テレビと言葉

 メディアとしてのインターネットについて,盛んに論じられるようになった近年は,インターネットの利用でテレビの視聴時間が減っているとも言われていますが,依然として人々はテレビにも高い関心を持ち続けているようです。

 2006年の総合雑誌記事に,テレビでの言葉遣いに対する批判が見られました。
元アナウンサーの鈴木健二氏は,「この花です」と言うべきところを「この花なんです」と言うこと,アナウンサーが一人称に「わたくし」を使わないことを品格がない(「特集;次代に伝えたい日本語 テレビに品格を生む,話し方の基本」鈴木健二 中央公論 121-6 2006年6月)と評しています。

 『正論』4月号では,「乱れた日本語」というテーマでの投稿を掲載していますが,この中にもテレビでの言葉遣いに対して問題提起する投稿が二件ありました。
 その内容は,「言葉は時代とともに変わる」という人もいるが,「言葉の乱れ」にはマスコミの責任もあるのではないか。よく「最近の若者は××のような言葉を使う」などの報道をするが,そのような言葉は無視して報道しないか,誤りを指摘する立場の報道をすべきだろう(「<言ったもん勝ち>「乱れた日本語」 プロのアナウンサーでさえ」鈴木晃 正論 409 2006年4月),一般に与える影響の大きいマスコミ関係者や芸能人の,基本的な国語の再教育を望みたい(<言ったもん勝ち>「乱れた日本語」 「方」の大安売り 後閑暢夫 正論 409 2006年4月)というものです。

 また,『世界』では,短期集中連載「テレビ国家」が掲載されました。連載の第三回では,政治の言葉のテレビ化についても書かれており,政治家たちがカメラを意識的に計算した発話を身につけ,政治の言葉がテレビ・コマーシャルのような言語と化していく傾向は,論理的な説得や抽象的な理念の議論を避ける傾向につながり,政治ロゴスの基盤を掘り崩す直接の原因になっていく(「連載;テレビ国家(3) 政治の変容について」石田英敬 世界756 2006年9月)と述べられています。

 インターネットが普及した現在でも,テレビというメディアには,人々は高い関心を持ち,また,テレビで使われている言葉に規範性を求める意見にも根強いものがあります。テレビが日本人の言語生活に影響を与え続けている様子がうかがえ,テレビというメディアと言語生活との関係は,今後とも注目されます。


関連文献情報

テレビと言葉

文献番号
記事標題 (著者) 誌名 巻号 発行年月 ページ 発行所
2006290
連載;テレビ国家(1) 権力のメディア的変容について (石田英敬) 世界 753 2006-6 pp.49-57 岩波書店
2006291
連載;テレビ国家(2) 公共空間の変容について (石田英敬) 世界 754 2006-7 pp.138-146 岩波書店
2006295
連載;テレビ国家(4) 内面化されるネオリベラリズム (石田英敬) 世界 757 2006-10 pp.104-112 岩波書店
2006333
特集;次代に伝えたい日本語 テレビに品格を生む,話し方の基本 (鈴木健二) 中央公論 121-6 2006-6 pp.60-61 中央公論新社
2006348
<言ったもん勝ち>「乱れた日本語」 「方」の大安売り (後閑暢夫) 正論 409 2006-4 pp.352-353 産経新聞社
2006349
「言葉のチカラ」と新聞,そしてテレビ (佐柄木俊郎) 世界 754 2006-7 pp.147-155 岩波書店
2006350
連載;テレビ国家(3) 政治の変容について (石田英敬) 世界 756 2006-9 pp.41-49 岩波書店
2006351
テレビの品格を問う みのもんたから亀田兄弟まで (永六輔;黒柳徹子;久米宏) 文芸春秋 84-13 2006-10 pp.196-206 文芸春秋
2006352
だからラジオは面白い (清水克彦) 新潮45 25-4 2006-4 pp.130-136 新潮社
2006353
<言ったもん勝ち>「乱れた日本語」 プロのアナウンサーでさえ (鈴木晃) 正論 409 2006-4 pp.351-352 産経新聞社
2006380
特集;教育の力を取り戻す 素読とテレビ電話と (加地伸行) 文芸春秋〈特別版/臨時増刊号〉 84-15 2006-11 pp.184-189 文芸春秋
2006488
連載;コラム10の眼 テレビ 発情するか,外国語講座 (岩切徹) 新潮45 25-6 2006-6 pp.208-209 新潮社



国立国語研究所 日本語ブックレット2006