野村雅昭先生
ことばへの興味 ―野球・落語・『言語生活』―
- 【凡例】
- 野村
- 野村雅昭先生
- 田中
- 田中ゆかり(インタビュアー)
- H
- その他の聞き手(個人を区別していない)
- ◇……◇
- 不確定箇所
言い直し、言いよどみ、短いあいづちなどは表示していないものがある。
- 野村
- スポーツアナウンサーになりかったんですよ。
- 田中
- んーんー。
- H
- んー。
- 野村
- あのう、まあ、野球しかね、当時はね、んー、スポーツといったって放送はない。
あと、せいぜい相撲があるぐらいなんだけど。
そのう、ま、ラジオしかなかったわけだね。
それで、ラジオでそういうのを聞いててね。
あのう、今だと〈笑〉、皆さんはいろんなゲームが、んー、できるんだけども、私の頃はね、ゲームってのは全部カードでやるゲームばっかりで。
それで昭和24年に、サンフランシスコシールズってえのは、アメリカのスリーエーの、ん、球団です。
それが、オドール監督という人に、その、率いられて日本にやってきたのが、戦後、その、アメリカの、おー、大リーグが、その、来た初めてなんだけど。
その時に、その、『野球少年』という雑誌がありましてね、その、うー、『野球少年』が付録でそういうカードを。
まあ、後にかなりそのカード式の、あの、野球ゲームっていうのは、まあ、割合に残ったんだけども。
サイコロ振ってね、で、こう番号が書いてあって、その何が。
でそれをね、付録に付けたんですね。
でまあ、それは、うー、二人以上で遊ぶものだけれども、それをこう一人でやってね。
自分でそのゲームの展開をですね、こ、しゃべりながら、やるのが、私は
- 田中
- あー。
- 野村
- 好きだったんですね。
- 田中
- あー。
- 野村
- そんなことからそのう〈笑〉、んー、アナウンサーってのはおもしろそうだな
- 田中
- んー。
- H
- んー。
- 野村
- とこう思ったというのが、ま多分、まあね、んー。
ま、後からこしらえた、あの、きっかけです。〈笑〉
- H
- 〈笑〉
- 田中
- 〈笑〉なるほど、それはおもしろい。
なんかこうやりながら自分で〈笑〉バッター何とかって
- 野村
- んーんーんー。
- 田中
- やってるっていう事ですね。
じゃ、落語に対する関心っていうのは、いつ頃からなんですか先生。
- 野村
- それはね、小学校四年生ぐらいですね。
- 田中
- んー。
- 野村
- んー。
- 田中
- それはきっかけは。
- 野村
- やっぱりラジオなんですね。
- 田中
- ああ、ラジオ。
- 野村
- んー。
でラジオで聞いててね。
- 田中
- はい。
- 野村
- これなら自分もしゃべれるかなあと、こ、思ったんですね。
だけど、始終この近所で親しくしている、そのう、うち、家に、戦前の講談社の『落語全集』っていうのがあった。
- 田中
- はい。
- 野村
- でそれをね、三冊そっくり借りてきて。
- 田中
- あー。
- 野村
- であのう、今の山田洋二という監督ね。
あのう、あの人もやっぱり子どもの頃に、まあ僕より歳はもちろん上なんだけど、その講談社の全集を、えー、お父さんにせがんで、買ってくれっつって、それであの人は満州へ行ったんですけど、その時にその『落語全集』持ってったって。
- 田中
- はい。
- 野村
- その『落語全集』、おもしろいんだけども、自分でやるためのものとしてはね、あまりに難しすぎるんですね。
- 田中
- んー。
- 野村
- ところが、そのう、やはりその『野球少年』って雑誌なんだけども、うー、それにそのう、「野球小僧」というね、落語が、その、載ったんですよ。
- 田中
- んー。
- 野村
- でそれはね、「四段目」っていう、そのう芝居のね、歌舞伎の忠臣蔵の「四段目」を下敷きにして、「四段目」という、その芝居好きの小僧が出てくる話があって、それを野球に置き換えた。
まあそれは本当に戦前からやっていて、あのう、んー、レコードも残ってますけど。
- 田中
- んー。
- 野村
- でそれがね、その『野球少年』に載ったんですね。
それで、うー、それをね、これならできるかなと思ってね、四年生の時くらいに、その何の会だったかね、そのんークラスの会でやってみたら、意外にうけたんで
- 田中
- んーんーんーんーんーんーんーんー。〈笑〉
- 野村
- それから〈笑〉やり始めた。
- 田中
- あー。
じゃあ先生は、その『野球少年』ていう雑誌はー、定期的に購読
- 野村
- あ、そうね。
- 田中
- されてたんですね。
- 野村
- それは、え。
- 田中
- あの当時の、そのう小学生の、なんかこう、あのう、よく読んでる雑誌としては、わりと『野球少年』というのはポピュラーだったんですか。
- 野村
- うんーあのねえ、少し後からその『冒険王』とか、
- 田中
- んー。
- 野村
- んー『痛快ブック』とか、
- 田中
- あー。
- 野村
- まあああいう雑誌が出るんですけど、そのころは、戦前の、そのう『少年倶楽部』、『少女倶楽部』、それから、えー、それのま系列で『少年』と、それからんーあれは『少女』っつったかな、◇……◇だけど、というぐらいしかなくてね。
それ以外は、『野球少年』しかないんです。
- 田中
- んー。
- H
- んー。
- 野村
- んー、昭和20年代前半の話ですからね。
- H
- んー。
- 野村
- ん。
- 田中
- 男子と言えば『野球少年』。
- 野村
- そんな感じでしたね。
- H
- んー。
- 田中
- ああそうですか。
- 野村
- だから、五年生、六年生ぐらいになると、ぼつぼつそのいろんな雑誌がこう出始めて。
- 田中
- んー。
- 野村
- 『冒険王』とかね、ああいうのがこう人気になるんだけど。
女の子だと、あの「あんみつ姫」なんていうのが載ってたのは何だっけな、んー。
- 田中
- 「あんみつ姫」は何に載っていました。
- 野村
- まあ、あーそれはいかにも漫画、
- 田中
- ん。
- 野村
- だという感じがして、もう私たちには物足りない感じです。
- 田中
- あー、ん。
- 野村
- もう活字の方にね、う-、入りたい年頃んなってたから。
- H
- んー。
- 野村
- んー。
- 田中
- 先生のお宅は、ラジオは、ま、子どもも自由に聴けるような位置づけだったんですか、それとも。
- 野村
- そうでしたね。
- 田中
- ああそうですか。
あのう、少し前だとなんかやっぱり親が
- 野村
- んー、そうね、んー。
- 田中
- そのうなんかこう、聞く番組とか聞く時とかをなんか握っていたり。
- H
- んー。
- 田中
- そうではなく、もう自由に。
- 野村
- そうではなくてね。
んー。
- 田中
- 家に何台あったんですか。
- 野村
- いや、一台しかないですよ。
- 田中
- あ、それでもじゃあ、
- 野村
- ええ。
- 田中
- 先生の好きな時に聞けた。
- 野村
- うんそうそう。
- 田中
- 〈笑〉笑えます。
それはいい。
んーでもなんか、二大キラーコンテンツが結構先生にインパクトを与えていたんですね。
- 野村
- んーまあね。
- 田中
- 落語とスポーツ中継。
- 野村
- んー。
- 田中
- あのう、エンタツアチャコの、なんかこう「早慶戦」とかってあるじゃないですか。
- 野村
- んー。
- 田中
- そういうのは聞かなかったんですか。
- 野村
- それは聞かない。
- 田中
- あーあー。
- 野村
- あれは戦前ですから。
あのエンタツ・アチャコはね。
- 田中
- あー、んーんーんー。
- 野村
- もう僕らの頃はエンタツアチャコというのは分かれてて、
- 田中
- んーんーんー。
- 野村
- それぞれにあの独立してやって。
で、「お父さんはお人好し」だとか、
- 田中
- んーんー。
- 野村
- 「エンタツ漫遊記」だとか、というのをラジオで
- 田中
- あーあーあーあーあー。
- 野村
- えー、やってはいた。
- 田中
- はい。
でもじゃあ、当時のその何か先生のその落語、好きでお聞きになって-、何かあのうこうすごく好きだった、最初に好きになった落語家とかそういうのは。
- 野村
- んーそのころはねえ、あのうかなり大勢の人がみんなそうなんですが、
- 田中
- はい。
- 野村
- あの三遊亭金馬とかね、古今亭今輔とかね、というような人たち。
まあ新作派と言われるような人たちね。
まあ金馬は純粋の新作派じゃないんだけど、非常に古典を解りやすく。
- 田中
- んー。
- 野村
- まあそのへんからこう、入ってったんですね。
- 田中
- はあー。
- 野村
- 大部分の、うー少年たちがそうだったんですけど。
- 田中
- あー。
そうすると、じゃあやっぱりこう新作から入って、だんだん古典の方に
- 野村
- そうですね、ええ。
- 田中
- 目覚めていくみたいな感じだったんですね。
そうするとまあ、じゃそのう、まあどっちもじゃやっぱりそのう、話し言葉とかっていったようにすごく関係があるわけで。
- 野村
- んー。
- 田中
- でそのその後、なんかこうことばの研究にお入りになるといったようなことの、萌芽みたいなことがあったと、ご自分でご覧になりますか。
- 野村
- いやあのねえ。
ん、ただ国語研究所との関係はね、あのう高校一年の時に初めて意識的に国語研究所っていうのがあるってことがわかったんです。
- 田中
- え、な、なん、なんでですか。
- H
- なんでですか。
- 野村
- なん、なんでかというとねえ、そのう高校の放送部の部室にね、
- H
- んー。
- 野村
- 『言語生活』がねえ、
- 田中
- あー。
- H
- なるほどー。
- 野村
- 毎月来るんですよ。
取ってるんですよ。
- 田中
- えー。
- H
- えー。
- 野村
- でね、なんで、なんでこんなものがね、あるんだろうと思ったわけ。
- 田中
- んーんーんー。
- 野村
- そしたらね、あの頃「録音器」。
- 田中
- はいはいはいはい。
- H
- あー、ねー、なるほど。
- 野村
- で、まあ、あれがまあ、毎回使うわけじゃないんだけど、あの中にはあれをあのまんまこう読んでね、そのまあ、実況中継なんていうのも時々まあ、ありました。
- 田中
- んー。
- H
- はいはい。
- 野村
- あのう、ラジオのね。
- 田中
- んー。
- H
- はい。
- 野村
- でー、とにかく言葉の生の資料ってなあ、あれしかないわけだから-、
- 田中
- んー。
- 野村
- あれを読んでね、ほんとにあの、あーアナウンスのね、練習に使うんです。
- 田中
- あー。
- H
- あー。
- 野村
- 他んとこなんか全然読みやしないんで。〈笑〉
- 田中
- あー。
- 野村
- でも僕はね、まあそれだけじゃなくて、
- 田中
- はい。
- 野村
- こうぱらぱらと見ていてね、
- 田中
- ええ。
- 野村
- ああ、おもしろいなあと思うようなことはいくつかあったんですね、国語研究所っていうのはね。
- 田中
- んー。
- H
- んー。
- 野村
- でそれは一年生の時に初めてその出会って。
- 田中
- ん-。
- 野村
- あそれもねえ、そのほんとにね、全部揃っていなかったんだけども、頭の20号ぐらいまで、まああったんです、バラバラ。
- 田中
- えー。
- H
- えー。
- 野村
- それもね、そのう、高校を卒業する時にね、うちに持って帰っちゃった。〈笑〉
- H
- 〈笑〉
- 野村
- だ、だって、いるかったら、いらないって言うんだもん、みんな。〈笑〉
- H
- 〈笑〉
- 田中
- それ、正しい人にもらわれて。
- H
- 〈笑〉
- 田中
- えーじゃあ、その後先生が『言語生活』に、こう執筆者としてデビューされた時って感慨深いものが。
- 野村
- 〈笑〉まあね、それはんー、もうちょっと先の話だけどね。