はきまつた形がなく、空一ぱいに薄黒くおほ＃
ふもので、亂雲と呼ばれてゐます。一番陰氣でいや＃
な感じの雲であることはいふまでもありません。＃
曇り雲と同じく、二千米以下にある雲です。＃
雨の降つたあげく、山の間などから流れるやうに＃
滑り出る白い雲は層雲といつて、雲の中でも一番低＃
い雲です。高さは六百米ぐらゐですから、全く手に＃
取れさうに見えます。＃
天氣のよい日、底が平で、上は山の峯のやうに積上＃
＜Ｐ－１１４＞
つた形に現れる白い雲は積雲といひますが、夏の日＃
など、峯が恐しい程むく〳〵とふくれ上つたのは、俗＃
にいふ入道雲です。強烈な日光に照らされた入道＃
雲が、まぶしい程、銀白色又は銀［ぎん］鼠［ねず］色に輝くのを見る＃
と、全く雲の王者といひたい感じがします。俳［はい］句［く］で＃
「雲の峯」といふのも此の入道＃
雲です。積雲は二千米内外＃
の高さですが、入道雲の頂に＃
なると、六千米から八千米の＃
高さに及びます。其の頂が＃
朝顏形に開いたのは、かなと＃
＜Ｐ－１１５＞
こ雲といつて、雷雨を起したり、時にひようを降らせ＃
たりします。一天にはかに墨を流したやうに曇つ＃
て、天地も暗くなるのは、かうした、すばらしく厚い雲＃
によつて日光がさへぎられるからです。卷雲のか＃
ぼそい女性的な美しさに比べると、積雲や、入道雲や、＃
かなとこ雲は、如何にも壯大で、強烈で、男性的です。　　＃
　第十九　　燕［つばくろ］岳［だけ］に登る　　＃
「出發。」＃
山田先生の聲が、中房温泉旅館の庭に勇ましく響き＃
渡つた。＃
＜Ｐ－１１６＞
午前七時である。昨日の雨はからりと晴れて、太＃
陽は朗かに此の温泉溪谷を照らしてゐる。＃
リュックサック・水筒・金［こん］剛［がう］杖の身支度もかひ〴〵＃
しく、僕等は、小鳥のやうにをどる胸を押さへながら、＃
釣橋を渡つた。ごう〳〵と鳴る奔流の上に、高い橋＃
がぐら〳〵動くのが、すてきに愉快だつた。＃
道は、すぐ登りになる。かちり、かちりと杖が岩に＃
鳴つた。前の人の足跡を蹈みしめるやうに、一歩一＃
歩登つて行く。狹い道の兩側には、大きな笹［さゝ］が僕等＃
の頭をおほふくらゐ高く茂つてゐた。＃
岩角が出、木の根が横たはつてゐる。＃
＜Ｐ－１１７＞
「氣をつけろよ。」＃
と、前の方で聲がする。ひたひも背中も汗ばんで來＃
た。はづむ呼吸が、前にも後にもはつきり聞かれる。＃
かうして、つゞら折の明かるい山道をあへぎあへ＃
ぎ登つた。時々見下す谷底に、さつき出發した温泉＃
宿が、だん〳〵小さくなつて行つた。谷川が下で遠＃
く鳴つてゐる。つい向かふに、ぐつと見上げる程聳＃
え立つてゐるのが有明山である。＃
「今日は、あの山よりもつと高く登るのだぞ。」＃
と、吉川先生が言はれた。＃
まばらな闊［くわつ］葉［えふ］樹林を通して、太陽がじり〳〵と照＃
＜Ｐ－１１８＞
りつける。帽子の下から湧出る汗が、顏を傳つて流＃
れ落ちる。息が苦しい程はづむ。＃
「先生、休んで下さい。」＃
と、後の方で何時しか悲鳴を上げる。＃
「もう少しがんばれ。」＃
と、前の方でまぜかへす。＃
間もなく、ぴり〳〵と嬉しい呼子が鳴つた。みん＃
なは待つてゐたやうに、そこらへ腰をおろす。水筒＃
の水を飲むと、のどがごくんと鳴つた。梢では、うぐ＃
ひすが鳴いてゐる。谷底から吹上げる風が、はだに＃
快く感ずる。＃
＜Ｐ－１１９＞
そろ〳〵針葉樹が現れて來た。＃
やがて針葉樹の密林へはいると、急に快い涼しさ＃
を覺える。時に「さうしかんば」のはだが、梢からもれ＃
る太陽の光に映じて、薄暗い中に銀色に光る。道は＃
幾分なだらかになつたり、又ぐつと急になつたりす＃
る。昨日の雨でじめ〳〵して、うつかりすると足が＃
滑る。木の根・岩角を數へるやうに、蹈みしめ蹈みし＃
め登つた。＃
「あと四粁だ。」＃
と、先頭の誰かが叫ぶ。道標の數字が次第にへつて＃
行くのが力と頼まれる。時々休んでは、又勇氣を振＃
＜Ｐ－１２０＞
るひ起す。＃
植物に、變つたものがあるやう＃
になつた。葉がふぢに似た「なゝ＃
かまど」や、大木から長くひげのや＃
うにぶら下る「さるをがせ」などを＃
吉川先生に教へてもらつた。か＃
はいゝ桃色＃
の「いはかゞみ」の花を道端に見＃
つけるのが樂しみであつた。＃
あたりはだん〳〵霧が湧い＃
て來て、大木の幹を彼方へ彼方＃
＜Ｐ－１２１＞
へと薄く見せた。耳を澄ますと、遠く近く、さま〴〵＃
の小鳥のさへづりが聞かれる。＃
かうして、とう〳〵合戰小屋にたどり着いたのが＃
午前十一時、みんなはずゐぶん疲れてゐた。こゝで＃
辨［べん］當［たう］をたべる、そのおいしいこと。＃
空が次第に曇つて來た。霧もだん〳〵深くなる。＃
しかし、小屋の人は、＃
「天氣は大丈夫です。」＃
と先生たちに言つてゐた。＃
それからも、しばらく道が急だつた。＃
霧の間に「さうしかんば」の林が續く。道端には、笹＃
＜Ｐ－１２２＞
が珍しく花をつけてゐた。＃
何時の間にか大木が少くなつて、丈の低い細い木＃
が目につくやうになつた。遂にはそれもなくなつ＃
たと思ふと、眼界が急に開けて、山腹の斜面に、低い緑＃
の「はひまつ」が波のやうに續いて見えた。みんなが＃
わい〳〵歡聲をあげた。＃
道は、やゝなだらかになつた。＃
「三角點。」＃
といふ聲がする。僕等は胸がをどつた。＃
やゝ廣く平な所に三角點を示す石があつた。そ＃
ばに腰掛が幾臺かある。中房温泉から四・六粁と記＃
＜Ｐ－１２３＞
した道標が立つてゐる。絶頂まであと二粁だ。＃
晴れてゐれば、こゝから、今登らうとする燕の絶頂＃
も、槍［やりが］岳［だけ］其の他の山々も見えるさうだが、今日は何も＃
見えない。行手の道も「はひまつ」も、すべて夢のやう＃
に霧の中に薄れてゐる。たゞ天地がすてきに明か＃
るかつた。＃
それから先は、尾根傳ひに、なだらかな道が續いた。＃
薄日がぽか〳〵と背中を温める。道端は、「いはかゞ＃
み」の花盛りであつた。小さいすみれや蘭［らん］も、所々に＃
咲いてゐる。どれもこれも、すき通る程鮮かな色で＃
あつた。＃
＜Ｐ－１２４＞
ふと、「はひまつ」の間に、高さ一米にも足らぬ「たかね＃
ざくら」が、今を盛りと咲いてゐる＃
のを見た。眞夏に櫻の滿開であ＃
る。＃
「山は今春なのだ。」＃
と、吉川先生が言はれた。蜜［みつ］蜂［ばち］が＃
盛に花から花へ飛んでゐた。＃
行くに從つて花は美しかつた。＃
右手に見下す斜面に咲續く黄色＃
い花は、大きいのが「しなのきんば＃
い」、小さいのが「みやまきんぽうげ」＃
＜Ｐ－１２５＞
であつた。其の間々に、白い「はくさんいちげ」や、深紅＃
の「べにばないちご」などが點々と入亂れてゐた。お＃
花畠は、まるで滿天の星のやうに美しかつた。＃
其の邊から、所々に殘雪があつた。みんなが嬉し＃
がつて雪をすくつた。＃
遂に霧の中に近く山小屋を見上げる所へ來た。＃
下から風が強く吹上げる。足もとには、かなり大き＃
な雪溪が見下された。＃
先頭は、もう山小屋の右下の鞍［あん］部［ぶ］にたどり着いた。＃
「早く來い。向かふは晴れて、山がすてきだぞ。」＃
と、誰かが帽子を振りながら、僕等に叫んでゐる。＃
＜Ｐ－１２６＞
やがてそこへ登りついた僕等は、＃
何といふすばらしい景色を西の方＃
に見渡したことであらう。＃
左端の穗高に續いて、槍岳が、それ＃
こそ天を突く槍の穗先のやうに突＃
立つてゐる。更に右へ〳〵とのび＃
る飛［ひ］騨［だ］山脈が、三［みつ］俣［また］蓮［れん］華［げ］・鷲［わし］羽［は］・水晶・野＃
口五郎と、大波のやうに、屏［びやう］風［ぶ］のやう＃
に、紫紺のはだ鮮かに、そゝり立ち、う＃
ねり續く雄大莊嚴な姿。所々に白＃
雲がたゞよつて、中腹をおほひ、峯を＃
＜Ｐ－１２７＞
かくし、谷々の雪溪と相映じて、山々＃
を奧深く見せる。僕等が今立つて＃
ゐる所と、向かふの山脈との間は、千＃
尋の溪谷を刻んで、其の底に高瀬川＃
の鳴つてゐるのが、かすかに聞える＃
やうな氣がする。此の大自然が展＃
開する景觀に打たれて、僕等は殆ど＃
一種の興奮を感ずる程であつた。＃
そこから右へ縱走して、燕の絶頂＃
を目ざした。＃
馬の背のやうに、峯傳ひの道が續＃
＜Ｐ－１２８＞
いてゐた。やゝともするとくづれようとする砂と＃
岩との間を、「はひまつ」にすがりながら進んだ。右下＃
から吹上げる風は、もう〳〵と雲を卷上げて、それが＃
此の尾根を界に消散する。それは不思議に思へる＃
程はつきりとしてゐた。左は、急な斜面が神祕な谷＃
底へ深く落込んでゐる。＃
とう〳〵燕の絶頂が來た。それは、大空の一角に＃
そゝり立つ御影石の岩塊である。最頂は、十人とは＃
乘れない程狹かつた。今こそ、二千七百六十三米の＃
最高點に立つたのである。さつきの槍岳が、「こゝま＃
でお出で。」と言ふやうに、しかも甚だ嚴然と聳えてゐ＃
＜Ｐ－１２９＞
る。あの絶頂へ上る傾斜は、少くとも四十五度以上＃
はあらう。＃
「あんな山へ登れる人があるのかなあ。」＃
と言ふと、元氣な山田先生は、＃
「もう二三年たつたら、君たちも槍へ登れるよ。」＃
と言はれた。＃
東も北も一帶に雲がとざして、僕等の村はもとよ＃
り、富士・淺間・白馬・立山等の姿を見ないのが全く殘念＃
であつた。＃
午後二時、下山の途についた。＃
「山は廣い。」と、僕はつく〴〵思つた。さうして何年＃
＜Ｐ－１３０＞
かの後に、きつとあの槍に登らうといふ希望を抱き＃
ながら山を下つた。　　＃
　第二十　　蟲の聲　　＃
鬼［おに］貫［つら］　　＃
行水のすて所なし蟲の聲　　＃
芭［ば］蕉［せを］　　＃
名月や池をめぐりて夜もすがら　　＃
枯枝に烏のとまりけり秋の暮　　＃
山路來て何やらゆかしすみれ草　　＃
蕪［ぶ］村［そん］　　＃
＜Ｐ－１３１＞
春の海ひねもすのたりのたりかな　　＃
菜の花や月は東に日は西に　　＃
さみだれや大河を前に家二軒　　＃
　第二十一　　十［と］和［わ］田［だ］紀行　　＃
夏の或朝、私は青森驛から十和田行の乘合自動車＃
に乘つた。＃
郊外に出ると、自動車は八［はつ］甲［かふ］田［だ］山を目ざして進ん＃
だ。上るにつれて、青森平野から陸［む］奧［つ］灣へかけての＃
展望が開ける。すばらしく男性的な八甲田の高原＃
美が、私の心をとらへる。曲折した道は、かなり長く＃
＜Ｐ－１３２＞
續いた。さうして、沿道所々に温＃
泉があつた。＃
午前八時、燒［やけ］山［やま］に着く。こゝか＃
ら十和田まで十二粁、名高い奧［お］入［いら］＃
瀬［せ］の溪流に沿うて上るのである。＃
兩岸に絶壁がそばだち、樹木の密＃
生する谷底の道を、流を右にし又＃
左にしつゝ進むのだ。まるで溪＃
流其のものを上つて行くといつた感じである。流＃
はあくまでも澄み、水量は極めて豐かだ。女車掌は、＃
「如何なる大雨にも、此の溪流の濁つたことはない＃
＜Ｐ－１３３＞
と申します。」＃
と言ふ。それが嬉しい。溪流には、至る所瀬があり＃
淵があり、瀧があり、岩の島がある。車掌は更に、＃
「こゝは俗に九十九島と申します。年中水位に變＃
化がありませんから、どの島も水際からこけがむ＃
し、草木が茂つてゐます。」＃
と言つて喜ばせる。太古其のまゝの原始林には、所＃
所天壽を全うした大樹が、立つたまゝ枯れてゐるの＃
があり、倒れて溪流に横たはつてゐるのがある。時＃
にぶなの密林が、梢の間から青空をのぞかせたり、茂＃
みをもれる太陽の光が、下草のしだの緑を鮮かに浮＃
＜Ｐ－１３４＞
立たせたりした。＃
進んでいよ〳〵佳境は盡きない。溪流の左岸の＃
絶壁に瀧を見、又右岸にそれを望む。どれもこれも、＃
見事なものばかりである。乘客の一人が、＃
「なる程瀧見街道だ。」＃
と言つたので、皆がうなづくやうににつこりする。＃
體は車に任せながら、心は瀧見に奪はれて少しもい＃
とまがない。＃
子［ね］の口［くち］の大瀧を過ぎると、やがて眼界が開けて、前＃
方に十和田の水面が現れた。まだ九時である。始＃
めて下り立つた朝の湖は、殆ど口をきく氣もしない＃
＜Ｐ－１３５＞
程、靜かで神［かう］々［〴〵］しい。＃
遊［いう］覽［らん］船が出るといふので、すぐ乘込んだ。＃
船は御［お］倉［くら］半島を目ざして進む。見ると、水の色は＃
どこまでも藍［あゐ］だ、透明だ。清澄な水を六十平方粁の＃
面積にたゝへて、十和田湖は、あふれるやうに廣がつ＃
てゐる。＃
御倉半島には水際から樹木が繁茂し、全山の木す＃
べて自然の姿である。何といふ美しさであらう。＃
此の岩山に、よくもこれだけの木が生茂つたものだ＃
と思はせる。＃
しかし、半島を廻つて中［なかの］湖［うみ］に入ると、風光が一變し＃
＜Ｐ－１３６＞
た。高さ二百米に及ぶ大岩石＃
の絶壁が、水際から突立つてゐ＃
る。金［きん］屏［びやう］風［ぶ］・五色岩など、多彩な＃
火口壁があらはにも仰がれる。＃
水深は四百米、水色も從つて深＃
い。紅色の壁面が湖水の藍に＃
映じて、さゞ波が紫に見える。＃
すごい程美しい神祕の淵、とて＃
も物を投入れる氣になれない。＃
中湖を出て私はほつとした。中山半島の西湖岸＃
を休［やすみ］屋［や］に至る間は、島あり、岬あり、入江もあつて、釣す＃
＜Ｐ－１３７＞
るによく、遊ぶによい。十和田湖の愛すべく親しむ＃
べき風光を、こゝに見出したやうに私は感じた。　　＃
　第二十二　　歐［おう］洲［しう］航路　　＃
日本を出發してちやうど一箇月、私は今地中海を＃
航して、刻一刻イタリヤに近づいてゐます。今夜、半＃
島南方の海峽を通れば、明日正午はいよ〳〵ナポリ＃
です。＃
考へてみると此の長い航海の印象は、まるで走馬＃
燈の畫のやうに、それからそれへと廻り移つて、殆ど＃
果しがないやうに感ぜられます。＃
＜Ｐ－１３８＞
神［かう］戸［べ］の埠［ふ］頭［とう］で見送つて下さつた皆さんの顏や、帽＃
子・ハンケチの熱誠こめた動き、それは今でも目の前＃
に浮かんで見えます。私は、あの時次第に遠ざかつ＃
て行く皆さんの姿が、ともすると涙でぼつとするの＃
を感じました。あれは七月二日の午後三時でした＃
ね。＃
四日目の七月五日の早朝でした。＃
見渡す限り濁つた水が、殆ど天まで＃
續いてゐるのを船窓から見ました。＃
それが揚［やう］子［す］江［かう］だつたのです。時折＃
ジャンクが近づいては、私たちの船＃
＜Ｐ－１３９＞
に向かつて大聲に呼びかけます。＃
支［し］那［な］だなと思はせました。＃
呉［うー］淞［すん］を右に見て、黄［くわう］浦［ほ］江をさかの＃
ぼるとやがて上［しやん］海［はい］が朝もやの中に＃
展開しました。岸に續く倉庫・洋館＃
の列、江上にもやひする大小無數の＃
船、其の船の間を縫ふやうに、私たち＃
を乘せたランチが進んで、さて埠頭＃
に下りると、そこはけたゝましい支＃
那人の叫びで一ぱいです。何とい＃
ふ騷がしい町だらうと、殆ど耳をお＃
＜Ｐ－１４０＞
ほひたくなる程でした。＃
租［そ］界［かい］内には、多數の日本人を始め各國人が生活し＃
てゐます。繁華な町々を見物しながら、新公園に來＃
て見ると、日本の子供たちが、池のほとりで仲よく遊＃
んでゐました。＃
上海を出て三日目の午後、始めて洋上のスコール＃
にあひました。空も海も急に眞暗になつたと思ふ＃
と、忽ち恐しい程の大雨です。其のすさまじさに、誰＃
も一時ばう然としましたが、やがて拭つたやうに晴＃
上つた海上の一角に、鮮かな島影を見ました。それ＃
が香［ほん］港［こん］でした。＃
＜Ｐ－１４１＞
香港は、美しい建物を以て麓か＃
ら中腹まで、ぎつしりと埋められ＃
た島山でした。夜になると幾十＃
萬の電燈が輝いて、此の島を寶石＃
ででも飾つたやうに見せました。＃
晝は街上に熱帶植物の緑がした＃
たり、植物園には蘭［らん］科のあらゆる＃
種類が、かをり高く咲いてゐまし＃
た。對岸の大陸は九［くー］龍［ろん］の市街で、それが手に取るや＃
うに見えました。＃
南支那海にさしかゝると、海は急に朗かな、しかも＃
＜Ｐ－１４２＞
濃い青さを見せました。右の地平線上、はるかに安＃
南の山が半日以上も續いて見えたのも、私たちには＃
大きな慰でした。＃
七月十三日の午後、シンガポールに着きました。＃
夕やみ迫る廣い海岸通を散歩すると、あいにく風は＃
絶えて、椰［や］子［し］の梢には、そよとの葉ずれの音もありま＃
せん。さすがに暑いと思ひました。時々マレイ人＃
が近寄つて來て、自動車に乘れとすゝめます。どれ＃
もこれも、色の眞黒な男ですが、意外にやさしい聲で＃
した。とある店に立寄ると、主人らしいインド人が＃
出て來て、片言の英語で盛にあいきやうを振りまき＃
＜Ｐ－１４３＞
ます。さうして最後に、＃
「あなたは日本人、私はインド人。＃
日本とインドと仲よくせねばな＃
らぬ。」＃
と言つて、其の黒い大きな手で、私た＃
ちに堅い握手をしました。＃
かうして熱帶の港々をたづねな＃
がら進んで、七月十五日、船がスマト＃
ラ島の北端をかはすと、前は音に聞＃
くインド洋です。折からのモンス＃
ーンに、船は次第に動［どう］搖［えう］し始めまし＃
＜Ｐ－１４４＞
た。無邊際の彼方から山のやうにうねる大波が寄＃
せて、一萬二千トンの巨船の甲板に、瀧のやうなしぶ＃
きを浴びせました。しかし、幸ひ船に強い私は、毎日＃
かゝさず食堂へ出る程元氣でした。＃
波に明け波に暮れる日が、それから十日間も續い＃
たのですが、途中一度、セイロン島のコロンボに寄港＃
しました。十九日の朝です。先づ壯大な防波堤に＃
打寄せる數丈の怒［ど］涛［たう］に、誰もが驚の目をみはりまし＃
た。直ちに自動車をやとひ、百十五粁の道を飛ばし＃
てカンディーの古都をたづねました。それは山間＃
の湖水にのぞむ靜かな市街で、ちやうど日本の奈［な］良［ら］＃
＜Ｐ－１４５＞
を思はせるものがありました。＃
アラビヤ海を航してアデン灣に＃
入ると、海は全く一變しました。灣＃
とはいへ、見た所はやはり果なき大＃
海原ですが、水は油のやうに滑らか＃
です。しかも、それが寶石のやうな＃
美しい青さをたゝへてゐました。＃
アデン港に着いたのは、七月二十六＃
日の夜明です。見渡す限りは、かみ＃
つくやうな岩山で、殆ど一木一草も＃
ない所に港があり、町があるのです。＃
＜Ｐ－１４６＞
烈々たる太陽の下に、アラビヤ人が駱［らく］駝［だ］を追つてゐ＃
ました。さうして、私たちの船は、こゝでおびたゞし＃
い荷物を下しました。日本の商品が、かうして遠く＃
アラビヤの内地に輸送されるのだといふことを、ま＃
のあたりに見ることが出來ました。＃
其の日の夕方、涙の瀬戸にかゝりました。右はア＃
ジヤ、左はアフリカ、此の二大陸が互に迫る中間は、五＃
十粁とは離れてゐません。海峽の眞中に、ペリムと＃
いふ小さい島があります。兩方の岬も中の小島も、＃
すべて岩ばかりですが、此の小さい岩の島が英領な＃
のです。考へて見れば香港以來、シンガポールも、コ＃
＜Ｐ－１４７＞
ロンボも、アデンも、皆英國人の經營の下に發達した＃
都市ですが、此の岩の一塊をも彼等は見のがさず、こ＃
こに貯水池や信號所を設けてゐるのです。＃
紅海は、名に似合はぬ眞青な海でした。其の眞青＃
な水上で、盛にいるかがをどつて見せました。勢よ＃
く飛出しては、半圓をゑがいて水にをどり込みます。＃
後から後から飛出して、大體同じ場所で半圓をゑが＃
くのですから、見てゐると、半分水上に現れた水車が＃
廻つてでもゐるやうな感じです。全くあいきやう＃
者でした。＃
地圖で見れば狹くて長い紅海も、船から見れば殆＃
＜Ｐ－１４８＞
ど陸地を見ぬ大洋同然です。時々島が見えるくら＃
ゐのものでした。しかも、航海中こゝが一番暑い所＃
でした。寒暖計は四十度を越えようとします。船＃
室の物が、さはつてみると皆熱氣を吐いてゐました。＃
長い紅海も盡きて、七月三十日の明方にスエズに＃
入港しました。船は、これから有名なスエズ運河を＃
通るのですが、私たちはスエズから約百三十粁、自動＃
車で沙［さ］漠［ばく］を走つてカイロの都をたづねました。＃
沙漠の朝風は、快い程冷えてゐました。行手は果＃
なき砂の平原、左に聳える山も全部岩と砂です。日＃
が昇るに從つて、沙漠は熱を吐出しました。顏や手＃
＜Ｐ－１４９＞
足がほてる、後には痛いやうにさへ＃
感じました。時折、向かふに湖水の＃
やうなものが見えます。沙漠の湖＃
とは妙だと思ひながら、やうやく暑＃
さに苦しむ身には、水景がなつかし＃
くてたまりません。しかし、行つて＃
も行つても、湖水はありませんでし＃
た。それは、みんな蜃［しん］氣［き］樓［ろう］の類でした。＃
ナイル川に沿ふカイロの都に來て、始めて緑の椰＃
子の木陰を見ました。＃
五千年の昔、此の川に沿うてエジプト王國が開け＃
＜Ｐ－１５０＞
ました。其の古い文明の跡をたづねるのが、こゝへ＃
來る旅人の目的なのです。＃
いう〳〵と流れるナイルの水の上には、三角帆の＃
船が浮かんでゐました。長い橋を渡つて、アカシヤ＃
の並木の續く道を行くと、やがて又沙漠の一端に來＃
ます。こゝで駱駝に乘つて、先づ見に行くのが金字＃
塔です。＃
石で積上げた幾多の金字塔の中、一番大きいのは＃
高さ百四十七米餘、石の數三百二十萬、底の占める面＃
積が五百二十六アールもあるといはれてゐます。＃
さうして、これらの金字塔は、皆エジプトの王樣や王＃
＜Ｐ－１５１＞
子の墓だといふことです。＃
大金字塔のそばには、スフ＃
ィンクスといつて、顏は人＃
間を、體は獅［し］子［ゝ］をかたどつ＃
た不思議な石の巨像もあ＃
ります。＃
カイロ博物館をたづね＃
ると、エジプトの古い文明＃
を物語る遺物が、何十とい＃
ふ室にぎつしりと陳列されてゐましたが、中でも一＃
番人の目を引くのが、幾室かにずらりと並んだ人間＃
＜Ｐ－１５２＞
のミイラでした。何千年の昔の人が、ミイラとなつ＃
て、今私たちの目の前にあるのです。其の魂を呼起＃
して、古い歴史を聞いて見たいとは、誰でも思ふこと＃
です。＃
汽車でポートサイドに着くと、港に私たちの船が＃
待つてゐました。スエズ運河の北の端にある此の＃
港には、運河を開いたレセップスの銅像が臺座高く＃
立つて、遠く東洋への＃
道を指さしてゐます。＃
私たちの船は、其の指＃
さす方と反對のヨー＃
＜Ｐ－１５３＞
ロッパへ向かつて、七月三十一日の午前に出航しま＃
した。＃
地中海を航して、今日はすでに三日目、空も海も、す＃
つきりと朗かですが、しかし温度も下つて、何だか世＃
は秋になつたといふ氣がします。今にして考へれ＃
ば、あの熱帶の港々の強烈な日光や、植物の緑が、なつ＃
かしいもののやうにさへ思はれます。＃
私の船の旅も、八月五日マルセーユに着くまで、あ＃
と三日しかありません。長いと思つた歐洲航路も、＃
今日まで殆ど退屈するいとまもない中に過ぎて、し＃
きりになごりが惜しまれます。＃
＜Ｐ－１５４＞
途中から、ちよいちよい葉書は出しておきました＃
が、船のなごりに、今日は此の一箇月の思出を書いて＃
見ました。上陸したら、又各地から便りをしませう。＃
どうぞ、皆さん、お元氣に。　　＃
　第二十三　　月光の曲　　＃
ドイツの有名な音樂家ベートーベンが、まだ若い＃
時分のことであつた。月のさえた夜、友人と二人町＃
へ散歩に出て、薄暗い小路を通り、或小さいみすぼら＃
しい家の前まで來ると、中からピヤノの音が聞える。＃
「あゝ、あれは僕の作つた曲だ。聞き給へ。なかな＃
＜Ｐ－１５５＞
かうまいではないか。」＃
彼は、突然かう言つて足を止めた。＃
二人は戸外にたゝずんで、しばらく耳を澄まして＃
ゐたが、やがてピヤノの音がはたと止んで、＃
「にいさん、まあ、何といふよい曲なんでせう。私に＃
は、もうとてもひけません。ほんたうに一度でも＃
よいから、演奏會へ行つて聞いてみたい。」＃
と、さも情なささうに言つてゐるのは、若い女の聲で＃
ある。＃
「そんなことを言つたつて仕方がない。家賃さへ＃
も拂へない今の身の上ではないか。」＃
＜Ｐ－１５６＞
と、兄の聲。＃
「はいつてみよう。さうして一曲ひいてやらう。」＃
ベートーベンは、急に戸をあけてはいつて行つた。＃
友人も續いてはいつた。＃
薄暗いらふそくの火のもとで、色の青い元氣のな＃
ささうな若い男が、靴を縫つてゐる。其のそばにあ＃
る舊式のピヤノによりかゝつてゐるのは、妹であら＃
う。二人は、不意の來客にさも驚いたらしい樣子で＃
ある。＃
「御免下さい。私は音樂家ですが、おもしろさにつ＃
い釣込まれて參りました。」＃
＜Ｐ－１５７＞
と、ベートーベンが言つた。妹の顏はさつと赤くな＃
つた。兄は、むつつりとしてやゝ當［たう］惑［わく］の樣子である。＃
ベートーベンも、我ながら餘りだしぬけだと思つ＃
たらしく、口ごもりながら、＃
「實はその、今ちよつと門口で聞いたのですが――＃
あなたは演奏會へ行つてみたいとかいふことで＃
したね。まあ一曲ひかせて頂きませう。」＃
其の言方が如何にもをかしかつたので、言つた者も＃
聞いた者も、思はずにつこりした。＃
「有難うございます。しかし、まことに粗末なピヤ＃
ノで、それに樂［がく］譜［ふ］もございませんが。」＃
＜Ｐ－１５８＞
と、兄が言ふ。ベートーベンは、＃
「え、樂譜がない。」＃
と言ひさして、ふと見ると、かはいさうに妹は盲であ＃
る。＃
「いや、これでたくさんです。」＃
と言ひながら、ベートーベンはピヤノの前に腰を掛＃
けて、すぐにひき始めた。其の最初の一音が、すでに＃
きやうだいの耳には不思議に響いた。ベートーベ＃
ンの兩眼は異樣に輝いて、彼の身には、にはかに何者＃
かが乘移つたやう。一音は一音より妙を加へ神に＃
入つて、何をひいてゐるか、彼自らも覺えないやうで＃
＜Ｐ－１５９＞
ある。きやうだいは、たゞうつとりとして感に打た＃
れてゐる。ベートーベンの友人も全く我を忘れて、＃
一同夢に夢見る心地。＃
折から、燈火がぱつと明かるくなつたと思ふと、ゆ＃
らゆらと動いて消えてしまつた。＃
ベートーベンは、ひく手を止めた。友人がそつと＃
立つて窓の戸をあけると、清い月の光が流れるやう＃
に入込んで、ピヤノのひき手の顏を照らした。しか＃
し、ベートーベンはたゞだまつてうなだれてゐる。＃
しばらくして、兄は恐る〳〵近寄つて、＃
「一體あなたはどういふお方でございますか。」＃
＜Ｐ－１６０＞
「まあ待つて下さい。」＃
ベートーベンは、かう言つて、さつき娘がひいてゐた＃
曲を又ひき始めた。＃
「あゝ、あなたはベートーベン先生ですか。」＃
きやうだいは思はず叫んだ。＃
ひき終ると、ベートーベンは、つと立上つた。三人＃
は、「どうかもう一曲。」としきりに頼んだ。彼は再びピ＃
ヤノの前に腰を下した。月は、ます〳〵さえわたつ＃
て來る。＃
「それでは、此の月の光を題に一曲。」＃
と言つて、彼はしばらく澄みきつた空を眺めてゐた＃
＜Ｐ－１６１＞
が、やがて指がピヤノにふ＃
れたと思ふと、やさしい沈＃
んだ調べは、ちやうど東の＃
空に上る月が次第々々に＃
やみの世界を照らすやう、＃
一轉すると、今度は如何に＃
もものすごい、いはば奇怪＃
な物の精が寄集つて、夜の＃
芝［しば］生［ふ］にをどるやう、最後は＃
又急流の岩に激し、荒波の岸に碎けるやうな調べに、＃
三人の心はもう驚と感激で一ぱいになつて、たゞぼ＃
＜Ｐ－１６２＞
うつとして、ひき終つたのも氣附かぬくらゐ。＃
「さやうなら。」＃
ベートーベンは立つて出かけた。＃
「先生、又お出で下さいませうか。」＃
きやうだいは口を揃へて言つた。＃
「參りませう。」＃
ベートーベンは、ちよつとふりかへつて盲の娘を見＃
た。＃
彼は、急いで家に歸つた。さうして其の夜はまん＃
じりともせず机に向かつて、かの曲を譜に書上げた。＃
ベートーベンの「月光の曲」といつて、不朽の名聲を博＃
＜Ｐ－１６３＞
したのは此の曲である。　　＃
　第二十四　　月の世界　　＃
　望遠鏡で見た月　　＃
學校の門を出てから、正雄君が僕に言つた。＃
「君、今夜うちへ來ないか。」＃
「どうして。」＃
「にいさんが天體望遠鏡を作つたんだ。」＃
「ほう。」＃
「月がすばらしいよ。よかつたら見に來給へ。」＃
夕方、まだ明かるい空に、半月が光り始めた。おか＃
＜Ｐ－１６４＞
あさんにさう言つて、夕飯がすむとすぐ出掛けた。＃
行つてみると、正雄君のうちではもう縁先に望遠＃
鏡をすゑ附けて、にいさんと正雄君が、代る〳〵觀測＃
をしてゐる。長さ一米ばかりの望遠鏡が三脚の上＃
にのつてゐる。＃
「りつぱな望遠鏡ですね。」＃
と、僕がにいさんに言ふと、正雄君は、＃
「これでにいさんのお手製なんだ。見給へ、筒はボ＃
ール紙だらう。三脚はやつと昨日出來上つた。＃
僕もずゐぶん手傳つたよ。」＃
「レンズは。」＃
＜Ｐ－１６５＞
「買つたのさ。レンズは大分上等なんだ。」＃
正雄君は、さも自分で買つたやうな口振をする。に＃
いさんは、初からにこ〳〵しながらだまつてゐた。＃
「さあ、君ものぞいてごらん。」＃
と、正雄君に言はれて、僕は望遠鏡に目を近寄せた。＃
望遠鏡の圓い視野に、月がくつきりと浮出して見＃
える。それは肉眼で見るのとすつかり感じが違つ＃
て、今に露でも滴りさうな、生々しい、鮮かな美しさで＃
ある。＃
「きれいだなあ。」＃
僕が思はず叫ぶと、正雄君が、＃
＜Ｐ－１６６＞
「きれいだらう。」＃
と、あひづちを打つやうに言ふ。だが、よく見ると、月＃
の表面は決して滑らかではない。一面にざら〳〵＃
したやうな感じである。殊に、半月のかけた部分に＃
近く、蜂［はち］の巣を思はせるやうなでこぼこが目立つて＃
見える。＃
「でも、ずゐぶんあばたですね。」＃
と、僕が言つたので、にいさんも正雄君も、どつと笑つ＃
た。＃
それからも、三人代る〳〵のぞきながら、にいさん＃
からおもしろい説明を聞いた。　　＃
＜Ｐ－１６７＞
　にいさんの説明　　＃
あのあばたのやうに見えるのは、大部分が火山で、＃
穴は噴［ふん］火［くわ］口です。こんな小さい望遠鏡でさへ、はつ＃
きり見えるのですから、噴火口は非常に大きいもの＃
だといふことが考へられます。一番大きいのは、直＃
徑が二百粁もあるとい＃
はれてゐます。かうし＃
た火山は、どれもこれも＃
險しくて、低いのでも三＃
百米、高いのになると八＃
千米――富士山の二倍＃
＜Ｐ－１６８＞
以上もあるのがあります。もちろん、月は地球と違＃
つて、とつくの昔、すつかり冷えてしまつた天體です＃
から、火山といつても、みんな死火山ですがね。＃
それから、よく見なさい。月の中に薄黒い、大きな＃
斑［はん］點［てん］のやうなものがあるでせう。あれは「海」といは＃
れる部分ですが、月には水一滴ありませんから、海と＃
いふより平原といつた方がよいかも知れません。＃
多分、昔、此のたくさんな火山から噴出した熔［よう］岩［がん］が流＃
れて固まつたものでせう。＃
月には水がないと言ひましたが、水ばかりか空氣＃
もないのです。從つて雲や、雨や、あらしや、さういつ＃
＜Ｐ－１６９＞
た我々地球上の氣象現象は一つもありません。月＃
は何時も晴天なのです。此の望遠鏡で見てもわか＃
るやうに、月のどこ一つ曇つた所がないのが其の證［しよう］＃
據［こ］です。しかも、空氣も水もないとすると、地球上の＃
やうに、太陽から來る光や熱を調節するものがない＃
から、月の世界では、晝はこげつくやうな暑さ、夜は其＃
の反對にひどい寒さであらうと思はれます。＃
まだおもしろいことがあります。かりに私たち＃
が月の世界へ行つたとすると、其の景色はどんなも＃
のでせう。今もいふやうに、光を調節するものがな＃
いから、太陽に照らされた部分は目が痛い程光つて＃
＜Ｐ－１７０＞
見えるでせうが、陰になる部分はきつと眞黒に見え＃
るに違ひない。ごつ〳〵した火山が至る所に聳え、＃
それが眞黒な大空に突立つとしたら、どんなに恐し＃
い景色でせう。もちろん、草も木もありませんよ。＃
其の代り一つうらやましいと思ふのは、月から見た＃
地球の美觀です。地球の直徑は月の約四倍ありま＃
すから、夜、月から地球を見るとすると、我々が常に見＃
る月の四倍ぐらゐな地球が、天にかゝつて見えるわ＃
けです。＃
かういふ風に、月の世界は、いはば全く恐しい死の＃
世界ですが、それでゐて、昔から月程やさしい、平和な＃
＜Ｐ－１７１＞
氣持を與へてくれるものはありません。其の青白＃
い、しみ〴〵と親しめる光が、我々に大きな慰を與へ＃
るからです。殊に日本では、昔から月と文學が、全く＃
離れられないものになつてゐます。ごらんなさい、＃
歌でも、俳［はい］句［く］でも、詩でも、月に關するものがどんなに＃
多いか。月の世界に都があつて、そこで天人が舞つ＃
てゐるなどは、實に美しい想像ですね。今日私たち＃
は、それが死の世界であると知つても、やつぱり月が＃
なかつたらさびしい。峯の月、大海原の月、椰［や］子［し］の木＃
陰の月、さういふものがないとしたら、殆ど生きがひ＃
がないと思ふでせう。月は、永久に人間の心の友で＃
＜Ｐ－１７２＞
あり、慰であります。　　＃
　第二十五　　秋　　＃
ちんちろと　　＃
蟲の聲、　　＃
草むらに　　＃
日は落ちて。　　＃
ぎんぎらと　　＃
露の玉　　＃
月かげは　　＃
＜Ｐ－１７３＞
ぬれにけり。　　＃
とろ〳〵と　　＃
もゆる火に、　　＃
栗はぜて、　　＃
其のにほひ。　　＃
　第二十六　　鐵［てつ］眼［げん］の一切經　　＃
一切經は、佛教に關する書［しよ］籍［せき］を集めたる一大叢［そう］書［しよ］＃
にして、此の教に志ある者の無二の寶として貴ぶと＃
ころなり。しかも其の卷數幾千の多きに上り、これ＃
＜Ｐ－１７４＞
が出版は決して容易の業にあらず。されば古は、支［し］＃
那［な］より渡來せるもののわづかに世に存するのみに＃
て、學者其の得難きに苦しみたりき。＃
今より二百數十年前、山城宇［う］治［ぢ］の黄［わう］檗［ばく］山萬福寺に＃
鐵眼といふ僧ありき。一代の事業として一切經を＃
出版せんことを思ひ立ち、＃
如何なる困難をしのびて＃
も、ちかつて此の企を成し＃
遂げんと、廣く各地を巡り＃
て資金をつのること數年、＃
やうやくにしてこれを調＃
＜Ｐ－１７５＞
ふることを得たり。鐵眼大いに喜び、まさに出版に＃
着手せんとす。たま〳〵大阪に出水あり。死傷す＃
こぶる多く、家を流し産を失ひて、路頭に迷ふ者數を＃
知らず。鐵眼、此の状を目撃して悲しみにたへず。＃
つら〳〵思ふに、「我が一切經の出版を思ひ立ちしは＃
佛教を盛にせんがため、佛教を盛にせんとするは、ひ＃
つきやう人を救はんがためなり。喜捨を受けたる＃
此の金、これを一切經の事に費すも、うゑたる人々の＃
救助に用ふるも、歸する所は一にして二にあらず。＃
一切經を世に廣むるは、もとより必要のことなれど＃
も、人の死を救ふは更に必要なるにあらずや。」と。す＃
＜Ｐ－１７６＞
なはち喜捨せる人々に其の志を告げて同意を得、資＃
金をこと〴〵く救助の用に當てたりき。＃
苦心に苦心を重ねて集めたる出版費は、遂に一錢＃
も殘らずなりぬ。然れども鐵眼少しも屈せず、再び＃
募［ぼ］集［しふ］に着手して努力すること更に數年、其の効果空＃
しからずして、宿志の果さるゝも近きにあらんとす。＃
然るに、此の度は近［きん］畿［き］地方に大飢［き］饉［きん］起り、人々の困＃
苦は前の出水の比にあらず。幕［ばく］府［ふ］は諸處に救小屋＃
を設けて救助に力を用ふれども、人々の苦しみは日＃
日にまさり行くばかりなり。鐵眼、こゝにおいて再＃
び意を決し、喜捨せる人々に説きて出版の事業を中＃
＜Ｐ－１７７＞
止し、力の及ぶ限り廣く人々を救ひぬ。＃
二度資を集めて二度散じたる鐵眼は、遂に奮つて＃
第三回の募集に着手せり。鐵眼＃
の深大なる慈悲心と、あくまで初＃
一念をひるがへさざる熱心とは、＃
強く人々を感動せしめしにや、喜＃
んで寄附する者意外に多く、此の＃
度は製版・印［いん］刷［さつ］の業着々として進＃
みたり。かくて鐵眼が此の大事＃
業を思ひ立ちしより十七年、すな＃
はち天和元年に至りて、一切經六＃
＜Ｐ－１７８＞
千九百五十六卷の大出版は遂に完成せられたり。＃
これ世に鐵眼版と稱せらるゝものにして、一切經の＃
廣く我が國に行はるゝは、實に此の時よりのことな＃
りとす。此の版木は今も萬福寺に保存せられ、三棟［むね］＃
の倉庫に滿ち〳〵たり。＃
福田行［ぎやう］誡［かい］かつて鐵眼の事業を感歎していはく、「鐵＃
眼は一生に三度一切經を出版せり。」と。　　＃
　第二十七　　空中戰　　＃
午前二時、明方の夢は爆音に破られた。すぐ飛行＃
服に身を固め、軍刀を片手に、地圖其の他をたづさへ＃
＜Ｐ－１７９＞
て飛行場に出る。＃
空は一面の星だ。月はもう西の地平線近くかゝ＃
つてゐる。＃
二十數機の爆音が高らかに響いて、廣い場内一面＃
を壓する。そゞろ、今日の敵飛行場爆撃の壯觀が思＃
ひやられる。整備員たちの不眠の努力が、すべての＃
飛行機の調子よい爆音に現れて、如何にもそれが快＃
く聞かれるのだ。＃
全員整列して、部隊長の注意を聞く。嚴かな中に＃
慈愛のこもつた言葉が、我々をいよ〳〵緊［きん］張［ちやう］させる。＃
口にこそ出さぬが、心はたゞ一死報國があるばかり＃
＜Ｐ－１８０＞
である。＃
腹一ぱい爆彈をかゝへた愛機に身をゆだねると、＃
やがて出發信號の下に滑り出す。時に午前二時三＃
十五分。部隊長機を先頭に離陸して、ぐん〳〵上昇＃
する。夜間ながら、見事な編隊群が忽ちの中に出來＃
上つた。＃
千米から千五百、二千と高度がふえる。月は何時＃
の間にか落ちて、ぼんやり見える大地がだん〳〵遠＃
ざかつて行く。遂に四千米の高度に達して、厚い飛＃
行服の上から寒さがしみ込む。眞南から西十度の＃
方向を目ざしながら、時速四百粁、ほの暗い空をたゞ＃
＜Ｐ－１８１＞
一直線に飛んでゐるのだ。＃
出發して二時間は過ぎた。四＃
千米の空には早くも夜が明けて、＃
僚［れう］機［き］が、くつきりと深紅の太陽の＃
光を浴びる。はるか向かふには、＃
小［こ］型［がた］戰鬪機の群が、我々爆撃部隊＃
を掩［えん］護［ご］しつゝ飛んでゐる。何と＃
いふ頼もしい姿だ。＃
下界がだん〳〵明かるくなつ＃
た。我々はもう地上部隊の戰線＃
を遠く越えて、敵地のまつたゞ中＃
＜Ｐ－１８２＞
にはいり込んでゐるのだ。＃
突然通信手の顏が緊張した。我が快速偵［てい］察［さつ］機か＃
らの通信を受けてゐるらしい。やがて、通信紙にし＃
たゝめた報告文が機内に廻される。＃
「敵戰鬪機約二十機午前四時四十分離陸、北方に向＃
かつて行動開始。飛行場東西兩側の格［かく］納［なふ］庫［こ］附近＃
においては、敵爆撃機離陸準備中なるものの如し。」＃
すると、部隊長機から追つかけるやうに、機上無線電＃
話による命令が傳へられた。＃
「部隊は、速に敵飛行場を爆撃せんとす。爆撃目標、＃
第一編隊群は東側、第二編隊群は西側の格納庫及＃
＜Ｐ－１８３＞
び飛行機。」＃
同時に、我が戰鬪機編隊群は矢のやうに前進し出＃
した。と見れば、はるか彼方に、とびのやうな敵の數＃
機、多分戰鬪機であらう。六機、八機、九機、刻々に其の＃
數を増す。今更胸のをどるのを覺える。＃
敵の飛行場が遠く望まれる。＃
忽ち我が編隊群の下方に、上方に、こも〴〵花火の＃
やうな白煙が上る。敵が高射砲を打出したのだ。＃
戰鬪機は、何時の間にか編隊を解いて、自在の活動＃
に移つた。各機それ〴〵敵機とからんでの空中戰＃
だ。しかも、此の戰鬪のあひ間を巧みに拔けて、こし＃
＜Ｐ－１８４＞
やくにも我が爆撃編隊に突進する敵機がある。＃
突然、愛機がぐらつとゆれた。はつとして、思はず＃
身が引きしまる。高射砲彈の炸［さく］裂［れつ］のあふりをくつ＃
たのだ。見ると、ごく間近に、白い煙が後へ流れてゐ＃
る。とたんに、今度は「ピュッ、ピュッ、ピュッ。」と耳もと＃
をかすめる鋭い音。後、下方から迫る敵機の機關銃＃
彈だ。生意氣なと思ふ間もあらせず、＃
「タ、タ、タ、タ、タ、タ、ヽヽヽヽ。」＃
我が後方機關銃が、ものすごく鳴つた。忽ち黒煙を＃
吐くと見る間に、火に包まれた敵機が直下に落ちて＃
行く。＃
＜Ｐ－１８５＞
「萬歳。」＃
思はず機上に歡聲が湧いて、しばし爆音を壓する。＃
かうした敵に直面しながら、我が爆撃編隊群は、一＃
絲亂れぬ隊形を以て刻々目標に迫る。＃
飛行場は目前に來た。そこには、まだ飛上れない＃
でもがいてゐる飛行機がある。其の周圍を、右往左＃
往する人影がある。すかさず、編隊群長の爆撃開始＃
命令が下つた。＃
「それつ。」とばかり、一彈、二彈、續いて第三、第四ヽヽヽヽ。＃
機の胴體から離れた爆彈は、絲を引くやうに目標め＃
がけて落下する。＃
＜Ｐ－１８６＞
一瞬にして、飛行場にものすごい黒煙がうづ卷い＃
た。全彈命中。何といふ痛快さだ。＃
「天皇陛下萬歳。」＃
と、思はず誰かが叫ぶと、＃
「萬歳、萬歳。」＃
一同の聲が感激に震へた。＃
戰鬪機の活動は、なほ續いてゐる。隼［はやぶさ］のやうに飛＃
違ひ入亂れての一騎討。黒煙を上げて墜［つゐ］落［らく］する敵＃
機がある。どうやら、其の悲鳴を聞くやうな氣がす＃
る。敵を追つて地上へすれ〳〵に迫る勇［ゆう］敢［かん］な我が＃
機がある。はつとして思はず手に汗を握る。＃
＜Ｐ－１８７＞
黒煙晴れ行く眼下には、もう飛行機も格納庫もな＃
かつた。たゞ其の殘［ざん］骸［がい］と無數の彈［だん］痕［こん］が、眞黒に見え＃
るだけだつた。＃
任務は終つた。今更のやうに、すばやい偵察機の＃
報告や、勇敢な戰鬪機の掩護を感謝しながら、さうし＃
て、あわてふためいて打出す敵高射砲彈をしり目に＃
掛けながら、機翼を連ねていう〳〵歸途についた。　　＃
　第二十八　　日本刀　　＃
刀は武士の魂である。古の武士は、寸時もこれを＃
身邊からはなさなかつた。今の軍人も、軍刀には皆＃
＜Ｐ－１８８＞
これを用ひる。＃
日本刀の鋭利なことは改めていふまでもない。＃
源家の重寶鬚［ひげ］切［きり］の太刀は、首を打つに鬚までも切れ＃
たので此の名があり、波およぎ兼［かね］光［みつ］といふ刀は、切ら＃
れた人が其のまゝしばらくおよいでから首が落ち＃
たと傳へられる。其の外、冑［かぶと］を切つた話、鐵砲を切つ＃
た刀、馬の平首を手綱諸共に打落した話など、日本刀＃
の鋭利を物語る傳説は數へるにいとまがない。＃
しかし、日本刀は、たゞ切味がよいばかりではなく、＃
打合つて折れず曲らぬところに大なる優秀性があ＃
る。如何に鋭利な刀でも、斬合つて直ちに折れたり＃
＜Ｐ－１８９＞
曲つたりするものは、實用にたへないから、古來刀工＃
の苦心は此の上に注がれて、特殊の鍛錬法を發達さ＃
せた。すなはち、日本刀は全體を同一の鐵で造るの＃
ではなく、切るに必要な堅さを持つ百錬鍛造の鐵と、＃
折れないための柔かみを與へる鐵とを重ね合はせ＃
て造るのである。此の異なる二つの鐵の重ね方に＃
はいろ〳〵あるが、柔かい鐵を刀の中心として、周圍＃
を堅い鐵で包むのが最も普通である。＃
かうした實用上の價値の外に、美觀は、日本刀の持＃
つ一大特色である。＃
長さ・幅・厚さの釣合の取れた形、氣持よくぐつとは＃
＜Ｐ－１９０＞
いつた反［そり］、物打から切先へかけての輕やかな線、それ＃
らをひつくるめた全體の美しさに先づ心は打たれ＃
るが、更に其のしつとりと滑らかで底光りする鐵の＃
色、直［すぐ］刃［は］・亂［みだれ］刃［は］の刃文の美しさ等に至つては、筆舌のよ＃
くするところではない。世界何れの國に、かくの如＃
き美しい刀劒があらうぞ。＃
しかも、日本刀の貴さは單に美のみではなくて、其＃
のをかすべからざる氣品にある。鞘［さや］を拂つて、じつ＃
と眺めてゐると、どこから來るか、どこから湧くか、一＃
脈の氣［き］魄［はく］がりんとして身に迫るのを覺える。一度＃
起つてこれを振るへば、惰［だ］氣［き］も邪［じや］氣［き］も一瞬に霧散し＃
＜Ｐ－１９１＞
て、心氣は自ら清明となる。しかも、此の氣魄は決し＃
て荒々しいものではない。そこには、鐵壁をも貫ぬ＃
くべき鋭さを、かすみの如く包んだ一道の和氣がた＃
だよふ。此の氣品、此の氣魄こそ、日本刀の至寶であ＃
らねばならぬ。＃
刀工が刀を鍛へるに當つては、仕事場を清［しやう］淨［じやう］にし、＃
しめなはを張り、神を祭り、精［しやう］進［じん］潔［けつ］齋［さい］、ひたすら清らか＃
な心を以て、一［ひと］槌［つち］々々精魂を打込むのである。若し＃
邪惡な心があれば、如何に切味がよくとも捨ててか＃
へりみられない。＃
日本刀の精神的意義は實にこゝにある。武士が＃
＜Ｐ－１９２＞
刀劒を帶する意義もこゝに存する。刀は、決して敵＃
を斬るのを目的とするのではなく、身を守り、拔かざ＃
るにすでに敵を威服するに足るものでなければな＃
らぬ。＃
平和を愛し、美を喜ぶ我が國民の優美な性情と、善＃
にくみし、邪をにくむ正義觀とは、まことに日本刀の＃
精神其のものといふべきである。＃
＜Ｐ－１９３＞
終　　＃
