＜出典＞６６２　　　国定読本　６期６－２
＜Ｐ－００２＞
もくろく　　＃
一　　おかあさん………四　　＃
二　　外國からきたことば………十八　　＃
三　　星の光………二十九　　＃
四　　夜明け………三十八　　＃
五　　心に太陽をもて………四十二　　＃
心に太陽をもて　　＃
＜Ｐ－００３＞
くちびるに歌をもて　　＃
六　　とりいれまつりの夜………五十一　　＃
七　　茶わんの湯………六十二　　＃
八　　木もと竹うら………七十七　　＃
（一）　　＃
（二）　　＃
九　　雪の映画………八十三　　＃
十　　マッチ賣りのむすめ………九十　　＃
＜Ｐ－００４＞
一　　おかあさん　　＃
世界の名高い文学者で、その名のわが國に知られている人＃
は、けっして少なくはありません。けれども、フランスのル＃
イ・フィリップの名は、すこしちがった特別なひびきをもっ＃
て、私たちの心をうつのです。なぜでしょう。それは、フィ＃
リップの作品の中にみなぎっている大きな愛の氣持、そこか＃
らさしてくるとうとい光のためなのです。フィリップは、ま＃
ずしいもの、苦しんでいるもの、ふしあわせなものの中に、＃
かえって、人間としての心のとうとさをみつけたのです。そ＃
うして、心の正しい人々の苦しみを、自分もともに苦しんだ＃
＜Ｐ－００５＞
のです。だから、フィリップの作品の中には、たしかに、私＃
たちを心のそこから動かし、私たち自身の生活を思わずふり＃
返らせないではいない強い眞実の力が、こもっているので＃
す。＃
それというのも、フィリップ自身、中部フランスの小さな＃
町のまずしい木ぐつしの子に生まれ、おさないころから、人＃
の世の苦しみをいろいろとなめていたからのことでした。し＃
かし、フィリップのすなおな心は、まずしさのために、すこ＃
しもゆがめられたりはしませんでした。＃
こうしたフィリップの純眞さ、誠実さ、それは、かれが、＃
父を失った直後、文学修業のためにパリーに出て、市役所の＃
ガス係という職についたとき、ふるさとにのこした母へ送っ＃
＜Ｐ－００６＞
たつぎの手紙の中にもよくうかがわれます。老いた母を思う＃
子の眞情は、遠く海をこえて、私たちの胸にまでせまってく＃
るではありませんか。　　＃
パリー、千九百七年四月十日　　＃
おかあさんとちょっとお話をしようと思います。私は短い旅＃
をしたあとで、七時にパリーに着きました。たって以來、一分＃
間も、おかあさんのことを考えないではいられませんでした。＃
なつかしいおかあさん、おわかれしてから私がいちばんつら＃
かったことは、おかあさんがかなしがっていらっしゃると思う＃
ことでした。＃
＜Ｐ－００７＞
子どもたちのことをお考えになってください。そうして、ご＃
自分にはまだ子どもたちがのこっている、子どもたちはじゅう＃
ぶん愛していてくれる、だから、自分はたしかにひとりぼっち＃
ではないのだと、お考えになっ＃
てください。どうしても一ど＃
はおこらなければならないこ＃
とが、おこったというにすぎ＃
ないのです。私たちは、おと＃
うさんのために、心からの思＃
い出をまもることにしましょ＃
う。おとうさんのご一生は、私たちにとっての手本になってく＃
れるでしょう。おとうさんのお写眞を、私は、いつも自分のそ＃
＜Ｐ－００８＞
ばのつくえの上におきます。一生の間、いくたびとなく、おと＃
うさんのおことばを思いだすことにします。それは私にとって、＃
このうえもないたいせつなことばです。が、おかあさん、運命＃
にはしたがわなければなりません。じゅみょうにも負けなけれ＃
ばなりません。なにしろ、私たちよりふかいものなんですから。＃
私には決心がつきました。つらいのをがまんして生きていき＃
ます。どうしてもなれることのできないことがあるとしたら、＃
それは、おかあさんがかなしがっていらっしゃるということで＃
す。なにも、勇氣をだしてわすれてしまおうとお思いになるに＃
はおよびません。なにしろ、おかあさんにしても、私にしても、＃
とてもわすれることのできないのは、わかりきっているのです＃
から。けれども、力をだしてしごとのことをお考えになるので＃
＜Ｐ－００９＞
す。おかあさんの生活や、私たちの生活のことをお考えになっ＃
て、この世の中には、まだ幸福がのこっている、なぜかといえ＃
ば、妹にしても、私にしても、心からおかあさんを愛している＃
からだと、こうお考えにならなければいけません。＃
おかあさん、いま、おかあさんが力をおとしておしまいになっ＃
たら、あなたのルイは、たいへんかなしい思いをしなければな＃
りません。かなしみのために、おからだをおいためになるなん＃
て、どうあっても考えのたりないことです。＃
私は、おかあさんが、ちゃんとしていてくださって、どっち＃
みちさけることのできなかったことに対して、しっかりしたか＃
くごをおきめになり、自分を愛してくれる子どもたちのことを＃
思って、安らかに生きていてくださるのだと、思いたいのです。＃
＜Ｐ－０１０＞
ランプとコーヒー入れとは、あす、送らせます。ランプにつ＃
いては、いろいろいいことを教えてくれました。くぎへかける＃
ようにしたほうがいいとか、調節ができる＃
とか、ほのおがゆれたりしないとか、光を＃
ずっとやわらかくするために小さなかさが＃
あるとか――それには、つかいかたを書い＃
た小さな書きつけがついているはずです。よく説明しておもら＃
いになるといいと思います。ちっともむずかしいことはありま＃
せん。いたってべんりにできています。＃
では、おかあさん、さようなら。少なくとも、一週間ごとに＃
お手紙をさしあげましょう。それほど、たえずおかあさんのこ＃
とを思っているのです。じきに九月になります。そうしたら、＃
＜Ｐ－０１１＞
おそばに行けます。さようなら。＃
あなたのルイから　　＃
パリー、千九百七年四月十一日　　＃
おかあさん、いま、ランプとコーヒー入＃
れとを送らせました。＃
このランプは、石油でもきはつ油でも、どちらをおつかいに＃
なってもかまいません。が、きはつ油をおつかいになったほう＃
がいいのです。ランプはかべにおかけなさい。きはつ油のさし＃
かたは、ご自分でなさってごらんなさい。調子をととのえるに＃
は、どうをあちらこちらにまわすのです。いっしょに小さなか＃
さを送りました。たぶん、とちゅうでこわれるだろうというこ＃
＜Ｐ－０１２＞
とでしたが、もしこわれたら、そちらでわけなくかわりをお見＃
つけになれるでしょう。それに、ランプは、かさなしでもりっ＃
ぱに役にたちます。かさは、光をへいきんさせ、もっとやわら＃
かくするためなのです。＃
これは、私の友だちで、母親が十年このかた、この式のラン＃
プをつかっているというのが＃
教えてくれたことなのです。＃
その友だちの母親は、このラ＃
ンプに満足しきっているそう＃
です。＃
小包二つは、おそらくいっ＃
しょには着きますまい。コー＃
＜Ｐ－０１３＞
ヒー入れは、中に小さなめもりのようなものがついていて、ど＃
こまでコーヒーを入れていいのか、おわかりになります。それ＃
に、小さなさらがあります。それは、コップの上からコーヒー＃
こしをとったとき、それをのせるためなのです。＃
おかあさんのことを思っております。夜をどうしてすごして＃
おいででしょうか、お知らせください。もうじきお目にかかれ＃
ます。あなたを思うすべての心をかたむけて、さようなら。＃
ルイ　　＃
パリー、千九百七年四月十六日　　＃
おかあさんのことを思っています。あなたがたおふたりの写＃
眞は、いま、この手紙を書いているつくえの上、私の前におい＃
＜Ｐ－０１４＞
てあります。おとうさんに対しては、このうえなくまめやかな、＃
このうえもなく純眞な思い出がのこっています。＃
おとうさんのお写眞は、ほ＃
んとうに生き写しで、生きて＃
おいでになったときそのまま＃
です。そうして、おかあさん、＃
あなたのことを思うとき、「お＃
かあさんと私とは、おたがい＃
に、それほどはなれてはいな＃
いのだ、もうすこしすれば、ごいっしょに一月をくらせるのだ、＃
自分としては、力のかぎりおかあさんを幸福にしておあげしよ＃
う。」と、こんなことが思われてくるのです。＃
＜Ｐ－０１５＞
おかあさんが、もし、かなしいお氣持になられたときには、＃
自分には子どもがあるということをお考えになって、力をとり＃
なおしてくださるようにといのっています。＃
おかあさんがご用でしたら、いつでもとんで行きます。おか＃
あさんのおやさしさこそ、私にとっては、いちばんとうとい宝＃
なのです。＃
おとうさんのおはかについては、どうしたものか、ちょっと＃
私にはわかりかねます。が、おかあさんのおすきなようになさっ＃
てください。＃
おかあさん、これからたびたび手紙をあげることにしましょ＃
う。そうすれば、おあいしに行く日のくるまで、いままでより＃
時間が早くたつでしょうから。たとい、からだはこちらにいて＃
＜Ｐ－０１６＞
も、このまごころを書いてお送りして、せめてものおなぐさ＃
めにしたいと思っています。私がそば＃
にいないことなど、すっかりおわすれ＃
願いましょう。いつもこう思っていて＃
ください。あなたが私を思ってくださ＃
るとき、私もおかあさんのことを思っ＃
ていると。＃
ランプがお氣にいって、うれしく思＃
いました。すこしこみいりすぎている＃
とお考えではないかと心配していまし＃
た。パリーにある、なにかそういった＃
ものがご入用のときは、ごえんりょなくおっしゃってください。＃
＜Ｐ－０１７＞
夜が長すぎはしませんか。おひとりでさびしすぎるとは、お＃
思いになりませんか。＃
どんなにしていらっしゃいますか、お知らせください。私に＃
は、おかあさんのおすがたが、目に見えるような氣がします。＃
どの時間になにをしていらっしゃるか、この私にはわかるので＃
す。＃
では、おかあさん、さようなら。きょうはこれでお話をやめ＃
ます。が、近いうちにまたはじめましょう。さようなら。＃
あなたのルイ　　＃
＜Ｐ－０１８＞
二　　外國からきたことば　　＃
学校で、そうじをしているとき、高［たか］山［やま］くんが、思＃
いだしたように、＃
「バケツは、もとは英語だってね。ゆうべ、にいさんに聞いた＃
よ。」＃
といった。＃
すると、窓ガラスをふいていた田［た］中［なか］さんが、＃
「カーテンも英語じゃないかしら。」＃
といった。＃
これを聞いていた野［の］村［むら］さんが、＃
＜Ｐ－０１９＞
「では、バケツやカーテンなどは、日本語で、なんといってい＃
たんでしょう。」＃
とたずねた。＃
「さあ。」＃
田中さんが答えられないでいると、高山くんが、＃
「カーテンは、まどかけさ。」＃
「では、バケツは。」＃
「バケツはね、手おけさ。」＃
「手おけ、手おけはちょっとおかしいわね。」＃
「それではなんだろう。」＃
「さあ。」＃
そこへ先生がいらっしゃった。みんなの話をお聞きになって、＃
＜Ｐ－０２０＞
「そうか。そうじがすんだら、そのことについて話をしよう。」＃
とおっしゃった。＃
それで、みんなは急いでそうじをすませた。＃
みんなが席につくと、先生は、私たちのつかっていることば＃
の中で、外國からはいってきたことばが、いろいろまじってい＃
ることをくわしく話してくださった。＃
そうして、つぎのようなことばはその一例だとおっしゃって＃
こくばんにお書きになった。＃
「クレヨン、ペン、ナイフ、ゴム、ランドセル、ピ＃
アノ、オルガン、バイオリン、ハーモニカ、シャツ、＃
ボタン、ポケット、ズボン、オーバー。」＃
「ずいぶんあるなあ。」＃
＜Ｐ－０２１＞
といって、みんながおどろいていたが、先生は、つぎつぎと書＃
き続けられた。＃
「ミルク、コーヒー、ジャム、トマト、キャベツ、バス、トラッ＃
ク、オートバイ、リヤカー、ハンドル。」＃
みんなは、「ほう。」とか、「あれもそうか。」とかいいながら、先＃
生のお書きになる文字に目をそそいだ。＃
先生は、そんなことにはおかまいなしに、どんどんお続けに＃
なった。＃
「ボール、テニス、ピンポン、ラケット、スキー、ラジオ、ニュ＃
ース、レコード、チフス、コレラ、マラリア、トラホーム、＃
アルコール、ガーゼ。」＃
とうとう、こくばんがいっぱいになってしまった。＃
＜Ｐ－０２２＞
「へえ。」＃
私たちは、あまり多いのにおどろいた。＃
佐［さ］藤［とう］さんが、＃
「先生、私は、これはみんな、日本語だとばかり思っていまし＃
た。」＃
と、さもふしぎそうにいうと、先生は、＃
「いや、いまは日本語にちがいないが、もとは、外國のことば＃
さ。それが長い間つかっているうちに、すっかりなれてしまっ＃
て、日本語になったと考えていいだろう。」＃
とおっしゃった。それから、タバコ、キセル、カルタ、カボチャ＃
も、外國語であったとお話しになったので、私たちは、いよい＃
よおどろいた。＃
＜Ｐ－０２３＞
先生が、＃
「それでは、これらのことばは、もとはどこの國のことばだっ＃
たのだろう。」＃
とおっしゃったので、みんなは口々に、＃
「英語です。」＃
と、そくざに答えた。すると先生は、＃
「外國からはいってきたことばは、英語だけではな＃
く、ほかの國からも、いろいろはいってきている。＃
たとえば、ここにあげたことばの中でも、クレヨ＃
ン、ズボンはフランス語、ゴム、ランドセル、コ＃
ーヒー、コレラ、アルコールはオランダ語、チフス、トラホー＃
ム、ガーゼ、スキーはドイツ語。それから、タバコ、カルタは＃
＜Ｐ－０２４＞
ポルトガル語、キセルとカボチャはカンボジア語だといわれて＃
いる。そのほかのことばは、みんな英語だ。」＃
先生のお話を聞いているうちに、私は、どうし＃
てこんなにたくさんのことばが、いろいろな國か＃
らはいってきて、日本語になったのだろうかと、＃
ふしぎになってきた。それで、私は、＃
「先生、どうして、そんなにたくさんの外國のことばが、日本＃
語になったのでしょう。」＃
とおたずねした。＃
それは、外國と交通をして、日本になかった品物が、外國か＃
ら傳えられたときに、そのことばもいっしょにはいってきたの＃
で、たとえば、ラジオといっしょに、「ラジオ」ということばがは＃
＜Ｐ－０２５＞
いり、タバコとともに、「タバコ」ということばが、傳えられた＃
ということがわかった。＃
私は、このお話から、さまざまなことが心にうかんできた。＃
ものとことばが、いっしょになっているということは、あたり＃
まえのことだが、なかなかおもしろいと思った。＃
だから、これからのちも、新しいものが世の中にできてくる＃
と、ことばも、それにつれて、新しく生まれるものであること＃
が、考えられる。「ことばのおたんじょう」などというお話が、＃
つくれそうな氣がしてきた。＃
それから、外國のことばがはいってきたのは、品物からだけ＃
ではなく、外國の学問などが傳わってきたときに、そのことば＃
もいっしょに傳わってきたのにちがいない。そうしてみると、＃
＜Ｐ－０２６＞
このあいだ、先生から、日本にはいってきた西洋医学は、はじ＃
めオランダからはいり、そののちはドイツ医学がおもに傳わっ＃
たとうかがったが、このことから考えあわせてみ＃
ると、コレラは、オランダ医学がはいってきたと＃
きに、また、チフスやトラホームは、ドイツ医学＃
がはいってきたときにそれぞれ傳わったことばで＃
あろう。＃
また、音樂の時間によくつかう、リズムとか、ハーモニーと＃
か、そのほか、コーラスとか、ソナタとかいうことばは、西洋＃
音樂がはいってきたときに、いっしょに傳わってきたことばで＃
あろう。また、図画工作の時間によくいう、デッサンとか、モ＃
デルとか、バックとかいうことばも、西洋の油絵がはいってき＃
＜Ｐ－０２７＞
たときに傳わってきたのだということが想像される。＃
それから、ふと、古くから日本といちばん関係のふかかった＃
大陸からは、どんなことばがはいってきたのだろうかと思った。＃
それで、先生にそのことをおたずねすると、先生は、＃
「たとえば、『漢語をつかう。』などというときの漢語は、たいて＃
い大陸からきたことばだ。それが、あまり古い時代にはいっ＃
てきて、長いあいだつかっているうちに、もともとからの日＃
本語のように思われてきたのだ。」＃
とおっしゃった。＃
私は、自由研究で、外國からきたことばの中で、西洋からき＃
たことばをできるだけたくさん調べてみたいと思った。そこで、＃
「どうすれば、外國からきたことばが調べられますか。」＃
＜Ｐ－０２８＞
とおたずねした。＃
「それは、國語辞典をひいてみると、だいたいわかる。その中＃
で、かたかなで書いてあることばは、たいてい西洋からきた＃
ことばと思っていい。たくさん出てくるよ。それから、外來＃
語辞典というものもあるから、それを調べると、なおいっそ＃
うよくわかるだろう。」＃
私は、なにか大きな樂しみをもったような氣持になって、家＃
に帰ってきた。　　＃
＜Ｐ－０２９＞
三　　星の光　　＃
あなたがたに見てもらいたいものがあるのです。見てもらい＃
たいなどというと、どこかにしまってあるもののように聞える＃
かもしれませんが、これはけっしてそういうものではありませ＃
ん。だれでも、どこからでも、自由に見られるものなのです。＃
それは、空にかがやいている星です。＃
どうも日本人は、むかしから、あまり星に親しみをもってい＃
なかったようです。ですから、星のおとぎ話は、日本にはあま＃
りありません。日本は景色のよい國で、花がたえずさいていた＃
ために、天上の花を見ようとはしなかったのだろうという人も＃
＜Ｐ－０３０＞
ありますが、そればかりとも思われ＃
ません。かりにそれがほんとうのこ＃
とだとしても、自分の身近なものし＃
か見ないで、遠いもの、大きなもの＃
に心をくばることがたりなかったの＃
は、ざんねんなことだと思います。＃
小さな島國に住んでいたために、氣＃
持までちっぽけなものになってしまっ＃
たのでしょうか。むかしのことはし＃
ばらくおき、これからの人の心がま＃
えは、大きくなくてはいけません。な＃
んでも日本、日本と、日本だけが特別＃
＜Ｐ－０３１＞
の國ででもあるかのように考えて、＃
世界全体を見わたすことをわすれて＃
いたのは、よくないことでした。そう＃
いうちっぽけな考えでは、とても世＃
界の中にはたっていけません。あな＃
たがたは、これからの日本にとって＃
だいじなかたがたです。あなたがた＃
の考えひとつで、日本はよくもわる＃
くもなるのです。あなたがたのもの＃
を見る目、ものを考える力が大きく＃
なっていけば、日本は、見ちがえる＃
ほどりっぱな國になっていくのです。＃
＜Ｐ－０３２＞
さて、私は、あなたがたに星を見るようにすすめましたが、＃
中には、「星を見たってなにになる。」という人があるかもしれま＃
せん。天上の星とあなたがたとは、あまりにかけはなれている＃
ために、自分たちとはえんがないと思っている人もあるでしょ＃
う。けれども、星をこまかく観察したことから、農業が進歩し＃
たのです。こよみが作られたのです。天文学が生まれたのです。＃
数学が発達したのです。航海術がさかんになったのです。宗教＃
も、科学も、哲学も、ふかまっていったのです。よそ目には、星＃
と人間とは、たいして関係がなさそうですが、じつは、ふかいつ＃
ながりがあるのです。人間は、星によってみちびかれ、星によっ＃
て生きているといってもいいすぎではありません。＃
みなさんは、地球や金星などのわく星が、太陽を中心として＃
＜Ｐ－０３３＞
回轉していることを知っていま＃
す。この一むれの星を、ふつう＃
太陽系とよんでいます。しかし、＃
この太陽系は、ぎんが系といわ＃
れる星の大きな集まりの一部分＃
にしかすぎないのです。このぎ＃
んが系というのは、地球をとり＃
まいている天の川の内がわにあ＃
るたくさんの星のむれなのです。＃
それでは、このぎんが系全体が、＃
星の世界の全部かというと、な＃
かなかそうではありません。あ＃
＜Ｐ－０３４＞
のぎんが系に負けないほど大きな星の世界が、なおいくつかあ＃
るのです。＃
こうなってくると、うちゅうというものは、どこまで廣いの＃
か、想像がつきません。しかし、アインシュタイン博士の話に＃
よると、うちゅうは、けっしてはてしのないものではありませ＃
ん。博士の計算では、うちゅうのさしわたしは、およそ二十億＃
光年ということです。二十億光年――わかりますか。光が一方＃
のはしから、向こうのはしまでとどくのに、二十億年も、かか＃
るほどの廣さなのです。＃
この廣大なうちゅうにくらべては、太陽もごく小さなもので＃
す。地球などになると、なおさら、ごくごく小さなものです。＃
したがって、その地球の上に住んでいる人間などは、バクテリ＃
＜Ｐ－０３５＞
アよりも、もっともっと小さなものに感じられるかもしれませ＃
ん。大うちゅうから見たら、たしかに、人間は、バクテリアに＃
もおとるほどの小さなものでしょう。しかし、それだからといっ＃
て、すこしもかなしむことはありません。そのバクテリアにも＃
おとる小さな人間が、引力の法則を発見したり、うちゅうの大＃
きさを計算したりするではありませんか。これを思えば、人間＃
の力というものは、うちゅうにも負けないくらい廣大で、すば＃
らしいものだということができるでしょう。＃
みなさん、ごらんなさい、あの天上の星を。まあ、なんとい＃
うしずけさでしょう。なんという美しさでしょう。なんという＃
おごそかなすがたでしょう。じいっと大空の星をながめている＃
と、はてしのない、遠い世界にひきこまれるような氣がします。＃
＜Ｐ－０３６＞
まことに、星の光は、声のないこ＃
とばです。ことばのない詩です。教＃
えを説かない教えです。むかしから＃
すぐれた人たちは、星の光の中から＃
ふかい思想を読みとりました。さま＃
ざまな術を発達させました。＃
聞くところによると、キューリー＃
夫人は、まずしい学生であったとき、＃
物理の時間に、先生から、星をつか＃
めといわれ、そのことばにふかい感＃
動を受けたということです。夫人は、＃
星はつかまなかったのですが、その＃
＜Ｐ－０３７＞
感動から研究を進めて、ついにラジウムを発見したのです。＃
みなさん、あなたがたは、いま、日々の生活にもつらい思い＃
をしていますが、そんなことにへこたれてはいけません。ひく＃
つになってはいけません。心を大きくもってください。世界全＃
体を、人類全体を、そうして、うちゅう全体をながめわたす大＃
きな目をもってください。そうすれば、人間がだいいちにしな＃
ければならないことは、なんであるかということも、しぜんに＃
わかってくるはずです。もし、くしゃくしゃするようなことが＃
あったら、どうか天上の星を見あげてください。星は、きっと、＃
あなたがたに力をあたえてくれるにちがいありません。　　＃
＜Ｐ－０３８＞
四　　夜明け　　＃
一の人「音がする。ああ、いい音がする。」＃
みんな「一の人」の見ている方を遠く見つめる。＃
「ああ、聞える、夜明けの音樂が聞える。」＃
二の人　そのままのかっこうで、「聞える、わたしにも聞える。」＃
三の人「明かるいひびき。」＃
一の人　立ちあがって、「夜が明ける。」＃
二の人「東の空が明かるくなってくる。」＃
三の人「朝が近づく。」＃
みんな「夜明けの足音、しずかな夜明け。」＃
＜Ｐ－０３９＞
四の人「暗いとばりが、たち切られる。」＃
五の人「ゆめがさめた。長いゆめがさめた。」＃
三の人「夜が明ける。」＃
みんな「みんなの朝がくる。」＃
一の人「わたしたちの、樂しい朝がくる。」＃
五の人「深呼吸をしよう。」＃
みんな氣持よく、のびのびと深呼吸をする。＃
一の人「なんとさわやかな夜明けだろう。」＃
二の人　はるか遠くの方を指さして、「光、光だ。」＃
四の人「光だ。」＃
三の人「希望の光。」＃
＜Ｐ－０４０＞
五の人「喜びの光。」＃
四の人「きれいな、きれいな雲ではないか。」＃
二の人「大空がほおえんでいる。ばら色にわらっ＃
ている。」＃
三の人「おおらかな朝。」＃
みんな「おごそかな朝。」＃
一の人「日本の朝。」＃
二の人「わたしたちの朝だ。」＃
三の人「新しい世界のおとずれ。」＃
四の人「わかわかしい世紀のひびき。」＃
五の人「平和と自由の光がさしてくる。」＃
＜Ｐ－０４１＞
みんな「平和と自由。」＃
一の人「友よ、友よ。この美しい朝をむかえよう。」＃
二の人「この光を全身にあびよう。」＃
三の人「喜びにみちてかがやく光。」＃
みんな、かたまって、「朝日が、朝日がのぼる。」＃
二の人「朝風がふいてきた。」＃
一の人「山もはっきり見えてきた。」＃
三の人「わたしたちの前に、朝がきた。」＃
一の人「みんな、両手をのばせ。」＃
みんな「胸をはれ。」＃
みんな空をあおぐ。美しい音樂がひびく。　　＃
＜Ｐ－０４２＞
五　　心に太陽をもて　　＃
心に太陽をもて　　＃
心に太陽をもて、＃
あらしがふこうが、雪がふろうが。＃
天には雲、＃
地にはあらそいがたえなかろうが、＃
心に太陽をもて。＃
そうすりゃ、なにがこようと、平＃
氣じゃないか。＃
どんな暗い日だって、＃
＜Ｐ－０４３＞
それが明かるくしてくれる。＃
くちびるに歌をもて、＃
ほがらかな調子で。＃
日々の苦労に、＃
よし心配がたえなくとも、＃
くちびるに歌をもて。＃
そうすりゃ、なにがこようと、平＃
氣じゃないか。＃
どんなさびしい日だって、＃
それが元氣にしてくれる。＃
＜Ｐ－０４４＞
他人のためにもことばをもて、＃
なやみ、苦しんでいる他人のためにも。＃
そうして、なんでこんなにほがらかでいられるのか、＃
それを、こう話してやるのだ。＃
くちびるに歌をもて、＃
勇氣を失うな。＃
心に太陽をもて、＃
そうすりゃ、なんだってふっとんでしまう。　　＃
くちびるに歌をもて　　＃
スコットランドの西岸のおきあいで、ローマン＃
号という小さな汽船が、十ばいもある定期船につ＃
＜Ｐ－０４５＞
きあたって、ちんぼつしてしまいました。千九百二十年十月の、＃
ある月のない夜のことです。乘っていた百四人のうち、乘組員＃
十一人、船客十四人のゆくえがわからなくなりました。＃
アイリッシュ・ナショナル保險会社の社員、フランク・マッ＃
ケンナも、しずんでいく船からほうりだされて、黒い波の間を＃
およいでいました。助け船は、いったい、なにをしているのだ＃
ろう。かれは、氣が氣ではありませんでした。＃
助けを求めてなきさけぶ声も、いつか聞えなくなりました。＃
すべてのものが、ことごとく波にのまれてしまったように、死＃
のしずけさがあたりに廣がりました。すると、そのきみのわる＃
いしずけさの中から、とつぜん、まったく思いがけなく、きれ＃
いな歌が流れてきました。それは女の声で、しかも、調子もみ＃
＜Ｐ－０４６＞
だれていなければ、ふるえても＃
いません。まるで、大ぜいの來＃
客を前にして、客間で歌ってい＃
るのと、ちっともちがわないよ＃
うな歌いかたです。＃
マッケンナは、しばらくしん＃
みりした氣持で、この歌に聞きほれていました。かれは、いま＃
までにどれだけ歌を聞いたかしれませんが、このときぐらい、＃
しみじみと歌のありがたさを味わったことはありませんでした。＃
なんだか、すうっといい氣持になって、自分が水の中にひたっ＃
ていることも、わすれてしまったほどでした。寒さも、つかれ＃
も、どこかへけしとんでしまって、すっかり、よみがえったよ＃
＜Ｐ－０４７＞
うな氣持になりました。＃
歌っている人は、どういう人＃
かわかりませんが、おそらくは、＃
自分と同じように、船からなげ＃
だされたものでしょう。たいて＃
いの人は、しょうとつのときに＃
あわてふためいて、そのために＃
かえって波にのまれてしまった＃
のに、こんなきけんのせまった＃
中で、なんというおちついた、＃
またなんというほがらかな人だ＃
ろう。自分なんか、およいでい＃
＜Ｐ－０４８＞
るだけがせいぜいなのに、こんな暗い夜、こんな海のまん中で、＃
よくあんな美しい声がだせるものだと思いました。そうして、＃
自分もどうせ助からないものなら、こういう美しい歌に送られ＃
て、死んでいきたいものだと思いました。＃
かれは、歌の声をたよりに、その方におよいで行きました。＃
近づいてみると、船がしずむひょうしに流れ出たものらしい＃
一本の大きなまるたに、なん人かの婦人がつかまって、立ちお＃
よぎをしていました。歌を歌っているのは、その中のひとりで＃
した。＃
まだわかいおじょうさんです。頭から大波をかぶっても、平＃
氣で歌を続けていました。助け船のくるのを待つ間、ほかの婦＃
人たちが力をおとさないように、寒さに氣を失って、まるたか＃
＜Ｐ－０４９＞
ら手をはなさないように、こう＃
して元氣をつけていたのです。＃
「心に太陽をもて、＃
くちびるに歌をもて。」＃
このおじょうさんは、この歌を＃
知っていたかどうか知りません。＃
しかし、このおじょうさんくら＃
い、この歌の心を生かした人は＃
少ないでしょう。このおじょう＃
さんこそ、ほんとうにこの歌を＃
歌った人というべきです。＃
さて、おじょうさんの歌をた＃
＜Ｐ－０５０＞
よりに、マッケンナがおよいで行ったように、やがて、一そう＃
のボートが、やみをぬって助けにきてくれました。やはり、そ＃
の美しい声を手がかりにして。＃
そうして、マッケンナも、その歌を歌っていたおじょうさん＃
も、そのほかの婦人たちも、みんなすくいあげられました。＃
このことは、あくる日の新聞に出たマッケンナの話で、あき＃
らかになったのですが、おしいことに、歌を歌ったおじょうさ＃
んの名まえがわかりません。しかし、たとい、名まえはわから＃
なくても、あの美しい歌は、いまも、われわれの耳にひびいて＃
くるように感じられるではありませんか。　　＃
＜Ｐ－０５１＞
六　　とりいれまつりの夜　　＃
ある家の、かぼちゃのとりいれまつりの晩のこ＃
とでした。＃
「ひさしぶりにごちそうをたべて、たいへんゆか＃
いです。それで、よきょうに、『このかぼちゃは＃
だれのものか。』という話しあいをやってみたら、＃
おもしろいだろうと思います。」＃
こういいだしたのは、根のしるしをつけた老人＃
でした。＃
「賛成、賛成。」＃
＜Ｐ－０５２＞
「では、花さんからおはじめなさい。」＃
花は、美しいわかい女でした。＃
「それでは、座長の根さんのご指名で、私から＃
申します。もちろん、このかぼちゃは私のも＃
のです。私の花がさかなかったら、実はつき＃
ません。根や、つるや、葉のないかぼちゃは＃
ありませんが、それだけでは実はつきません。＃
花、とりわけ、め花がさいて、はじめて、か＃
ぼちゃの実がつくのです。こんな、十キロも＃
あるような大きなかぼちゃでも、それは、花＃
の一部であるめしべの根もとが、大きくふく＃
れただけのものです。だから、それは、私た＃
＜Ｐ－０５３＞
ち花のものだということはうたがいありません。」＃
「こんどは、葉さん、いってごらんなさい。」＃
葉は、元氣のいい青年でした。＃
「花さんは、たいへんじょうずに自分のことを主＃
張なさいましたね。しかし、どうしてそのめし＃
べの根もとがふくれて、そんな大きな実になっ＃
たかということは、ごぞんじないようですね。＃
それは、私が、いつも日あたりのいいところに出＃
て、じりじりと暑い日に照らされながら、せっ＃
せと養分をこしらえて、送ってあげたからです＃
よ。私は、せっかく花が開いても、とちゅうか＃
ら、黄色くなって落ちてしまったたくさんのか＃
＜Ｐ－０５４＞
ぼちゃの花を見ています。あれは、私たちの養分をこしらえ＃
る力をかまわずに、あなたがたが、かってに花をさかせたか＃
らですよ。だから、このかぼちゃは、全部私のものだと思い＃
ます。」＃
「では、つるさん、どうぞ。」＃
「いや、どうか根さんから。」＃
「では、おさきに申します。さっき、葉さんは養分のことをおっ＃
しゃいましたが、それは、大部分、根の私が、土の中から吸＃
いとって、送ってあげたものです。みなさんのように、明か＃
るい地の上でくらしているかたには、土の中のことはわから＃
ないでしょう。そこは、暗いところで、土もかたいし、石こ＃
ろなども、ごろごろしています。そこへ細い根をのばして、＃
＜Ｐ－０５５＞
水と養分とを吸いとって、夜＃
も晝も送ってあげるのは、た＃
いへんなほねおりです。だか＃
ら、私は、やっぱりそのかぼ＃
ちゃは、私のものだと思いま＃
す。」＃
「ほかに、だれもいませんから、＃
私が申します。」＃
おとなのつるは、しずかにい＃
いました。＃
「私は、こんなに長いばかりで、＃
花さんや、葉さんや、根さん＃
＜Ｐ－０５６＞
のような、特別なはたらきは、なに一つございません。しか＃
し、根さんが、せっかく吸ってくださった地の中の水や養分＃
でも、葉さんが、それを日の光にあてたり、空氣をお吸いに＃
なって、養分におこしらえになったものでも、私が運んであ＃
げなかったら、りっぱなかぼちゃの実にはなりません。ま＃
た、花さんでも、葉さんでも、日のあたるところや、高いと＃
ころがおすきなようですが、そこへつれて行ってあげるのは、＃
この私です。もし、つるの私がとちゅうで切れたりしたら、＃
それについている葉でも、花でも、なりかけている実でも、＃
みんなかれて、くさってしまいます。＃
ごらんなさい、私のこの足を、手を。こんなに大きなきずが＃
できていますが、私は、いっしょうけんめいそれをなおして、＃
＜Ｐ－０５７＞
あなたがたがかれないようにしてあげたのです。だから、私＃
は、そのかぼちゃは、全部私のものだと思います。」＃
つるがこういったとき、高い声でわらいながら、どやどやと＃
はいってきたものがあります。それは、頭のぼうしで、日、水、＃
土、はちたちだということがわかりました。＃
「あははは、いま、戸の外で聞いていると、あな＃
たたちは、ずいぶんかってなことをいっていま＃
したね。あなたがたは、自分のことしか考えな＃
いようですが、もし、私、つまり太陽がなかっ＃
たら、どうなると思います。＃
いったい、かぼちゃは熱帶地方のものです。それがこの日＃
本でできるためには、私が熱と光とをゆたかに送ってやった＃
＜Ｐ－０５８＞
からです。さっき、葉さんや根さんは、養分のことをいって＃
いらっしゃいましたが、それを養分につくるのは、葉さんで＃
はなくて、私ですよ。そういうことを考えてみたことがあり＃
ますか。」＃
水が続いていいました。＃
「生きものに、いちばんたいせつなものは、私た＃
ち水です。水がなかったら、なんでもすぐ、か＃
れたり死んだりしてしまいます。この大きなか＃
ぼちゃは、ずいぶんかたいようですが、やっぱり、この大部分＃
は水です。いまのお話の養分だって、水にとけているから、＃
根から実まで運んでいけるのですよ。それから、空から降る＃
雨、あれだって水ですよ。あのかわききった夏のさいちゅう＃
＜Ｐ－０５９＞
に、あの雨のおかげで、かれるのが助かったことを考えてご＃
らんなさい。」＃
土が立ちました。＃
「ぼくは、いちばんじみなものです。しかし、土にはえていな＃
いかぼちゃなんて見たことがない。さっきから問題になって＃
いる養分だって、みんな私がわけてあげたのです。水だって、＃
ためておいてあげたのです。ほかのことはわすれても、この＃
土のことは、かたときもおわすれになれないでしょう。」＃
すると、いたずらなはちがいいました。＃
「花さん、あなたが、どんなに美しくさいたって、＃
ぼくがとびまわって、かふんをなかだちしてあ＃
げなかったら、実は一つもつかなかったのです＃
＜Ｐ－０６０＞
よ。だから、あのかぼちゃは、＃
みんなぼくのものだといって＃
もいいのです。しかし、ぼく＃
は、そんなよくのふかい、身＃
がってなことはいいませんよ。＃
あなたがたは、どうして地面＃
にはえたのか、考えたことが＃
ありますか。」＃
花も、葉も、つるも、首をひ＃
ねって考えていました。しばら＃
くして、根がいいました。＃
「ああ、やっと思いだした。人＃
＜Ｐ－０６１＞
間が來て、まいてくれたのだった。もし、あの人間がいなかっ＃
たら、また、その人間がせわをしてくれなかったら、私たち＃
は、はえもしなければ、大きくもならなかったかもしれない。」＃
つるも、うなずいて、＃
「そうです。このかぼちゃは、だれのものとも、簡單にはいえ＃
ませんね。公平にいって、みんなのものです。しかし、いち＃
ばんいい種を、來年もわすれずにまいてもらうことができさ＃
えすれば、このかぼちゃは、お礼に、すっかり人間にあげて＃
しまっても、さしつかえないと思いますが、どうでしょうか。」＃
「同感。同感。」＃
と、日や、土や、水などがいいました。花も、葉も、根も、み＃
んな賛成しました。　　＃
＜Ｐ－０６２＞
七　　茶わんの湯　　＃
ここに、茶わんが一つあります。中には、熱＃
い湯がいっぱいはいっております。ただそれだ＃
けでは、なんのおもしろみもなく、ふしぎもな＃
いようですが、よく氣をつけて見ていると、だ＃
んだんに、いろいろのこまかいことが目につき、さまざまのう＃
たがいがおこってくるはずです。ただ一ぱいのこの湯でも、自＃
然の現象を観察し、研究することのすきな人には、なかなかお＃
もしろい見ものです。＃
第一に、湯の表面からは、白い湯げがたっています。これは、＃
＜Ｐ－０６３＞
いうまでもなく、熱い水蒸氣がひえて、小さなしずくになっ＃
たのが、無数にむらがっているので、ちょうど雲やきりと同じ＃
ようなものです。この茶わんをえんがわの日なたへ持ちだして、＃
日光を湯げにあて、向こうがわに黒いぬのでもおいてすかして＃
見ると、しずくのつぶの大きいのが、ちらちらと目に見えます。＃
ばあいにより、つぶがあまり大きくないときには、日光にすか＃
して見ると、湯げの中に、にじのような、赤や青の色がついて＃
います。これは、白いうす雲が月にかかったときに見えるのと、＃
にたようなものです。この色については、お話することがどっ＃
さりありますが、それは、また、いつかべつのときにしましょ＃
う。＃
すべて、まったくとう明なガス体の蒸氣が、しずくになると＃
＜Ｐ－０６４＞
きには、かならず、なにか、そのしずくのしんになるものがあっ＃
て、そのまわりに、蒸氣がこってくっつくので、もし、そうい＃
うしんがなかったら、きりは、たやすくできないということが、＃
学者の研究でわかってきました。そのしんになるものは、ふつ＃
うけんび鏡でも見えないほどの、たいへんこまかいちりのよう＃
なものです。空氣中には、それが、しぜんにたくさんういてい＃
るのです。空中にうかんでいた雲が消えてしまったあとには、＃
いまいった、ちりのようなものばかりがのこっていて、飛行機＃
などで、横からすかして見ると、ちょうど、けむりが廣がって＃
いるように見えるそうです。＃
茶わんからあがる湯げをよく見ると、湯が熱いかぬるいかが、＃
おおよそわかります。しめきったへやで、人の動きまわらない＃
＜Ｐ－０６５＞
ときだと、ことによくわかります。熱い湯ですと、湯げの温度＃
が高くて、まわりの空氣にくらべてずっとかるいために、どん＃
どんとさかんにたちのぼります。反対に、湯がぬるいと、いき＃
おいがよわいわけです。湯の温度を計る寒暖計があるなら、い＃
ろいろ自分でためしてみると、おもしろいでしょう。もちろん、＃
これは、まわりの空氣の温度によってもちがいますが、おおよ＃
そのけんとうは、わかるだろうと思います。＃
つぎに、湯げがのぼるときには、いろいろの＃
うずができます。これがまた、よく見ていると、＃
なかなかおもしろいものです。せんこうのけむ＃
りでもなんでも、けむりの出るところからいく＃
らかの高さまでは、まっすぐにあがりますが、それ以上は、け＃
＜Ｐ－０６６＞
むりがゆらゆらして、いくつも＃
のうずになり、それがだんだん＃
に廣がり、入りみだれて、しま＃
いに見えなくなってしまいます。＃
茶わんの湯げなどのばあいだと、＃
もう、茶わんのすぐ上から大き＃
なうずができて、それが、かな＃
り早くまわりながら、のぼって＃
いきます。＃
これとよくにたうずで、もっ＃
と大きなのが、庭の上などにで＃
きることがあります。春さきな＃
＜Ｐ－０６７＞
どの、ぽかぽかあたたかい日には、前日雨でも降って、土の＃
しめっているところへ日光があたって、そこから白い湯げがた＃
つことがよくあります。そういうときに、よく氣をつけて見て＃
いてごらんなさい。湯げは、えんの下やかきねのすきまから、＃
つめたい風がふきこむたびに、横になびいては、また、たちの＃
ぼります。そうして、大きなうずができ、それが、ちょうどた＃
つまきのようなものになって、地面からなんメートルもある、＃
高い柱の形になり、たいへんな早さで回轉するのを見ることが＃
あるでしょう。＃
茶わんの上や、庭さきでおこるうずのようなもので、もっと＃
大じかけなものがあります。それは、らい雨のときに、空中に＃
おこっている大きなうずです。陸地の上のどこかの一地方が、＃
＜Ｐ－０６８＞
日光のために、特別にあたためられると、そこだけは、地面か＃
ら蒸発する水蒸氣が、とくに多くなります。そういう地方のま＃
わりに、わりあいにつめたい空氣におおわれた地方があると、＃
あたたかい空氣がのぼっていくあとへ、入れかわりに、そのつ＃
めたい空氣が下からふきこんできて、大きなうずができます。＃
そうして、ひょうが降ったり、かみなりが鳴ったりします。＃
これは、茶わんのばあいにくらべると、しく＃
みがずっと大きくて、うずの高さも、四キロと＃
か八キロとかいうのですから、そういう、いろ＃
いろなかわったことがおこるのです。しかしま＃
た、見かたによっては、茶わんの湯と、こうしたらい雨のばあ＃
いとは、よほどよくにたものと思ってさしつかえありません。＃
＜Ｐ－０６９＞
もっとも、らい雨のできかたは、いまいったようなばあいばか＃
りでなく、だいぶようすのちがったのもあります。だから、ど＃
れもこれもみんな、茶わんの湯にくらべるのはむりですが、た＃
だ、ちょっと見ただけでは、まったく関係のないようなことが＃
らが、原理のうえからは、おたがいによくにたものであるとい＃
う一つの例に、らい雨をあげてみたのです。＃
湯げのお話はこのくらいにして、こんどは、湯のほうを見る＃
ことにしましょう。＃
白い茶わんにはいっている湯は、日かげで見ては、べつにか＃
わったようすはなにもありませんが、それを日なたへ持ちだし＃
て、じかに日光をあて、茶わんのそこをよく見てごらんなさい。＃
そこには、みょうなゆらゆらした光った線や、うす暗い線が、＃
＜Ｐ－０７０＞
不規則なもようのようになって、＃
ゆるやかに動いているのに氣が＃
つくでしょう。これは、夜、電＃
燈の光をあてて見ると、もっと＃
よく、あざやかに見えます。夕＃
ごはんのおぜんの上でもやれま＃
すから、よく見てごらんなさい。それも、お湯が熱いほど、も＃
ようがはっきりします。＃
つぎに、茶わんのお湯がだんだんにひえるのは、湯の表面の＃
茶わんのまわりから、熱がにげるためだと思っていいのです。＃
もし、表面にちゃんとふたでもしておけば、ひやされるのは、＃
おもに、まわりの茶わんにふれた部分だけになります。そうな＃
＜Ｐ－０７１＞
ると、茶わんに接したところでは、湯は、ひえて重くなり、下＃
の方へ流れて、そこの方へ向かって動きます。その反対に、茶＃
わんのまん中の方では、ぎゃくに上の方へのぼって、表面から＃
外がわに向かって流れます。だいたい、そういうふうなじゅん＃
かんがおこります。よく理科の本などにある、ビーカーのそこ＃
をアルコールランプで熱したときの水の流れと、同じようなも＃
のになるわけです。これは、湯の中にうかんでいる小さな糸く＃
ずなどの動くのを見ていても、いくらかわかるはずです。＃
しかし、茶わんの湯を、ふたをしないでおいたばあいには、＃
湯は表面からもひえます。そうして、そのひえかたがどこも同＃
じではないので、ところどころ特別につめたいむらができます。＃
そういう部分からは、ひえた水が下へおり、そのまわりの、わ＃
＜Ｐ－０７２＞
りあいに熱い表面の水が、そのあとへ向かって流れ、それが、＃
おりた水のあとへとどくじぶんにはひえて、そこからおります。＃
こんなふうにして、湯の表面には、水のおりているところと、＃
のぼっているところとがほうぼうにできます。したがって、湯＃
の、中までも熱いところと、わりあいにぬるいところとが、い＃
ろいろに入りみだれてできてきます。これに日光をあてると、＃
熱いところとつめたいところとのさかいで、光が曲がるために、＃
その光が同じようにならず、むらになって、茶わんのそこを照＃
らします。そのために、さきにいったようなもようが見えるの＃
です。＃
日のあたっているかべや屋根をすかして見ると、ちらちらし＃
たものが見えることがあります。あの「かげろう」がたつのは、か＃
＜Ｐ－０７３＞
べや屋根が熱せられると、それ＃
に接した空氣がふくれてのぼる、＃
そのときできる氣流のむらが、＃
光をおり曲げるためなのです。＃
つぎには、熱い茶わんの湯の＃
表面を、日光にすかして見ると、＃
湯のおもてに、にじの色のつい＃
た、きりのようなものがひと皮かぶさっており、それが、ちょ＃
うどさけめのようにたて横にやぶれて、そこだけがとう明に見＃
えます。このふしぎなもようがなんであるかということは、ま＃
だ、あまりよくわかっていないようです。しかし、それも、前＃
の温度のむらとなにか関係があることだけはたしかでしょう。＃
＜Ｐ－０７４＞
湯がひえるときにできる、熱＃
さとつめたさとのむらが、どう＃
なるかということは、ただ、茶＃
わんのときだけの問題ではなく、＃
たとえば、湖や海の水が、冬に＃
なって、表面からひえていくと＃
きには、どんな流れがおこるか＃
というようなことにも関係して＃
きます。そうなると、いろいろ＃
の実用上の問題とえんがつな＃
がってきます。＃
地面の空氣が、日光のために＃
＜Ｐ－０７５＞
あたためられてできるときのむ＃
らは、飛行家にとって、たいへ＃
んあぶないものです。とっ風と＃
いうものがそれです。たとえば、＃
森と畑とのさかいのようなとこ＃
ろですと、畑のほうが、森よりも、＃
日光のためによけいあたためら＃
れるので、畑では空氣がのぼり、＃
森ではくだっています。それで、＃
畑の上からとんできて、森の上＃
へかかると、飛行機は、しぜん＃
と下の方へおしおろされるかた＃
＜Ｐ－０７６＞
むきがあります。これがあまりはげしくなると、きけんになる＃
のです。これと同じような氣流のじゅんかんが、もっと大じかけ＃
に、陸地と海との間に行われております。それは、海陸風とよ＃
ばれているもので、晝間は海から陸へ、夜は反対に陸から海へ＃
とふきます。すこし高いところでは、反対の風がふいています。＃
これと同じようなことが、山腹と谷との間にあって、山谷風＃
と名づけられています。これが、もうひとまわり大じかけに＃
なって、たとえば、アジア大陸と太平洋との間におこると、そ＃
れがいわゆる季節風（モンスーン）で、われわれが冬期に受ける北＃
西の風と、夏季の南がかった風になるのです。＃
茶わんの湯のお話は、すればまだいくらでもありますが、こ＃
こでは、これくらいにしておきましょう。　　＃
＜Ｐ－０７７＞
八　　木もと竹うら　　＃
（一）　　＃
私が、木を割ったり、竹を割ったりして、なにかこしらえよ＃
うとしていると、祖父が來て、「木もと竹うら」ということわざを＃
教えてくれました。＃
この簡單なことわざは、木を割るときには、もとのほうから＃
割るがいい、竹を割るときには、うらのほうから割るがいいと＃
いう教えでした。＃
私はすぐにこれをためしてみましたが、ほんとうにそのとお＃
りでした。竹を割るとき、もとのほうから割ろうとすると、た＃
＜Ｐ－０７８＞
とい、はじめにまん中になたをいれても、きっと、とちゅうか＃
ら横の方へそれてしまって、一方は太く、一方は細くなって、＃
まっすぐに割ることができなかったのに、うらのほう、いいか＃
えると、竹の先のほう＃
から割ってみると、も＃
とまで、きれいにまっ＃
すぐに割ることができ＃
ました。そののち、氣＃
をつけて、おけ屋さん＃
などのやっているとこ＃
ろを見ると、はじめ、＃
うらのほうをかるく四＃
＜Ｐ－０７９＞
つに割って、あとは、十文字の小さな木ぎれをはさんで、チョ＃
ンチョンとたたいて、みごとに割っていました。＃
木のほうは、これと反対に、もとのほうを上にして、上から＃
はものをうちこむと、まっすぐに割れて、けっしてそれること＃
がありません。ただ、困るのは、木のばあいには、どっちがう＃
らかもとか、わからないことでした。＃
そのことを友だちに話すと、＃
「水になげこんでごらん。しずむほうがもとだよ。」＃
と教えてくれました。＃
「木もと竹うら」という簡單なことを、知っているのといないの＃
では、たいへんちがいます。これは、ちょうど、「二二が四」とい＃
う算数の九九と、にたようなものだと思いました。＃
＜Ｐ－０８０＞
いったい、だれが、そのことを発見したのでしょうか。こと＃
によると、なん百年という前からつくられて、子に、まごにと＃
傳えたことではないかと思います。または、自分たちの祖先が＃
発見したのではなく、よその民族から教えられて、それからい＃
い傳えられているのもあるかもしれません。＃
それは、なん回もなん回も、あるいは、なん代もなん代もやっ＃
てみた結果、とうとう一つの眞理だと思われたので、そのこと＃
をほかの人々に傳えるうちに、あのような、短くて調子のいい、＃
氣のきいたものになったものとも考えられます。　　＃
（二）　　＃
あぶはちとらず。＃
＜Ｐ－０８１＞
石の上にも三年。＃
一事が万事。＃
牛を追う。＃
うり二つ。＃
おびに短し、たすきに長し。＃
かべに耳あり。＃
ころばぬさきのつえ。＃
さるも木から落ちる。＃
親しきなかにも礼儀あり。＃
しゅにまじわれば赤くなる。＃
十人十色。＃
すきこそもののじょうずなれ。＃
＜Ｐ－０８２＞
たまみがかざれば光なし。＃
ちりもつもれば山となる。＃
燈台もと暗し。＃
どんぐりのせいくらべ。＃
なくて七くせ。＃
二階から目ぐすり。＃
ぬかにくぎ。＃
ぼろを着ても心はにしき。＃
まかぬ種ははえぬ。＃
三つ子のたましい百まで。＃
世の中は、三日見ぬまのさくらかな。　　＃
＜Ｐ－０８３＞
九　　雪の映画　　＃
雪の映画を二つ見た。一つは「雪國」というので＃
あり、もう一つは「雪」というのであった。＃
「雪國」は、北國の人たちが雪と戰っているよう＃
すを、映画にしたものである。雪が降りだして＃
から、だんだんつもるようす、深い雪の中で生活している人々、＃
春の光がさしそめて、雪どけ水が流れだすところ、それをうれ＃
しそうに見ている雪國の子どもなど、時間的に、じゅんじょを＃
おって、とりあつかったものである。＃
「雪」というのは、雪の景色を写したものではなく、雪の一ひら＃
＜Ｐ－０８４＞
をとらえて映画にしたものである。ただ一ひらの雪ではあるが、＃
よく見ると、まことにきれいな形をしていること、しかも、一＃
ひら一ひらの雪が、それぞれちがったけっしょうをしているこ＃
と、その美しい雪が数かぎりなく、天上から地上へ降ってくる＃
ことなどを写している。＃
また、どうして雪のけっしょうができるか、＃
どんなばあいに、どのようなけっしょうになる＃
か、空中の温度の変化、風の関係、水蒸氣の量、＃
高度など、さまざまな條件によって、雪のけっ＃
しょうがちがうわけを、映画的手法によって、よくわかるよう＃
にしくんだものであった。＃
空から降ってきた雪の一ひらを受けとって、それをくわしく＃
＜Ｐ－０８５＞
観察してみると、その雪が、どこで、どのようにしてできたか、＃
どんな天空を旅して降ってきたか、おのずから知ることができ＃
るというのである。＃
「雪は、空からのお手紙です。」＃
こんなことばによって、映画は私たちに説明してくれた。一＃
ひらの雪によって、はるかに高い天空のようすが、こまごまと＃
わかるとすれば、たしかに空からの手紙にちがいない。「空から＃
のお手紙」とは、うまくいったものだ。＃
このように、二つの映画は、どちらも雪にえんのあるもの＃
であるが、私はあとのほうの映画に心をひかれた。ふんだんに＃
降ってくる雪の中から、一ひらの雪をとらえて、それをいろい＃
＜Ｐ－０８６＞
ろな角度からながめてみることは、つつましい心なしにはでき＃
るものではない。野原の中で、一本の草花を見いだして、それ＃
をたんねんに写生するのも、一ぴきのこん虫をながねんかかっ＃
て調べるのも、ごくささいな感情をひろいあげて、一首の歌を＃
よむのも、同じ心の現われであろう。＃
「雪國」の映画も、けっしてわるいものとは思わないが、います＃
こしふかく考えれば、さらにおもしろい場面が発見されるよう＃
に思われる。たとえば、ふぶきなどもその一つである。風にあ＃
おられた雪のむれが、道を消し、木をおり、汽車を立ちおうじょ＃
うさせ、人をたおし、こごえ死にさせてしまうことすらある。＃
このものすごいありさまを映画化することは、たやすいことで＃
はあるまいが、ばんそうの音樂や、場面の組みあわせと説明の＃
＜Ｐ－０８７＞
ことばなどによって、かなり生＃
き生きと表現することができそ＃
うである。＃
ふぶきのやんだあとの、雪の＃
野原の表情をあつかっても、お＃
もしろいと思う。一面の銀世界＃
となった廣い野原を、第一の人＃
が歩いて行く。その人の足あと＃
をしるべに、第二の人が歩いて＃
行く。やがて第三の人も通り、＃
第四、第五の人も、同じ足あとを＃
たよりに通って行く。ぽつりぽ＃
＜Ｐ－０８８＞
つりとしるした足あとが、廣野を横ぎる一すじの道となる。そ＃
の一すじの道をながめると、一直線ではなく、くねくねとゆが＃
んでいる。歩く人は、おそらく、まっすぐに歩こうと思ったの＃
であろうが、いつのまにか曲がってしまう。どうしてこんなに＃
曲がるのか。風にふかれたからであろうか。足がつめたくなっ＃
て、立ちどまったためであろうか。それとも、心の中で考えご＃
とをしていて、思わず方向がち＃
がったものであろうか。＃
雪國でいちばん樂しいものは、＃
なんといっても、春さきの雪ど＃
けごろである。半年も雪にとざ＃
されていた地上に、ぽちっと黒＃
＜Ｐ－０８９＞
い土が見えはじめたときの喜びは、たとえようがない。子ども＃
たちは、この黒い土の上に集まって、足でトントンとふんでみ＃
たり、しゃがんで土のにおいをかいだり、てのひらでなでてみ＃
たり、耳を地べたに近づけて、なにかもの音でも聞こうとした＃
りする。こんな場面を、映画独特の手法によって、おもしろく＃
編集できないだろうか。＃
同じ題の作文でも、それをとりあつかう人によって、文章は、＃
どのようにも書きあらわされる。＃
どのような文章でも、読む人の心がひかれるのは、ものごと＃
をあたたかくながめた人によって書かれた文である。　　＃
＜Ｐ－０９０＞
十　　マッチ賣りのむすめ　　＃
雪はひっきりなしに降ってくる。寒いことも寒いが、また暗＃
さも暗かった。＃
「なんと暗い、寒い夜だろう。」＃
と、小さなマッチ賣りの女の子は、町をあちらこちら歩きなが＃
ら思った。＃
女の子は、つめたい屋根うらのへやを出たときは、上ぐつを＃
足にひっかけていた。その上ぐつは、母親のものだったので、＃
この子にとっては大きすぎた。二台の荷馬車が來たので、それ＃
をさけるために、急いで道を横ぎったときに、その上ぐつはぬ＃
＜Ｐ－０９１＞
げてしまった。かたほうはどこ＃
へいったか、つい見いだせな＃
かった。もう一つのほうは、ど＃
こかの男の子がひろって行って＃
しまった。その男の子は、これ＃
は人形のゆりかごにはもってこ＃
いだと思ったのであろう。＃
そこで、その女の子は、まっ＃
たくはだしになってしまった。＃
だから、その足のつめたいこと＃
といったらなかった。自分の足＃
だか、ひとの足だか、わからな＃
＜Ｐ－０９２＞
いくらいだった。寒さがしみこんで、足は赤く、青くなってい＃
た。＃
おおみそかの晩だというのに、その子は、まだマッチをすこ＃
しも賣ってはいなかった。一は＃
こも賣ってはいなかった。思い＃
きって、その屋根うらの家へ帰＃
ることもできなかった。まだ一＃
銭ももうけてはいないので、父＃
親が、きっとひどくしかるにき＃
まっていた。＃
かわいそうに、その子は、おなかがすいて、こごえて、身を＃
ひきずって歩いていた。＃
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その子のきれいなかみの毛は、両かたにまつわりつき、雪は、＃
そのかなしげな、小さな顏のまわりを、花かんむりのようにく＃
まどった。けれども、その小さなマッチ賣りのむすめは、自分＃
のまき毛のことも、雪のことも考えなかった。美しく火のともっ＃
た家々の前を、そろそろとかなしげに通って行きながら、その＃
小さなマッチ賣りのむすめの考えたことはそれであった。＃
女の子は、窓々をとおして、ちらちらとかがやくともしびの＃
光を見た。おいしそうなにおいをかいだ。「あれはやき鳥だろう＃
か。」ひもじいので、そんなことを思った。ただひと目でも、火＃
の光とごちそうとを見るだけでも、満足したであろう。＃
女の子は、手にマッチの小さなたばを一つ持っていた。ぼろ＃
ぼろの前だれの中には、もっとたくさんはいっていた。女の子＃
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は、どんなにか、それで火をと＃
もしてみたかったことだろう。＃
女の子は、二つの家の間に、＃
ちょっとした、身をかくす場所＃
を見つけた。そうして、そこに＃
すわりこんだ。女の子は、両足＃
を――そのあわれな、小さな、赤く、青くなった両足をそろえ＃
て、ぼろぼろの着物の下で重ねて、どうかして、あたためよう＃
とした。けれどもだめであった。＃
両手もまた、寒さでほとんどこごえていた。その両手をあた＃
ためるために、一本のマッチで――ほんのたった一本のマッチ＃
で、火をともすことができたならば、どんなによかろうか。＃
＜Ｐ－０９５＞
女の子は一本のマッチをとりだした。かべにこすりつけて、＃
火をつけた。まあ、なんといううれしいことだろう。明かるい、＃
赤いほのおがかがやきだした。女の子は、その上へ、小さなつ＃
めたい両手をさしのべた。＃
その小さなほのおが、その子には、もえさかる大きなほのお＃
のように思われた。これは、ま法のマッチだろうかとさえ思っ＃
た。＃
そればかりではない。それが＃
もえ続けている間、大きなろの＃
前にすわっていた。そのろの中＃
には、美しい火がもえあがり、＃
ほのおは、その小さなマッチ賣＃
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りのむすめを喜びむかえるようにおどりあがった。＃
女の子は、小さな、つめたい足を、かがやくほのおの方への＃
ばした。と思うと、そのとき、ほのおは消えてしまい、ろはな＃
くなってしまった。女の子は、手にもえつくしたマッチを持っ＃
て、つめたく、いん氣そうにすわっていた。女の子は、またそ＃
うしないではいられなくなって、もう一本のマッチをとってか＃
べでこすった。＃
それがゆらゆらともえあがると、まあ、なんというふしぎな＃
ことだろう。その火の光のさすところは、かべがきぬのように＃
うすくなって、その女の子は、中のへやをすっかり見とおすこ＃
とができた。＃
雪のようにまっ白なぬのをかけ、ぴかぴか光るさらをならべ＃
＜Ｐ－０９７＞
たテーブルが見えた。やいた鳥が――それこそほんとうのまる＃
やきの鳥が、ほかほかとあたたかいいきをたてて、テーブルの＃
一方におかれてあった。＃
そのとき、まあ、どうだろう。そのやいた鳥は、肉を切るナ＃
イフとホークとをせなかに立てたまま、テーブルからとびおり＃
て、ゆかの上をよたよた歩いて、その女の子の方へずっとよっ＃
てくるではないか。ああ、そのときもとき、ちょうどマッチは＃
もえつくしてしまって、女の子のそばには、あつい、かたいか＃
べしかのこっていなかった。＃
女の子は、もう一本の、第三番めのマッチをすった。ほのお＃
が明かるくもえあがった。そうして、こんどは、女の子は、一＃
本のクリスマスの木の下にすわっていた。いかにも大きな木で、＃
＜Ｐ－０９８＞
それが美しくかざられていた。＃
たくさんの小さなろうそくが、＃
みどりの枝の間からかがやいて、＃
ちかちか、ちかちかと女の子の＃
上を照らし、いく百もの小さな＃
人形が見おろして、マッチ賣り＃
のむすめを見てわらいかけた。女の子は、人形の方へ両手をさ＃
しのべた。と、そのとき、マッチはもえつくしてしまった。＃
けれども、やっぱり、そのたくさんのろうそくはもえ続けて＃
いて、それが、高く、高く、しだいにのぼって、大空の星のよ＃
うにかがやくのを見た。たしかにそれは星であった。＃
「かがやく小さな星よ、おまえはいったいなんだろうか。」＃
＜Ｐ－０９９＞
女の子はねむそうにつぶやいた。＃
じっと見つめているうちに、一つの明かるい星が落ちるのを＃
見た。その星が落ちるとき、空を横ぎって長い光のおをひいた。＃
「なにかが、神さまのところへ行くのだ。」と、女の子は思った。＃
この子にとって、ただひとりのしんせつな人であったおばあ＃
さんが、星の落ちるときは、なにかのたましいが神さまのとこ＃
ろへのぼっていくのだと、話し＃
てきかせたことがあった。＃
女の子は、またもう一本のマッ＃
チを、そばのたばの中からひき＃
だした。そのマッチの火の中で、＃
もうとっくにわかれて神さまの＃
＜Ｐ－１００＞
おそばへ行ったおばあさんを見た。おばあさんは、いつものよ＃
うに、やさしく、しんせつなようすをしていた。けれども、前＃
よりはもっと樂しそうなようすをしていた。＃
「おばあちゃん、わたしのおばあちゃん。もう行っちゃいや。」＃
と、女の子は、声をあげた。そうして、おばあさんが見えなく＃
なっては困ると思ったので、急いで、たばの中にあったマッチ＃
をみんな一時につけた。＃
「いっしょにつれて行ってください。ねえ、いっしょにつれて＃
行ってください。」＃
と、女の子はいっしょうけんめいにたのんだ。＃
マッチは、はなやかにもえあがった。まっ晝間でも、それ以＃
上に明かるくはないと思われるくらいであった。＃
＜Ｐ－１０１＞
おばあさんが、こんなにせい＃
が高く、りっぱで、美しく、そ＃
うして、しんせつに見えたこと＃
は、いままでなかったことであっ＃
た。＃
おばあさんは、女の子をうで＃
にかかえて、ふたりは、いっ＃
しょにふわりとまいあがった。＃
うれしそうに、樂しそうに、上＃
の方へ、地面から高くはなれて、＃
もう、寒さも、ひもじさも、な＃
みだもない國へ、上の方へと、＃
＜Ｐ－１０２＞
神さまのおそばへ行くかのようにのぼって行った。＃
小雪の降った元日の朝、人々が、マッチ賣りのむすめの、ひ＃
えきった小さななきがらを見つけたとき、＃
「かわいそうな子だ。あの子は寒さでこごえ死んだのだ。」＃
といった。けれども、そうではなかった。人々は、女の子がお＃
おみそかの晩に見たふしぎなまぼろしを知らないのだ。人々は、＃
その子がどんなに幸福に、神さまの樂園の中で、元日をむかえ＃
ているかを知らないのだ。　　＃
