＜出典＞５６１　　　国定読本　５期６－１
＜Ｐ－００２＞
　目録　＃
一　　黒龍江の解氷………四　＃
二　　永久王………七　＃
三　　御旗の影………十六　＃
四　　敬語の使ひ方………二十五　＃
五　　見わたせば………三十二　＃
六　　源氏物語………三十四　＃
七　　姉………四十六　＃
八　　日本海海戰………五十一　＃
九　　鎭西八郎爲朝………五十八　＃
十　　晴れ間………六十七　＃
十一　　雲のさまざま………七十　＃
＜Ｐ－００３＞
十二　　山の朝………七十七　＃
十三　　燕岳に登る………八十二　＃
十四　　北千島の漁場………九十七　＃
十五　　われは海の子………百二　＃
十六　　月光の曲………百五　＃
十七　　いけ花………百十四　＃
十八　　ゆかしい心………百二十　＃
十九　　朝顏に………百二十五　＃
二十　　古事記………百二十六　＃
二十一　　御民われ………百三十二　＃
附録　一　　ジャワ風景　二　　ビスマルク諸島　＃
三　　セレベスのゐなか　四　　サラワクの印象　＃
＜Ｐ－００４＞
　一　　黒［こく］龍［りゆう］江の解氷　＃
五尺もある厚い氷、＃
遠い兩岸の間をぎつしりと張りつめてゐた氷、＃
その下で、眠つてゐた黒龍江が、＃
ひとつ大きなあくびをしてから、＃
春のいぶきをいつぱいに吸ひ込んだ。＃
めりめりと氷が割れる、＃
碎ける、＃
＜Ｐ－００５＞
地響きをたてながら。＃
半年も地面のやうに動かなかつた川が、＃
今、動きだした。＃
あちら、こちらに川波が光りだした。＃
ああ、自然の大きな脈［みやく］搏［はく］。＃
松花江をのみ、＃
ウスリー江をのみ、＃
はるかオホーツクの海へ向かつて、＃
「はあ。」と冬のなごりを吐く。＃
＜Ｐ－００６＞
暗黒色の流れにあふられ、＃
氷塊と氷塊がつきあたり、＃
噛［か］みあひ、のしかかり＃
でんぐりかへり、＃
群がつて流れる。＃
やがて黒龍江は、やさしい手をひろげ、＃
わが子のやうに滿洲をだきかかへて、＃
春の歌を歌ふ。　　＃
＜Ｐ－００７＞
　二　　永［なが］久［ひさ］王　＃
　一　＃
陸軍幼年學校の制服をお召し＃
になつた北白川宮永久王は、母宮＃
殿下の御前にお立ちになつた。＃
「ただ今、北海道から歸つてまゐ＃
りました。これは、おみやげに＃
と思ひまして、求めてまゐつた黒竹の杖でございます。」＃
王は、お持ち歸りになつた杖を、母宮殿下におあげになつた。＃
＜Ｐ－００８＞
それをお受け取りになつた母宮殿下は、＃
「この杖をかうして持つてゐると、永久に手を引かれてゐ＃
るやうです。」＃
と仰せられ、やさしく王を御覽になつて、につこりお笑ひに＃
なつた。　　＃
　二　＃
晴れた夏の空が、武［む］藏［さし］野［の］の上におほひかぶさつてゐる。＃
陸軍士官學校豫科を御卒業になつた王は、士官候補生と＃
して、今日も武藏野を縱横にかけめぐりながら、演習をなさ＃
つてゐた。＃
＜Ｐ－００９＞
今まで晴れてゐた空が急に暗くなつて、大粒の雨が降り＃
だした。＃
演習が終つて、王は、一軒の農家の軒先にお立ちになつた。＃
御軍帽のひさしからは、雨のしづくがしたたり落ち、御軍服＃
は、しぼるやうにぬれてゐた。＃
「雨で、殿下には、さぞお困りになつたことでありませう。」＃
と、中隊長が申しあげると、王は、＃
「二月餘りも雨が降らなかつたから、この雨で、農家はさぞ＃
喜ぶことでせう。ほんたうによい雨です。」＃
とおつしやつて、水［すゐ］晶［しやう］のすだれを掛けたやうに降りしきる＃
＜Ｐ－０１０＞
雨を、いかにも氣持よささうにお眺めになつた。　　＃
　三　＃
昭和十五年の春。＃
陸軍砲兵大尉の御軍裝で、王は、母宮殿下の御前に不動の＃
姿勢でお立ちになつた。母宮殿下は靜かにおつしやつた。＃
「永久のからだは、お上におささげ申したものですから、決＃
死の覺悟で、御奉公なさるやうに。」＃
大命を拜されて、王は蒙［もう］疆［きやう］の地へ御出征になる。その最後＃
のお別れに、母宮殿下に御［ご］挨［あい］拶［さつ］を申していらつしやるので＃
あつた。＃
＜Ｐ－０１１＞
「陛下のおんため、力の續くかぎり戰ひぬく覺悟でござい＃
ます。どうぞ御安心くださいませ。」＃
王は、母宮殿下にじつと御注目になり、敬禮をあそばされた。＃
母宮殿下も、御滿足さうに王のお顏を御覽になり、心もち＃
御頭をおさげになつて、御答禮をあそばされた。　　＃
　四　＃
廣々とした蒙疆の原野、第一線における王の御宿舍は、粗＃
末な蒙古の住民の家である。＃
軍務のおつかれで、王は、ある夜しばしかり寢のゆめをお＃
結びになつてゐたが、あたりのさわがしさで、目をおさまし＃
＜Ｐ－０１２＞
になつた。＃
「お目ざめでございますか。せつかくの御［ご］熟［じゆく］睡［すゐ］をおさま＃
たげいたしまして、申しわけもございません。」＃
おつきの者が、恐る恐る申しあげると、＃
「何か起つたのか。」＃
とやさしくお問ひになつた。＃
「いや、ほかでもございません。この附近の住民が病氣で、＃
今にも死にさうだと申してゐるのでございます。」＃
「病氣。それは氣のどくだ。」＃
王は、かうおつしやつて、一服の藥をお取り出しになつた。＃
＜Ｐ－０１３＞
「これを飲ませておやり。」＃
と、おつきの者にそれをお渡しになつた。＃
翌朝、王の御宿舍の前には、蒙古の住民たちが並んでゐた。＃
王のお情に、心からお禮を申しあげるためであつた。　　＃
　五　＃
「十時二十分、戰鬪たけなはなる時、宮機を迎ふるの光榮に＃
浴す。將兵一同感激にたへず。」＃
第一線から飛行機でお歸りになつた王は、武官のさし出す＃
この電報を御一讀ののち、今飛んでおいでになつたはるか＃
かなたの空を、もう一度ふり返つて御覽になつた。＃
＜Ｐ－０１４＞
砲煙彈雨の間、王は、彼我の戰況を御偵［てい］察［さつ］になつて、作戰の＃
御指導をなさつたのである。第一線の將兵たちは、この電＃
文が示すやうに、ひたすら光榮に感激して、勇氣百倍したの＃
であつた。　　＃
　六　＃
昭和十五年九月六日、防空演習で帝都は夜のやみにとざ＃
されてゐた。その中を、王の御なきがらを奉安する御ひつ＃
ぎの車は、儀［ぎ］仗［ぢやう］隊の護りもいかめしく、立川飛行場から、靜か＃
に高［たか］輪［なわ］の御殿へお進みになつてゐた。＃
午後八時ごろ、御ひつぎの車は、御殿にお着きになつた。＃
＜Ｐ－０１５＞
正門の前には、お四つでいらつしやる若宮道［みち］久［ひさ］王殿下が、喪［も］＃
章［しやう］をつけない日の丸の小旗をお持ちになつて、父宮の御凱［がい］＃
旋［せん］をお迎へあそばされてゐた。＃
「名譽の御凱旋をなさるのですから、心の中で萬歳を唱へ＃
てお迎へするのです。」＃
とおつしやつた祖母宮殿下のおいひつけ通りになさつた＃
のであらう。＃
御ひつぎは、表玄［げん］關［くわん］から、母宮殿下の御居間、櫻の間にまづ＃
おはいりになつた。＃
王が幼年學校の生徒でいらつしやつた時、北海道からお＃
＜Ｐ－０１６＞
歸りになつて御挨拶をなさつたのも、蒙疆へ御出征の時、最＃
後の御對面をなさつたのも、この同じ櫻の間であつた。＃
その御居間で、神におなりになつた王に、母宮殿下は、母君＃
としての御慈愛に滿ちたお迎へのおことばを、親しくおか＃
はしになつたのであつた。　　＃
　三　　御旗の影　＃
　笠［かさ］置［ぎ］の城　　＃
そもそも笠置の城と申すは、山高くして一片の白雲峯を＃
埋め、谷深くして萬丈の青岩道をさへぎる。つづら折りな＃
＜Ｐ－０１７＞
る道をあがること十八町、岩を切つて堀とし、石をたたんで＃
塀［へい］とせり。たとへ防ぎ戰ふ者なくとも、たやすくのぼるべ＃
きやうなし。＃
されども城中鳴りを靜めて、人ありとも見えざりければ、＃
官軍はや落ちたりと思ひて、賊の寄せ手七萬五千餘騎、堀・が＃
けともいはず、かづらに取りつき岩の上を傳ひて、一の木戸＃
口の邊まで寄せたりけり。＃
ここにて一息休めて、城の中をきつと見あぐれば、錦の御＃
旗に日月を金銀にて打つて着けたるが、天日にかがやき渡＃
り、そのかげに甲武者三千餘人、かぶとの星をかがやかし、甲＃
＜Ｐ－０１８＞
の袖を連ねて、雲［うん］霞［か］のごとく並びゐたり。そのほか、やぐら＃
の上、矢ざまのかげには、射手とおぼしき者ども、弓のつるを＃
くひしめし、矢束ね解いて待ちかけたり。その勢決然とし＃
て、あへて攻むべきやうもなし。寄せ手これを見て、進まん＃
とするもかなはず、引かんとするもかなはずして、心ならず＃
も支へたり。＃
しばらくありて、木戸の上なるやぐらより、名のりけるは、＃
「三［み］河［かは］の國の住人、足［あ］助［すけ］の次郎重［しげ］範［のり］、かたじけなくも一天の＃
君に命をささげまゐらせて、この城の一の木戸を堅めた＃
り。前陣に進みたる旗は、美［み］濃［の］・尾［を］張［はり］の勢と見るはひが目＃
＜Ｐ－０１９＞
か。萬乘の君のおはします城なれば、六［ろく］波［は］羅［ら］殿や御向か＃
ひあらんと心得て、大［やま］和［と］鍛［か］冶［ぢ］のきたへ打つたる矢じりを＃
少々用意仕りて候。一筋受けて御覽じ候へ。」＃
といふままに、三人張りの弓に十三束三伏せの矢をつがへ、＃
滿月のごとく引きしぼり、しばし堅めてちようと放つ。＃
その矢、はるかなる谷をへだてて二町餘りのかなたに控＃
へたる荒尾の九郎が甲を通して、右の脇［わき］腹［ばら］までぐざと射込＃
む。一矢なれども必殺のねらひなれば、荒尾馬より逆さま＃
に落ちて、起きも直らず死しけり。＃
弟の彌［や］五［ご］郎［らう］これを敵に見せじと、矢面に立ちふさがりて＃
＜Ｐ－０２０＞
いひけるは、＃
「足助殿の御弓勢、日ごろ承り候ひしほどはなかりけり。＃
ここを遊ばし候へ。御矢一筋受けて、甲をためし候はん。」＃
と、胸をたたいて立ちたりけり。＃
足助これを聞きて、「この者、甲の下に腹卷を重ねて着たれ＃
ばこそ、前の矢を見ながら、ここを射よと胸をたたくらん。＃
もし甲の上を射ば、矢じり碎け折れて、通らぬこともあらん。＃
かぶとの眞向を射たらんに、などか通らざるべき。」と思案し＃
て、＃
「さらば一矢仕り候はん。受けて御覽じ候へ。」＃
＜Ｐ－０２１＞
といふままに、十三束三伏せ、前よりもなほ引きしぼりて、手＃
答へ高くはたと射る。思ふねらひを違へず、彌五郎がかぶ＃
との眞向碎きて、眉［み］間［けん］の眞中をぐざと射込みたりければ、二＃
言ともいはず、兄弟同じ枕に倒れ重なつて死にけり。＃
これを軍の初めとして、大手・からめ手、城の内、をめき叫ん＃
で攻め戰ふ。矢叫びの音、ときの聲、しばし止む時なかりけ＃
り。＃
寄せ手いよいよ重なつて、木戸口の邊まで攻め來たる。＃
ここに本［ほん］性［じやう］房［ばう］といふ大力の僧、衣の袖を結んで引き違へ、百＃
人にても動かしがたき大石を、かるがると脇にさしはさみ、＃
＜Ｐ－０２２＞
まりのごとく二三十、續け打ちにぞ投げつくる。數萬の寄＃
せ手、どうと打ちすゑられ、なだれを打つて人馬落ち重なる。＃
さしもに深き谷々、死人にて埋まりけり。＃
これよりのちは、寄せ手雲霞のごとしといへども、城を攻＃
めんといふ者なく、ただ四方を圍みて、遠攻めにこそしたり＃
けれ。　　＃
　稻村が崎［さき］　＃
明け行く月に敵の方を見渡せば、北は山高く道けはしく、＃
數萬のつはもの陣を並べて控へたり。南は稻村が崎にて＃
砂上道せまきに、波打際まで逆［さか］茂［も］木［ぎ］を仕掛け、沖四五町がほ＃
＜Ｐ－０２３＞
どに大船どもを並べて、横矢を射んとかまへたり。されば、＃
この堅陣を打ち破つて攻め寄せんこと、たやすかるべしと＃
は見えざりけり。＃
義［よし］貞［さだ］馬よりおり、かぶとを脱いで海上をはるばると伏し＃
拜み、祈りけるやう、＃
「義貞今臣たるの道を盡くさんため、武具を取つて敵陣に＃
のぞむ。その志、ひとへに皇化をたすけ奉つて、民生を安＃
んぜんとするにあり。仰ぎ願はくは、臣が心をあはれみ＃
たまへ。」＃
と、しばし祈念をこらしつつ、みづからはける黄金作りの太＃
＜Ｐ－０２４＞
刀を拔きて、海中へ投げ入れたり。＃
その夜の月の入り方に、稻村が崎、にはかに二十餘町干あ＃
がりて、平砂はるかに連なり、横矢を射んとかまへたる數千＃
の兵船も、引き潮にさそはれて、遠く沖の方にただよへり。＃
ふしぎといふも類なし。＃
義貞これを見て、＃
「神も納受したまふぞ。進めや、つはものども。」＃
と下知しければ、江［え］田［だ］・大［おほ］館［だち］・里見・鳥山・田中・羽［はね］川［がは］・山名・桃［ももの］井［ゐ］の面＃
面を始めとして、越［ゑち］後［ご］・上［かう］野［づけ］・武［む］藏［さし］・相［さが］模［み］の軍勢六萬餘騎、稻村が＃
崎の遠干がたを、眞一文字にかけ通りて、鎌［かま］倉［くら］へ亂れ入る。　　＃
＜Ｐ－０２５＞
　四　　敬語の使ひ方　＃
文化の進んだ國、教養の高い國民にあつては、禮儀を重ん＃
じ、ことばづかひをていねいにすることが、非常に大切なこ＃
とになつてゐる。特に、わが國語には敬語といふものがあ＃
つて、その使ひ方が特別に發達してゐるから、ことばづかひ＃
をていねいにするためには、ぜひとも敬語の使ひ方をよく＃
心得ておかなければならない。＃
まづ相手の人に對して尊敬の意を表すために、特別なこ＃
とばを、われわれは常に用ひてゐることに氣づくであらう。＃
＜Ｐ－０２６＞
相手を「あなた」といふのが、すでに敬語である。また、相手や＃
目上の人の動作を述べるのに、「いらつしやる」とか、「めしあが＃
る」とかいふのも、それである。＃
相手を尊敬するためには、自分のことを謙遜していふの＃
がわが國語のいき方で、これも敬語のうちにはいる。自分＃
のことを「わたくし」といふのが、すでに謙遜したことばであ＃
り、「行く」「食ふ」「する」も、「まゐる」「いただく」「いたす」などいふのが普＃
通である。＃
私もまゐりませう。＃
もう十分にいただきました。＃
＜Ｐ－０２７＞
それ故、自分のことや目下のもののことを、＃
私は、まだめしあがりません。＃
妹たちも、きのふの祝賀式にいらつしやいました。＃
などいつては、もの笑ひである。＃
しかし、自分の動作であつても、それが相手のためにする＃
場合は、＃
私が御案内申しませう。＃
御心配申しあげました。＃
では、一通りお話いたします。＃
のやうに、「御」や「お」をつけて敬語にするのである。相手のす＃
＜Ｐ－０２８＞
ることに、「御」や「お」をつけて敬ふのは、いふまでもない。＃
決して御心配くださいますな。＃
お志、ありがたう存じます。＃
父・母・兄・姉・をぢ・をば等は、目上の人であるから、それを相手＃
とする時、＃
おとうさん、どこへおいでになりますか。＃
をばさんは、どうなさいます。＃
と敬つていふのである。しかし、一たび他人の前へ出た場＃
合には、自分のことを謙遜していふのと同じく、自分の身内＃
の者のこともまた謙遜していふのである。だから、＃
＜Ｐ－０２９＞
おとうさんがよろしくおつしやいました。＃
おかあさんは、今日おいでになりません。＃
私のをぢさんは、大阪にをられます。＃
ねえさんは、お仕事をしておいでです。＃
といふよりは、＃
父がよろしく申しました。＃
母は、今日まゐりません。＃
私のをぢは、大阪にをります。＃
姉は、仕事をしてゐます。＃
といふのが、相手に對して禮儀のあるいひ方である。ただ＃
＜Ｐ－０３０＞
自分の身内でない目上の人のこととなると、他人の前でも＃
やはり敬つていはなければならない。＃
いつぱんに、女は男よりもいつそうていねいにものをい＃
ふのが、わが國語のならはしである。したがつて、女の使ふ＃
敬語には、やや特殊のものがある。多くは家庭で用ひる物＃
品などに對して、「おなべ」「おさかな」「お召物」とか、あるひは、「汁」を＃
「おみおつけ」などいふのがその例である。「行く」「來る」を「いら＃
つしやる」といふなども、女らしいことばである。今日では、＃
男も混用したり、あるものはいつぱんに使用されたりする＃
が、それが度を越すと、かへつてばかていねいになつたり、ま＃
＜Ｐ－０３１＞
た柔弱に聞えたりする。それに、何でも「御」や「お」をつけさへ＃
すれば敬語になると思つたり、敬語を使ひさへすれば禮儀＃
になると考へたりするのは、大きなあやまりである。敬語＃
の使用は、禮儀にかなふとともに、常に適正であることと、眞＃
の敬意、すなはち敬ふ眞心がことばに現れることが、最も大＃
切である。＃
敬語の使ひ方によつて、尊敬や謙遜の心をこまやかに表＃
すことのできるのは、實にわが國語の一大特色であり、世界＃
各國の言語にその例を見ないところである。古來わが國＃
民は、皇室を中心とし、至誠の心を表すためには、最上の敬語＃
＜Ｐ－０３２＞
を用ひることをならはしとしてゐる。さうして、また長上＃
を敬ふ家族制度の美風からも、ていねいなことばづかひが＃
重んじられてゐる。わが國語に、敬語がこれほどに發達し＃
たのは、つまりわが國がらの尊さ、昔ながらの美風が、ことば＃
の上に反映したのにほかならないのである。　　＃
　五　　見わたせば　＃
素［そ］性［せい］法師　＃
見わたせば柳さくらをこきまぜて都ぞ春のにしきなり＃
ける　＃
＜Ｐ－０３３＞
紀［きの］貫［つら］之［ゆき］　＃
やどりして春の山べにねたる夜は夢のうちにも花ぞ散＃
りける　＃
藤［ふぢ］原［はらの］敏［とし］行［ゆき］　＃
秋來ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろ＃
かれぬる　＃
よみ人しらず　＃
白雲にはね打ちかはし飛ぶかりの數さへ見ゆる秋の夜＃
の月　＃
能［のう］因［いん］法師　＃
＜Ｐ－０３４＞
山里の春の夕ぐれ來て見ればいりあひの鐘に花ぞ散り＃
ける　＃
西［さい］行［ぎやう］法師　＃
道のべに清［し］水［みづ］流るる柳かげしばしとてこそ立ちとまり＃
つれ　＃
藤原顯［あき］輔［すけ］　＃
秋風にたなびく雲の絶え間よりもれいづる月のかげの＃
さやけさ　＃
　六　　源氏物語　＃
＜Ｐ－０３５＞
紫式部は、子どもの時から非常にりこうでした。兄が史＃
記を讀んでゐるのを、そばでじつと聞いてゐて、兄より先に＃
覺えてしまふほどでした。父の爲［ため］時［とき］は、＃
「ああ、この子が男であつたら、りつぱな學者になるであら＃
うに。」＃
といつて歎息しました。＃
大きくなつて、藤［ふぢ］原［はらの］宣［のぶ］孝［たか］の妻となりましたが、不幸にも早＃
く夫に死に別れました。そのころから紫式部は、筆をとつ＃
て有名な源氏物語を書き始めました。＃
そののち上東門院に仕へて、紫式部の名は一世に高くな＃
＜Ｐ－０３６＞
りました。式部は、文學の天才であつたばかりか、婦人とし＃
てもまことに圓滿な、深みのある人でした。＃
父爲時が願つたやうに、もし紫式部が男であつたら、源氏＃
物語のやうな、かな文は書かなかつたでせう。當時、かな文＃
は女の書くもので、男は、漢文を書くのが普通であつたから＃
です。しかし、かな文であればこそ、當時の國語を自由自在＃
に使つて、その時代の生活をこまやかに寫し出すことがで＃
きたのです。かう考へると、紫式部は、やつぱり女でなくて＃
はならなかつたのです。＃
源氏物語五十四帖［でふ］は、わが國の偉大な小説であるばかり＃
＜Ｐ－０３７＞
でなく、今日では、世界にすぐれた文學としてほめたたへら＃
れてゐます。＃
次にかかげる文章は、源氏物語の一節を簡單にして、それ＃
を今日のことばで表したものですが、ただこれだけで見て＃
も、約九百年の昔に書かれた源氏物語が、いかによく人間を＃
生き生きと、美しく、こまやかに寫し出してゐるかがわかる＃
でせう。　　＃
　一　＃
のどかな春の日は、暮れさうでなかなか暮れない。＃
きれいに作つたしば垣の内の僧［そう］庵［あん］に、折から夕日がさし＃
＜Ｐ－０３８＞
て、西側はみすがあげられ、年とつた上＃
品な尼［あま］さんが佛［ぶつ］壇［だん］に花を供へて、靜か＃
にお經を讀んでゐる。顏はふつくら＃
としてゐるが、目もとはさもだるさう＃
で、病身らしく見える。そばに、二人の＃
女がすわつてゐる。＃
時々、女の子たちが出たりはいつた＃
りして遊んでゐる中に、十ばかりであ＃
らうか、白い着物の上に山吹色の着物を重ねて、かけ出して＃
來た女の子は、何といふかはいらしい子であらう。切りそ＃
＜Ｐ－０３９＞
ろへた髮が、ともすると扇のやうに廣がつて、肩の邊にゆら＃
ゆら掛るのが、目だつて美しく見える。どうしたのか、その＃
子が尼さんのそばへ來て、立つたまましくしく泣きだした。＃
「どうしました。子どもたちと、いひ合ひでもしたのです＃
か。」＃
といひながら、見あげた尼さんの顏は、この子とどこか似た＃
ところがある。＃
「雀の子を、あの犬きが逃したの。かごに伏せておいたの＃
に。」＃
と、女の子は、さもくやしさうである。＃
＜Ｐ－０４０＞
そばにゐた女の一人は、＃
「まあ、しやうのない犬きですこと。うつかり者だから、つ＃
いゆだんをして逃したのでせう。せつかくなれて、かは＃
いくなつてゐたのに。烏にでも取られたらどうしませ＃
う。」＃
かういつて、雀をさがしに立つて向かふへ行つた。それは、＃
この子の乳［う］母［ば］であるらしい。＃
尼さんはもの靜かに、＃
「いやもう、あなたはまるで赤ちやんですね。どうして、い＃
つまでもかうなんでせう。わたしがこんなに病氣で、い＃
＜Ｐ－０４１＞
つとも知れない身になつてゐるのに、あなたは雀の子に＃
夢中なんですか。生き物をいじめるといふことは、佛樣＃
に對しても申しわけのないことだと、ふだんから教へて＃
あげてあるでせう。さあ、ここへちよつとおすわりなさ＃
い。」＃
子どもは、おとなしくすわつた。尼さんは、子どもの髮をな＃
でながら、＃
「櫛を使ふことをおきらひだが、それにしては、まあ何とい＃
ふよい髮でせう。でも、かういつまでも赤ちやんでは困＃
りますよ。もうあなたぐらゐになれば、もつともつとお＃
＜Ｐ－０４２＞
となしいはずです。さうさう、なくなられたあなたのお＃
かあさんは、十二の時おとうさんをおなくしでしたが、そ＃
れはそれは、よく物がおわかりでしたよ。今にでも、この＃
おばあさんがゐなくなつたら、いつたいあなたはどうな＃
さらうといふのでせう。」＃
さすがに子どもは、じつと聞きながら目を伏せてゐたが、＃
とうとううつ伏せになつて、泣き入つてしまつた。とたん＃
に美しい髮が、はらはらと前へこぼれかかる。　　＃
　二　＃
雀の子が逃げて泣いた紫の君は、その年の秋おばあさん＃
＜Ｐ－０４３＞
に死なれて、たつた一人この世に取り殘されてしまつた。＃
紫の君は、いとこの源氏の君のうちへ引き取られること＃
になつた。あの乳母や犬きも、紫の君といつしよに引き移＃
つた。＃
源氏は、小さな妹でもできたやうに、いろいろと紫の君の＃
めんだうを見てやつた。紫の君も、源氏をほんたうのにい＃
さんだと思ふほどなついて來た。＃
しかし、紫の君は、やはりおばあさんのことを思ひ出して＃
は泣くことがある。この不幸な子を慰めるために、源氏は＃
繪をかいて見せたり、人形を求めてやつたりした。＃
＜Ｐ－０４４＞
お正月になつた。元日の朝、源氏は、ちよつと紫の君のゐ＃
る部屋へ行つてみた。さうして、＃
「どうです。お正月が來たから、あなたも少しはおとなら＃
しくなつたでせうね。」＃
といつた。＃
りつぱな書［しよ］棚［だな］に、たくさんの人形や、家や、車が並べてある。＃
紫の君は、それを部屋いつぱいにひろげて、人形遊びにいそ＃
がしい。＃
「豆まきをするつて、このお人形さんを犬きがこはしまし＃
た。わたしがつくろつたのですよ。」＃
＜Ｐ－０４５＞
と、さも大變なことででもあるやうに、紫の君は源氏にいつ＃
た。＃
「よしよし。あとで、りつぱにつくろはせてあげよう。今＃
日はお正月だから、泣いてはいけませんよ。」＃
といつて、源氏は出て行つた。＃
紫の君は、人形の一つをおばあさんと呼んでゐる。お正＃
月だから、きれいな着物を着せてあげた。＃
「さうさう。このおにいさんにも、いい着物を着せてあげ＃
なければ。」＃
さういつて、今一つの人形にも美しい着物を着せた。＃
＜Ｐ－０４６＞
「さあ、御參内だ。車にお召しください。犬きや、おまへは＃
おにいさんのお供をするのですよ。」＃
「はい。」と答へて次の間から出て來た犬きが、その車を引い＃
た。＃
庭では、うぐひすが、美しい聲で「ほうほけきよ。」と鳴いた。　　＃
　七　　姉　＃
今日、ねえさんがお嫁入りをします。さう思ふと、心がち＃
つとも落ち着きませんでした。先生のおつしやることが、＃
つい私の耳をす通りします。教室のそとは、うららかな初＃
＜Ｐ－０４７＞
夏です。屋根で雀がちゆうちゆう鳴いてゐます。あの雀＃
は、のんきでいいなあ。ほんたうに、あのねえさんが、よその＃
人になつてしまふのかしら。何だかうそのやうだ――と＃
思つたとたん、はつとしました。先生の目が、みんなの笑つ＃
た顏が、私に集つてゐます。先生が、私に何かおつしやつた＃
やうです。顏が火のやうになるのを、私は感じました。＃
午後、急ぎ足で學校の門を出ました。歸つてみると、入口＃
に下［げ］駄［た］が何足も並んでゐて、奧では、がやがや人聲がします。＃
髪結ひさんが、一生けんめいに、ねえさんのお支度をして＃
ゐるところでした。きれいに髮を結つて、晴れ着を着せら＃
＜Ｐ－０４８＞
れたねえさんは、まるでよその人のやうに見えます。分家＃
のをばさんが、＃
「ああ、いいお嫁さんができました。」＃
といつて、ほめてゐます。おかあさんも、そばでにこにこし＃
ながら眺めてゐます。＃
お座敷では、山田のをぢさんとをばさんが、おとうさんや＃
分家のをぢさんなどと話をしてゐます。＃
何だかさびしい氣がして、私は自分の部屋へもどりまし＃
た。心を無理にしづめようとして雜誌を開きましたが、字＃
も繪も、てんで目にはいりません。＃
＜Ｐ－０４９＞
ふすまがすうとあいて、着かざつたねえさんがはいつて＃
來ました。＃
「雪ちやん。」＃
少しかすれた聲でした。＃
「ねえさん、おめでたう。」＃
やつとこれだけが、私の口から出ました。＃
「ありがたう。私がゐなくなつても、さびしがらないで、よ＃
く勉強してくださいね。」＃
「はい。」＃
さういへば、よくねえさんにいろいろ教へていただいたも＃
＜Ｐ－０５０＞
のでした。＃
「生まれた家を出て行くのです。どうぞ私に代つて、おと＃
うさんやおかあさんを、だいじにしてあげてくださいね。＃
おかあさんは、さうお丈夫ではないんですから。」＃
私はだまつてうなづきました。「ねえさん、これまでずゐ＃
ぶんわがままをいつてすみませんでした。」――それがのど＃
まで出てゐるのですけれど、とうとういへないでしまひま＃
した。＃
夕方、迎への車が來ました。ねえさんは、山田のをぢさん・＃
をばさんといつしよに、車に乘りました。＃
＜Ｐ－０５１＞
その夜、おとうさんも、おかあさんも、口ぐせのやうに「めで＃
たい、めでたい。」といひながら、話はとだえがちでした。にい＃
さんだけが、時々おどけたことをいつて、みんなを笑はせま＃
した。　　＃
　八　　日本海海戰　＃
露國が連敗の勢を回復せんため、本國におけ＃
る海軍のほとんど全勢力を擧げて編成せる太＃
平洋第二・第三艦隊は、今や朝鮮海峽を經て、ウラ＃
ジオストックに向かはんとす。わが海軍は、初＃
＜Ｐ－０５２＞
めより敵を近海に迎へ撃つの計＃
を定め、あらかじめ全力を朝鮮海＃
峽に集中してこれを待つ。＃
明治三十八年五月二十七日午＃
前四時四十五分、わが哨［せう］艦［かん］信［しな］濃［の］丸＃
より、無線電信にて「敵艦見ゆ。」との＃
報告あり。東郷司令長官は、直ち＃
に全軍に出動を命じ、まづ小巡洋＃
艦をして、敵艦隊を沖［おきの］島［しま］附近にいざなひ寄せしむ。＃
午後一時五十五分、わが旗艦三［み］笠［かさ］は、戰鬪旗をかかぐると＃
＜Ｐ－０５３＞
ともに、信號旗を以て令を各艦にくだせり。いはく、＃
「皇國の興［こう］廢［はい］此の一戰にあり。各員一［いつ］層［そう］奮［ふん］勵［れい］努力せよ。」＃
と。わが軍の士氣大いに振るふ。三笠に乘れる東郷司令＃
長官は、六隻の主戰艦隊を率ゐて、上村艦隊とともに先頭な＃
る敵の主力に當り、片岡・出［で］羽［は］・瓜［うり］生［ふ］・東郷（正路）の諸隊は、敵の後＃
尾をつく。＃
敵の先頭部隊は直ちに砲火を開始せしが、われは急にそ＃
の前路をさへぎり、距離六千メートルに至りて始めて應戰＃
し、激しく敵を砲撃せしかば、敵の艦列たちまち亂れ、早くも＃
戰列を離るるものあり。＃
＜Ｐ－０５４＞
風叫び海怒りて、波は山のごとくなれども、沈着にして熟＃
練なるわが砲員の撃ち出す砲彈は、よく敵艦に命中して續＃
續火災を起し、黒煙海をおほふ。午後二時四十五分、勝敗す＃
でに定まれり。敵は、算を亂して逃れ去らんとす。われは、＃
これに乘じてすかさず攻撃せしかば、敵の諸艦皆多大の損＃
害をかうむり、續いてわが驅逐隊及び水雷艇隊の魚雷攻撃＃
を受けて、敵の兩旗艦を始め、その他の諸艦も多く相ついで＃
沈沒せり。夜に入りて、わが驅逐隊・水雷艇隊は、砲火をくぐ＃
つて敵艦にせまり、無二無三に攻撃せしかば、敵艦隊は四分＃
五裂［れつ］のありさまとなれり。＃
＜Ｐ－０５５＞
明くれば二十八日、天よく晴れて海上波靜かなり。わが＃
艦隊は、東郷司令長官の命により、おほむね欝［うつ］陵［りよう］島附近に集＃
りて敵を待ちしが、たちまち片岡隊の東方はるかに數條の＃
黒煙を見る。よりて主戰艦隊及び巡洋艦隊は、直ちに東方＃
へ向かつて敵の進路をふさぎ、片岡・瓜生・東郷の諸隊はその＃
退路を絶ちて、午前十時十五分まつたく敵を包圍せり。敵＃
將ネボカトフ少將、今は逃れぬところと覺悟したりけん、に＃
はかに戰艦ニコライ一世以下四隻を擧げて、その部下とと＃
もに降服せり。＃
敵の司令長官ロジェストウェンスキー中將は、きのふの＃
＜Ｐ－０５６＞
戰鬪に傷を負ひ、幕僚とともに一驅逐艦に移りしが、わが驅＃
逐艦漣［さざなみ］・陽［かげ］炎［ろふ］の二隻に追撃せられ、つひに捕らへらるるに至＃
れり。＃
この兩日の戰に、敵艦の大部分は、わが艦隊のためにある＃
ひは撃沈せられ、あるひは捕［ほ］獲［くわく］せられて、三十八隻のうち逃＃
れ得たるもの、巡洋艦以下數隻のみ。敵の死傷及び捕［ほ］虜［りよ］は、＃
司令長官以下一萬六百餘人。わが軍の死傷はなはだ少く、＃
艦艇の沈沒したるもの、わづかに水雷艇三隻に過ぎず。＃
東郷司令長官の發せし戰況報告の末尾にいはく、＃
「我ガ聯［レン］合［ガフ］艦隊ガ、能［ヨ］ク勝ヲ制シテ前記ノ如キ奇［キ］績［セキ］ヲ收メ＃
＜Ｐ－０５７＞
得タルモノハ、一ニ天皇陛下ノ御［ミ］稜［イ］威［ツ］ノ致ス所ニシテ、固［モト］＃
ヨリ人［ジン］爲［ヰ］ノ能クスベキニアラズ。特ニ我ガ軍ノ損失・死＃
傷ノ僅［キン］少［セウ］ナリシハ、歴代神靈ノ加護ニ由［ヨ］ルモノト信仰ス＃
ルノ外ナク、曩［サキ］ニ敵ニ對シ勇進敢戰シタル麾［キ］下［カ］將卒モ、皆＃
此ノ成果ヲ見ルニ及ンデ、唯［タダ］々感激ノ極言フ所ヲ知ラザ＃
ルモノノ如シ。」＃
と。勝報上聞に達するや、司令長官にたまへる勅語の中に、＃
「朕［チン］ハ汝等ノ忠烈ニ依［ヨ］リ、祖宗ノ神靈ニ對［コタ］フルヲ得ルヲ懌［ヨロコ］＃
フ。」＃
と仰せられたり。將兵、すべて感泣せざるはなかりき。　　＃
＜Ｐ－０５８＞
　九　　鎭［ちん］西［ぜい］八郎爲［ため］朝［とも］　＃
　一　＃
爲朝は、七尺ばかりなる男の、目角二つに切れたるが、紺地＃
に獅［し］子［し］の丸を縫ひたるひたたれに、同じく獅子の金物打つ＃
たる甲を着、三尺五寸の太刀に、熊の皮のしりざや入れ、五人＃
張りの弓長さ七尺五寸なるに、三十六さしたる黒羽の矢を＃
負ひ、かぶとを郎等に持たせて歩み出でたるさま、いかなる＃
鬼神といへども恐れずといふことなし。＃
左大臣頼［より］長［なが］、爲朝に向かひ、＃
＜Ｐ－０５９＞
「合戰のこと計らひ申せ。」＃
とあれば、かしこまつて、＃
「爲朝、久しく鎭西に居住仕り、＃
九國のものども討ち從へ候＃
について、大小の合戰數を知＃
らず、中にもせつかくの合戰＃
二十餘箇度に及ぶ。敵に圍＃
まれて強陣を破るにも、城を＃
攻めて敵を滅すにも、利を得＃
ること夜討にしくこと候は＃
＜Ｐ－０６０＞
ず。されば、ただ今敵方に押し寄せ、三方に火をかけ、一方＃
にて支へ候はんに、火を逃れん者は矢を免るべからず、矢＃
を恐れん者は火を逃るべからず。ただ兄にて候義［よし］朝［とも］な＃
どこそ、かけ出で候はめ。それも一矢にて、眞中を射通し＃
候はん。まして清［きよ］盛［もり］などがへろへろ矢、何ほどのことか＃
候べき。甲の袖にて拂ひ、けちらして捨て候はん。爲朝＃
が矢二つ三つ放さんばかりにて、いまだ天の明けざる前＃
に勝負を決すること、何のうたがひも候はず。」＃
と、はばかるところなく申しけり。左大臣、＃
「爲朝が申しやう、以ての外に手荒き儀なり。年の若きが＃
＜Ｐ－０６１＞
致すところか。夜討などいふこと、汝らが同士軍、十騎二＃
十騎の私ごとなり。源平數を盡くして勝負を決せんこ＃
と、決してしかるべきにあらず。」＃
といひければ、爲朝まかり立つてつぶやきけるやう、＃
「合戰の事は武士にこそ任せらるべきに、道にもあらぬ御＃
計らひ、いかがあらん。義朝は武略の奧義を極めたるも＃
のなれば、定めて今夜寄せてぞ來たらん。ただ今押し寄＃
せて、風上に火をかけたらんには、戰ふともいかで利あら＃
んや。くちをしきことかな。」＃
とぞ申しける。　　＃
＜Ｐ－０６２＞
　二　＃
大將源［みなもとの］義朝は、赤地錦のひたたれに、黒糸をどしの甲着て、＃
鍬形打つたるかぶとをつけ、黒馬に黒くら置いて乘つたり＃
けり。あぶみふんばり突つ立ちあがり、大音あげて、＃
「清［せい］和［わ］天皇九代の後［こう］胤［いん］、下［しも］野［つけの］守［かみ］源義朝、大將としてまかり向＃
かふ。もし一家の氏族ならば、すみやかに陣を開いて退＃
散すべし。」＃
といふ。爲朝聞きもあへず、＃
「御方の大將たる父判［はう］官［ぐわん］の代官として、鎭西八郎爲朝、一陣＃
を承つて堅めたり。」＃
＜Ｐ－０６３＞
と答ふ。義朝重ねて、＃
「さては、遥かの弟にこそあれ。汝、兄に向かひて弓を引く＃
ことあるべからず。禮儀を知らば、弓を伏せて降參仕れ。」＃
とぞいひける。爲朝、＃
「兄に向かつて弓引かんことあるべからずとは、道理なり。＃
まさしく父に向かつて弓引きたまふは、いかに。」＃
といひければ、義朝、道理にやつまりけん、そののちは音もせ＃
ず。＃
武［む］藏［さし］・相［さが］模［み］のつはものども、まつしぐらに打つてかかる。＃
爲朝、しばし支へて防ぎけるが、敵は大勢なり、かけへだてら＃
＜Ｐ－０６４＞
れては父のために惡しかりなんと思ひて、門の内へ引く。＃
敵これを見て、防ぎかねて引くとや思ひけん、勝ちに乘つて＃
門の際まで攻め寄せ、入れかへ入れかへ、もみ合ひけり。＃
ここに爲朝、敵の勢越しに見れば、大將義朝は、大の男の、大＃
きなる馬には乘つたり、軍の下知せんとて突つ立ちあがり＃
たる内かぶと、まことに射よげに見えたり。願ふところの＃
幸ひと、例の大矢を打ちつがひ、ただ一矢にて射落さんとし＃
けるが、「待てしばし、弓矢取る身のはかりごと、汝負けばわれ＃
をたのめ、われ負けば汝をたのまんなど、父と兄と約束して、＃
敵御方に別れおはすらんか。」と思案して、つがひたる矢をさ＃
＜Ｐ－０６５＞
しはづす。心のうちこそ神妙なれ。＃
爲朝、須［す］藤［どう］の九郎を呼びて、＃
「敵は大勢なり、もし矢盡きて打物にならば、一騎が百騎に＃
向かふとも、つひにはかなふべからず。阪東武者のなら＃
ひとて、大將の前には親死に子討たるるともかへりみず、＃
いやが上にも死に重なつて戰ふと聞く。いざさらば、大＃
將に矢風を負はせ、引き退けんと思ふは、いかに。」＃
といへば、九郎、＃
「しかるべく候。ただし、御あやまりも候はん。」＃
と申す。＃
＜Ｐ－０６６＞
「何とてさることのあらん。爲朝が手並みは、汝も知りた＃
るものを。」＃
とて、例の大矢を打ちつがひ、堅めてひようと射る。思ふね＃
らひをあやまたず、矢はかぶとの星を射けづつて、後なる門＃
の柱にぐざと突き立つたり。＃
義朝、手綱かいくり爲朝に向かひ、＃
「汝は、聞きしにも似ず手こそ荒けれ。」＃
といへば、爲朝、＃
「兄にておはす上に、思ふところありてわざとかく仕りて＃
候。まことに御許しあらば、二の矢仕らん。」＃
＜Ｐ－０６７＞
とて、すでに矢取つてつがふところに、上［かう］野［づけの］國の住人深［ふか］巣［す］の＃
七郎、つとかけ出でければ、爲朝これをはたと射る。かぶと＃
の板を筋かひに、左の耳もとへぐざとばかり、矢のなかばま＃
で射込みたれば、七郎はしばしもたまらず死にてけり。須＃
藤の九郎つと寄りて、深巣が首を取る。　　＃
　十　　晴れ間　＃
さみだれの晴れ間うれしく、　　＃
野に立てば　　＃
野はかがやきて、　　＃
＜Ｐ－０６８＞
白雲を　　＃
通す日影に、　　＃
はや夏の暑さをおぼゆ。　　＃
行く水は少しにごれど、　　＃
せせらぎの　　＃
音もまさりて、　　＃
よろこびを　　＃
歌ふがごとく、　　＃
行くわれを迎ふるごとし。　　＃
＜Ｐ－０６９＞
田園のつづく限りは、　　＃
植ゑわたす　　＃
早［さ］苗［なへ］のみどり。　　＃
山遠く　　＃
心はるばる、　　＃
天地の大いなるかな。　　＃
ふと見れば、道のほとりに、　　＃
つつましき　　＃
＜Ｐ－０７０＞
姿を見せて、　　＃
濃きるりの　　＃
色あざやかに、　　＃
咲くものは露草の花。　　＃
　十一　　雲のさまざま　＃
澄んだ青空に、はけで輕くはいたやうな、または眞綿を薄＃
く引き延したやうな白い雲の出るのを、卷雲といひます。＃
ごくこまかな氷の結晶の集つたもので、雲の中でもいちば＃
ん高く、八千メートルから一萬二千メートルの高さに、浮か＃
＜Ｐ－０７１＞
んでゐます。どこまでもこまやかで、すつきりした感じの＃
雲です。天女の輕い舞の袖を思はせるや＃
うな雲です。＃
ところで、この雲がだんだんふえてひろ＃
がりだすと、すつきりした感じがなくなつ＃
て、形がぼやけて來ます。のちには、ごく薄＃
い、白い絹か何かで空をおほつたやうにな＃
りますから、俗に薄雲といひます。太陽や月が、大きなかさ＃
を着るのはこの雲のかかつた時で、かさの中に星が見えれ＃
ば天氣、さうでなければ雨だなどといひます。とにかく、そ＃
＜Ｐ－０７２＞
ろそろ天氣がくづれるなと思はせるのが、この雲です。＃
青空にうろこのやうに群生する白い雲は、さばの斑［はん］點［てん］に＃
似てゐるのでさば雲といひ、またこの雲が＃
出るといわしの大漁があるといふので、い＃
わし雲ともいひますが、見たところはさび＃
しい雲です。夜、この雲の續く果に、半月が＃
うつすらとかかつてゐるのは、殊にさうし＃
た感じを深くします。天候惡變の兆とい＃
はれる雲で、そばに黒い雲が龍［りゆう］のやうに續いてゐる場合に＃
は、雨の近いことほとんど受合ひだといひます。＃
＜Ｐ－０７３＞
いわし雲よりぐつと大きな塊になつて、群生する白い雲＃
があります。俗にむら雲といつてゐますが、西洋ではよく＃
牧場の群羊にたとへます。青空に綿を大きくちぎつて、あ＃
とからあとから投げ出したやうで、なかなか盛んな感じの＃
する雲です。＃
いわし雲がぐんぐんふえて來ると、空一帶が灰色になつ＃
て、何だか頭を押さへつけられさうになります。太陽でも＃
月でも、おぼろにしか見えません。照りもせず曇りもはて＃
ぬ春の夜のおぼろ月とは、かういふ雲のかかつた場合です＃
が、このおぼろ雲は、天候の前兆としてはいよいよ惡い方だ＃
＜Ｐ－０７４＞
といひます。＃
むら雲・おぼろ雲は、卷雲や、薄雲・いわし雲などより低く、四＃
五千メートルのところに浮かんでゐます。＃
青空に、薄黒い雲がみなぎることがあ＃
ります。雨雲に似てゐますが、ところど＃
ころに青空が見え、雲の端々が白く見え＃
て、その間から日光がもれたりします。＃
もくもくと大きくかたまつたり、また時＃
にそれが畠のうねのやうに、天の一方か＃
ら他方へ幾條か連なつたりすることが＃
＜Ｐ－０７５＞
あります。曇り雲とか、ね雲とかいはれる雲です。＃
雨雲はきまつた形がなく、空いつぱいに薄黒くおほふも＃
ので、亂雲と呼ばれてゐます。いちばん陰氣で、いやな感じ＃
の雲であることはいふまでもありません。曇り雲と同じ＃
く、二千メートル以下にある雲です。＃
雨の降つたあげく、山の間などから流れるやうにすべり＃
出る白い雲は、層雲といつて、雲の中でもいちばん低い雲で＃
す。高さは五百メートルぐらゐですから、まつたく手に取＃
れさうに見えます。＃
天氣のよい日、底が平で、上が山の峯のやうに積みあがつ＃
＜Ｐ－０７６＞
た形に現れる白い雲は、積雲といひますが、夏の日など、峯が＃
恐しいほどむくむくとふくれあが＃
つたのは、俗にいふ入道雲です。強＃
烈な日光に照らされた入道雲が、ま＃
ぶしいほど、銀白色または銀［ぎん］鼠［ねず］色に＃
かがやくのを見ると、雲の王者とい＃
ひたい感じがします。俳句で「雲の＃
峯」といふのも、この入道雲です。積雲は二千メートル以下＃
の高さですが、入道雲の頂になると、六千メートルから八千＃
メートルの高さになります。その頂が開いたのは、朝顏雲＃
＜Ｐ－０７７＞
とか、かなとこ雲とかいつて、雷雨を起したり、時にひようを＃
降らしたりします。一天にはかに墨を流したやうに曇つ＃
て、天地も暗くなるのは、かうしたすばらしく厚い雲によつ＃
て、日光がさへぎられるからです。卷雲のかぼそい女性的＃
な美しさに比べると、積雲や、入道雲や、かなとこ雲は、いかに＃
も壯大で、強烈で、男性的です。　　＃
　十二　　山の朝　＃
ふと、目がさめる。＃
遠くの方から、小鳥の聲が枕もとへ流れるやうに聞えて＃
＜Ｐ－０７８＞
來る。まだ、なかば眠りからさめない心のうちに、山の夜明＃
けだといふことが浮かぶ。＃
はね起きて窓を開いた。つめたい空氣が、吸ひつけられ＃
るやうに室の中へしのびこむ。首筋に水晶のはけがさは＃
つたやうなつめたさである。まだ、朝の太陽はのぼつてゐ＃
ない。薄明の天地の中で、山々の薄黒い姿が、だまつて眠つ＃
てゐる。＃
山小屋の重い戸びらを音もなく開き、素［す］足［あし］に草［ざう］履［り］をはい＃
て、露深い草の小道におり立つ。生き生きとした小鳥の聲＃
が、あたりの靜けさをふるはせて、頭の上から降り注いで來＃
＜Ｐ－０７９＞
る。このにぎやかな聲の絶え間を縫つて、どこからともな＃
く、つつましやかな小川のせせらぎの音が、かすかに聞えて＃
來る。＃
山からわき流れる清［し］水［みづ］が、かけひをまつしぐらにかけ拔＃
けて通る。玉のやうな、清らかな水を兩手にすくひあげる＃
と、こほりつくやうなつめたさが全身にしみとほる。この＃
水で口をすすぎ顏を洗ふと、心の底までが清められるやう＃
な氣持がする。胸を張つて、思ひきり深く朝の山の空氣を＃
吸ふ。＃
山小屋の前の小道をくだつて行くと、そよ風が頬［ほほ］にここ＃
＜Ｐ－０８０＞
ちよい。なら・かへで・ぶな・くりなどの木々が茂り合つて、頭＃
の上を自然の天［てん］蓋［がい］でかざつてくれる。夜明けに近い薄あ＃
かりが、重なり合つた葉の層を通して落ちて來る。緑色の＃
ガラスを張りめぐらした部屋の中に、たたずんでゐるやう＃
である。一々の鳴き聲を聞きわけることができないやう＃
に、鳥の聲がにぎやかに聞えて來る。短い鋭さの中にも、ど＃
こかやさしさのある小鳥の聲に混つて、太く口の中でふく＃
んだやうに鳴く山鳩の聲が聞えて來る。その間を際立つ＃
てくつきりと、うぐひすの聲がころがるやうに續いて走る。＃
この美しい木々の緑と、さわやかな鳥の聲のごちそうを前＃
＜Ｐ－０８１＞
にして、しんせつな山のお招きの席に、しばらくは、すべてを＃
忘れて立つてゐた。＃
林の中を、奧へ奧へと進んで行くにしたがつて、小川のせ＃
せらぎはだんだん高く聞えて來る。林を出はづれて、頭の＃
上の緑のおほひが盡きてしまつた時、いつのまにのぼつた＃
のか、朝の日の光が、石を噛［か］んで流れる水の上にをどつてゐ＃
る。＃
危ふげにかけ渡された一本の丸木橋の上を、靜かに渡る。＃
この丸木橋に立つて、朝の太陽の前に身じまひを正し始め＃
た高い山々の針葉樹林を見あげる。きりのやうにとがつ＃
＜Ｐ－０８２＞
た梢の先を天に向けて眞直に立つものは、かうやまきであ＃
る。ふさふさした枝の冠［かんむり］をいただいて立つてゐるのは、桧［ひのき］＃
である。＃
この深［み］山［やま］の朝の靈氣にふれるため、私はここまでのぼつ＃
て來たのだ。　　＃
　十三　　燕［つばくろ］岳［だけ］に登る　＃
「出發。」＃
山田先生の聲が、中［なか］房［ぶさ］温泉旅館の庭に勇ましく響き渡つた。＃
午前七時である。きのふの雨はからりと晴れて、太陽は、ほ＃
＜Ｐ－０８３＞
がらかにこの温泉の谷間を照らしてゐる。＃
ルックサック・水［すゐ］筒［とう］・金［こん］剛［がう］杖の身支度もかひがひしく、ぼく＃
らは、小鳥のやうにをどる胸を押さへながら、つり橋を渡つ＃
た。ごうごうと鳴る激流の上に、高い橋がぐらぐら動くの＃
が、愉快でたまらなかつた。＃
道はすぐ登りになる。かちりかちりと、杖が岩に鳴つた。＃
前の人の足あとをふみしめるやうに、一歩一歩登つて行く。＃
せまい道の兩側には、大きなささが、ぼくらの頭をおほふく＃
らゐ高く茂つてゐた。＃
岩角が出、木の根が横たはつてゐる。＃
＜Ｐ－０８４＞
「氣をつけろよ。」＃
と、前の方で聲がする。額も、せなかも、汗ばんで來た。はず＃
む呼吸が、前にも後にもはつきり聞かれる。＃
かうして、つづら折りの明かるい山道を、あへぎあへぎ登＃
つた。時々見おろす谷底に、さつき出發した温泉宿が、だん＃
だん小さくなつて行く。谷川が、下で遠く鳴つてゐる。つ＃
い向かふに、ぐつと見あげるほどそびえ立つてゐるのが、有［あり］＃
明［あけ］山である。＃
「今日は、あの山よりもつと高く登るのだぞ。」＃
と、石川先生がいはれた。＃
＜Ｐ－０８５＞
まばらな濶［くわつ］葉［えふ］樹林を通して、太陽がじりじりと照りつけ＃
る。帽子の下からわき出る汗が、顏を傳つて流れ落ちる。＃
息が苦しいほどはずむ。＃
「先生、休んでください。」＃
と、後の方でいつしか悲鳴をあげる。＃
「もう少しがんばれ。」＃
と、前の方でまぜかへす。＃
まもなく、ぴりぴりとうれしい笛が鳴つた。みんなは待＃
つてゐたやうに、そこらへ腰をおろして汗をふく。水筒の＃
水を飲むと、のどがごくりと鳴つた。木の間では、うぐひす＃
＜Ｐ－０８６＞
が鳴いてゐる。谷底から吹きあげる風が、はだに快く感じ＃
る。＃
そろそろ、針葉樹が現れて來た。＃
やがて針葉樹の密林へはいると、急に快い涼しさを覺え＃
る。時に「さうしかんば」のはだが、梢からもれる太陽の光に＃
映じて、薄暗い中に銀色に光る。道はいくぶんなだらかに＃
なつたり、またぐつと急になつたりする。きのふの雨でじ＃
めじめして、うつかりすると足がすべる。木の根、岩角を數＃
へるやうに、ふみしめふみしめ登つた。＃
「あと四キロだ。」＃
＜Ｐ－０８７＞
と先頭で叫ぶ。道標の數字がしだいにへつて行くのが、力＃
と頼まれる。時々休んでは、また勇氣を振るひ起す。＃
植物に、變つたものがあるやうになつ＃
た。葉がふぢに似た「ななかまど」や、大木＃
から長くひげのやうにぶらさがる「さる＃
をがせ」などを、石川先生に教へてもらつ＃
た。かはいい桃＃
色の「いはかがみ」＃
の花を、道端に見つけるのが樂しみ＃
であつた。＃
＜Ｐ－０８８＞
あたりにだんだん霧がわいて來て、大木の幹を、かなたへ＃
かなたへと薄く見せた。耳を澄ますと、遠く近く、さまざま＃
の小鳥のさへづりが聞かれる。＃
かうして、とうとう合戰小屋にたどり着いたのが午前十＃
一時、みんなはずゐぶんつかれてゐた。ここで辨當をたべ＃
る、そのおいしいこと。＃
空がしだいに曇つて來た。霧もだんだん深くなる。し＃
かし、小屋の人は、＃
「天氣は大丈夫です。」＃
と、先生たちにいつてゐた。＃
＜Ｐ－０８９＞
それからも、しばらく道が急だつた。＃
霧の間に、「さうしかんば」の林が續く。道端には、ささがめ＃
づらしく花をつけてゐた。＃
いつのまにか大木が少くなつて、せいの低い細い木が目＃
につくやうになつた。つひにはそれもなくなつたと思ふ＃
と、眼界が急に開けて、山腹の斜面に、低い緑の「はひまつ」が波＃
のやうに續いて見えた。みんなが、わいわい歡聲をあげた。＃
道は、ややなだらかになつた。＃
「三角點。」＃
といふ聲がする。ぼくらは、胸がをどつた。＃
＜Ｐ－０９０＞
やや廣く平なところに、三角點を示す石があつた。そば＃
に腰掛が何臺かある。中房温泉から四・六キロと記した道＃
標が立つてゐる。頂上まであと二キロだ。＃
晴れてゐれば、ここから、今登らうとする燕の絶頂も、槍［やりが］岳［たけ］＃
その他の山々も見えるさうだが、今日は何も見えない。行＃
手の道も「はひまつ」も、すべて夢のやうに霧の中に薄れてゐ＃
る。ただ、天地がいかにも明かるかつた。＃
それからは尾根傳ひに、なだらかな道が續いた。薄日が＃
ぽかぽかとせなかを温める。道端は、「いはかがみ」の花盛り＃
であつた。小さなすみれや、蘭［らん］もところどころに咲いてゐ＃
＜Ｐ－０９１＞
る。どれもこれも、すき通るほどあざやかな色であつた。＃
ふと「はひまつ」の間に、高さ一メートルにも足らない「たか＃
ねざくら」が、今を盛りと咲いてゐるのを見た。眞夏に櫻の＃
滿開である。＃
「山は、今春なのだ。」＃
と、石川先生がいはれた。みつばちが、盛＃
んに花から花へ飛んでゐた。＃
行くにしたがつて、花は美しかつた。＃
右手に見おろす斜面に咲き續く黄色な＃
花は、大きなのが「しなのきんばい」、小さな＃
＜Ｐ－０９２＞
のが「みやまきんぽうげ」であつた。＃
その間々に、白い「はくさんいちげ」や、＃
深紅の「べにばないちご」などが、點々＃
と入り亂れてゐた。お花畠は、まる＃
で滿天の星のやうに美しかつた。＃
その邊から、ところどころに殘雪があつた。みんなが、う＃
れしがつて雪をすくつた。＃
つひに、霧の中に近く山小屋を見あげるところへ來た。＃
下から風が強く吹きあげる。足もとには、かなり大きな雪［せつ］＃
溪［けい］が見おろされた。＃
＜Ｐ－０９３＞
先頭は、もう山小屋の右下の鞍［あん］部［ぶ］にたどり着いた。＃
「早く來い。向かふは晴れて、山がすてきだぞ。」＃
と、だれかが帽子を振りながら、ぼくらに叫んでゐる。＃
やがてそこへ登り着いたぼくらは、何といふすばらしい＃
景色を、西の方に見渡したことであらう。＃
左端の穗高に續いて、槍岳が、それこそ天を突く槍の穗先＃
のやうに突き立つてゐる。更に右へ右へとのびる飛［ひ］騨［だ］山＃
脈が、蓮［れん］華［げ］・鷲［わし］羽［は］・水晶・五郎と、大波のやうに、屏［びやう］風［ぶ］のやうに、紫紺＃
のはだあざやかにそそり立ち、うねり續く雄大莊嚴な姿。＃
ところどころに白雲がただよつて、中腹をおほひ、峯をかく＃
＜Ｐ－０９４＞
し、谷々の雪溪と相映じて、山々を奧深く見＃
せる。ぼくらが今立つてゐるところと向＃
かふの山脈との間は、千丈の谷となつて、そ＃
の底に高［たか］瀬［せ］川の鳴つてゐるのが、かすかに＃
聞えて來る。この大自然がくりひろげる＃
景觀に打たれて、ぼくらは、ほとんど一種の＃
興奮を感じるほどであつた。＃
そこから右へ縱走して、燕の絶頂をめざ＃
した。＃
馬の背のやうに、峯傳ひの道が續いてゐ＃
＜Ｐ－０９５＞
た。ややもするとくづれようとする砂と＃
岩との間を、「はひまつ」にすがりながら進ん＃
だ。右下から吹きあげる風は、もうもうと＃
雲を卷きあげて、それがこの尾根を界に消＃
散する。それは、ふしぎに思へるほどはつ＃
きりとしてゐた。左は、急な斜面が神祕な＃
谷底へ深く落ち込んでゐる。＃
とうとう、燕の絶頂が來た。それは、大空＃
の一角にそそり立つ御影石の岩塊である。＃
そこは、十人とは乘れないほどせまかつた。＃
＜Ｐ－０９６＞
今こそ、二千七百六十三メートルの最高點に立つたのであ＃
る。さつきの槍岳が、「ここまでお出で。」といふやうに、しかし＃
いかにも嚴然とそびえてゐる。あの絶頂へ登る傾斜は、少＃
くとも四十五度以上はあらう。＃
「あんな山へ登れる人があるのかなあ。」＃
といふと、元氣な山田先生は、＃
「もう二三年たつたら、きみたちも槍へ登れるよ。」＃
といはれた。＃
東も北も一帶に雲がとざして、ぼくらの村はもとより、富＃
士・淺間・白［しろ］馬［うま］・立山等の姿を見ないのが、まつたく殘念であつ＃
＜Ｐ－０９７＞
た。＃
午後二時、下山の途についた。＃
「山は廣い。」と、ぼくはつくづく思つた。さうして何年かの＃
のちに、きつとあの槍に登らうといふ希望をいだきながら、＃
山をくだつた。　　＃
　十四　　北千島の漁場　＃
北海道本島でにしんの漁期の終る五月下旬から、そろそ＃
ろ北千島の漁場が活氣を帶びて來る。その前後けなげに＃
も、十人乘りそこそこの發動機船が、本島をあとに、六百海里＃
＜Ｐ－０９８＞
の北を望んで、續々と出て行く姿を見るであらう。幸ひに＃
してこのころは、割合ひなぎの日が多い。＃
ここ北千島の一角を根據地とする二百隻の流し網出漁＃
船は、いま出動準備の最中である。發動機の調子をしらべ＃
たり、網の支度をしたり、特に船長たちは、晴雨計と空模［も］樣［やう］を＃
熱心に見比べてゐる。見渡す限りは、午後の靜かな海であ＃
る。＃
やがて、船は爆音高く根據地を出て行く。思ひ思ひに沖＃
へ快走してかれこれ三時間、もつぱらさけやますの泳ぎま＃
はつてゐさうな場所をさがして、投網にかかる。ぐつと速＃
＜Ｐ－０９９＞
度を落しながら一直線に進む船のともから、網がしだいに＃
くり出されて、その長さが約五千メートル。この作業が終＃
るころは、日沒のおそい北洋にも夕暮がだんだんせまつて、＃
濃霧が一面に立ちこめる。たまたま、遠くからただよふや＃
うに汽笛が聞えて來るのは、カムチャッカ沿岸へ行く汽船＃
であらうか。一種のあこがれに似たなつかしさを覺えさ＃
せる。＃
「網の綱をしつかりつないでおくんだぞ。今夜はなぎら＃
しいが、水温や潮の流れはどうだい。」＃
「水温は紅ますに適度、潮の流れは餘り速くないやうです。」＃
＜Ｐ－１００＞
「ゆうべより少し沖へ出たな。きつと大れふだぞ。」＃
濃霧がもうもうと立ちこめて、網の綱の端につけた目じ＃
るしのランプも、光がぼんやりと見える。船は發動機を止＃
めたまま、網もろともに、夜明けまで潮のまにまに任せるの＃
である。かうして、北洋にただよふ小船のせま苦しい船室＃
に、しばしの夢が結ばれる。＃
午前二時ごろ、もう東の空が白み始める。＃
「おい、網をあげるんだ。」＃
船長の聲に、防水具に身を固めた若者たちが、船室から出て＃
來る。明け方の風は、いやといふほどつめたい。＃
＜Ｐ－１０１＞
「よいしよ、こらしよ。」＃
元氣のよい掛聲だ。網を引きあげる片端から、海面にさざ＃
波が起る。網の糸も切れるばかり、大きなますや、さけがか＃
かつてゐるのだ。＃
力強くたぐりながら、なれた手つきで魚をはづす。見る＃
見る甲［かん］板［ぱん］はます・さけの山。かうした作業が五時間も續い＃
て、一萬尾に近い漁獲に船は滿載である。濃霧がだんだん＃
薄れて、太陽が洋上ににぶい光を投げかける。＃
船は、思ひ切り吃［きつ］水［すゐ］深く、殘雪をいただく島山の峯を目當＃
てに、根據地へと波を切つて行く。　　＃
＜Ｐ－１０２＞
　十五　　われは海の子　＃
われは海の子、白波の　　＃
さわぐいそべの松原に、　　＃
煙たなびくとまやこそ、　　＃
わがなつかしき住みかなれ。　　＃
生まれて潮にゆあみして、　　＃
波を子守の歌と聞き、　　＃
千里寄せくる海の氣を　　＃
＜Ｐ－１０３＞
吸ひて童となりにけり。　　＃
高く鼻つくいその香に、　　＃
不［ふ］斷［だん］の花のかをりあり。　　＃
なぎさの松に吹く風を、　　＃
いみじき樂とわれは聞く。　　＃
丈餘のろかいあやつりて、　　＃
ゆくて定めぬ波まくら、　　＃
ももひろちひろ海の底、　　＃
＜Ｐ－１０４＞
遊びなれたる庭廣し。　　＃
いくとせここにきたへたる　　＃
鐵より堅きかひなあり。　　＃
吹く潮風に黒みたる　　＃
はだは赤［しやく］銅［どう］さながらに。　　＃
波にただよふ氷山も、　　＃
來たらば來たれ、恐れんや。　　＃
海卷きあぐる龍卷も　　＃
＜Ｐ－１０５＞
起らば起れ、おどろかじ。　　＃
いで大船を乘り出して、　　＃
われは拾はん海の富。　　＃
いで軍艦に乘り組みて、　　＃
われは護らん海の國。　　＃
　十六　　月光の曲　＃
ドイツの有名な音樂家ベートーベンが、まだ若い時のこ＃
とであつた。月のさえた夜、友人と二人町へ散歩に出て、薄＃
＜Ｐ－１０６＞
暗い小路を通り、ある小さなみすぼらしい家の前まで來る＃
と、中からピヤノの音が聞える。＃
「ああ、あれはぼくの作つた曲だ。聞きたまへ。なかなか＃
うまいではないか。」＃
かれは、突然かういつて足を止めた。＃
二人は戸外にたたずんで、しばらく耳を澄ましてゐたが、＃
やがてピヤノの音がはたとやんで、＃
「にいさん、まあ何といふいい曲なんでせう。私には、もう＃
とてもひけません。ほんたうに一度でもいいから、演奏＃
會へ行つて聞いてみたい。」＃
＜Ｐ－１０７＞
と、さも情なささうにいつてゐるのは、若い女の聲である。＃
「そんなことをいつたつて仕方がない。家賃さへも拂へ＃
ない今の身の上ではないか。」＃
と、兄の聲。＃
「はいつてみよう。さうして一曲ひいてやらう。」＃
ベートーベンは、急に戸をあけてはいつて行つた。友人も＃
續いてはいつた。＃
薄暗いらふそくの火のもとで、色の青い元氣のなささう＃
な若い男が、靴を縫つてゐる。そのそばにある舊式のピヤ＃
ノによりかかつてゐるのは、妹であらう。二人は、不意の來＃
＜Ｐ－１０８＞
客に、さも驚いたらしいやうすである。＃
「ごめんください。私は音樂家ですが、おもしろさについ＃
つり込まれてまゐりました。」＃
と、ベートーベンがいつた。妹の顏は、さつと赤くなつた。＃
兄は、むつつりとして、やや當［たう］惑［わく］のやうすである。＃
ベートーベンも、われながら餘りだしぬけだと思つたら＃
しく、口ごもりながら、＃
「實はその、今ちよつと門口で聞いたのですが――あなた＃
は、演奏會へ行つてみたいとかいふことでしたね。まあ、＃
一曲ひかせていただきませう。」＃
＜Ｐ－１０９＞
そのいひ方がいかにもをかしかつたので、いつた者も聞い＃
た者も、思はずにつこりした。＃
「ありがたうございます。しかし、まことに粗末なピヤノ＃
で、それに樂譜もございませんが。」＃
と、兄がいふ。ベートーベンは、＃
「え、樂譜がない。」＃
といひさしてふと見ると、かはいさうに妹は盲人である。＃
「いや、これでたくさんです。」＃
といひながら、ベートーベンはピヤノの前に腰を掛けて、す＃
ぐにひき始めた。その最初の一音が、すでにきやうだいの＃
＜Ｐ－１１０＞
耳にはふしぎに響いた。ベートーベンの兩眼は異樣にか＃
がやいて、その身には、にはかに何者かが乘り移つたやう。＃
一音は一音より妙を加へ神に入つて、何をひいてゐるか、か＃
れ自身にもわからないやうである。きやうだいは、ただう＃
つとりとして感に打たれてゐる。ベートーベンの友人も、＃
まつたくわれを忘れて、一同夢に夢見るここち。＃
折からともし火がぱつと明かるくなつたと思ふと、ゆら＃
ゆらと動いて消えてしまつた。＃
ベートーベンは、ひく手をやめた。友人がそつと立つて＃
窓の戸をあけると、清い月の光が流れるやうに入り込んで、＃
＜Ｐ－１１１＞
ピヤノのひき手の顏を照らした。しかし、ベートーベンは、＃
ただだまつてうなだれてゐる。しばらくして、兄は恐る恐＃
る近寄つて、＃
「いつたい、あなたはどういふお方でございますか。」＃
「まあ、待つてください。」＃
ベートーベンはかういつて、さつき娘がひいてゐた曲をま＃
たひき始めた。＃
「ああ、あなたはベートーベン先生ですか。」＃
きやうだいは思はず叫んだ。＃
ひき終ると、ベートーベンは、つと立ちあがつた。三人は、＃
＜Ｐ－１１２＞
「どうかもう一曲。」としきりに頼んだ。かれは、再びピヤノの＃
前に腰をおろした。月は、ますます＃
さえ渡つて來る。＃
「それでは、この月の光を題に一曲。」＃
といつて、かれはしばらく澄みきつ＃
た空を眺めてゐたが、やがて指がピ＃
ヤノにふれたと思ふと、やさしい沈＃
んだ調べは、ちやうど東の空にのぼ＃
る月が、しだいにやみの世界を照らすやう、一轉すると、今度＃
はいかにもものすごい、いはば奇怪な物の精が寄り集つて、＃
＜Ｐ－１１３＞
夜の芝［しば］生［ふ］にをどるやう、最後はまた急流の岩に激し、荒波の＃
岩に碎けるやうな調べに、三人の心は、驚きと感激でいつぱ＃
いになつて、ただぼうつとして、ひき終つたのも氣づかない＃
くらゐ。＃
「さやうなら。」＃
ベートーベンは立つて出かけた。＃
「先生、またおいでくださいませうか。」＃
きやうだいは、口をそろへていつた。＃
「まゐりませう。」＃
ベートーベンは、ちよつとふり返つてその娘を見た。＃
＜Ｐ－１１４＞
かれは、急いで家へ歸つた。さうして、その夜はまんじり＃
ともせず机に向かつて、かの曲を譜に書きあげた。ベート＃
ーベンの「月光の曲」といつて、不朽の名聲を博したのはこの＃
曲である。　　＃
　十七　　いけ花　＃
まさえさん、この間は、お手紙をありがたうございました。＃
おとうさんも、おかあさんも、お元氣ださうで安心しました。＃
こんなに遠く離れてゐると、うちのことが何よりも知りた＃
いのですよ。＃
＜Ｐ－１１５＞
私も、こちらへ來てからもう一年近くなりますが、これま＃
で病氣一つしませんでした。毎日毎日畠へ出て働いてゐ＃
ることが、私をこんなに丈夫にしてくれたのでせう。それ＃
とも、大陸の氣候が私に合ふのかも知れません。＃
この一年間は、何を見ても、何をしても、始めてのものばか＃
りで、めづらしいやら樂しいやら、まるで夢のやうに過して＃
來ました。＃
この春植ゑつけた野菜類は、たいそうよくできて、この間＃
一部分だけ收穫しました。その時にうつした寫眞を同封＃
しておきましたから、見てください。いろいろな野菜があ＃
＜Ｐ－１１６＞
りますから、何だかあててごらんなさい。＃
お手紙によると、このごろまさえさんは、熱心にいけ花の＃
おけいこをしてゐるさうですね。せんだつて、おかあさん＃
からのお手紙にも、そのことが書きそへてありました。私＃
のおいて來た花ばさみや花器などが、そつくりまさえさん＃
の手で、かはいがられてゐると思ふと、たいそううれしい氣＃
がします。＃
私もいけ花がすきなので、いそがしい中にも、ずつと續け＃
てやつてゐます。＃
つい四五日前も、野原でききやうの花を見つけたので、そ＃
＜Ｐ－１１７＞
れを摘んで來ていけてみました。こんなにして野の草花＃
をいけたりすると、その昔、まさえさんと二人で、野原へ花摘＃
みに行つた時のことが、なつかしく思ひ出されました。＃
「はらんを、何度も何度もいけるのは、あきてしまひました。」＃
と書いてありましたが、あれは、いけ花のいちばんもとにな＃
るものですから、しつかりとおけいこをしておかなければ＃
なりませんよ。何を覺えるにしても、そのもとをのみこむ＃
ことが大切だと思ひます。もとといつても、形ばかりでな＃
く、いつも自分の心がこもつてゐなければなりません。＃
いけ花ほど、いける人の氣持のよく現れるものはないと、＃
＜Ｐ－１１８＞
自分ながらびつくりすることがあります。例へば、何か氣＃
にさはることがあつて心の落ち着かない時には、いくらい＃
けようと思つても、花はいふことをききません。晴れ晴れ＃
として心の樂しい時には、花の方から、進んで動いてくれま＃
す。さうして、できあがつたものにも、その時、その人の氣持＃
が、そつくりそのまま現れるやうに思はれます。＃
いつか隣りのお子さんをつれて、ニュース映畫を見に行＃
きました。映畫の中に、日本の兵隊さんが、山の谷あひを長＃
い列になつて、進軍して行くところが寫りました。みんな＃
銃をかついで、重さうな背［はい］嚢［なう］を背負つて歩いてゐました。＃
＜Ｐ－１１９＞
よく見ると肩のところに、野菊の枝をつけてゐる兵隊さん＃
がゐました。それも一人でなく、何人も何人も、つけてゐま＃
した。＃
あの強い日本の兵隊さんが、こんなものやさしい心を持＃
つてゐられるのかと、ふと思ひました。さうして、ほんたう＃
に勇ましい人の心の中には、かうしたやさしい情がこもつ＃
てゐるのだと考へさせられました。それでこそ、世界の人＃
人をびつくりさせるやうな大東亞戰爭を、戰ひぬくことが＃
できるに違ひありません。＃
それにつけても日本の女たちは、もつともつと心をやさ＃
＜Ｐ－１２０＞
しくし、心を美しくしたいものだと、つくづく思ひました。＃
どうかまさえさんも、いけ花をみつしりけいこして、日本の＃
少女らしい、つつましやかな心を育ててください。＃
今、こちらはいちばんよい時候で、空がどこまでも高く澄＃
んでゐます。では、おとうさんとおかあさんに、よろしくお＃
傳へください。さやうなら。　　＃
　十八　　ゆかしい心　＃
　長［なが］唄［うた］　＃
第一線のある夜のことであつた。＃
＜Ｐ－１２１＞
ラジオを敵の陣地へ放送する宣傳班員は、ざんがうの暗＃
がりの中で、擴聲器の點檢をしてゐた。＃
そのうち偶然にも、東京放送局からの電波がはいつて來＃
た。長唄の調べである。＃
「フィリピンのざんがうの中で、日本の長唄を聞くなんて、＃
うれしいことだね。」＃
と、みんなはにこにこしながら、長唄の音に耳を傾けてゐた。　　＃
　猫　＃
澄みきつた大空のもとに、ナチブ山が青々とそびえてゐ＃
る。＃
＜Ｐ－１２２＞
ナチブ山の頂には敵の砲兵觀測所があるが、山全體が熱＃
帶の森林におほはれてゐるので、飛行機からの偵察でもは＃
つきりわからない。まして平原にある友軍陣地からは、そ＃
れがどの邊にあるか、ほとんど見當がつかない。＃
バランガへ通じる白い道は、その觀測所から手に取るや＃
うに見えるので、わが軍の貨物自動車は、一臺一臺正確な射＃
撃にみまはれる。しかし、この道以外に部隊の進撃路はな＃
いので、どうしてもこの難關を突破しなければならない。＃
トラックや戰車は、全部木かげにかくして、敵の砲撃の目＃
標になることを避けてゐる。みかたの砲兵は、畠の中へず＃
＜Ｐ－１２３＞
らりと放列をしいて、ナチブ山の頂をにらんでゐる。＃
このはりつめた第一線の陣中で、ふと猫の鳴き聲を耳に＃
した。こんなところに猫がゐるはずはないと思つて、あた＃
りを見まはすと、かたはらの貨物自動車の上に、三毛猫がう＃
ずくまつてゐる。兵隊さんが、どこからかつれて來て、かは＃
いがつてゐる猫であつた。　　＃
　俳句　＃
第一線に近い宿營に、待機してゐた時のことであつた。＃
すぐ隣りの宿營にゐた一人の兵隊さんが、俳句を作つたか＃
ら見てくれといつて、夜中にやつて來た。＃
＜Ｐ－１２４＞
夜、燈火を用ひることは堅く禁じられてゐるので、窓から＃
流れ込む空の明かるさで、兵隊さんの顏もやつとわかるほ＃
どであつた。兵隊さんがさし出す紙切れを手に取つて、一＃
字一字薄あかりにすかしながら讀んだ。　　＃
彈の下草もえ出づる土［ど］嚢［なう］かな　　＃
密林をきり開いては進む雲の峯　　＃
といふ二句であつた。＃
四十近いこの兵隊さんは、前線への出發を明日に控へな＃
がら、その前夜、自作の俳句を讀んでくれと、わざわざやつて＃
來たのである。「陣中新聞に發表してはどうですか。」とすす＃
＜Ｐ－１２５＞
めると、＃
「いや、そんな氣持はありません。」＃
と答へた。＃
「あなたの名前は。」＃
とたづねても、だまつたまま笑つてゐた。＃
兵隊さんは、俳句を讀んでもらつた滿足を感謝のことば＃
に表して、部屋から出て行つた。　　＃
　十九　　朝顏に　＃
千［ち］代［よ］　＃
＜Ｐ－１２６＞
朝顏につるべ取られてもらひ水　＃
木から物のこぼるる音や秋の風　＃
何着ても美しうなる月見かな　＃
ころぶ人を笑うてころぶ雪見かな　＃
一［いつ］茶［さ］　＃
雀の子そこのけそこのけお馬が通る　＃
やせ蛙まけるな一茶これにあり　＃
やれ打つなはへが手をする足をする　＃
　二十　　古事記　＃
＜Ｐ－１２７＞
元明天皇の勅命によつて、太［おほの］安［やす］萬［ま］侶［ろ］は、稗［ひえ］田［だの］阿［あ］禮［れ］がそらん＃
じるわが國の古傳を、文字に書き表すことになつた。＃
阿禮は、記憶力の非凡な人であつた。かれが天武天皇の＃
仰せによつて、わが國の正しい古記録を讀み、古いいひ傳へ＃
をそらんじ始めたのは、三十餘年前のことである。當時二＃
十八歳の若盛りであつた阿禮が、今ではもう六十近い老人＃
になつた。この人がなくなつたら、わが國の正しい古傳、つ＃
まり神代以來の尊い歴史も文學も、その死とともに傳はら＃
ないでしまふかも知れないのであつた。＃
勅命のくだつたことを承つた阿禮は、それこそ天にもの＃
＜Ｐ－１２８＞
ぼるここちであつたらう。さうして、長い長い物語を讀み＃
あげるのに、ほとんど心魂をささげ盡くしたことであらう。＃
ところで、これを文字に書き表す安萬侶の苦心は、それにも＃
増して大きいものであつた。＃
そのころは、まだかたかなもひらがなもなかつた。文字＃
といへば漢字ばかりで、文章といへば、漢文が普通であつた。＃
しかるに、阿禮の語るところは、すべてわが國の古いことば＃
である。わが國の古語を、漢字ばかりでそのままに書き表＃
すことが、安萬侶に取つての大きな苦心であつた。＃
試みに、今日もし、かたかなもひらがなもないとして、漢字＃
＜Ｐ－１２９＞
ばかりで、われわれの日常使ふことばを書き表さうとした＃
ら、どうなるであらう。「クサキハアヲイ」といふのを漢字だ＃
けで書けば、さし當り「草木青」と書いて滿足しなければなる＃
まい。しかし、これでは、漢文流に「サウモクアヲシ」と讀むこ＃
ともできる。そこで、ほんたうに間違ひなく讀ませるため＃
には、「久［ク］佐［サ］幾［キ］波［ハ］阿［ア］遠［ヲ］以［イ］」とでも書かなければならなくなる。＃
だが、これではまたあまりに長過ぎて、讀むのにかへつて不＃
便である。＃
安萬侶は、いろいろの方法を用ひた。例へば、「アメツチ」と＃
いふのを「天地」と書き、「クラゲ」といふのを「久［ク］羅［ラ］下［ゲ］」と書いた。＃
＜Ｐ－１３０＞
前者は「クサキ」を「草木」と書くのと同じであり、後者は「久佐幾」＃
と書くのと同じである。「ハヤスサノヲノミコト」といふの＃
を「速［ハヤ］須［ス］佐［サ］之［ノ］男［ヲノ］命［ミコト］」としたのは、「草木」と「久佐幾」と二つの方法を＃
いつしよにしたのである。これらは名前であるから、割合＃
ひ簡單でもあらうが、長い文章になると、その苦心は一通り＃
のことでなかつた。＃
しかし、かうした苦心はやがて報いられて、阿禮の語ると＃
ころは、ことばそのまま文字に書き表された。安萬侶はこ＃
れを三卷の書物にまとめて、天皇に奉つた。古事記といつ＃
て、わが國でも最も古い書物の一つになつてゐる。和［わ］銅［どう］五＃
＜Ｐ－１３１＞
年正月二十八日、今から一千二百餘年の昔のことである。＃
天の岩屋、八［や］岐［また］のをろち、大國主神、ににぎのみこと、つりば＃
りの行くへ等の神代の尊い物語を始め、神武天皇や日［やま］本［と］武［たけるの］＃
尊［みこと］の御事蹟、その他古代のいひ傳へが、古事記に載せられて＃
今日に傳はつてゐる。＃
それは、要するにわが國初以來の尊い歴史であり、文學で＃
ある。殊に大切なことは、かうしてわが國の古傳が、古語の＃
ままに殘つたことである。古語には、わが古代國民の精神＃
がとけ込んでゐる。われわれは今日古事記を讀んで、國初＃
以來の歴史を知るとともに、そのことばを通して、古代日本＃
＜Ｐ－１３２＞
人の精神を、ありありと讀むことができるのである。　　＃
　二十一　　御民われ　＃
御民われ生けるしるしあり天地の榮ゆる時にあへらく＃
思へば　＃
天地の榮えるこの大御代に生まれ合はせたのを思ふと、＃
一臣民である自分も、しみじみと生きがひを感じるとよん＃
でゐます。その大きな、力強い調子に、古代のわが國民の素＃
朴な喜びがみなぎつてゐます。昭和の聖代に生をうけた＃
私たちは、この歌を口ずさんで、更に新しい喜びを感じるの＃
＜Ｐ－１３３＞
であります。　　＃
ひさかたの光のどけき春の日にしづこころなく花の散＃
るらん　＃
のどかな春の日の光の中に、あわただしく散つて行く櫻＃
の花をよんだ歌で、優美の極みであります。平安時代の大＃
宮人たちは、かうした心持を心ゆくまで味はつて、都の春を＃
樂しんだのでした。　　＃
箱根路をわが越えくれば伊［い］豆［づ］の海や沖の小島に波のよ＃
る見ゆ　＃
源［みなもとの］實［さね］朝［とも］は、鎌［かま］倉［くら］時代のすぐれた歌人でありました。箱根＃
＜Ｐ－１３４＞
山から伊豆山へ越えて行くと、向かふの沖の初［はつ］島［しま］に、白い波＃
が打ち寄せてゐるのが見えるといふ、繪のやうな歌です。　　＃
敷島のやまとごころを人とはば朝日ににほふやまざく＃
ら花　＃
さしのぼる朝日の光に輝いて、らんまんと咲きにほふ山＃
櫻の花は、いかにもわがやまと魂をよく表してゐます。本［もと］＃
居［をり］宣［のり］長［なが］は、江戸時代の有名な學者で、古事記傳を大成して、わ＃
が國民精神の發揚につとめました。まことにこの人にふ＃
さはしい歌であります。　　＃
ひとつもて君を祝はんひとつもて親を祝はんふたもと＃
＜Ｐ－１３５＞
ある松　＃
明治時代の學者であり、歌人であつた落［おち］合［あひ］直［なほ］文［ぶみ］が、元旦に＃
門松をよんだ歌です。二本の門松のうち、その一本を以て＃
聖壽の萬歳を祝し奉り、その一本を以て親の長壽を祈らう＃
といふ意味で、新年に持つわれわれ日本人の心持が、すらす＃
らと品よくよみ出されてゐます。私たちはこの歌を聲高＃
く讀んで、その何ともいへないほがらかな、つつましい心を＃
味はひたいものです。　　＃
＜Ｐ－２０１＞
　附録　＃
　一　　ジャワ風景　＃
　一　＃
自動車に乘つて、タンジョン・プリヨクの港か＃
ら、ジャカルタの町へ向かつて行く。道は運河＃
にそつてゐる。運河には、いろいろな模［も］樣［やう］をか＃
いた小さな船が、三角の帆をあげて靜かに浮か＃
んでゐる。＃
野原には、山［や］羊［ぎ］の群があちらこちらにゐる。＃
＜Ｐ－２０２＞
眞青な空には、白い雲が光を帶びて流れてゐる。＃
自動車の運轉手は、若いジャワ人で、びろうどのづきんをかぶり、＃
風のやうな速さでタマリンドの並木路を走り續ける。＃
その緑の木かげにも、山羊の群がたくさんゐる。白い山羊もゐ＃
れば、黒いのもゐる。まだらの山羊もゐる。これを追つてゐるの＃
は、みんなジャワの少年たちであつた。　　＃
　二　＃
ジャワは、果［くだ］物［もの］の島。＃
果物の女王と呼ばれるマンゴスチ＃
ンがある。＃
形は、まくはうりのやうで、味は、熟し＃
柿そつくりのマンゴーがある。＃
＜Ｐ－２０３＞
じやがいものやうなかつかうで砂糖の＃
やうにあまいサオ、＃
一面にとげの生え＃
た鬼の頭のやうな＃
ドリヤン。＃
世界でいちばん大きな果物といはれる＃
ノンコの實もある。＃
そのほか、パイ＃
ナップルや、ザボ＃
ンや、パパイヤな＃
どもあつて、それ＃
が、みんな目のさ＃
＜Ｐ－２０４＞
めるほどみごとなものばかりである。＃
バナナに至つては、その種類の多いことだけでもびつくりさせ＃
られる。　　＃
　三　＃
ジャワ人たちは、男でも女でも、サロンを腰に卷いてゐる。いは＃
ゆるジャワ更［ざら］紗［さ］で、赤や青や緑などで、花［くわ］鳥［てう］を染め出したはなやか＃
なものが、いつぱんに用ひられてゐる。　　＃
　四　＃
中央ジャワの高原にあるマゲランといふ町へ行く。さわやか＃
な山道を、汽車は鐘を鳴らしながら登る。小さな山の驛に着くた＃
びに、かごを頭に載せた女たちが、窓のところへ物賣りにやつて來＃
る。ばせうの葉に包んだ御飯や、バナナのあげものや、山［や］羊［ぎ］の燒肉＃
＜Ｐ－２０５＞
などがある。葉に包んだ御飯は、日本のかしは＃
餅を思はせる。＃
高原にも牛や羊［ひつじ］や水牛がゐる。＃
スチャンといふ驛で乘りかへた時、ジャワ人＃
の品のよい一家族が乘つて來た。その靜かな＃
たちゐふるまひを見て、このあたりがいちばん＃
ジャワらしい風習の殘つてゐるところだとい＃
ふことを思ふ。＃
百年ばかり前、ジャワが、オランダと戰つたこ＃
とがある。その時、ジャワの英雄ジポ・ヌガラが＃
現れて、五年間も守り續けた。その英雄を生ん＃
だのが、この地方である。＃
＜Ｐ－２０６＞
まもなく、汽車はマゲランの町にはいり、市内電車のやうに町の＃
中をどんどん走る。止つたところは商店街の眞中である。＃
その夜は、高原の町マゲランにとまる。虫の聲を聞きながら、遠＃
くムラピ山から立ちのぼる赤い火を眺めた。　　＃
　二　　ビスマルク諸島　＃
　ニューアイルランド島　＃
汽船に乘つて、わが南洋のトラック島を出發し、眞南へくだつて＃
行くと、一日半ぐらゐで赤道に達する。それからまた一日半ぐら＃
ゐ南へ航海を續けると、一つの島が見えて來る。ニューアイルラ＃
ンド島である。＃
汽船をこの島へ寄せるとしたならば、だれでもその北端にある＃
＜Ｐ－２０７＞
カビエングといふ港をえらぶであらう。＃
そこには、緑［ろく］青［しやう］を薄くとかして流した＃
やうな、美しい靜かな海が奧深く入り込＃
み、目もさめるやうな緑の葉の椰［や］子［し］の木＃
や、鳳［ほう］凰［わう］木［ぼく］などが茂り、その間に、眞赤な佛［ぶつ］＃
桑［さう］華［げ］の花が咲き亂れてゐる。空は紺［こん］青［じやう］＃
に澄み渡り、せたけの十倍二十倍もある＃
樹木のかげを行くと、梢には赤・黄・青など＃
の美しい羽をしたいろいろな小鳥が、聞＃
きなれない鳴き聲をして飛びまはつて＃
ゐる。＃
黄色に熟したレモンが鈴［すず］なりになつてゐる畠の向かふには、青＃
＜Ｐ－２０８＞
いパパイヤが、手を延せばとどきさうなところに、千なりべうたん＃
のやうにぶらさがつてゐる。パイナップルも、道のすぐそばで、に＃
こにこした顏を見せてゐるし、南洋りんごと呼ばれる小さなトマ＃
トぐらゐの大きさの實の生つてゐる木が、早くたべてくださいと＃
いはんばかりに、往來まで枝をさしのべてゐる。もぎ取つて口へ＃
入れると、かすかすと齒ごたへがして、乾ききつたのどへ、あまずつ＃
ぱい汁が流れ込む。＃
附近には、わづかな住民の家がところど＃
ころに點在し、内地のゐなかの村を歩いて＃
ゐるやうな靜かさである。住民はパプア＃
族で、色は黒［こく］檀［たん］のやうに黒くてつやつやし＃
てをり、髮はちぢれて、四五センチ以上には＃
＜Ｐ－２０９＞
のびない。腰にラップラップといふ短い腰卷を着けてゐるばか＃
りで、いつもはだか、はだしで暮してゐる。せいは日本人よりもず＃
つと高く、力も強い。しかし氣立てはやさしく、日本人を心から尊＃
敬して、なかなか勤勉に働く。＃
昭和十七年一月二十三日、わが海軍特別陸戰隊が、この土地に敵＃
前上陸して、濠［がう］洲［しう］兵を追ひ拂ひ、日本領の標柱を打ち立てた當時か＃
ら、住民たちは、日本軍の強さと心のやさしさを知つて、すつかりな＃
ついてしまつた。　　＃
　ニューブリテン島　＃
ニューアイルランド島をあとにして、更に南へ航海を續けると、＃
半日もたつたのち、南へずつと連なる大きな島が見えて來る。ニ＃
ューブリテン島である。＃
＜Ｐ－２１０＞
島の北の端に、深い水をたたへた廣い灣があつて、その灣の奧に、＃
ラバウルといふりつぱな町がある。＃
朝夕、町の姿をうつすこの廣い灣は、ラバウル＃
の生命で、一萬トン級の船が百五十隻ぐらゐは＃
らくにはいれる。パプア島にも、ソロモン諸島＃
にも、濠洲の東北部にも、これと肩を並べるやう＃
な港はない。赤道をさしはさんで、わが南洋の＃
トラックを北の最良の港とすれば、南の最良港＃
はこのラバウルである。＃
港がよければ、しぜん政［せい］治［ぢ］・交［かう］通［つう］・産業の中心と＃
なるので、以前はここにニューギニヤ州の總［そう］督［とく］が住んでゐた。し＃
かし今では、日本軍がここにどつかり腰をすゑて、濠洲のかなたま＃
＜Ｐ－２１１＞
でじつとにらみつけてゐるのだ。＃
この島の中央を、屋根のやうな山脈が走つてゐる。ラバウルの＃
町も、その後にこの山脈を控へ、神［かう］戸［べ］や横［よこ］須［す］賀［か］などと同じく、ひな壇［だん］＃
のやうに家々が山の中腹に並んでゐる。＃
ラバウルは、南洋の町としてはりつぱであるが、戸數は五六百を＃
數へるに過ぎない。西洋人の殘して行つた家は床が高く、その下＃
を立つたままでらくに通行することができる。窓も廣く、金網を＃
張つて壁の代りにしてゐるが、これらはみんな風通しをよくする＃
ためである。＃
家の軒下には、直徑一メートル半もある、トタンで作つた圓［ゑん］筒［とう］形＃
の天［てん］水［すゐ］桶［をけ］が並べてある。このあたりの島々は珊［さん］瑚［ご］礁［せう］からできて＃
ゐるせゐか、井戸をほつても水は出て來ない。屋根に落ちる雨水＃
＜Ｐ－２１２＞
は、樋［とひ］で殘らずこの桶にたくはへておくやうにする。＃
船がラバウルの灣の入口にさしかかつた時、目の前に立ちふさ＃
がつてゐる火山が、白い煙を吐いてゐたが、時々この火山が爆發し＃
て、火山灰をラバウルの町へふりまく。殊に、季［き］節［せつ］風が南西にかは＃
る三月ごろから始つて、十一月ごろまではよく灰が降り、植物は枯＃
れ、名物のほたるまでが死んでしまふ。皇軍がこの島を治めるや＃
うになつてから、火山灰の＃
降らないところに、新ラバ＃
ウルの市街を作ることに＃
なつてゐる。＃
この島の住民の數は九萬人餘りで、みん＃
なパプア族である。パンの實、バナナ・タロ＃
＜Ｐ－２１３＞
いもなどを常食としてゐる。魚を取ることも上手である。＃
子どもが、椰子の梢にのぼつて實を取つてゐることがある。椰＃
子の實からコプラを取るためである。その木かげで豚［ぶた］が遊び、あ＃
ちらこちらに鷄の鳴き聲が聞かれるのも、のどかな風景である。　　＃
　三　　セレベスのゐなか　＃
　一　＃
セレベスの島影は、どこか日本の山を思はせるやうな姿で、地平＃
線の上に浮かびあがつて來た。＃
赤道を越えて南半球へはいると、だれしも遠く來たものだと思＃
はないではゐられないが、今目の前に現れて來た陸地の姿や、木々＃
の色が、フィリピンの島々よりもかへつて日本に近いものを感じ＃
＜Ｐ－２１４＞
させるのは、意外だつた。ただ、海の色と、空＃
の明かるさと、雲の形が、日本の内地に比べ＃
てすばらしくあざやかである。＃
南にウォウォニ島を見ながら、船は靜か＃
にスタリン灣へはいる。＃
だが、想像してゐたココ椰［や］＃
子［し］の林も、船着き場も、家ら＃
しい家さへも見えない。＃
ところで、一面マングロー＃
ブの林のやうに見える岸べから、せまい水道を通＃
つて、更に袋のやうにひろがつた灣内へはいると、＃
そこにケンダリといふ小さな町があつた。＃
＜Ｐ－２１５＞
船は、淺い珊［さん］瑚［ご］礁［せう］を警戒していかりをおろした。＃
日は、もう山の端にかくれた。陸地の方から、果［くだ］物［もの］の香氣のやう＃
なにほひをふくんだそよ風が流れて來る。＃
あたりには、まだたそがれのかすかな光がただよつてゐて、空と＃
海とが、刻々に千變萬化の美しさを見せる。＃
住民たちが、丸木舟でわれわれの船に近づいて來て、「バナナ、バナ＃
ナ。」といひながら、太いバナナの房［ふさ］をささげる。日本人のバナナが＃
すきなことを知つて、賣りに來るのである。＃
「あれは、馬に食はせるバナナだ。とても、なまではまづくてたべ＃
られやしないよ。」＃
と、以前セレベスにゐた人が笑つて教へてくれた。　　＃
　二　＃
＜Ｐ－２１６＞
「この道はいつか來た道。」＃
と歌ひたくなるのが、セレベスのゐなか道＃
であつた。耕されてゐないこんな廣い原＃
野といふものになじみのな＃
いわれわれには、森や林の間＃
にひろびろとひろがつてゐる草原が、ふと麥畠のや＃
うに感じられる。ただとこ＃
ろどころに、ニッパ椰子や、サ＃
ゴ椰子や、びんらうが生えて＃
ゐるけれども、ここがセレベスだとは思へ＃
ないほど日本内地の風景によく似てゐる。　　＃
　三　＃
＜Ｐ－２１７＞
セレベスには、猛［まう］獸［じう］毒［どく］蛇［じや］がゐないといふ。だが、家の中の机の上＃
に、大きなとかげがちよこんと頭をもたげてすわつてゐたり、大男＃
の手のひらほどもある、黒と黄色のだんだらの蜘［く］蛛［も］とも蚊［か］とんぼ＃
ともつかないものが、ふはふは飛んで來たり、毒々しいまでに朱［しゆ］色［いろ］＃
のとんぼが、壁に止つたりしてゐるのを見ると、あの内地の山によ＃
く似た山脈の森の中には、どんな動物がゐるのか想像がつかない。＃
朝日の出前から、うつそうと茂つた林の中では、うぐひすそつく＃
りな鳥の聲や、今まで聞いたこともない笛を吹くやうな調子で鳴＃
く奇妙な鳥の聲がする。＃
朝の涼しさは、その鳥の聲とともに内地の春を思はせるのであ＃
るが、やがてぎらぎらと太陽が中天にのぼると、燒けつくやうな暑［しよ］＃
熱［ねつ］が地上を支配する。この炎［えん］天［てん］のもとのはるかな草原に、大きな＃
＜Ｐ－２１８＞
すすきの穗が波のやうに搖れ、とんぼが飛びかふのを見てゐると、＃
これが夏なのか秋なのかと考へてみたくなる。　　＃
　四　＃
夜が來て、山脈の上の黒水晶のやうにつやつやした大陸に、南十＃
字星がかかつて、あたり一面が虫の聲に滿たされ、木々の間に無數＃
のほたるが群がつて青白い光を見せ始めると、世界は太古のやう＃
な靜けさの中へはいつて行く。＃
住民のまばらな、廣大なセレベスの夜の靜けさは、内地の都會や＃
町に住む人々には、想像もつかないであらう。＃
今は二月、内地ではまだ寒い風が吹いてゐるであらうに、四［し］季［き］の＃
ないセレベスのゐなかでは、窓を開けはなし、かやをつつて、きらき＃
らと輝く南半球の星を眺めながら寢につくのである。　　＃
＜Ｐ－２１９＞
　四　　サラワクの印象　＃
　一　＃
赤道下のボルネオにも、こんなに氣持のよい町があつたのかと＃
驚かされるのがクチンである。＃
クチンは、ボルネオ島の西北岸、海に面して細＃
長くのびた舊サラワク王國の首都である。＃
サラワク川の川口から、廣々と流れる濁［だく］流［りう］を＃
さかのぼること約三四時間、右岸一帶に打ち續＃
くうつそうとした密林が切れて、白い壁に赤い＃
屋根の建物がずらりと川岸に立ち並んで見え＃
る。これがクチンである。＃
＜Ｐ－２２０＞
川にそつて作られた數本の鋪［ほ］裝［さう］道路の兩側には、雜貨店と呉［ご］服［ふく］＃
店を中心に、南洋のどこの町にも見られるあの支那風の商店が、ぎ＃
つしりと軒を並べてゐる。さうして、この町も他の町々と同じや＃
うに、商店の持主はほとんど華［くわ］僑［けう］である。＃
その店先は、赤や黄色のあざやかな花模［も］樣［やう］を散らした更［さら］紗［さ］地と、＃
すきとほるやうな水色や、赤や、緑の薄いきれ地などがいつぱいに＃
かざられ、それが強烈な南洋の光線に照り映えて、まぶしい色どり＃
をただよはしてゐる。＃
町を歩いてまづ感じることは、このやうな商店街が思つたより＃
も清［せい］潔［けつ］であり、きちんと整つてゐることである。上［しやん］海［はい］や廣［かん］東［とん］あた＃
りの支那街の、あのごつた返したやかましさは見られない。＃
商店街からのびた數本の鋪裝道路は、町とせなか合はせに續い＃
＜Ｐ－２２１＞
てゐる美しい傾斜面と、緑濃いゴム林におほはれた公園地帶の間＃
を走つてゐる。さうして、赤屋根の住宅が、あちらこちらの緑の中＃
に點在してゐる。＃
サラワク特産のオランウータンの子どもが、大きな頭を振りな＃
がら時々現れて來ては、日本の兵隊さんた＃
ちを喜ばすのもこのあたりである。これ＃
はたいてい人に飼ひならされたもので人＃
を見るとへうきんなかつかうをして、なつ＃
かしげに近寄つて來る。オランウータン＃
は猿［さる］の一種で、その一擧一動がをかしいほど人間に似てをり、舊サ＃
ラワク王國時代には、これを國外へ出すことを禁じて保護してゐ＃
たものである。　　＃
＜Ｐ－２２２＞
　二　＃
住宅の周圍には、すくすくとのびたゴムの木立が緑色の涼しい＃
かげを作つてをり、木立の間を流れる空氣はひえびえと澄みきつ＃
て、パイナップルのにほひがあたりに滿ちてゐる。＃
ここの住宅地に明け暮れを送ると、しばしば北緯一度半の熱帶＃
にゐることを忘れてしまふ。あの不愉快な蚊［か］もゐなければ、蝿［はへ］も＃
ゐない。燒けつくやうな眞晝の暑さは、緑色の涼しい木かげでさ＃
へぎられ、夜になると、窓から山のいぶきが水のやうに流れ込んで＃
來る。＃
家のまはりのゴム林には、名も知れない鳥が來て鳴き始める。＃
それは、明け方になるにつれて激しく、夜明け前の一時間ぐらゐに＃
最高潮に達する。何千何百といふ數知れない小鳥たちが、いつせ＃
＜Ｐ－２２３＞
いに歌を奏する。よく晴れた朝など、この一大交［かう］響［きやう］樂［がく］にしばしば＃
目をさまされることがある。＃
ボルネオの雨［う］季［き］は、十月に始つて三月ごろに終る。このころに＃
なると、北東の季節風が吹き始め、一日に何回となく激しいスコー＃
ルがおとづれる。中でもクチンのスコールは、よそでは見られな＃
いほど猛烈なものである。大粒の雨が、ものすごい音をたててゴ＃
ムの葉をたたき、しぶきをあげ、一間先も見えなくなるくらゐ降り＃
續く時は、息苦しくさへなつて來る。＃
それに雷が多い。今にも頭上に落ちかかるかと思はれるやう＃
な、激しい雷が鳴り響く。スコールの荒れる夜など、すぐ目の前の＃
ゴムの木の根へ、耳をつんざくやうな雷鳴とともに、幅廣い稻妻が＃
鋭く切り込む時など、實にすさまじい光景である。　　＃
＜Ｐ－２２４＞
　三　＃
ボルネオの住民であるダイヤ族は、クチンでも大部分を占［し］めて＃
ゐる。＃
ダイヤ族には、陸ダイヤと海ダイヤとの二種族がある。海ダイ＃
ヤ族は、男女ともに胸から兩手・顏にかけて、たくさんの入れ墨をし＃
てゐる。主として海べに住み、すなどりを＃
業としてゐるが、性質が荒つぽく、海賊を働＃
いたり、今でも人の首を取つたりする惡習＃
が殘つてゐる。陸ダイヤ族は、これに反し＃
性質が從順なので、海ダイヤ族に追はれて陸地深く逃げ込み、農［のう］耕［かう］＃
をしてゐる。クチンあたりに住んでゐるのは、入れ墨も少く、小が＃
らで柔［にう］和［わ］な顏をしてゐる。かれらは、二三百戸ほどづつ集つて生＃
＜Ｐ－２２５＞
活してゐる。毒［どく］虫［むし］と濕［しつ］氣［き］から逃れるために、部落全體は、高さ一丈＃
ぐらゐの竹で作つた床の上にできてゐる。＃
廣い竹張りの廊［らう］下［か］が部落の眞中を走り、その兩側に、竹と椰［や］子［し］の＃
木で作つた長屋がずらりと並んでゐる。どの家も同じ作りで、家＃
の中に小さな通路があり、廊下へ出なくてもその通路をくぐれば、＃
部落全體の家をたづねることができる仕組みになつてゐる。床＃
下には、豚［ぶた］や、鷄が飼つてある。廊下は、いはば部落の大通である。＃
女たちは、勤勉に働いて家を守つてゐる。廊下にもみを干し、小＃
さな木［き］臼［うす］を圍んで米をつく。そのきねは、月の世界の兎がつく餅＃
つきのきねとそつくりである。女たちは、すわつて針仕事もすれ＃
ば、陸［をか］稻［ぼ］の草取りから刈入れまでする。かれらは水浴がすきであ＃
る。朝夕、部落のほとりを流れる清［せい］流［りう］にはいつて、部落の人たちが＃
＜Ｐ－２２６＞
そろつて水浴する眺めは壯觀である。＃
その他、マライ人がたくさん住んでゐる。マライ人はいちばん＃
進んでゐて、勢力もある。男女ともサロンをまとひ、女は日本風の＃
じゆばんを着てゐる。髮も束［そく］髮［はつ］のやうに結つてゐる。＃
マライ人の女たちが、夕方など、こんな姿で子どもをだいて門口＃
に立つてゐるのを見ると、ふと九州のゐなかへ行つたやうな氣持＃
になることがある。それほど日本人に似た姿である。そればか＃
りではない。何十年も昔から、ほんたうの日本人も住んでゐる。＃
この地に住みついた日本人の男女を見ると、マライ人とほとんど＃
區［く］別［べつ］がつかないほどである。マライ人も水浴がすきである。か＃
れらは、これをマンデーと呼んでゐる。夕方小川などは、サロンの＃
ままマンデーをするマライ人でいつぱいである。＃
＜Ｐ－２２７＞
支那人は、どこへ行つてもさうであるやうに、ここへも支那の生＃
活をそのまま持ち込んでゐる。團結力の強いかれらは、またたく＃
まに支那街を作り、そこに支那でやつて來たのとそつくりそのま＃
まの生活と習［しふ］慣［くわん］とをくりひろげる。土地の習慣や生活には目も＃
くれない。かれらは、自分たちだけの世界を築きあげる。それは、＃
見てゐると自信に滿ちた生活ぶりである。　　＃
