国語国字の改善を図るために,専門の研究機関が必要であるということは,明治以来の先覚者によって唱えられたことである。戦後,我が国が新しい国家として再生しようとするに当たって,国民生活の能率の向上と文化の進展には,まず国語国字の合理化が基礎的な要件であり,そのためには,国語に関する科学的,総合的な研究を行う有力な機関を設置すべきであるという要望が特に強くなった。
国語審議会は,昭和22年9月21日の総会において,文部大臣に対して,国語国字問題の基本的解決を図るために大規模な基礎的調査機関を設けることを建議した。また,昭和22年8月,安藤正次氏(「国民の国語運動連盟」世話人)ほか5氏によって「国語国字問題の研究機関設置に関する請願」が衆参両院に提出され,第l回国会のそれぞれの本会議において議決採択された。
文部省は,かねてから国立の国語研究機関創設の議を練り,準備を整えていたのであるが,各方面の要望にこたえ昭和23年度に設立することを計画し,また,昭和23年4月2日の閣議において,前記請願の趣旨にそってその実現に極力努めるということが決定されると,直ちに国立国語研究所創設委員会を設け,民主的な討議に基づいてこの研究機関の基本的事項を定めることとした。創設委員会は,安藤正次,時枝誠記,柳田国男等18氏を委員として昭和23年8月,国立国語研究所の性格及び国立国語研究所設置法案を審議し,文部大臣に意見を提出した。
国立国語研究所設置法案は,創設委員会の審議を経たものを原案として関係方面との折衝の末,昭和23年11月13日に閣議決定を経て国会に提出された。この法案は,両院の審議を経て,同年11月21日可決成立した。
法案提出の際の文部大臣下条康麿氏の提案理由説明は次のとおりである。
国立国語研究所設置法案提案理由
わが国における国語国字の現状を顧みますときに,国語国字の改良の問題は教育上のみならず,国民生活全般の向上に,きわめて大きな影響を与えるものでありまして,その解決は,祖国再建の基本的条件であると申しても過言ではありません。
しかしながら,その根本的な解決をはかるためには,国語および国民の言語生活の全般にわたり,科学的総合的な調査研究を行う大規模な研究機関を設けることが,絶対に必要なのであります。
言い換えますならば,国語国字のような国家国民に最も関係の深い重大な問題に対する根本的な解決策をうち立てますためには,このような研究機関によって作成される科学的な調査研究の成果に基づかなければならないと存じます。
国家的な国語研究機関の設置は,実に,明治以来先覚者によって提唱されてきた懸案であります。また,終戦後においては,第1回国会において,衆議院および参議院が,国語研究機関の設置に関する請願を採択し,議決されましたのをはじめ,国語審議会からの建議ならびに米国教育使節団の勧告等,その設置については,各方面から一段と強く要望されるに至りました。
さて,この法案を立案するに当りましては,その基本的な事項につきましては,国立国語研究所創設委員会を設けて学界その他関係各界の権威者の意見を十分とり入れるようにいたしました。
次に,この法案の骨子について申し述べます。
第一に,国立国語研究所は,国語および国民の言語生活について,科学的な調査研究を行う機関であり,その調査研究に当っては科学的方法により,研究所が自主的に行うよう定めてあります。
第二に,この研究所の事業は,国民の言語生活全般については広範な調査研究を行い,国語政策の立案,国民の言語生活向上のための基礎資料を提供することといたしてあります。
第三には,この研究所の運営については,評議員会を設けて,その研究が教育界,学界その他社会各方面から孤立することを防ぐとともに,研究所の健全にして民主的な運営をはかるようにいたします。
この研究所が設置され,調査研究が進められてまいりますならば,わが国文化の進展に
資するところは,はなはだ大きいと存じます。(以下略)
このようにして,国立国語研究所設置法は,昭和23年12月20日,昭和23年法律第 254号として公布施行され,ここに国立国語研究所は正式に設置された。同日,文部次官井出成三氏が所長事務取扱となり,昭和24年l月31日,西尾実氏が所長に就任した。また,同年2月4日創設委員であった安藤正次氏ほか16氏が評議員に委嘱された。
昭和23年 12月20日 | 国立国語研究所設置法公布施行。(昭和23年法律第 254号) 研究所庁舎として宗教法人明治神宮所有の聖徳記念絵画館の一部を借用。 文部次官井手成三所長事務取扱に就任。 総務課及び2研究部によって発足。 |
昭和24年 1月31日 | 西尾実初代所長就任。 |
昭和24年 12月20日 | 庶務部となる。 |
昭和29年 10月1日 | 千代田区神田一つ橋1丁目1番地の一橋大学所有の建物を借用し,移転。 |
昭和30年 10月1日 | 組織規程改正。3研究部となる。 |
昭和33年 4月1日 | 組織規程改正。4研究部となる。 |
昭和35年 1月22日 | 西尾実所長退任。岩淵悦太郎二代所長就任。 |
昭和37年 4月1日 | 現在の北区西が丘3丁目9番地14号(旧北区稲付西山町)に移転。 |
昭和40年 3月19日 | 旧図書館竣工。 |
昭和41年 1月10日 | (旧)電子計算機室竣工。 |
昭和42年 2月6日 | 敷地等大蔵省から所管換え。 |
昭和43年 6月15日 | 文化庁設置とともに,文部省から移管され,文化庁附属機関となる。 |
昭和49年 3月22日 | 研究棟竣工。 |
昭和49年 4月11日 | 組織規程全部改正。庶務部,5研究部及び日本語教育部となる。 |
昭和51年 1月16日 | 岩淵悦太郎所長退任。林 大三代所長就任。 |
昭和51年 10月l日 | 組織規程一部改正。日本語教育部を日本語教育センターに改める。 |
昭和51年 12月4日 | 管理部門及び日本語教育センタ一庁舎竣工。 |
昭和52年 4月18日 | 組織規程一部改正。日本語教育センターに第二研究室新設(10月1日) 及び日本語教育教材開発室設置(振替)。 |
昭和54年 3月14日 | 皇太子殿下御視察。 |
昭和54年 10月1日 | 組織規程一部改正。日本語教育センターに第三研究室新設。 |
昭和55年 10月1日 | 組織規程一部改正。日本語教育センターに第四研究室新設。 |
昭和56年 4月1日 | 組織規程一部改正。日本語教育センターに日本語教育指導普及部設置(振替)。 |
昭和57年 4月1日 | 林 大所長退任。野元菊雄四代所長就任。 |
昭和58年 12月2日 | 国家行政組織法の一部を改正する法律の施行に伴う関係法律の整理等に関する法律(昭和58年法律第78号)により国立国語研究所設置法は廃止されることになった。 |
昭和59年 7月1日 | 文部省組織令の全部改正(昭和59年政令第 227号) 国立国語研究所組織令施行(昭和59年政令第 228号) |
昭和63年 10月1日 | 組織規程一部改正。国語辞典編集室新設。 |
平成元年 4月1日 | 組織規程一部改正。情報資料研究部の設置(振替)及び2研究部の室の改編。 |
平成2年 3月31日 | 野元菊雄所長退任。 |
平成2年 4月1日 | 水谷 修五代所長就任。 |
平成10年 3月31日 | 水谷 修所長退任。 |
平成10年 4月1日 | 甲斐睦朗六代所長就任。 |