＜出典＞４６２　　　国定読本　４期６－２
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目録　　＃
第一　　玉のひゞき………一　　第十五　　萬葉集………九十五　＃
第二　　出雲大社………三　　第十六　　奈良………百三　＃
第三　　古代の遺物………八　　第十七　　修行者と羅刹………百七　＃
第四　　支那の印象………十六　　第十八　　歐洲めぐり………百十七　＃
第五　　孔子と顏回………二十九　　第十九　　リヤ王………百三十五　＃
第六　　西山莊の秋………四十二　　第二十　　裁判………百五十三　＃
第七　　鎌倉………四十六　　第二十一　　雪殘る頂………百五十九　＃
第八　　黄瀬川の對面………四十九　　第二十二　　太陽………百六十　＃
第九　　末廣がり………五十三　　第二十三　　關孝和………百六十五　＃
第十　　姫路城………六十三　　第二十四　　白洲燈臺………百七十三　＃
第十一　　鳥居勝商………七十三　　第二十五　　雪國の春………百七十九　＃
第十二　　初冬二題………七十六　　第二十六　　靜寛院宮………百八十五　＃
第十三　　機械化部隊………八十　　第二十七　　山ざくら花………百九十四　＃
第十四　　ほまれの記章………八十五　　＃
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　第一　　玉のひゞき　　＃
明治天皇御製　　＃
古のふみ見るたびに思ふかなおのが治むる國は＃
いかにと　　＃
あさみどり澄みわたりたる大空の廣きをおのが＃
心ともがな　　＃
目に見えぬ神の心にかよふこそ人の心のまこと＃
なりけれ　　＃
さしのぼる朝日の如くさわやかにもたまほしき＃
は心なりけり　　＃
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あしひきの山のは出づる月かげに大海原の波を＃
見るかな　　＃
高殿の窓てふ窓をあけさせてよもの櫻のさかり＃
をぞ見る　　＃
昭［せう］憲［けん］皇［くわう］太［たい］后［こう］御歌　　＃
人知れずおもふ心のよしあしも照らし分くらむ＃
天［あめ］地［つち］の神　　＃
朝ごとにむかふ鏡のくもりなくあらまほしきは＃
心なりけり　　＃
廣前にたまぐしとりてうねび山たかきみいつを＃
あふぐ今日かな　　＃
＜Ｐ－００３＞
大宮の火桶のもとも寒き夜に御軍人は霜やふむ＃
らむ　　＃
　第二　　出［いづ］雲［もの］大［おほ］社［やしろ］　　＃
松江を發したる汽車は、風光畫の如き＃
宍［しん］道［ぢ］湖のほとりを走ること約四十分、や＃
がて新川を渡り、更に進みて斐［ひ］伊［い］川［がは］の鐵＃
橋にかゝる。かたはらなる人のいふや＃
う、「此の川は古の簸［ひの］川［かは］にして、かのをろち＃
退治の傳説あるは、此の川の川上なり。」と。＃
今市を過ぎ、大社驛に着きぬ。停車場＃
＜Ｐ－００４＞
の外に出づれば、秋晴の空はあくまで澄みて、暖さ春＃
の如し。參詣にはよき日なりなど思ひつゝ、人々の＃
群にまじりて行けば、大鳥居ありて我が行手に立つ。＃
やがて打續く松並木の間を過ぎて境内に入り、先＃
づ拜殿の前にぬかづく。＃
昔、大［おほ］國［くに］主［ぬしの］命［みこと］、國土を開き人をなつけて、威勢四隣に＃
振るひ給ふ。時に天［あま］照［てらす］大［おほみ］神［かみ］の使者建［たけ］御［み］雷［かづちの］命［みこと］、此の地＃
に來りて申し給ふやう、＃
「大［おほみ］神［かみ］のたまはく、『此の葦［あし］原［はら］の中つ國は、我が子孫の＃
治むべき所なり。』と。快く此の國をたてまつり給＃
ふや、如何に。」＃
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大國主命答へて申さく、＃
「我、もとよりいなみ奉る心なし。我が子事［こと］代［しろ］主［ぬし］と＃
はかりて答へ申さん。」＃
此の時事代主命は、すなどり＃
のため美［み］保［ほの］崎［さき］といふ所にいま＃
ししが、使を得て急ぎ歸り、父君＃
に申し給ふ。＃
「かしこし。仰のまゝにたて＃
まつり給へ。」＃
こゝにおいて大國主命、＃
「此の葦原の中つ國を皇孫に＃
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たてまつりて、とこしへに天［あま］つ日［ひ］嗣［つぎ］を護りまつら＃
ん。」＃
と申して、恭しく國土をたてまつり給ひぬ。大神、其＃
の眞心の厚きを賞して、命のために壯大なる宮殿を＃
造らしめ給ふ。これ即ち出雲大社の起源なり。＃
此の社は、建築樣式の甚だ古きと、規模の大なると＃
を以て世に知らる。千木のほとりを飛ぶ鳩［はと］の、さな＃
がら雀の如くに見ゆるも、社殿の高大なるためなる＃
べし。＃
寶物殿に入りて拜觀するに、火きりぎね・火きりう＃
すといふものあり。太さ中指ほどなる細長き棒と、＃
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幅十四五糎、長さ一米ばかりの厚＃
板となり。此の棒を此の板の上＃
にて、きりをもむが如く廻せば、ま＃
さつによりて火を生ず。此の社＃
にては、今も太古の法に從ひ、これ＃
によりて火を作るといふ。＃
境内を出でて、海岸に至る。稻［いな］＃
佐［さ］の濱といふ所なり。かの建御＃
雷命が大國主命と會見し給ひし＃
は、此の所なりといふ。折から日は地平線に近づき＃
て、雲も水も金色に輝き、美しさいふばかりなし。な＃
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ぎさに立ちて昔をしのべば、そのかみ此の所にいか＃
めしく向かひあひ給ひけん神々の姿、今まのあたり＃
見るが如く、打寄する波の音さへ何事をか語るに似＃
たり。　　＃
　第三　　古代の遺物　　＃
私たちが野外を散歩してゐると、時に畠の上など＃
に、貝［かひ］殼［がら］が白く散らばつてゐるのを見かける。なほ＃
其の邊をよく探すと、斧［をの］の形をした石や、矢じりの形＃
をした石のかけらを見つけることがある。かうい＃
ふ石を昔の人は、天［てん］狗［ぐ］の作つたものだとか、雷の落し＃
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て行つたものだとか言つたが、もちろんそんなこと＃
のあらうはずはなく、やはり人間の作つたものなの＃
である。＃
世界のどこの地方でも、人智の開けなかつた大昔＃
には、人はまだ金屬を使ふことを知らず、ごく手近に＃
ある石で斧や矢じりを作り、＃
又、獸の骨で針や釣針などを＃
作つたのであつた。かうい＃
ふ時代を石器時代といふの＃
である。＃
同じ石器時代にしても、ご＃
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く古いところでは、たゞ石を割つ＃
たまゝの、形の整はないものを使＃
用してゐたが、時代が進むにつれ＃
て、だんだん美しく磨いたものも＃
作られるやうになつた。さうい＃
ふ石器になると、ずゐぶん精巧で、＃
今日これをまねて作らうとして＃
も、ちよつと出來さうにもないの＃
がある。又壷［つぼ］や鉢など、いろ〳〵の形をした土器や、＃
其のかけらが發見され、其の表面になは目のやうな＃
模樣の附いたものなどがある。＃
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かういふ時代の人は、石の斧や、石の矢じりの附い＃
た矢をたづさへて山野に狩をし、獸骨で作つた釣針＃
などで魚を取り、又、貝を拾つて生活してゐた。彼等＃
の住んでゐた所には、自然大きなはきだめが出來、當＃
時捨てられた貝殼が今日まで殘つて、畠の上などに＃
現れ、私たちの目につくのである。さういふ所を貝［かひ］＃
塚［づか］と名づける。さうして、其の貝塚及び附近から、當＃
時の住民の使用した石器や土器などが、たま〳〵發＃
見されるわけである。＃
石器時代はずゐぶん長く續いた。しかし、人智が＃
次第に進んで、何時の間にか、鑛石から金屬を取出し＃
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て使ふ時代がやつて來た。＃
それも一番初に使はれた＃
のは銅で、其の後に銅とす＃
ずとをまぜた青銅が使は＃
れ、最後に鐵が使はれるや＃
うになつた。銅及び青銅＃
で利器を作つた時代を青＃
銅器時代といひ、鐵の利器を使ふやうになつた時代＃
を鐵器時代と名づける。＃
我が國へは、アジヤ大陸から青銅器を作ることが＃
傳へられ、從つて青銅の劒や、ほこや、矢じりや、又銅［どう］鐸［たく］＃
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といつて釣鐘のやうな形をした器物が發見される＃
のであるが、我が國の青銅器時代は極めて短く、やが＃
て次の鐵器時代にはいつたものと考へられる。＃
鐵器時代といへば、かうした古い時代から、實に今＃
日の我々の時代まで續いてゐるわけで、從つて其の＃
遺物は殆ど無數といへる。しかし、其の中でも、最も＃
古い時代に屬するものとして貴重なのは、古［こ］墳［ふん］と、其＃
の中から發見される遺物である。＃
古墳といふのは土まんぢゆうに類する塚で、それ＃
には大小いろ〳〵あるが、形状は圓形が普通で、まれ＃
に方形のものがあり、特に我が國特有のものとして＃
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前方後圓の古墳と稱へられるもの＃
がある。前方後圓の古墳は、へうた＃
んを縱に割つて伏せたやうな形で、＃
たゞ前の方が角ばつてをり、後の方＃
が圓くなつてゐる。周圍には、大て＃
い堀がある。此の古墳の大きなの＃
になると、長さが數百米に及び、堀が＃
二重にも三重にも廻らされてゐる。＃
さて、一般にかうした古墳の内部＃
は、どうなつてゐるであらうか。在＃
來何かの機會に發掘されたところ＃
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では、石で築いた室や石［せき］棺［くわん］が現れ、死者と同時にはう＃
むつた曲玉・管玉などの裝飾品や、鏡・劒・甲［かつ］冑［ちう］などが出＃
た。又、古墳の外部からは埴［はに］輪［わ］の人形などが發見さ＃
れ、私たちに、あの野［の］見［みの］宿［すく］禰［ね］がそれを工夫したといふ＃
歴史を思ひ合はさせる。かうした遺物を調べるこ＃
とによつて、古墳の年代を考へることが出來るので＃
ある。＃
元來昔の歴史を知るには、其の頃に書かれた物を＃
もととして研究するのであるが、かういふ石器・土器＃
を始め、古墳などから出る古代の遺物も尊い材料と＃
なるのであるから、私たちはどこまでもこれを大切＃
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に保護し、後世に傳へなければならない。今日これ＃
らのものが、或は博物館に保存され、史［し］蹟［せき］や國寶など＃
に指定されてゐるのがあるのは、かうしたものを永＃
遠に保存しようといふ精神であることを忘れては＃
ならない。　　＃
　第四　　支那の印象　　＃
　北［ぺ］京［きん］市街　　＃
ゑんえんたる城壁を高くめぐらした北京は、見る＃
からに雄大だといふ感じを與へる。市街は南北二＃
つに仕切られ、北を内城、南を外城といつてゐる。内＃
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外二城の界もまた城壁である。＃
城壁の所々に城門があり、壯麗＃
な樓［ろう］閣［かく］がこれを飾つてゐる。内＃
城の正門正陽門の堂々たる姿が、＃
先づ旅行者の目を引く。＃
内城の中央景山に登ると、北京＃
はたゞ廣々と、平にくりひろげら＃
れた市街だと感ずる。南に間近＃
く、昔の皇居紫禁城が何よりも目立つて見える。壯＃
麗な宮殿が幾むねも立ち並び、其の黄金色の瓦屋根＃
が青空に輝かしい。北海・中海・南海と續く池は、あた＃
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かも地上に鏡でもはめ込＃
んだかと思はせる。夏は、＃
池一面はすの花ださうだ。＃
東、朝陽門の彼方に遠く通＃
州があり、南西、廣安門の彼＃
方に、これも遠く蘆［ろ］溝［こう］橋［けう］が＃
あるのである。＃
北京には、日壇・月壇・天壇等の祭壇があつて、歴代の＃
皇帝が天を祭られた昔がしのばれる。なかんづく＃
壯大な天壇は外城にあつて、老樹の梢吹く風の音も＃
うらさびしい程靜かな所である。大理石でたゝま＃
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れた圓形の祭壇の前に立つと、諸官が＃
威儀を正して列なり、奏樂の中に天子＃
が恭しく祈られたといふ夜明前の神＃
祕な儀式が、目の前に浮かぶやうな氣＃
がする。＃
此の外、東［とう］交［かう］民［みん］巷［かう］だの、天橋路だの、胡［こ］＃
同［どう］だの、支那だけに變つたものや變つ＃
た名前がある。＃
東交民巷とは各國公館のある所で、＃
周圍に銃眼のついた壁をめぐらし、外＃
郭に空地を存する特殊地帶である。＃
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こゝにはいると、道路も、庭園も、建物も、すつかり西洋＃
風である。＃
天橋路には露天市場があつて、日用品のありとあ＃
らゆるものが雜然と並んでゐる。そこらにランプ＃
があり、めがねがあり、天ぷらのにほひがたゞよひ、古＃
着屋の軒に小鳥がさへづり、ほこり風が古雜誌のペ＃
ージをめくつてゐる。＃
胡同は路次のことで、かういふ所に北京の古風が＃
殘つてゐるのがおもしろい。一輪車の水賣が通る。＃
とぎ屋が通る。床屋も通る。みんな、のんびりした＃
鳴り物を鳴らしながら通つて行く。門口から子供＃
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がたこを持つて出ると、そこにゐたあひるがよちよ＃
ちと逃出す。どこかで、花嫁行列のラッパが響いた＃
りする。　　＃
　楊［やう］柳［りう］の村　　＃
どこへ行つても、楊柳を見るのが支那である。さ＃
うして、此の楊樹・柳樹の十株か二十株生ひ茂る所に＃
は、大てい農家が四五軒かたまつてゐる。＃
枝の、上にのびて行くのが楊であり、上から下へた＃
れ下るのが柳である。どちらも、其の枝其の梢は、風＃
になよ〳〵となびき動いてゐるが、幹は動くことな＃
く、十分土中に根を張つてゐる。かうした楊柳の陰＃
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に、農夫はさゝやかな土の家を＃
構へる。水草を追ふ牧童は別＃
として、大人は春の種まき、秋の＃
取入れにはげんで餘念がない。＃
五千年の昔から、自ら耕して食＃
ひ、自ら掘つて飲むといつた簡＃
單な生活を、其のまゝ今日に持＃
越して來た彼等は、田畑のこと＃
にかけて本能的な執［しふ］着［ちやく］と、眞劒＃
な考を持つてゐる。＃
星をいたゞいて出で、月を蹈んで歸るのが田家の＃
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生活である。たま〳〵汽車の窓から見渡すと、朝ど＃
んなに早くても、あちらこちら、三人五人、すき・くはを＃
取つて、せつせと働いてゐるのを見かける。附近に＃
それらしい楊村・柳村がないところから察すると、ず＃
ゐぶん早く、遠くから出かけて來たものだと感心さ＃
せられる。＃
彼等は終日默々として働いてゐる。しかし、土地＃
は殆ど無限に廣がつてゐるのであるから、あせつた＃
ところで追ひつくものではない。營々と働く彼等＃
に、どこか又、氣の長いところがあるのも、一つは此の＃
廣大な自然のせゐであらう。其の上、しば〳〵飢［き］饉［きん］＃
＜Ｐ－０２４＞
があり、洪水があり、兵亂があつても、昔から彼等に對＃
する救の手はどこからものばされなかつた。從つ＃
て人を頼まず、世をうらまず、自分の事は自分でする＃
といふ心掛が、田家には行きわたつてゐる。＃
しかも彼等は、のん氣に其の生活を樂しむことを＃
知つてゐる。泥まみれの仕事着のまゝ、小鳥のかご＃
をさげたり、小鳥を止り木に止らせたりして、村外れ＃
の楊柳の陰に集り、日暮れまで其の鳴かしくらに打＃
興ずる。一日の勞苦を、美しい鳴き聲に打忘れるの＃
である。「田園自ら樂しみあり、魚鳥また相親しむ。」の＃
平和境を、こゝに見るやうな氣がする。　　＃
＜Ｐ－０２５＞
　長江の筏［いかだ］　　＃
いう〳〵たる長江に最もふさはしいのは、筏流し＃
の光景である。＃
筏は、たくさんの丸太を幾重にも組合はせた、すば＃
らしく大きなものである。見たところ、水面とすれ＃
すれになつて流れてゐるが、それは筏の一部分で、大＃
部分は水面下にあるといふ。＃
筏の上には、板ぶき、又は竹・アンペラなどで作つた＃
小屋が、幾軒となく長屋のやうに建てられてゐる。＃
荷主・炊［すゐ］事［じ］夫・舵夫・雜役夫から、村の客まで幾十人がそ＃
れに乘つてゐる。せんたく物の上着やもゝ引など＃
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が、風にひるがへつてゐる。白雲の＃
行方でも見てゐるのか、大空を仰ぎ＃
ながら、くはへぎせるをした老人の＃
姿も見受けられる。最も大きな筏＃
になると、村中全體が乘つてゐるの＃
ではないかと思はれる程多人數で＃
ある。＃
月明の夜など、かうした筏の小屋＃
といふ小屋に、紅緑のとうろうを美＃
しく點ずるのがある。胡［こ］弓［きゆう］・笛・たい＃
この鳴り物入りではやし立てる。＃
＜Ｐ－０２７＞
とうろうの色鮮かに、江上に影をうつすさまは、畫に＃
もかきたいくらゐである。＃
かういふ大きな筏が、時に十も十五も列を作つて＃
江心を下る。何しろ揚［やう］子［す］江は、其の對岸を望んでも＃
陸らしい物を見ず、たま〳〵陸と見たのは、江上の島＃
の水際に生ひ茂る楊柳の林だつたりする程廣いの＃
である。江口から漢口までの一千粁が揚子江の下＃
流であつて、増水期には一萬トン級の汽船が樂々と＃
航行するのである。だから、こんな筏の十や二十が＃
續いて下つたからとて、少しもじやまになるわけで＃
はない。＃
＜Ｐ－０２８＞
かうしたすばらしい、しかものんきな筏流しにも、＃
やはり時代の波は押寄せるものと見えて、近頃は發＃
動機船にぽつぽと威勢よく引かせながら、三つ、四つ、＃
七つと列をなして下るのがある。＃
筏は江を下り、江［かう］蘇［そ］省［しやう］、鎭［ちん］江［かう］の金山寺あたりに着い＃
て、大きな貯木場にはいる。材木と材木とをくゝり＃
附けた竹づながぽん〳〵斷切られ、ジャンクで南［なん］京［きん］＃
や上［しやん］海［はい］方面に運ばれて行く。＃
それでは、かうした大きな筏は、一體どこからくり＃
出されるのであらうか。＃
大筏は、湖南省の洞［どう］庭［てい］湖に先づ出現する。思ふに、＃
＜Ｐ－０２９＞
湖南・貴州などの奧地から出る材木が、それ〴〵其の＃
地の流によつて此の湖水に流され、こゝで大きな筏＃
に組まれるのであらう。洞庭湖は、上海から千二三＃
百粁もさかのぼつた所にある海のやうな湖水であ＃
るから、かうした大筏の編成にはもつて來いといつ＃
た場所である。かくて筏は、洞庭の岳州から下つて＃
本流に出る。やがて有名な赤壁を下り、漢陽を下る。＃
此の邊一帶の江上に、特に筏流しの風情のよく味は＃
はれる所が多い。　　＃
　第五　　孔［こう］子［し］と顏回　　＃
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　（一）　　＃
「あゝ、天は予をほろぼした。天は予をほろぼした。」＃
七十歳の大聖孔子は、弟子顏回の死にあつて、聲をあ＃
げて泣いた。＃
三千人の弟子の中、顏回ほど其の師を知り、師の教＃
を守り、師の教を實行することに心掛けた者はなか＃
つた。これこそは、我が道を傳へ得るたゞ一人の弟＃
子だと、孔子はかねてから深く信頼してゐた。其の＃
顏回が、年若くてなくなつたのである。＃
「あゝ、天は予をほろぼした。天は予をほろぼした。」＃
まさに後繼者を失つた者の悲痛な叫びでなくて何＃
＜Ｐ－０３１＞
であらう。　　＃
　（二）　　＃
十數年前にさかのぼる。＃
孔子が、弟子たちを連れて匡［きやう］＃
といふ所を通つた時、突然軍＃
兵に圍まれたことがある。＃
かつて陽［やう］虎［こ］といふ者が、此の＃
地で亂暴を働いた。不幸に＃
も、孔子の顏が陽虎に似てゐ＃
たところから、匡人は孔子を＃
取圍んだのである。此の時、＃
＜Ｐ－０３２＞
おくればせにかけつけた顏回を見た孔子は、ほつと＃
しながら、＃
「おゝ、顏回。お前は無事であつたか。死んだので＃
はないかと心配した。」＃
と言つた。すると顏回は、＃
「先生が生きていらつしやる限り、どうして私が死＃
ねませう。」＃
と答へた。＃
孔子は五十餘歳、顏回は一青年であつた。我が身＃
の上の危さも忘れて、孔子は年若い顏回をひたすら＃
に案じ、又、顏回はこれほどまで其の師を慕つてゐた＃
＜Ｐ－０３３＞
のであつた。　　＃
　（三）　　＃
それから數年たつて、陳［ちん］・蔡［さい］の厄があつた。孔子は＃
楚［そ］の國へ行かうとして、弟子たちと共に、陳・蔡の野を＃
旅行した。あいにく此の地方に戰亂があつて、道は＃
はかどらず、遂に糧食が盡きてしまつた。七日七夜、＃
孔子も弟子も、ろく〳〵食ふ物がなかつた。＃
困難に際會すると、自ら人の心がわかるものであ＃
る。弟子たちの中には、ぶつ〳〵不平をもらす者が＃
あつた。生一本な子路が、とがり聲で孔子に言つた。＃
「一體、徳の修つた君子でも困られることがあるの＃
＜Ｐ－０３４＞
ですか。」＃
徳のある者なら、天が助けるはずだ。助けないとこ＃
ろを見ると、先生はまだ君子ではないのか。――子路＃
には、ひよつとすると、さういふ考が湧いたのかも知＃
れぬ。孔子は平然として答へた。＃
「君子だつて、困る場合はある。たゞ困り方が違ふ＃
ぞ。困つたら惡い事でも何でもするといふのが＃
小人である。君子はそこが違ふ。」＃
子［し］貢［こう］といふ弟子が言つた。＃
「先生の道は餘りに大き過ぎます。だから、世の中＃
が先生を受容れて用ひようとしません。先生は、＃
＜Ｐ－０３５＞
少し加減をなさつたらどうでせう。」＃
孔子は答へた。＃
「細工のうまい大工が、必ず人にほめられるときま＃
つてはゐない。ほめられないからといつて、腕前＃
を加減するのが果してよい大工だらうか。君子＃
も同じことだ。道の修つた者が、必ず人に用ひら＃
れるとはきまつてゐない。だからといつて加減＃
をしたら、結［けつ］局［きよく］、人に用ひられるためには、道はどう＃
でもよいといふことになりはしないか。」＃
顏回は師を慰めるやうに言つた。＃
「世の中に容れられないといふことは、何でもあり＃
＜Ｐ－０３６＞
ません。今の亂れた世に容れられなければこそ、＃
ほんたうに先生の大きいことがわかります。道＃
を修めないのは君子の恥でございますが、君子を＃
容れないのは世の中の恥でございます。」＃
此の言葉が、孔子をどんなに滿足させたか。＃
「顏回よ。お前が富貴であつたら、予はお前の家の＃
家令にならうぞ。」　　＃
　（四）　　＃
孔子は弟子に道を説くのに、弟子の才能に應じて＃
わかる程度に教へた。孔子の理想とする「仁」につい＃
ても、或者には「人を愛することである。」と言ひ、或者に＃
＜Ｐ－０３７＞
は「人の惡口を言はぬことである。」と説き、或者には「む＃
づかしい事を先にすることである。」と教へた。何れ＃
も「仁」の一部の説明で、其の行ひ易い方面を述べたの＃
である。ところで顏回には、＃
「己に克［か］つて禮に復［かへ］るのが仁である。」＃
と教へた。あらゆる欲望にうちかつて、禮を實行せ＃
よといふのである。其の實行方法として、＃
「非禮は見るな。非禮は聞くな。非禮は言ふな。＃
非禮に動くな。」＃
と教へた。朝起きるから夜寢るまで、見ること、聞く＃
こと、言ふこと、行ふこと、一切禮節に從ひ、禮節にかな＃
＜Ｐ－０３８＞
へよといふのである。こゝに「仁」の全體が説かれて＃
ゐる。さうして、顏回なればこそ、此の最もむづかし＃
い教を、其のまゝ實行することが出來たのである。　　＃
　（五）　　＃
孔子は顏回をほめて、＃
「顏回は予の前で教を受ける時、たゞだまつてゐる＃
ので、何だかぼんやり者のやうに思はれるが、さて＃
退いて一人でゐる時は、師の教について何か自分＃
で工夫をこらしてゐる。決してぼんやり者では＃
ない。」＃
と言つてゐる。又、＃
＜Ｐ－０３９＞
「他の弟子は、教についていろ〳〵質問もし、それで＃
予を啓發してくれることがある。しかし、顏回は＃
質問一つせず、すぐ會得して實行にかゝる。彼は＃
一を聞いて十を知る男だ。」＃
とも言つてゐる。＃
孔子がよく顏回を知つてゐた如く、顏回もまたよ＃
く其の師を知つてゐた。顏回は孔子をたゝへて、＃
「先生は仰げば仰ぐほど高く、接すれば接するほど＃
奧深いお方だ。大きな力で、ぐん〳〵と人を引つ＃
ぱつて行かれる。とても先生には追ひつけない＃
から、もうよさうと思つても、やはりついて行かざ＃
＜Ｐ－０４０＞
るを得ない。私が力のあらん限り修養しても、先＃
生は、何時でも更に高い所に立つておいでになる。＃
結局、足もとにも寄りつけないと感じながら、つい＃
て行くのである。」＃
と言つてゐる。顏回なれ＃
ばこそ、偉大な孔子の全面＃
をよく認［みと］めることが出來＃
たのである。＃
　（六）　＃
「先生が生きていらつしやる限り、どうして私が死＃
ねませう。」＃
＜Ｐ－０４１＞
と言つた顏回が、先生よりも先に死んでしまつた。＃
或日、魯［ろ］の哀［あい］公［こう］が孔子に、＃
「御身の弟子の中、最も學を好む者は誰か。」＃
と尋ねた。孔子は、＃
「顏回といふのが居りました。學を好み、怒をうつ＃
さず、過も二度とはしない男でございましたが、不＃
幸にも短命でございました。」＃
と答へた。＃
「怒をうつさず。」といふ言葉に、あの陳・蔡の厄で、子路＃
や子貢が、「君子でも困られることがあるのですか。」と＃
か、「先生の道は餘りに大き過ぎます。」など不平がまし＃
＜Ｐ－０４２＞
く言つた時、顏回だけが平然として、ひたすらに孔子＃
をたゝへ、孔子を慰めたことが思ひ出されるではな＃
いか。　　＃
　第六　　西山莊の秋　　＃
三日ほど降續いた秋雨がからりと晴れて、今日は＃
一だんと冷氣が加り、かすかな寒さをさへ感じる。＃
雨に洗はれた築山のくまざさが、濃い緑の葉に白い＃
筋を見せ、心字の池に枝をさしのべた楓［かへで］は、もう色づ＃
き始めてゐる。＃
大日本史の草［さう］稿［かう］に加筆してゐた光［みつ］圀［くに］は、ふと思ひ＃
＜Ｐ－０４３＞
出したやうに、文箱から一通の書面を取出して靜か＃
に讀返した。それは、楠［なん］公の碑［ひ］を建てに行つてゐる＃
家臣からの手紙である。湊［みなと］川の建碑もとゞこほり＃
なくすんだ。忠臣の靈［れい］は慰められ、功績は一だんと＃
明らかになつた。何年前のことであつたらう、自分＃
が江戸の屋敷で史記を讀み、史書の力の偉大なこと＃
に感動したのは。それから歴史編［へん］纂［さん］を思ひ立ち、始＃
めて史局を置いて學者を集めた時の喜び、彰［しやう］考［かう］館を＃
設け、自ら其の額を書いた時の輝かしい希望、それら＃
が今新な感激となつてよみがへつて來る。かうし＃
て大義名分が正され、忠臣・義士の眞心があらはれ、皇［み］＃
＜Ｐ－０４４＞
國［くに］の姿が次第に明らかになつ＃
て行くのである。＃
しばし思にふけつてゐた光＃
圀が、我にかへると突然人聲が＃
聞えて來た。それは、聞きなれ＃
た里人の聲である。光圀は思＃
はずほゝ笑んだ。縁傳ひに入＃
口の方へ行くと、そこには青々＃
とした野菜を持つた老人が二＃
人頭を下げてゐる。光圀は喜んで老人たちを請［しやう］じ＃
入れ、野菜の出來や稻作の模樣などを得意になつて＃
＜Ｐ－０４５＞
語るのを熱心に聞いた。＃
老人たちが歸ると、光圀は再び書［しよ］齋［さい］の人となつた。＃
自分が修史に志してからすでに長い月日を過した＃
が、其の業は遲［ち］々［ゝ］として進まぬ。自分の餘命は、いく＃
ばくもない。しかし、自分の氣持を知つてくれる子＃
供たちや家臣の者は、後を繼いで必ずこれを成し遂＃
げてくれるであらう。自分は此のまゝ世を去つて＃
も、精神は永遠に生きる。尊皇の大義に、すべての人＃
が目覺める時が必ず來るに違ひない。さう思ひな＃
がら、光圀はまた朱［しゆ］筆を取つて、史稿の訂［てい］正［せい］に取りか＃
かつた。＃
＜Ｐ－０４６＞
暮れやすい秋の日は早くも池の彼方に沒し、老松＃
のあたりにはもう夕やみが迫つてゐた。　　＃
　第七　　鎌［かま］倉［くら］　　＃
七里が濱のいそ傳ひ、　　＃
稻［いな］村［むらが］崎［さき］、名將の　　＃
劒投ぜし古戰場。　　＃
極樂寺坂越え行けば、　　＃
長［は］谷［せ］觀音の堂近く、　　＃
露坐の大佛おはします。　　＃
＜Ｐ－０４７＞
由［ゆ］比［ひ］の濱邊を右に見て、　　＃
雪の下道過行けば、　　＃
八［はち］幡［まん］宮の御やしろ。　　＃
上るや石のきざはしの　　＃
左に高き大いてふ、　　＃
問はばや遠き世々の跡。　　＃
若宮堂の舞の袖、　　＃
しづのをだまきくりかへし、　　＃
＜Ｐ－０４８＞
かへしし人をしのびつゝ。　　＃
鎌倉宮にまうでては、　　＃
つきせぬ親［み］王［こ］のみうらみに、　　＃
悲憤の涙わきぬべし。　　＃
歴史は長し七百年、　　＃
興亡すべて夢に似て、　　＃
英雄墓はこけむしぬ。　　＃
建長・圓覺古寺の　　＃
＜Ｐ－０４９＞
山門高き松風に、　　＃
昔の音やこもるらん。　　＃
　第八　　黄瀬川の對面　　＃
治承四年十月二十日、源［みなもとの］頼［より］朝［とも］平家の軍を富士川に＃
破り、二十一日、兵をかへして黄瀬川に陣す。此の日＃
思ひもかけぬに、武者二十騎ばかり、源家の白旗押立＃
てて彼方に現れたり。頼朝の家臣等あやしみて、＃
「如何なる人ぞ、名のり給へ。」＃
と呼ばはれば、年の頃二十餘りにして、丈低く、色白く、＃
眼光鋭き一人の武士、たくましき馬にまたがりて進＃
＜Ｐ－０５０＞
み出で、＃
「鎌［かま］倉［くら］殿も忘れ給はぬなる＃
べし。幼名牛若、今は九郎＃
義［よし］經［つね］といふ者。奧［あう］州［しう］にあ＃
りて、御旗あげの事承り、御＃
力をそへ奉らんため、夜を＃
日に繼ぎてはせ參じたり。＃
鎌倉殿に傳へられよ。」＃
と言ふ。頼朝其の由を聞き、＃
かつは驚きかつは喜びて、家＃
臣をして召入れしむ。＃
＜Ｐ－０５１＞
幕、張廻らしたる陣營の中には、關八州の大名・小名＃
星の如く居並びたり。頼朝は上座にひかへ、弟の入＃
來るを今やおそしと待つところに、義經は冑［かぶと］を脱ぎ、＃
弓取直して幕の際にかしこまる。頼朝、「これへ、これ＃
へ。」と招き寄せ、つく〴〵と其の顏を見て、先づ涙にむ＃
せぶ。義經も胸ふさがりて、言ふべき言葉を知らず。＃
やゝありて頼朝涙を押さへ、＃
「我、父上に後れ奉りし後は、しばらく伊［い］豆［づ］の配所に＃
あり、心に任せぬ事のみにて、御身が奧州に下りし＃
由はかすかに聞及びながら、おとづれもせざりし＃
に、兄弟の情を忘れず、一家の大事にはせ加りしこ＃
＜Ｐ－０５２＞
と、此の上もなき喜びなり。昔、後三年の合戰に、新［しん］＃
羅［ら］三郎殿、京よりはる〴〵兄八［はち］幡［まん］殿の陣中に參ら＃
れし時、八幡殿は、『なき父上のおはしましたるには＃
あらずや。』とて、涙を流して喜ばれたりと聞く。我＃
も、今父上のよみがへらせ給へるに會ひまゐらす＃
る心地す。今日より後は、力を合はせて源家の再＃
興を計り、父上の御憤りを休め奉らん。」＃
と言ひもあへず、涙をはら〳〵と流す。義經も、涙に＃
くれてしばし返事もせざりしが、やうやく顏を上げ、＃
「配所へ御下りの後は、義經も鞍［くら］馬［ま］へ送られ、そこに＃
て十六歳まで修行したり。かくて深く心に決す＃
＜Ｐ－０５３＞
るところあり、はる〴〵奧州に下りて秀［ひで］衡［ひら］を頼み＃
ぬ。今かくはせ參じたる上は、身命をなげうつて＃
兄上のために盡くさん。」＃
と言ふ。居並ぶ大名・小名、二人の心をおしはかりて、＃
袖をぬらさぬはなかりけり。　　＃
　第九　　末廣がり　　＃
大名「此のあたりの大名でござる。太郎冠［くわ］者［じや］あるか。　　＃
冠者「御前に。　　＃
大名「大そう早かつた。汝を呼出したのは、餘の儀で＃
はない。明日のお客の引出物に、末廣がりを出さ＃
＜Ｐ－０５４＞
うと思ふ。汝は大儀ながら京へ上り、急いで求め＃
て參れ。　　＃
冠者「かしこまりました。　　＃
大名「急げ。　　＃
冠者「はつ。――さて〳〵、某の主人は、立板に水を流す＃
やうに物を言附けられるお方ぢや。先づ急いで＃
參らう。とかく申すうちに、これはもう都ぢや。＃
や、うかと致した。某は末廣がり屋を存ぜぬが、何＃
と致さう。や、物のほしい時は、大聲に呼ばはるも＃
のと見える。某も呼ばはつてみよう。末廣がり＃
を買はう、末廣がりを買はう。　　＃
＜Ｐ－０５５＞
わる者「これは京に住まひ致すわる者でござる。何＃
者かは知らぬが、わい〳〵わめいてゐる。一つ當＃
つてみませう。――なう〳〵、そなたは何をわいわ＃
いわめいてゐられるぞ。　　＃
冠者「某は、田舍から參つた者でござる。末廣がり屋＃
を知らぬによつてかやうに申すのでござる。　　＃
わる者「某は、末廣がり屋の主人でござる。　　＃
冠者「それは仕合はせなこと。末廣がりはござらう＃
か。　　＃
わる者「如何にも。　　＃
冠者「急いで見せて下され。　　＃
＜Ｐ－０５６＞
わる者「心得ました。――はて、何を賣つてくれようか。＃
や、よいことがある。これにからかさがあるから、＃
これを賣つてやらう。――なう〳〵、田舍の人、これ＃
ぢや。　　＃
冠者「や、それが末廣がりでござるか。　　＃
わる者「如何にも。　　＃
冠者「なる程、廣げれば大きな末廣がりぢや。こゝに＃
御主人の書附があるによつて、それに合つたらば＃
買ひませう。　　＃
わる者「では、お讀み下され。　　＃
冠者「先づ地紙よくとござる。　　＃
＜Ｐ－０５７＞
わる者「これ、地紙とは此の紙のこと。きつねの鳴く＃
やうに、こん〳〵といふ程、よく張つてござる。　　＃
冠者「骨磨き。　　＃
わる者「これ、骨磨きとは此の＃
骨のこと。とくさをかけ＃
て磨いてあるによつて、す＃
べすべ致す。　　＃
冠者「要［かなめ］もとしめて。　　＃
わる者「かう廣げて、此の金物＃
でじつとしめるによつて、＃
要もとしめてでござる。　　＃
＜Ｐ－０５８＞
冠者「さて〳〵、書附に合つて嬉しうござる。して、價＃
は如何程でござらうか。　　＃
わる者「高うござるぞ。　　＃
冠者「いくら程でござるぞ。　　＃
わる者「十兩でござる。　　＃
冠者「それは又高いことぢや。一兩ばかりになりま＃
すまいか。　　＃
わる者「なう、そこな人、其のやうに安いものではござ＃
らぬ。賣りますまい。　　＃
冠者「いや、十兩のうち、一兩ばかりも引いて下さらぬ＃
かといふのでござる。　　＃
＜Ｐ－０５９＞
わる者「よろしうござる。賣つて上げませう。　　＃
冠者「かたじけなうござる。さらば、さらば。　　＃
わる者「なう〳〵、そなたは定めて主人持でござらう。　　＃
冠者「如何にも。　　＃
わる者「主人といふ者は、きげんのよいこともあり、惡＃
いこともある。若しきげんが惡うござつたら、か＃
うかうはやして舞はれたらよからう。　　＃
冠者「さて〳〵、かたじけなうござる。――先づ御主人＃
に急いでお目にかけよう。殿樣、ござりますか。　　＃
大名「太郎冠者、もどつたか。　　＃
冠者「歸りました。　　＃
＜Ｐ－０６０＞
大名「大儀であつた。急いで見せい。　　＃
冠者「はつ。　　＃
大名「これは何ぢや。　　＃
冠者「末廣がりでござります。　　＃
大名「これが。　　＃
冠者「はあ。殿樣の御合點參らぬも道理でござりま＃
す。かう致しますと、ぐつと廣がります。　　＃
大名「如何にも大きな末廣がりぢや。して、あの書附＃
に合はせてみたか。　　＃
冠者「合はせましたとも。お讀み下され。　　＃
大名「先づ地紙よく。　　＃
＜Ｐ－０６１＞
冠者「それこそ氣を附けました。これ、此の通りきつ＃
ねの鳴くやうに、こん〳〵といふ程、よく張つてご＃
ざります。　　＃
大名「骨磨きは。　　＃
冠者「これ、此の骨でござります。とくさをかけて磨＃
いてあるによつて、すべ〳〵致します。　　＃
大名「要もとしめては。　　＃
冠者「かう廣げまして、此の金物でじつとしめます。　　＃
大名「やい、太郎冠者。そちは末廣がりを知らぬな。＃
末廣がりとは、扇のことぢや。おのれは古がさを＃
買うて來て、やれ末廣がりで候の、骨磨きで候のと＃
＜Ｐ－０６２＞
申しをる。すさりをらう。　　＃
冠者「お許し下され。――さういはれゝば、なる程これ＃
は古がさぢや。これは、へんなことになりをつた。＃
おゝ、さうぢや。あれをはやして、ごきげんをなほ＃
さう。　　＃
えい〳〵、　　＃
かさをさすならば、　　＃
人がかさをさすならば、　　＃
おれもかさをさゝうよ。　　＃
大名「や、おのれ、買物にはまんまとだまされて、申しわ＃
けに、はやしものをするとは。いや〳〵、あきれた＃
＜Ｐ－０６３＞
やつめ。や、これはこれは。＃
や、これはおもしろいぞ。　　＃
げにもさうよ、　　＃
げにもさうよの。　　＃
かさをさすならば、　　＃
人がかさをさすならば、　　＃
おれもかさをさゝうよ。　　＃
げにもさうよ、　　＃
げにもさうよの。　　＃
　第十　　姫［ひめ］路［ぢ］城　　＃
＜Ｐ－０６４＞
大手の櫻門から三の丸にはいると、姫路城の天守＃
閣は、姫山の老松の上に、其の正面を見せる。まこと＃
に白［しら］鷺［さぎ］城の名にそむかぬ美しい姿である。しかも、＃
其の美の極致を、私は菱［ひし］の門をくゞつて二の丸には＃
いつた瞬間に見＃
出した。＃
から堀をへだ＃
てて、やゝ右手に＃
仰ぐ天守閣群は、＃
五層の大天守を＃
右に、三層の西の＃
＜Ｐ－０６５＞
小天守を中に、同じ三層の乾［いぬゐ］の小天守を左に、如何に＃
も調和よく、高い石垣の上に聳えてゐる。みやびや＃
かな唐［から］破［は］風［ふ］、すつきりした千鳥破風、それらが上下に＃
重なり、左右に並び、千鳥がけに入りちがふさまは、ま＃
さにいらかの亂舞といひたい。さうして、此の亂舞＃
を一層美しくするものは、前景にそゝり立つ二本の＃
松である。其のやゝまばらな梢越しに見えがくれ＃
して、白壁はいよ〳〵鮮かに、いらかはいよ〳〵こま＃
やかな趣を呈する。＃
ところで、更に「いの門」をくゞり、「ろの門」をくゞつて、＃
奧へ〳〵と進むにつれ、姫路城は、たゞ美しいといふ＃
＜Ｐ－０６６＞
だけではすまされなくな＃
つて來る。門をくゞる度＃
に、坂道は必ず右か左へ曲＃
折する。道に沿うて、時に＃
石垣・塀・櫓［やぐら］が層々と頭上に＃
のしかゝる。まるで絶壁＃
の下を通る形だ。さうし＃
て、其の塀や櫓にうがたれ＃
た矢［や］狹［ざ］間［ま］・鐵砲狹間が、圓形＃
に、三角形に、正方形に、長方＃
形に、ちやうど怪物群の目＃
＜Ｐ－０６７＞
のやうに、私たちを見下すのである。どんな大軍が＃
押寄せたとしても、此の狹い谷底のやうな迷路に導＃
かれ、あの無數の狹間か＃
ら撃ちかけられ射すく＃
められては、全くたまつ＃
たものではない。しか＃
も、道の行手々々は、すべ＃
て嚴重な門である。＃
門をはいると、多くはそこに廣場がある。一般に＃
本丸への道は狹く、曲折してゐるから、敵の寄手が若＃
し門を突破すれば、差當りかうした廣場になだれ込＃
＜Ｐ－０６８＞
まざるを得ない。さうして、激しく押合ひもみ合ふ＃
彼等の足もとには、意外にも深い谷底が口をあけて＃
待つてゐるのである。寄手が勢込めば勢込む程、恐＃
らく此の見せかけの廣場が役立つに違ひない。＃
一きは堅固と見る「ほの門」を過ぎて、いよ〳〵本丸＃
にたどり着いたと思ふと、そこには、いはゆる水の門＃
が、第一から第六まで順々に待受けてゐる。數歩に＃
して門があり、殆ど門毎に道が曲折する。頭上には、＃
乾の小天守、西の小天守及び大天守が、東の小天守と＃
四つ目に並び、互に腕を組合つて天に聳えながら、私＃
たちを足もとにも寄せつけないといつたかつかう＃
＜Ｐ－０６９＞
である。＃
水の第五門は、大天守と西の小天守とをつなぐ渡＃
櫓の眞下になつてゐる。一度此の門をしめ切つた＃
ら、四つの天守閣は一箇の獨立した城郭となつて、こ＃
れだけでも幾萬の敵に對して、いつかな動きさうに＃
思へない。＃
外觀五層の大天守は、内から登ると七階であつた。＃
さうして、あの美しいと見た天守の内部には、巨材が＃
組合つて、薄暗い各階にものすごく力鬪してゐる。＃
最上階から眺めると、姫路市街はもとより、飾［しか］磨［ま］平＃
野が一目に見渡される。元來此の城は、飾磨平野の＃
＜Ｐ－０７０＞
中央、やゝ北寄りの姫山・鷺山に據つて營まれたもの＃
で、地は南に飾磨港をひかへて瀬戸内海の運輸を占＃
め、西に中國街道を受けて交通の要路に當つてゐる。＃
秀［ひで］吉［よし］がこゝに目を着けて城を築き、更に家［いへ］康［やす］に信任＃
された池田輝［てる］政［まさ］が、百萬石の威望と、將軍のうしろだ＃
てとによつて、今日に見る優美にして堅固極まりな＃
きものに造り上げた。大手の門は南を固め、からめ＃
手の門は北東を押さへてゐるが、此の城の要害はむ＃
しろ西にある。眼下に見る西の丸の櫓々は、鷺山を＃
あたかも長城の如くおほうて、西からの見すかしを＃
防いでゐる。呼べば答へる間近さに、男山・景福寺山＃
＜Ｐ－０７１＞
が、ちやうど海中の小島のやうに散＃
在してゐる。いざといへば、これら＃
の小山がすべて出城となつて、此の＃
城郭の護となるのである。中國・西＃
國の大［たい］藩［はん］を目の上のこぶと見た家＃
康が、輝政をしてこゝに金城鐵壁を＃
築かせたのは、まことに故あること＃
と考へさせられる。＃
南方若しくは東方から望めば、優＃
美其のものと思へる姫路城も、これ＃
を北から西から望む時、まるで樣子＃
＜Ｐ－０７２＞
を一變する。本丸の據る姫山、西の丸の據る鷺山は＃
屏［びやう］風［ぶ］の如く連なり、麓に三條の堀を廻らし、斧［をの］を知ら＃
ぬ密林におほはれ、其の上にそゝり立つ天守閣はあ＃
たかも司令塔の如く、數十の櫓は層々と重なり、ゑん＃
えんと連なつて、まさに飾磨平野に浮かぶ一大戰艦＃
を思はしめるものがある。＃
美しい城だとは、誰もがいふ。しかも姫路城は、當＃
時の最も堅固な城であつた。更にいへば、本丸・二の＃
丸・西の丸の三丸が、これ程まで完全に殘つて、今日の＃
我々に昔の姿を殆ど其のまゝに見せてくれる。ま＃
ことに姫路城は、我が國城郭建築の粹であり、世界に＃
＜Ｐ－０７３＞
誇るべき國寶である。　　＃
　第十一　　鳥居勝［かつ］商［あき］　　＃
天正三年五月、奧平信［のぶ］昌［まさ］、徳川家［いへ］康［やす］の命を受けて長［なが］＃
篠［しの］城を守る。武［たけ］田［だ］勝［かつ］頼［より］、大軍を率ゐて來り攻むれど＃
も、城兵善く戰ひて拔くこと能はず。攻めあぐみて＃
長圍の計を取り、さくを城外に廻らし、なはを城下の＃
河中に張りて、城兵のひそかに逃れ出づるを防ぐ。＃
城中には、わづかに四五日の糧食を餘せるのみ。＃
援軍の來らん日もまた期すベからず。信昌、將士を＃
集めていはく、「敵は長圍の計を取れるに、我は糧食殆＃
＜Ｐ－０７４＞
ど盡きたり。城を拔け出でて岡［をか］崎［ざき］に至り、急を主公＃
に告ぐる者なきか。」と。鳥居勝商といふ者あり、進み＃
出でて其の使たらんことを請ひ、約していふやう、「事＃
の成否は今より豫測すべからず、若し向かふの山に＃
のろしのあがるを見ば、幸にして城を出でたりと知＃
るべし。三日の後また山上に來りて、援軍の消息を＃
示さん。」と。信昌大いに喜ぶ。＃
時は十四日の月夜なり。黒き影は城の一方より＃
現れ出で、ひらりとばかり水中にをどり入りぬ。な＃
はに仕掛けたる鈴は、しきりに鳴る。敵の衛兵等、あ＃
やしみてあらためみんとするに、一老兵、「水まさにみ＃
＜Ｐ－０７５＞
なぎれり。流をさかのぼる魚のなはに觸るゝなら＃
ん。」と言へば、「さもあらん。」とて止む。しばらくして、黒＃
き影は向かふの岸に現れたり。＃
翌十五日の朝、勝商は山に上りてのろしをあげ、走＃
りて岡崎に至り、家康に見えて援兵を求む。家康、直＃
ちに勝商をして、織［お］田［だ］信［のぶ］長［なが］に見えて長篠城の急を告＃
げしむ。信長、勝商の勞を賞し、かつ言ふ、「我、明日援軍＃
を率ゐて出發せんとす。汝も止りて我と共に行け。」＃
と。勝商、城内の苦しみを思へば一刻も猶［いう］豫［よ］すべき＃
にあらずとて、直ちに引返す。＃
十六日、勝商は再び山上にのろしをあげ、次いで城＃
＜Ｐ－０７６＞
に入らんとするに、不幸にして敵兵に發見せられ、勝＃
頼の前に引出さる。勝頼、勝商に向かひて言ふ、「明日＃
城門に行きて、『援軍來らず、速に降るべし。』と言へ。さ＃
らば我必ず重く汝を賞せん。」と。勝商これを諾［だく］す。＃
翌日、勝商、敵兵十餘人に圍まれて城門の近くに至＃
り、城に向かひて高らかに呼んでいはく、「うれふるこ＃
となかれ。徳川・織田二公、援軍を率ゐてすでに出發＃
せらる。圍みの解けんは二三日のうちにあらん。」と。＃
勝頼、怒りて直ちにこれを殺せり。　　＃
　第十二　　初冬二題　　＃
＜Ｐ－０７７＞
　柚［ゆ］子［ず］　　＃
今年も隣の柚子が黄ばんだ。　　＃
かんとさえた冬空、　　＃
太陽がまぶしく仰がれる。　　＃
かさこそと、　　＃
竹ざをであの木の梢をつゝいてゐた　　＃
隣のをぢさんは、今ゐない。　　＃
からたちの垣根越しに、ふとほゝ笑んで、　　＃
「あげようか。」と、投げてくれた　　＃
をぢさんは、よい人だつた。　　＃
＜Ｐ－０７８＞
あの時、ざくつとおや指を皮に突立てたら、　　＃
しゆつと、しぶきがほとばしつて、　　＃
爪を黄いろく染めたものだつた。　　＃
なつかしい柚子のかをり、　　＃
私はじつと梢を仰ぎ見た、　　＃
今は部隊長になつて、　　＃
遠い戰地に行つてゐるをぢさんを思ひながら。　　＃
　朝飯　　＃
新づけの白菜、　　＃
＜Ｐ－０７９＞
何といふみづ〳〵しさであらう。　　＃
かめば、さく〳〵と齒切れよく、　　＃
朝の氣分を新にする。　　＃
父も、母も、兄も、妹も、　　＃
だまつて箸［はし］を動かしてゐる。　　＃
そろつて健康に働く家族の、　　＃
樂しい朝飯だと思へば、　　＃
あたゝかい御飯の湯氣が、　　＃
幸福に私たちの顏を打つ。　　＃
＜Ｐ－０８０＞
明けて行く朝、　　＃
窓ガラス越しに林が黒い。　　＃
から〳〵と、どこかで荷車の音。　　＃
白い御飯から、　　＃
あたゝかいみそ汁から、　　＃
ほか〳〵と立上る湯氣を見つめながら、　　＃
私は、さく〳〵と白菜をかむ。　　＃
　第十三　　機械化部隊　　＃
敵の機械化部隊の側面を突くため、全速力で右方＃
へ廻つた我が戰車部隊は、午前七時十分、めざす場所＃
＜Ｐ－０８１＞
に着いた。＃
盛に銃聲・砲聲が聞える。小高＃
い所へ上つて、彼我の戰況を見る＃
と、敵の正面に向かつた我が自動＃
車部隊では、砲兵がすでに放列を＃
布き、其の掩［えん］護［ご］射撃のもとに、歩兵・＃
工兵が散開して前進を續けてゐ＃
る。はるか向かふの岡に、ものす＃
ごく砂ぼこりを上げて、敵戰車が十臺、十五臺、續々と＃
現れて來る。我が砲兵はこれに砲彈をあびせかけ、＃
散兵線からも、速射砲・歩兵砲等が、豆をいるやうな機＃
＜Ｐ－０８２＞
關銃の音にまじつてとゞろく。す＃
でに敵戰車の數臺はこはされ、數臺＃
は火を吐いて進行の自由を失つて＃
ゐる。しかし、敵戰車は後から後か＃
らと現れる。戰機は熟した。＃
午前七時三十分、戰車部隊長は、砲＃
塔高く「指揮官にならへ。」の旗を出し＃
て、前進し始めた。「それつ。」とばかり、＃
各戰車は、戰鬪隊形を取つて敵戰車＃
群の左側面におそひかゝる。部隊＃
長車の第一發を合圖に、それ〴〵猛＃
＜Ｐ－０８３＞
烈な射撃を開始した。周圍に破裂する敵砲彈を物＃
ともせず、ぐん〳〵距離をつめる。＃
地面がでこぼこしてゐるので車體は上下に激動＃
するが、かねて鍛へに鍛へた我が腕、射撃は正確であ＃
る。「ダーン。ダーン。」といふ發射音に續いて、敵戰車＃
の機關部にぱつ〳〵と火柱が立つたと思ふと、すぐ＃
火えんを上げ始める。＃
次から次へと、新な敵を求めて猛烈に撃ちまくる。＃
右の方では、敵戰車目がけて鋼鐵の體當りをくらは＃
せてゐる勇敢な我が戰車がある。止るもの、動くも＃
の、火を吐くもの、歩兵・工兵の亂鬪、彼我入亂れての一＃
＜Ｐ－０８４＞
大修［しゆ］羅［ら］場［ぢやう］が展開される。味方の損害も相當はあら＃
うが、勝利は信念にある。今こそ、日本男子の面目を＃
發揮すべき時だ。＃
戰の數十分は過ぎた。＃
見れば、もう〳〵たる煙幕＃
を張つて、敵は退却し始め＃
た。すかさず、無線電話に＃
よる我が機械化部隊長の＃
追撃命令が下る。戰車群＃
の猛進におくれじと、すば＃
やく歩兵・砲兵・工兵の乘移＃
＜Ｐ－０８５＞
る自動車群が續く。我が機械化部隊の一せい追撃＃
である。戰火に打煙る戰場を後に、敗走する敵を全＃
速力でふみにじつて進むのだ。何といふ痛快事で＃
あらう。＃
今、兩軍主力の會戰はたけなはらしい。右方はる＃
かに、遠雷のやうな砲聲がしきりに聞える。あと百＃
七八十粁で、敵軍主力の背後に出ることが出來よう。＃
其の退路を完全に斷つて、高く日章旗をひるがへす＃
のは、今夜か、明朝か。　　＃
　第十四　　ほまれの記章　　＃
＜Ｐ－０８６＞
　（一）　　＃
「トン〳〵、トン〳〵。」＃
正一君のおとうさんは、せつせと樽［たる］を作つてゐる。＃
左脚をのばし、右脚でぐつと樽をかゝへながら、木［き］槌［づち］＃
を使つて竹のたがをはめる。あの左脚は義足なの＃
に、まるで何の不自由もなささうに、仕事がはかどつ＃
て行く。＃
「をぢさん、負傷された時は痛かつたでせう。」＃
だしぬけに僕が聞くと、をぢさんは、＃
「たまがあたつた時は、痛いとも何とも思はなかつ＃
たよ。たゞ何かで、ぴしやつとぶたれたやうな感＃
＜Ｐ－０８７＞
じだつた。」＃
と言つて、樽を廻しながら、トン〳〵とたゝいてゐる。＃
をばさんが火鉢を持つて來た。＃
「今日は、午後から大分冷えますね。痛みませんか。」＃
と、やさしく尋ねる。＃
「ちよつと、うづくやうだがね。なに、此のくらゐ何＃
でもないよ。」＃
をぢさんの答は、どこか軍人らしいところがある。＃
「三郎さん、正一はもうぢき歸ります。さつき、樽を＃
屆けに醤［しやう］油［ゆ］屋さんまで行きました。もう少し待＃
つてゐてやつて下さいね。」＃
＜Ｐ－０８８＞
やさしいをばさんは、僕にもかう言つてから、何かと＃
をぢさんの世話や、仕事の手傳を始めた。＃
「僕、かまひませんよ、をばさん。」＃
正一君は感心だなあ。僕も何か手傳へたらと思ひ＃
ながら、なれないのでだまつてゐる。をぢさんの手＃
際に見とれながら、何時の間にか、よく聞かされた戰＃
爭談を思ひ浮かべる。＃
興安嶺［れい］おろしの吹きすさぶ或寒い日、不意に現れ＃
た三千餘りの敵と出合つたをぢさんの大隊は、五六＃
百の小勢でぶつつかつて行つた。ところが、突撃前＃
の大事な時になつて、運惡くをぢさんの輕機關銃が＃
＜Ｐ－０８９＞
急にきかなくなつた。しまつたと思つて、いきなり＃
「故障。」と叫ぶ。ちやうど其の時、隣にゐた分隊長が、「あ＃
つ。」と言つて倒れた。思はず「分隊長殿。」と近づくと、「お＃
れにかまふな。早く直して撃つんだ。」と言ふ。これが、＃
分隊長の最後の言葉だつた。をぢさんが負傷した＃
のは、其の時であつた。をぢさんは、たゞもう夢中で＃
故障を直した。「タ、タ、タ、タ、ヽヽヽヽ。」と快い音が鳴り出＃
した時の嬉しさ。すると、後の戰友がはひ寄つて、「早＃
くほうたいしろ。」と押しのけた。始めて氣がついた＃
をぢさんは、血まみれの軍服を切開いて、すぐ止血を＃
し、ほうたいをしたが、それつきりもう立てなかつた。＃
＜Ｐ－０９０＞
をぢさんは何時も話の終に、口ぐせのやうに言ふ。＃
「あの時、最後の突撃に參加することが出來なかつた＃
のが、くやしくてならぬ。」さうして、こゝまで來ると、＃
きまつたやうにをぢさんは涙ぐむのである。＃
突然入口で、「たゞ今。」といふ聲がした。正一君が歸＃
つたのである。やがて、其の元氣な姿が仕事場に現＃
れる。＃
「おとうさん。醤油屋のをぢさんが、よろしくとい＃
はれました。寒いから脚を大事になさい。さう＃
して、出來たらいくらでも作つて屆けて下さいつ＃
て。」＃
＜Ｐ－０９１＞
をぢさんは、にこ〳〵しながら言つた。＃
「さうか。ありがたいことだ。出來るだけ勉強し＃
て作らう。御苦勞だつたな。さつきから、三郎さ＃
んが來て待つてゐられたんだよ。」＃
それから一時間ばかり、僕たちは、何も忘れて愉快＃
にまり投をして遊んだ。　　＃
　（二）　　＃
半月程たつて、或日曜日、僕は朝早く運動に出かけ＃
た。招魂社の前へ來たので、石段を登つて參拜しよ＃
うとすると、神前で今恭しく拜んでゐる人がある。＃
近づきながらよく見ると、正一君親子であつた。＃
＜Ｐ－０９２＞
をぢさんは、何時までも頭を下げて拜んでゐる。＃
其の眞劒な樣子を、僕は立止つてじつと見つめてゐ＃
た。＃
やうやくお參りがすんだと見えて、二人はこつち＃
へやつて來る。僕は元氣よく、＃
「お早う。」＃
と言つた。をぢさんは、＃
「おゝ、三郎さんか。君、こんなに早くお參りとは感＃
心だね。」＃
「をぢさんこそ、脚がわるいのに大變ぢやありませ＃
んか。」＃
＜Ｐ－０９３＞
すると、をぢさんは、＃
「今日は、わたしの上官や戰友の命日なんだ。をぢ＃
さんは、不自由ながらもかうして生きてゐる。そ＃
れが、戰死した人や、遺族の人たちにはすまないや＃
うに思はれてね。おわびかた〴〵お參りをした＃
のだよ。」＃
と言ひながら、もう一度社殿の方を見＃
やつた。＃
見れば、をぢさんの胸には、軍人傷［しやう］痍［い］＃
記章が輝いてゐた。＃
ほまれの記章だと、僕は思つた。此の記章を附け＃
＜Ｐ－０９４＞
た人々に對しては、いくら感謝しても感謝しきれな＃
いのだと思つた。＃
僕もお參りをすまして、三人一しよに歸途につい＃
た。＃
石段を下りる時、正一君も僕も、をぢさんに寄りそ＃
つて助けようとすると、をぢさんは、＃
「ありがたう。ひとりで大丈夫だよ。今日はお參＃
りなので、皇后陛下から賜はつた義足をつけたが、＃
これで土を蹈むのは、ほんたうにもつたいない。＃
ありがたいことだ。ありがたいことだ。」＃
と、終はひとり言のやうに言つた。其の聲につり込＃
＜Ｐ－０９５＞
まれて、僕たちも、たゞありがたい感じで一ぱいにな＃
つた。　　＃
　第十五　　萬［まん］葉［えふ］集［しふ］　　＃
今を去る千二百年の昔、東國から徴集されて九州＃
方面の守備に向かつた兵士の一人が、　　＃
今日よりはかへりみなくて大君のしこの御［み］楯［たて］と＃
出立つわれは　　＃
といふ歌をよんでゐる。「今日以後は、一身一家をか＃
へりみることなく、天皇陛下の御楯となつて、いやし＃
い身ではあるが、出發するのである、自分は。」といふ意＃
＜Ｐ－０９６＞
味で、まことによく國民の本分、軍人の覺悟をあらは＃
した、りつぱな歌である。かういふ兵士や其の家族＃
たちの歌が、萬葉集に多く見えてゐる。＃
上は天皇の御製を始め奉り、當時の殆どあらゆる＃
階級の人々の作、約四千五百首を二十卷に收めたの＃
が萬葉集である。かく上下を問はず、國民一般が事＃
に觸れ物に感じて歌をよむといふのは、我が國民性＃
の特色といふべきである。＃
萬葉集中、最も古いと思はれる歌は、武門の家大伴＃
氏が上代から言傳へたものとして、大伴家［やか］持［もち］の長歌＃
の中によみ込まれた次のものである。　　＃
＜Ｐ－０９７＞
海行かば水［み］づくかばね、　　＃
山行かば草むすかばね、　　＃
大君の邊［へ］にこそ死なめ、　　＃
かへりみはせじ。　　＃
「海を進んだならば、水にひたるかばねとならばなれ、＃
山を進んだならば、草の生えるかばねとならばなれ、＃
大君のお側で死なう、かへりみはしない。」といつた意＃
味で、まことに雄々しい歌であり、忠勇の心の躍動し＃
た歌である。萬葉集には、かうした國民的感激に滿＃
ちあふれた歌が多い。＃
有名な歌人、柿［かきの］本［もとの］人［ひと］麿［まろ］や、山［やま］部［べの］赤人の作も、また萬葉＃
＜Ｐ－０９８＞
集によつて傳へられてゐる。　　＃
東［ひんがし］の野［ぬ］にかぎろひの立つ見えてかへりみすれば＃
月かたぶきぬ　　＃
人麿の歌である。文武天皇がまだ皇子であらせら＃
れた頃、大［やま］和［と］の安［あ］騎［き］野で狩をなさつた。人麿も御供＃
に加つた。野中の一夜は明けて、東には今あけぼの＃
の光が美しく輝き、ふりかへつて西を見れば殘月が＃
傾いてゐる。東西の美しさを一首の中によみ込ん＃
だ、まことに調子の高い歌である。人麿は、特に歌の＃
道にすぐれてゐたので、後世歌聖とたゝへられた。　　＃
和歌の浦に潮滿ち來れば潟［かた］をなみあしべをさし＃
＜Ｐ－０９９＞
てたづ鳴きわたる　　＃
紀［き］伊［いの］國へ行幸の御供をした時、赤人が作つた歌であ＃
る。「和歌の浦に潮が滿ちて來ると、干潟がなくなつ＃
て來るので、あしの生ひ茂つてゐる向かふの方をさ＃
して、つるが鳴きながら飛んで行くことよ。」といふ意＃
味で、ひた〳〵と寄せる潮の靜かな音、鳴きながら飛＃
んで行くつるの羽ばたきまでが聞かれるやうな感＃
じのする歌である。　　＃
をのこやも空しかるべき萬代に語りつぐべき名＃
は立てずして　　＃
山［やまの］上［うへの］憶［おく］良［ら］の作である。憶良は、遣［けん］唐［たう］使［し］に從つて支那＃
＜Ｐ－１００＞
へ渡つたこともあり、元來學者であるが、人間に對す＃
る愛の心に富み、其の方面で特色ある歌を多く殘し＃
てゐる。此の歌は、「いやしくも男子と生まれながら、＃
萬代に傳ふべき名も立てずして空しく死すべきで＃
あらうか。」といふのであつて、後人をして奮起せしめ＃
るものがある。　　＃
あをによし奈［な］良［ら］の都は咲く花のにほふが如く今＃
さかりなり　　＃
東大寺の大佛が出來、インドから高僧が渡海して來＃
た頃の華やかな奈良の都を、眼前に見るやうな氣が＃
する。小［を］野［ぬの］老［おゆ］の歌である。＃
＜Ｐ－１０１＞
萬葉集には短歌が多いが、後世の歌＃
集に比べて長歌の多いのが一つの特＃
色をなしてゐる。　　＃
大和には群［むら］山［やま］あれど、　　＃
とりよろふ天［あめ］の香具山、　　＃
登り立ち國見をすれば、　　＃
國原は煙立ち立つ、　　＃
海原はかまめ立ち立つ。　　＃
うまし國ぞ、　　＃
あきつ島大和の國は。　　＃
舒［じよ］明［めい］天皇の御製で、長歌としては短い＃
＜Ｐ－１０２＞
ものの一つである。「大和の國には、群がつた山々が＃
あるが、中でもそなはり整つた香具山に登つて眺め＃
ると、廣い平原には、民家のかまどの煙があちらこち＃
らに立上り、海のやうに廣い池には、かもめがあちら＃
こちらに飛立つてゐる。大和は、りつぱなよい國で＃
ある。」といふのであつて、美しい光景を眼前に見るや＃
うにお歌ひになつてゐる。＃
以上擧げた歌でも大體わかるやうに、萬葉集の歌＃
は、まことに雄大であり明朗である。それは、要する＃
に我が古代の人々が雄大明朗の氣性を持ち、極めて＃
純な感情に生きてゐたからである。「萬葉」とは「萬世」＃
＜Ｐ－１０３＞
の意で、萬世までも傳へようとした古人の心を、我々＃
は讀むことが出來る。さうして、かういふ遠い昔に、＃
古事記と共に此の萬葉集を持つてゐることは、我々＃
日本人の誇である。　　＃
　第十六　　奈［な］良［ら］　　＃
七代七十餘年の帝都として、咲く花のにほふが如＃
しとたゝへし奈良の都も、色移り香失せて年すでに＃
久し。然れども春［かす］日［が］の社は、朱［あけ］の廻［くわい］廊［らう］山の緑に映え＃
て、森嚴自ら人の襟［えり］を正さしめ、東大寺の金堂は天空＃
高く聳えて、五丈三尺の大佛、一千二百年の面影を殘＃
＜Ｐ－１０４＞
せり。興福寺は伽［が］藍［らん］半ばすたれたれど、なほ三重・五＃
重の塔、猿［さる］澤［さは］の池水に影をうつして南都の美觀たり。＃
社寺の壯麗はしばらくおき、何＃
の山、何の川、一木・一草に至るま＃
で、歴史あり古歌あり、人をして＃
低回去る能はざらしむ。＃
春は若草山の芝［しば］緑にもえた＃
ち、三月堂・二月堂かすみにつゝ＃
まれてさながら夢の如く、秋は＃
春日の社神さび、手［た］向［むけ］山［やま］の紅葉＃
夕日に映ゆる樣殊に見どころ＃
＜Ｐ－１０５＞
あり。人なつかしげに寄り來る＃
鹿の、春はわけてもやさしく、秋よ＃
り冬にかけて哀音しきりに人の＃
眠をさますも、奈良には缺くべか＃
らざる風情なるべし。＃
佐保・佐紀の連岡に北を限り、春＃
日・高［たか］圓［まど］の山々を東に、矢田山・生［い］駒［こま］＃
山を西にひかへて、東西四十町、南＃
北四十五町、街路井然として、北に大［だい］内［だい］裏［り］の宮殿を仰＃
ぎ、朱［す］雀［ざく］の大路南に走りて、南端に羅［ら］城［じやう］門をふまへた＃
る古の奈良の都は、如何に美しく、如何に盛なりしぞ。＃
＜Ｐ－１０６＞
今、若草山に登りて古京の＃
跡を展望すれば、眼下に横＃
たはる奈良市街の西、遠く＃
連なる田園の間に東西に＃
走る三筋の路は、北より數＃
へて古の一條・二條・三條の＃
大路の名殘とす。大極殿＃
の跡はるかに指點すべく、＃
南の方郡［こほり］山［やま］の町の東に、羅＃
城門の跡今も殘れりといふ。そのかみ、大宮人の梅＃
をかざし紅葉をかざして往來しけん都大路、今にし＃
＜Ｐ－１０７＞
て思へばたゞ一場の夢に過ぎず。＃
更に首を回らして南を望めば、大［やま］和［と］平野の盡くる＃
所、はるかに畝［うね］傍［び］山・耳［みゝ］成［なし］山・香久山の三山まゆずみの＃
如く、其の南に、一きは高く多［た］武［ふの］峯［みね］・吉野の山々連なる＃
を見る。愛すべく美しき山野は、太古以來の歴史と＃
結び文學と結びて、感いよ〳〵深し。　　＃
　第十七　　修行者と羅［ら］刹［せつ］　　＃
「色はにほへど散りぬるを、　　＃
我が世たれぞ常ならむ。」　　＃
どこからか聞えて來る尊い言葉。美しい聲。＃
＜Ｐ－１０８＞
所は雪［せつ］山［せん］の山の中である。長い間の難行苦行に、＃
身も心も疲れきつた一人の修行者が、ふと此の言葉＃
に耳を傾けた。＃
言知れぬ喜びが、彼の胸に湧上つて來た。病人が＃
良藥を得、渇者が清冷な水を得たのにも増して大き＃
な喜びであつた。＃
「今のは佛の御聲でなかつたらうか。」＃
と、彼は考へた。しかし、「花は咲いても忽ち散り、人は＃
生まれてもやがて死ぬ。無常は生ある者のまぬか＃
れない運命である。」といふ意味の今の言葉だけでは、＃
まだ十分でない。若しあれが佛の御言葉であれば、＃
＜Ｐ－１０９＞
其の後に何か續く言葉がなくてはならない。彼に＃
は、さういふ風に思はれて來た。＃
修行者は、座を立つてあたりを見廻したが、佛の御＃
姿も人影もない。たゞ、ふとそば近く、恐しい惡［あく］魔［ま］の＃
姿をした羅刹のゐるのに氣がついた。＃
「此の羅刹の聲であつたらうか。」＃
さう思ひながら、修行者は、じつと其の物すごい形相＃
を見つめた。＃
「まさか、此の無知じやけんな羅刹の言葉とは思へ＃
ない。」＃
と、一度は否定してみたが、＃
＜Ｐ－１１０＞
「いや〳〵、彼とても、昔の御佛に教を聞かなかつた＃
とは限らない。よし、相手は羅刹にもせよ、惡魔に＃
もせよ、佛の御言葉とあれば聞かねばならぬ。」＃
修行者はかう考へて、靜かに羅刹に問ひかけた。＃
「一體、お前は誰に今の言葉を教へられたのか。思＃
ふに佛の御言葉であらう。それも前半分で、まだ＃
後の半分があるに違ひない。前半分を聞いてさ＃
へ私は喜びにたへないが、どうか殘りを聞かせて、＃
私に悟を開かせてくれ。」＃
すると、羅刹はとぼけたやうに、＃
「わしは、何も知りませんよ、行者さん。わしは腹が＃
＜Ｐ－１１１＞
へつてをります。あんまりへつたので、つい、うは＃
言が出たかも知れないが、わしには何も覺えがな＃
いのです。」＃
と答へた。＃
修行者は、一そうけんそんな心で言つた。＃
「私はお前の弟子にならう。終生の弟子にならう。＃
どうか殘りを教へて頂きたい。」＃
羅刹は首を振つた。＃
「だめだ、行者さん。お前は自分のことばつかり考＃
へて、人の腹のへつてゐることを考へてくれない。」＃
「一體、お前は何をたべるのか。」＃
＜Ｐ－１１２＞
「びつくりしちやいけませんよ。わしのたべ物と＃
いふのはね、行者さん、人間の生肉、それからのみ物＃
といふのが人間の生き血さ。」＃
と言ふそばから、さも食ひしんばうらしく、羅刹は舌＃
なめずりをした。＃
しかし、修行者は少しも驚かなかつた。＃
「よろしい。あの言葉の殘りを聞かう。さうした＃
ら、私の體をお前にやつてもよい。」＃
「えつ。たつた二文句ですよ。二文句と、行者さん＃
の體と取りかへてもよいといふのですかい。」＃
修行者は、どこまでも眞劒であつた。＃
＜Ｐ－１１３＞
「どうせ死ぬべき此の體を捨てて、永久の命を得よ＃
うといふのだ。何で此の身が惜しからう。」＃
かう言ひながら、彼は其の身に着けてゐる鹿の皮を＃
取つて、それを地上に敷いた。＃
「さあ、これへおすわり下さい。謹んで佛の御言葉＃
を承りませう。」＃
羅刹は座に着いて、おもむろに口を開いた。あの＃
恐しい形相から、どうしてこんな聲が出るかと思は＃
れる程美しい聲である。　　＃
「有［う］爲［ゐ］の奧山今日越えて、　　＃
淺き夢見じ、醉ひもせず。」　　＃
＜Ｐ－１１４＞
と歌ふやうに言終ると、＃
「たつたこれだけですがね、行者さん。でも、お約束＃
だから、そろ〳〵ごちそうになりませうかな。」＃
と言つて、ぎよろりと目を光らせた。＃
修行者は、うつとりとして此の言葉を聞き、それを＃
くりかへし口に唱へた。すると、＃
「生死を超［てう］越［ゑつ］してしまへば、もう淺はかな夢も迷も＃
ない。そこにほんたうの悟の境地がある。」＃
といふ深い意味が、彼にはつきりと浮かんだ。心は＃
喜びで一ぱいになつた。＃
此の喜びをあまねく世に分つて、人間を救はねば＃
＜Ｐ－１１５＞
ならぬと、彼は氣づいた。彼は、あたりの石といはず、＃
木の幹といはず、今の言葉を書きつけた。　　＃
色はにほへど散りぬるを、　　＃
我が世たれぞ常ならむ。　　＃
有爲の奧山今日越えて、　　＃
淺き夢見じ、醉ひもせず。　　＃
書終ると、彼は手近にある木に登つた。其のてつ＃
ぺんから身を投じて、今や羅刹の餌食にならうとい＃
ふのである。＃
木は枝や葉を震はせながら、修行者の心に感動す＃
るかのやうに見えた。修行者は、＃
＜Ｐ－１１６＞
「一言半句の教のため＃
に、此の身を捨てる我＃
を見よ。」＃
と高らかに言つて、ひら＃
りと樹上から飛んだ。＃
とたんに妙なる樂の音が起つて、朗かに天上に響＃
き渡つた。と見れば、あの恐しい羅刹は、忽ち端［たん］嚴［ごん］な＃
帝［たい］釋［しやく］天［てん］の姿となつて、修行＃
者を空中に捧げ、さうして＃
恭しく地上に安置した。＃
諸〻の尊者、多くの天人た＃
＜Ｐ－１１７＞
ちが現れて、修行者の足下にひれ伏しながら、心から＃
禮拜した。＃
此の修行者こそ、たゞ一すぢに道を求めて止まな＃
かつたありし日のお釋［しや］迦［か］樣であつた。　　＃
　第十八　　歐［おう］洲［しう］めぐり　　＃
　ロンドン　　＃
街路が曲りくねつてゐる。網の目のやうに入り＃
くんでゐる。其の間を、がつしりした二階附の乘合＃
自動車が、押すな押すなでつめかける。狹い歩道は＃
人もあふれさう。ロンドンの心［しん］臟［ざう］といふシチーの＃
＜Ｐ－１１８＞
街上は、全く目まぐるしい程だ。＃
中でも、市長公邸と、取引所と、イギ＃
リス銀行とが取圍む廣場は、ロン＃
ドン第一の交通の難所であらう。＃
此の廣場を中心として、すこぶる＃
不規則に射出する七つの街路を、＃
人の波、車の波が刻々と押寄せる。＃
車は如何にして此の群衆を切拔＃
けて進むかを氣づかひ、人は又、如何にして此のおび＃
たゞしい車の流を横ぎるかを考へねばならぬ。全＃
く息づまるやうな光景である。それでゐて、交通整＃
＜Ｐ－１１９＞
理がうまく行くのに、つくづ＃
くと感心させられる。＃
ロンドンには、大英博物館＃
を始め、大きな博物館や美術＃
館があつて、其の一つの見物＃
にさへ一日や二日はかゝり、＃
殆ど足が棒になるのを感ず＃
る。しかし、其の豐富な歴史＃
的遺物・世界的名作・標本・模［も］型［けい］＃
等の陳列によつて、我々は世＃
界の歴史、イギリスの歴史、ロ＃
＜Ｐ－１２０＞
ンドンの歴史、歐洲の繪［くわい］畫［ぐわ］史、イギリスの繪畫史など＃
を、さながらに知ることが出來るのである。＃
テームス河のほとりに堂々たる國會議事堂があ＃
り、其の近くにウェストミンスター寺院がある。建＃
物の偉觀は前者にあらうが、歴史ゆかしいのは後者＃
である。そこには、イギ＃
リスが生んだ光榮ある＃
政治家・學者・詩人・文學者・＃
發明家等の墓が一歩一＃
歩に存在し、彼等を記念＃
する美術的な彫像が壁＃
＜Ｐ－１２１＞
面に沿うて並んでゐる。＃
町といふ町は、雜［ざつ］沓［たふ］してゐるが、しかしロンドンに＃
は大小の公園が多く、至る所に田園的な自然をくり＃
ひろげてゐる。方數粁の大公園にはいると、我々は＃
無限の自然の中をさまよふ氣がする。芝［しば］生［ふ］を傳ひ＃
木の下道を傳ひ、池のほとりをたどりながら、數時間＃
歩いても公園の端を見ないことがある。さうして、＃
これだけの數と、これだけの廣さがあればこそ、よし＃
日曜日の午後であつても、公園はいう〳〵たる自然＃
の趣を失はぬ。大公園の奧へはいると、人影を見な＃
い自然郷をさへ探し出すことが出來るのである。　　＃
＜Ｐ－１２２＞
　パリー　　＃
パリーに來て嬉しいのは、＃
すつきりした街路である。＃
此の街路を、數層の優美な高［かう］＃
樓［ろう］が、すべて白色のよそほひ＃
を以て飾つてゐる。自動車＃
で走ると、幾千・幾萬とも知ら＃
ぬ美しい窓が、我々の心をそ＃
そる。時々大通は、川じりが＃
三角洲をはさんで分れるや＃
うに、鋭角に分岐し、其の分岐＃
＜Ｐ－１２３＞
點に立つ高樓が一きは優麗に仰がれる。又、並木の＃
美しい大通を眞直に走ると、其の一端に噴［ふん］水［すゐ］や花壇＃
のある廣場があり、廣場を中心にして大通が五方・六＃
方へ放射する。＃
なかんづくコンコルドの廣場から、シャンゼリゼ＃
ーの大通を過ぎて、ナポレオンの凱［がい］旋［せん］門に至る美觀＃
は、何といつても世界一の名に恥ぢない。此の凱旋＃
門を中心に、十二方へ射出する街路を、氣早なパリー＃
子を乘せた幾十臺・幾百臺の自動車が、後から後から＃
疾驅する。十二方から凱旋門の廣場に集つて、十二＃
方に散つて行くのが、花に飛びちがふ蜜［みつ］蜂［ばち］の群を思＃
＜Ｐ－１２４＞
はせる。見るからに、胸がすくやうな氣がする。＃
都市の美觀を誇るパリーは、又藝［げい］術［じゆつ］の都として知＃
られてゐる。昔の王宮であつ＃
たルーブルは、今博物館と美術＃
館になつてゐるが、其の美術館＃
をごくざつと見るにさへ、少く＃
とも二日や三日はかゝらう。＃
フランスはもとより、歐洲繪畫＃
の名作が室から室へぎつしり＃
と並んでゐる。此の外、ルクサ＃
ンブール美術館にも美術の粹＃
＜Ｐ－１２５＞
が見られる。春は有名な美術展覽會が開かれ、冬の＃
夜は歌［か］劇［げき］劇場の窓が紅紫の電燈ににほつて、都人の＃
心をそゝる。あらゆる流行のさきがけをするのも、＃
またパリーだといはれてゐる。　　＃
　イタリヤをめぐりて　　＃
イタリヤを旅行してゐると、どこか日本に似たと＃
ころがある。山・川・海・平原が適當に入りまじつて、至＃
る所に日本的な風景を點出する。特に空と海とが＃
朗かである。＃
其の上、京都・奈［な］良［ら］をしのぶやうな古都が多く、それ＃
らがすべて古美術を以て滿たされてゐる。ミラン＃
＜Ｐ－１２６＞
の大寺院の屋上に、白大理石＃
の尖［せん］塔［たふ］九十八本を仰ぎ見る＃
すばらしさ。ゼノアにはコ＃
ロンブスの家がある。ロー＃
マには世界第一の大伽［が］藍［らん］と＃
いふセントピーター寺院や、＃
ローマ法王のバチカン宮殿＃
があり、昔のローマの遺跡が＃
ある。好風景を以てたゝへ＃
られるナポリは、我が鹿［か］兒［ご］島［しま］市の景色に似通つたと＃
ころさへあつた。＃
＜Ｐ－１２７＞
だが、今のイタリヤは新興の意＃
氣にもえてゐる。ミラン・ローマ・＃
ナポリは、古都としてよりも、現代＃
都市として最近の活動にめざま＃
しいものがある。ロンバルヂヤ＃
平原には、もう農村疲弊の聲がな＃
いといふ。主な停車場には、黒シ＃
ャツの青年が見はりをして、旅人＃
の安全をはかつてゐる。由來名＃
所には、すりや乞［こ］食［じき］が多い。イタ＃
リヤもかつては其の例にもれな＃
＜Ｐ－１２８＞
かつたが、今は殆ど其の跡を絶つてしまつた。國民＃
すべてが緊［きん］張［ちやう］したのである。＃
フローレンスにイタリヤの古美術をたづねてか＃
ら、ベニスへ向かはうとする汽車中のことであつた。＃
もう餘程目的地へ近くなつた頃、或驛で停車すると、＃
どや〳〵と此の國の青年が四五人はいつて來て、私＃
のそばに腰をかけた。しきりに「ジャポネーゼ、ジャ＃
ポネーゼ。」とさゝやくのが聞える。イタリヤ語を知＃
らぬ私にも、それが「日本人」といふ意味だと見當はつ＃
く。すると、一人の青年が私の前に立つて、＃
「あなたは日本の方ですか。」＃
＜Ｐ－１２９＞
と、はつきり日本語で言つた。今、各國で日本語の研＃
究が盛であることは聞いてゐたが、ヨーロッパに來＃
て、外國人に日本語で話しかけられたのはこれが始＃
めてである。＃
「さうです。」＃
「私は、日本語を二年程勉強してゐます。」＃
かなり正しい發音である。他の青年たちは、にこに＃
こしながら、半ば不思議さうに、私とかの青年の顏を＃
見くらべてゐた。＃
彼はなほ、「私が日本語を勉強してゐるものだから、＃
友人たちが、此の日本人と話をして見よと言つたの＃
＜Ｐ－１３０＞
です。」といふやうな意味のことを述べた。かう込入＃
つたことになると、言葉はしどろもどろである。し＃
かし、私は何とも言へぬ嬉しさを感じて、彼の手を握＃
つた。＃
「あなたは、日本語が上手です。もつと勉強なさい。＃
さうして、あなたの友人にも、日本語を教へておあ＃
げなさい。」＃
青年も、嬉しさうににこ〳〵笑つてゐた。＃
窓外には、何時の間にかベニスが近づいてゐた。＃
今渡りつゝある長橋によつてのみ、ベニスは陸と續＃
いてゐる。さうして、彼方には、おとぎ話の國の都を＃
＜Ｐ－１３１＞
思はせるやうな圓屋根や尖塔の聳える水の都が浮＃
かんで見えるのであつた。　　＃
　ベルリン　　＃
新興の意氣は、ベルリンに來て更にすばらしいも＃
のがあるのを見た。＃
道行く人は、男も女も緊張＃
し切つてゐる。きちんとし＃
た服裝が先づそれを物語る。＃
胸を張り、元氣よく歩く彼等＃
の姿勢がそれを物語る。＃
かぎ十字の腕章を附け、如＃
＜Ｐ－１３２＞
何にもきりつとした揃ひの服裝で、ヒトラー青少年＃
團がねり歩く。＃
街路はきれいに洗ひ清められ、殆ど紙くづ一つ落＃
ちてゐない。美の都市パリーでさへ、時に散らばつ＃
た紙くづを見たが、ドイツ人はどこまでもきれい好＃
きである。＃
國際飛行の中心都市として、ベルリンには三分毎＃
に旅客機が發着する。更にベルリンを中心に、國内＃
に四通八達の自動車道路が開かれ、自動車がすばら＃
しい勢で疾走する。＃
市内に住む家族たちは、日曜日に多く郊外に出か＃
＜Ｐ－１３３＞
ける。もちろん散歩を目的と＃
する者もあるが、彼等の中には、＃
郊外に幾らかの耕地を持ち、父＃
も、母も、子供たちも、一日それを＃
耕すことを樂しみとしてゐる＃
のが多い。近來はそれだけで＃
滿足せず、住宅を郊外の森林地＃
帶などに營むことが流行して＃
來た。近代科學を家庭生活に＃
應用することに力める彼等が、一面には大地を慕ひ、＃
森林を慕つて止まぬのである。＃
＜Ｐ－１３４＞
かうしたドイツ人が、我々日本人には、しば〳〵好＃
意を見せてくれる。＃
或夜、私は町のとある食堂にはいつた。席は殆ど＃
滿員である。すると、向かふの食［しよく］卓［たく］にすわつてゐた＃
夫婦の客が、手をあげて私をさし招いた。其の食卓＃
に空席があつたのである。私は、心から「ありがたう。」＃
と言ひながら席についた。＃
折から、快い音樂が堂内に流れてゐる。私は、運ば＃
れて來た食事を取りながら、聞くともなしに聞入つ＃
てゐた。＃
しばらくして奏樂がやんだ。すると、樂長がつか＃
＜Ｐ－１３５＞
つかと私のそばへ來た。さうして、＃
「あなたのために、日本の曲をやりませう。」＃
とあいさつした。私は、胸がときめくのを覺えた。＃
さうして、何の曲をやるのかと、ひたすら心に待ちか＃
まへた。＃
やがて曲は始つた。靜かな旋［せん］律［りつ］である。＃
「荒城の月」が、滿堂を壓してゆるやかに流れ始めた＃
のであつた。　　＃
　第十九　　リヤ王　　＃
　（一）　　＃
＜Ｐ－１３６＞
リヤ王は、三人の娘、娘のむこ、重臣などを面前に呼んで＃
言渡す。　　＃
リヤ王「予も大分高齡になつたによつて、以來めんだ＃
うな政治の事は若い者たちに任せ、身輕になつて＃
老後を送りたいと思ふ。そこで、今日は、我が王國＃
を三分して、三人の娘たちに與へることとする。＃
（臣下に）地圖を持て。＃
さて、娘ども。そなたたちの中で、誰が一番此のわ＃
しを大事に思つてくれるか、それを、そなたたちの＃
口から聞きたい。其の上で、一番孝行の心ある者＃
に、最大の恩惠を與へるであらう。先づ、姉のゴナ＃
＜Ｐ－１３７＞
リルから申せ。　　＃
ゴナリル「父上、私は口で申すことの出來ます以上に、父＃
上を尊敬も致し、おいとしくも思ひます。此の世＃
の中にある何よりも、どんな尊い寶よりも、いや、私＃
自身の命よりも、父上を大切と存じます。此の世＃
に生まれたどんな孝行の子にもまして、眞心を父＃
上に捧げます。　　＃
リヤ王「うむ。（地圖を指して）では、此の線から此の線＃
までを、そなたに與へる。茂つた森林、豐かな平野、＃
魚に富む川、廣い牧場のある此の境域の領主と、そ＃
なたをするのだ。さて、二番娘のリガンは。　　＃
＜Ｐ－１３８＞
リガン「私の心持は、姉上と全く同じでございます。＃
姉上は、私の思つてゐる通りをおつしやいました。＃
たゞほんの少しおつしや＃
り足らぬところが違ひま＃
すだけで。私は、あらゆる＃
幸福、一切の樂しみを犧［ぎ］牲［せい］＃
にしましても、父上お一人＃
にお仕へ申すのを仕合は＃
せと存じます。　　＃
リヤ王「では、これがそなたの＃
領地ぢや。廣さにおいて＃
＜Ｐ－１３９＞
も、値うちにおいても、決して姉のに劣りはせぬぞ。＃
さあ、いとしい末のコーデリヤは何とだ。　　＃
コーデリヤ「（あゝ、何と申し上げたものか。口先だけで＃
實行の伴なはない事は、私には申し上げられない。）＃
父上、私にはなんにも申し上げることがございま＃
せぬ。　　＃
リヤ王「なんにも。　　＃
コーデリヤ「はい。　　＃
リヤ王「なんにもない所からは、なんにも生まれぬぞ。＃
改めて申せ。　　＃
コーデリヤ「私は、此の心にあることを口に出して言へ＃
＜Ｐ－１４０＞
ないのでございます。私は、あなたを父上として＃
大切に致すつもりでございます。　　＃
リヤ王「コーデリヤ、言方をつくろはぬと、身のために＃
ならぬぞ。　　＃
コーデリヤ「父上のお言附を守ります。子としての勤＃
も致します。　　＃
リヤ王「あいきやうのない言葉ぢや。たつたそれだ＃
けか。　　＃
コーデリヤ「………　　＃
リヤ王「それは本心で言ふのか。　　＃
コーデリヤ「はい。眞實でございます。眞實より外に、＃
＜Ｐ－１４１＞
私は何もございませぬ。　　＃
リヤ王「勝手にしろ。其の眞實だけを持參金にして、＃
どこへでも嫁入るがよい。殘りの三分の一は、改＃
めて長女と次女とにわけ與へる。　　＃
重臣「あ、もうし、それはあんまりではございませぬか。　　＃
リヤ王「弓は引きしぼつてある。矢先を避けろ。　　＃
重臣「私は謹んで申し上げます。末姫［ひめ］樣は、決して御＃
不孝なお方ではございませぬ。若し私の此の判＃
斷があやまつてをりますなら、どうぞ私の首をお＃
召し下さいませ。　　＃
リヤ王「いや、くどい、くどい。もう言ふな。さて、かう＃
＜Ｐ－１４２＞
領地を二分して二人の娘に與へるからには、予は＃
今後百人だけの家來をつれ、月代りに姉娘・妹娘の＃
許へ參つて、餘生を送ることにする。（フランス王に）＃
大王、末娘とのかねての婚［こん］約［やく］、あなたはそれをお果＃
しになるおつもりか。御覽の通り、一切持參金な＃
しの乞［こ］食［じき］同然、如何やうになされようと、あなた次＃
第でござるが――。　＃
フランス王「私は持參金と婚約は致しませぬ。コーデ＃
リヤどのの尊い眞實を寶に、どこまでも后と致し＃
ます。　　＃
リヤ王「よいやうになされ。娘は勘［かん］當［だう］でござるぞ。　＃
＜Ｐ－１４３＞
フランス王「承知致しました。　　＃
　（二）　　＃
リヤ王、家來たちと狩から歸る。ゴナリルの召使に、　　＃
リヤ王「少しも待てぬ。早速食事の支度をしろと言＃
へ。いや、もうすつかり疲れた。食事だ、食事だ。　　＃
ゴナリル、むづかしさうな顏をして出て來る。　　＃
どうしたのだ、娘。なぜ額に八の字を作つてゐる。＃
近頃は、むづかしい顏ばかり見せるなう。　　＃
ゴナリル「どうも、無作法千萬なお附の家來たちが、しよ＃
つちゆうのゝしり合つて、私の宅はまるではたご＃
屋同然でございます。それも、きつと父上に取り＃
＜Ｐ－１４４＞
しまつて頂かうと存じますのに、どうやら父上が＃
しり押をなすつていらつしやるやうに思はれて＃
なりませぬ。若しさうと致しますと、家のため國＃
のため、私が取りしまりをすることになりまして、＃
自然父上のごきげんを損ねるやうなことになる＃
かと存じます。　　＃
リヤ王「それで、お前さんはわしの娘か。　　＃
ゴナリル「もし、そんな皮肉はごめんをかうむります。＃
父上は御高齢でいらつしやるから、御賢明でなく＃
てはなりませぬ。父上、さつきも申しました通り、＃
毎朝毎晩、お附の百人の大騷ぎ、これには私もほと＃
＜Ｐ－１４５＞
ほと閉口致します。今日限り五十人にへらすこ＃
とに、御同意を願ひます。　　＃
リヤ王「おのれ、よくも申したな。予の馬に鞍［くら］を置け。＃
家來ども、集れ。道知らずの恩知らずめ。もう厄＃
介にならぬわい。わしには、まだもう一人の娘が＃
ある。あゝ、あゝ、後悔先に立たず、飼犬に手をかま＃
れた方がまだましぢや。　　＃
ゴナリル「どうなりともお好きなやうになさいませ。　　＃
　（三）　　＃
リガンの家の門前で、召使に、　　＃
リヤ王「なに、御病氣でお目にかゝれぬと。病氣なら、＃
＜Ｐ－１４６＞
父が病床へお見舞申すと言へ。　　＃
リガン出て來る。　　＃
おゝ、來た。さうあるべきぢや。娘よ、姉めはひど＃
い女ぢやぞ。不孝者の爪で、わしの心をかきむし＃
りをつた。　　＃
リガン「父上、あなたには、姉上の眞心がよくおわかり＃
にならないのだと存じます。　　＃
リヤ王「なんと。　　＃
リガン「私には、姉上が少しでもお勤をお怠りになら＃
うとは思はれませぬ。あなたのお附の者の亂暴＃
に對して、或はお小言が出たかも知れませぬが。　　＃
＜Ｐ－１４７＞
リヤ王「わしの家來を五十人にへらしをつた。　　＃
リガン「五十人で結構ぢやございませぬか。おとな＃
しく、姉上の所へお歸りあそばせ。　　＃
リヤ王「いや歸らぬ。決して歸らぬ。今日から、そな＃
たの所で世話にならう。　　＃
リガン「私の所では、五十人の半分の二十五人にして＃
頂きたうございます。それに、姉上の所へいらつ＃
しやつてからやつと二週間、私の方には、まだお迎＃
へ申す準備がしてございませぬ。　　＃
リヤ王「これや、不孝者のうは手ぢや。おゝ、神々も御＃
照覽あれ。年も積り、悲しみも積つて、見るかげも＃
＜Ｐ－１４８＞
なくなつた此の老いの果を。おのれ、不孝者め。＃
今に世界中がひつくり返らないでゐるものか。　　＃
外は次第に暴風、雷雨。　　＃
出て行かう。あらしだ。あらしよ、吹け。雨よ、瀧＃
つ瀬と降れ。雷よ、天地をつんざけ。　　＃
　（四）　　＃
リヤ王が姉たちにぎやく待されてゐることを探知し＃
たコーデリヤは、フランス王に從ひ、老父王のために軍＃
勢を率ゐて英國に渡つた。ひどいあらしの翌朝、發狂＃
した老人が荒野にさまよつてゐるのをフランス兵が＃
發見して陣所に伴なひ、侍［じ］醫［い］が手を盡くして介抱する。＃
それがリヤ王であつた。　　＃
＜Ｐ－１４９＞
侍醫「いかが致しませう。お起し申しませうか。も＃
う大分長くお休みになつてをります。　　＃
コーデリヤ「萬事おためによいやうに取りはからつて＃
おくれ。　　＃
王に近寄つて、寢顏を眺め、　　＃
おゝ、おとう樣。私の力、侍醫の力、ありとあらゆる＃
藥物の力で、姉上たちからお受けになつたお心の＃
痛みが、すつかり取れますやうに。たとへ、あなた＃
がおとう樣でないにもせよ、此の白い髮やおひげ＃
を見ては、お氣の毒だと思はねばならないはずだ＃
のに。まあ、此のお顏を荒狂ふあのあらしにおさ＃
＜Ｐ－１５０＞
らしになつたとは。あのはためく雷に、すさまじ＃
い雨に。　　＃
リヤ王、目を開く。　　＃
リヤ王「墓場から、わしを連出す＃
とはあんまりぢや。はて、あ＃
なたは、天人ぢやな。　　＃
コーデリヤ「私を御存じございま＃
せぬか。　　＃
リヤ王「かうつと。わしは、今ま＃
でどこにゐたのかな。こゝ＃
はどこぢや。や、日がさす。＃
＜Ｐ－１５１＞
手をつねると痛い。　　＃
コーデリヤ「私を、ようく御覽下さいませ。　　＃
リヤ王「どうか、なぶつて下さるな。わしは、ばかな、た＃
はけた老人でござる。はて、お前さんは、どうやら＃
見覺えのある方のやうだが、はつきりせぬ。笑つ＃
て下さるな、どうもわしの末娘コーデリヤのやう＃
に思へてならぬ。　　＃
コーデリヤ「其のコーデリヤでございます。コーデリ＃
ヤでございます。　　＃
リヤ王「涙を流して泣いて下さるのか。おゝ涙ぢや。＃
お前さんは、わしをうらんでゐるはずだが。　　＃
＜Ｐ－１５２＞
コーデリヤ「なんでうらむわけがございませう。なん＃
でうらむわけがございませう。　　＃
リヤ王「わしはフランスへ來てゐるのか。　　＃
侍醫「いや、御本國にいらせられます。　　＃
リヤ王「えい、だますな。　　＃
コーデリヤ「まだお心の亂れがお直りになつてゐない。　　＃
と歎息する。　　＃
侍醫「其の點はお心強く思し召しあそばしませ。激＃
しい御亂心は、もうをさまりました。お后樣には、＃
奧へいらつしやつて、しばらくお會ひにならぬ方＃
がよろしうございます。こゝ二三日で、きつと御＃
＜Ｐ－１５３＞
本復になりますから。　　＃
　第二十　　裁判　　＃
貸した金を返せと言つて、甲がさいそくする。そ＃
れに對して、借りた覺えはないとか、もう返したはず＃
だとか、乙が主張する。かういふ法律上の爭があつ＃
た場合に、裁判所は、甲即ち原告の訴［うつたへ］を受附け、乙即ち＃
被［ひ］告をも呼出して、兩方の言分を聞いたり、證人や證＃
據の書附を調べたりした上で、どちらの主張が正し＃
いかを判斷し、金を返せとか、返金を請求するわけに＃
は行かないとか、言渡す。此のやうに、人々相互の訴［そ］＃
＜Ｐ－１５４＞
訟［しよう］をさばくのが民事裁判である。＃
又、例へば甲の持つてゐる家が燒けたとする。さ＃
うして、それがどうも放火らしく思はれ、乙が其の犯＃
人ではなからうかといふ疑のある場合に、公益を代＃
表する役人たる檢［けん］事［じ］が裁判所に訴を起し、裁判所は、＃
檢事の主張と、被告人たる乙の辯解とを聞き、證人其＃
の他の證據を取調べた上で、或は有罪の判決を下し＃
て刑を言渡し、或は無罪の判決をする。かういふの＃
が刑事裁判である。＃
裁判は、要するに國法の規定を實際問題に當ては＃
めることである。例へば、民法に「故意又ハ過失ニ因［ヨ］＃
＜Ｐ－１５５＞
リテ他人ノ權［ケン］利［リ］ヲ侵［シン］害［ガイ］シタル者ハ、之［コレ］ニ因リ生ジタ＃
ル損害ヲ賠［バイ］償［シヤウ］スル責［セメ］ニ任ズ。」と規定してあるが、實際＃
の事件に當つては、ほんたうにさうした不法行爲が＃
あつたかどうか、若しあつたとすれば、どのくらゐの＃
損害賠償をさせるのが適當であるかを判斷せねば＃
ならぬ。又、例へば刑法に「人ヲ殺シタル者ハ、死刑又＃
ハ無期若［モシ］クハ三年以上ノ懲［チヨウ］役［エキ］ニ處ス。」といふ規定が＃
あるが、今問題になつてゐる人が、ほんたうに殺人事＃
件の犯人であるかどうか、ほんたうに犯人であると＃
したら、どの程度の刑を當てるのが適當であるかを＃
決定せねばならぬ。其の判斷決定が裁判であつて、＃
＜Ｐ－１５６＞
國法の趣旨は、これによつて＃
實現されるのである。＃
裁判は、裁判所で判事が行＃
ふ。裁判所には、區裁判所・地＃
方裁判所・控［こう］訴［そ］院・大［だい］審［しん］院の四＃
階級があつて、區裁判所は一＃
人の判事、地方裁判所・控訴院＃
はそれ〴〵三人の判事、大審＃
院は五人の判事で組織される。裁判は、事件の輕重＃
によつて、最初區裁判所又は地方裁判所で行はれる＃
が、此の第一審の裁判に不服な者は、地方裁判所又は＃
＜Ｐ－１５７＞
控訴院に控訴し、其の裁判になほ不服な者は、もう一＃
度大審院に上告することが出來る。かういふふう＃
に、二回まで上訴し得るやうになつてゐるのは、つま＃
り裁判を念入りにするためである。さうして、刑事＃
裁判では、檢事が立會ひ、又人民中から選定された十＃
二人の陪［ばい］審［しん］員が、事實の判斷にあづかる場合がある。＃
又、辯護士といふものがあつて、民事裁判では、原告・被＃
告の附［つき］添［そひ］人又は代理人として其の主張を助け、刑事＃
裁判では、被告人のために辯論する。＃
裁判について誰でも心得ておくべきことは、民事＃
裁判では、裁判できめられたことに服從することで＃
＜Ｐ－１５８＞
あり、刑事裁判では、有罪の判決が確定する前に、みだ＃
りに人を犯罪者扱ひにせぬことである。又、陪審員＃
になつた場合には、それを國民の義務として忠實に＃
勤めること、證人として法廷に出た場合には、良心に＃
從つて眞實を述べることなどは非常に大切なこと＃
である。＃
裁判の目的は、決して人を爭はせたり、人を罰した＃
りすることではない。此の世を不道理や罪惡の行＃
はれない、平和な秩［ちつ］序［じよ］正しいものにすることが其の＃
目的である。若し裁判がなかつたとしたら、人々相＃
互の爭が果しなく行はれて、力の強い者が勝ち、わる＃
＜Ｐ－１５９＞
がしこい者がまぬかれることになるであらう。若＃
し又、裁判が公平に行はれぬとしたら、せつかくの國＃
法も價値を失ひ、我々は安心して生活することが出＃
來ないであらう。裁判は實に、正義を保護し、秩序を＃
維持するための大事な仕事だといはねばならぬ。　　＃
　第二十一　　雪殘る頂　　＃
子［し］規［き］　　＃
雪殘る頂一つ國ざかひ　　＃
菜の花や小學校のひるげ時　　＃
柿くへば鐘が鳴るなり法［ほふ］隆［りゆう］寺　　＃
＜Ｐ－１６０＞
犬が來て水のむ音の夜寒かな　　＃
鳴［めい］雪［せつ］　　＃
夕月や納［な］屋［や］もうまやも梅の影　　＃
矢車に朝風強きのぼりかな　　＃
夏山の大木倒すこだまかな　　＃
　第二十二　　太陽　　＃
私たち人類にとつて、否、すべての生物にとつて、太＃
陽ほどありがたいものがあるだらうか。＃
太陽は、私たちに絶えず熱と光とを送つてよこす。＃
地上のあらゆる生物は、此の熱、此の光のおかげに生＃
＜Ｐ－１６１＞
きてゐるのである。月は死の世界であるといふこ＃
とを、私たちはすでに知つた。太陽こそは、あらゆる＃
生命の源泉なのである。＃
あらゆる生命の源泉であるだけに、それは又實に＃
偉大な存在である。直徑凡そ百四十萬粁もある一＃
大火球だといふ。もちろん、かう言つただけでは殆＃
ど見當がつかない。月は、地球を中心として、ぐるぐ＃
る廻つてゐる。今かりに其のまゝそつくり移して、＃
地球を太陽の中心に置くとしても、月は太陽の内部＃
を廻るだけである。地球と月との距離が今の約二＃
倍なくては、月が太陽の表面を廻るわけにはいかな＃
＜Ｐ－１６２＞
い。又、月を直徑三糎のピ＃
ンポンの球、地球を十二糎＃
のゴムまりとして見ても、＃
太陽は直徑十三米といふ＃
大きなものになつて、ちよ＃
つと手近にたとへるもの＃
が見つからない。＃
此の大きな太陽が、私たちの住む地球から見ると、＃
大體月と同じ大きさに見えるのは、いふまでもなく、＃
太陽が月より非常に遠い所にあるからである。地＃
球から太陽への距離は凡そ一億五千萬粁で、月への＃
＜Ｐ－１６３＞
距離の約四百倍に當る。一時間三百粁の速さで飛＃
ぶ飛行機に乘つて行くとしても、ざつと五十七年か＃
かるわけである。＃
これ程遠い所にありながら、太陽は私たちに十分＃
な熱と光とを送つてくれる。夏の日の熱さから考＃
へてみてもわかるやうに、太陽から出る熱量はすば＃
らしいものである。太陽其のものの温度は、表面で＃
約六千度、内部はもつともつと高熱である。＃
光の強さに至つては、殆ど普通の言葉で言ひあら＃
はすことが出來ない。これを燭［しよく］光［くわう］であらはすと、其＃
の數は三の次に零を二十七つけたものになる。＃
＜Ｐ－１６４＞
濃い色ガラス、又は黒くいぶしたガラスを通して＃
太陽を見ると、表面に黒い胡［ご］麻［ま］粒のやうなものが見＃
えることがある。それが太陽の黒點と呼ばれるも＃
ので、見たところ胡麻粒のやうだが、實は地球より大＃
きいのがあり、時には地球の十數倍に達するのが現＃
れることがある。黒點は太陽の表面に生ずる大き＃
なつむじ風だといはれ、其の數や大きさは、凡そ十一＃
年を週期として増減してゐる。＃
太陽のやうな天體は、たゞ一つあるだけであらう＃
か。かりに、太陽をもつともつと遠い所で見るとす＃
れば、結局はあの夜の空に銀の砂子をまいたと見え＃
＜Ｐ－１６５＞
る小さな星と同じものになつてしまふであらう。＃
つまり太陽は、夜の空に無數に輝く星の一つなので＃
あるが、我々に近いために、特に大きく、明かるく見え＃
るに過ぎない。廣い〳〵宇［う］宙［ちう］には、太陽と同じやう＃
な天體が殆ど數へ切れない程存在する。さうして、＃
其の中には太陽より小さいもの、太陽とほゞ同じ大＃
きさのものもあるが、又太陽の數百倍といふすばら＃
しいものがあるのである。　　＃
　第二十三　　關［せき］孝［たか］和［かず］　　＃
日本が生んだ數學界の偉人に、關孝和といふ人が＃
＜Ｐ－１６６＞
あつた。二百數十年の昔に出て、日本の數學、即ち和＃
算の基［き］礎［そ］を確立した人である。＃
和算といへば、或はそろばんによる算法のことだ＃
と考へる人もあらう。しかし、孝和は決してそろば＃
んを考案した人でもなければ、そろばんの達者であ＃
つたからえらいといふわけでもない。＃
我が國は、もと支那から數學を學んだ。支那では、＃
古來算木といふものを使つて、加減乘除や、開平・開立＃
等の算法を行つて來たのであるが、今から凡そ六七＃
百年前に著しく發達して、それが代數學にまで高め＃
られるやうになつた。＃
＜Ｐ－１６７＞
ところで、支那では其の頃そろばんといふものが＃
考案され、流行し始めた。さうして、それが日常の計＃
算に非常に便利なものであつたため、何時の間にか＃
そろばんのみが用ひられ、算木によるむづかしい數＃
學は全然忘れられてしまつたのであつた。＃
日本は、支那の算木による算法を學ぶとともに、そ＃
ろばんをもまた我が戰國時代には、すでに輸入して＃
ゐたのであるが、彼の國のやうに、算木による方法を＃
捨ててしまふことはなかつた。捨てなかつたばか＃
りか、此の方法から導き出された我が國の數學は、江＃
戸時代に出た關孝和の天才によつて、世界的水準に＃
＜Ｐ－１６８＞
まで高められたのであつた。＃
算木といふのは、長さ四五糎ぐらゐの四角柱の木＃
である。これを盤［ばん］の上に縱に一本置けば一、二本並＃
べて置けば二、五本並べて置けば五をあらはす。六＃
以上は置方をやゝ異にするが、要するにかうして一＃
から九までの數をあらはし得るとともに、これを種＃
種に並べ、又變化させることによつて、大きな數や式＃
をあらはし、かつ演算することが出來たのである。＃
孝和は、此の算木を置く方法から考へついて、數や＃
式を紙の上に書きあらはし、更に文字を記號として＃
使ふことをも工夫した。かうして、彼は先づ支那傳＃
＜Ｐ－１６９＞
來の算木による方法を、紙に書＃
きあらはす筆算の方法に改め＃
たのであるが、其の結果は、式も＃
演算も自由自在となり、從つて＃
今まで企て及ばなかつた數學＃
上のことがらが、次から次へと＃
解決されるやうになつた。＃
世に孝和の創始する所を點［てん］＃
竄［ざん］術といふ。點竄術は、要する＃
に筆算による代數學であつて、これによつて、支那の＃
數學が未だかつて及び得なかつた高い域にまで進＃
＜Ｐ－１７０＞
むことが出來たのである。さうして、當時の西洋を＃
除けば、かく代數の演算が自在に行はれるのは、ひと＃
り我が國のみであつた。＃
孝和は、又、正三角形・正四角形・正五角形等の正多角＃
形に關する算法を考案し、これを角術と稱したが、か＃
ういふものは、もちろん彼以前支那にも日本にもな＃
かつたところである。＃
孝和の天才は、圓や球などの算法を工夫するに及＃
んで、いよ〳〵巧妙な働を見せた。さうして、其の極＃
致は、彼の後繼者によつて、遂に西洋の微［び］分［ぶん］・積分に對＃
比すべきものにまでおし進められた。＃
＜Ｐ－１７１＞
いはゆる微分・積分は、孝和とちやうど同じ時代に、＃
イギリスのニュートン、及びドイツのライプニッツ＃
によつて創始された高級の數學である。しかし、彼＃
等がかういふものを生み出したのには、西洋諸國の＃
學術の背景があり、數學の長い歴史があつたからで、＃
むしろ當然の道を進んだものといへる。ひとり我＃
が孝和に至つては、西洋の數學・學術と何等關係する＃
所なく、ひたすら和算に獨自の天地を開いたのであ＃
つて、まことに文化史上の一大偉觀であるといはね＃
ばならぬ。＃
孝和の門下には幾多の人物が出て、師弟相承け相＃
＜Ｐ－１７２＞
繼いで、和算はいよ〳〵進境を見せた。世にこれを＃
關流と稱し、他の諸流に比して著しく頭角をあらは＃
してゐた。＃
明治になつて、西洋の數學が輸入されるとともに、＃
關流を始め和算の諸流は自らすたれた。それは、當＃
時日本が學ばねばならなかつた西洋諸種の學術を＃
採用するため、數學もまた西洋の數學によらなけれ＃
ばならなかつたからで、まことにぜひもないことで＃
あつた。しかし、和算にかくも發揮された日本人の＃
天才と錬磨があつたればこそ、我が國人が西洋の數＃
學を容易に征服して、急速の進歩を成し遂げたので＃
＜Ｐ－１７３＞
あつた。　　＃
　第二十四　　白洲燈臺　　＃
小［こ］倉［くら］の北西八海里の海上に、平［へい］坦［たん］なる小島ありて＃
白洲といふ。附近に暗［あん］礁［せう］多く、舟行自在ならず。し＃
かも、下［しもの］關［せき］海峽を出入する船舶の航路に接するを以＃
て、古よりこゝに難破するものすこぶる多く、一朝風＃
浪起れば、熟練なる水夫といへども、殆ど其の危險を＃
避くること能はざりき。＃
小倉に近き長濱村に、難破船救助掛たりし岩松助［すけ］＃
左［ざ］衛［ゑ］門［もん］といふ人、かゝる不幸のしば〳〵なるをうれ＃
＜Ｐ－１７４＞
へ、如何にしてかこれを除かんものと心を碎く折か＃
ら、一日暴風至り、又もや白洲の暗礁に觸れて碎破せ＃
る船あり。白洲に近き藍［あゐの］島［しま］の漁夫、先づこれを救は＃
んとして船を出したれども、名にし負ふ玄［げん］海［かい］の荒波＃
にもてあそばれて進むこと能はず。助左衛門、波の＃
やゝ靜まるを待ちて、漁夫をはげましつゝ白洲に向＃
かふ。からうじて至れば、島に漂［へう］着［ちやく］せる十餘人、連日＃
の苦鬪に疲れ、うゑに苦しみて、五人はすでに死し、殘＃
れる者も息絶え〴〵なるさまなりき。＃
助左衛門は、奮然として燈臺建設の事を思ひ立ち＃
ぬ。文久二年、先づ藩［はん］廳［ちやう］に其の志をうつたへて許可＃
＜Ｐ－１７５＞
を得しが、時あたかも幕［ばく］末［まつ］にして＃
人心動搖し、たうてい此の種の事＃
業に着手するを得ず。空しく時＃
の至るを待ちて、世は明治となれ＃
り。＃
明治元年、彼改めて政府に燈臺＃
建設の事を出願し、翌二年に至り＃
て許さる。＃
波浪高き海上の小島に、燈臺を＃
築かんとするが如きは、今日といへども容易のわざ＃
にあらず。いはんや當時其の技術甚だ幼［えう］稚［ち］なれば、＃
＜Ｐ－１７６＞
苦心は殆ど想像すべからざるものあり。あまつさ＃
へ多額の費用を要する事とて、彼は何よりも先づ其＃
の調達に奔走せざるべからざりき。＃
總豫算三千兩、私財をこと〴〵くなげうつといへ＃
ども、十が一にも滿たず。よつてあまねく世人にう＃
つたへて、寄附を募らんとす。しかもはからざりき、＃
此の擧に對して反對する者甚だ多からんとは。け＃
だし當時難破船しば〳〵あれば、これが救助を命ぜ＃
られて、手當を受くることも、またしば〳〵なり。助＃
左衛門の計畫にして成らんか、彼等はみす〳〵此の＃
眼前の利を失はざるべからざりしなり。＃
＜Ｐ－１７７＞
助左衛門、ひたすら彼等を説得せんとて各地に奔＃
走せしに、漁民等怒りて彼をおどし、甚だしきは彼を＃
危地におとしいれんとす。しかも彼屈せずして募＃
集に力むるとともに、一歩々々其の困難なる工事を＃
進めたりき。＃
時に明治の新政やうやく其の緒につき、當局各地＃
に燈臺を設くる必要をみとめて其の調査を開始す。＃
かくて白洲を視察せし官吏は、助左衛門が公共のた＃
め一身を捧げてかゝる難事業に當れるを見て、感歎＃
止まざるものありき。＃
白洲燈臺の建設は、政府の事業として引取られぬ。＃
＜Ｐ－１７８＞
助左衛門、半生の志實現＃
するの近きにあるを喜＃
びたりしが、明治五年、未＃
だ其の成るを見ずして＃
死せり。時に六十九歳＃
なり。政府、彼の志をあ＃
はれみ功績をよみして、遺族に恩賞をおくりぬ。＃
白洲燈臺は、明治六年に工を終へ、其の後又改築せ＃
られて今日に至る。下關海峽西口に當りて明滅す＃
る燈光を望みつゝ、かの助左衛門の昔を思へば、誰か＃
其の先見と義氣に感ぜざらんや。　　＃
＜Ｐ－１７９＞
　第二十五　　雪國の春　　＃
　黒い土　　＃
濃い青空には、春の國から生まれて來たかと思は＃
れる白雲が、山のふところからぽつかり顏を出して＃
は、見る間に大きくふくらんで輕さうに浮いて行く。＃
やはらかな日ざしが、窓一ぱいに降りそゝぐ。縁＃
先の雪が、かさり、かさりと音を立ててくづれる。く＃
づれた雪は、やがて雨落ちのみぞにとけ込んで、銀絲＃
のやうにまぶしく輝きながら、ちよろちよろと流れ＃
て行く。＃
＜Ｐ－１８０＞
風はまだうら寒い。けれども、家々の窓も障子も＃
一せいに明けはなされて、どこからか、カナリヤのさ＃
へづりが朗かに聞えて來る。＃
庭におり立つた私は、荒なはで枝を釣つた松の根＃
もとに、そつと顏を出してゐる黒い土を見つけた。＃
もうじつとしてはゐられない。私は、其の土をしつ＃
かりと握つてみた。さうして、此の一握りの土に、ほ＃
のかな春の香を感ずるやうにさへ思つた。＃
「ねえさん、雪の中からお人形が出て來たの。」＃
のんきな主人に置忘れられ、雪にうまつて冬を越し＃
た人形が、それでも暖さうな顏をして、妹の小さな手＃
＜Ｐ－１８１＞
に抱かれてゐた。＃
「其の邊をあんまり歩いちやいけませんよ。しや＃
くやくや水仙が、雪の下で、もう目をさましてゐる＃
のですから。」＃
不思議さうに、あたりを見まはしてゐる妹に、ほゝ笑＃
みながら私はかう言つた。――はちきれるやうな芽＃
をもたげ、雪を割つてのび出ようとしてゐる物の溌［はつ］＃
剌［らつ］たる力を想像しながら。＃
ふと、泥まみれの長靴をはいた弟が、背中のあたり＃
まで泥をはね上げて、垣に沿うた小路をとんで行く＃
のが見えた。と、其の後を追つかけるやうに、＃
＜Ｐ－１８２＞
「もういゝかい。」＃
と、これは又大そう明かるい聲が、納［な］屋［や］のかげのあた＃
りから、はずんで來た。　　＃
　せり摘み　　＃
桑畠の雪も大分へつて、あちらこちらに黒ずんだ＃
畠の土があらはに出てゐる。ずつと向かふには、川＃
べりに並んだはんの木が目立つ。一だんと大きな＃
はんの木の間に、かぶつた白い手拭が見える。＃
「おかあさん。」＃
弟が大きな聲で呼んだ。立つてしばらくこちらを＃
見てゐた母が、左手をあげた。弟がかけ出した。僕＃
＜Ｐ－１８３＞
も弟を追ふ。近づいてからまた弟が、＃
「おかあさん。」＃
と言つた。＃
三四百米も走つたので、あつくてたまらない。上＃
着を取つて、はんの木の下枝にかけた。川の少し上＃
手に、よそのをばさんもせつせとせりを摘んでゐる。＃
僕等を見てにつこりしたので、僕は帽子を取つてお＃
じぎをした。＃
清水の流だといふ此の川べりは、もう殆ど雪がな＃
くなつて雜草が一面に芽ぐんでゐる。草の芽の間＃
から立上る水蒸氣のかげもなつかしい。＃
＜Ｐ－１８４＞
何時の間にか向かふ側に行つた弟は、土遊びに餘＃
念がない。母は時々弟の方を見ては、またせりを摘＃
む。母の指先が水にはいると、川底のせりの緑も、高＃
いはんの木の影も、ゆら〳〵搖れて一つになる。＃
僕も、長靴をはいたまゝ下手の淺瀬にはいつた。＃
足もとからむく〳〵と濁つて湧上つた水が、すぐに＃
流れ澄んで、せりの葉並が一そう美しく見える。手＃
を入れる。水は思つたより冷たかつた。澄んだ水＃
の色、川べりの黒い土、草の芽の緑、此の三四箇月土を＃
見ることの出來なかつた目には、皆たまらなくなつ＃
かしい。大自然は、今春の喜びと活動によみがへら＃
＜Ｐ－１８５＞
うとしてゐるのだ。僕は、もうぢき訪れる春を考へ＃
ながら、あたりを見廻した。＃
晴渡つた空に、正午を知らせる町のサイレンが長＃
長と響いた。　　＃
　第二十六　　靜寛院宮　　＃
　（一）　　＃
鳥［と］羽［ば］伏見の一戰に、徳川慶［よし］喜［のぶ］は、はしなくも朝敵と＃
いふ汚名をかうむつた。＃
すでに大政を奉還した彼に、逆心などあるべきで＃
はないが、しかし何事も時勢であつた。朝臣の中に＃
＜Ｐ－１８６＞
は、あくまで徳川を討たなければ、武家政治を土臺か＃
らくつがへして、新日本を打立てることが出來ない＃
とする硬論がある。幕［ばく］臣［しん］には又、三百年の舊恩を思＃
つて、主君の馬前に討死しなければ、いさぎよしとし＃
ないやたけ心がみなぎつてゐる。かれは「慶喜討つ＃
べし。」と叫び、これは「君側清むべし。」といきまく。兩々＃
相打ち相激して遂に砲火を交へ、しかも徳川方がも＃
ろくも敗れたのである。たとへ、慶喜に不臣の心が＃
なかつたとしても、朝敵の名をかうむるのは、けだし＃
當然であつた。＃
慶喜は事のすこぶる重大なのを知つて、大阪から＃
＜Ｐ－１８７＞
海路江戸に歸つた。＃
彼は靜寛院宮に事の次第を申し上げて、切に天朝＃
へおわびのお取成しを願ひ、身は寛永寺の一院に閉＃
ぢこもつて、ひたすらに謹［きん］愼［しん］の意を表した。　　＃
　（二）　　＃
靜寛院宮親［ちか］子［こ］内親王は、仁［にん］孝［かう］天皇の皇女、孝明天皇＃
の御妹、明治天皇の御叔［を］母［ば］君で、御幼名を和［かずの］宮［みや］と申し＃
上げた。宮が御兄孝明天皇の御心を安んじ奉り、國＃
のため民のためには水火の中をもいとはぬ御覺悟＃
で、將軍家［いへ］茂［もち］に嫁ぎ給うたのは、當時から七年前のこ＃
とである。しかも、此の御降嫁による公武一和の望＃
＜Ｐ－１８８＞
は、ほんの束の間の夢であつた。やがて長州征伐の＃
大事が起つて、家茂は其の陣中に薨［こう］じ、續いて杖柱と＃
も頼み給ふ御兄孝明天皇が崩［ほう］御［ぎよ］まし〳〵た。宮に＃
は、此の兩三年、御涙の乾くひまもない御身であらせ＃
られた。　　＃
いたづらにうき年月は過ぐれどもさめぬまよひ＃
の夢の世の中　　＃
　（三）　　＃
慶喜叛［はん］逆［ぎやく］の報がいち早く江戸に達した時、宮はさ＃
すがに御憤りをお感じになつたが、慶喜の言上する＃
ところを一々お聞きになるに及んで、事情止むを得＃
＜Ｐ－１８９＞
なかつた彼の心中をあはれみ給うた。やさしい女［によ］＃
性［しやう］の御心に熱火が點ぜられた。われ、かたじけなく＃
も皇［くわう］胤［いん］に生まれたとはいへ、一度嫁しては徳川の家＃
を離れぬが女の道、徳川の家は何とかして護らねば＃
ならぬ。そればかりか、追討の官軍が忽ち江戸表に＃
押寄せるとすれば、徳川の恩義を思ふ舊臣たちが、お＃
めおめと江戸城を明渡すはずはない。其の結果、江＃
戸市中が兵火にかゝれば、百萬の市民はどうなるこ＃
とか。徳川の家を救ふことは、結局江戸百萬の市民＃
を救ふことである。――宮は、御心に深く決し給ふと＃
ころがあつた。＃
＜Ｐ－１９０＞
一日、上［じやう］臈［らふ］土御門藤［ふぢ］子は、宮の御文を奉持して、東海＃
道を西へ上つた。＃
官軍は今や潮の如く東へ寄せつゝある。徳川の＃
家は、まさに風前の燈火であつた。此の間にも、主家＃
の難を救はうと、朝廷へ寛大の御處置を請ひ奉る歎＃
願書をたづさへた關東方の使者は、櫛［くし］の齒を引くや＃
うに京都へ向かつたが、何れも途中官軍に押さへら＃
れて、目的を達しない。無事京都に着くことの出來＃
たのは、たゞ宮の御使藤子だけであつた。　　＃
　（四）　　＃
宮の御文は、實に言々血涙の御文章であつた。＃
＜Ｐ－１９１＞
「何とぞ私への御［ご］憐［れん］愍［みん］と思し召され、汚名をすゝぎ、＃
家名相立ち候やう、私身命に代へ願ひ上げ參らせ＃
候。ぜひ〳〵官軍さし向けられ、御取りつぶしに＃
相成り候はば、私事も當家滅亡を見つゝ長らへ居＃
り候も殘念に候まゝ、きつと覺悟致し候所存に候。＃
私一命は惜しみ申＃
さず候へども、朝敵＃
と共に身命を捨て＃
候事は、朝廷へ恐れ＃
入り候事と誠に心＃
痛致し居候。心中＃
＜Ｐ－１９２＞
御憐察あらせられ、願の通り家名の處、御憐愍あら＃
せられ候はば、私は申すまでもなく一門家僕の者＃
共、深く朝恩を仰ぎ候事と存じ參らせ候。」＃
徳川を討たねば止まぬの硬論を持する朝臣たち＃
も、此の御文を拜見してひとしく泣いた。＃
徳川に對する朝議は、此の時から一變した。それ＃
は全く義を立て、理を盡くし情を述べて殘るところ＃
あらせられぬ宮の御文の力であつた。　　＃
　（五）　　＃
朝敵の汚名はすゝがれ、徳川の家名は斷絶をまぬ＃
かれた。舊臣たちは、ほつと安［あん］堵［ど］の胸を撫下した。＃
＜Ｐ－１９３＞
江戸城は、官軍方の西［さい］郷［がう］隆［たか］＃
盛［もり］、徳川方の勝［かつ］安［やす］芳［よし］のわづか＃
二回の會見で、しかも談笑の＃
中に開城の約が成立した。＃
江戸市民は兵火をまぬか＃
れた。さうして、幸はたゞそ＃
れだけではなかつた。當時歐［おう］米［べい］の強國は、ひそかに＃
我が國をうかゞつてゐたのである。現にフランス＃
は徳川方を應援し、イギリスは薩［さつ］長［ちやう］を通じて官軍に＃
好意を見せようとしてゐた。若し、日本が官軍と朝＃
敵とに分れて、長く戰ふやうにでもなつたら、其のす＃
＜Ｐ－１９４＞
きに乘じて彼等は何をしたかわからぬ。思へば、ま＃
ことに危いことであつた。＃
かう考へると、宮は一女性の御身で、徳川の家を救＃
ひ、江戸市民を救ひ給うたばかりか、危き日本の運命＃
をもお救ひになつたと言つて、決して過言ではない＃
のである。　　＃
　第二十七　　山ざくら花　　＃
賀［か］茂［も］眞［ま］淵［ぶち］　　＃
うら〳〵とのどけき春の心よりにほひ出でたる＃
山ざくら花　　＃
＜Ｐ－１９５＞
本［もと］居［をり］宣［のり］長［なが］　　＃
さし出づるこの日の本の光よりこまもろこしも＃
春を知るらむ　　＃
小澤蘆［ろ］庵［あん］　　＃
父母の旅なるわれを思ふらむ待つらむさまのお＃
もかげに見ゆ　　＃
香川景［かげ］樹［き］　　＃
富士のねを木の間木の間にかへりみて松のかげ＃
ふむ浮島が原　　＃
加［か］納［なふ］諸［もろ］平［ひら］　　＃
壁立てるいはほとほりて天［あめ］地［つち］にとゞろきわたる＃
＜Ｐ－１９６＞
瀧の音かな　　＃
井［ゐ］手［で］曙［あけ］覽［み］　　＃
蟻［あり］と蟻うなづきあひて何かことありげにはしる＃
西へ東へ　　＃
大［おほ］隈［くま］言［こと］道［みち］　　＃
かささせるさゝぬも過ぐる橋の上の夕暮近き雨＃
のはれがた　　＃
野村望［も］東［と］　　＃
紅のやまと錦もいろ〳〵の絲まじへてぞあやは＃
織りける　　＃
大［おほ］田［た］垣［がき］蓮［れん］月［げつ］　　＃
＜Ｐ－１９７＞
音もせずふるとも見えぬ朝じめり枝おもげなる＃
青［あを］柳［やぎ］のいと　　＃
高［たか］崎［さき］正［まさ］風［かぜ］　　＃
國といふ國をめぐりて日の本の人と生まれし幸＃
は知りにき　　＃
＜Ｐ－１９８＞
終　　＃
